【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
【バロンドール王国・ノール離宮】
熱っぽい日々が続いていた。
エルザは、二日ほど寝台からおりることができなくなっていた。
いや、無理をすれば、起きることができそうな気がするのだが、身体が怠くて起きる気になればい。
そして、食事をしても、水を飲んでも、すぐに吐きそうになる。
侍女たちが準備した薬液を飲めば多少は落ち着くが、その代わりに眠くなり、しばらくすると、軽い熱が出る。
その繰り返しだ。
イザベラやアネルザには、あのサキという変な美女の企みによって、ここに禁足されてしまった二人に変わって、王都に乗り込んで混乱の収束にあたってやると啖呵を切っただけに、その直後の自分の体たらくに自己嫌悪に陥りそうだ。
いずれにしても、早く身体を治さなければならないのだが、いまのところ体調改善の兆しはない。
このノールの離宮を警護しているライス隊の連れてきた軍医の見立てによれば、軽い風邪だろうということだったが、処方された薬の効果はあまりないみたいだ。
「エルザ妃殿下、少々よろしいでしょうか?」
そのとき、エルザにあてがわれている部屋に、侍女ふたりが入ってきた。
ふたりのうちのひとりは、タリオ公国から連れてきた五人の侍女の長になる女であり、名はベーレ。年齢はエルザよりも十歳は上だ。
最初からいた侍女は三人なので、これでエルザがタリオ公国から連れてきた侍女の五人の全員が揃ったことになる。
どうやら、話をしたいようだ。
エルザは嘆息した。
ここにやって来て以来、イザベラたちの目があるので、五人とも猫を被って大人しくなっていたが、いまはそんな表情ではない。
また、口を開いたのは、いま入ってきたばかりの侍女長のベーレである。
もっとも、本職は侍女長ではない。
本来は、大公府の女官長の役職を持つ女であり、今回のエルザのノール宮の訪問にあたり、同行することになった女だ。
つまりは、アーサーからつけられた見張り役というところだ。
エルザは、ベーレに悟られないように、ほかの四人の侍女に目で注意喚起した。
ベーレがなにを話しに来たのかわからないが、エルザに話を合わせろという合図だ。
わかったというように、四人がかすかに頷く。
とにかく、四人については、エルザに以前から仕える本物の侍女であり、気心も知れているし、エルザの本当の気質もある程度わかっている。
エルザが、アーサーから指示を受けた企てなど実行する気はなく、本当に、二度と帰らないつもりで、タリオ公国を出てきたことを承知していると思う。
すなわち、味方だ──。
だが、ベーレは違う。
エルザなど、アーサーに相手をされない公妃という名の愛妾程度にしかみなしていないはずであり、事実、いまもタリオ公国の大公宮のときのように、横柄で値踏みするような視線をエルザに向けている。
ここに来てからは、表に出さなかった態度であり、彼女もまた、ついに、大人しくするのをやめたのだと悟った。
「話って……? あれ、その護符……?」
エルザは寝台の横にいた侍女のひとりに手伝ってもらって、寝台の上で、上体だけを起こした。
そして、ベーレたちが入ってきた扉の横に、『防音の護符』が貼ってあることに気がついた。
この護符は、魔道遣いが事前に魔道を刻んで、誰にでも使えるように作為をしたものであり、部屋で話すことをを一切、外に漏らすことがないための効果がある。
もちろん、タリオ公国から持ち込んだものだ。
この護符さえあれば、ここに盗聴のための魔具が仕掛けられてあったとしても、それが外に漏洩することはない。
そういう護符だ。
少し前まで存在しなかったものなので、ベーレが入ってくるとともに貼ったのだろうか。
いずれにしても、無用心な行為と思う。
エルザは軽く首を横に振る。
「べーレ、内緒話をしたいのかもしれないけど、むやみやたらに魔道の護符を使うものじゃないわ。話し声が聞こえないとしても、逆に、魔道の護符を仕掛けたことで、秘密の会話をここでしていると教えるようなものよ」
「問題はありません。あのシャーラとかいう護衛長は、来客があったということで不在していますから。この離宮にいる者で、護符により魔道の流れを感知できそうなのは、彼女くらいでしょう」
エルザを見下すような視線と口調だ。
ここにやって来てからは、アネルザ王妃やイザベラたちの視線があるので、大人しく仕える侍女の態度を装っていたが、これが本来の彼女だ。
いや、彼女に限らず、あの大公宮における大半の女官たちの態度がそれだった。
ベーレも、本来はエルザに仕える侍女ではなく、大公府で女官として勤めている自信もあれば、貫禄もある。
お飾りの公妃とも揶揄されている第一夫人のいない第二夫人に示す敬意など持ち合わせてはいないのだ。
