【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
371 女豪商の帰還
【バロンドール王国・ノール離宮】
ライスの連れてきた王国軍の一個隊は、ノールの離宮を囲む荒地に露営をしている。
整然としているとまでは言えなかったが、露営のための幕舎が平原に拡がっている様は壮観ではある。
また、人数は千人ほどのはずだが、兵糧や武器、あるいは、軍が露営のために使う営舎用品のための大幕舎、騎馬兵のための馬の管理施設、さらに臨時に築いた練兵場まである。
シャーラは、ライスのことを国王の腰ぎんちゃくで成り上がった将軍にくらいにしか思っていなかったが、こうやって軍営を眺めてみると、展開している幕舎は陣構えになっていて、あまり隙もない。
将軍としては、それなりの力量もあるのだと改めて思った。
シャーラは、案内の兵に引率されて、陣営のもっとも外側までやって来た。
ここまでやって来ると、ノールの離宮も遠い。
ノールの離宮は海を見下ろす崖の上に建っていて、王族の別荘としてはかなり小さい。
なにしろ、王族の別荘とは称しながら、罪を犯した王族の流刑施設に使われたこともあるという。
実際のところ、離宮からは、小さな村落すらかなりの距離がある。
ただ、露営地の外殻部分までやって来ると、そろそろ半月ばかり駐留を継続しているからなのか、集まっている兵士を相手にするための行商人たちによる市場のようなものができている。
耳にしたところによれば、天幕を利用した娼館まであるらしいから、つくづく商人というのは商魂が逞しいものだと思う。
「どうぞ、シャーラ殿。すでにお待ちです」
目指していた露営地の外側にある面会者用の天幕に着いた。
案内の兵が天幕の入口でシャーラに向かい頭をさげた。
最初にイザベラ王女とともに、ノールの離宮に連れて来られたときとは随分と態度が違う。
半月と少し前にここにやって来たときには、イザベラもシャーラも、ライスたちによって完全に囚人扱いをされており、あの館から一歩も出ることはできなかった。
ところが、数日前にライスは、突如として絶対の忠誠をイザベラに誓い、こうやって敷地内であれば、自由に動くことを許している。
当然ながら、ライスの態度の変化は、彼が率いる兵にも表れる。
目の前の案内の兵も、シャーラに対して、敬意のこもった態度だ。
もっとも、なぜ、ライスが態度をいきなり変化させたのかということは考えたくない。
国王ルードルフの寵姫のひとりと思い込んでいたチャルタという少女美姫が洗脳したということだったが、つまりは、これもロウの関与が遠因ということだ。そもそも、チャルタにしても、あのピカロにしても、彼女たちを支配していたらしい寵姫のサキについても、全員がロウの女ということなのだ。
しかも、魔族……。
魔族の女を三人も王宮内に潜入させるなど、王国に対する完全な裏切りだ。
シャーラの倫理観では、とても認められない。
だからといって、ロウを断罪することなどできるわけがないし、結局、シャーラとして心の安定を図るためには、このこと自体をなかったことにして、忘却するしかない。
まあ、釈然としない部分もあるが、これも惚れた弱みかもしれない。
多少羽目を外すが、ロウは悪い人間ではないのだ。
いや、ないはずだ……。
「ここでいいわ。帰りの案内は無用よ」
シャーラは、兵に向かって言った。
「わかりました。では、少し離れた位置で警備につきます。なにかあれば、大声で声をかけてください」
兵が天幕から離れていく。
しかし、どうやら、完全に離れるなと命令を受けているのかもしれない。
すると、足元に童女が出現した。
兵からは、シャーラの身体が死角になって見えない位置になる。
「お姉様……ごめんなさい。ここで終わりです……。ここから遠くは……」
サキがノールの離宮に置いていったスカンダという名の魔族だ。見た目は五、六歳の人間族の童女であり、身体の前で布を合わせ巻き、それを腰帯で締めとめるという珍しい服を身に着けている。
スカンダは、申し訳なさそうな泣きそうな顔をしていた。
シャーラは嘆息した。
そして、そっとスカンダの頭に手を優しく置く。
「大丈夫よ……。ここで来客と話をするだけよ。逃げたりしないわ」
実のところ、スカンダは、サキからある命令を帯びており、それは、シャーラだけでなく、イザベラやアネルザ、そして、イザベラの侍女団をここに足止めすることだった。
もしも、ノールの離宮の敷地外に出ようとすれば、スカンダの魔道で強引に連れ戻すことを絶対の使命として厳命されているようであり、サキよりも遥かに地位も能力も低い魔族であるスカンダは、自分自身の意思とは関わりなく、サキの命令には逆らえないらしい。
