【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
「出て、急いで──」
マントで身体を覆ったユイナが部屋を飛び出した。
イットが続き、一郎とミウが追う。
外は廊下のようだった。
壁の照明が薄暗く、一瞬、景色がわからなかったが、すぐに石作りの床と左右に分かれる一本の廊下だと知った。
パリスは人払いをしていたのか知らないが、パリスと一緒に死んだ者以外には牢番のような者はいない。
ただし、喧噪は左側から近づいている。
どうやら、上に続く階段を集団で降りてきているようだ。
「こっちよ」
ユイナが示したのは右の方角だ。
鉄格子の窓がある部屋が左右に数個ずつあるが、その先は突き当りだ。
「待って──。そっちは行きどまりだよ」
進もうとするユイナの二の腕をイットが掴む。
しかし、その手を乱暴にユイナが振りほどいた。
「だったら、連中のいる側に突っ込むのね、獣人──。左は一本道の階段で隠れるところなんてないわ。ここは水晶宮の地下の一番深いところで、階段の上は牢番の溜まり場になっていて、本当の牢はその階にあるのよ。そこを抜けたとしても、兵がいっぱいいる水晶宮の中庭のど真ん中に出るわ」
「イット、ユイナに従え」
一郎は短く言った。
「あら、信用するの?」
ユイナがこっちに顔を向けて、にやりと微笑んだ。
もっとも、一郎が返事をする前には駆けだした。
「いや、まったく信用してない」
一郎は前を走るユイナの背に向かって言った。
しかし、ユイナがどんな表情をしたのかはわからない。
すぐに、一番突き当りに近い扉の前に到着した。
「小娘、解錠して」
ユイナがミウに怒鳴った。
エルフ兵らしき集団に背を向けた時点で、今度はイットが最後尾になっている。ミウは先頭のユイナのすぐ後ろにいたのだ。
「また、小娘って……」
ミウが不満そうにしながら、扉に手を触れさせる。
ぱちんと金属音が弾けるような音がして、扉が開いた気配が伝わる。
「来るよ──」
少し離れた位置で、後ろを確かめるように凝視していたイットが小さく叫んだ。
「早く中に」
ユイナが部屋に入る。
一郎とミウが入ってから、イットが慌てた様子で駆けてくる。
部屋はさっきまで一郎がいた部屋と同じ造りであり、天井が高くて、部屋が広くなっている一室だ。
天井には人間を吊るすためのような金具や鎖があり、壁には様々な拷問具や拘束具が吊るされていた。ここも拷問室なのは明らかだ。部屋の奥の壁には拷問をしない時間の罪人を壁に拘束するための鉄枷もある。
また、その奥には人の腕程の深さの溝があって下水が流れていた。それは隣の部屋から続いていて、奥の壁に作られている小さな穴に流れていく。拷問で流れた血や汚物をそこから捨てるのである。
「この地下に降りて来ました……。外にいます……。多分、十人くらい……」
イットが廊下に面する壁に半身を張りつけるようにしながらささやいた。
四人で廊下に面する扉と壁に張りつくようにしている。
イットは長い爪を外に出して完全に戦闘態勢だし、ミウもまた身体に魔力を帯びさせているらしくほんのりと青白く全身が光っている。
いつでも魔道を展開できる状態ということだろう。
イットとミウは扉に直接身体を押し付けている態勢だ。
ユイナは一郎の背中側になる。
そして、確かに外の廊下に十人以上の集団がやってきた気配が伝わってきた。
「十三人だ……。そのうちのふたりは剣の手練れ。五人は弓を持っている。能力も高い。全員がエルフ族で、無論、魔道遣いだ」
一郎は口に出した。
魔眼によって全員のステータスを一気に流し読んだのだ。
「へえ……。あんた、意外にすごいのね。なんでわかるの?」
ユイナが小さな声で言った。
振り返って表情を観察したが、言葉になにかを含ませたような感じはない。純粋に驚いている様子だ。
一郎はわざとらしく首を竦める。
「お前にもできるんだろう、ユイナ? 禁忌の魔道で」
この娘は禁忌の魔道のひとつとやらで、一郎の能力をあっという間に見抜いてみせた。
だったら、同じことができるはずだと思った。
「鑑定の魔道のこと? そんなことできるわけないでしょう」
しかし、ユイナはあっけらかんと言った。
やはり、特段になにかを隠しているという雰囲気はない。
一郎の魔眼の力を見抜いたことに驚愕したが、同じ魔眼の力ということではないのだろうか……?
