二月十一日(日)
改札を出ると外は凍えるくらいに冷たい風が吹いていた。
雅也はポケットに手を入れてずんずんと人ごみの中を歩いていく。
この時期は堪えるような寒さに凍える事もある。ただの冷たい風だって辛い……。
今日はこれから湊と会う約束をしていた。告白の返事をしないといけない。とっくに気持ちの整理がついてるはずなのにまだモヤモヤとした感覚が抜けない。
二人の女性に告白されたこと、ずっと友達として接していた咲希に好きだと言われたのが雅也には今でも信じられない。
咲希への想いは十年前のあの日に終わった。手紙に書かれたかの文字で自分が振られたのを理解できた。
それからは「恋」をするのに臆病になっていた気がする。
それを変えてくれたのが湊だった、の子とならもう一度新しい恋へ踏み出せるとそう思っている。
咲希と一夜を過ごしたのは気の迷い。そう自分に言い聞かせながら湊との待ち合わせ場所に急いだ。
自問自答を繰り返し頭の中を整理して彼女への想いを再度確認した。
「お待たせ。湊ちゃん」
僕は待ち合わせ場所に先に着いていた湊ちゃんに手を挙げて挨拶すると彼女の側まで駆け寄った。
「待たせちゃった?」
「いえ、そこまでは待ってないですよ」
「じゃあ行こっか」
今日は湊ちゃんと一日過ごす予定なんだけど何をするのか特に決めていなかった。
彼女と少しでも長くいたい、ふいに隣にいる湊ちゃんと目が合うと優しく微笑んでくれた。
本当に可愛い子だなあ
何をやるにしてもその仕草の一つひとつがグッとくる。こんな可愛い女の子と僕と一緒いてくれるなんて。
ぶらぶらと街中を歩いた後はファミレスでご飯を食べてショッピングを楽しみ二人で映画を見る。
今流行りの作品を僕は知らないから湊ちゃんが見たい映画のチケットとドリンクを買って列に並ぶ。
女の子と映画を見るなんて初めてだな。上映が始まって二十分くらい経つと隣に座っている湊ちゃんが手を重ねてきた、ぎゅっと握りしめた感触はまるで恋人みたい。
映画に見入っている彼女を他所に僕の心臓の鼓動は早くなる。
内容があんまり頭に入って来なかった。
「面白かったですねー」
「そうだね、だけど僕は途中からあんまり集中できなかったよ」
二人で映画館と同じビルに入ってるコーヒーショップで小休止。
頼んでおいたパンケーキとコーヒーが運ばれて来る。僕はさっとチョコレートのソースをかけてパンケーキを口に運ぶ。
「美味い! これは当たりだなあ」
美味しいものを食べると笑顔になるっていうけど確かにそんな気がする。
砂糖を入れないコーヒーを啜って苦味を味わう。
「湊ちゃんは食べないの?」
料理が運ばれて来たのに一向に手をつけない彼女を変に思って尋ねてみた。
「ごめんなさい。なんか雅也さんが美味しそうに食べてるとこ見てるとほっこりしちゃって」
湊ちゃんは優しく微笑むとゆっくり料理を食べ始める、二人は細やかな昼食を楽しんだ。
東京の人達はいつも急いでいる気がした、エスカレーターの左側に乗って手すりにつかまっているとその横を下っていく人達をしょっちゅう見かける。
僕の後ろにいる湊ちゃんはエスカレーターのアナウンス通り落ちいて乗っている。
「東京の人ってさエスカレーター下っていくんだよね」
「そうですね、みんな急いでるのかも」
「こっちに来て大分経つけれど未だに不思議に思うよ」
「けどそれが普通じゃないですか? 私は下ったりはしませんけど……」
「よっぽど時間に追われてるんだなって思う。まあ、僕は田舎の出身だからそういところに無頓着なだけかもしれないけれども」
「さてと、ちょっとここで休んでいこうか」
僕らは公園のベンチに座り歩きっぱなしだった足を休めた。
この場所はある意味特別でもある。
あの日、咲希ちゃんの無くしたネックレスを見つけた場所で、雪の降る中必死で探し続けた自分の姿を思い出す。
ふーっと大きく息を吸い湊ちゃんの方へ視線を——彼女はその視線に気づき顔をこっちに向けた。
「あのさ、湊ちゃんに言いたい事があるんだけど、聞いてくれるかい?」
二人の間に冷たい風が吹く。雅也はぐっと拳を握りしめると真剣な表情で湊を見つめる。
「あの時の告白の返事だけどさ、今言ってもいいかな」
目の前にいる自分を好きだと言ってくれた女の子の気持ちに応えたい。
何度も何度も頭の中で考えて自分の気持ちを確かめた。
「僕は湊ちゃんの事がー」
そうだ、僕の気持ちを彼女に伝えないと!
「湊ちゃんの事が……」
言うんだ! 今、返事をするって決めたじゃないか!