それで、いまのように、シャーラたちをノールに無理矢理に繋ぎとめる行為をするときには、心の底から悲しそうな表情になる。
心根がとても優しいのだ。
だが、実際のところ、移動術と疾走術を遣いこなすスカンダの特殊能力の前には、どうしても、彼女を出し抜いて、ノールの離宮から脱出するということはできない。
何回か試して、それは不可能ということがわかった。
スカンダに見つからないようにすることはできないし、いまのように、いつの間にか目の前の出現し、それでも逃げようとすれば、強引に『移動術』で離宮内に戻される。
とにかく、スカンダがサキから言い渡されているのは、サキが監禁の対象とした者が王都に戻ることであり、その意思がないと言っても無駄で、そうでないと口にしても、なぜか心を読まれて戻されてしまう。
そういう状況だ。
いまは、シャーラも、本当にここまで面会に来ただけで、逃げる意思がないので、スカンダも忠告にやってきただけが、これが一瞬でも王都に戻ることを頭によぎらせてしまったら、スカンダは容赦ない。
王都に向けて逃亡できないか、試そうとして、ノールの離宮を出たときには、離宮の建物の敷地内を出ないうちに、魔道で引き戻される。
それに比べれば、ここまで、やって来られたのは、ある意味画期的だ。
「あい、ありがとうございます……。お姉様」
スカンダの姿が消える。
だが、絶対に気を許してないに違いない。
もしも、シャーラが意思を変えて、さらに離れようとした瞬間に、離宮に連れ戻されると思う。
これは、スカンダの忠告ということだ。
それにしても、サキはなんだって、こんなことをしているのだろう。
現段階では、確かめる手段がない。
向こうでなにが起きているのか、ノールの離宮は王都から離れすぎていて、情報が乏しすぎる。
「これは──」
シャーラは天幕に入ったとき、中で待っていた人物の顔を見て驚いてしまった。
伝言を受けたときに聞かされていたのは、あのマアの使者が訪ねてきたということだった。
マアというのは、タリオ公国で一代で巨万の財を築いた女豪商だ。そして、まだ商業ギルドの支配の強いハロンドール王国内に、自由流通という名の新しい流通の仕組みを引っさげて乗り込んできた。
実際には、六十を超える老女なのだが、キシダインとの闘争絡みで、ロウが性支配をしたときに、ロウの能力で若返ってしまった。
さすがに、それを後で知ったときには、シャーラも信じることはできなかったが、事実は事実だ。
とにかく、大陸を股に掛ける大商会の商会長がいきなり、若返ったりしたらとんでもない大騒動になる。
そのため、スクルズが見た目を誤魔化すカモフラージュ・リングの魔具を作成した。
魔道具であるそのリングを作動させていれば、元の通りの老女に見えるというものなのだが、実際には数十歳も若返った姿が本来のいまのマアなのだ。
シャーラでなくても、調子が狂うというものだ。
それはともかく、天幕の中で待っていたのは、マア本人だった。老女姿でなく三十歳そこそこにしか見えない若返った姿だが……。
「初めまして、シャーラ様……。マア商会のマリラと申します」
天幕の中は、真ん中に卓と椅子があるだけの殺風景なものだったが、そこに座っていたマアが、立ちあがってマリラと名乗った。
シャーラの後ろには、美しい少年剣士がいる。とても綺麗な顔立ちをしていて、身体が細い。十四、五歳くらいか? 金色の髪を首の後ろで無造作に束ねている。
しかし、小柄だがかなりの腕をしているとわかった。
シャーラも武芸を嗜んでいるので、見ただけである程度の相手の力量はわかる。かなり強いと思った。
護衛という感じだ。
シャーラは迷ったが、とりあえず、魔道で天幕の中を防音の処置をした。
中の会話を外に漏らさないためだ。
「防音の魔道を施しました。この天幕の中の会話は外には出ません」
シャーラは言った。
すると、マアがすっと肩の力を抜いたようになって、椅子に座り直した。
「だったら、いいね。久しぶりだね、シャーラ。それにしても、少しばかり、会わないうちに、とんでもない状況になっているようじゃないかい。ロウ殿がクエストで王都を離れているあいだに、まさか、罪を着せらされて手配されるなんてね」
一転して、マアが口調を崩した。
アーサー大公から一時帰還命令が出されて以来、ハロンドール王国から離れていたが、当然だがそれなりに事情に通じているみたいだ。
しかし、シャーラは、どう接していいか迷った。
後ろの護衛の少年は初対面だ。
シャーラやマアたちの関係をどこまで承知しているのか……?
