【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
269 情報通の女と闘奴事情
「ただいま、ロウ……。いま、帰ったわ」
屋敷に戻ってきたイライジャが、いきなり上衣を脱いで一郎の膝の上に座ってきた。いつもは、三人娘の誰かしらが、まとわりついているものだが、いまは一郎はただひとりで長椅子に腰かけていた。
なにしろ、うちの三人娘は忙しいのだ。
ナタル森林に向けた出立の日は、数日後に迫っていた。
もっとも、一郎自身はそうでもない。
旅の準備は三人娘がやってくれているし、一郎は嵩張るものを亜空間に片付ける以外には大してすることはない。
それも、エリカたちが準備したものをただ亜空間収納の能力で向こう側に入れるだけのことだ。
暇なものだ。
イライジャは、なにをしているかわからないが、ほぼ一日中王都側に出ているようだ。
すでに、“ほっとらいん”を使いこなしている。
向こうの小屋敷のブラニーとも、すっかりと顔なじみになった気配である。
この連日、朝に出かけていき、夕方に戻って来る。
また、王都にいるほかの女についても、出立が近づくにつれて忙しくなってきた。
まず、冒険者ギルドのミランダとランは、一郎たちが道中で何件かクエストを受ける予定だと説明したことで、必要な調整と情報収集をしてくれている。
神殿のスクルズたちは、まだまだ、地方神官の集まりとやらが続いているようだし、さらに、一郎たちと一緒に旅に出ることに決まったミウに、ベルズとともに、最後の魔道の特訓をしてくれている。
王宮にいるアネルザ、イザベラ、サキたちがそうそうここに来れるわけもない。
一応は、イザベラと侍女団たちのところには連日通っているが、いまや、王太女府の体を成してきたイザベラの業務は、唯一の女官のヴァージニアが中心となり、侍女たちが官吏のように取り組んでいて、あまり邪魔をすることもできない。
実際、このところ連日、王都の女たちを回っていたのだが、一郎に関わることで忙しくしているのに、さらに一郎が遊びに行くのは、さすがに彼女たちの負担であり、申し訳ないという気持ちになってきた。
だから、とりあえず、一昨日くらいから、夜限定に自重していた。
従って、今日も昼間は、一郎も所在なく座っているだけの時間をすごしているというわけだ。
「おう、イライジャ」
一郎は、第三神殿と繋がっている“ほっとらいん”の出入り口の姿見から出現して、甘えてきたイライジャに微笑みかけた。
イライジャが屋敷にやって来てから、なんだかんだと毎日抱いている。スキンシップが重なるにつれて、イライジャは一郎に対して、すごく積極的になってきた。
今日も、なぜか戻って来るなり上着を脱いで、上半身が胸当てだけの恰好で一郎に擦り寄ってきている。
この数日のお約束であり、「あのイライジャが?」と思うほどに甘えてくる。
もっとも、彼女の甘えぶりは、かなりの打算のようなものがありそうだ。
一郎がこの王都でかなりの人脈があるとわかったこともあって、一転して一郎にとことん擦り寄ることに決めた感じでもある。
褐色エルフの里ではわからなかったが、こういうしたたかな部分もイライジャの性質の一部なのだろう。
「お帰り。どこに行っていたんだ?」
一郎は顔の下に迫っているふたつの大きな褐色の塊に視線をやりながら言った。
「秘密よ……。それよりも、触っていいのよ……。ああ、あなたは、縛ってから抱くのが好きなのよね。じゃあ、どうぞ。ところで、お願いがあるんだけど……」
イライジャがすっと両手を背中に回す。
一郎は苦笑するしかなかった。
ここまで露骨に誘われると、鼻の下を伸ばすどころか、警戒したくなる気分だ。
もっとも、こういう駆け引きも悪くない。
それに、わざと蓮っ葉なふりをしているが、実のところ、イライジャがそれほど男慣れしていないことはわかっている。
イライジャの内心の不安も一郎には明白であるし、つまりは、イライジャはいろいろと考えて演技をしているのだ。
この場合は、一郎とできるだけ親しくなるのが、イライジャとして得であると計算しているのだろう。
