一月十八日(水)
白い雪は降り続く──まるで過去のできごとなんてすべて溶かしてしまうかのように。
東京での何度か目の冬。いい加減慣れてしまったけれどやっぱり特別だ。
僕は少しは前に進めているのだろうか? 今までは過去の失恋を今までずっと引きずっていたけれど……。
そんなことを考えながら会社までの道のりを進む。
一月の寒さは厳しくて周りにいる人間は肩を振るわせたり背中を丸めて歩いている。
冬は別に苦手じゃないし夏の暑さよりは全然苦にならない。
夏と冬どちらかと言えば冬が好きだ。
世界は白銀に包まれて独特な雰囲気になる冬──たんに自分が生まれた季節だということもあるんだけどね。
そんな雪景色を眺めながら僕は咲希ちゃんの事を考えていた。
十年ぶりに“再会”した初恋の相手は昔と変わらない女の子だった。
いや、昔よりも落ち着いた感じの綺麗な女性になっていたと言えばいいのかな?
僕の中での彼女のイメージは読書が好きで昼休みにはいつも図書室にいて、学校でたくさんを本を読んだ生徒を表彰することがあったのだけどその時に咲希ちゃんは必ずと言っていいほど名前が上がるような生徒だった。
──小学生の頃から一緒で最初のうちは何ともは思わなかったけれど、小学四年生になった辺りで大きく成長してきた彼女の姿見て女の子として意識するように。
体育の授業の時、彼女とペアを組んで柔軟体操やストレッチをするときにいつもよりも近い彼女との距離に僕は特別な感情を抱いていたと思う。
男とは違う匂いや自分よりも大人な体つきになる女の子にドキドキとして落ち着いていられなかった。
中学生になると目を合わせるだけで心が揺れ動くくらいに咲希ちゃんの事を考えるようになっていた。
他のクラスメートが水泳の授業を見学する中、彼女はスクール水着を着て真面目に授業を受けていたけど、その恰好は当時の僕にはかなり刺激が強すぎた。
変に意識しているということを気づかれないために普段と変わらない態度で咲希ちゃんと接していたけど、それが僕が変わっていると思われたのかもしれない。
彼女のどこが好き? なのかと他の人に聞かれた場合──当時の僕ならこう答えるだろう。
『咲希ちゃんの笑顔が好きなんだ!』
笑った時の彼女は最高に可愛かった。
こうも気取ることがない自然に笑顔を作れる女の子はいないんじゃないかな? って思った。
クラスの中には他に可愛い子はいたかもしれないんだけど、僕には咲希ちゃん以外にそういう感情を持つ相手はいなかった。
高校に入学してからは一度も会わなかったし、手紙での告白の返事はあまりにも辛い内容で正直に言うと彼女に会っても多分会話できなかっただろう。
それからは好きだと言う感情は心の奥にしまいこんで「恋」をする事も無く毎日を過ごす。
だけど、今の僕と彼女は恋愛関係じゃなくて昔みたいな友人関係──それがいいと僕が望んだ事だし僕の生まれて初めての「恋」はあの時に終わってしまった。
もういい加減に忘れなくちゃいけない。
「──新堂さん! 新しい『恋』きっと見つかると思いますよー」
昨日、駅まで送った時の彼女の言葉を思いだす──あの時の篠宮さんの笑顔にドキリとしてその日、僕は眠れなかった。
仕事先の後輩だった女の子の存在が僕の心の中でどんどん大きくなっていく。
前は咲希ちゃんを誘うつもりだった水族館のチケットが余ってしまって、その代わりに篠宮さんと一緒に水族館に行ったけど今度は僕の方から彼女を誘ってみようと思った。
篠宮さんと過ごした時間は経験したことが無いくらいに充実したものになった。彼女の笑顔を思い出すことが多い。
「寒いな……」
指先はすっかりと冷え切ってしまっている、僕はポケットに手を入れて雪の降る道を歩いていく──
──今日は雪の影響で会社に通勤するのが遅くなってしまった。
「おはようございます」
「おはよう。新堂君、大丈夫だった?」
「はい、遅れてすみませんでした」
「気にしないでいいよ。ほかの人も遅れているみたいだから」
「そうなんですか?」
篠宮さんのデスクを覗いてみると彼女はまだ出勤していなかった。
いつも先に通勤している彼女がいないとなんだか物足りない感じがする。
まだ出勤していないのかな? 僕は自分のデスクに荷物を置いて仕事を始める準備をする。
「それにしても外はすごい雪ですよ!」