“鑑定”の魔道……?
まあいい……。
ユイナの詮索はあとだ。
いまはこの状況を脱することだ。
果たして、すぐに悲鳴のような声があがる。
胴体と首が離れているパリスの屍体を見つけたのだろう。
すぐに一郎とユイナの捜索が開始されるはずだ。
ここに来るのは時間の問題だろう。
「それで……どうするんだ、これから、ユイナ……?」
「どうするんだって……いっても、どうしようもないわよ。さっきも言ったわよ。ここは軍営の地下で外に出るには、牢番の詰め所を突破して、外に出るしかないわ」
ユイナが小馬鹿にしたような口調で言った。
一郎はその物言いに苛立った。
「脱出できる経路を案内するんじゃないのかよ」
「そんなことひと言も口にしてないわよ。わたしはとりあえず、見つからないところに案内しただけよ。それよりも、あんた、なにか不思議な術を遣っていたじゃないの。それでしばらく、わたしたちを隠してよ」
亜空間のことか……。
思ったが、それはできないことだった。
確かに、亜空間に全員が入れば、一時的にはここから姿を消すことができる。
一郎ごと亜空間に入れば、全員がここから消滅したようになり、発見することも不可能だろう。
再出現する位置は、一郎も亜空間に入ることで現在地に限定されるが、外の連中が捜索を他の場所に拡げていなくなってから隙を見て逃亡してもいい。
とりあえず、パリスの死骸の位置から逃げたものの、このままでは発見されることは時間の問題だろう。
しかし、いまはできない──。
死の呪いに陥ってしまったシャングリアとマーズを亜空間に封印している。
一郎が同じようにそこに入れば、亜空間の時間が一郎の時間感覚と合致してしまい、亜空間の時間の流れが一気に流れる。
そのときには、外の世界との時間の流れが違うとしても、一郎の感覚とシャングリアとマーズの時間が一緒になって死の呪いが瞬時に進行すると思う。
「無理だ……。あいつらが死ぬ。いまは封印だ」
一郎は短く言った。
「使えないわねえ」
すると、またもやユイナの舌打ちが聞こえてきた。
お前こそ使えん──。
言い返そうと思ったが、冷静さを取り戻すために、いまはユイナへの悪態は自重することにした。
いずれにしても、この使えない娘は、なにかの思惑があって、この奥側の牢に連れてきたわけではないようだ。
このままでは、完全に手詰まりである。
すぐにでも、一郎とユイナの行方を捜すために、外のエルフ兵がまずはこの地下階をしらみ潰しに捜索しはじめるだろう。
決断をしなければならない……。
大勢のエルフ兵を突破して、遮二無二外に逃げるか、それとも、ここで捕まるかだ。
だが、そのとき、一郎はふと、壁に向かって流れている小さな下水に目をとめた。
「この水はどこに続いているんだ? 随分と流れているよな。流れている水はどこに集まっているんだろう?」
一郎は何気なく口にした。
水そのものは、地上からか、あるいは地下水でも引き込んで、うまく各牢の奥の壁に刻んでいる小さな下水に流れるように細工をしているのだろう。
その水が囚人を生かすための水にもなるし、汚物や血反吐を洗い流すための便利な洗浄溝にもなるということだ。
だが、少量とはいえ、水そのものは途切れることなく、ずっと流れている。
集まれば、かなりの量だと思うが……。
「ミウ、ここを魔道で壊して拡げろ──。イット、音を立てれば、すぐに外の連中がやって来る。扉を開けさせるな」
怒鳴った。
すぐにふたりが動く。
「はあ? なにすんのよ、あんた?」
ユイナだけが怪訝な表情のままだ。
しかし、ミウもイットも一郎の命令に疑念を起こす気配も示さなかった。
「いきます」
ミウが魔道を下水の穴に向かって叩きつけた。
轟音がして、人が通れるくらいの大きさの穴が拡がる。
覗き見たが、奥側は吹き飛ばした土の塊で塞がって、まだ行き止まりのようになっている。
しかし、いける──。
一郎はなぜか確信した。
「もう一回だ。突き抜けさせろ──。ありったけの魔道を出せ──」
ミウが再び魔道を飛ばす。
大量の土砂が落ちる水の音──。
穴の向こうは真っ暗だが、確かに、穴の先にある地下の池のような場所に、まとまった土くれが落ち込む音がした。
「ご主人様、来るよ──」
イットが叫ぶ。
騒音で外のエルフ兵がこの部屋に殺到したようだ。
「魔道で施錠します──。でも、すぐに解錠されると思います」
振り返ったミウが扉に向かって魔道を放つ。