「あら、ごめんなさい。落としちゃった」
そのとき、いつのまにかそばを通りかかったコゼが……。
……というよりは、いつの間に戻っていたのかわからなかったが、気がつくと、すぐ横にいた。
そして、わざわざ、近くまでやってきて、なにかをイライジャの胸の谷間にねじ込んだ。
「んひいいいっ」
その瞬間、イライジャが絶叫して飛びあがった。
そして、なにかを胸から取って投げ捨てる。
コゼがイライジャの胸の谷間に落としたのは、「氷」の玉のようだ。
この世界においては、氷というのは魔道で作るものなので、かなりの贅沢品なのだが、一郎の屋敷には、屋敷妖精のシルキーがいるので簡単に作ってくれる。
だから、コゼはシルキーからもらったのだと思うが、それをイライジャの胸に入れたようだ。
なんという悪戯だと呆れたが、それで、イライジャが飛びあがったというわけだ。
コゼは皿の上にただ氷を載せて運んで来たようなので、コゼはイライジャに嫌がらせするためだけの目的で持って来たのは間違いない。
「な、なにすんのよ、この性悪女──」
さすがにイライジャがぶち切れて怒った。
立ちあがって、コゼに掴みかからんばかりになった。
ただ、本気でやり合えば、イライジャはすぐにコゼにやられてしまうだろう。
さすがに自重したようだ。
一瞬の後、少し大人しくなる。
「あんたこそ、いい加減にしてよ。なに、ご主人様に甘えてんのよ。慎みなさい。新入りのくせに――。ご主人様はあたしたちのものよ」
「ロウは誰のものでもないわよ──。そもそも、あんたがそれを言うの? あんたがいつもエリカを押しのけて、ロウを独占したがって、エリカのことを邪魔者にしていることをわたしは知ってんのよ」
イライジャが言い返した。
一郎も吹き出してしまった。
確かに、隙あらば一郎にべったりとくっついてきて、エリカに嫌味を言われるのは、コゼの専売特許だ。
それはいいのだが、このところ、同じことが数日続いている。
エリカにとってコゼは鬼門だが、コゼにとってはイライジャが鬼門のようだ。
それにしても、どうして仲良くできないのだろう。
「……やめないか」
一郎は淫気をふたりの股間に一気に送り込んで、クリトリスに対して急激な快感を送り込んだ。
「んふうっ」
「うはああっ」
コゼとイライジャが同時に奇声をあげて、その場に倒れ込む。
「あら、取り込み中ですか?」
そのとき、エリカの声がした。
振り向くと、庭に通じる扉から入ってきたらしいエリカたちがいる。
シャングリアもいたが、驚いたことにミランダもいる。
「んひいいっ、ご、ご主人様ああっ」
「ちょ、ちょっと、あああっ」
一方で、コゼとイライジャは、あっという間に悶絶したようになり、ふたりでお互いに支え合うように抱き合って、がくがくと身体を震わせた。
ふたりとも、あまりにも急激に沸き起こった快感に耐えきれずに、絶頂をしてしまったのだ。
よく考えれば、なかなかに壮絶な光景だが、この屋敷では日常だ。
ミランダもちらりと見ただけで、心を動かした気配もない。
一郎はコゼとイライジャから淫魔術を解放した。
ふたりとも、すぐには動けず、抱き合ったまま、床に尻もちをついて、肩で息をしている。
「やあ、ミランダ、来てたのか?」
「ついさっきね。“ほっとらいん”も便利だけど、たまには、景色を見ながら、王都の外を進むのもいいわね。たまたま、荷馬車で荷を運ぶエリカたちと会って、同行させてもらったのよ。帰りは、“ほっとらいん”を使うわ」
王都ハロルドの冒険者ギルド本部の副ギルド長として、怖ろしく多忙だったミランダだが、このところ、かなりの業務をランが肩代わりしてくれるようになったことから、少し余裕があるようだ。
ちょっと前なら、瞬時に移動できる手段があるのに、時間をかけて、荷馬車で揺られてここまで来ようとは考えもしなかっただろう。
王都の城門からここまでは、荷馬車だと一ノスくらいの距離がある。
まあ、こういう余裕も、一郎がこの数日、邪魔しに行ってないからに違いない。
「ロウ様、旅のあいだの食糧や飲料水を仕入れてきました。裏庭に詰んでありますので、あとで亜空間への収納をお願いします」
「わかった」
一郎はエリカに応じた。
