【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
夜の王都である。
ベルズは、夕刻からじっと同じ場所に立っていたと思う。
いつの間にか日が完全に沈み、空は真っ黒だった。
気がつくと、こんな時間になっていたのだ。
ベルズは、やっと我に返りつつあった。
三つの月が王都の広場を照らしていて、さらに王兵たちが
もっとも、屍体とはいっても、ふたりはまだ生きていて、屍体になるのを待っているような状態だ。
だが、このうち、真ん中の屍体は確実に死んでいて生きてはいない。
生命のない肉の塊だ。
ベルズが注目しているのは、その屍体だ。
とりあえず、一縷の望みを込めて、魔道探知を使った。
やはり、それは一片の魔力もこもっていない屍体だ……。
それにしても、いったいどれだけの群集がここにいるのか……?
ほとんどは、生きている側の晒し刑の男たちではなく、死んでいる一個の女の屍体に注目している。
人々の口に迸るのは、晒し刑の屍体を警護する百人ほどの王兵に対する悪態だ。
いまは百人は警備の兵がいるが、最初は二十名ほどだったという。
しかし、集まった民衆の怨嗟の声にたじろぎ、慌てるように夕方までに百人まで増員されたそうだ。
無論、王兵への罵りの裏には、これを行っている国王への激しい怒りがある。
怒り……。
しかし、その屍体を群集に混じって見つめるベルズにあるのは、怒りを通り越した憎悪だ。
憎悪……。
煮えたぎる殺意……。
そして、悔悟……。
あの屍体はスクルズだ。
彼女は素っ裸に剥かれ、陰毛のない性器まで晒されて、見世物のように柱に縛りつけられていた。
ベルズはそれを煮えたぎる感情とともに、じっと見つめている。
命令に従いスクルズを晒し者にしている王兵に対する憎悪──。
スクルズを殺した国王に対する殺意──。
そして、ベルズの忠告に耳を貸さず、ついに王に自裁を命じられて、諾々と毒杯を呷ってしまったスクルズに対する憤怒──。
なによりも、なにもできなかった自分自身への悔悟──。
荒れ狂う感情で身体が引き千切れそうだった。
しかし、ベルズはそれにじっと耐えて、ただただ、変わり果てたスクルズの姿を見つめ続けた。
この激情をベルズの身体の隅々にまで刻み込めるために……。
ベルズの周りには、多くの群衆がいる。
あちこちから集まった王都の民衆だ。
その数は数千……。
いや、一万人以上に達したのではないだろうか。
おそらく、王都の歴史でこれだけの民衆が集まったのは初めてだろう。
彼らのすべては、スクルズへの仕打ちに対する抗議を訴えている。
あらゆる人々が口々に思いつく限りの罵声を柵を警護する王兵に浴びせていてた。
まだ、暴動こそ起きてはいないが、しかし、いまにも爆発しそうな激しさがある。
おそらく、なにかのちょっとした切っ掛けがあれば、あっという間に激しい騒乱になるような気がした。
そのときには、もう誰にもとめられない。
圧倒的な怒りの感情とともに、柵に入らせまいと武器を構えている王兵に襲いかかるだろう。
それがわかっているから、晒し刑の場所を警護する百人ほどの王兵には、ぴんと張りつめるような緊張感が漂っている。
ベルズがここに集まっている群衆に混じったのは夕方からだが、罪人の晒し刑が始まったのは、昼過ぎだったらしい。
最初に晒されたのは両側のふたり、すなわち、あのグリムーン公とラングーン公であり、そのふたりは、いまでもそうなのだが、実際には死んではおらず、死ぬのを待っている状態だ。
ただ、呻き声のような泣き声をあげているが言葉にはならず、すでに死んだようにぐったりとしている。
そのふたりが連行されて、着ているものを全部剥がされて、棒で叩かれた末に、いきなりここに晒されたのだそうだ。
たまたま集まってた民衆たちは、なにが起きたのか理解できなかったらしいが、だんだんと晒されたのが、普段から評判のよくないふたりの公爵だとわかって喝采したそうだ。
金の力を使って非道をする連中であり、ずっと以前から民衆に評判が悪く、一族揃って迷惑ばかりかけていたので、王都の住民は全員がその公爵たちが大嫌いだった。
