【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
屋敷が揺れ続けている。
そして、轟音のような怒声が屋敷の周りから鳴り響いている。
イライジャは、屋敷の屋根を壊して作っている
横にはミウとユイナがいる。
とにかく、大変な状況だ。
大勢の農民の暴徒が屋敷の壁を壊し、あるいは、扉や窓を蹴破ろうとして群がっているのだ。
だが、屋敷の外側部分には、ミウの張った防護結界があるし、壁に魔道紋を刻み込んで魔石を埋め込むことで、とんでもなく強固な砦ができあがっている。
簡単には入ってくることはできないはずだ。
もっとも、昨日、外壁を破壊されたときのように、大量の火薬を仕掛けられるまですれば、ユイナもミウももたないとは、言っている。
しかし、東側の賊徒の正規軍は、いまのところ、この里から街道を下りる山道を後方側で塞ぐように陣を整然と構えたまま動かない。
「わっ」
声をあげたのは、櫓の床にしゃがみ込んでいるユイナだ。
ユイナが声を出したのは、櫓の横を石が通り過ぎて、屋根を弾いて音を立てたからだ。防護結界は櫓だけにかかっているので、当たらない方向の石はそのまま通り過ぎてしまう。
「うわっ、また来た──」
ユイナが悲鳴をあげる。
確かに数個の石が今度は真っ直ぐに櫓に向かっている。
「大丈夫よ……」
イライジャは言った。
石は、見えない壁に当たったように、途中で下向きに方向を変えて屋根に落ちてしまう。
最初は恐怖が襲ったが、ミウの防護結界のおかげで、櫓には石が届かないとわかると次第に気にならないようになった。
「屋敷に戻れたのは、十五人よ」
櫓にあがってきたのは、シャーラだ。
イライジャは一瞥した。
近衛軍の軍装はぼろぼろであちこちが破れているし、たくさんの血糊を浴びている。
凄まじい格好だ。
しかし、大きな負傷はなさそうだ。
ミウに比べれば、天地の違いほどに能力が違うが、シャーラも最小限の治療術は遣える。自分で止血をしたのかもしれない。
「あたしが……」
ミウが梯子をおりようとした。
だが、それをユイナが留めた。
「放っておきなさい。あんな連中」
ユイナが吐き捨てた。
夜のあいだに、もしかして人質のように使えるかもしれなかった侯爵夫人を連れ出して、まとまって逃亡していった王軍たちのことを、ユイナは呆れているし、怒っている。
だから、辛辣だ。
まあ、イライジャも同じ気持ちだが……。
「でも……」
ミウが躊躇した感じになり、ちらりとイライジャに視線を向ける。
彼女の治療術はすごい。
十五人程度の治療など、あっという間だ。ミウの治療が終われば、すぐに彼らは再び戦える状態になる。
そもそも、瀕死に近い重傷を負った者を完全に治療するのは、かなりの魔力を駆使する大魔道のはずだが、それを何十人も続けて行い、本人はけろりとしているのだ。
しかも、治療時間も短く、ひとりにかかる時間も瞬時に近い。
本当に、最高級の実力を持つ
だが、考えてみれば、ナタル森林への旅が始まるまでは、ミウは魔道の不安定な新米魔道遣いでしかなかった。それをここまでの魔道遣いにまで能力を上昇させたのは、間違いなく、ロウの不思議な力だだろう。
まあ、そのロウの不思議な力で本来の実力以上の能力を覚醒しているのは、イライジャ自身も同じかもしれないが……。
こうやって、自分が戦の指揮ができるなどということは、我ながら信じられない。だが、やってみれば知恵も頭に浮かぶ。なにを切り捨て、なにを優先しなければならないのかということも、大きく迷うことなく決断できる。
「放っておきなさい、ミウ。それよりも、あれだして。そろそろ来るわ」
イライジャは言った。
「あっ、はい」
ミウが物見櫓の手すりの上に、亜空間に収納してもらっていた
二箇所……。
いや、三箇所か……。
縄のついた金具がかけられて、そこから人がのぼって来ようとしているのがわかる。または、長い立て材だ。梯子もある。どこからか持ってきたのだろう。
そこから、屋根越しにこっちに来ようとしているのだ。
大勢の集団が屋敷のあちこちで屋敷への入り口を作ろうを努力しているが、魔道で固めた壁や扉や窓を壊すことができないのだ。