「そうだね、こんなに降るのは久しぶりだよー」
「僕が住んでいた地元では結構降ったんですけどね、東京はそこまでじゃないですよねー」
「まあ、皆が無事に会社に来てくれるならいいんだけどね。無理な時は休むように連絡してあるし」
「そうだったんですね」
「新堂君は真面目だよねー普通こんなに降ったら会社に出てこないよ」
「僕もそう考えたんですけどね。さすがに休めないなって思っちゃいまして」
「そういえば新堂君は去年は皆勤賞だったよね」
「はい! 実は学生の頃から今まででああいう賞を貰ったのは初めてで」
「有休も結構残っているみたいだし機会を見て消化したほうがいいよ」
「確かにそうですね」
人が少ない中での仕事は思った以上に大変だったけど困ったときはお互いに助け合うことが大切だから僕はできる限りのフォローをしよう。
今日は早めに帰ろうかな? なんて考えながらデスクに置いてある書類のデータをワークシートに打ち込んでいった。
「終わったー」
「新堂君お疲れ様」
「こんなに仕事をしたのは初めてですよ」
「うふふ」
同僚の人は優しく微笑んで僕のデスクに飲み物を置いてくれた。女性が多い職場だけど周りの人が気を遣ってくれるからなんとかうまくやれている。
仕事はひとりでやるものじゃないっていうことがよくわかる。
「ありがとうございます」
「外は寒いから暖かい飲み物の方が良かったかな?」
「いいえ。丁度喉が渇いていたので冷たい飲み物でも全然オーケーです!」
「今日は早めに帰った方がいいかもねー私もこの仕事終わったら帰ろうかと思ってるの」
「そうですね。そうしたいと思います。これ以上吹雪かれたら洒落になりませんからね」
「では、お先に失礼します」
「うん、気を付けてね」
同僚に挨拶を済ませて会社を出ると外は白一色で寒さも厳しくなっていた。
「……これはすごいな」
朝よりも強めに降る雪の中を家に向かって真っすぐに進む──上に着ているジャンパーにすぐに雪が積もっていく。
早く家に帰りつきたい気持ちが大きくなって自然と早足になる。今日は一番の冷え込みになりそうだ。
「ただいま」
「おう、お帰り」
家に帰りつくと兄ちゃんが丁度出迎えてくれた。
「外すごい雪だよ」
「みたいだな。俺が帰って来る時はそこまで降ってなかったんだけどな」
僕は玄関で服についた雪を払い落として靴も揃えずにすぐに部屋に入る。
「参ったなあ」
着ていた服を脱ぎ散らかしてすぐに部屋着に着替えて炬燵に電源を入れた。温まるまでの間コーヒーでも淹れてくるかね。
仕事からオフモードに切り替えてベッドに腰を下ろした。今日も一日よく頑張った。
「こんな時に電話なんてかけてくるのは誰だよ!」
ベッドに置いた僕の携帯が鳴ったから機嫌の悪そうな声で電話に出た。
「もしもし」
「もしもし? 雅也君? 咲希です」
「咲希ちゃん? どうしたの?」
「今日、雪すごかったけど雅也君のほうは大丈夫だった?」
「こっちは一応大丈夫だったよ。道に積もってて歩くの大変だったけどね……」
「私は今日仕事休んだよー」
「あんなに吹雪くなら僕も休めばよかったかな」
「そういえば話変わるけどー私、昨日雅也君に電話したんだけど……」
「ごめん。ゲームしてて気がつかなかったよ」
「そうだったんだー」
「わざわざ電話をかけてくれたのに悪かったね」
「ううん、私もタイミング悪かったし、でも今日は出てくれてよかったよ!」
「ちょうど今家に帰ったところだったんだよね。着替えてたら電話が鳴ってね」
「……そうだったんだ」
「今日電話したのはね、この間一緒に水族館に行けなかったことに対する穴埋めっていうか、もし良かったら私とどこか出かけない?」
「別にいいけど、どこに行こうか?」
「雅也君はどこか行きたいところはある?」
咲希ちゃんに言われても咄嗟には思いつかない水族館の代わりにはなりそうな場所か……。
右手でマウスを動かしてネットサーフィンをしているとカップルにオススメ! と書いてあるページが目に留まる。最近リニューアルオープンしたおしゃれなカフェテラスらしい。店内もいい感じで女の子が好きそうな雰囲気。
「……カップル」
「雅也君どうしたの?」
「いや、何でもないよ。丁度今ネット開いたらカップルにオススメの場所っていうページがあってね」
「それってどういうところ?」