「モートレットは問題ないよ。ある程度の事情を知っている。あたしの護衛で、ちょっと訳ありで預かっている子さ」
シャーラの視線に戸惑いに気がついたのだろう。マアが後ろを振り返って、護衛少年の顔を見る。
モートレットと紹介された少年護衛が口を開く。
「モートレットです。マア様の護衛です」
かすかに頭をさげた。
ほとんど表情が変化しないと思った。
「見た通り、喜怒哀楽を忘れてしまったような子でね。もしかしたら、今回の旅が彼女にとっても、いいきっかけになるのではないかと思って連れてきたのさ」
「彼女?」
シャーラは驚いて、モートレットをまざまざと見た。
言われてみれば、女性かもしれないと思った。しかも、とても可愛らしい顔をしている。だが、胸も大きくなく、しっかりと鍛えた筋肉をしていたので、少女だとは思わなかった。
「マア様──」
モートレットがマアを咎めるように、少し大きな声をあげた。
だが、マアはモートレットに強い視線を向けたまま、小さく首を横に振る。
「彼女については問題ない。絶対の信用が置ける。あたしを信頼しな……。それと、シャーラ、モートレットが女であることは、限られた人数しか知らないことでね……。訳があって男として育っているようだ。そのつもりでいておくれ」
マアが言った。
なにか特殊な背景があるようだと思った。だが、男として育ってきた少女?
「わかりましたが、どういうことなのですか? とにかく、彼女はあなたがおマア様であるということを承知しているという認識でいいのですね?」
“おマア様”というのは、ロウが彼女のことを“おマア”と呼ぶことからきた、マアの通称だ。
なんとなく、仲間内でそう呼ぶようになっていた。
「打ち明けたよ。この姿のあたしを護衛をしてもらう以上、隠せないからね。どうやって、若返ったかは説明していない。ただ、“彼女”はそれを気にしていない。まあ、知るときがくれば知ればいいさ。彼女の素性もまた、時期が来れば、あんたらに打ち明ける」
「いまは事情を説明しないということですか?」
「必要ないからね。それよりも、ここに王太女と王妃がいるというのは確かだね。それとアン殿と?」
「ええ、お会いになりますよね」
「そのために来たからね。話したいこともある。タリオ公国内だけでなく、このハロンドール王国においても、不自然な物の流れがある。あんたらが、どの程度の情報を握っているかわからないけど、色々と知らせておきたい。そのために来たのさ」
マアが微笑んだ。
不自然な物流の流れというのは気になる。
とにかく、このノール城では情報に飢えている。どんなことでも、情報があるのはありがたい。
なにしろ、サキの企てのせいで、情報遮断状態にあるのだ。
まあ、そのために、数日以内には、エルザが王都に向かって、まだ王都にいるミランダやスクルズと接触する手筈にはなっている。
この離宮において、サキが命じたスカンダによる禁足の対象でないのが、タリオ公国からやってきたアーサー大公の妃のひとりであり、もともとはハロンドール王国の第二王女のエルザなのだ。
「わかりました。では、早速……」
立ちあがりかけたシャーラをマアが制した。
シャーラは座り直して、マアを見る。
「だけど、あたしはマアの代理人のマリラとして入るよ。エルザ妃とは実は昵懇の仲でね。あたし自身がやって来たとなれば勘繰られる。なにしろ、彼女はなんだかんだで、アーサー側の女だし」
マアが言った。
シャーラは微笑んだ。
マアは、ロウとアーサーが対立している経緯を承知している。
地位の高い女を妃にしたがっているアーサーは、自国の富国強兵施策に成功し、近隣に大きな影響力を得るようになったことで、ハロンドール王国から政略婚で嫁いでいたエルザと、王太女になったイザベラを交換することを望んでいた。
エルザが庶子腹であるのに対して、イザベラの母は貴族であり、しかも、王太女ということで、箔が異なるからだ。
