【2025.9.5コミック発売】異世界で淫魔師ハレム【完結】 作:ドン・ドナシアン
燃えあがる建物の中に、躊躇することなくドピィは飛び込んだ。
炎と煙で充満している建物の中には、瀕死の状態のシャロンが横たわっているのだ。
一緒に生きていくことができないのであれば、ドピィはともに死ぬと決めている。
シャロンの身体とともに、このまま火炎の中で死ぬと定めた。
「シャロン──」
もうもうとしている煙の中によって視界は遮られているが、辛うじて寝台に横たわっているシャロンの姿を見つけることができた。
幸いにして、まだ炎は寝台には燃え移ってはいなかったが、すぐそばまで炎は迫っていた。
シャロンのいる寝台に火がつくのは、時間の問題だろう。
「ちっ」
そのとき、目の前に火のついた天井が音を立てて落下してきた。
とっさにドピィは身体を避けたが、肩に大きな梁の一部がぶつかってしまい激痛が走る。
気がつくと、床に倒れていた。
おそらく、一瞬だろう。
目の前にあった火のついた瓦礫を蹴り飛ばして、シャロンに向かう。
「シャロン──。シャロン──、シャロン──」
すでに寝台の周りは炎に包まれている。
確かめるまでもなく、布を頭まで被ったシャロンが息をしていないのは明白だ。
「シャロン、すまない──。ここまでだ──。ここまでだった。お前のためだけに死力を尽くした十年間だった──。だが、ここまでだった。許せ──。せめて、ここで死のう──」
腰にさげていた剣を抜く。
それで自分の喉を斬り割くつもりだ。
死ぬときには、シャロンの隣でと決めていたので、シャロンを覆っていた布を剥ぐ。
「なに?」
目を疑った。
そこに横たわっていた死体は、シャロンが身につけていた寝着を身につけていて、髪の色も同じだったが、全くの別人だ。
いや、これは確か、ドピィがシャロンの命を繋げるために、隷属させて侍らせていた三人の低位魔道遣いの女のひとりだ。
外に倒れていた者たちと同様に、喉をひと掻きに切断されて殺されていた。
なぜ──?
瀕死の状態で横たわっているはずのシャロンがなぜ、ここにいない?
しかも、どうして、そばにいた女魔道遣いと入れ替わっている?
だが、考える暇はない。
どこからか投げナイフがドピィに向かって飛んできたのだ。
同時に三本ほど飛んできて、二本までは避けたが、一本は横腹に深々と刺さってしまった。
すぐに引き抜いたが、視界がぐらりと揺れた。
毒か……。
しかし、すぐに視界は戻る。
ドピィは考えられる限りの毒については、身体に耐性を作っているのだ。それもこの十年のあいだにやったことだ。
だが、余程に強力な毒なのか、身体の怠さは残っている。
「くそおっ、シャロンはどこだああ──」
絶叫して、寝台を飛び降りる。
瀕死だったシャロンが動けるわけがない。
つまりは、この建物にいた女や外にいた警護兵を殺して火をつけた者が、シャロンと横にいた女術士の身体を入れ替えたに違いない。
煙と炎の中から、外に出る出口を見つける。
駆けた。
また、ナイフが飛んできたので、それは剣で払う。
外に出た。
向かってきた気配に向かって、とっさに剣を払った。
きんという音がして、ドピィを襲っていた者がすぐに距離をとる。
攻撃してきたのは、小柄なひとりの女だった。可愛らしい顔をした若い娘だ。
片手に短剣を握っている。
また、もう一方の手にはさっきドピィが受けた投げナイフがあり、同じ物を数本、腰にさげている。
燃えさかっていた建物の中でドピィを襲ったのは、こいつだろう。
そうであるなら、シャロンの身体を隠したのも、この女なのは間違いない。
「へえ……。毒を受けても、それだけ動けるのは意外ね。あれで仕留めるつもりだったけどね」
女が不敵に微笑みながら、投げナイフを地面に落とす。
だが、次の瞬間には、腰の後ろからもう一本の短剣を握っていた。
「両手剣のアサシンか?」
ドピィは用心深く剣を構えながら言った。
同時に周囲を観察する。
いた──。
シャロンだ。
口に猿ぐつわをされ、両手を後手に縛られ、明らかに十歳くらいの童女だと思う娘から地面に押さえつけられているが、驚いたことに、瀕死の状態から回復して、ドピィの姿を認めて、大きな泣き声のような悲鳴をあげた。
なぜ、生きている?