「なんかリニューアルオープンしたらしいカフェテラスだってさ、店内の写真見てるけど悪くない感じだよ」
「そうなんだ! じゃあそこに行ってみようよ!」
「別に構わないけど人が多いみたいだし予約とかしないといけないんだろうか?」
「うーんどうなんだろうね」
「僕の方でちょっと調べておくよ」
「お願いします。それじゃあ雅也君の都合のいい日、教えてくれる?」
「用事とかはないし休みの日ならいつでもいいよ」
「じゃあ次の土曜日なんてどうかな?」
「土曜日ね──いいよ。その日は何も用事が無いし」
「決まり! じゃあ土曜日にね、待ち合わせ場所は金曜日には連絡するから」
「わかった」
「じゃあ、私もう電話切るね」
そう言うと彼女は電話を切る。
「まさか咲希ちゃんと一緒に出掛けることになるとね」
まあ、元々は咲希ちゃんと水族館に行くつもりだったし目的は達成できたかもしれない。
忘れないように机に置いていたメモ帳を開いて土曜日の予定を書き込んだ、普段メモ帳を使う機会は少なかったからページはいつも綺麗なままだ。
久しぶりに使ったメモ帳。普段は携帯のメモ帳機能を使うことが多い。
僕はアナログよりはどちらかと言うとデジタル派でもある。
彼女は成長していていたのに僕はずっと変わらない──いつまでもあのときの恋を忘れられない子どものままで大人になりきれていない。
篠宮さんの言うように新しい「恋」を見つけなくちゃいけない。
携帯を開いて咲希ちゃんの電話番号をずっと眺めていた、まさか彼女の連絡先をアドレス帳に登録することになるなんてあの時の僕には思いもしなかったことだろう。
パソコンでもう一度カフェテラスのページを開いて情報を入手していく、こういった作業は仕事でもやることが多いから得意だ。
すぐに検索をかけて交通情報や店の混み具合を調べる。明日も仕事だって言うのにその日は夜の遅くまで起きて調べ物を続けた。
一月二十日(金)
咲希ちゃんからの電話を貰った水曜日から木曜日が過ぎて今日で金曜日になったのだけれど、彼女とカフェテラスに行く土曜日が楽しみでここ二、三日は仕事への集中力が無かった。
家に帰ってからも夜の遅くまでカフェテラスの情報を調べる事の繰り返し。
「それじゃあお先に失礼します」
「新堂君がこんなに早く帰るなんて珍しいね」
「何かあるんですか?」
「ちょっとね」
水曜に咲希ちゃんが金曜に待ち合わせ時間の連絡をするって言ってたから早めに帰って明日の準備をしないといけない。
帰り支度を整えて上司と同僚に挨拶を済ませる、篠宮さんのデスクを覗くと彼女は気づかない様子で仕事に打ち込んでいた。
(……お先に)
仕事をしている篠宮さんに聞こえるはずもないほ小さい声で呟いて会社を後にした。
*Point of view Minato*
「今日の仕事はこれで終わりねー」
「そうですねー私、疲れましたよ」
「実は明日エステの予約してるんだ」
「いいね! 私もゆっくり買い物でも楽しもうかなー」
「篠宮さんも明日一緒にどう?」
「えっ……すみません。明日は遠慮しておきます。また誘ってください」
「あら残念ね」
「いきなり言われてもねー仕方ないわよ」
「本当にすみません……」
「いいのよ。今度予定が合うときに誘うから」
「はい」
「そういえば新堂さんは?」
「あれ? 篠宮さん気がつかなかった? 彼ならもう帰ったわよ」
「え?」
「何でも明日はどうしても外せない予定があるとかなんとか」
「もしかしてデートだったりしてね」
「ええ!?」
「どうして篠宮さんが驚くのよ……」
「いいえ、何でもありません」
「新堂君って仕事はしっかりとやってくれるけれど謎な所とかあるよね」
「言えてるー。プライベートの話とかほとんどしないし」
「休みの日とか何やっているのかしら?」
「今度聞いてみようかな」
先輩たちはそれぞれの予定を話し始める。
私は新堂さんのデスクをもう一度覗いてみたけどやっぱり彼の姿は見つからない。
「何か予定があるのかな?」
あの水族館に行ってから新堂さんと話す機会は前よりも増えて自然と笑顔が作れるようにもなった。
いつも駅まで送ってくれる彼のことを家に帰ってからも考えているの。
胸がドキドキして夜も眠れないことだってある。
私の「恋」はまだ始まったばかり──きっとこの恋を成就させたいと思う。
そろそろ咲希ちゃんから電話がある頃じゃないかな?