それで、婚姻工作のために、自ら王都に乗り込んできたが、それを不快としたロウがイザベラとの仲を見せつけて、アーサーを追い返したということがあったのだ。
このことを馬鹿にされたと感じた、アーサーがかなり怒ったということは、シャーラも耳にしている。
そもそも、マアを率いていた商会団を突然に本国に召還して、ハロンドールの流通に混乱を作らせたのは、アーサー自身が指示をした嫌がらせというのは、イザベラやシャーラたちの共通の認識だ。
いずれにしても、あの一件以来、アーサー大公は、ロウの女たちの中では「敵」認識であり、マアも「身内」の中では堂々と呼び捨てにしている。
「だったら問題ありませんよ。エルザ様は、すでにアーサーを見限っているのですよ。アネルザ王妃殿下も、そのつもりで接しています。王妃殿下はエルザ様をもうタリオ王国には返さない覚悟です」
シャーラは言った。
だが、マアは首を捻った。
「エルザ妃がアーサーを見限った? アーサーが王妃たちに冷淡なのは有名なことだけど、エルザ妃がアーサーにぞっこんなのは有名な話だよ。もうひとりのエリザベート妃は、アーサーをはっきりと態度で嫌っているけどね」
「エルザ妃がアーサーに好意を抱いているということですか? まあ、公妃でもあられるので、表向きはそうなのでしょうけど、離縁をつきつけられたということもあって、すっかりと幻滅したみたいでしたよ……。とにかく、エルザ様はアーサーを見限って、ここに来られたのです。問題はありません。とにかく会って……」
シャーラは言ったが、マアは気難しい表情を崩さなかった。
マアは、シャーラの言葉を遮った。
「エルザ妃は食わせ者かもしれないよ。彼女はとても頭がいいからね。本音を隠すことは得意さ。それでタリオ公国の社交界をけむに巻き続けているんだから」
「いえ、そんなことは……。とにかく、エルザ妃が信用できないということはありません」
シャーラは笑った。
だが、マアは首を横に振る。
「そもそも、エルザ妃はどうして、ここにやって来れたんだい? 彼女はタリオ公国とハロンドールの友好のために差し出された人質だろう? それが王国間の政略婚というものだよ。アーサーがイザベラとの婚姻を目指しているのは真実だろうけど、だとしても、まだそれが決まらない状況で、早々にエルザ妃を出すことを許したのはなぜだろうかねえ?」
マアが意味あり気に言った。
シャーラは訝しんだ。
「よくわかりませんが、エルザ妃に限って……」
「長く王太女をハロンドールの貴族どもから守り抜いてきたあんたが、男を知って牙も爪も勘も失ったかい? もう一度言うけど、アーサーがエルザをここに送り込んだのは裏がある。あたしはそう言ってんだ」
マアは真顔だ。
シャーラはさらに困惑した。
「エルザ様は、アーサーからなにかの思惑で送り込まれたということですか?」
「アーサーは高慢な男だよ。世間からはそう思われてないけどね……。他人の子を孕ませたままの女をそのまま娶ると思うかい? ハロンドールの国王にはそう打診したようだけど」
マアが言った。
驚いたことに、マアはイザベラたちがロウの子を妊娠したことまで情報を得ているみたいだ。
しかも、水面下で行われていて、シャーラたちすら知らなかった、イザベラへの婚姻の申し込みについてもよく承知している。
それはともかく……。
いまのは、どういう意味?
「タリオにはハロンドールよりもずっと進んでいる幾つのかの分野がある……。薬物に関する研究などはそのひとつさ……」
意味ありげな物言いだ。
シャーラは困惑した。
「……例えば、初期妊娠のいまであれば、完璧に堕胎をさせられるような薬物もタリオにはある。エルザ妃が出立直前に、公国の薬物研究所に立ち寄ったという確かな情報もあるみたいだよ……。アーサーの命令でね」
マアがさらに言った。
シャーラはびっくりしてしまった。