【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
「だめに決まっているだろう、大叔母──。いや、キョウ」
目の前のラザニエルが呆れたように言った。
ケイラ、つまり、
水晶宮の副女王の執務室である。
すでに、享子がやってきた時点でラザニエルが人払いをしていて、享子とラザニエルのふたりだけになっている。
享子は、ラザニエルが執務に使っている机の前にある椅子に腰掛けた。
部屋の中には応接用のソファもあるが、何度もこうやって押しかけているうちに、このラザニエルは面倒がって、腰をあげなくなったのだ。
ラザニエルの前には、読みかけの書類がいくつか置いてあり、しかも、ラザニエルは、エルフ王族の長老であるケイラ=ハイエルがやってきたというのに、面倒くさそうに、まだ書類を手に持ったままだ。
お兄ちゃんの危機だというのに、その緊張感のない態度に苛立つ。
「なにがだめなのよ。お前のところにも、情報は入っているでしょう、ラザニエル? ノルズとかいう小娘からの情報によれば、辺境候とやらの後ろには、タリオ公国の青二才がいて、不穏な情勢ということじゃないのよ。そもそも、国境を越えるときには、魔族女の襲撃もあったのよ。こんなことなら、親衛隊三十名なんて少人数で送り出すんじゃなかったわ──。いますぐに、水晶軍の常備全軍を出動させなさい。これは長老としての命令よ」
享子は声をあげた。
だが、ラザニエルはうんざりしたように、嘆息しただけだ。
とりあえず、手に持っていた書類を横に置いて、享子と向き合う態勢にだけはなったが……。
「水晶軍の全部を出動させたら、こっちの守りはどうするだい? そもそも、まだパリスが拡めた瘴気溜まりが幾らもあって、水晶宮軍の半分は、そこから湧き出す魔物討伐と特異点の破壊で出回っている。ほかに回す余力なんかあるものかい」
ラザニエルはばっさりと言った。
そして、それで話は終わりとばかりに、一度横に置いた書類を手に取ろうとする。
享子は、手を伸ばして、それを押し留めた。
「いいから、水晶軍の出動準備をしなさい。だったら、その半分でいいわ。それでも二千はいるでしょう。水晶宮の守りは、ガドの女王権限で、貴族領主から予備騎士招集をしたらいいじゃないのよ」
「滅茶苦茶言うんじゃないよ、キョウ。そんなことができるものかい。予備騎士招集なんて、戦時じゃないだから……」
「戦時よ──。もしも、万が一、お兄ちゃんになにかあったら、どうするのよ──。水晶軍の全軍が無理なら、半分のさらに半分でもいい。すぐに、お兄ちゃんのところに派遣して」
辺境候軍に不穏な動きあり──。
その情報は、お兄ちゃんの愛人のひとりであり、タリオ公国の間者になりすまして活動しているノルズという女から入ってきていた。
そして、今日も辺境軍におかしな動きがあると秘密報告がやってきていたのだ。
よくはわからないが、お兄ちゃんについては、向こうでちゃんと待遇をするように、目の前のラザニエルとケイラ=ハイエルの連名で辺境候軍の軍営に親書を送った。
そうしたところ、それがタリオ公国を逆に刺激したらしく、もしかしたら、お兄ちゃんを排除しようという行動をとるかもしれないというノルズという女からの緊急の情報だった
享子は仰天して、慌てて、ここにやってきたのだ。
いずれにしても、ハロンドールの王都に帰るはずのお兄ちゃんが、王都に戻る前にハロンドールの辺境候が反国王の軍を集めている軍営に向かうことになったのは、お兄ちゃんの愛人のひとりであるサキュバスたちの身柄を受け取りにいくためらしい。
これもまた詳しいことはわからないのだが、そのサキュバスとやらは、その辺境候軍の軍営でなにかをやらかしたらしく、お兄ちゃんが迎えにいかないと、そのまま処刑されることになっているのだということだった。
それを知ったお兄ちゃんは、急遽、行き先を変更して、その辺境候軍の軍営に向かうことになったようだ。
サキュバスを愛人にするなんて、お兄ちゃんはやっぱりすごいと思ったが、ラザニエルは自分もアスカと名乗って、たくさんの魔族を侍らせていたわりには、お兄ちゃんが魔族と繋がりがあるということに仰天していた。
それはともかく、そんな経緯で、お兄ちゃんがハロンドールの辺境候軍の軍営に行くことになったのだが、それは危険かもしれないと、そのノルズから秘密通信が寄せられたのである。
