※この作品はR-18です。

【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】   作:ドン・ドナシアン

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230 大公と冒険者(3)─本物のクロノス

「えっ、暴力?」

 

 ミランダは困惑した声を放った。

 エリカがアーサーに暴力を振るったという告発に、ミランダは驚いた表情になる。

 一郎に、すかさず視線を向けてきた。

 しかし、一郎はすぐには返事をしなかった。

 いまは、コゼのことに集中したかったのだ。

 

「待ってくれよ、ミランダ……」

 

 ミランダを見たのは一瞬だけだ。

 意識を腕の中のコゼに戻す。

 一郎は、座ったままコゼを力強く抱きしめ、淫魔術を駆使して、コゼの精神に触れている。

 

 コゼの心は乱れていた。

 そして、激しく絡み合っていた。

 それを一歩一本と緩めながら、解きながら鎮めていく。

 いま、激しく動いている線は、厠女(かわやおんな)と蔑まれながら、毎日男たちと性交を強要されていた記憶であり、奴隷の首輪に強要されて、理不尽な暗殺を繰り返し実行させられていた忌まわしい過去だろう。

 

 一郎は、ともすれば闇に引きずられそうになるコゼの心を制御し、普段の生活の中でいやな過去を思い起こすことがないように、ずっと注意深く、コゼの記憶を封印をしていた。

 それをこのアーサーは、ただのひと言でコゼが忘れたかった過去を呼び起こしてしまったのだ。

 

 絶対に許さないと思った。

 だが、いまはコゼだ。

 

 一郎は、コゼの精神の抑揚を制限し、心が落ち着くようにしていった。

 しばらくすると、コゼが一郎の腕の中で脱力する。

 眠ったのだ。

 これで問題ない。

 コゼがもう一度、意識を戻したときには、コゼの過去の亡霊は、再び記憶を封印された心の奥底に隠されているはずだ。

 一郎はコゼの身体をソファに置く。

 

「そ、それは本当よ、ミランダ……。でも……」

 

 すぐに応じなかった一郎に代わり、立ちあがったエリカがミランダに答えていた。

 だが、アーサーがエリカを制するように、ミランダに向かって口を開いた。

 

「いずれにしても、冒険者ギルドには、大公である俺を殴った暴力女の引き渡しを要求する。冒険者ギルドには、犯罪を犯した冒険者の当局への引き渡し協定があるはずだ。従って、罪状が明白のこのエルフ女の身柄についてはこちらが預かる。ここはタリオ公国ではないが、殴られたのはタリオ大公である俺であるから、協定により、俺がその当局とみなされるはずだ。それが適当だ」

 

 一郎は舌打ちした。

 今度は、エリカを引き渡せときた。

 

 引き渡し協定がなんなのかはわからないが、冒険者ギルドというのは、スクルズたちの所属するティタン教会と同じように、複数の国を跨って構成されている組織体だ。冒険者ギルドが存在するそれぞれの国体からは、ある程度の独立性も持っている。

 だからこそ、犯罪者である冒険者をそれぞれの国や領主に引き渡すという協定もあるに違いない。

 アーサーの言葉に、ミランダが苦虫を噛み潰したような顔になったから、おそらく、そうなのだろう。

 一郎の感覚では、ハロンドール国内の犯罪の場合は、引き渡し協定たるものがあるとしても、相手はハロンドール王国という気もするが、この世界ではそうでもないのかもしれない。

 

 いずれにせよ、アーサーの思惑は明白だ。

 アネルザやスクルズに影響力を持っていると認識した一郎を、自分の道具として、とことん利用するつもりだと思う。

 エリカは、そのための人質だ。

 そんなことでも、考えているのだと思う。

 だが、それをさせるつもりはない。

 

「待ってください、大公。とにかく、謝罪をします。それよりも、そもそもの話に戻しませんか。クエストを依頼するかどうか、俺たちの力を見極めたいということだったはずです。だったら、力を見せましょう」

 

