そんな中、咲希から掛かってきた電話で彼女の住むマンションに向かう、前のように咲希の部屋で一夜を過ごすことになるのだが、今回はちょっとだけ事情が違った。
咲希は湊に激しい嫉妬心を抱いてある行動をする。
それがこの先、三人の関係を大きく変化させることに
二月十三日(火)
仕事が終わって僕は明日のバレンタインの事を考えていた。
ちょっとだけ高いチョコレートと湊ちゃんへのプレゼントのチャームをオシャレなラッピングをした袋と一緒にバッグに入れて持ち運んでいた。
十四日の朝にすぐに渡せるようにする為だ、改札に向かおうとすると携帯が鳴っているのに気がついて、左手をポケットに突っ込んで携帯をパカリと開いて通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「もしもし雅也君? 咲希です。今大丈夫かな?」
駅の中だとうるさくて電話の声が聞こえないから僕は来た道を引き返して一旦外に出た。
「もしもし? 丁度今帰るとこだったんだ、それで僕に何か用」
「うん……。あのね、今から私の家に来てくれないかな?」
「また急だね。うーん、もう駅の外に出たし咲希ちゃんちはここから逆方向だしなあ」
「お願い、どうしても雅也君に会いたいの」
「けど今からだと帰る頃終電に間に合うかどうか……」
時刻は一九時を過ぎている、ここから咲希ちゃんと会ってどのくらい時間がかかるかはわからない。
実際、彼女の住むマンション自体は歩いても十分かからない距離なんだけど、この間の件もあるし、まあ、少し話してすぐに帰ればいいか。
「会いたいよぉ」
電話越しに涙声で喋る咲希ちゃん、本当に泣き虫なのは子供の頃から変わってないなあ。
「わかったよ。今行くから」
通話ボタンを押して電話を切り、携帯をポケットに入れて二月の夜の空の下を歩き始める。
今夜の冷え込みはかなり辛いものだった。
彼女の住むマンションへ到着した僕は部屋番号を入力して呼出ボタンを押す。
すぐに咲希ちゃんが出たから「雅也です。今着いたから開けてくれないかな?」と言うと自動ドアが開いた。
エレベーターに乗り込んで七階のボタンを押す──エレベーターが上昇してからは考え事をする暇も無くあっという間に目的の階に着いた。
それから静かな廊下を歩いて咲希ちゃんが住んでいる七○五号室のインターホンを鳴らす。
数秒待つと重たい扉ガチャリと鍵の外される音共に開く。
「いらっしゃい。寒かったでしょ? さあ、中に入って」
咲希ちゃんは僕が中に入るのを確認してから扉を閉めて鍵をかける。
靴を揃えて部屋に上がり玄関前でスリッパに履き替える。
彼女の部屋に上がるのは相変わらず緊張する、前にここで一夜を過ごした時の事を思い出した。
「お腹すいてない? 私、何か作るけど……」
「大丈夫だよ。それよりいきなり電話をかけて来たけれど僕に何か用があるの」
「迷惑だった? ごめんなさい」
「いや、そうじゃないんだけど」
今にも泣き出しそうな彼女にあまり強くは言えない。僕は暖房の効いた部屋で用意されたクッションの上に座った。
咲希ちゃんの真っ直ぐな瞳が僕の方に向けられている。僕らは見つめ合う形になったけど、お互い視線を逸らしたりしない。
数分の間見つめ合う——彼女は僕の隣にちょこんと座ると肩に頭を乗せてくる。
二人の間に沈黙が続く、咲希ちゃんはどんどん大胆になっている。
結局そのまま夕飯をごちそうになり特に会話などはせずに帰る時間を迎える、立ち上がって玄関に向かおうとすると手を引かれた。
「今日はずっと一緒にいたい」
子どものようにわがままを言う彼女の手を払いのけて靴を履く。
「待って! 今から帰っても遅いから泊まっていってよ。ね?」
まだ二十一時前だから帰りの電車には余裕で間に合う。僕は咲希ちゃんの言葉を無視して鍵を開けようとすると——
「ダメ!」
彼女は僕の手を取って鍵を開けようとするのをやめさせた。
「咲希ちゃんは僕に本当に用があったの? ここまで来たけれど、何もなかったよね」
「それはー」
咲希ちゃんは僕の言葉に押し黙る。この反応だと別に大した用事があった訳じゃなさそうだ。
僕には彼女の考えている事が理解できなかった、ワガママに付き合わされて帰るのが遅くなるのは良くない、明日も仕事があるんだし。
「それじゃあまた」と、別れを告げてもう一度部屋の鍵を開けようとする。
「……待ってよ」
呟くような囁くような涙声で必死に引きとめる、後ろを振り返ると咲希ちゃんは目に涙をいっぱいに溜めていた、その顔を見ると決心が鈍ってしまう。
「わかったよ。咲希ちゃんの言う通りにするから」
履いた靴を脱いでもう一度部屋上がると彼女は安心したのか泣き止んでくれた。
「その前にちょっと冷蔵庫借りてもいい?」
「どうして?」
「冷やしておかないといけないものがあるんだ」
僕はバッグから湊ちゃんへ渡すつもりだったチョコを冷蔵庫に入れると怪しまれない内容にその場所から彼女を遠ざけた。
