咲希は雅也が湊と会うことを知ることになるが、何も知らない雅也は咲希に優しい嘘をつくのだった。
結局あの後、僕らは一言も言葉を交わさず部屋の中には重苦しい雰囲気が漂っていた。
僕は生まれて初めてキスをした。
──というよりは無理やり唇を奪われたと言った方がいいか……。
お互いに経験は無いはずなのに彼女のキスはまるで慣れているかのようだった。
激しく何度も唇に触れて息をするのも苦しいくらいだ。
もう夕方近くなるけど咲希ちゃんが満足するまでキスは終わらなかった。
唾液で口の周りがベトベトになりながらも彼女は長い時間キスをし続けた。
「夕飯ご馳走するから食べて行ってね」
無理やり笑顔を見せてはいるけど顔は真っ赤でついさっきまでのキスの余韻がまだ残っているんだろう。
僕は自分の唇を軽く撫でて咲希ちゃんの唇の感覚を思い出す、ピンク色で綺麗でそして柔らかった。
料理ができるまで床に寝転がって待つけど僕の頭の中ではキスの事がいつまでも残っている。
湊ちゃんに告白の返事をするつもりだった。
──心ではそう決めていたはずなのに僕の思考は混乱していた、二人の女の子に告白されたこと、あの咲希ちゃんが僕を好きだって言ってくれた。
とっくに終わってしまった初恋の苦い記憶が心の中から消えることが無い。
忘れなくちゃいけない。新しい恋に向き合わなくちゃならないのに……。
何度考えてもそれはまるで迷宮に迷い込んだみたいに僕の気持ちが晴れる事がない。
このままじゃいけない! 僕は体をこの空間から抜け出す為に体を起こした。幸い今、彼女は料理中だからここで僕が帰ったとしても気がつかないだろう。
ポケットから抜け落ちた財布を拾ってすり足で歩く。
頼む! 気づかないでくれよ。
「雅也君何してるの?」
僕の祈りも虚しく咲希ちゃんは出来上がった料理をテーブルに運んで来た。
「ああ、いや、ちょっとトイレに行こうかと思ってただけだよ」
咄嗟に思いついた嘘をついてその場を逃れようとする。料理を運ぶ彼女の横切ってトイレへ。
「トイレはこっちだよ」
もちろん僕が咲希ちゃんの部屋のトイレの場所なんて分かるはずが無く僕の言った事はすぐに嘘だって彼女にバレてしまう。
「ご馳走さま」
がっつりとした肉料理と付け合わせのサラダとスープを飲んで夕飯は終わる。
僕はそろそろ帰ろうと思って咲希ちゃんが食器を洗っているキッチンにひょいと顔を出した。
「今日はご馳走さま。美味しかったよ。それじゃあ僕はそろそろ帰るね」
彼女の返事を待たずドアを閉めて今度こそ玄関へ向かおうとする。
「待って!」
咲希ちゃんは慌てた様子で僕を引き止めた。
「もう帰っちゃうの……?」
「うん」
数秒間二人は沈黙すると雅也はポケットに手を入れて咲希の制止を聞かず玄関へと足を迎えた。
「待って! 帰らないで」
「けれどこれ以上長居するわけにもいかないし」
「帰ると私泣くから!」
「えっー」
雅也は昔から咲希の泣き顔には弱かった。小学生の頃から同じクラスだったからこそ分かること。
泣き虫な所は大人になっても全然変わっちゃいない。
結局泣くとまで言われた雅也は帰るのを止めてしまいその日一晩だけと約束して咲希の部屋に泊まることにした。
「何やってるんだろう」
咲希ちゃんは今、風呂に入っている。僕は先に頂いて濡れた髪を乾かしていた、部屋の暖房の温度はちょうどいいくらいで来た時と同じ服を着る。
「泣き虫なのは相変わらずか」
昔から僕はよく咲希ちゃんの泣き顔を見ていた。小学生の頃とかってちょっとした事で女の子を泣かせちゃって罪悪感にかられることが多かった。
そんなつもりはなかったのにと後悔しつつ反省ばかりしてたなあ。
あまり過去の出来事を思い出すのは好きじゃないんだけどあの子の泣きそうな顔を見るとつい思い出してしまう。
「お待たせ」
彼女はタオルで髪の毛を拭きながら部屋に戻ってきた、その格好は下着の上に何故かワイシャツ一枚だけ。
「服を着ないと風邪引くよ」
目のやり場に困った僕は咲希ちゃんにそう言って床に寝転がった。彼女は僕の言った事なんか聞かずそのままの姿で過ごす。
二十二時を回った頃眠くなったのか咲希ちゃんは部屋の明かりを消してベッドに入る。
僕はというとクッションを枕に床に寝る。まあ、ベッドは一つしか無いんだから仕方ない事なんだろう。
体を横にして目を閉じると耳元で囁くような声が聞こえる。
「一緒に寝よう?」
声の主はもちろん彼女だ、この部屋には僕と咲希ちゃんしかいないんだから当然なんだけど。
「いいよ、僕は床で寝るから」