青白い光で扉が包まれ、すぐに外からなにかで叩くような物音が始まる。
「ユイナ、行け」
一郎は言った。
「はあ? わたしが先? そもそも、この下はなによ──。浮遊都市の真下にある地下なのよ、ここは──。下手に飛び降りて、真っ逆さまに下層地区に落ちたらどうすんのよ──」
「いや、大丈夫だ。水が流れ落ちているだろう──。どっかに水を受けとめる場所があるんだ──」
「し、信用ならないわよ──。だいたい、なんで、わたしが最初なのよ──。あんたが行けばいいのに──」
「つべこべ言うな──」
不平を言いかけるユイナの首を掴み、尻を蹴飛ばして、穴の奥に蹴り落す。
「きゃあああ」
悲鳴とともに、ユイナの姿が開いた穴の向こうに消える。
すぐに大きな水の音が聞こえた。
「うわあっ、く、くそったれー」
さらにユイナの悪態の声も戻ってきた……。
大丈夫そうだ。
続いて、一郎──。
滑り落ちた場所はやはり池だった。
頭まで水に浸かったが、それほどの深さではない。
せいぜい、膝ほどの高さだ。
どうやら、自然にできている洞窟のようだ。
この場所については池のような場所になっているが、目を凝らすとずっと洞窟に沿って小川のように流れている。
牢を流れ進む水は、この洞窟にできている小川に流れ落ちるようにしていたらしい。
小川の洞窟は緩やかな傾斜で上から下に流れている。
どこからどこに繋がっているかわからないが、この洞窟が地上に続いているならば、進み続ければ、脱出できるだろう。
浮遊都市の真下に、洞窟の地下道があるなど不思議だが、実際にあった。
もしかしたら、このまま逃げられるかもしれない。
すると、そばで水飛沫があがった。
ミウだ。
すぐにイットも飛び込んできた。
「大丈夫か、ふたりとも」
一郎はふたりの身体を掴んで引き起こす。
「なによ──。さっきはなによ──。いきなり、なにすんのよ」
ユイナだ。
蹴飛ばされたのが不満のようだ。
だが、無視する。
「ミウ──」
「わかっています。壊します。でも、あたしにできることは、彼らもできると思います」
ミウが言いたいことはわかっている。
この旅で魔道遣いとして開眼したミウだが、エルフ族といえば魔道にも武道にも長けた高位種族だ。
塞いだとしても、あっという間に突破されるだろう。
それでも、時間稼ぎをしないよりはましだ。
ミウが魔道を飛ばす。
開いた穴が崩れて塞がり、そこから漏れていた光がなくなり、完全な闇となった。
ミウが光球を宙に浮かべた。
周りが見えるようになる。
やはり、上か、下かだ。
道はない。
この洞窟の小川そのものが道だ。
「上だ。行くぞ」
一郎は進み始めた。
どちらが地上に通じていて、脱出可能な方向なのかなんて知らない。
ここは魔眼保持者としての勘に頼るしかない。
「大丈夫なの?」
口を開いたのはユイナだ。
しかし、一郎が無言で進みだすと、慌てたように一郎の背中にぴたりと密着するように続いてきた。
次いで、ミウ。最後尾をイットが進む。
「しばらく走るぞ」
一郎は水を蹴り進むように駆けた。
三人の少女たちが追ってくるのがわかった。
しばらく駆けた。
だが、最初にミウが音をあげ、一郎も限界になった。
それで走ることはやめて、歩くことにした。
「情けないわねえ」
ユイナが呆れた声を出したが、戦闘種族のエルフ族のユイナや獣人族のイットとでは体力に違いがありすぎる。
そして、背後から声が迫ったのは、すぐだった。
「いたぞ」
大きな声がした。
一郎は亜空間から野宿をするために保持している油の樽を出した。
亜空間を利用すれば、いくらでも荷を運ぶことができるので、この旅では重宝して色々なものを溜め込んでいた。照明用の油の樽もそのひとつだ。
一郎はそれを水の中に横倒しにした。
「イット、壊せ──」
すぐにイットが樽を粉砕した。薄闇だが水の中に油が拡がっていくのがわかる。
一郎たちは洞窟の川を上に向かって進んでいる。
つまりは、背後から追ってくるのは川下側だ。
「ミウ、火だ」
ミウが魔道で火を飛ばす。
水の上の油にミウの放った火が引火して、ばっと燃えあがる。
火は水の流れに従い、追っ手側に向かっていく。
「少しは時間が稼げたか?」
一郎は再び川を走り進んだ。
すぐに悲鳴のようなものが背後から聞こえてきた。
とにかく走る。
一刻も早く、この洞窟から抜けるしかない。
だが、本当に抜けられるか?