ふたりについては、ベルズの耳に入るのも悪評ばかりであり、闇奴隷を集めては凌辱ののち、殺しているという噂もあり、ベルズも残酷に処刑されて当然だと思っている。
つまりは、殺されて当然の者が、連れて来られて晒し刑になったのだ。
一体全体、あれだけ権勢を欲しいままにしていた公爵たちが、どうして突然に揃って晒し刑になったのかはわからないが、ふたりについては柱に縛られる前に、衣類どころか下着まで剥がされて、性器まで剥き出しにされて柱の上の部分に縛られたて晒されたとのことだ。
晒し刑になっている柱に近づかないように、柵が作られ警護の兵がそれを囲んだ。
ただ、最初は、晒されているのがいずれも、一般民衆からの嫌われ者なので、そんなに荒れた雰囲気にもならなかったようだ。
それが一変したのは、この晒し刑の刑場に、最初から死んでいる者として、三人目が晒された昼過ぎとのこととのことだ。
運ばれてきたのが全裸に服を剥がされていた女であり、すでに死んでいることが明白で、その女が見た目が美しい若い女だったこともあり、二公爵たちの情けない姿の見世物で沸きたっていた民衆は、騒然となったらしい。
両手を柱に沿ってあげ、腕から脚にかけての部分を柱から外れないように縄であちことを縛られたその屍体は、とても美しい身体だったからだ。
しかし、それは、すぐにうねるような怒涛の憤怒の嵐に変わった。
晒された全裸の女の屍体が、王都でも大人気の第三神殿の若き女神殿長のスクルズだとわかったからだ──。
*
当時、第二神殿にいたベルズに、その衝撃の報せが届けられたのは、そろそろ夕方になろうという頃だ。
最初は信じなかった。
しかし、次々に同じ情報がベルズのところにもたらされた。
どの神官たちも激怒していたし、号泣して泣きじゃくる巫女は、ひとりやふたりではない。
まさかという思いが心によぎった。
しかも、ただ処刑されただけじゃなく、全裸を晒されて、死体を辱められているというのだ。
とにかく、顔の隠せるフード付きのローブを羽織って広場に向かった。
広場に向かって進むにつれて、なぜかところどころに群衆が小さく集まった場所が点在することに気がついた。
叫び、悲鳴、慟哭、怒り……。
人の集まりの全部にそれがある。
覗いた。
あちこちで同じような固まりがあったが、ベルズが覗いたのはどこにでもあるような一軒の酒場だ。
びっくりした。
群衆が集まっている場所の中心では、『映録球』と呼ばれる魔道具があり、それによる再生映像が流れていたのだ。
映録球とは、魔道具で記録したものを立体映像として宙に再現する道具だ。
それなりの高価なものだが、珍しいものではない。
だが、驚いたのはそこに再現されていた記録映像の内容だ。
床に置かれている玉が人々の頭よりもやや高いくらいの位置で宙に投影していたのは、紛れもない王宮における謁見の間のスクルズと国王の姿だったのだ。
もしかして、スクルズに起きたことをこの映録球が再現しているのか?
いや、もしかしなくてもそうなのだろう。
あちこちで同じような集まりがあるのだが、そこから聞こえる声にも耳を澄ましていると、その辺にある集まりの中心全部に、複製されたと思われる同じ映録球がある気配だ。
雰囲気からしても、同じ魔道映像が繰り返し流されているらしい。
とにかく、集まっている者の肩越しに、その記録映像に注目した。
場所は王都の謁見の間のようだ。
そこの床に座らせてるスクルズの周りになにかが
おそらく、薫かれているのは、スクルズの態度の不自然さから、弛緩効果のある毒の香ではないかと思う。
それとも、媚香か……?
とにかく、それを嗅がされ続けているスクルズは可哀想に、満足に喋ることもできないくらいに追い詰められている。
それにもかかわらず、国王はスクルズを嘲笑し、繰り返しわざとらしく質問を続けている。
スクルズへの嫌がらせのためにやっているのは明らかで、その間、スクルズはずっとその得体の知れない煙を吸い続けなければならず、苦しみ悶えるような仕草をずっと繰り返している。
やがて、さらに、そのスクルズの前に、盆に載せられた杯と首輪の乗った盆が置かれた。
はっとした。
毒杯だ──。
首輪はともかく、謁見の間で液体の入った杯が運ばれる意味はベルズにはよくわかっている。
国王がスクルズに自裁を命じたのか……?