ノールの離宮に到着してからの態度は演技であり、エルザを軽んじるこの姿勢こそ、偽りのない態度である。
いま、ここにやって来てからの演技はやめて、値踏みするように、エルザを見ている。
エルザは肩をすくめた。
「そうなの? それでも危険なことには変わりないわ。わざわざ、隠していた護符を使ってまでわたしと話したいことというのはなんなの?」
「あなたに確認したいことがあるのです。王都に向かうという話です。しかも、ハロンドールの王女たちをここに置いたままで、わたしたちが単独で王都に向かうという話です。まさか本気ではありませんよね?」
「本気に決まっているでしょう。その話はしたはずよ」
エルザは言った。
ベーレがエルザを“あなた”と呼び掛けた不敬は無視した。
タリオ公国においては、そんなことにいちいち目くじらを立てていたら、心の平穏を保って、生きていくことなどできない。
「確かに話はお伺いしましたね。だけど、わたしは反対しましたよ……。というよりも、あり得ない判断です。今日は最後の勧告と思ってください」
「最後の勧告ねえ……」
エルザは、できるだけ皮肉な口調で聞こえるように言った。
だが、ベーレは意に介さなかったようだ。
変わらず、冷たい視線をエルザに向けている。
しかし、実際のところのエルザとベーレの立場は、これが正当なものだ。アーサーがエルザをノールの離宮に送り出すことにあたり、エルザに付けた条件は、すべての最終行動決定権をベーレに与えるというものだ。
エルザは、ベーレに従わなければならない──。
アーサーは、それを条件に、エルザがタリオ公国から出ることを許したのである。
そもそも、エルザは、ハロンドール王都の混乱については薄々耳にしていたものの、イザベラたちがノールの離宮に幽閉同様の処置をされていることなど知らなかった。だから、アンやイザベラが、王都から出されているという情報には驚愕するとともに、会えるということには純粋に嬉しかった。
ましてや、妊娠していることなど知らなかったから、その父親のことを知りたかった。
とにかく、情報に飢えていた。
なんとしても、タリオから出ようと考えた。
そのためには、大抵のことは妥協するつもになった。
ただし、アーサーとイザベラの婚姻話など、絶対に実現させてはなるものかとは思った。あの男は女扱いについてはくずだ。
あんなのと一緒になっては、苦労するだけだ。
エルザやエリザベートがいい例だ。
だが、アーサーに従うという約束がなければ、ハロンドール王のルドルフが突きつけた条件がなんであろうと、ハロンドール王国から送られている人質のような立場のエルザを国外に出すことなどなかっただろう。
エルザはアーサーに従うことに同意し、見張り役のベーレを侍女にやつして同行することも受け入れた。
イザベラの動きを警戒し、情報を送ることも約束した。
それがタリオを出る条件だったからだ。
まあ、アーサーがエルザを外に出すことを許したのは、いまだに、エルザがアーサーにぞっこんだと、アーサー自身が思い込んでいるのもあるとは思う。
なにしろ、タリオにいるあいだ、エルザはずっと大人しくて従順な公妃を演じて、素の自分を隠してきた。
最初は「妻」として支えようと決心していたアーサーを見限ったのは、最初に会ってから数日のことだ。
それ以降は、ずっと毒にも薬にもならない無力な女を演じ続けてきた。
だが、その裏では、好き勝手やらしてもらってはいたが……。
いずれにしても、あの男は自尊心さえ満足させてやれば、興味のない女に構うような男ではないので、外向けでは、アーサーを好きで仕方がない公妃の芝居をした。
アーサーも、エルザのことは大人しいだけの面白みのない女とずっと思っていただろう。
だから、形式婚とはいえ、王太女のイザベラを妻にできる機会を得たことで、邪魔になったエルザをあっさりと廃棄処分した。
あの陰謀好きの男がなにを考えているかは知らないし、国を出てからも、なんらかの指示を与えるとは口にしていた。
女という女は、自分に惚れるものだと思い込んでいる男なので、エルザを離縁により国から放り出すということをしたとしても、愛のささやきひとつで、言いなりになると信じ切っているみたいだ。
まったく、おめでたい。
とにかく、本当に、アーサーに惚れ続けているという演技を続けてきてよかった。
「お前がなにを命じようとも、無駄なことよ。ここはハロンドール王国であって、タリオではないのよ。あんたの権力を守ってくれるアーサーはいないわ。とにかく、体調が戻り次第に、王都ハロルドにひそかに入るわ。これは決定事項なの」
エルザはきっぱりと断言した。
べーレの顔が怒りで真っ赤になるのがわかった。
だが、もはやそんなことは、エルザの眼中にはない。