だったら、すぐに、すでに開放されている屋根にあがってくるとは予想していた。
「イライジャさん──」
「イライジャ──」
イットとマーズだ。
ふたりは、外にいた者たちを屋敷内に収容すること手伝ってもらったが、まだ本格的な戦闘はしていない。
無傷である。
「ミウから油樽を受け取って、どんどんと投げて──」
イライジャはそう怒鳴ると、支えていた木樽──中身は油だが、それの蓋を開けて、屋根に上がってきた最初の暴徒に向かって転がす。
「ぐあっ」
そいつがまともに油樽に当たり、後続の者をまき込んで屋根から落ちる。
「こっちも貸してくれ、ミウ」
「わたしにもよ」
「わたしもやろう」
マーズ、ユイナ、次いで、シャーラが手を出す。イットもだ。
みんなで次々に、のぼってくる農民たちに向かって、油樽を転がして屋根から落としていく。
油は、栓を抜いてから投げるので、すぐに屋根は油まみれになる。壁の横もだ。
暴徒たちが争うように、屋根に上がっては進んでこようとするが、ひとりも近づけないでいる。
ここまで辿り着いたところで防護結界があるので、櫓から内側には入り込めないとは思うが、傾いている屋根がぬるぬるになり、面白いように暴徒たちが滑り落ちていってしまう。
たまに棒や石、刃物ようなものを投げられたりするが、やはり、結界は阻まれてここまで届かない。
「すごいわねえ……。亜空間術で幾つの樽を入れているの?」
シャーラが樽を落としながらミウに訊ねたのが聞こえた。
「五十です。もう残り、十五樽ほどです」
ミウが次の樽を出しながら応じた。
「五十樽? 本当にすごいわねえ。そんなことができる魔道師は、王宮にもひとりもいないわよ」
シャーラが呆れたように言った。亜空間術の容積は魔道遣いとしての実力に比例する。
そもそも、収納術自体が最高級の魔道のひとつだが、ミウの魔道の収納能力が大きいということは、それだけミウの実力が桁違いだということだ。
その会話のあいだも、どんどんと樽を落とていく。大勢があがってこようとしているが、誰も近づけない。
そして、屋根はもちろん、屋敷周りがもはや油まみれだ。
「そうですか? スクルド様やガド様は、その十倍……、いえ、もっと多いと思います」
「あんなガドたちみたいなお化け連中と比べちゃ駄目よ。まあ、常識人からすれば、あんたも十分に魔道ばかだけどね」
ユイナが樽を転がしながら笑った。
「ガド……って、もしかして、ガドニエル女王陛下のこと? そんな風に呼んでるの?」
シャーラがちょっと驚いている。
「ミウ、あと樽は幾つ?」
イライジャは叫んだ。
「残り七です」
「わかった。屋根はもういい。マーズ、残りを四方の庭にぶん投げて、油を拡げて。ほかの者は、櫓の穴を塞ぐわよ」
イライジャは樽を屋根に転がすのをやめさせた。
ミウが櫓の床に樽を積み重ねて出現させる。
マーズはそれを両手で頭上にあげて、大きく投げ飛ばす。暴徒たちに満ち溢れている屋敷の庭に落ちて、暴徒をまき込みながら樽が壊れて油が飛び散っていく。
一方でイライジャは、ほかの者と協力して、櫓のために穴を開けている屋根を準備した板で塞ぐ準備をする。
まあ、準備とはいっても、今朝までに櫓の側面は板状の石を持ってきて塞いだので、梯子を外して、それが出ていた場所に石板の蓋をするだけだが……。
「最後です──」
マーズが大声をあげて、最後の樽を放る。
イライジャは、自分以外の全員を階下の広間に降ろした。
そして、自分もおりる前に、改めて怒声をあげて屋敷に群がってる暴徒の群衆を見て微笑んだ。
「熱い贈り物をあげるわね……」
空に向かって小さな火の玉を四方に八個ほど飛ばして宙にあげる。
イライジャも魔道遣いの端くれだ。
ミウの豪華な魔道に比べれば、お粗末なほどの小さな火の玉だが、いまはそれで十分だ。
ふわふわとその火玉が屋敷の屋根やその周りに落ちていく。
屋敷が火炎に包まれても、ミウの結界魔道に囲まれているこの屋敷は、炎で焼かれるということはない。
しかし、油まみれになった暴徒たちについては、そうはいかないだろう。
