【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
429 魔眼が効かない男
「二本目を右だ──」
前を走るノタージュが後ろを振り返ることなく怒鳴った。
見た目は老人だが、なかなかの速さである。
一郎とエリカは、それを追いかけるように走る。
エランド・シティの下層地区である。
もうすぐ夜も明けると思うが、空はまだまだ真っ暗だ。どういう仕掛けになっているかわからないが、下層地区を見上げても、上層地区は見えずに、視界にはいるのは夜空だけである。
そして、下層地区のあちこちにエルフ兵が出動していて、上空からも監視のための機械の鳥のようなものが動き回っている。
とにかく、大変な状況だ。
走っている一郎の左手首には金属の枷が嵌まっていて、鎖でエリカの首につけられた金属の首輪に繋がっている。
一郎の意思なしには、どんな手段でも、外すことも切断することもできないように、一郎の淫魔術とミウの魔道で二重の結界を施しているものだ。
だが、こんなものを準備しているのは、軍に捕らわれたと予想されるコゼとイライジャを救出するために、一郎はエリカとともにわざと彼らに捕らわれるつもりだったからだ。
だから、エルフ兵に捕らわれたときに、離れ離れにされないためにしたのだ。
しかし、思わぬ救出者が登場して、こうやって逃亡を再開することになった。
「……ロウ様……?」
エリカが走りながら、一郎の顔を見る。
このまま、見知らぬ男についていっていいのかどうか、一郎の判断を仰いでいるのだろう。
一郎も走りながら迷っている。
都合のよすぎるタイミングで突然に出現した男──。
しかも、ノルズの手の者だという。
ノルズ……。
一郎が淫魔術で性奴隷の刻みをした女の中で、唯一自分の意思で一郎の前から消えた女だ。
スクルズたちの神官学生時代の友人であり、三人揃って王都の筆頭巫女に出世したスクルズ、ベルズ、ウルズとともに、一時は百合の関係になったくらいの大親友だったが、素行や家庭に問題があり、神殿を出奔し行方不明になっていたとのことだ。
だが、すでに筆頭巫女になっていた三人の前に現れ、三人の身体に魔瘴石を仕込んで、王都を混乱に陥れようとする陰謀を企んだ。
しかし、それについては、ギルドのクエストとして、その事件に関与した一郎たちに阻まれた。
そのとき、ノルズには、任務に失敗したときに、情報を漏洩しないように死んでしまうように「死の呪い」にかけられていて、一郎は呪いを解くために、強引に淫魔術で支配し、そのため、ノルズは一郎の淫魔術で支配されることになった……。
だが、淫魔術で心を刻まれながらノルズは逃亡した。
その理由も、どこに逃げたのかということも一切が不明だった……。
しかし、そのノルズの名が突然に出てきた。
こいつは、何者だろう?
一郎は駆けながら魔眼を使った。
「えっ?」
だが、びっくりした。
魔眼で彼のステータスを読もうと思うと、いきなり電気が走ったような感覚が襲って、魔眼が遮断されたのだ。
そんなことは初めてだったので、かなり驚いた。
もう一度やった。
今度は、魔眼の発動に合わせて淫魔力を大量に注ぐ。
“ノタージュ(***)
**族、男
年齢:***歳
生命力:***
魔動力:****
攻撃力:**”
今度は弾かれなかったが、ほとんど情報は入ってこない。
こんなことは初めてなのでびっくりした。
そのとき、突然に前を走っているノタージュが振り返った。
「お前らは、ここを曲がって、食材倉庫を管理しているコーロフを頼れ。人間族だ。信用できる――」
ノタージュがそう怒鳴ってから、一郎たちに曲がれと告げた辻で曲がらずに、そのまま真っ直ぐに駆けていった。
どうするべきだろうかと迷ったが、ノタージュが向かった正面から、エルフ兵の隊員が真っ直ぐに走ってくるのが見えた。
一郎はエリカとともに、咄嗟に角を曲がる。
彼らが一郎たちに気がついたかどうかはわからないが、ノタージュが真っ直ぐに向かった方向で、そのノタージュの怒鳴り声と、エルフ兵たちの甲高い罵り声が聞こえ始めた。
一郎はエリカとともに、それを背中側から聞きながら、喧噪の場所から離れていった。
「エリカ、剣を手放すなよ」
一郎はひと言添えると、エリカの首についていた首輪に淫魔力を注いで外す。同時に自分の腕に嵌まっていた枷も外したので、ふたりを繋いでいた鎖はがちゃんと音を立てて地面に落ちる。
「剣ですか?」
不意に首輪を外されて、当惑したエリカだったが、すぐに顔を引き締めた。
一郎の意図する意味を理解したようだ。
走りながら横を見ると、エリカはすでに、戦う者の顔になっている。
やがて、目の前に大きな建物が現われた、
そこが、さっきノタージュが言及したコーロフという男が管理している食材倉庫だというのは、すぐにわかった。
そこにはひとりの老人がいた。
一郎は、またもや魔眼を使った。
“***(***)
人*間*族**、男
年齢:***歳