「湊ちゃんが」
「私は雅也君のことが好きです」
湊ちゃんへ告白の返事をしようとした時咲希ちゃんの言葉を思い出してしまった。
決めていたはずなのに……もうあんな失恋はしたくないと思ってるのに。
僕はその後の言葉を言えなかった。そのまま黙り込んでしまう。
そんな僕の様子に気づいた湊ちゃんは優しく頬に触れた。
「無理しないで……今の雅也さんすごく辛そうに見えるよ? 私は告白の返事はいつまでも待つつもりだから安心して」
ふいに彼女に抱きしめられると心が落ち着いた。
優柔不断な自分に嫌気がしたけど湊ちゃんの言葉で少しは安心できたかもしれない。
「ごめん。僕は本当に情け無い男だよ」
こんな僕に真剣に向き合ってくれる彼女の優しさにいつまでも甘えてちゃいけない。
「じゃあ、僕はこっちだから」
「はい、あの、雅也さんさっきも言ってた通り無理はしないで下さい。私はずっと待ってますから」
「うん、ありがとう」
駅で湊ちゃんと別れてからは今日の事がずっと心残りだった。
告白の返事をするって決めていたはずなのにそれができなかった。
あの時咲希ちゃんの言葉を思い出さなかったら言えたんだろうか?
もう一度咲希ちゃんに会って確かめないといけない。
彼女の気持ちが本当なのかを。
雅也の心は二人の女の子の間でゆらゆらと揺れ動いていた。
*
雅也君を追いかけた私は彼に気づかれないようにこっそりと後をつけた。
寝ている時に雅也君の携帯を見たから彼が今日篠宮さんと大事な用があるって事は知っている。
大事な用って何なんだろう? 私と一緒にいることを拒んでまで果たすものなのかな。
「あ、見失わないようにしないと」
電車を降りて待ち合わせ場所に向かう彼を追いかける。もちろん向こうが気づかない程度の距離を保ちつつね。
側から見たら変な人に見えているかもしれないけどそんな事を気にせず私は彼を尾行する。
待ち合わせ場所で二人は落ち合うと並んで歩いていく。
「何さー。いい雰囲気じゃない!」
雅也君は篠宮さんの歩くスピードにペースを合わせて彼女が遅れないように気を遣っている。
彼が篠宮さんに時折見せる自然な笑顔に私はちょっとだけ嫉妬する。
私といる時はあんな顔見せたことないのに!
でも、改めて雅也君の事を見るとドキドキする——ジーパンからスラリと伸びた足に背筋はまっすぐで姿勢がいい。
顔はイケメンじゃないし、私の好きなアイドルとは天と地程の差がある。
って言っても決して不細工だってわけでもない。
私はずっと子供の頃の彼しか知らなかったから今の雅也君を見て正直驚いてるの。
あの頃の彼は子どもで私も苦手だったし、小学生の時からクラスメイトだけどあんまり好きじゃなかった。
女の子にもモテてなかったし地味目な印象だった。
十年ぶりに再会してまた昔みたいに友達でいたいなと思ってた。
だけどそんな私の気持ちも変わっていった。最初は電話で話すだけの関係だった、彼が私の為に手に入りにくい人気の水族館のチケットを買っていた事、このネックレスをプレゼントしてくれた事、無くしたネックレスを見つけ出して家まで届けてくれた事、小さな出来事かもしれないけど私の雅也君への気持ちは日に日に変化した。
友達の明日奈に指摘されるまで気づかなかった。
十年経ってようやく私の本心が見えた。
そこからは彼のことが好きで堪らなくなっちゃった。ずっと一緒にいたくてワガママを言って部屋に泊まって貰ったの。
同じベッドで寝た時はドキドキして心臓が止まっちゃいそうだったの。
私から雅也君にキスした事——あんな大胆な行動に出たなんて自分でもびっくりしてる。
私の頭の中が雅也君の事ばかりになっていく。恋愛ってこんなのなんだ。
これから先もずっとずっと一緒にいたいってそう思える。
閑話休題
ビルの映画館に並ぶ二人の様子を遠くから眺める。もしかしてこれってデート? あの二人ってどんな関係なんだろう。
流石に同じ映画を観たらバレちゃうから私は二人が出て来る時間までビルの中の別のフロアで時間を潰すことにしよう。
食事を済ませた雅也君達はどこかに向かっている。私が後をつけるとあの公園に入っていった。
私がネックレスを無くした場所——あの雪の中雅也君が必死に探している場面が頭に浮かんできた。
私は身につけているネックレスをぎゅっと握りしめて改めて雅也君への愛情を確認した。
二人はベンチに座って休んでいる。会話の内容は聞こえないけどいつになく真剣な表情の彼が篠宮さんを見つめて何かを言っている。
だけど雅也君は途中で黙り込んでしまって俯いた。そんな彼を篠宮さんは優しく抱きしめた。
私の胸はチクリと痛んだ。好きな人が他の女の子と抱き合っているところなんて見るにも耐えない。
私は目を閉じて「早く終わって」と心の中で呟いた。
二人はそれからはまっすぐ駅に向かって歩き出す。雅也君はさっきとは違い笑顔を見せるようになっていた。きっと篠宮さんが何か言ったんだろうと思う。
「何やってるんだろう……私」
自己嫌悪して今日はもう帰ろうと思った。雅也君の用事って篠宮さんと普通に過ごす事だったのなぁ。
帰ると決めたのにその事が気になった私は雅也君と別れた篠宮さんに声をかける。