ついさっきまで死にかけていたのに……。
シャロンの命を救うことができる白魔道遣いを探して、ロウのところから童女魔道遣いをさらわせ、結局、失敗したのに……。
そう考えて、ドピィもはっとした。
シャロンを押さえつけているのは、もしかして、さらわせた童女魔道遣いだというミウか?
ドピィは、誘拐を命じたものの、急いで隷属させろと、拷問師に任せたため、実際には、そのミウの顔は見ていない。
ロウとの戦いの最中に、そのミウに逃げられたという報告を受け、責任者だった者を惨殺したばかりだったが……。
外には逃げてはいなかったのか……。
「んんんんっ」
シャロンが大きな声を出す。
「わっ、う、動かないでください──」
ミウと思われる娘が必死に拘束されているシャロンを押さえつけている。
ドピィは懐に手を入れて、準備している魔石を投げる。
大音響をあげて、魔石の当たった地帯の地面が爆発する。この周辺一帯に仕掛けていたものであり、その気になれば、懐の起爆石で、目の前のアサシンたちごといくらでも爆殺することもできる。
それをしないのは、彼女たちがシャロンを捕まえているからだ。
とりあえず、シャロンに影響を与えない近くの場所を爆発させた。
「きゃあああ」
ミウが悲鳴をあげる。
縄尻の手が緩んだ。
ドピィは駆け寄ろうとしたが、女アサシンがシャロンのいる場所に跳躍するのが早かった。
「待って──」
女アサシンが怒鳴った。
ドピィは静止した。女アサシンがシャロンの喉に短剣の刃を突きつけたのだ。
「おかしな仕掛けがあるのね。でも、大人しく投降しなさい。ご主人様へのお土産にするわ。どうせ、この戦いは終わりよ。砦の前面では、あんたの部下たちが、エルフ兵に次々に射殺され続けているわ。頭領のあんたが、そこから逃げ出して、こっちに来るとは驚きだけど、やっぱり、卑怯者はどこまでも卑怯者だったわね」
「黙れ。あれを部下だと思ったことはない……。あれらは、ただただ目的を果たすために集めた道具だ。知ったことか」
ドピィは吐き捨てた。
だが、対峙したまま動くことはできない。
なにしろ、女アサシンの短剣の刃はシャロンの喉に密着している。この女が手をちょっと払うだけで、シャロンは絶命するだろう。
だから、動けない。
「んぐううっ」
シャロンが涙を流しつつ、吠えるような声をあげた。
一方で、懸命にロウについて集めた情報の中から、この女アサシンが、おそらく、ロウの愛人のひとりであるコゼという女であろうということを思い出した。
捕らえたシャングリア、そして、もうひとりのエリカとともに、冒険者としてのロウのパーティーメンバーだったはずだ。
元奴隷あがりで、相当の凄腕だと耳にした……。
「あんた、さっきからいい加減にしてよ──。あたしたちは、あんたをこの悪党から助けにきたって言っているじゃないのよ。暴れるのをやめてったら──」
そのコゼがシャロンに短剣を向けたまま苛立ったように怒鳴った。
もっとも、視線はドピィに向けたままである。
「お前はコゼだな?」
「あら、知っていたの? それで、どうするの? 向こうでは賊徒が死にまくっているというのにどうでもいい顔しているあんたが、このシャロンさんに刃物を向けているだけで、そんなに顔色を変えているんだから、余程に大切なのは確かみたいね。ケイラさんの情報のとおりね」
コゼが言った。
ドピィは視線をコゼとシャロンに向けたまま、シャロンの後手縛りの縄尻を握っているミウに声に向かって口を開く。
「シャロンを回復術で治療してくれたのは、あんたか……?」
「え、ええ……。は、はい。その建物だけは、魔道封じの結界がかかっていなかったので、それで……」
「それで治療してくれたのか……」
ドピィは嘆息した。
だとしたら、隷属させてから治療させようとしたのは、無駄な時間をかけただけの大失敗だったのだろう。
こんな娘にむごい拷問をさせただけで、結局救出されて、なにも得ることはなかった。