エリカたち三人は、道中における食料調達をしてきてたみたいだ。
旅のあいだでも、逐次に仕入れられるだろうが、王都ではなんでも手に入るし、一郎の亜空間は、いくらでも収納ができる。取り出しも容易い。
しかも、亜空間内は時間経過がほとんどないので、いくら経っても食料も水なども腐ることもない。
あればあるだけ、亜空間に収納しておいた方が、後々楽になる。
「ところで、ロウ、道中で引き受けられそうなクエストの情報を持ってきたわ」
ミランダが言った。
わざわざ、調査結果を持って来てくれたようだ。
呼び出せば、すぐに向かうのだが、まあ、これもミランダの息抜きなのだろう。
ミランダがこれだけ気が抜けるのは、本当にランのおかげだ。
いい仕事をしてくれる。
娼館の性奴隷として売られていたランを保護して身請けしたときには、ランがここまで成長してくれるとは、夢にも思わなかった。
一郎の精を受けたことによる淫魔師の恩恵の影響だが、いまだに一郎には、その法則性がわからない。わかるのは、高位魔道遣いについては、その魔道能力の向上がほかの者よりも能力向上が顕著だということくらいだ。
「……皆様、夕食はいかがですか? ミランダ様も……」
そのとき、シルキー声が声をかけてきた。
まだ、夜更けというわけでもないが、すでに陽は落ちかけている。
確かに夕食にはいい時間だ。
いつの間にか、部屋の奥の一角の長テーブルに夕食の支度ができている。
たったいまやってきたばかりのミランダも含めて、六人分が準備されていた。
「もらうわ、シルキー」
ミランダが微笑んだ。
また、ふとイライジャを見ると、さっきのことなどなにもなかったかのように、すでに上衣を身につけている。
夕食になった。
食事をしながらミランダが切り出した話題は、まずはクエストのことだった。
ナタルの森に行くまでのあいだに、いくつかのクエストを請け負って、ユイナを競り落とす資金の足しにするという話をしていたので、ミランダが地方ギルドで請け負える
今日の訪問は、それが主目的だったらしい。
「……次も魔獣の掃討ですね。場所は……。報酬は……」
エリカが宙に出現させているリストを順番に上から声に出して読んでくれた。
これも魔道であり、紙ではなく、空中に文字などを浮かべて、それを読むのだ。ミランダから魔道で情報を受け取り、それをエリカがやはり、魔道でその情報を宙に出して、確認しているということをしている。
だが、一郎はしゃべりに関しては問題ないものの、この世界の文字の読み書きは、あまりできない。
まったくできないわけでもないのだが、エリカなどが代行してくれるので、ついつい、本気で勉強をしないで放っていた。
これからのこともあるし、そろそろ覚えないといけないとは思っているのだが……。
もっとも、この世界では、文字の読み書きができないのは珍しくもない。
一般の庶民は、大抵はできない。
料理屋の給女だった以前のランは、メニューの文字くらいは読めたらしいが、それですら立派なものなのだ。
ただ、一郎の周りの女たちは、読み書きができる者が多い。
エリカはできるし、貴族であるシャングリアも問題ない。イライジャも大丈夫だ。
コゼはまったく読み書きできなかったのだが、いまは少しずつ、エリカやシャングリアなどから教わっている気配である。
そして、最近、文字の練習代わりに、『日記』を付け始めたみたいだ。
一度見せてもらったが、すごく大きな字で毎日こつこつと書き留めてあった。
なにを書いているのだと訊ねると、一郎がなにを食べたのか、誰とどんな風にセックスをしたのかということを延々と記録しているみたいだった。
そのとき一郎は笑って、日記というのは自分のことを書くのではないのかと言ったら、そんなのつまらないし、興味もないという返事だった。
まあ、文字の練習になるのなら何でもいいだろう。
とにかく、いまは、文字の読めるエリカに、空中に書いてあるリストを説明してもらっていた。
「随分と魔物退治のクエストが多いようだな」
シャングリアが口を挟んだ。
