二月六日(火)
昨日は一睡も出来ずに朝まで起きていた僕の今の調子は最悪だ。
これから仕事に行かなくちゃいけないのに……。
ベッドから体を起こそうとしたけど咲希ちゃんにガッチリと掴まれていて身動きが取れない。
すうすうと寝息をたてる彼女を起こさないように体をあまり動かさないようにした。
女の子と一夜を過ごした。
——隣で寝ている子は僕の初恋の相手。だけど、それはもう十年前に終わってしまった。
正直咲希ちゃんが何を考えているのかわからない。僕らはただの友達、それは彼女自身が望んだことなのに。
だから僕たちはそれ以上の関係になる事なんてあり得ないんだから。
「……ん」
掴まれていた腕の力がすーっと抜けていく、僕はすぐに彼女から離れてベッドから這い出た。
「雅也君? 帰っちゃうの?」
「起こしちゃった? 今日は仕事があるから僕は帰らせてもらうよ」
「ねえ、お仕事終わったら帰って来る?」
「ここに戻って来るって約束はできない。一旦家に戻らないといけないから、咲希ちゃんだってこれから仕事だよね? 早めに支度した方がいいよ」
起きたばかりで毛布を掛けたまま僕と会話する彼女に別れを言って玄関に。
——僕が来た時から何も変化がないのはこの場所だけだ。
昨日みたいに帰ってほしくないとワガママは言わずにすんなり送り出してくれた。
僕は彼女のマンションを後にして駅まで歩いた。
朝帰りのとこを誰かに見られるとまずい……。
一回家に戻って着替えてこようかな。出勤まではまだ時間に余裕がある、時刻はちょうど五時半を過ぎた頃だった。
*
〈結局言えなかった〉
雅也君が帰った部屋の中をぼんやりと眺めながら昨日のことを考えた。
告白するつもりだったのに結局私は彼に気持ちを伝えることができなかった。
一つわかったのは雅也君に彼女がいないって事──一緒のベッドで寝たことを思い出すと顔がかーっと赤くなる、我ながら大胆な事しちゃったんだなって。
握った雅也君の手は暖かくてドキドキした。
彼は私のワガママにも嫌な顔をせずに側にいてくれた。
プレゼントされたこのネックレスは寝る時も身につけてるの、やっとわかった私の気持ちを雅也君に伝えなくちゃ!
恋をするとこんなに自分が変わるものなんだなー。その変化にちょっと戸惑う事だってあるけど……。
胸が裂けそうになる想い──毎日彼の顔を思い浮かべていた、ひとりが寂しいなんて感じなかったけど、雅也君が好きだとわかって私は初めて自分の部屋で自慰行為をした。
やり方を知らなかったからどうすればいいのか分からず心を満たす為に行為に耽る。
こんな私を知ったらどう思うんだろうなぁ。軽蔑されちゃうかな?
ずっと雅也君に側にいて欲しかった。
だけど、告白はできなかった、彼が私に好きだという手紙を書いた時おんなじ気持ちだったのかな? いっぱい悩んで、考えて、手紙を書いたんだろうなぁ。
十年経って自分の想いに気がつくなんて……。
どうすればいいんだろう? 私は自問自答を繰り返す。
今度は私が雅也君に告白する。
──もしも断られたらもう今までみたいな関係は続けていけないかも……。
友達から恋人へステップアップするのは簡単なことじゃないと思うの。
それでも伝えなくちゃ後悔する、でも、どう伝えようか悩んじゃう。
私は一度彼の告白を断っている、あの時は恋愛に興味なかったから好きだと言われてもピンと来なかった。
「……両思い」
そうなれるのが一番だと思う。
ネックレスを買ったお店に寄った時、一緒にご飯を食べた時の事を思い出す。
雅也君とは中学校の頃まで同じクラスだったけどあまり仲は良くなかった。
そんなに話した記憶もないし、彼は私のどこに惹かれたんだろう?
自分の顔は可愛いって自信を持って言えるわけじゃない、高校の時には周りが恋の話で盛り上がっても私には実感がなかった。
勉強、勉強の毎日で恋愛をしている余裕なんて無かったもん。
大学時代は明日奈と友達になるまではそう言った事には縁がないって思ってたの。
でも、好きなタイプはいたんだー。ほら、よくテレビに出てるアイドルの男の子いるじゃない? かっこよくて大好き! 好きなタレントが出る番組は夜遅くても起きて見てたし女の子なら皆そうじゃないかな?