考えているのは、もうハロンドール王都の混乱のことだけだ。
アーサーが気前よく、エルザの出国を許してくれたおかげで、エルザはやっと自由の身になれた。
アネルザ王妃も、アーサーのいるタリオには戻らなくていいと言ってくれているので、うまくいけば、縁を切ることも可能のように思う。
とにかく、女だということで、立場を与えられず、エルザの才能を発揮するにしても、なにかを隠れ蓑にして、こっそりと裏から手を回さなければならず、功績があったとしても、それが公になることなどあり得ず、すべてを自分よりも無能な男たちの成功にとって変わられる──。
もうそんなのはこりごりだ。
エルザは働きたかった──。
自分の能力を心置きなく発揮できる地位と立場が欲しかった。
愚者としか思えない者たちから、無能扱いされることなど、もう御免なのだ。
最初はエルザも、アーサーに尽くし、タリオ公国のために全能力を発揮して、この国を富ませようと思った。そのためにできることはずべてやったつもりだ。
だが、あのアーサーは、女を認めない。
女が才能を持っているということなど、考えることもできないのだ。
エルザは絶望した。
だが、エルザの母国であるハロンドール王国において、転機が訪れた。
長くキシダインと後継者闘争をしていたイザベラがついに、キシダインを蹴落として、次代の王になることになったのである。
イザベラが次代の女王……。
女だ……。
だったら、イザベラの下であれば、少女時代からの夢でもあった治政に携わる仕事をするということも実現するのではないか……。
そう思った。
エルザは、自分を認めてくれないタリオ公国など見限り、母国への帰国を切望した。
イザベラの下で、エルザの能力を発揮する地位を与えてくれ、得意の流通などで改革を起こして、存分に力を尽くすことを夢想した。
考えると、矢も楯もたまらなくなった。
そういう矢先のハロンドールへの帰国許可だ。
表向きは、アーサーとイザベラとの婚姻を認める代わりの、エルザの帰国なのだが、裏の目的は陰謀好きのアーサーの駒としての動きを求められている。
だが、どうでもいい。
タリオから出てしまえば、あとは野となれ山となれだ──。
もうタリオには戻ることなど、考えていない。
イザベラに取り入って、認めてもらう活躍をして、ハロンドール王国でエルザの立場をもらう。
これは千載一遇の機会だ。
「アーサー大公様から受けているご指示は、イザベラのいる場所から離れるなということよ、エルザ元公妃様」
「イザベラ王太女殿下よ……。分をわきまえなさい、ベーレ……。もう二度は言わないわよ。わたしたちは、数日後には、ひそかにハロンドール王国の王都に向かう……。準備しなさい」
エルザはベーレを睨んだ。
ベーレがなにかを言い返そうとして、口を閉じた。
とにかく、この話は終わりだ。
エルザはベーレを見ずに、手を振った。
出て行けという合図である。
エルザは、思念をハロンドール王国のことに戻す。
本当に、あのルードルフ王については、どうしたというのだろう?
噂でしかないが、まったく狂ったとしか思えない。
いまのハロンドールの王都は混乱している──。
原因は国王だ。
あのルードルフが……とは思うのだが、エルザが限られた時間で知り得た情報だけでも、突然のルードルフ王の悪政により、急激に王都が荒れに荒れているようだ。
また、それを憂いたイザベラは、王太女として王都に帰還することを主張したが、サキとかいう変な女の仕掛けにより、王都に戻ることができなくなってしまっているらしい。
あのとき、アネルザたちを魔道で連れてきた美女は、ロウ=ボルグというイザベラやアンのお腹の子の父親の愛人のひとりらしく、信じられないが魔族だという。
本来は、アネルザやイザベラの仲間であるらしいのだが、なぜか今回は、アネルザを罠にかけた感じで、眷属であるというスカンダという童女妖魔に、とにかく、アネルザもイザベラも、王都に戻って来れないようにしろと、絶対的な命令を与えて置いていったそうだ。
だから、イザベラはここに留まるしか仕方がなくなってしまったのだ。
従って、エルザは、イザベラの代わりに、王都に戻ることを申し出た。
なにしろ、エルザがイザベラ次代王のもとで、地位を与えられるための好機なのだ。
しかし、とにかく、ここにいては情報がなさすぎる。
協力するとなれば、エルザ自身が王都に行く方がいい。
あそこには、ミランダがいるそうだ。
タリオ公妃として国を出るまでは、エルザは冒険者ギルド長として、ミランダとは昵懇の間柄だった。
ミランダと合流すれば、必要なことをやれる──。
女であるエルザに、働き場さえ与えられれば……。
タリオにいるあいだに、あれほどに乞い願っていた、エルザの力を振るう場所が得られるかもしれない。
