【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
天空神に
だから、五人の妻以外に多くの愛人を持っていたとされる。愛人の筆頭が魔族の守り神であるインドラだ。
だが、五人の妻も大切にしていて、夜には必ず妻たちのところに戻り、彼女たちを抱くという。
五人の妻というのは、すなわち、正妻メティス、人間族の女神へラティス、エルフ族の女神アルティス、ドワフ族の女神ミネルバ、多淫にして諸族の女神であるテルメスだ。六人目の妻だった獣人族の女神のモズは入らない。モズは正妻のメティスを嫉妬して殺し、天空界を追放されてしまったからだ。
いずれにしても、夜になると五人の妻の中から、クロノスは女神の全員か、幾人かを抱く。愛された女神は、クロノスの精を受けて光り輝き、それが月になって空に浮かぶのだという。
月のない夜は滅多になく、だから、今夜もクロノスは妻たちを抱いているのだと言われたりする。
今夜の月はひとつだ。
複数妻を抱くのが当たり前のクロノスにしては珍しい。
だが、おかげで陣営からのレオナルドの逃避行を助けてくれている。
「あれは、アルティスの月か?」
レオナルドは、領都に向かう夜道を手引きしてくれているふたりの男に向かって言った。
名前は知らない。
ただ、“黒”と“赤”と呼んでくれということだった。それぞれの髪の色である。
いま、三人が進んでいるのは、辺境候軍の軍営になっている演習場から領都に向かう道だ。ただし、主街道ではなく、その脇街道ともいえる小さな道である。
馬車どころか、荷車はもちろん、馬も進めないと思われるような小さな道であり、滅多に使う者もなくなっているらしく、道は荒れ放題だ。
ほとんど、獣道と見紛うような経路をレオナルドたちは進んでいた。
「あれは、インドラですね。アルティスが単独で輝くことは滅多にありませんし」
“黒”が応じた。
黒と赤がどういう立場の者であるかは告げられなかったが、ふたりがタリオの間者であることは確かだろう。
最終的な目的地が、タリオ公国だと教えたからだ。
地下牢にタリオの間者が現れたことにはびっくりしたが、考えてみれば当然だろう。
タリオ公国のアーサー大公からしてみれば、辺境候軍の総大将の地位を失ったとはいえ、レオナルドの武辺を手放すのは惜しいはずだ。
だから、こうやって助けるのに違いない。
まあ、受けた恩の分は働いてやるつもりではある。
とにかく、このふたりは、レオナルドが収容されていた地下牢に、まるで闇から溶けるように現れ、見事な手並みで見張りを瞬殺して、レオナルドを脱走させてくれたのだ。
地下牢の出入り口ではなく、脱走のための隠し経路も準備されていて、レオナルドはそこから、地上に出ることができた。
そして、演習場内の警備の間隙を縫って、なんとか外に脱走し、いまは領都に向かっているということである。
「そうか。エルフ族がやってきた夜だからな。その夜がひとつ月なのだから、てっきり、アルティスだと思ったが、そうでないのか」
レオナルドは笑った。
しかし、同行のふたりは、なぜ笑うのかわからないという雰囲気で、ただ黙って歩みを進めるだけだった。
しらけられると、レオナルドもどうして面白いと思ったのかわからなくなる。だから、笑うのをやめて、しばらくは黙々と歩いた。
「だが、領都でしばらく隠れるというのはなぜだ? 俺には間違いなく追っ手がかかるぞ。追っ手が追いつく前に遠くに行った方がいいと思うのだがな。お前たちは、馬くらい準備できないのか?」
また、しばらく進んだところで、レオナルドは聞いてみた。前を歩くのが“赤”であり、後ろが“黒”だ。そうやって、三人で縦になって進んでいる。
いまは、やっと藪のような場所を抜けたところだ。
それで、歩きながら話す余裕ができたのだ。
ふと見ると、領都の城壁の灯りが見えてきていた。
「しばらくは、領都の人の海に隠れていただきます。隠れ家も準備をしています。そこで、一箇月か、二箇月……。そこまですごせば、追っ手も解散されましょう。国境を越えるのは、それからがよろしかろうと……」