落下してくる火の玉に気がつき、幾人かの暴徒が声をあげた。それはざわめきに変わり、そして、全体の悲鳴に変化した。
そのあいだも、ゆっくりと火の玉が落ちてくる。そうなるように魔道をかけたのだ。
一部の暴徒がやっと屋敷から離れようとする。
しかし、後ろをぎっしりと阻まれているので、逃げられない。離れようとする者たちと、前に進もうとする者たちで混乱が起きたのが見えた。
「ぼやぼやしていると、全員焼け死ぬわよ──」
イライジャは、ひと声叫んでから、下から梯子をずらし落としてもらいながら、梯子を通していた穴を石蓋で隠す。
櫓部分は二重結界になっているが、念のためだ。
暴風が屋敷をぐらぐらと揺らすような衝撃とともに、一気に屋敷内が暑くなる。
屋敷の屋根と壁周りに火がついたのだ。
イライジャは、梯子を支えていたマーズに、梯子ごと抱えてもらい床に落りた。
血の匂いがした。
最初に外ので戦っていた王兵の者たちが、傷だらけで床で座ったり、横になったりしている。
ミウが端から治療術をかけていっている。
「イライジャ、話がある──」
そのとき、イザベラが寄ってきた。
三人の侍女も一緒だ。
イザベラは、なぜか怒ったような顔をしている。そして、なにかを覚悟したような決死の表情だ。
「なにか?」
屋敷の中にもごうごうと壁が燃えている音が聞こえている。なにかが弾けるような音と風が唸るような音もだ。
それが厚い壁を通じて、ここまで聞こえている。
「お前が最初に言った策だ──。あれをせよ」
「あれ?」
イライジャは、一瞬なんのことかわからなかった。
次いで、もしかしたら、全員が一丸となって、囲みの外に逃げるという策のことを言っているのだろうかと頭に浮かんだ。
だが、あれは、このイザベラがこの屋敷から離れられないことで、選べない選択になったはずだが。
そのときだった。
部屋に不意に狂ったような笑い声が響いた。
「けけけけ、だめえええ、王女様はどこにも行かせないい。このスカンダちゃんからは逃げられないよおお」
あのスカンダとかいう童女妖魔だ。
天井に浮かんでいる。
「いまよ、ミウ──。捕らえて──」
シャーラが叫んだ。
「はいっ」
ミウの腕から光線のようなものが飛ぶ。
しかし、それが当たる前にスカンダの姿は宙に溶けてなくなり、狂った笑い声だけが残って、やがて、それがなくなる。
「駄目でした……。すみません」
ミウが意気消沈している。
「謝ることはないわ。あれは幻影よ。あんたの魔道が当たったところで、捕らえられはしないわよ。多分、本体は亜空間にいて、幻影の姿だけをこっちに転送したのよ」
ユイナが言った。
高度な鑑定術の扱えるユイナの言葉だ。そのとおりなのだろう。また、それだけの高等技術を持った妖魔なのだとすれば、彼女に呪術を掛けられている限り、逃亡はできないというのは確かなのに違いない。
「イライジャ、ここを脱出せよ。全員が塊になって逃げるのだ。このままでは、全員がここで死ぬ。ここに残るのはわたしだけだ──」
すると、イザベラが言った。
「はあ?」
思わず、無礼な物言いで問い返してしまったが、これは仕方がないだろう。
なにを言っているのだ。
「いいから逃げるのだ。これ以上はもたん。いまは炎が包んでいるが、すぐに火は小さくなるのであろう? さすれば、再び襲ってくる──。もう油樽はないのではないか?」
「それはそうかもしれませんが、だから、姫様を置いていけと?」
イライジャは嘆息した。
そんなことを負傷した兵の前で言ってしまうのが、まだ彼女の施政者としての幼さかもしれない。
絶望的な顔で沈み込んでいた王兵たちが、少し期待するようにじっとこっちを見守っているのがわかる。
彼らもまた、このままではやがて追い詰められて殺されるだけだと思っているのだろう。
だから、逃げるという手段があるなら、それにすがりたくなってくる。そんな表情になっている。
しかし、いまの状況では、それは悪手だ。
すでに存在していないような彼らの戦意だったが、ここで逃げることを仄めかしてしまったら、もう彼らは命をかけようとしないだろう。
「姫様──」
シャーラがたしなめるように口を挟む。