 一郎は立ちあがった。

 言葉遣いは丁寧だが、一郎の口調には明らかに、アーサーたちへの憤懣がこもっていたと思う。

 一郎の不穏な雰囲気に、護衛たちが緊張するのがわかった。

 

「待て」

 

 ランスロットが一郎の前を阻むように出てくる。

 凄まじい威圧を感じるが、一郎は平然と受けとめた。

 ランスロットの向こうにいるアーサーが不敵に微笑むのが見えた。

 

「ほう、ランスロットの殺気を顔色を変えずに受けとめられるとはな……。まあいい。力を見せるとはどうするのだ? なにか余興でもしてくれるのか、冒険者?」

 

 アーサーが笑った。

 確かに、ランスロットからは強い気のようなものが向けられている。

 しかし、それを正面から受けても、一郎はなぜか平然としていられた。武芸の心得のない一郎がランスロットの気を流し受けられるのは、おそらく、一郎の淫魔師レベルが関係しているのだと思う。

 

 この世界にある約束事のひとつに、一郎の魔眼のみで垣間見れることができる「ジョブレベル」があることには、最近気がついている。

 例えば、どんなに優れた魔道遣いであろうと、ジョブレベルが上の相手に対して、隷属の魔道をかけることはできない。

 「奴隷の首輪」は、魔道遣いが魔道を込める魔具だが、実のところ、魔道を刻んだその魔道遣いのもっているレベルよりも高い相手には、隷属の魔道の効果を及ぼすことができないのだ。

 それは、なにも魔道師レベルに限らず、ほかのどんなジョブのレベルであっても、同様になる。

 

 すなわち、すでに淫魔師レベルが“99”に達している一郎に、効果を及ぼすことができる「奴隷の首輪」はこの世界には存在しないということだ。

 目の前のランスロットの気も同様だと思う。

 ランスロットの最高ジョブレベルは、「戦士」ジョブの“30”だ。

 淫魔師レベル“99”の一郎には、ほとんど効果はないみたいだ。

 

「な、なぜ……?」

 

 ランスロットの顔が険しくなる。

 激しく気を練って、一郎にぶつけているからだと思う。ランスロットの顎から汗が滴ったのがわかった。

 

「それくらいの気なら、エリカでも跳ね返せるよ……。それと、ひとつだけ言っておきます。エリカを引き渡しはしません。殴られて当然のことを大公陛下は口にしたでしょう。エリカが殴ってくれて、むしろ感謝して欲しいですね。俺が手を出していれば、あなたは死んでましたよ」

 

 一郎はランスロット越しに、アーサーを睨んだ。

 すると、アーサーが爆笑した。

 

「お前になにができる。女に守られている臆病者のくせに──。お前が本物のクロノスなどというのは笑い話だな。今後はクロノスなどという自称はせんことだ」

 

「ただの一度もクロノスなんて、自称したことはないけどね……」

 

 一郎は苦笑した。

 この世界では、大勢の女を支配する甲斐性のある男を天空神になぞらえて、「クロノス」と呼ぶ習慣があるのは知っている。

 一郎の女たちが、ときどき一郎のことを“クロノス”だと口にすることがあるが、一郎がそれを強要したことはないし、一郎自身が自分がクロノスなどと言ったことは断じてない。

 

 だが、アーサーは、それがとても気に入らないことのようだ。

 そういえば、エレイン、すなわち、ビビアンがアーサーのことを話したとき、アーサーについては、自称クロノスだと蔑んだことがあった気がする。 

 一郎はエリカに一瞬だけ目をやった。

 エリカは、一郎の挑発めいた言葉に応じるかのように、すぐに飛びかかれる体勢で構えている。そもそも、コゼを侮辱したアーサーに、いまだにエリカが激怒していることはわかっている。いつも、やり合うふたりだが、実はとても、お互いを想い合っているのは、誰よりも一郎が知っている。

 

「エリカ、ランスロットを抑えろ。ほかの護衛とアーサーは任せろ……」

 

「大丈夫ですか……?」

 

「なに、ちょっと脅すだけだ……」

 

 一郎は、アーサーたちに視線を向けたまま、小さな声で言った。

 アーサーの顔から笑みが消える。

 