お兄ちゃんにも知らせたが、大して気にしていないみたいで、予定通りに、明日には移動術のゲート施設経由で、ハロンドールの西部地区にある辺境候軍に行くと返事があった。
エルフ王族用の移動術のゲートは、ナタル森林内にしかないが、ハロンドール王国の辺境候領というのはナタル森林に接しており、早朝にゲートを利用して、ナタルの森経由で移動すれば、昼過ぎにはその軍営に到着できるのだ。
とにかく、危険があっても、お兄ちゃんがそこに行くというのであれば、享子としてはそれを全力で支えるだけだ。
だから、万が一のために、水晶軍の派遣準備をしろと言いに来たのだが、このラザニエルは、話を聞こうとしない。
「本当に、キョウになりきっているねえ……。頼むから、大叔母の記憶を紐解いて、人間族と事を構えたときの
ラザニエルが言った。
享子はむっとした。
「ケイラ=ハイエルの記憶を紐解けって言うなら、あんたこそ、アスカだったときのことを思い出したらいいんじゃないの? いつから、希代の悪役魔女が、常識家になってんのよ。お兄ちゃんに逆らう者たちなんて、エルフ族の大魔道で土地ごと焼け野原にしてやればいいのよ」
享子は息巻いた。
「ア、アスカの名を出すんじゃないよ、キョウ──。だから、こうやって、罪滅ぼしに、一生懸命に働いているじゃないかい。とにかく、軍は出さないよ。ロウには、ブルイネン以下の三十名の親衛隊がいる。なによりも、人間兵器のガドニエルがいるんだよ。滅多なことじゃ、やられやしないさ」
「暢気なこと言うんじゃないわよ──。そもそも、いつも思うけど、ラザニエルはお兄ちゃんに対する愛が足りないじゃないの──? あんたを救ってくれたのはお兄ちゃんなのよ」
「わかっているけど、それとこれとは……」
「わかってるんだったら、水晶軍を出動させなさいよ──。そもそも、お兄ちゃんが言っていた、クリスタルの交易戦略だって、まともにやらないし……。お兄ちゃんに逆らう相手には、クリスタルを売らないって脅せば、タリオでもハロンドールでも、お兄ちゃんの言いなりになるしかないじゃないのよ」
クリスタル戦略というのは、お兄ちゃんが遠距離から言ってきたものであり、人間族の社会に浸透している魔具の動力として欠かせないクリスタル石をさまざまな交渉事を有利にするための材料にしようというものだ。
お兄ちゃんから提案されたのが、数日前であるということもあるが、いまのところ、このラザニエルが部下などに、検討すら命じる気配はない。
「お兄ちゃんにじゃないよ……。エルフ女王国に逆らう相手だよ……。とにかく、そうは言ってもねえ……。クリスタル戦略は、いまのエルフ女王国の安全保障のかなめなんだ。エルフ族は、人間族の社会になくてはならないクリスタルを売る。クリスタルがなければ、人間族のいまの社会は成り立たないからねえ……。そして、どの国とも友好を結ぶ。ハロンドールとも、タリオとも、デセオとも、あのほぼ鎖国しているエルニアだってね。だから、どこかの国がクリスタルを独占しようとナタル森林を侵略しようとしても、ほかの国が邪魔をしてくれる。ナタル森林が特定の国に特定の国に侵略されると、その国にクリスタルを独占されて、言いなりにならざるを得なくなるからね。それがエルフ族の安全保障だ」
「子供に教えるように説明するんじゃないわよ。わたしを誰だと思っているの? ケイラ=ハイエルよ──。あんたが生まれる前から、エルフ族の長老と呼ばれているのよ」
「だったら、子供のようなことを言うんじゃないよ。クリスタルが手に入らなくなったら、どの社会も百年以上は社会形態が後退する。だから、もしも、クリスタルの流通をこっちから切ったら、必ず、実力で確保しようとしてくるさ。人間族にとっては、それだけ大事なんだ。戦争になる──」
「だ、か、ら、そういうことは、お兄ちゃんが考えるのよ。わたしたちは、お兄ちゃんの言うとおりにしてればいいのよ。お兄ちゃんが間違ったことを言うわけがないわ。だって、お兄ちゃんなんだから──」
「話にならないね」
「それはこっちの
享子は怒鳴った。
お兄ちゃんは絶対だ。
なにからなにまで、言われたとおりにしていれば間違いないし、お兄ちゃんは本当に頼りになるのだ。
どうして、ラザニエルには、それがわからないのだろう──?