「お願い雅也君。私、寂しいの……」
甘えるような口調で僕にそういうと彼女の息が耳にかかって、一瞬ぞくりとした。
「仕方ないなあ」
僕は起き上がって咲希ちゃんの寝てるベッドに潜り込む。もちろんあまり密着しないように壁側に体を向けて寝る事に。
「……ありがとう」
彼女は呟くみたいにそういうと落ち着いたのか自分もベッドに入る。
僕はドキドキしながら目を閉じて早く眠りにつけと願った。
頭の中が真っ白になって思考は停止し、そのまま白い波に身を任せた。
*
「雅也君もう寝ちゃったかな?」
隣を見ると彼はスヤスヤと寝息をたてて眠っていた。
その寝顔にどこか安心した私は今日の事を考えていた、人生で初めて告白した事。
——彼の事が愛おしくて堪らない事、ずっと一緒にいたいこの先もずっとずっと。
恋愛をするってこんなにも自分が変わる事なんだって初めてわかる。
起こさないようにそっと雅也君のほっぺに触れてみる。
彼の肌は男の人とは思えないほど綺麗でちょっと羨ましい……。
雅也君の寝顔をじっと眺めながら考える。彼は私のワガママに付き合って今日は一緒にいてくれた。
このネックレスをプレゼントされた日から私の恋は始まってたのかも、彼を家に帰したくないって思いがふつふつと湧き上がる。
自分がこんなに独占欲が強い子だなんて思わなかった。
初めてのキスの感覚を思い出すと耳まで真っ赤になりそうなくらい。
今まで経験した事がなかったから私は彼の心を繋ぎ止める為にあんな大胆な行動をしたの……。
自分でも驚いている、キスの余韻はずっと残ってて私はそっと唇に触れた。
今、この幸せがずっと続けば良いなんて思っちゃう。だけど、明日には雅也君はー。彼は明日大事な用があるって言ってたの。
わかってる事なのに離れるのはすごく寂しい……。
別れる事を考えると涙が出ちゃう。
この瞬間から時間が止まったらいつまでも雅也君と一緒にいれるのになぁ。
そんな事を考えちゃう私って嫌な子かな? 彼に嫌われたりしないかな?
考えるほどに不安になる。
今が幸せでそれを失うのは耐えられない。
寝てるの顔を見て何度も何度も自分の気持ちを確かめた。
「あれって」
雅也君の頭の先には彼の携帯が置かれている。スマホじゃなくてガラケーを使ってるって義之君が言ってたの本当だったんだー。
私は彼が起きないのを確認してから携帯を拾う。
結構古めのデザインなのかずっと使ってるのか理由は分からないけど充電器を挿すところの蓋が開きっぱなしで閉められなくなってた。
いけない事だとは知りつつも私は我慢出来ずに彼の携帯をパカリと開いた。
全然知らない何かの女の子のキャラクター(多分アニメじゃないかな?)が待ち受けに設定されていた。キーを押して携帯を操作する。
メールか着信履歴を見れば彼の明日の大事な用って言うのが分かるかもしれない。
一旦手を止めて雅也君の様子を確認する、全然起きる気配がない。
私は指先でキーを押してメールボックスを開いた。
送信済みボックスの宛先の名前を見て愕然とする。
宛先:篠宮湊
そこには私の知っている名前がある、篠宮湊さん、雅也君の会社の後輩で私もついこの間知り合いになったばかり。
話してみてわかったのはあの子はとっても良い子で私の恋の相談も真剣に聞いてくれた。
メールの内容は明日雅也君が篠宮さんと一緒に過ごすっていう事、私は過去の履歴を遡って内容を確認する。
雅也君から篠宮さん宛に何通もメールが送られていて明日の待ち合わせ場所と時間が書かれていた。
今度は着信履歴を見ると彼が篠宮さんへ何回か電話をかけていた。
彼女の番号は私も知っているからこれは本当に篠宮さんの電話番号で間違いない。
明日雅也君は篠宮さんと会う。そういえば彼女は好きな人に告白したって言ってたけどまさかそれってー
私は雅也君のメールをメモして明日彼が行く待ち合わせの時間と場所を控えた。
その事が気になって全然眠れなかった。
「それじゃあ僕は帰るから」
「……うん」
朝の早い時間に起きた雅也君を見送りに玄関へ
——下着一枚だけどそんなに気にするほどの事じゃないと思う。
「今日って用事あるんだっけ?」
「そうだよ、まあ、そんなに大した用事ではないんだけどね」
嘘、私は知ってる。雅也君はこれから篠宮さんと会うんだ。私に気づかれないようにする為か誤魔化したように言うけど彼の言葉に気持ちがこもっていない事を。
雅也君を見送った私は、すぐに着替えて彼の後を追う。
二月の朝は冷え込みが厳しいくらいだけど、それが気にならないくらい頭の中では色んな考えが巡っていた。