「んっ? 本当にやるつもりか……?」

 

 アーサーは余裕のある表情だ。

 だが、右手に巨大な魔力がどんどんと充満していっているのがわかる。

 一郎は魔道遣いではないが、なぜか、魔道の波動の流れを感じたのだ。

 おそらく、あれは何らかの攻撃魔道を放つ準備に違いない。

 

「ロウ、やめなさい――。エリカもよ。ギルド内における私闘はご法度よ。手を出すことは絶対に禁止する──。なにがあったのか、ちゃんと話は聞くから……」

 

 ミランダだ。

 かなり焦った口調だ。

 部屋の中に拡がっていく不穏な気配に、ひとり困惑している気配だ。

 さっきまで、ミランダの前には三人の護衛がいたが、一郎とアーサーが向かい合う態勢になったので、ひとりを除いて、一郎とエリカを制する位置に動いている。

 いまは、ランスロットを挟んで、座っているアーサーと、立ちあがっている一郎とエリカが向き合うかたちだ。その両脇にほかの護衛が一郎たちが構えている。

 剣こそ抜いていないが、一瞬後には抜刀できる感じだ。

 

「ギルドの女よ。さっきも言ったが、俺を殴ったエルフ女の取り調べはこちらで行う。エルフ女については、こっちで十分に調べが終わってから引き渡す。場合によっては、本国に連れ帰るかもしれんけどな。虜囚として……」

 

「まだ、そんなこと言ってんのか、大公……」

 

 一郎は敬語を使うのをやめた。

 視線には、もはやアーサーしか映っていない。

 ランスロットは、エリカが対応する……。

 すでにほかの護衛は距離的に届かない……。

 とにかく、コゼを傷つけたアーサーには、ひと泡吹かせてやる。

 そう決めた。

 

「ロウ、やめろと言ったら、やめるのよ──」

 

 ミランダが後ろから絶叫した。

 

「……それに、大公陛下──。エリカの引き渡しには応じられません。ロウについてもです。コゼも含めて、三人の冒険者ランクは、(シーラ)です。(シーラ)・ランクの冒険者は、ギルドとしても特別保護をする掟があり、それは相手が国家そのものでも適用します。Sランク冒険者は、国家を越える貴重な人材であり、特定の国家が不当に囲い込むことを防止するための特別協定として……」

 

「こいつらが(シーラ)ランク? (アルファ)ランクのはずだが?」

 

 アーサーがミランダの言葉を遮って、かすかに首を傾げた。

 Aランクだと、エリカの身柄を引き渡すことになり、Sランクだと引き渡さないで済むという掟が本当にあるのかどうかは知らない。

 だが、ミランダの言葉に対するアーサーの反応を考えると、それは自明のことなのだろう。

 

 そういえば、あまり興味はなかったが、ランが寝物語でそんなことを言っていた気がする。

 そのときの話を思い起こせば、確か、(シーラ)ランクほどの冒険者であれば、ひとつの国家が拘束して、自国の戦力として隷属させてしまうことが考えられ、それを防止するためということだった気がする。

 だから、どんな国家であろうと、(シーラ)ランクの冒険者については、たとえ、国家級の王族の権力であろうとも、絶対的にギルドが守るのだそうだ。

 各国もそれは認めている。

 さもないと、Sランクの冒険者をひとつの勢力が独占してしまうことが考えられるのだ。

 

 しかし、もっと大切なことだが、一郎はいま現在、(アルファ)ランクだ。

 (シーラ)ランクなど、確か世界でも、二十名もいないと耳にしたことがあるし、パーティとして数えたら、現役は五組くらいのはずだ。

 

(シーラ)ランクになったのが数日前なので、公表する暇がなかったのです。でも、間違いなく、彼らはすでにSランクです。すべての国に認められたギルドと国家間との特別協定に基づき、三人の引き渡しを拒否します、大公陛下」

 