享子は、腹が立ってきた。
「……ところで、キョウ……。ロウから伝言が入ってたよ……。この前のぜりいとかいう菓子はおいしかったってよ……。チョコレートを使った変わった菓子もね……。ほかにも食べたいとか……」
ラザニエルが不意に言った。
お兄ちゃんが享子が送ったお菓子を気に入った?
しかも、また食べたい?
嬉しい。
嬉しい──。
ただ、嬉しい──。
「本当──? だったら、また、作って送ることにするわ。お兄ちゃんも祥ちゃんも、昔からわたしの作るお菓子が好きだったのよね。できあがり次第に送るから、ゲートの準備をしておいてね──」
こうしてはいられない。
まだまだ、お兄ちゃんに食べて欲しいものはある。
なにしろ、前世でお兄ちゃんと死に別れて、ケイラ=ハイエルの意識に混ざってから、長い長い時間が経っている。
そんなにも長い時間、お兄ちゃんと離れていたのだ。
やってあげたいこと、してあげたいこと、とにかく、目白押しだ。
享子はさっそく菓子作りのために、厨房に向かうことにした。
部屋を出るとき、部屋の中に残るラザニエルがほっとしたように溜息をついたような気がした。
*
「ほう……。ロウの暗殺の指示を取り消すのですか?」
テータスは、例の去勢した戦闘奴隷たちを通じて、自分を呼び出したレオナルドに言った。
夜である。
珍しくも、呼び出す場所が例のジーンという娼婦のいる高級娼館ではなく、軍の集まっている軍営内に建てられている指揮官用の建屋だった。
天幕のようなものではなく、しっかりと作られた木製の一軒家だ。
いや、一軒家というよりは屋敷である。
総指揮官のレオナルドの使う個室だけで三部屋あり、ほかに執務室、家人や護衛隊の部屋まであって、さらに周囲を辺境候家の兵が寝泊まりする天幕が囲んでいる。
ただ、兵も護衛も家人も、テータスとは関係はない。テータスはあくまでも、レオナルドに個人的に雇われている者だからだ。
だから、呼び出したとはいえ、レオナルドは周囲の警護を緩めるわけではないし、テータスが護衛などに見咎められれば容赦なく、そいつらはテータスを斬るだろう。
また、テータスもわざわざ警護を緩めてもらうことは必要としない。
つまりは、厳重なレオナルドの周りの警護をかいくぐって、近くに来れなければ、レオナルドから命令を受けることができないということだ。
だからこそ、この化け物のような見た目のテータスに、レオナルドは高い金を払うのだ。
まあ、そういう関係である。
「ああ、そうだ。父の意見が変わったのだ。明日、ロウが来たら軍で囲んで、ロウを処断する。そういうことになった」
レオナルドは嬉しそうだ。
テータスは、その経緯を耳にしていたので、レオナルドから出されていた暗殺指令が取り消されるだろうということは知っていた。
前回のときにもらった白金貨入りの革袋に注意を促す。
命令が取り消されるのは予想がついていたので、入室してテーブルの上の目立たない場所に置いていたものである。
レオナルドは、気がついていなかったので、テータスに視線で合図されて、初めてテーブルの上の革袋に気がつき、驚いたような顔をした。
「そうですか……。しかし、殺せますか? ロウには腕利きの女傑がついていますよ。ガドニエル女王も、恋人に剣を向けられれば、容赦なく、あなた方ごとこの演習場を吹き飛ばすでしょう。彼女にはその力がある。そして、あなた方の剣はロウには届かない」
テータスは笑った。
笑うつもりはなかったが、思わず感情が出てしまったのだ。
感情をさらけ出すなどテータスらしくはないが、ずっとあの地下牢に入り浸って、ピカロとの幸せな愛の時間に浸っている。
ついつい感情が緩んでしまったみたいだ。
レオナルドがむっとした表情になる。
テータスは失敗だったと笑みを隠すとともに、軽い魅了術をレオナルドにかけた。
このプライドだけは高い男がテータスのような“化け物”を諜報として雇うのは、この相手の感情を鎮める術をテータスが持っているからだ。
もともと、レオナルドはテータスを人間扱いをしていないが、こいつの残虐性がテータスに向けられるたびにテータスは、魅了術で感情を動かしているのだ。
操りというほどではないが、怒りや蔑みの感情くらいは小さくすることができる。
いつものとおりに、レオナルドの激怒がすっと小さくなった。
「俺では無理だと言っているのか? エルフ族というのが人間族よりも遙かに魔道に長けた種族なのは確かだが、世に中には魔道を封じる方法というのが幾らもあるのだ。タリオの若造からは、“魔素火粒剤”を大量にもらっている。魔道戦に頼るエルフ族など、それで一網打尽だ」
レオナルドの機嫌が戻る。
“タリオの若造”というのは、おそらく、タリオ大公のアーサーのことだろう。レオナルドは、アーサーと組んで、自分がこの辺境地域の王になる野望を実現するつもりだと思うが、あのアーサーからしてみれば、レオナルドなど歯牙にもかけない小者だろう。
このレオナルドは、知っているだろうか?