この時の僕は大きなミスを犯していた、湊ちゃんにプレゼントするつもりだったチャームもチョコと同じ袋に入れていたことだ。
この間とまた同じだ、僕はこの日は咲希ちゃんの部屋に泊まることになって今は風呂に入るところだ。
あの後、泣いてしまった彼女を前にするとどうしても突き放せたかった。
脱いだ服を畳んでおいて風呂場の戸を開けた、湯船に浸かりながらゆっくりと今の状況を考えようかな。
「それじゃあ電気消すね」
二人共入浴を済ませて寝る準備をする、いつもよりも早い時間だけどたまには悪くない。
風呂から上がった僕らに会話はなかった、この間みたく彼女と同じベッドで寝ることになって僕は緊張していた。
できるだけ近づかないように離れたところで体を横向きにする──目の前にあるマンションの壁は無機質で冷たさを感じる。
すぐ後ろで眠る女の子はそっと僕の手に触れた、その小さな手はぎゅっと握られてお互いの吐息がかかる距離まで顔を近づける。
ここで寝返りを打ったら彼女の顔に自分の頭が当たってしまうから身動きしないでおこう。
耳元で「大好き」と囁くように言う、僕らの距離感はどんどん近くなってくる。胸の高鳴りを抑えつつ早く眠れるようにとりあえず目を閉じて押し寄せてくる波に身を任せよう。
考える間もなく夢の世界へ落ちていった。
*
「雅也君はもう寝ちゃったかな?」
同じベッドで寝ている彼の様子を見ると寝息が聞こえてくる。どうやらもう寝ちゃったみたい。
色々と話したいこともあるんだけどなぁ、なんて思いつつも繋いだ手に力を入れる、すごくあったかくていつまでもこうしていたいと思う。
年頃の女の子が恋人でもない相手を家に上げるなんていうことは普通ではありえないことなんじゃないかな?
「喉乾いちゃった」
確か冷蔵庫の中にジュースがあったはずだからそれでも飲もうかな。彼を起こさないようにすっと立ち上がってキッチンに向かった。
チラッと雅也君を見たけど全く反応せずにスヤスヤと眠っている。
冷蔵庫を開けてジュースを取り出すとふと紙袋が目に入る。
そういえば、雅也君がさっき「冷やしておく」って言ってたっけ、普段ならそんなものに興味なんて湧かないはずなのに今は中身が気になってしまう。一杯だけジュースを飲み干して元の位置に戻すと代わりに紙袋を取り出した。
「何が入ってるんだろう?」
紙袋を持つと意外と軽かった、私は中を覗き込んでみるときれいに包まれた箱と小物が入ってそうな袋がある。
一つを出すとそれは最近女子の間で話題になっているお店のチョコレートだった。
どうして雅也君がそんなものを持っていたのかはわからなかったけど、一緒に入れられていた袋の中身を確認して私はすぐに気づくことができた。
「これってもしかしてチャーム?」
袋を開けると綺麗で可愛いアクセサリーが出てきた。手にとってよく見てみると混じり気のない自然な美しさがあってすごくデザインも良い、おしゃれでとっても素敵!
彼は何でこんなものを持っているんだろう? 私は考えた、こういう時の乙女の感ってすごいと自分でもそう思う。
チョコレートにアクセサリー、誰かへのプレゼントなのかな?
流石に男の義之君にあげるものじゃないだろうし、となると相手は——私、分かっちゃったかも……。
「……もしかしてあの子へのプレゼント?」
彼が女の子に贈り物をするとしたら大方の予想はつく。
そう、これはきっと篠宮さんにあげる為に買ったものなんだ。
それが分かった瞬間、私は彼女に激しい嫉妬心を抱いた。
私よりも先に彼に告白して、私よりもずっと雅也君に近い場所にいて、彼の心さえも虜にしようとしている年下の女の子。
中学の時まで同じ時間を過ごした私を置き去りにするくらい距離を縮めて、私の「恋」の障害になっている子。
いつも身につけているこのネックレス——これを贈られた私は雅也君にとって特別な女の子だと思ってたけど、実際はそうじゃなかったんだ……。私には今の現実を受け入れられない。
彼の心は自分に向けられていないということを、いつだって触れられる場所にいるのに。
初めて人を好きになってようやくわかった、辛くて苦しくて泣いちゃうくらい悲しい気持ち、こんな想いをするのは私が雅也君を心の底から好きだっていうこと。
今まではどこか迷いがあったのかもしれない。初めての恋心にどうしたらいいのかわからないで、ただただ感情に任せてただけなんだ。
でも、ようやくわかった気がする、こんなんじゃ彼が私を見てくれないのは当たり前。
……あの子が本当に妬ましい。私に向けられていない雅也君の愛情を感じる事が出来るんだから。
沸々と煮えたぎる様な嫉妬心を燃やした私はチャームとチョコレートを元の紙袋に戻して勢い良くゴミ箱に叩きつける、彼が起きる前にやっておかないと!
ゴミ袋の口を縛って明日の燃えるごみの日に出してしまおう。
これであのチャームが篠宮さん手に渡る事は無くなるわ!
「私だけが特別なんだもん」
雅也の初めてのバレンタインのプレゼントが湊に届く事は無い。
冷たい雪の降る夜はいつまでも長く続いていた。