 ミランダがきっぱりと言った。

 どうやら、ミランダはエリカを引き渡さないために、一郎たちをSランクに昇級させることにしたみたいだ。

 手続きや書類は、日付を遡って誤魔化すのだろう。

 ミランダがそこまでしてくれることに、一郎は少し驚いた。

 すると、アーサーがふっと笑った。

 

「面白い男だな……。よくよく女に守ってもらえる過保護君ということか……。まあいい。そこまで言うなら、エルフ女の引き渡しは不要だ。その代わり、指名クエストは受けてもらう。この男のパーティを雇う。期間は俺がこの王都に滞在間だ。そのあいだは、このSランクとやらの男のパーティは、俺の部下扱いだ」

 

「それは……」

 

 ミランダの困ったような声がした。

 一郎は、アーサーに視線を向けたまま、片手をあげてミランダを制する。

 

「ねえ、アーサー大公様、俺と賭けをしませんか?」

 

 一郎はアーサーを見つめたまま言った。

 

「賭け?」

 

「あなたが、なんだかんだで、俺たちの力を見たいと思っていることはわかります。あるいは、どれほどの者なのかどうかを見極めたいと考えている……。こうやって、対立するような状況になっても、いまだに護衛たちを、俺たちにけしかけさせない。挑発のようなことをしながら、しつこく、俺に話をさせようとしている。違いますか?」

 

「さあな」

 

 アーサーは笑った。

 しかし、表情の反応からすれば、一郎の考えは正しいことのように思った。

 

「多分、あなたは知りたいんでしょう。アネルザやスクルズ、その他の女……。あるいは、このミランダもかもしれない……。この国にいる女傑たちに大きな影響力を持っているかもしれないこの俺のことを……。いつの時点であなたが俺に興味を抱いたかわかりませんが、それなりには調べたんでしょうね。だから、それで強引に接触しようとした……。それがいまの状況です」

 

「俺が冒険者君に興味を抱いていると? 随分と自惚れが強いのだな」

 

「大公陛下ほどではありませんよ」

 

「なに?」

 

 一郎の言葉に、アーサーがむっとした顔になった。

 

「……あなたは、ご自身が有能な戦士であり、ここにいる五人はタリオ公国の誇る自慢の近衛兵なんでしょう。だけど、俺とエリカがその気になれば、あなたにだって手が届きますよ。力を試そうとするのはいいけど、無暗に冒険者を挑発などしないことです。それがどんなに危険なことなのか知っておいた方がいい」

 

「手が届く? このランスロットを始めとする五人は俺がとめているから、お前たちを斬らないのだぞ。この俺がひと言発すれば、その瞬間に、お前たちふたりは死ぬことになる」

 

「やってみることですね。俺はあなたを殺しません。ただ脅かすだけです。もしも、俺たちが勝ったら、さっきのエリカの行為を含めて、いずれも不問にしてもらいます。その代わり、あなたに雇われて、アン様に面談する機会は作ってあげましょう。アネルザにも話はしてあげてもいい。保証するのは話をする機会を作るだけのことですが……」

 

 一郎は言った。

 今度は一郎がアーサーを挑発する番だ。

 アネルザやスクルズを呼び捨てにしたことでも、一郎が本当に彼女たちに影響力を持っていることを示したつもりだ。

 

 いずれにしても、コゼを傷つけたことは、ただで許すわけにはいかない。

 多少は脅かしてやる。

 それに、この男は気にくわない。

 せいぜい、この国に留まるのは、残り三日程度だとは思うが、そのあいだはしっかりと見張り、なにを考えているのかしっかりと見極めさせてもらう。

 

 なんのために、アンに興味を抱いているのか……。

 それとも、興味を抱いているのは、アンではなく、ハロンドール王国そのものか?