「それに、レオ様の風体に似せた者を、馬で東に向かって駆けさせております。うまくいけば、そいつが追っ手を引き寄せてくれます」
黒と赤が言った。
「じゃあ、魔道は? 高位魔道使いを雇えば、移動術とかいうもので、瞬時に遠くに行けるのではないか? 実際、エルフ族たちはそうやって、たった一日で遠いモーリア領からここまでやってきたらしいぞ」
「まさか、そんな高位魔道使いをどうやって……。それに、魔道というものは、必ず痕跡が残ります。あなたを追ってくるのは、人間族の軍だけではなく、エルフ族たちもだということをお忘れなく。魔道を遣って逃亡すれば、必ず、エルフ族たちに追われます」
さらに赤が説明する。
レオナルドは声をあげて笑った。
「そういうものか──。わかった。万事、お前らに任せた方がいいようだな。とにかく、俺の要求はただひとつだ。俺の愛人がいる。さっきも言ったがジニーだ。そのジニーを連れて、タリオに向かう。それが俺がお前らに寝返る条件だ」
このふたりが地下牢に現れ、レオナルドの脱走を手引きしようとしたとき、レオナルドが最初にこのふたりに告げたのは、ジニーと一緒に逃げるという言葉だ。
すると、すでに手配をしていたらしく、レオナルドが準備した娼館からジニーを抜けさせ、レオナルドが隠れる予定の領都内の家に移っているという。
レオナルドは、ふたりの仕事の早さに驚いてしまった。
しかも、あのジニーが娼館を出るということを承知したということにもびっくりした。
なにしろ、レオナルドは、ジニーを身請けして、妾として囲おうとずっと思っていたのだ。妾とはいうが、妻をほかに持つ予定はないので、事実上の妻だ。
だが、ジニーはレオナルドとの身分差を気にして、決して身請けには応じなかった。
だから、レオナルドは、ジニーを長期にわたって貸し切りにして、ジニー専用の屋敷を与えて、それを娼館とした。
ジニーは、自分を娼婦と思っているかもしれないが、事実上は、すでにレオナルドに囲われる愛人である。
しかし、今回、あのかたくなだったジニーがあっさりと、娼婦をやめて逃げることを承知したことは意外だった。
「大丈夫です。あの娼婦は、隠れ家となっている家に先行してます。すでに……」
最後まで言わせなかった。
レオナルドは、ジニーを娼婦だと言った“黒”を腕でぶちのめした。
「ふげえっ」
黒が吹っ飛ぶ。
「わっ、なにをするんだ──」
赤が身構えて叫んだ。
「なにをするかじゃねえ──。ジニーは娼婦じゃない。あいつがそう言ったとしても、ジニーを娼婦と言っていいのは、あいつ自身と俺だけだ。誰であろうと、ジニーを娼婦呼ばわりした者はぶちのめす。知らなかったのか──」
レオナルドは怒鳴った。
黒が不満そうだが、殴られた頬を押さえて立ちあがる。
そして、ちょっと、レオナルドを睨むような表情をしていたが、赤に背中をなだめられるような仕草をされると、不承不承という感じで頭をさげた。
「……も、申し訳ありません」
「わかればいい」
レオナルドは言った。
それから、しばらく進むとやっと本街道と合流する場所に出た。
領都近郊の田畑が拡がる場所である。
さらに進むと領都の城壁がすぐ目の前に見える位置まで来た。
領都は、国境を守るための軍城を兼ねているので、城壁も高くしっかりと門も閉ざされている。
ただし、領都の前には、城郭に入ることのできない貧乏人たちが作る集落がある。
いわゆる貧民地帯だ。
城壁内に住むと安全である代わりに、税もかかる。満足に税を払えない者は、ああいった場所に集まって暮らしたりする。禁止はしているが、追い払っても、すぐにいつの間にか戻ってくるので、いまは放っている。
すると、ふたりは、城壁には向かわず、その貧民地帯に入っていく。
「おい、領都に入らないのか? そっちは貧民地帯だぞ」
レオナルドは言った。
「お静かに。この先の一軒家でジニー……殿がお待ちです。番兵に小遣いを渡せば、潜る門を抜けさせてもらえるかもしれませんが、あなたの風体は目立ちます。だから、今夜は城門の中には入りません。十日もすれば、藁を積んだ荷馬車を準備させます。その中にレオナルド様は隠れていただきます。そのとき以降は、もう少しいい場所を準備します」