「最近、魔物の発生率が高くてね。どこの支部でも冒険者が足りない状況よ。腕のいいパーティなら、いくらでもクエストがあるわ。あたしとしても、王都から腕のいい冒険者を派遣したという体裁をとらせてくれれば、地方ギルドに恩を売れるし、できればそうしてもらいたいわね。討伐クエストなら、あなたたちにかかれば、時間もかからないだろうし、随分と報酬もいいわよ」
ミランダが目の前のスープを口にしながら言った。
「冒険者が不足しているのか?」
なんとなく訊ねた。
実際のところ、一郎は冒険者としてのクエストをこの王都でしか受けたことがない。
地方の状況は知らないのだ。
すると、イライジャが横から口を挟んだ。
「そうね……。このところ、一時的な冒険者不足が続いているようよ。あちこちの領主たちが、腕のいい冒険者を家臣として囲い込むことが続いているのよ。なにしろ、領主は領域に出現した魔獣や魔物を退治しなければならない義務があるしね。滅多にないことなら、賞金を払って冒険者ギルドに依頼すればいいけど、たびたびとなれば、魔獣退治に慣れている冒険者を家臣にしてしまえばいいと考える貴族も多いということよ」
一郎は王都にやって来たばかりのイライジャが、地方情勢に案外に詳しいことにちょっと驚いた。
「詳しいんだな、イライジャ」
一郎は正直な感想を言った。
「まあ、あたしの取り柄は、情報取りだから……。これでも、この数日、王都見物するために出掛けていたわけじゃないのよ……」
イライジャが料理を口にしながら、深刻そうに言った。
まあ、大して魔道も剣技も高くないイライジャだが、考えてみれば、夫を殺したうえに冤罪に仕立てたダルカンに対する叛乱組織をひそかに指揮していたのは彼女なのだ。
腕っぷしの強いエルフ男を従えて、事実上のリーダーとしての活動を数年続けていた。
イライジャは、イライジャで女傑なのだと思った。
さすがは、エリカが頭があがらない姐さんエルフだ。
「おかげで、ギルドとしても、腕のいい冒険者が引き抜かれて迷惑もしているのよ」
「だけど、腕がよければ、冒険者として暮らした方が実入りがいいんじゃないか、ミランダ。貴族の家人になっても、そんなに儲からないだろう?」
一郎は言った。
「だけど、それでも貴族の陪臣というのは、ただの移民の冒険者にとっては憧れでもあるのよ。安定した暮らしを子供に与えられる可能性もあるわ。うまく勤めあげれば、子供も仕えさせることができるのよ。それに、冒険者なんて、いつまでも続けられるものじゃないわ。命懸けだし」
「まあ、そんなものなのかな」
一郎はなんとなく納得した。
「ところで、イライジャ、ナタル森林というのは、どんな状況なの? エランド・シティの支部からの情報は入るから、シティ周辺が魔獣の多発で苦労しているのは承知しているんだけど、あそこは、各里にギルドがないものだから、全体情報は得にくいのよね」
ミランダがイライジャに声をかけた。
「そうね。ナタル森林は、もっとひどい状況よ。おかげで、ナタル森林国の都のエランド・シティの冒険者ギルドに所属していたわたしも、仕事にはあぶれなかったし、業績も重ねて、
イライジャが泣き真似をして、ちらりとコゼを横目で見た。
ユイナを競り落とす金が、イライジャが準備した分のみでは、不足だと厳しく指摘したのはコゼだ。
そのことを言っているのだろう。
「なによ」
「なんでもないわよ、コゼちゃん」
イライジャがからかうような物言いをし、コゼがむっとした顔になった。しかし、イライジャはすぐに真面目な顔に戻り、一郎に向かって口を開く。
「いずれにせよ、各領主の囲い込みが進んでいるのは冒険者だけでないそうよ。戦闘奴隷なんていうのも、最近は引く手あまたらしいわね。武芸能力の高い奴隷など、いまや、値段が跳ねあがっているわ。冒険者の引き抜き同様に、直接攻撃力の高い奴隷の値段もあがってる。これも、頻発する魔物の影響ね。あちこちの地方領主が買い漁ってるのよ。ほら、夕べ、あんたが、なんとかという闘奴……」
「マーズよ、イライジャ」
エリカが口を挟む。
「そう、マーズ。そのマーズのことを口にしてたから、一応は闘奴状況に関する全般情勢は調べてきたわ。魔獣多発の影響でその闘奴も高額取引きの対象よ」