 

 いまのハロンドールの国王は、一郎から見てもこれ以上ないほどの無能だ。

 アーサーでなくても、多少の野心家であれば、簡単に乗っ取れるのではないかと考えても不自然ではない。

 そういえば、あのエレインにしても、マアにしても、アーサーを知る者は、例外なく、アーサーのことを野心家で有能な男だと口にしていた。

 

「お前にその力があるというのか、冒険者君?」

 

「試してみることです」

 

 一郎は言った。

 アーサーが軽く肩をすくめた。

 すでに、アーサーの拳には、魔道発動の準備が終わっているのがわかる。

 万が一にも、一郎がアーサーに手が届くとは考えていないだろう。

 そもそも、一郎はいまなんの武器も持っていない。

 アーサーなら、一郎には武芸の心得など皆無であり、一郎と一対一の状況になっても、一郎を無力化する自信はあると思う。

 ましてや、ランスロットを始め五人の護衛がいるのだ。

 

「ロウ、やめなさい……。相手は大公陛下よ……」

 

 ミランダがもう一度言った。

 だが、アーサーが手でミランダを制する動作をした。

 

「ギルドの女、これは、ただの試しだ──。座興だ。とめるな」

 

 アーサーが言った。

 ミランダが嘆息した音が背中から聞こえた。

 一郎とアーサーが争うのをとめることを諦めたのだろう。

 

「では、動きますよ……。ところで、タリオ公国は、あなたひとりでもっている国です……。あなたという人は大変な改革家であり、かなりの無理をして、いまの国の状態を作ったそうですね……。だけど、いまがとて大切なとき……。いま、あなたが死ねば、タリオ公国という国は乱れるんでしょうね。しかも、あなたには子もおられない。つまりは、誰を後継者にするかどうかについても、一から残された者で考えなければならない。きっと大いに乱れるでしょう」

 

「なにが言いたいんだ、冒険者君」

 

「あなたはとても自信家のようだけど、実はとても危うい状態にあるのだということをお教えするためです。これに懲りて、人を試すようなことはしないことです」

 

 一郎は一歩前に出た。

 目の前のランスロットを始めとして、護衛たちが一斉に動く。

 

「えっ?」

 

 だが、ランスロットが一瞬、目を丸くした。

 両足が床から密着して動かないことに気がついたのだ。なにしろ一郎は、話のあいだ、ずっと粘性体を薄く伸ばして、彼らの脚を床に密着させる準備をしていた。

 一郎の淫魔師レベルは“99”だ。

 ランスロットもアーサーも、それなりの魔道遣いではあるが、まったく気がついていなかったようだ。

 それだけじゃない。

 護衛たちの剣が抜けないように、鞘と柄の部分も粘性体を拡げておいた。

 驚いている護衛たちの動きが一瞬、とまった。

 一郎には、その一瞬で十分だ。

 

「そりゃあ──」

 

 エリカがランスロットを掴んで、再び投げ飛ばす。

 油断はしていなかったはずだが、今度は脚を粘性体に取られていて、体勢を崩している。

 エリカは簡単にランスロットを横に押し飛ばした。

 ランスロットが倒れるときには、咄嗟に両足の粘性体は消滅させている。

 

「おっ──」

 

 一郎は数歩進んで、アーサーの頭に手を伸ばす。

 アーサーの目が大きく見開く。

 一郎の手には、火縄のついた短銃があったからだ。

 亜空間から出現させ、一郎は一瞬にして、手に短銃を持たせて、アーサーに突きつける格好になった。

 驚いているアーサーが魔道を一郎に発動させたのがわかった。

 

「ぐあああっ」

 

 アーサーが後ろに吹っ飛ぶ。

 そのまま壁に激突して、アーサーは頭を打ってぐったりとなった。

 

「大公──」

「大公陛下──」

「アーサー陛下──」

 

 護衛たちが悲鳴をあげた。

 この時点においても、一郎は、粘性体によって護衛たちの足を床に縫いつけている。

 エリカに飛ばされたランスロットについても、再度粘性体で床に拘束した。

 

「約束ですよ、大公。これは不問のことです」

 

 一郎はアーサーに言った。

 後頭部を打ちつけて朦朧としている様子だったが、アーサーにはちゃんと意識はあるみたいだ。

 アーサーが衝撃で一郎から跳ね飛ばされるかたちになったのは、一郎がいま、あの「王家の宝珠」を服の下に付けているからだ。

 ここに来る前に、一郎は念のために、サキがルードルフからすり替えて奪ってきた王家の護り魔具を首からぶらさげてきたのだ。

 王家の宝珠というのは、本来はハロンドールの王に代々受け継がれている伝承の宝具であり、あらゆる悪意のある攻撃を術者に跳ね返す機能がある。毒を盛れば、毒が返り、刀で斬れば、その傷は斬りつけた当人の身体を傷つける。