「俺に荷馬車に乗れというのか。しかも、藁の中だと──」
レオナルドは不満を覚えた。
「どうか、お願いします。ただ、最低十日はこの貧民地帯で過ごしていただきます。人に紛れるのは、むしろ、こっちがいいのです」
赤が立ち止まって頭をさげた。
レオナルドは舌打ちした。
「仕方ないな」
レオナルドは、男たちについて進んだ。
実のところ、城壁の外の貧民地帯に入るのは初めてだ。思ったよりも、しっかりとした作りの建物が多いようだ。
宿らしきものや、酒場まである。
まだ、真夜中という時間でもないので、人通りも多い。
もしかしたら、領都内よりも、こっちの方が賑わってるかもしれないと思った。
レオナルドはフードで顔を隠しているが、そういう格好の者も珍しくない。
しかも、誰もレオナルドたちのことを気にしていない。
なるほど、ここなら人に紛れることも難しくないかもしれないと思った。
「あの辻を曲がったところに家が……」
赤が言った。
その通りに歩くと、木製の一軒家が並ぶ場所があり、その並びの中の一軒の平屋の小さな家に案内された。
赤が戸を合図のように規則的に叩くと、内側から戸が開かれた。
出てきたのは、ジニーだ。
いつもの娼婦のような格好ではなく、どこにでもいるような町娘の格好をしていた。
扉を開いてレオナルドの姿を確信すると、ほっとしたように破顔して、レオナルドの首にしがみついてきた。
「おっと、話は中で……。レオ様、どうか中に……。ジニーさん……ジニー殿も……」
赤が促して、全員で家の中に入る。
家だといっても、入口があり、すぐに広間のような場所になった。なぜか、その部屋の隅には寝台がある。しかし部屋の反対側には、テーブルと椅子もある。
奥には厨房のような場所が見えていたがとても狭い。
レオナルドは、ここがどういう場所かわからず困惑した。
「ここは寝室か? それとも居間か?」
レオナルドは首を傾げた。
すると、ジニーがレオナルドの当惑を見抜いたようにくすくすと笑った。
「レオ様、この辺りの界隈は大抵こういった感じです。寝室も、居間も、子供部屋も、夫婦の部屋も全部一緒なんです。家族で一部屋ですね。二部屋もあれば、かなり上等な家になります」
「驚いた。だったら、夫婦の営みのときはどうするのだ? 貧乏人というのは家族の前でするのか?」
「どうしても部屋を割りたいときには衝立を使います……。それよりも、どうぞ、こちらに……。料理など久しぶりですが、温かいものを準備しておきました」
そして、レオナルドを誘導して、テーブルの前の椅子に誘導する。
赤と黒がついてきて、ふたりの前に立つ。
「……それでは俺たちはこれで……。ジニー殿、食料がなくなる頃にまた来ます。合図はさっきの通りで。それ以外は絶対に開けないように……。レオ様については絶対に外には出ないでください。どうしても、外に出る必要があれば、ジニー殿に言いつけてください。俺たちの連絡方法もジニー殿に伝えています」
喋ったのは“赤”だ。
“黒”は一歩引いた感じで立っている。さっき殴ったところが、灯りの下で見ると、少し腫れていた。
「わかった。頼むぞ」
「はい」
ふたりが出て行った。
レオナルドは、すぐにジニーを抱き寄せた。
「あっ、レオ様、食事を……」
「後だ──。だが、よく決心してくれた。嬉しいぞ。何度口説いても、娼館から出ることを承知しなかったお前が、俺と一緒に逃げることを選んでくれるとはな」
ジニーを身体の前に抱えあげる。
そのまま寝台まで連れていき横たわらせる。
「庶民の暮らしも悪くないな。食事の場所から、寝台に着くまでに数歩でいい。浴室は別の部屋か?」
「浴室などというものはありません。裏に小さな庭があり、そこに井戸があるので、そこで身体を洗います。厠も庭の隅に覆いがあって、そこで用を足します」
「なんと──。身体を洗うのも、厠も外の庭だと──。あいつら、手を抜いて、俺とジニーをそんな場所に連れてきたのか──。もうひとりの赤毛も殴っておけばよかった」
「まあ、こんないい場所はありませんよ。庭に井戸があるんですから。このおかげで、外を出歩くのが最小限ですみます。それよりも、お怪我はないのですか? 戦をされたのでしょう。地下牢にも捕らわれたとお聞きしたのですが」