イライジャが言った。
マーズというのは、しばらく前に、ミランダを通したアネルザの依頼で引き受けた闘奴少女だ。
とんでもなく強い巨体の美少女なのだが、魔獣相手のクエストが連続している現状において、一郎のパーティに加わってもらえないかと考えていた。
それというのも、あのときに一緒にいたマーズの師匠のような興行主が急死したみたいなのだ。
それで、マーズの所属していた闘奴一座は解散となり、ばらばらに売りに出されていると耳にした。
マーズのような人気闘奴の場合は、いままでの賞金があるので、それで自分を買い取って、自由民になるのが通例だとも聞いている。
ならば、パーティに誘ってみようかと思っているのだ。
「ふうん……。魔物多発による高額取引きねえ……」
一郎は言った。
この世界に長いわけでもない一郎だから、相場観というのはわからないのだが、各地におけるこのところの魔獣や魔物の発生量は、かなり異常のようだ。
魔獣の頻出は、特異点の頻発が原因なのだが、その特異点の破壊を得意としている一郎たちパーティがあっという間に、
まあ、あれはクグルスのおかげなのだが……。
「ところで、ロウ……。今日、持ってきた情報は、そのこともあるわ。マーズって闘奴隷……。彼女についてよ。アネルザに仲介を頼んだって話だったけど、なにか変なのよね」
ミランダだ。
「変って?」
一郎は訊ねた。
さっきのマーズについて、勧誘の仲介を依頼をアネルザに頼んでいた。
だが、パーティーの戦力増強に関して、ミランダにも相談はしていたのだ。もちろん、ミウのことも説明した。
「……そのマーズを引き取った男が変な男でね……。今日の午前中にマーズに会いに行ったんだけど、そいつと喧嘩して、会わせてもらえなかったのよ……。どうも、おかしな感じでねえ……」
「えっ?」
一郎は首を捻った。
どういうこと?
「おかしな感じってなによ、ミランダ?」
口を挟んだのはエリカだ。
ミランダは渋い顔をしている。
「うん、実は、死んだ興行主の遺産を相続したのは、あの興業主の息子なの。ただ、闘奴興行に縁のある男じゃないし、相続した闘奴を全部売り払っているみたいなのよ。だけど、そいつは、マーズも売ることを考えてたみたいでね」
「マーズを売る?」
一郎は怪訝に思った。
話が違う。
「さっき、イライジャが言った通り、闘奴というのは、いまは、それなりに金になるのよ。欲しがる領主は多いしね……。あたしは、マーズにあんたが誘ってると伝えようと思ってたんだけど、マーズを引き取りたいなら相場の金を支払って買い取れと怒鳴ってきて……。それで大喧嘩よ。アネルザからはなにか言ってきてる?」
「いや、まだなにも……。だけど、マーズは自分で自分を身請けして、自由になるんじゃないのか? 買い取れってどういうこと?」
一郎は訊ねた。
「どういうことと、言われても、そうだとしか……。とにかく、そいつ、昼間から酔っぱらってて、話にならないのよ。それで調べさせたんだけど、どうにも、おかしくて……。とにかく、午前中の段階で、そいつはマーズは売るの一点張りで……」
「なによ、そのどら息子……」
コゼが不快そうに言った。
「ほんと……。どら息子よ。父親は立派な男だったけど、血さえ繋がっていれば、どら息子にはなれるのね」
ミランダは嘆息した。
「だけど、マーズの戦績だったら、自分で自分を買い取れただろう。奴隷から自由民になっても、闘奴の戦いに出られなくなるわけじゃないし、大抵は遺言で、それまでに貯めた賞金で自由を手にできるようになっていたはずだ。マーズの興行主は、公証人を通じた遺言を遺していなかったのか?」
シャングリアだ。
貴族出身なので、そういう興行についても幾らか詳しい気配である。
そもそも、闘技に限らず、王都の興行なんていうのは、貴族が自分の力を誇示するために、資金を出して催す側面もある。
だから、それなりの闘奴事情も承知しているのだろう。
「いえ、ちゃんと死んだ興行主はマーズが自由になれるように、遺言を遺していたわ。それは、正規に公証人を通じて届けられていた。それは確認したの。だから、いくら相続したとはいえ、その息子の勝手なんかできないはずだけどね」