生命力:***
魔道力:****
攻撃力:**”
やっぱり頭に入ってくる情報が不自然だし、なにもかも隠されている。
さっきのノタージュといい、このコーロフといい、なぜかまともに魔眼が通用しない……。
「……ノタージュという男から、こっちで匿ってもらえると……」
一郎はとりあえず言った。
「ロウ様──」
そのとき、エリカが横で怒鳴った。
一郎は振り返った。
まだ、姿は見えないが、背後からエルフ兵が近づいてくる気配がする。
もうすぐ、ここにやってくるだろう。
「わかっている。中だ。急げ」
老人がしわがれた声で言った。
「倉庫の中にですか?」
一郎ははっとした。
「心配ない。この倉庫は上層地区に運ぶ食料が集めてある場所だ。中には上層地区に向かうチューブがある。それで上層地区側の倉庫に隠れる」
「あんたは?」
「コーロフという。話は後だ。とにかく、中に行け」
「コゼとイライジャは?」
「それも後だ」
訝しむものがあった。
もう一度魔眼を……。
“コーロフ(***)
人間族**、男
年齢:***歳
生命力:***
魔動力:****
攻撃力:**”
今度は、名乗った名だけが出た。
しかし、やはり偽名だ。
とにかく、一郎は、エリカを促して、倉庫の中に入った。
コーロフは入ってこない。
ふたりだけで倉庫の中に隠された。
中は薄暗い。
食料が入っていると思われる大きな箱がたくさん積み重ねられている。台車のようなものもあつこちにあった。
すぐに、外からがちゃりと鍵が閉められた音が響いた。
「どうしますか、ロウ様?」
エリカが不安そうに言った。
「様子を見よう」
少しだけ考えてから、一郎はそう決断し、そのまま床に座る。
エリカがそっとその横に寄り添うように腰をおろしてきた。
*
どのくらい経ったからだろうか。
一郎は、エリカとともに、奥側の箱に背もたれて床に座っていたが、音が響いて、外から誰かが入ってきた。
隣にいるエリカが無言で剣に手を動かす。
誰かが入ってくる。
やってきたのは、ひとりだ。
真っ直ぐに一郎たちのところにやって来ると、緊張をしている一郎の前に、そいつがひょいと顔を出した。
ノタージュだった。最初に出会った男だ。
最初に遭ったときよりも、目に見えて怪我をしている。
シャツはぼろぼろだし、赤や紫の痣が顔についている。
片目のまぶたは、腫れあがっていて、すっかりと彼の片目を塞いでもいた。
「連中は、とりあえず近くからは去ったぜ。だが、すぐにやって来るかもしれん。やはり、上に行こう。連中は兵だ。物流のことなんて、なにも知らねえよ。ここにある上層地区へのチューブは、荷を運ぶためのもので、人を運ぶものじゃねえんだ」
「その怪我は?」
一郎は訊ねた。
「なにっ? ああ、どうということねえ……。とにかく、連中はこの倉庫のことを気にしてない。しかし、荷を上にあげるものなら、人だって運べる。しかし、誇り高いエルフの連中は、荷物用のチューブで上にあがるなんて、常識外れだしな。だから、ここは眼中じゃねえのさ」
ノタージュはくすくすと笑った。
「ねえ、あんた、コゼとイライジャはどこ?」
ずっと黙っていたエリカが口を挟んだ。
「上だ。一緒に来い」
ノタージュがなにもない床に手をすっとかざした。
次の瞬間、床に白い紋様が浮かびあがった。
転送門だ。
一郎はとっさに思った。
「紋様の中に入ってくれ。上層地区の倉庫側に移動するが、向こうの安全は俺が保証する。さあ……」
ノタージュが白い紋様に向かって進みながら、一郎たちを促した。
だが、さすがに、躊躇ってしまって、すぐには動けなかった。
エリカも、不安そうに一郎を見ている。
すると、紋様の前で振りかえったノタージュが肩を竦めた。
「あんたの気持ちはわかるがな。だが、俺たちを信用していいんじゃないか? 俺はあんたらをエルフ兵から助けてやったぜ」
「だから、怪我したの?」
エリカだ。
「まあな。時間を稼ぐためだ。だが、俺が連中の探している相手でないことは明らかだ。やつらにできるのは、俺を八つ当たりに殴るだけだしな。まあ、こんなものだ」
ノタージュが笑みを浮かべて、傷のついた顔を歪める。
「もちろん、感謝してますよ」
一郎は言ったが、どうしても声に温かみを乗せることはできなかった。
この男は怪しい。
限りなく怪しい。
突然に出現したこの男を簡単に使用するほど、一郎も甘くはなれない。
「……だが、感謝なんてしてねえって顔だぜ。さっきも言ったが、俺たちはノルズ様の手の者だ。エランド・シティに、あんたらが現われるようなら、なんとしても力になるように命令をされている。まあ、エルフ兵の大軍がいきなり出現したのは、驚いたがな」
ノタージュが苦笑したような顔になった。
「あんたって、本当にノルズの知り合い? あいつ、どこにいるの?」
エリカが口を挟んだ。
「アスカ城だ お前らは知ってると思ったが? 俺を試しているのか?」
ノタージュが不審そうな表情になった。
知っているはずだと?