さて、話に戻るね。私は雅也君にどう気持ちを伝えるか考えていた。
初めての恋——もちろん告白だって初めて、二人きりになった時に伝えたい。
告白の言葉はどうしようかな……? 普通に好きです! って言えば伝わるかな? あまりシンプル過ぎて冗談だと思われちゃったらどうしよう?
あれこれ悩んだあげく結局結論は出なかった。
「篠宮さんに聞いてみようかなぁ」
雅也君の会社の後輩でこの間知り合った私よりも全然イケてる女の子。
同じ女の子目線で見ても彼女はすごく可愛いと思う。
そして篠宮さんは好きな人に告白したらしい。恋に関してはあの子の方が一歩先に進んでる。
仕事が終わったら待ち合わせして話を聞いてもらおうっと。
雅也君が帰っていつもと変わらない私の部屋——すぐに着替えて家を出る支度をする。
彼と同じベッドで寝た事を思い出すと顔が苺みたいに真っ赤になる。
でもね、すごくドキドキしたの……。
仕事中も頭の中には雅也君の事ばかり、恋をするとバカになるって聞いたことあるけど、あながち間違いじゃないと思った。
「お疲れ様でした、お先に失礼します」
会社を出てから家には帰らず篠宮さんとの待ち合わせへ急ぐ。
お昼休みに電話したら私の話を聞いてもらえる約束をしてくれた、前はあまり話せなかったから少しでも仲良くなりたい。
「お待たせー」
「いえ、私も急いで来たのでそんなに待ってないですよ」
「中入ろっか」
篠宮さんと一緒にお店の中に入る。
——ここは若い子に人気で私は明日奈に教えてもらったんだけど来るのは初めて。
お店の中は私たちと同い年の女の子や女子高生もいてなかなかの賑わい。
空いてる席に座ってからメニューを広げる。
「篠宮さんは何か注文する?」
「私は浅倉さんが頼んだ後でいいですよ」
とりあえず落ち着いて話が出来るように軽めの料理を注文する。
よく見るとところかしこに女性が喜びそうな工夫がされている。
「急に呼び出してごめんね。ちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだ」
篠宮さんも注文が終わって料理が届くまで少しだけ話をした。
「前に言ったんだけど。私ね……好きな人に告白しようと思うの。それで篠宮さんにいいアドバイス貰えたらなんて考えてるの」
「アドバイスですか? 」
「そうなの! 実はね、私告白するの初めてなんだー。だからどうしたらいいのがわからなくて。篠宮さんはどんな風に告白したの?」
「……私はー」
彼女は顔を真っ赤にして俯いた。告白のシチュエーションを思い出してるのかな?
「私も告白するのになかなか勇気が出なかったんですけど頑張って伝えたんです『好きです』って相手の人と二人きりになった時にいいました」
「へえー。そうなんだ」
「やっぱり自分の気持ちを素直に伝えるのが一番だと思います……。その人の事が本当に好きだとわかってもらえるように」
「私の場合、ずっと伝えたいって思っていたんですけど、自分の性格のせいできっかけをつかめなくて、でも、後悔したくないなって。それでその人を食事に誘ってから告白しました」
「篠宮さんが告白した相手の人ってどんな人なんだろう? ちょっと気になっちゃうな」
「とってもステキな人です。優しくて仕事で困っている時はいつも声を掛けてくれて、毎日話すだけで幸せを感じられるんです」
「その人は同じ会社の人?」
「はい、私よりは先輩で同じ部署で働いています」
「そうなんだー。同じ会社にそういう素敵な人がいて良かったね!」
「はい! あの、浅倉さんの好きな人はどんな人なんですか?」
「私の好きな人はね」
あれ? どんな人なんだろう?