「ならば、それを無視して、マーズを売れば犯罪だ。マーズほどの有名な闘奴なら、闇奴隷にしたてて、売ってしまうのは難しい。闇奴隷と知ってて、買うのも犯罪だしな」
シャングリアが言った。
「闇奴隷、そんな、馬鹿な」
一郎は眉をひそめた。
闇奴隷というのは、正規の手続きをせずに、不当な手段で奴隷になった者のことをいい、もちろんご法度だ。
しかし、一度奴隷になってしまうと、奴隷の首輪に支配されてしまって、自分が非道な方法で奴隷になったことを口にできなくされてしまうので、発覚しにくい。
この王都を中心として、その闇奴隷組織が横行しているというのは、たまに耳にする。
そもそも、ランがそうだった。
ランを騙して売ったジョナスという操り師は、その場で撃ち殺したが、ランを買い取ったルロイという商人は、まだ地方で生き延びている。
マアに頼んで、破産寸前にまで追い込んでもらったということはあったが、いまはどうしているか知らない。
「とにかく、マーズについても、その男についても、引き続き、情報を集めさせてるわ。アネルザにも伝言した。もう少し待ってちょうだい」
ミランダが神妙な口調で言った。
一郎は、さらに、マーズについて訊ね、ミランダにわかる範囲で情報を提供してもらったが、その息子はもともと、かなり評判が悪い男のようだ。
しかし、死んだ興業主との唯一の縁者であることには変わりなく、興業主も、遺産そのものについては、その男に遺すようにも手続きしていたらしい。
ただ、闘奴の幾人かは、自由民にすることも遺言していて、マーズは自由民になる闘奴に指定されてあったようだ。
ミランダは、引き続き、その息子を調べるので、明日か、明後日には、新しい情報を集めて持ってくると約束してくれた。
マーズについては気になるが、ここではそれ以上の話をしても意味はない。
暇だし、一郎自身も動いてみるか……。
ちょっと、そんなことを思った。
「……じゃあ、マーズのことについては、悪いけど頼むよ、ミランダ……」
「わたしも、当たってみるわ。こう見えても、情報集めには自信もあるのよ、ロウ」
イライジャが横から言った。
一郎は頷いた。
「……マーズについてはできる限りのことをするわ……。ところで、話を戻すけど、そういうことだから、王都周りは、王軍がいるからそうでもないけど、地方は魔獣の発生で結構大変なのよ。時間の許す範囲でいいから、道中で地方ギルドに顔を出してよ。こっちからも連絡しておくから」
ミランダが言った。
「わかった。もちろん、寄るさ。ユイナを競り落とす努力はすると約束したしね。競り落とすための軍資金は少しでも増やしたい。もっとも、限られた時間の範囲になるけどね」
「そのことなんだけど、あまり無理をしなくてもよくなったの。後見人が見つかったのよ」
イライジャが口を挟んだ。
「後見人?」
「そうよ……。役に立つ魔道奴隷を買ってくれる人がね。ユイナは魔道が得意だから、そういう使い道もあるわ。それを、さっきあなたに、許しをもらおうと……」
一郎は意外なイライジャの言葉に少し驚いた。
このところ、いないと思ったら、奴隷の仲買いのような真似をしていたのかと思った。
「えっ、ユイナを誰かにまた売るつもりなの、イライジャ?」
エリカがびっくりしている。
確かに話の流れからすれば、そんな感じだ。
しかし、イライジャは慌てて首を横に振る。
「違う、違う。持ち主はあくまでロウよ。働かせるだけよ……。勝手なことをしてると、気を悪くしないでね、ロウ……。もちろん、ユイナをあなたの性奴隷にすることは間違いないんだけど、そればっかりというのもね……。ちゃんと、ユイナも働かせないと……。そして、連れてきてから働かせれば、競り落とすためのお金を貸してくれるそうよ。あっ、来たわ」
イライジャが視線を部屋の奥側に向けて声をあげた。
視線の先は、三個の姿見が並んでいる一画だ。
ほっとらいんである。
確かに、そのうちのひとつの鏡部分が揺れている。
「ほう、夕食中か?」
現われたのはアネルザだ。
「王妃殿下、お食事は?」
姿を消していた屋敷妖精のシルキーがテーブルの横に出現する。