そんな訳あるか。
そのとき、すっとノタージュが目を細めて、一郎を睨んだことに気がついた。
「本当に、知らなかったのか……?」
ノタージュの声が随分と小さかった。
「知るわけないでしょう――。あいつ、アスカ城にいるの? まさか、アスカ様のところ?」
エリカが声をあげた。
ふと見ると、エリカの目は大きく見開かれている。
「まあいい……。とにかく、上に行こう。コゼとイライジャに、すぐに連れてくるって、約束してるんだ」
ノタージュは、再び一郎たちを白い紋様に促した。
「……コゼたちが無事なら、なんで彼女たちは直接来ないのよ?」
エリカは不平そうに言った。
ノタージュは小さく首を横に振った。
「ひどい怪我なのさ。拷問を受けたらしい。エルフ兵に捕まっていたようだが、俺たちがなんとか助けたときには、自分では動けないくらいの怪我だった」
「怪我を──?」
エリカが声をあげる。
「ああ、怪我だ……。それにしても、あまり警戒がすぎないかい? あんたらには助けが必要だ。太守夫人のカサンドラは、血眼になって、あんたらを追っている。コゼとイライジャを捕らえたのも、あんたらの居場所を吐かせるためと、人質にでもするつもりだったんだろう。俺たちが救い出したけどな……」
ノタージュは言った。
だが、カサンドラという太守夫人がこれだけ大騒ぎしているのは、一郎たちを探そうとしているからだというのは本当だろうと思う。
また、カサンドラというのが、このエランド・シティを治めている事実上の支配者だというのは、すでに承知している。
実際のところ、一郎は十中八九、エルフ兵はコゼたちをすでに捕らえていると信じていた。
だからこそ、わざと捕らわれて、居場所を確認しようとまで思ったのだ。
しかし、突然に、この得体の知れない男が出現して、事情が変わった。
この男はなにかを知っている。
一郎は、それがとても気になった。
「……それがまったくわからないんです……。なんで、このシティの太守夫人は、俺たちなんかを捕らえようとしているんでんしょうね? なにもしていないのに」
一郎はかまをかけた。
「……しているさ……。罪も犯している……。あんたらが気がついてないだけさ」
ノタージュは笑った。しかし、その笑い声はこれまでのものとはまったく変わっている。
まるで、なにかを言葉を含むような……。
しかも、その顔はこれまでのノタージュのものではなかった。
さらに、顔の傷はあっという間に消えている。
一郎は右手に淫魔の力を溜める。
瞬時に亜空間から銃を取り出せるようにだ。
「あんたは何者だ……?」
エリカがさっと一郎の前に出た。
すでに、細剣を抜いている。
一郎も身構えた。
魔眼を飛ばす。
“コーロフ(***)
*人間族**、男
年齢:***歳
生命力:***
魔動力:****
攻撃力:**”
コーロフと出た。ノタージュではなくコーロフ……。
「名前をもう一度教えてくれ……」
一郎は言った。
ノタージュが肩を竦める。
「なにを疑ってんだい? ノタージュと名乗ったろう。ノルズの手の者さ」
“ノタージュ(***)
**族、男
年齢:***歳
生命力:***
魔動力:****
攻撃力:**”
偽名がコーロフから、ノタージュに変化した。種族も消える。
同一人物か……。
つまり、こいつが名乗ったものを一郎が魔眼で感知しているだけだ……。姿はノタージュだったが、その前に魔眼で読み取ったのがコーロフだったので、コーロフで表示され、こいつがノタージュだと名乗り直したことで、それを読んでしまったということか……。
いずれにしても、これでこいつが一郎たちを騙そうとしているのは明らかだ。
偽名を名乗るのも、姿を変身術かなにかで変えるのも、不自然ではないが、ひとりの人間をふたりに見せかけて、困惑させようと謀るなど普通じゃない。
「……あんたは、俺たちのなにを知っている」
一郎は用心深くノタージュから距離を取った。