すると、ずっと映像だけだった映録球の記録に音声が混じった。
国王がスクルズを脅迫している。
香で動けなくなったスクルズに、後宮に来いと脅迫している……。
さもなければ、養家族を殺すと……。
さらに、ベルズの実家の名まで出した。
スクルズを後宮で犯すという意味のことを喋り、断れば罪のない者を見せしめに殺すと国王が叫んでいる。
なんという光景だ。
ベルズも鼻白んだ。
しばらく、同じようなやり取りが続き、ついにスクルズが、国王に犯されるくらいならと、自分で毒杯を呷った。
愕然とした。
どうして、この映像がここにあるかわからないが、まさに、スクルズの死はここに映っている。
スクルズはああやって死んだのか……。
しかも、映録球の再現映像はまだ終わりでなかった。
国王が口汚く死んだスクルズを罵り、その屍体を蹴り飛ばし、服を引き裂いた。王はどう見ても理不尽な怒りのまま、スクルズの死体を王都の広場に晒して辱しめよと叫んだ。
その理由は、スクルズが国王に身体を委ねなかったからだという。
ベルズはあまりの激怒に叫び出しそうになった。
そして、映像が最初に戻って、再生をやり直す……。
だが、我に返った。
そもそも、なんでこんな映録球の記録がこんな場所に存在するのだ。
しかも、ここから見えるだけでも、数箇所の集まりができているということは、同じようなものが王都のあちこちに配られているということになる。
だとすれば、かなりの数の映録球がばら撒かれたということだ。
そもそも、映録球は魔道遣いが魔道を注がないと再生しない。
ところが、集まっている者の中には、ベルズ以外に魔道遣いは見当たらず、それにも関わらず映像が再現を繰り返しているのは、目の前にある映録球にあらかじめ魔力が注ぎ込まれていて、何度でも、新たな魔力なしに再現を繰り返せるようになっているからだと思う。
誰がこんなものを……。
なんにために……?
店主に訊ねると、王宮の下級官吏が飛び込むようにやってきて、たったいま宮殿で起こったことだと叫んで、これをあちこちの店に投げ入れて立ち去ったのだという。
王の無法を許すなと大声で罵って逃げるように立ち去ったとも言っていた。
そうだとすれば、王宮で行われたことに憤った官吏のひとりがひそかに映録球に記録を撮り、それを複製してばら撒いたということか……?
とにかく、ベルズが見ていた酒場でもそうだったが、王都でも人気のあるスクルズが、事実上、国王に殺された衝撃の映像に驚いた民衆が、とにかく広場に行ってみようと騒いでいる。
実際に人々の流れはすでに広場に向かっている。
あちこちで同じような状況が沸き起こっているのだ。
ベルズはそんな民衆に巻き込まれるように広場に向かった。
そして、そこにあったのが、目の前の衝撃の光景だったのだ。
*
両脇の柱のふたりの公爵に挟まれて、スクルズは完全に死んでいる状態で全裸で柱に縄で縛りつけられている。
死して女の身体を辱める国王の仕打ちに、ベルズの心は怒りを通り越して、完全な憎悪で充たされた。
スクルズをおろせという怒声があちこちからあがっている。
ひとりやふたりではない。
絶叫にも似た王兵に対する罵りは、凄まじい塊になって注がれ、この王都の広場の大地を揺らがせていた。
さすがにこれだけの群衆を前にして、わずか百人ほどの警護兵には恐怖の色がある。
ベルズは、刑場に背を向け、群衆から離れた。
だが、振り返ってみると、いつの間にかスクルズの死に抗議する王都の人間の数は、大変なものになっていた。
どこまでもどこまでも、抗議をするために集まる者で溢れている。
広場の王兵は完全に怒り狂う民衆の海の中に浮かんでいるような状態だ。
とにかく、やっと人の群れから抜けたところで、一気に転移術でウルズのいる小屋敷に戻った。
幼児返りしたウルズを世話をするための屋敷であり、名義はスクルズなのだが、本当の持ち主はロウだ。
ここにウルズを置き、ベルズとスクルズ、そして、屋敷妖精のブラニーで世話をしている。
「お帰りなさいませ、ベルズ様」
「べーまま、おかえりなさい」
ベルズが戻ると、ブラニーは察知していたらしく、ベルズが転送で跳躍する場所で出迎えの態勢になっていて、さらに、気がついたウルズが、舌足らずで声をかけ、にっこりと微笑んできた。
ウルズは床にしゃがみ込んでいて、石板を置いて石墨で絵を描いていたようだ。
よくわからないが、大小の丸いものが重なって、ところどころにぐじゃぐじゃと色が塗ってある。
「ただいま、ブラニー。ウルズはどうだ?」
「とても良い子です。今日はお絵かきをして、ふたりで遊んでおりました」
ベルズは頷き、ウルズの前に座り込んだ。
「なにを描いていたのだ、ウルズ?」
ベルズはウルズの肩をぐっと抱き寄せながら訊ねた。
すると、ぐっと両手でベルズを抱き返してくる。
仕草と喋り方はまだ幼児だが、姿は完全な大人の女だ。
かなり力も強い。
加減のない抱き締めに、ベルズも思わず、うっと声が出る。
「ぱぱなの──。ぱぱをかいてたの──」
ウルズがにこにこしながら言った。