 そんな宝珠だ。

 当然に、一郎に魔道を放ったアーサーは、その魔道を自分自身に受けることになったということだ。

 それにしても、初めてこれを試すことになったが、実に便利な宝具だ。

 

「これは……」

 

 アーサーが我に返った。

 しかし、呆気にとられている。

 いまだに、なぜ、自分が飛ばされたのかわからない様子だ。

 それにしても、アーサーが命拾いしたのは、致死性の魔道を一郎に放たなかったことだ。

 もしも、一郎を殺すつもりの魔道を打っていれば、宝珠の護りの効果により、死んだのはアーサーの方だったろう。

 

「ロウ──」

「ロウ様、大丈夫ですか──?」

 

 ミランダとエリカが同時に叫んだ。

 このときには、護衛たちの足を拘束していた粘性体は消滅させている。

 

「なにをしたのだ──。待て──」

 

 ランスロットが慌てたように立ちあがって声をあげた。

 だが、一郎はそのときには、エリカの腕をとって、部屋の外に出ていた。コゼについては、さっきのどさくさのあいだに、亜空間に一時的に隠した。

 しかし、アーサーもランスロットも、突然にコゼがいなくなっていることに、気がついてもなさそうだ。

 

「では、大公陛下、俺たちはこれで……。明日は第三神殿でお待ちしています。しっかりと護衛の任務は務めますよ。あっ、いつご訪問されるかは連絡をいただかなくて結構です。スクルズに聞きますから」

 

 いまだに混乱から回復していないアーサーたちを置いて、一郎はエリカを伴って部屋を出た。

 幸いにも、ランスロットもほかの護衛も、まだ立ち直っていない。

 

 ミランダが、あとは任せろと言わんばかりに、にっこりと微笑みを向けて、小さく手を振る。

 そして、一郎は一目散にギルドから逃亡した。

 

 

 *

 

 

 ビビアンは、少し前の情景を些かの興奮とともに回想している。

 アーサーとロウとの対立のことだ。

 

 ビビアンは、護衛の男のひとりに化けて、その場に立会していたのだが、自分の主人とはいえ、アーサーのやり口は、あまり、上品とはいえないものだった。

 

 アーサーは、ビビアンが提供した情報から、あのロウという冒険者上がりの一代子爵の男が、実際には、かなりの影響力を王家に持っているということに気がついた。

 そもそも、子爵というのは、本来、移民をして一年にもならない男に、いきなり与えられるような爵位ではない。

 だが、国王自らの物言いで、ロウは子爵になったのだ。

 ほかの貴族たちの反感のようなものも、王妃が立ち塞がって、それをすべて排除している。

 このこと、ひとつだけでも、ロウが実はかなりの王家にとって重要な人物だということがわかる。

 

 アーサーは拙速だった。

 しかも、直接的に動いた。

 ロウが王家の重要人物だと悟ると、すぐにこれを利用しようとし、冒険者ギルドに乗り込み、強引に指名依頼をかけた。

 ロウを手に入れるためである。

 

 しかも、対面では、わざと怒らせるように振るまい、自分を攻撃させて、弱みを握るということを考えた。

 アーサーは一国の大公であり、一応はこの国を訪問している賓客だ。

 そのアーサーを一介の冒険者が殴れば、大変なことになる。

 また、愛人だというロウを処刑させるわけがない王妃のアネルザが、アンの婚姻話を完全に無視している態度を改め、アーサーに譲歩するしかなくなるだろうということは予想がついた。

 そんな計算により、面談したロウを散々にあおり、意図的に激昂させようとしたのだ。

 