自分の軍営がタリオの間者だらけのことを……。
滞陣中に病に倒れたという父親の辺境候のクレオンは、実は、その間者に毒を盛られ続けているだけだということを……。
そして、レオナルドが自分の命同様に大切にしている恋人のジーンは、元々、タリオの女間者だということを……。
まあ、テータスには関係ないので、いちいち教えはしないが……。
また、“魔素火粒剤”というのは、戦場において、魔道遣いの能力を無効化するための特殊な粉剤だ。
確か、同じような効果を持つ昔からの粉剤をさらに戦場で使いやすいように、タリオ公国で再開発されたと耳にする。
タリオの最新鋭の対魔道攻撃用の障害粒子だ。
テータスも存在だけは知っていた。
なるほど、あれかと思った。
それなら、エルフ族の女王でも圧倒できるかも……。
「わかりました。では、身を引きます……。しかし、もしも、失敗したら、そのときには、俺が仕留めましょう。どうしても、ロウには死んでもらわないとならないので」
テータスは言った。
今日は一日中抱いていたが、結局のところ、ピカロはテータスだけの女になるということには承諾しなかった。
ピカロは、あのロウの眷属でもあり、離れるのは無理だと言うのだ。
ただ、一日五回の性交をしてくれるのであれば、喜んでテータスのものにはなると笑った。
あのテータスに向けた笑顔は「本物」だ。
ピカロは、テータスを愛してくれると口にした。しかし、それは、ロウが生きていては無理だということだ。
ピカロがテータスを愛してくれているに関わらずだ。
つまりは、ロウが死ななければ、ピカロは眷属とやらから外れることはできないのだろうと、テータスは解釈した。
だから、ロウは殺す。
そして、ピカロをテータスだけの女にしてしまう。
「まあ、そのときはな」
レオナルドが言った。
「そのときには、あなたの部下を十人ほどお貸しください。ピカロとチャルタをロウに引き渡します。そのときに、ふたりが逃亡しないように囲むのを手伝ってもらいたいのです」
ピカロとチャルタは洗脳はしなかったが、隷属の首輪はしている。逃亡の危険はないのだが、テータスはそれを頼んだ。
実のところ、テータスが考えているのは、いかにして、ロウの目の前まで武器を運んでいくかだ。
テータスの勘が正しければ、ロウの武器は周りを囲む女傑たちだけではなく、相対する者の能力や隠し持つ武器を見抜く、なんらかの“神の眼”ではないかと思う。
ロウについて調査をした限りにおいて、そうではないかと思っている。
そうであれば、ロウを殺すためには、どうやって、ロウに怪しまれることなく、武器を運ぶのかということが問題になる。
レオナルドにつけてもらう者たちは、そのために使うのだ。
「その必要はないが、そのときは頼むか。成功すれば、この報酬はやる」
レオナルドがテーブルに置いたままの白金貨の袋に視線を向けて言った。
テータスは、レオナルドがその一瞬にテータスから目を離したのを狙って、気配を消滅させて部屋の中の闇に姿を消した。
(第100話『辺境侯家の軍営』終わり、第101話『辺境侯家の御曹司』に続く)