すぐに出られるように携帯を横に置いてパソコンを立ち上げる。
さっき煎れてきたココアのカップを啜りすすながら待つことにしよう。
デスクトップにアイコンが並んでいる間に部屋の中を見渡した。
今の僕は前に篠宮さんと水族館に行った時みたいに待ち遠しくてらしくもなく胸が高鳴っている。
せっかく一緒に出かけるのだから咲希ちゃんを退屈させないようにしないといけない。
水族館の時は行く前に海の生物に関する知識をネットでいくつか調べたけれど、今度は普通のカフェテラスだから特にめぼしい情報は見当たらなかった。
「会話が続けられるように咲希ちゃんが好きそうな話題を見つけないとな」
僕はボキャブラリーがあまり豊富っていうわけじゃないから自然な会話をしよう。
電話では話すようになったのだけれどまだ彼女の事を詳しく知っているっていう訳ではない。
少しでも仲良くなれるようにがんばらないと。
なーに気取らずにありのままの振る舞うことは難しいことじゃない、いつも通りでいよう。
それが一番だと思う。
なんていうことを考えていると携帯が鳴った。
「もしもし?」
「もしもし雅也君? 咲希です。今大丈夫かな?」
「ああいいよ」
「明日の予定のことを伝えようと思って電話したの」
「明日が待ち遠しくてここ最近はソワソワしていたよ」
「そうなんだ。実は私もなんだよねー雅也君と出かける事なんてほとんどなかったからなんだか新鮮で」
「僕も同じだよ」
「それじゃあ明日だけど八時前に秋葉原駅前に来てもらえるかな?」
「秋葉原駅ね、わかったよ。僕は何か目立つ格好しておいた方がいいかな」
「大丈夫だよ。着いたら電話するから」
「了解」
「まだ時間もあるしもう少しお話しよっか? 私聞いてほしいこととか結構あるんだ」
「今日は楽しかったよ。それじゃあおやすみなさい」
「おやすみ」
僕は夜の遅い時間まで咲希ちゃんとの会話を楽しんだ。
彼女とこうやって電話で話すようになって昔よりも仲良くなった気がする。
きっと咲希ちゃんの中では僕は友達の一人だということに変わりはないのだろう。
今はそれでもいいんだ。また彼女と話せたりすることができるのだから。
僕の咲希ちゃんへの想いはあの時の告白で終わってしまっている。
今更それ以上の関係を望めるわけがないんだ。だから期待なんてしても仕方ない……。
だけど彼女が僕の事をどう思っているのかは分からない。
まだ眠りたくない僕は暗い部屋の中をカーテンの隙間から差す光を頼りにして窓のそばまで行く。
それからカーテンを少し開けて夜の街の様子を見る──東京はいつでも明るくて田舎にいたときとは全く違う。
夜は静かな方が好きだけれど都会のギラギラとした感じにはもう慣れてきた。
明日は予定があるから家にいるけれど普段ならこの時間は外に出かけていることが多い。
都会の眠らない街の中で自分も前とは違った生活を過ごしている。
そんなことを考えながら夜中の二時過ぎまで外の景色を見ていた。
早く明日にならないかなあ。この間買った新しい服を下ろしておかないと。
小学生の頃、遠足や学校行事の前日は落ち着いて寝られなかったことが誰にでもあると思う。
何でも興味を持って世の中の事が何でも面白く感じた幼少期とは違って大人になるとそういうワクワクするようなことになかなか縁が無い。
感性が豊かな人が羨ましい。僕はテレビでやっているニュースや時事ネタなんかには全く興味を持つことができないからだ。
そう言った事に一々感情的になっていたら精神がもたないし、芸能人の恋愛ネタなんて心底どうでもいい。
世の中楽しい事なんて気がつかないだけで結構身近にあるものかないかな? って思う。
充実した日々を過ごすためには何か<変化>がないとつまらない。
ここ最近僕の日常は前と比べると随分と変わったなあ。
「……そろそろ寝るか」
寒さを感じてベッドに戻る。風呂に入って温まった体はすっかり冷え込んでしまっていた。
「明日の事は明日になってから考えよう」
クローゼットから上着を出して上から羽織るとベッドに倒れ込んだ。
ここからは簡単だ。何も考えずにただ身を任せるだけ──そう言えばまたあの夢を見るのだろうか?
最近見るようになった夢、その夢に何の意味があるのかは分からないけれど見るたびに夢は続いているような気がした。
そんなことを思っているとあっという間に眠りに落ちていった──不思議なことにその日はすんなりと眠れてあの夢を見ることもなかった。
おやすみなさいまた明日。