とにかく、イザベラが憂いている王都の民の辛苦を取り除くということを手伝いたいと申し出た。
それに、王都に赴くにあたり、イザベラからは王太女の名において、エルザに臨時の「王太女代理」の行政執行権を付与してもらっている。
もっとも、そんな執行権など、ほとんど無意味であり、価値がないことはわかっているが、それでも王都の混乱の状況によっては、役立つ可能性はある。
いずれにしても、いまハロンドールで起きている突然の擾乱状態は、あのアーサーが仕掛けていることなのだろうか。
まあ、そういうことをする男であることは確かだが……。
「王都に向かうなど、正気ではありません……」
すると、ベーレが大きな声を出した。
エルザは視線をベーレに戻す。
口調にも態度にも、エルザに対する横柄さが滲み出ている。
まあ、タリオ公国のアーサーに嫁いでから、ずっとエルザやもひとりの公妃であるエリザベートが受けてきた仕打ちではあるが……。アーサーが蔑んでいる者に対して、アーサーに仕える者たちが敬う必要性を見出すわけもない。
「まだいたの、ベーレ? 話は終わりよ。さがりなさい」
エルザは言った。
タリオ公国から連れてきた侍女のうち、ベーレだけが本当に侍女でないことは、黙っていたが、こうなったら、イザベラたちに、話さざるを得ないだろう。
すぐにでも、シャーラにでも告白しようと思う。
猫を被り続けるのであれば、見逃してやってもよかったが、その態度を捨てたのであれば、仕方がない。
このノール城から、追い出すしかないだろう。
不穏な行動で、危害でも加えられたら仕方がない。
「やっぱり、それがあなたの本心ということですね……。もしやと思っておりましたが、この離宮に到着してからのあなたの態度というのが、本当のあなたということですか……」
ベーレが静かに言って睨み返した。
エルザは、その態度に不穏なものを感じた。
「そうかもね。正直言うわ。わたし、アーサーが大嫌いよ。あの男は男のくずよ」
エルザは舌を出してやった。
べーレの顔がさらに驚きに包まれるのがわかった。
しかも、みるみると、ベーレの顔に憎悪の色が浮かぶ。
そんなに、アーサーの悪口が気に入らなかったのだろうか……。
エルザは、寝台の上で肩をすくめてみせた。
「いずれにしても、こうなったら諦めなさい。あなたにはなにもできない。アーサー大公陛下に報告をするならしなさい。エルザは二度と顔を見たくないと笑ってたってね。数日後には出発するわ。体調が戻らなくてもね……。それに、ヴァージニアに別の薬師の手配を頼んでいるわ。そうしたら……」
「別の薬師など来ませんよ。医師もです。あの無能の軍医……。あれ以外の医師など到着しません。そういう手筈になっていますから」
そのときだった。
ベーレが勝ち誇ったように微笑んだ。
エルザは首を傾げた。
さらに、ベーレが口を開く。
「あなたの病はよくなることはないし、それは今後も同じです。とにかく、わたしたちは、本国からの指示があるまで、ここに滞在します。そう命じられているのです。でも、あなたの心はわかりました……。だったら、もう少し篤い病になってもらいます。少なくとも、意識がない程の重篤になれば、王都になど行くわけにはいきませんしね」
すると、ベーレが内ポケットから水液の入った小瓶を取りだした。
はっとした。
そして、ふと思った。
もしかして、王都への出立を口にして、急に具合が悪くなったのは、偶然ではなく、このベーレが仕組んだ?
エルザを足止めするために……?
まさかとは思ったが、そう考えると、思い当たることはある。
「あなたには、ずっと思うことはありましたが、アーサー様への悪口……。あれはなによりも許せません……」
ベーレが水液を持ってやって来る。
その顔に狂気の色がある。
エルザはぞっとした。
「ベーレを押さえなさい──」
エルザは周囲にいる四人の侍女たちに怒鳴った。
彼女たちは、エルザの子飼いの侍女といっていい者たちだ。ずっと信用をしている。だから、連れてきたのだ。
だが、その四人はエルザを囲み、ぎゅっとエルザの身体を押さえた。
エルザはびっくりした。
「な、なにするのよ──。離して──」
エルザは怒鳴った。
「大人しくしてください、エルザ様……」
「お静かに……」
「ベーレ様に従ってください……」
「すべては、アーサー様のためです」
侍女たちが口々に言った。
エルザは驚愕した
彼女たちが、エルザを裏切り?
「さあ、口を開いて……。死ぬことはないわ……。いま、死なれると、わたしたちがここに居続ける理由がなくなるからね……」
四肢を押さえられて抵抗できないエルザの鼻をベーレが掴んだ。
必死に口をつぐむエルザの口に、ベーレの手にする水液の瓶の口が当てられた……。
背に冷たいものが流れた。