もしかしたら、最初からこの童女の慈悲にすがって懇願すれば、案外にあっさりとシャロンを救ってくれたのかもしれない。
「もう一度言うわ。このまま投降しなさい。さもないと、彼女が死ぬわよ」
コゼが言った。
「シャロンを助けにきたんじゃないのか? それなのに、そのシャロンに刃物を向けるのか?」
「それが効果的なのがわかっているからね。あんたの弱点がこのクロイツ夫人だということはわかっているの。こうやって、刃物を彼女に向けるだけで、動けないくらいにどうしようない弱点なのよね」
「シャロンをクロイツの姓で呼ぶなああ──。俺のシャロンだああ──」
ドピィは激昂して叫んだ。
そのとき、周囲が慌ただしくなった。
ロウたちとの攻防の裏をかかれて、反対側から攻撃をしてきたエルフ兵の一部がこっちに集まってきていた。
あっという間に、前後を囲まれる。
あわせて三十人ほどだか、矢がつがえた弓を構えていて、それをドピィに向けた。
「待って──。おかしな仕掛けを持っているわ。あまり近づかないで。地面に炸裂砂を仕込んでいるのよ」
コゼが軽く手をあげた。
エルフ族たちが慌てたように、距離をとって停止する。しかし、まだドピィに矢を向けたままだ。
「頭領さん。諦めなさい。あんたはもう終わりよ。だけど、シャロンさんは、ちゃんと両親のもとに届ける。約束する。だから──」
すると、コゼが言った。
ドピィはわざと笑い声をあげた。
「なにがおかしいのよ?」
すると、コゼが怪訝な表情になった。
「あの伯爵夫妻のところに届けて、そして、このシャロンが別の男の妻になるのをまた耐えろというのか? 今度は七十の爺の後妻だったな。シャロンはそこに嫁ぐことが決まっている。あの伯爵はいまのシャロンでも、十分に駒として使い道があると考えているのだろう。だから、お前らの仲間に依頼して、俺からシャロンを奪ったんだ。しかし、たとえ、処刑されたとしても、俺はシャロンがほかの男のものになるのは許せん。もう奪われるくらいだったら、俺はシャロンとともに死ぬ──」
「奪う? 夫人をさらったのはあんたでしょう」
コゼが表情を曇らせた。
「シャロンはすでに、俺の妻だ──。妻になった。だから、奪おうとしているのはお前らで、そして、俺は、二度とシャロンを手放すつもりはない──」
ドピィはコゼに向かって跳躍した。
目の前のこいつがドピィよりも腕があるのはわかっている。それは対峙してわかった。
また、前後には距離があるとはいえ、エルフ族たちの矢がしっかりとドピィを狙っている。
こういう絶体絶命のときに、どうすればいいかをドピィはわかっていた。
わざと斬られるのだ──。
どうせ死ぬのだ。
だから、意図的に斬られる。
敵には、斬った瞬間に隙ができる。そのわずかな隙を利用するのである。脱出するにはそれしかない。
ドピィは跳躍しながら剣を投げ捨てた。
剣を捨てたことに、コゼは意表を突かれたようだ。ちょっとだけたじろぐのがわかった。
しかし、すぐに気を取り直して、コゼはシャロンに向けていた短剣を放して、ドピィを斬り払う。
そのコゼの握る片側の短剣の刃に向かって左手首を差し出した。
手首が飛び、血しぶきが散る。
斬られながら、ドピィは残っている右手に新たに暗器の短剣を握っていた。上衣の裾の下に隠していて、飛び出して手で握れるように仕掛けていたものだ。
それをしっかりと握っている。
コゼではなく、ミウに向かう。
「あっ」
コゼが声をあげて、ミウの身体を押し避けるように後ろに跳んだ。
しめた──。
ひとりになったシャロンの胸に、ドピィは暗器の刃を叩きつけるように刺す。シャロンの眼が大きく見開くとともに、シャロンの心臓のある場所から血が噴き出す。
シャロンの表情が驚愕の感情に染まったが、血だらけのシャロンの身体がドピィの腕の中に収まるときには、それは歓喜に変わっていた。
「俺と一緒に死んでくれ、シャロン」