「そなたの食事は王宮の料理よりも、ずっと美味だからな。もらおうか……」
アネルザがテーブルの空いている席に座った。
そのときには、すでに料理が目の前にある。
たったいままで料理など存在しなかったはずだが、一郎にはそれが出現したのもわからなかった。
「もしかして、ユイナの後見人って……」
一郎はイライジャとアネルザを交互に視線をやった。
「ユイナの後見人? ああ、イライジャが持ってきた話のことか? 禁忌の魔道戒破りを犯したというエルフ娘のことだな。もうイライジャが話したかもしれんが、腕のいい魔道遣いでもあるなら、身請けのための金子を出そう」
アネルザだ。
イライジャとアネルザ、そして、ミランダが酒盛りを通じて、かなり意気投合したのは知っている。
だが、イライジャとアネルザが、ユイナの身請け資金の提供のことまで、交渉していたとは知らなかった。
「アネルザ様がユイナの身請け資金を出してくれるのですか?」
エリカが言った。
「無制限というわけにはいかんが、エルフ娘ひとりを買うくらいの金は自由に出せる……。いや、出そう。義理とはいえ、わたしもイザベラの母親だしな。以前は迷惑をかけたし、少しは償いもしたい……。それにしても、なかなかに交渉上手な女なのだな。そのイライジャは」
アネルザが笑った。
「なんで、姫様の話がここで、出てくるのだ?」
シャングリアが首を傾げた。
一郎も不思議に思った。
「わたしが話を持っていったのよ」
イライジャが言った。
そして、アネルザとイライジャが語るには、やっぱり、今日、イライジャはアネルザにユイナの身請け資金を出してくれと頼む交渉をしていたようだ。
そのとき、イライジャがアネルザを説いたのは、王太女であり、あのとき宴にいたイザベラには、いくらでも信頼できる部下が必要だということらしい。
イライジャが宮廷事情に数日で精通したのは驚きだと言うほかないが、イライジャはアネルザには、イザベラにはもっと信頼できる者を充実するべきだと説得したみたいだ。
確かに、侍女軍団は頼りになるが、イザベラは王太女であり、いずれはこの国の女王になる。
そのイザベラなのに、王太女になる前のキシダインとの確執があったので、頼りになる味方は極めて少ない。
あの侍女たちも、一郎が連日精を注いでいることもあり、淫魔師の恩恵により、それなりに頼りになる存在にはなっている。
しかし、腕のいい魔道師はいてもいい。
シャーラもいるが、彼女だけでは、子飼いの戦力には足りないだろう。
それで、ユイナを紹介したようだ。
エルフの掟で大罪を犯したものの、腕のいい魔道遣いであることには変わりなく、しかも、一郎の奴隷になれば、絶対に裏切られることも、逆らうこともない。
それでアネルザが引き受けたということらしい。
驚いたことに、イライジャはすでにシャーラにも同じ話をしにいき、シャーラも信頼のできる者なら使いたいと言ったらしい。
無論、ロウの許可が大前提と言ったらしいが……。
大した交渉術だ。
「まあ、ユイナは拾い者だと思うよ。性格には難点があるかもしれないけどね」
とりあえず、一郎は言った。
また、そもそも、イザベラがなかなか直属の部下を増やせないのは、一郎のせいでもある。
あれだけ、四六時中、夜這いならぬ、朝に昼にと忍んで、淫らに遊びに巻き込んでいては、下手に余人を侍らせるわけにはいかない。
だから、どうしても、シャーラやヴァージニア、そして、侍女たちのように、一郎が手をつけている女のみで固めるしかないということになる。
「性格については、ロウ殿がしっかりと躾けるのだろう? イライジャが指摘するまで、わたしも深く考えてなかったが、シャーラにはこれからは護衛というよりは、イザベラの腹心となってもらわねば困るしな。護衛役は増やしたい。しかし、それはロウ殿の女でなければならん」
アネルザは優雅にスプーンでスープを飲みながら言った。
イザベラのところに集める者については、一郎と同じようなことをアネルザも考えてくれていたみたいだ。
「ところで、ロウ殿、例のマーズという闘奴のことだ」
アネルザが言った。
「ロウに頼まれてるマーズのことで、そっちはなにか進展があったの?」