もう一度、石板を覗いた。
だが、どう見ても人間の顔には見えない。
そういえば、ウルズは神学校時代も、絵だけは下手だったな。
ふと、そんなことを思い出した。
「すまんが、しばらくお出かけをする。どうしても持っていきたいものを持っておいで。なるべくちょっとな。もしかしたら、しばらくは、ここには戻ってこないかもしれんから、そのつもりでおれよ」
ベルズがそう言うとウルズは不安そうな表情になった。
「どこかに、おでかけするの、べーまま?」
「とりあえず、第三神殿かな……。それから先はわからん」
第三神殿にはミランダが隠れているはずだ。
スクルズに、ミランダたちを第三神殿の敷地内に匿っていると告白されたのは、この小屋敷でのことであり、ルードルフ王に手配されてしまったロウをベルズの実家のブロア領で保護することをスクルズに相談したときだ。
無論、実家にはある程度のことを連絡し、すでに事前の了承も受けていた。
しかし、あのとき、スクルズは、ロウを手配したルードルフ王のことを取り付く島もないくらいに怒っていて、ロウを逃亡させるという案を拒絶した。
また、そのときに、スクルズから、実はアネルザとともに捕縛されたはずのミランダを第三神殿に匿っていると告白されたのだ。
なにかあると思った。
そもそも、同じように王都の監獄塔に収容されたはずのアネルザのことはそのままで、ミランダだけを連れ出して、神殿に隠れさせるというのは勘定が合わない。
少しばかり調べただけで、スクルズが、ミランダやアネルザと結託して、おかしなことをしているということはわかった。
どうやら、ロウの捕縛命令を国王が出したことに動顛し、アネルザを含めたスクルズやミランダが集まって、策謀めいたことをしているようだった。
ある程度は勘だが、おそらく正しいだろうと思った。
だが、深入りせずに、あえて知らぬふりをして距離を置いていた。
どうせ、国王もそのうちに怒りも収まるだろうし、それまでほとぼりを冷ましておけばいいのにと思ったのだ。
しかも、ベルズの忠告に耳を貸すような者たちじゃない。
だから、放っておくことにした。
まあ、ロウのために、なにかをしたいという気持ちもわからないでもないし、彼女たちの感情の発散のためにも、静観を決め込んだ。
まあ、彼女たちに限って、なにかあるわけでもないだろうし……。
それがこんなことになるなんて……。
ベルズは歯噛みした。
あのとき、もっとちゃんとスクルズをとめておけば……。
自分もちゃんと、彼女たちのすることに深入りしておけば……。
せめて、なにを企んでいるのかくらいは、ちゃんと調べていれば……。
ぐっと拳を握る。
「……ということだ、ブラニー。しばらく戻れないかもしれない。もしかしたら、この屋敷に兵がやってくるかも……」
すでに、スクルズは処刑されている。さらに、ベルズが動くということは、両神殿もそうだが、当然にこの屋敷にも兵が捜査に入ってくる可能性がある。
いや、こうやって、いまだに自由にしていられるのが不思議なくらいだ。
ここは、スクルズの名義の屋敷なのだ。
ベルズは、詳細は説明せず、王軍の兵がやってくるかもしれず、この屋敷が安全でなくなる可能性をブラニーに言った。
ブラニーも、ただ事ではない様子を悟ったようだ。
しっかりと、彼女は頷いた。
「了解いたしました。わたくしめにお任せください。皆さま方以外を決して立ち入らせたりはしません。しばらく、この屋敷は幻影で隠しましょう。さらに、結界を張ります。おそらく、誰かが近づこうとしても、存在に気がつかないし、やってきても反対側に弾きます。大丈夫ですよ。ベルズ様が戻られるときには、魔道で跳躍なさればいいでしょう」
ブラニーは事も無げに言った。
ベルズはびっくりした。
「この王都のど真ん中で、そんな魔道ができるのか?」
「屋敷を守るためですから。そのためであれば、わたしくめたち屋敷妖精は、どんなことでも可能です」
きっぱりと言った。
ベルズは屋敷妖精の保有する無限ともいえる潜在能力に、改めて舌を巻いた。
「では、任せる、ブラニー」
「わかりました」
ブラニーがにっこりと微笑んだ。
とりあえず、ベルズは安心した。
「ねえ、だい三しんでんって、もしかして、すーままのところ?」
ウルズがにっこりと笑った。
幼児化して以来、ウルズはスクルズとベルズが交互に世話をして、育児のようなことをしている。
第二神殿と第三神殿だって、時折は魔道で行き来して、寝泊りもしている。
あっちの第三神殿にいたアンやノヴァ、ロウと一緒に旅に出たがミウあたりとも仲良しだ。
立派な大人の姿のウルズが、“ミウおねえちゃん”と慕う姿はちょっと面白いものがある。
また、見た目が大人のウルズにお姉ちゃんと甘えられ、その度に戸惑うミウは微笑ましくあった……。
そんなことを思い出した、
「いや、すーままは……」
だが、ベルズは迷った。
このウルズに、スクルズの死をどうやって伝えればいいのか……。
「すーままは、ちょっとな……」
殺されたと伝えればいいのか……。
それとも、単に死んだと……?