シャロンとともに、さらに火炎が拡大しているさっきの建物に飛び込もうとした。
「しまった──。待ちなさい──」
体勢を取り直したコゼが飛びかかったのがわかった。
ドピィは、シャロンを抱えたまま、さっきまでシャロンの胸にあった暗器をコゼに放った。
空中で、コゼがそれを短剣で払い飛ばす。
それで十分だった。
次の瞬間には、ドピィは再び火炎の中にシャロンとともに飛び込み終わっていた。
*
「しまった──。待ちなさい──」
コゼは叫んで、ドピィに飛びかかろうとした。
まさか、自ら手首を切断させて、コゼから隙を作るとは思わなかったし、その隙を突いて、シャロンを殺してしまうとも思わなかった。
だが、考えてみれば、予想できる行動だった。
戦いの趨勢がつくまで砦内に隠れていることをロウから命じられていたコゼたちであるが、それ以外の指示も受けていた。
敗北が濃厚になれば、ドピィは絶対にシャロンのところに戻るだろうということも言われていて、その隙をつけと指示されていたのだ。
そして、砦全面に魔道封じの結界を作っているドピィだが、シャロンが負傷したことから、おそらく、シャロンがいる建物だけは、魔道が封じられていないということまでも、ロウに諭されていたのである。砦全体に魔道封じがかかっている中で、おそらく唯一、魔道封じの結界がかかっていない建物──。
これがシャロンの居場所だと……。
ロウの指示のとおりに探せば、シャロンは容易に見つけることができた。騒がれないように、見張りたちは皆殺しにしたが、シャロンを確保するのは面倒なことではなかった。
その行動の合図が三本の青ののろしだったのだ。
コゼはそののろしを確認し、さらに、別働隊の背後からの侵攻が成功したことを示す赤い三本のろしも見た。
だから、まずは、イットをシャングリアの救出に派遣するとともに、一方でコゼたちは、ここに網を張り、ミウの回復術で治療を施したシャロンを人質のようにしてまでドピィを捕らえようとしたのである……。
おかしな仕掛け爆破の準備をしていたので、抵抗を諦めさせて投降させようとしたが、まさか、シャロンごと死を選ぶとは──。
「くっ」
燃えさかる建物の中にぐったりとなっているシャロンを抱えて飛び込むとしているドピィがシャロンを刺した暗器の短剣を投げる。
コゼはそれを短剣で払った。
おかげで、ぎりぎり間に合わなかった。
ドピィはシャロンとともに、火の中に消えてしまった。
「ミウ、魔道は──?」
追いかけようとしたが、中はすでに猛火だ。
とてもじゃないが入れない。
「まだ、魔道封じが……」
ミウを振り返ったが、無理な感じだ。
魔道封じの結界が途切れていたのは建物の中だけのことだ。その外であるここでは、まだ魔道封じが残っているのだ。
そのとき、がらがらと轟音があがり、建物が焼け崩れ始める。
コゼは諦めて、ミウを促してこの場から離れた。
*
思慮は海のように深い。
その反面、限りなく陰湿だった。
兵を動かすこと、あるいは組織作りの才能は山のように高く、彼は集団の長として、天賦の才能を発揮した。しかし、そのやり方は、周囲が怖気るほどの悪辣さを伴った。
なによりも彼は怒れる男でもあった。
怒りを自分の持続する強靭な意思の根源にした。
さらに、他人を怒らせて冷静さを失わせ、また、味方の抱く憎悪の感情を利用して、巧みに人から狂気のような力を引き出した。
いずれにしても、彼は一代の英雄になる素質があった。
しかし、ひとりの女性を心に刻んで忘れることができなかった愚者でもあり、そのために、生き方を間違った。
それが、ルーベン=クラレンスという下級貴族の令息として生まれ、
スージ―=ケルビン著『ルーベン=クラレンス子爵令息伝記』より抜粋
(伝えられるところによれば、ルーベン=クラレンスとは、クロイツの乱を起こして、最後の戦いで焼死した賊徒の頭領である“ドピィ”の本名である。)