二月十四日(水)
目が覚めると部屋の中は凍えるほど冷え切っていた。僕は携帯で時間を確認する。
「まだ二時か……」
こんな時間に目が覚めるのはあまり眠れていない証拠だ、ふと、隣を見ると一緒に寝ているはずの
ベッドから抜け出して真っ暗の部屋の中携帯のライトを頼りに進む、コンビニにでも行ったんだろうか?
部屋の中を移動して玄関の方へと向かう。このまま僕が帰っても咲希ちゃんは多分気づかないだろう脇に置いた自分のバッグを持って立ち上がる。
冷蔵庫を借りて中に入れてあるチョコと湊ちゃんへのバレンタインのプレゼントを忘れないようにしないとな。
すっと足音を立てずに立ち上がってつつつと床を歩く、僕が扉に手を伸ばした瞬間ドアが開いた。
「あれ? 雅也君? もう起きたんだ」
僕はその場に立ち尽くして彼女の問いかけに小さく頷いた。
「ちょっと目が覚めちゃったんだよね。そういえば咲希ちゃんは何をしてたの?」
「ゴミを出してたの。朝の早いうちに出しておいたほうが忘れないで済むでしょう?」
咲希ちゃんは僕が家に帰る支度をしているのを見るとそっとドアを閉じた。
「かなり早い時間だけれども僕はもう帰るよ」
左手に持っていたバッグを右手に持ち替えて靴を履くために玄関まで進む──途中、湊ちゃんへのプレゼントを思い出して冷蔵庫の前に足を止めた。
「そういえば、冷蔵庫借りてたね。中に入ってるやつ、持って帰るよ」
ドアに手をかけて冷蔵庫を開けた。けれど中に入れておいたはずの袋が見当たらない。
「あれ? この中に袋を入れといたはずなんだけど……」
僕は中を見回してみる、やっぱり袋が見当たらない。食材を少し動かして袋を探してみたけど見つからない……。
「なんで入ってないんだ」
一旦冷蔵庫から離れてみると傍にいた咲希ちゃんと目が合った。
「ねえ? 冷蔵庫に入れていたものって大切なやつなの?」
「まあ、そうだね」
彼女の反応を見る限り何も知らないと予想できる──僕が湊ちゃんへバレンタインのプレゼントを贈るのなんて知ってるはずがないんだから。
「中身を全部出すわけにもいかないしなあ……さてと、どうしようか?」
顎に手を当てて考えてみたけれど、すぐに答えはなかなか降りてこなかった。
あれこれ悩んでいると咲希ちゃんがサッと僕の横に来た。
「ねえ? 雅也君今日が何の日か知ってる?」
「今日は二月十四日だけど……」
今はとっくに〇時を過ぎているから日付は変わっているから十四日で間違いないはずだ。
「バレンタインデーだよね? 今日」
バレンタイン、毎年のように行われているイベントは僕の中ではそんなに特別な感じはしなかった。
ゲームとかなら結構重要なできごとだったりするんだけどね、もしくは二月十四日生まれのキャラクターもいたりする。
子どもの頃、咲希ちゃんやクラスの女子からお菓子を貰ったことがすごく嬉しかったことを思い出す。
「そうだね……」
僕は彼女から視線を逸らす。咲希ちゃんだってバレンタインデーはそこまで特別な日なんかないはずなのに。
「私ね、今日は雅也君に渡したい物があるんだ」
そういうと彼女は戸棚を開けて綺麗にラッピングされた箱を取り出した。
「これ、私からの気持ち。受け取ってください」
「これを僕に?」
何でだろう。昔も彼女からこうやってお菓子を貰ったことがあるのに今回のはなんか違う感じがする。
僕は咲希ちゃんからのバレンタインのプレゼントを受け取り二人は暫くの間見つめ合う形になる。
今度は目を逸らさずにじっと彼女の顔だけど見る。
咲希ちゃんの顔はほんのりとピンク色に染まっているのがわかる。
どうしてだろう? なんだかドキドキする。
胸の高鳴りを抑えきれない。だけど、僕はこれから湊ちゃんにプレゼントを渡すんだ、浮ついた気持ちで上げたら彼女に悪い。
「やっぱり雅也君はあの子にバレンタインのプレゼントをあげるんだね」
一瞬だけ、睨むような眼をするといつもの彼女らしくないすごい剣幕で僕に迫ってくる。