あるいは、なにも伝えない方がいいのか……。
しかし、教えないということはできない。
いずれ、ウルズもスクルズの死は知ることになる……。
さて……。
ええい、考えるのは後だ。
「スクルズはお出かけもしれん。だが、ミランダがいると思う。そこにしばらく、厄介になると思う。とりあえず、持っていくものを準備せよ」
「ミランダちゃん? んんっと……。わかった」
ミウのことは“お姉ちゃん”で、ミランダは“ミランダちゃんか”……。
ウルズの頭の中ではどういうことになっているのかわからない。
とりあえず、ベルズも支度をする。
こうなった以上、ベルズもまた、もう神殿には戻らない覚悟だ。
荷造りをする。
……といっても、それほどの準備があるわけじゃない。
いつ、なにが起きてもいいように、収納魔道で亜空間には、生活に必要なものはひと通り入っている。
処分すべきものは、普段からすぐに処分しているし、余分なものは置かない主義なので、神殿から支給されている最小限度のものしかない。
すぐに支度は終わった。
ウルズは大きめの箱に入れた玩具の類いを持ってきた。
収納魔道で片付ける。
「ちっちをしておけ。できればうんちも……。その後、おむつをするぞ。待っておれ」
「うん」
ウルズが部屋の隅の魔道の便壺のところに行く。
厠は別にあるのだが、ウルズのために備え付けているものだ。
排便をすれば、便も臭気もあっという間に消滅してくれる便利なものだ。
ウルズがスカートと下着を全部脱いで、そこに跨った。
そのあいだ、ベルズは簡単な置手紙を書く。
第二神殿に置いておくものだ。
いったん神殿に出家すれば、破門にならない限り、辞めるという概念はないが、行方不明になったと思われたら申し訳ない。
それに、ちゃんと縁が切れたという証拠を残しておかないと、面倒になるかもしれない。
“思うところがあり、勝手ながら神官を辞去する。置いていく荷は申し訳ないが全部処分して欲しい。”
それだけのものだ。
第二神殿の筆頭巫女の執務室に跳躍する。
机の上にわかるように置いた。
そして、実家はどうしようかと考えた。
だが、ブロア家とは、書類で形式上は絶縁になっている。
そっちはいいか……。
すぐに、小屋敷側に戻った。
「べーまま─」
下半分になにも身に着けていないウルズがスカートと下着を持って駆けてくる。
ベルズは下着を洗浄魔道できれいにしてから、やはり収納魔道で片付ける。
次いで、ウルズを横に寝かせ、おしめをして、起こしてスカートをはかせ直す。
これで準備終わりだ。
「じゃあ、手を握っておれ。お外に行くからな」
ウルズが出かけるといえば、移動術で第二神殿と第三神殿を往復するか、ロウの屋敷に行くくらいだ。
神殿ではほかの神官の目があるので、部屋の外には出さない。
他人の目になるべく映さないのは、美人であるウルズが幼児並みの知能と動きしかできないことが知られて目をつけられ、それにつけ込んだ男に襲われたりしないためでもある。
だから、陽の下に出るのは、安全なロウの屋敷の庭くらいだ。
外に行くという意味を察したのだろう。
ちょっと怯えたようになったウルズがベルズの手ではなく腕にしがみついた。
移動術で跳躍する。
第三神殿の中庭に着いた。
建物の陰に隠れた場所であり、周りに人影はない。
その庭に一本の大きな立木がある。
なんでもない樹木だが、ベルズの眼から見れば、結界が張ってあるのがわかる。
ウルズを連れて、樹木の周りにある結界を通過する。
樹木の根っこの部分に、魔力を込めた魔道石が埋めてあるのを感じる。これが結界魔道を保持させているのだろう。
事前に教えてもらっていた「合言葉」を樹木の幹に向かって呟く。