「おい、戦もしたがな。惨敗だった。多くの兵を死なせて、怪我をさせた。それで、父上に捕縛されて、おそらく処刑されるはずだった。だが、こうやって、助けてくれる者もいたようだ。しかも、ジニーとも再会できた」
「処刑などと……。恐ろしい」
レオナルドの下で仰向けになっているジニーが身体を震わせた。
「まあ、下手を打ったからな。俺も
だが、ジニーは首を横に振った。
「もしも、レオ様が将軍におなりになりましたら、このジニーはまた娼婦に戻ります。でも、レオ様が何者でもおなりではないあいだは、一生懸命にお世話します。それでお許しください」
「驚いたな──。ジニーを妻にするには、将軍になってはならんのか。だったら、別にどうでもいい。このまま、なんでもないレオでいてもいいぞ」
「だったら、ジニーはいつまでも、レオ様のおそばにおります。でも、レオ様は立派なお方。きっと、いつかは世に戻ると思います。どうか、そのときは、ジニーのことはお見捨てください」
「うーん、強情だなあ……。これは困った──。まあいい。話は後だ」
レオナルドは笑いながら、ジニーの服に手をかけた。
だが、脱がせ方がわからない。
この二年、ジニーしか抱かなかったから、普通の女の服など触ったことすらない。
その前も、レオナルドが相手をしたことがある女は娼婦のみだ。二回と同じ女を抱いたこともないが、娼婦が身につけているものなど、紐を解けば全裸になるか、最初から裸かだ。どの娼婦もまったく同じである。
「レオ様、あなたの唾を飲ませてください。そして、わたしの唾も……。そうしていただければ、ちゃんと自分で服を脱ぎます。それで、いつものように、わたしを辱めてください。縄も手枷も、あの娼館にあって持ってこれそうなものは運んできました。寝台の下です」
「自分で自分が拘束されるものを運んできたか。なんという破廉恥な女だ。これは懲らしめねばならんな。肉人形のくせに生意気だ」
「はい。生意気な肉人形です……。だから、どうか、レオの唾液をください」
ジニーがくすくすと笑った。
また、この女がレオナルドのことを“レオ”と呼び捨てにするときには、淫欲に襲われたときだ。
ジニーは閨で興奮すると、レオナルドのことを呼び捨てにする。本当はいつでも呼び捨てにしていいのだが、普段はしない。
ジニーの中にある頑なな壁が壊れるのは、閨の営みのときだけなのだ。
「いや、唾液はやろう。しかし、服の脱がせ方くらいは教えてくれ。お前の夫になれるのは、なんでもないレオのあいだだけなのであれば、このままなんでもないレオでいよう。だったら、多少はなんでもできないとな」
レオナルドは言った。
身体の下のジニーの目が大きく見開いた。
「まあ、あのおふたりは、レオ様をどこかに連れていきたくて、助けようとしているのでは? きっと、なんでもないレオ様であることは許されませんわ」
「どうして、あいつらの許しを得る必要がある。あいつらは勝手に俺を助けただけだ。恩義はあるが、恩義の返し方は俺が決める。どうしようと俺の勝手だ。俺の望みは惚れたお前の夫になることだ」
「困りましたねえ」
「困らん──」
レオナルドはジニーの唇に口を押しつけた。
すぐに、ジニーの舌がレオナルドの口の中に押し込まれてきた。
唾液が流れ込んでくる。
いつも飲むジニーの唾液だが、今夜は違った味がする気がした。
すると、不意にジニーの身体に力が入り、レオナルドの身体を押しどけた。
今度はジニーの顔がレオナルドよりも上になっている。レオナルドが押し避けられた格好のまま、寝台で仰向けになっているからだ。
ジニーは笑っている。
レオナルドは、ジニーをもう一度抱き寄せようとして、身体に全く力が入らないことに気がついた。
「な、なんだ、なにをやった、ジニー ──」
レオナルドは当惑して声をあげた。
すると、もう一度、ジニーが上から身体を屈めて、唇を重ねてきた。今度もジニーから舌を入れてきて、唾液を注がれる。
やはり、味がする……。
そうか……。唾液か……。
「毒か……。唾に毒を……?」
レオナルドは悟った。
毒を飲まされたのだ。
唾液の毒を……?