「いや、これは命令だ──。わたしのために離脱をするという選択肢が使えんのなら、わたしはもういい。それに、もしも、里の外に離脱できれば、シャーラもミウも移動術を使えるのではないか? わたしは賊徒に捕らわれよう。外に逃げられたなら、改めてわたしを助ける手段を考えてくれ」
イザベラは言った。
イライジャは首を横に振った。
「あの暴徒たちは、姫様を捕らえたりはしませんよ……。暴行をして陵辱し、そして、殺すだけです」
「それでもいい──。このままでは……」
「お黙りください──」
イライジャは怒鳴った。
イザベラがたじろいだ感じになり、口を閉じる。
「この重包囲下で脱出が可能だったのは、数百人の味方の人数がいたときのことです。もう、これだけしかいないのです。逃げれません。あたしたちにできるのは、援軍が来るまで、遮二無二戦い続けることだけです」
イライジャは、断言した。
もしも、可能だとしても、イザベラを残して逃亡するなど、取り得る手段ではない。
「援軍は来んぞ──。リー=ハックは裏切っているのだ──」
イザベラが大声をあげた。
まったく、この姫様は……。
「リー=ハック将軍のことなど申しておりません──」
イライジャも怒鳴り返す。
束の間、広間がしんとなる。
「……火の音が小さくなってきました……」
沈黙を破ったのは、マーズだ。
確かに、ごうごうと音が屋敷の中まで鳴り響いていたのに、いつの間にか音が小さくなっている。
もう火が収まったのか?
ならば、また暴徒の襲撃が再開する──。
「マーズ、櫓を戻して──。確認するわ──」
イライジャは指示した。
「こっちから、櫓への石蓋を弾きます。炎が入ってきても、風で跳ね返します」
ミウの魔道が飛び、石の蓋が外に向かって跳ね飛ばされた。
その瞬間、煙と煤がその穴から大量に侵入してきた。だが、すぐにミウの風魔道がそれを外に吹き飛ばす。
イライジャは、マーズに梯子をかけさせて、櫓にあがろうとした。
炎の熱は小さい。
火は消えているみたいだ。
イライジャの想定していた時間よりも、ずっと短い。
「水……? えっ、雨──?」
梯子を登りかけて、顔に当たってきたたくさんの水滴にイライジャは驚いた。
豪雨といえるような雨が降り注いでいた。
しかし、油を撒き散らしているあいだは、そんな兆候はなかった。びっくりして櫓に通じる穴から空を見上げるが、青空が見える。
しかし、凄まじいほどの雨が降り注いでいて、あっという間に穴の下の広間の床が水浸しになる。
すると、今度は、広間側から、なにかが小さく爆発するような音が鳴ったと思った。
「ふんぎゅうっ、な、なんだああ? なによおおっ」
振り返ると、スカンダが勢いよく天井方向から落ちてきて、床に転がっていた。全身を網のようなものに包まれていて、ぐるぐるまきにされている。
網の中でもがいているが、手も足も強引に折りたたまれていており、そのまま転がされているので、衣類もだんだんと乱れて、こっちから見ていると、陰部まで剥き出しになっていた。
それはともかく、なにが起きたのだ。
あんなに捕まらなかった、スカンダが無抵抗で捕らわれたように見えるが……?
「この性悪魔族め──。ご主人様に言われて、ひと足先に乗り込んできたら、なんか悪さしていたみたいだから、ご主人様譲りの粘性体の網で掴まえて、妖力も封印したけど、こいつなにさ? 変な毒の匂いがするよ」
突然に出現したのは、小さな身体で薄物だけを身につけている魔妖精である──。
ロウがしもべにしている魔妖精のクグルスだ──。
「クグルスちゃん──」
「クグルスさん──」
「えっ、クグルス──?」
ミウ、マーズ、そして、ユイナが驚愕の声をあげる。
ほかの者も、目を丸くして宙に浮かぶクグルスに注目している。
「やっほおっ、クグルスだよ──。お前たち、相変わらず“えっち”か? ご主人様はすぐそばまで来ているぞ──。しっかり、股を準備して待つんだ──。まあ、その前に、生き延びることだけどな」
クグルスがくるくると宙を舞いながら、けらけらと笑った。
(第19話『追い詰められる女傑たち』終わり、
第20話『クロノスの逆襲』に続く)