果たして、樹木の横に地下に向かう階段が出現した。
「ついて来よ、ウルズ」
ベルズは腕にしがみつくウルズの手を腕から右手に持ちかえさせて、階段をおりていく。
人の話し声が聞こえてきて、階下には大きな広間があった。
そこに大きな卓があり、ミランダがこちら側に身体を向けて座っている。
ランもいた。
ほかにも十人ほどの男女が集まっている。
ウルズがぎゅっとベルズの腕にしがみつき直した。
ミランダは知っているが、ほかの者は知らない。ランさえも、ほとんど知らない。
滅多に「他人」には会わないので、怖いのだと思う。
「ベルズ様──」
ランが声をあげた。
室内にいた者たちが一斉に、ベルズとウルズに視線を向けてきた。
「ベルズ──。ウルズもかい?」
ミランダも顔をあげる。
ベルズひとりならともかく、ウルズを連れ出すのは珍しいと思ったのかもしれない。
ミランダがさらに口を開く前に、ベルズは小さ目の袋を収納魔道から出して、ミランダの前の卓の上にどんと置いた。
中身は宝石だ。
財を持ち運ぶなら、金貨が銀貨はかさばるので、宝石が一番便利だ。
ギルドなどに預けて、ほかの場所で卸せる手形もいいが、万が一のときには手持ちの財がいる。
ベルズは日頃から、使いようのない財の半分は宝石に替えるようにしていた。
「ミランダ、クエストを頼む。王都の広場に晒されている屍体の奪取……。どの屍体かは言わんでもわかるはずだ。そして、国王の暗殺……。ひと財産ある。これだけあれば、命知らずの冒険者のひとりふたりは雇えるだろう」
袋を開いた。
一個あれば、ちょっとした屋敷くらい購えるくらいのものがざらざらとこぼれ出る。
質素堅実の神殿生活では使い道のなかった収入を蓄えて作ったものもあるが、大部分は神殿に入るときに、実家の伯爵家と縁を切る代わりにもらった持参金だ。
ただの一度も手をつけたことなどなく、いま初めて他人に見せた。
「ベルズ……」
ミランダが溜息をついた。
そして、周りの者に視線を向ける。
「ラン、ほかの者も、ちょっと奥に行っておくれ」
ミランダの言葉によって、ぞろぞろとほかの者が奥に向かう扉に進んでいく。
この奥にも、さらに部屋がある気配だ。
多分、ここの集まっている者たちが寝泊りする場所もあるのだと思う。
おそらく、ここは、スクルズがミランダたちの隠れ処として準備したものであり、秘密のアジトというところだろう。
ひと通りの施設は揃っているはずだ。
そのとき、最後に出ていこうとした頭にフードを被った女性らしき者の腕をミランダがむんずと掴んだ。
「どこに行くんだい? お前は残るんだよ。どうやら、ちゃんと言ってなかったようだね……。まあ、あたしにも事前の相談はなかったくらいだ。ベルズに言うわけないか……。とにかく、ベルズも来てくれてちょうどいい。この始末をどうするのか、こいつに訊こうじゃないか……。広場がどんな騒ぎになっているかは、いま説明したとおりだよ。どうすんだい?」
最初からこっちに背を向けていた感じだったので、彼女の顔はわからない。
腕を引っ張られた勢いでフードが外れた。
ほんの少し青みがかかった美しく長い白い髪がそこに出現した。
「すーままだああ──」
ウルズがベルズから腕を離して、彼女の背中に抱きついた。
スクルズだって?
しかし、スクルズがここにいるはずはない。
そもそも、スクルズは栗毛だし、髪だって肩ほどで揃えていて、あんなに長い髪じゃない。
「あ、あのね、ベルズ……。これにはわけが……」
だが、その女が振り返った。
髪の色と髪型こそ違うが、紛れもなく、彼女はスクルズだった。
ベルズは唖然とした。