「そうね。もはや、吐いても無駄よ、レオ。あなたは死ぬわ。あなたに生きていられると困るのよ。生きているとなんでも喋るでしょう? あなたが誰にそそのかされて、女王を襲ったのかとか……」
ジニーは寝台の上に正座で座っていて、すぐレオナルドの横だ。
レオナルドはジニーを抱き寄せようと思ったが、手が動かなかった。
足もだ。
わずかに首を動かせるだけか……。
しかも、それももうすぐ、動かなくなる気がする。
「そうか……。お前も諜者だったのか……。だが、お前は大丈夫なのか? 唾液に毒を混ぜても……」
「わたしは大丈夫よ。中和剤を飲んでいるし、幼い頃から大抵の毒には耐性を作っている。だけど、あなたは無駄よ。ここには中和剤もないし、毒はすでに全身に回っている。あなたは死ぬわ」
「そうか……。死ぬか……。だが、お前は生きるのだな……」
結局、死ぬのか……。
囚人として処刑されるのかと思っていたが、どうやら、諜者に騙されて殺されるというのが、レオナルドの死に様だったようだ。
「哀れね、レオ。あなたに同情するわ。あなたはお馬鹿だったけど、ジニーという娼婦には優しかった。あなたのような大領主の御曹司が、一介の娼婦に惚れるなんて冗談かと思ったけど、あなたが本気でジニーに惚れてくれたのはずっと感じていた。だから、残念よ。もっと、賢ければ長生きできたでしょうに……」
「どうかな……。やっと悟ったが、どうやら、俺はとんでもない愚か者だったようだ。実は自分ではもっと賢いと思っていたんだがな」
レオナルドはジニーに微笑みかけた。
すると、ジニーが当惑した顔になる。
「な、なんで、笑っているのよ──。わ、わたしはあんたを裏切ったのよ。あんたの心を利用して、惚れさせて──。そして、用済みになったと思ったから殺した。もっと憎みなさい。罵りなさいよ──。身体は動かないだろうけど、息がとまるまではちょっとあるはずよ──」
なぜか、ジニーが悲しそうな顔になっている。
レオナルドはそれが面白かった。
結構、表情も性格も豊かなのだと思った。だったら、もっと早く、こういう一面を知ればよかった……。
「罵らん……。負けて死ぬのは仕方がない……。それに、お前は惚れた女だ。その女に殺されるなら……、まあ、悪くない」
レオナルドは言った。
いつに間にか、あまり声がでなくなってきた。
いまも、普通に喋ったつもりだったが、出てきたのはささやくような小声だ。
「女に殺されて悪くないって……。やっぱりばかだね、あんたは。だから、娼婦なんかに本気で惚れるんだよ……」
「娼婦に……惚れたんじゃない……。生涯に……一度の恋と……決めた……女が……娼婦だった……だけだ……。それが……間者でも……同じだ……。い、一度……惚れた女を……俺は……嫌いには……ならん。お前が……俺を騙したとしても……」
眠い──。
急に眠くなってきた。
これが死なのだと思った。
死とは、眠りと同じなのだな……。
レオナルドは思った。
*
指笛を二度吹くと、部下が家に入ってきた。
ふたりでひとつの棺桶を担いでいる。
「終わりましたか、姉御?」
いま使っている部下は、たまたまふたりとも、“ジョニー”という名なので、それぞれの髪の毛をとり、ジニーは“ジョニー
最初に話しかけてきたのは、“ジョニー赤”の方だ。
「思ったよりも大人しく死んでいったよ。もっと騒がしく死ぬのかと思ったけど、なんか穏やかそうに死んていって……。ちょっとびっくりだね。ところで、そっちはいいのが見つかったかい?」
「ちょうどいいところに、行き倒れの若い娘の死骸がありましてね。おかげで無益な殺生をしなくてすみました」
ジョニー黒だ。
ジニーは苦笑した。