「私、知ってるんだ。雅也君が冷蔵庫に入れてた紙袋がある場所」
「知ってるの? なら教えてくれないか!」
「ダーメ。絶対に教えてあげないから」
「何でそんなこと言うんだよ」
「だって、仮にあの紙袋が雅也君の元に戻ったら、あの子へ贈るつもりなんでしょ?」
「さっきから咲希ちゃんが言ってるあの子って誰の事?」
「とぼけないでよ! 篠宮さんの事だよ!」
「どうして君が湊ちゃんの事をー」
その瞬間、僕はハッとした。僕は
「湊ちゃんって呼んでるんだ。雅也君が女の子の事名前で呼ぶのは小学生の頃の友達だけだったよね?」
何も言い返す言葉は無い。だけど、自分の口から咲希ちゃんに言わないといけない時が来たんだ。
「湊ちゃんに好きだって告白された」
僕がそういうと彼女は手を胸の前でキュッと組み。唇をかみしめた。
「人生で初めての経験だった。誰かに好意を伝えられたことは」
咲希ちゃんは黙って僕の話を聞いているけどその表情は見るのも辛そうな感じだった。
「嬉しかった。気持ちが昂った。だってさ、僕は今まで恋愛から逃げて来たんだ、だけどさ、湊ちゃんはそんな僕に素直に想いを伝えてくれたんだ。こんな僕にもう一度を恋をしてもいいんだと教えてくれた」
十年という月日は長く雅也の心の中にいつまでも残り続けていた、ようやく新しい「恋」へと振り出せる、そのきっかけは湊が作ってくれた。
「だから、咲希ちゃんに好きだと言われた時は正直理解できなかった。だって、君は十年前に僕を振ってるわけだし」
あの時のことを思い出すだけでも逃げ出してしまいそうになる。
自分の一世一代のイベントは失敗に終わってしまったのだから。
*
雅也君の言葉を聞く度に私は過去の自分のやったことを酷く後悔する。
彼がどんな気持ちであの手紙を書いたのか今なら分かるかも。
本気で私を好きだと——色々と悩んでそれでも私に告白してくれた。
愛されてたんだ、こんな私を雅也君は好きになってくれたんだね。
嬉しい。泣いちゃいそうになるくらい心の奥からポカポカするみたいな感じ、目の前の人が自分の事を愛してくれたんだと。
だけど今は違う……。雅也君の気持ちは私の所には無い。
告白を断った日から彼の中では私に対する想いは冷めてしまったんだろう。
もう一度私の事を見てくれる可能性はあるのかな?
初めての恋愛は想像していたよりも厳しい戦いになりそう……。
私が雅也君を好きだと分かった時には篠宮さんはもう彼に告白していた。
私の彼と過ごした時間をあっという間に埋めちゃって、二人の仲に私はひとりだけ置き去りにされてる。
手を伸ばしてみるけど雅也君はスルリとすり抜けて隣にいる彼女と楽しそうに談笑してる。
こんなにも胸が裂けそうで辛い気持ちになってみて「恋」をしてる事を自覚する。
彼が好きで好きで堪らない。ずっと私の側にいてほしい、何処かに行くなんて嫌……。
小学生の頃は何となくバレンタインデーのお菓子を渡していたけど、今は正真正銘の本命チョコを雅也君の為に用意した。
この日が来るのを私がどれだけ待ち望んだことか。
けれど、彼は私じゃなくて篠宮さんへのバレンタインデーのプレゼントを準備していた。
あの子に似合いそうな可愛いチャームはきっと雅也君が選んだんだろうなぁ。
どんな気持ちで篠宮さんへのプレゼントを買ったのかな? 想像すると苦しくて辛い……。
その度に胸元のネックレスをぎゅっと握りしめる。
ネックレスをプレゼントされたのは私だけで私は彼にとって特別な女の子だと自分に言い聞かせる。
だって、そうしないと泣いちゃうからー。
好きな人が自分の事を見てくれないのがこんなにも切ないなんて。
寂しくなる度に自分を慰める行為の回数は増えていく。
ついこの間まで経験無かったのが嘘なくらいに行為に耽る自分がいた。
篠宮さんへの強い嫉妬心は日に日に大きくなっている。もしもあの子がいなければ私は今頃雅也君と恋人になれてたのに!