 ビビアンも護衛のひとりに扮して見ていたが、まあ、アーサーの態度は、下衆そのものであり、コゼに聞こえるように「厠女」と蔑んだときには、ビビアンさえも鼻白んだ。

 しかも、あの言葉は、おそらく計算によるものじゃない。

 アーサーの心からの蔑みだ。

 

 コゼに関する調査をアーサーに伝えたのはビビアンだが、アーサーの反応は、不幸すぎる境遇に陥っていたコゼについて、コゼをそんな風に扱った男たちではなく、コゼの方を蔑むというものだった。

 まあ、男尊女卑の傾向の強いアーサーらしいとは思ったが……。

 

 とにかく、その結果、ロウではなく、ロウの仲間のエリカがアーサーを殴りかかることになり、アーサーは予定通りに軽く殴打を受けて、一郎、ひいては、王妃のアネルザを追い詰める材料を得た。

 ここまではアーサーの思惑通りだ。

 

 そして、アーサーは、さらに、エリカの暴力を最大限に活用して、ロウをじわじわとなぶった。

 エリカを人質にとるということまで仄めかして、ロウをいたぶりさえしたのだ。

 ミランダという冒険者ギルドの女が現われたが、そのギルドの女にも、嫌味たっぷりの態度で尊大に応じた。

 まさかとは思うが、ビビアンがロウのことを「クロノス」と呼んだことを相当に根に持ったのか?

 そんな感じの、珍しくもしつこいアーサーの対応だった。

 

 しかし、アーサーの攻勢はここまでだ。

 今度は一転して、ロウがアーサーを挑発するような物言いをし、アーサーなどいつでも手を出せるということを口にしはじめたのだ。

 アーサーにしても、護衛のランスロットにしても、何度も戦場に出たことがある強者である。

 冒険者などに後れを取るなど考えもしなかっただろう。

 ビビアンからしても、ロウは武術はからきしだ。

 戦えば、アーサーでも、ランスロットでも、瞬時にロウを殺せると思った。

 アーサーも、案の定、ロウの挑発を嘲笑して、ロウの挑戦を受けて立つということを言った。

 

 そして、ロウは手を出した。

 

 あとはどうなったかわからない。

 

 一瞬だけのことだが、護衛としてふるまっていたビビアンを含み、あそこにいた全員が、なぜか一瞬にして動きを封じられたのだ。

 さらに、ランスロットもエリカに排除され、ロウはアーサーに手を向けた。

 そのとき、ビビアンは、一瞬だったが、なにもないはずのロウの手に射撃準備の終った短銃が握られているのを見た。

 びっくりした。

 

 ロウがあの瞬間に引き金を引きさえすれば、アーサーは即死していたに違いない。

 なにしろ、ロウの銃は真っ直ぐに、アーサーの眉間に向けられていたからだ。

 そして、次に起こったことも、なにもわからない。

 

 アーサーは咄嗟に攻撃魔道を発動したと思う。

 だが、その衝撃で跳ね飛ばされたのは、ロウではなく、アーサーの方だった。

 なぜか、アーサーは魔道を放ったロウから、自らの魔道を跳ね返されたのだ。

 ビビアンは動きを封じられた状態で呆気にとられた。

 

 そして、壁に打ち付けられたアーサーを尻目に、ビビアンを含めた全員は、すぐには混乱から抜け出せなかった。

 はっと気がついたときには、ロウは女たちを連れて、部屋を出てしまったあとだった。

 捨て台詞を残して……。

 

 そして、いまに至る。

 

 我に返って、激昂の表情を示したアーサーだったが、ロウを捕えよとは言わなかった。

 もちろん、殺せとも……。

 

 逃亡する直前に、ロウはアーサーに、アーサーの行動に最小限の協力することを約束していたし、ロウを使って、事態の打開を図るという当初の目的は、達せられる状況になっていた。

 してやられて口惜しいという思いはあったと思うが、それを除けば、まあ、ロウはアーサーがアンと会う場を設定すると約束もしたのだ。

 それだけでなく、頑なにアーサーを失礼千万にも、門前払いに近い扱いを続けている王妃のアネルザとも会談の機会を作るとのことだ。

 