洞窟は一本道であり、ところどころに横穴もあるが、どれも狭くてどこかに通じているという感じはない。
前に進むしかない。
一郎は女たちとともに走った。
そのときだった。
不意に心臓が締めつけられるような痛みを感じたのだ。
「ご主人様」
「ロウ様──」
「あんた──」
なにが起きたのかわからなかったが、気がつくと一郎は水の中にひっくり返っていた。
ミウとイットに身体を起こされる。
「どうしたんですか、ロウ様──? うわっ」
一郎の身体を膝に抱えあげたかたちのミウが叫び声をあげた。
ミウの驚きの正体がわからなかったが、ふと見ると手に薄い紋様のようなものが浮き出ているのがわかった。
はっとした。
死の呪いの紋様だ。
同じものが亜空間に退避させたシャングリアとマーズにもあったから、すぐにそれを悟った。
どうやら、呪いを刻まれたふたりを一郎の亜空間に監禁したことで、一郎自身にも呪いが効果を及ぼし始めたらしい。
もう少し時間の余裕があるかと思ったが、予想を遥かに超えて一郎にも呪術が影響を与えだした。
「あいつの死の呪いね……」
ユイナも心配そうに口を開いた。
「……だ、大丈夫だ……」
立とうとした。
しかし、足元がふらついてしまい、身体をもたれさせていたミウとともに水の中に再び倒れ込んでしまう。
「なにしてんのよ──。立って──」
ユイナの悲痛な声がした。
だが、再びエルフ兵に迫られる。
一郎は、自分を支えているイットとミウを押し離した。
支えを失って、膝立ちになる。
「ロウ様──?」
「ご主人様?」
ミウとイットが戸惑った声を出す。
「お前らは行け──。ユイナもだ──。俺は連中に捕まる──。それで時間を稼げる。うまくすれば、三人だけでも逃げられる。外に出て、コゼやエリカと接触しろ」
一郎は叫んだ。
もうエルフ族の追っ手は、すぐそばまで近づいていた。
はっきりとした話し声も聞こえてきた。
「なに言ってんのよ──。ぶん殴るわよ──。ほら、立つのよ──。獣人──、あんた、こいつを抱えて──。小娘、重いものを軽くする魔道なんてないの──」
だが、ユイナが必死の口調で一郎の腕を掴んで抱えあげようとする。
しかし、大の男をうまく抱えられずに、一郎とともにひっくり返ってしまった。
「ご主人様──」
「ロウ様──」
イットとミウも抱え直そうとする。
そのときには、追いつかれてしまったエルフ族の兵に完全に追いつかれてしまった。
あっという間に、周囲を囲まれる。
「逃げ出した囚人と奴隷だ──。他にも女もいるぞ──」
ひとりがいった。
背後にも前にもすっかりと武装したエルフ兵に挟まれるかたちになっている。
「ちっ」
ユイナが舌打ちした。
だが、さっき掴んだ一郎の腕をまだ離さない。
いや、まるで死んでも離さないとでも主張するように、がっしりと抱えている。
「ミウ……。あたしが時間を稼ぐ……。ご主人様を連れて逃げろ……」
イットがささやいた。
だが、ミウが呟き返すのが聞こえた。
「無理よ……。あたしじゃ、ロウ様を支えられない……。あたしが時間を作るわ……。だから、イットがロウ様を……」
しかし、そのあいだにも、魔道の杖と剣の両方が一郎たちに向けられてしまっている。
何人かは弓まで構えている。
どう考えても、逃げようがない。
「ね、ねえ、どうするのよ……?」
ユイナが絶望的な声をあげた。