そういえば私、雅也君の事はあまり良く知らない。
私の中の彼の印象は中学時代のままでストップしてる
「実は彼の事あまり良く知らないの。最近好きだって自覚するようになったの。それでこの間は一緒に食事もしたし、このネックレスだってその人からのプレゼントなの」
「素敵なネックレスですね。プレゼントしてくれた人はかなりセンスあると思います」
「……うん、私もついこの間まではただのネックレスだと思ってたんだけどこれには特別な意味があったんだ」
店員さんに教えてもらったネックレス込められた想いを篠宮さんにも教えてあげた。
「すごくロマンチックですねー。きっと浅倉さん愛されてますよ!」
「うふふ、ありがとう」
私もちょっと照れるような仕草を見せる。ゆっくり話してみてわかったんだけどやっぱりこの子はすっごくいい子。
女の子同士だから気兼ねなく話せてるっていうのがポイントなのかもしれない。
「あのさ、篠宮さんに一つ聞いておきたい事あるんだけど」
「何ですか?」
「うん……。あなた雅也君と同じ会社なんだよね? 彼とは仲良かったりする?」
「えっ……?」
「ごめんなさい。ちょっと気になったの。それでどうなの?」
「ま——新堂さんとは良く話ますよ。一緒に帰ったりする事もあります」
「そうなんだ、あのさ、雅也君って今本当に彼女とかはいないんだよね?」
「そうだと思いますけど……どうして私に聞くんですか?」
「この前、彼が風邪引いた時にお見舞いに行ったじゃない? その時に篠宮さんと雅也君が随分仲よさそうに見えたから、同じ会社で働いてるなら接点あるのかなって」
「私なんて彼のイメージは中学生の頃から止まってるんだー。それが十年ぶりに“再会”したら全然違う感じになっててさ、びっくりしたよ」
「浅倉さんは新堂さんの小学校時代の友達なんですよね?」
「そうだよ、中学校まで同じでそれからは別々で高校の時は一度も会わなかった」
「彼と共通の友達がいるだけどその人とはたまに会ってたかなぁ今でも電話で話したりするし」
篠宮さんは雅也君の会社の後輩で良く話をするっていうの情報を得ることができた。
「雅也君って今気になる人はいたりしないのかな?」
「どうなんでしょう? 本人に聞いてみたらどうですか」
「そうだよね。だけど、そういう事聞くのって私が彼に気があるみたいに思われちゃうかもしれないし」
篠宮さんの前で必死に自分の気持ちを誤魔化した。
私はウソつきだ——本当は雅也君の事が好きにも関わらずそうじゃないって否定して。
元々どう告白すればいいのかわからなくて篠宮さんに色々聞いてみようと考えてたのに本題からずれた話をして何とか私の想いを勘付かれないように振る舞う。
「篠宮さんは告白の返事ってもらったの?」
「まだもらってないです……。でも、私の待ち続けるつもりです、あの人も気持ちの整理がつかないでしょうから無理に急かすような事はしたくないんです」
「けどさ、なかなか返事もらえなかったら不安にならない? あーやっぱりダメだったんだなって」
「そうですね。だけど、私の好きな人はいい加減な態度を取るような人じゃないですから、もしも告白がダメだとしてもちゃんと返事をしてくれると思います」
「その人の事よく見てるんだね」
「よし! 篠宮さんと話したら私も告白する勇気持てたよ! 自分の気持ちを素直に彼に伝えてみる」
「頑張って下さいね。お互いの告白が上手く行くといいですよね」
「そうねー。今日は付き合ってくれて本当にありがとう! また恋愛関係の事で相談するかもだけどいいかな?」
「はい、私で良ければ」
「ありがとう。それじゃあ気をつけたい帰ってね」
篠宮さんと別れた私は何だか悩んでいたのが馬鹿らしく思えるほどに清々しい気分だった。軽やかにスキップをしながら家に帰る。
言葉にできない想いが胸をきゅんと締めつけていたけど、伝えたらきっと気持ちも楽になる。
次の休みの日に雅也君を家に呼んで告白しよう。
十年かかってようやく気がついた私の本当の想い——雅也君との関係を変えたい。
私の初恋は始まったばかり—それはまるで白いアルバムのページみたい。
胸元に輝くネックレスは綺麗な白銀色を映し出す。宝石に散りばめられた愛情を咲希は感じながら夜の空を見上げる。
星は見えないけど静かな群青色の空は変わらずにそこにあった。
東京で迎えた何度目かの冬、そこから二人の恋は始まる。
湊、咲希はそれぞれの想いを胸に秘めて恋へと踏み出していく。
彼女達が同じ人を好きになったということを知るのはこれから少しだけ後のこと。
渦中の人はまだ何も知らずにいる、終わったはずの初恋と新しい恋の二律背反に悩ませられるのを。