 王家でもない、本来は一介の子爵でしかないロウが、そんなことを約束できるのはおかしいのだが、ロウを知っているビビアンからすれば、ロウが約束をしたのなら、必ずそれは果たされる……。

 そんな気がした。

 

 いずれにしても、いまのことだ。

 

 ビビアンが新たに命じられたのは、ギルドから逃げていったロウを追いかけ、居場所を確認し、さらに尾行し、ロウが明日までのあいだにどういう行動をとるのかの情報をとることだ。

 どこに向かい、誰と接触し、どんな話をしたのかということを見極め、明日の朝にアーサーに報告をする……。

 それを命じられた。

 だから、いま、こうやって、王都の道を進んでいるということだ。

 

 すでに、護衛に扮していた男装は解いている。

 いまのビビアンは、どこにでもいる若い王都の平民の娘の格好だ。

 背中に野菜の入った籠を担いでいて、市であがなった食材をどこかの料理屋にでも、運んでいく体裁だ。

 とにかく、まずはロウたちがどこに行ったのかという足取りを追うことだ。

 ロウが王都の城外にある人里から少し離れた場所にある通称「幽霊屋敷」を棲み処にしていることは、ビビアンはすでに掴んでいる。

 しかし、そこには戻らないだろう。

 

 さっきのいまだ。

 ロウは第三神殿にいるスクルズあたりと合流して、明日の行動について話し合いをするはずだ。

 それとも、王妃のところか……。

 いずれにしても、王都内にはいるはずだ。

 とにかく、早く見つけないことには……。

 

 そのときだった。

 ひたひたと足音が後ろから音がしたと思った。

 振り返った。

 そこにいたのは、果たしてロウだ。

 横にはエリカもいる。

 ロウは、こっちを向いて、意味あり気に微笑んでいた。

 しかし、いまのビビアンは、ただの町娘の姿であり、一郎が知っているはずはない。

 だが、ロウは明らかにビビアンに視線を向けている。

 ビビアンは、不安な気持ちになった。

 

「ご主人様に用事があるの、エレイン? あっ、本当はビビアンっていうのが通り名だって?」

 

 はっとした。

 まったく気がつかなかったが、完全に背後をとられていたのだ。

 後ろから話しかけてきたのはコゼだった。

 アーサーに厠女と蔑まれて、真っ蒼になって震えた影はもうない。

 コゼの存在に目を丸くしているビビアンに向かって、愉快そうに笑っている。

 それにしても、ビビアンという諜報員としての名を知っている?

 それはあり得ないことのはずなのだが……。

 

「くっ」

 

 次の瞬間、ぐらりと身体が揺れたのを感じた。

 いきなり全身が脱力する。

 身体をコゼに抱えられた。

 わけがわからない。

 しかし、すぐに毒を打たれたのだと気がついた。

 首の後ろに違和感がある。

 おそらく、コゼに背後を取られた瞬間に、弛緩剤を塗った針を首に打たれたのだと思う。

 ビビアンともあろう者が……。

 思わず舌打ちした。

 

「実は俺たちも、あんたを探していた。色々と教えてもらおうと思ってね。心配ない。コゼの針は強いものじゃない。すぐに身体は動くようになる。少しのあいだ、大人しくしてもらうだけだ。口づけをする時間だけね」

 

 ロウがやって来て、ビビアンの身体を抱き締めて、すぐそばの路地に連れ込んだ。

 周りの人影がなくなる。

 また、エリカがさっとビビアンの手を背中に動かし、指に紐のようなものを巻きつけた。

 ぎゅっと親指の付け根がまとめて縛られる。

 指縛りだ。

 

 悲鳴をあげようにも、舌が痺れて動かない。

 声さえも出ない。

 ビビアンはやっと恐怖を覚えてきた。

 

「あっ、あ……あ、あ……」

 

 なんとか声を出そうともがくが、やはり声は出ない。

 そのビビアンの口をロウの唇が塞いだ。

 ロウの舌とともに、唾液が入ってくる。

 その瞬間、突如として、得体の知れないものが心を鷲掴みする感覚が襲いかかってきた。

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