ミランダだ。
「まあな……。それはともかく、ロウ、お前は、あのマーズが見つかれば、お前のパーティに加えて、今回の旅に同行させるつもりなのだな? つまり、お前の女にするということか?」
「本人が同意すればね」
一郎は応じた。
「つまり、本気なのだな?」
「本気? おかしなことを訊ねるね。まあ、本気だよ」
一郎は頷いた。
「そうか、わかった……。それで、マーズのことだが、ちょっと、面倒なことになっているかもしれん。まだ、はっきりとはわからんのだがな」
すると、アネルザがちょっと困ったように言った。
アネルザがこんな表情をするのは珍しいことだ。
一郎は訝しんだ。
「なにか、煮え切らないなあ。どういうこと、アネルザ?」
「つまりは、マーズは、もしかしたら、手を出すのが不可能なところに連れていかれそうになっているかもしれないということだ。マーズの引き取りに、グリムーン公が動いている気配がある……。つまり、ルードルフの叔父だな。調べさせているが、あいつは、“誰にも手がつけられん者”と呼ばれていてな」
アネルザは苦虫を噛み締めたような表情になった。
グリムーン公……。先日、アーサー大公の世話をしたランカスター家の当主と並ぶ、この国の二大公爵だ……。
両家とも王族であるが、あまり評判はよくない。
国王ルードルフが政務にやる気がなくて、なにも言わないのをいいことにやりたい放題をしていて、それが王都で国王が不人気である遠因のひとつにもなっている。
それにしても、この国の公爵やら、隣国の大公やら、少し前には夢にも思わなかった支配階級の者たちが、一郎に絡んでくる気がする。
それが、世界が拡がるということかもしれない。
「だけど、
「いままではな……。さすがに、二大公爵は、わたしでも荷が重い。領土もない年金貴族だが、権威だけはあってな。政争ということにでもなれば、わたしとしても無傷では済むまい。気に入らぬ連中ではあるものの、だから、いままでできるだけ無視していた。わたしがそうなのだから、あいつが手を出すなら、大抵の無法は通る。だから、“誰にも手がつけられん者”なのだ」
「もしかして、アネルザ、グリムーン公爵がマーズに興味を持って、闇奴隷にして連れていこうとしてるの?」
ミランダが声をあげた。
「もしかしたらな……。だが、あいつには見張りはつけておる。もしも動けば、いま、こうしている瞬間でも連絡は来る。しかし、どうする、ロウ殿?」
アネルザが意味ありげに、一郎を見た。
「どうするとは?」
「さっきも言ったが、二大公爵が相手では、わたしでも荷が重いのだ。面倒な性格の連中で、いまや、イザベラ支持の最大派閥の後継人はわたしでもあるから、わたしが動くということは、すなわち、連中の恨みは、わたしのみならず、イザベラにも向かうかもしれんということだ」
「だから、手を貸せないと?」
一郎は目を細めた
だが、一郎には、アネルザの真意がわかってきた。
アネルザは、公爵と争い事をすると大変だから、やりたくないと言っているのではない。
言いたいのは、多分逆だ。
おそらく、その公爵とまともに対立するということは、喩えて言えば、“ルビコン川を渡る”ということなのだろう。
重大な一線を越えるということだ。
「そうは、言っとらんがな……」
アネルザが肩を竦めた。
しかし、一郎も覚悟を決めた。
アネルザが言って欲しいことを言おうと思ったのだ。
「だったら、手を貸して欲しい、アネルザ。俺の女なら、俺の我が儘のために権力を貸せ。そしたら、ご褒美に抱き潰してやる」
一郎は、さらに軽口を付け加えた。
「おう、それはいいな。お前の命令なら、喜んで命を張るぞ、ロウ殿」
アネルザが破顔した。
「悪いな……。頼む。動いてくれ。だったら、さっきの言葉とは別になにか、望みがあれば言ってくれ」
「望み?」
アネルザがきょとんとした。
一郎は微笑んだ。
「まあ、俺にできることならばね」
一郎はおどけた。
すると、アネルザが意味ありげに口元をあげる。
「ならば、イザベラと同じものをもらうか」
「同じもの?」
一郎は首を傾げた。
「子種だ」
アネルザが大笑いした。