「いまさら、無益な殺生を気にするのかい。お互いに罪深いことを重ねてきたろうに……。まあいい。出しな……。あっ、いや、寝台じゃない。まずは、床に布を敷いて、その上に横にするんだ。好いた恋人同士が覚悟の上で心中するんだから、身体くらいは綺麗に洗ってから毒を仰ぐだろうし、死化粧もしなくっちゃ。とりあえず、横にして裸にしな──。身体を拭いたら、わたしの服を着せるんだ」
ジニーは指示をしてから、その場で自分の服を脱いでいく。これを娘の死体に着せるのだ。夕方のうちに、この服装で近くをうろうろしている。同じ服の女が家で死ねば、同じ女と思うはずだ。
ふたりに指示したのは、ジニーの姿に似ている適当な若い娘の死体を捜してくることだ。
うまい具合に見つからないときには──まあ、大抵は見つからないのだが──そのときには、手頃な者を見つけて死骸に変える。今日はうまく、最初から死体のものが見つかったらしいが……。
「わっ、あ、姉御、ちょ、ちょっと、下着は隅っこででも、脱いだ方が……」
次々に服を脱いでいると、“ジョニー赤”と一緒に棺桶から若い娘の死体を床に置こうとしていた“ジョニー黒”が驚いたように言った。
ジニーはすでに、腰の下着に手をかけて膝までさげていたが、その格好で、思わず吹き出してしまった。
「女の裸も見たことのない、童貞かい──。いいから、さっさとしな。化粧はわたしがするから、身体はきれいに水で拭きあげるんだよ」
ジニーは怒鳴った。
そして、下着を脱いだ服の上に置いて、部屋を横切って、隠していた着替えを取りに行く。
その場で身につける。
準備していたのは、どこにでもいるような女冒険者の服だ。
辺境候領への潜入任務が終わったわけじゃないので、この土地から去るわけじゃないが、一度、ジニーという娼婦には死なせることにした。
惚れ合ったマルエダ家の嫡男のレオナルドと心中というかたちでだ。
地下牢から逃げ出したレオナルドが、ずっと惚れていた娼婦のところに落ち延び、そして、一緒に死ぬ──。
まあ、いかにもありそうな話であり、疑う者もないだろう。
辺境候家の嫡男というのは、情報をとるのも、言葉でうまく操るのもいい相手だったが、どうせ、この男は処刑されるだろうし、もう使いものにはならない。
それよりも、タリオの間者と接していたということをべらべらと喋ったという情報もあり、やっぱり死なせることにした。
見つけてきた行き倒れの娘の死体は、ジニーの代わりだ。
ジニーについては、しばらくは、流れてきた女冒険者として、この界隈に住み着き、また、新しい情報入手先を探すことになる。
「身体を拭くのと着替えは半ノスだ。それ以上も時間もかけないし、それくらいの時間はかけて熱心にやりな」
着替え終わったジニーは、ふたりに声をかけてから、荷から隠していた酒瓶を出して、テーブルにつく。
瓶のまま口に入れる。
「おっ、姉御、仕事の途中で酒なんて珍しいですねえ。やっぱり、二年も情婦としてすごしたんだ。情も移りましたか?」
ジョニー赤が娘の身体を水布で拭きながら軽口を言った。
「ぬかすんじゃないよ──。まあ、否定はしないけどね……。これでも女だからね。面と向かって惚れたとか言われれば、ちょっとは心も傾くよ……。まあ、別れの酒さ。せめてもね……。多分二度と会わない。あたしが死んでも、あたしは地獄。あの人は天空さ」
ジニーはぐびぐびと酒を飲んだ。
「あっ、俺──。俺、姉御に惚れてます。真剣です──。行き先が地獄でも問題ありません。一緒に行きます――」
すると、“ジョニー黒”が急に顔をあげて言った。
ジニーは吹き出した。
「あたしは童貞は願い下げだよ。せめて、童貞を失ってきな」
「お、俺は童貞じゃないっすよ」
“ジョニー黒”が不満そうに言った。
ジニーも“ジョニー赤”も大笑いしてしまった。
(第10話『辺境候軍の総帥』終わり、第11話『辺境候軍の暗殺者』に続く」)