雅也君が彼女と仲良くしているところを見てるだけで醜い感情が沸き起こる。
咲希は日に日に自分が嫌な女になっていることを自覚しているけど、それでも初めての「恋」を諦めるつもりはなかった。
**
「咲希ちゃん、紙袋がどこにあるのか教えてくれるかな?」
湊ちゃんに渡すつもりだったプレゼントが入った紙袋のある場所を彼女は知っている、もう嘘はつけない。僕は自分が告白された事を伝えたし。
「いいよ、だけどその場所に雅也君は多分入れないと思うけど」
「どういう意味?」
彼女の言っていることが理解できない。僕が入れない場所? そんなところに紙袋を置いてるのか?
「まだ業者さんは取りに来ないけどね」
「えっ……」
「紙袋はね、うちのマンションのごみ置き場にあるよ」
彼女のその言葉を聞いた僕は居ても立っても居られずに靴を履いて外に飛び出そうとする。
「待って。雅也君はうちのマンションのゴミ捨て場の場所知らないでしょう?」
彼女の言うとおりで僕はこのマンションに数えるほどしか来てないからゴミ捨て場の場所を知らなくて当然なんだ。
「どこにあるの? 教えて!」
彼女に迫り場所を聞き出そうとするも──
「マンションに住んでいる人の鍵が無いと入れないし……」
「そうなんだ」
その場に腰を落としてがっくりと肩を落とす。
「けどさ、どうしてゴミとして捨てちゃったの? 一言声をかけてくれればいいのにさ」
「……嫌だから」
「は?」
「雅也君があの子にプレゼントを贈るなんて嫌だから」
「僕が湊ちゃんにバレンタインのプレゼントを贈っても咲希ちゃんに関係ないことだろう!」
「関係あるよ! 好きな人が他の女の子にプレゼントを贈るのなんて私は許せない」
二人は言い争いを始める。雅也はいつにもなく怒っていて何故咲希がそんな行動をしたのかわからなかった。
「とにかく! ゴミ捨て場に連れて行ってくれないかな。このままだと僕のプレゼントが湊ちゃんに渡せないし」
「やっぱりあの子にあげるつもりなんだね」
「そうだよ、だって湊ちゃんは──」
──そう言いかけて僕は口をつぐんだ。それ以上は何も言い出せなかった。
まだ迷っているんだろうか? 初めて女の子に好きだと言われた、その子は僕の返事をいつまでも待っている、湊ちゃんに告白の返事をするつもりだったのに僕の心はまだ落ち着かない。
「私にはプレゼントを準備してなかったんだね」
「は?」
「篠宮さんにはあげるのに私には何もないんだ」
「いや、だってそれはー」
二人の間に気まずい空気が流れる——薄暗い部屋の中で見る咲希の顔は雅也に対して真剣な眼差しが向けられていた。
「咲希ちゃんの考えてる事が僕には分からない」
「私だって初めての経験なんだよ? あなたのことをこんなにも好きになるなんて」
そう言うと咲希は雅也の手をぎゅっと握る。
「本気なの?」
「うん……。私ね、やっと分かったの自分の気持ちが。あなたにもう一度好きになって貰えるように頑張るから」
雅也は咲希の想いをようやく理解できた、あの時の告白はジョークなんかじゃなかったっていうことが。
二月十四日、聖バレンタインデー。今年の冬は今までとは違う。
咲希から贈られた本命チョコととびっきりの愛情。
それは決して幻なんかじゃなく今こうして起こっている出来事。
雅也は戸惑いを感じながら、自分の気持ちを何度も確認するのだった。
降り積もる雪のようにふわふわと舞い落ちるそれはまるで──