夢だと思っていた。十年前の初恋の人が今、僕のことを好きだと言ってくれている。
あの時、告白が失敗した日から僕たちの関係は終わりを迎えた。
僕らは別々の学校に進学して高校時代は一度も会うことがなかった。いつの間にか僕も彼女に告白したのを時々しか思い出さないようになってた。
それでも、僕の心の中はいつまでも「失恋」の苦い記憶が残り続けている。
十年も前から僕は何も変わっちゃいない……。
彼女から贈られたバレンタインチョコをじっと眺めてふらふらとしてる自分の心を落ち着かせるために深呼吸した。
今日初めて咲希ちゃんの気持ちが冗談なんかじゃないって気づいた、だってさ、彼女は僕をふってそれから両想いになることなんて絶対にありえないことだって思ってたから。
彼女への気持ちはとっくの昔に終わってしまっているはずなのに僕の心の中はそわそわして落ち着きがない。
二人の女の子に告白されたこと。
──人生でそんな経験をするのはもうこれっきりかもしれない。僕は顔を上げて咲希ちゃんの方を見る。
彼女の真っすぐな目が僕に向けられていた。顔が少しだけ赤くなっているのも分かる。箱を持っている指先にしゅっと熱が伝わる。
「雅也君が篠宮さんと仲がいいことは知ってるよ。私は彼女と少しだけ話をしたことがあるから」
「知ってたんだ」
「……うん。この間、私の部屋に泊まったでしょ? その時に雅也君の携帯を見て篠宮さんと会う約束をしていることを」
僕は咲希ちゃんにばれていないと思っていたけれど違ったみたいだ。彼女はそっと自分の胸に手を置くと胸元に輝いているネックレスを握りしめた。
「これをプレゼントしてくれたことはすごく嬉しかったよ。それでわかったんだ自分の本当の気持ちが」
言い聞かせるようにそう呟いて雅也の手を握る咲希、初めての「恋」それは決して平たんな道ではないけれど、彼女は何度も雅也への想いを確かめた。
二人の間には独特の空気が流れる。雅也は湊へのバレンタインのプレゼントがゴミに捨てられたことを聞いて咲希の事を理解できない気持ちもあった。
「だけど、どうして僕が渡すはずだったプレゼントを捨てちゃったの?」
「嫌だったから……雅也君はあの子と仲が良すぎると思うの私かなり嫉妬しちゃったんだ」
初めて知ったんだ。
──彼女が僕のことを気にかけていてくれたなんて。
「だけど、あれは僕が湊ちゃんへ上げるために選んだんだから勝手に捨てるのは酷い」
「ごめんなさい」
ここで咲希ちゃんを咎めたところで状況が変わるわけではないし、そんなことは僕自身もわかってはいた。
「湊ちゃんへのプレゼントをゴミ捨て場から回収してくるから一緒に来てくれるかな?」
僕がそう言っても彼女は一歩も動かない。
「咲希ちゃん?」
「嫌なの、あれを取り戻したら雅也君は篠宮さんにあげるんだよね? そんなの絶対に嫌!」
「そう言っても僕だって湊ちゃんに渡せないと困るわけで」
「だったら渡さなきゃいいじゃん」
咲希ちゃんは口を尖らせてそう言うとわがままを言う子どもみたいに拗ねる。
彼女の態度に僕はちょっと呆れしまう。
しぶしぶ彼女はゴミ捨て場についてくることになり僕は扉の鍵を借りて中に入る。
「この中から見つけるのか……。かなりの量があるな」
朝の早い時間でも同じマンションに住む住人たちのゴミが置かれている、人様のゴミを漁るなんて行為は駄目だとは思うけど仕方ないか。
咲希ちゃんは自分が出したゴミがどれなのか教えてくれない。早く探さないと僕ももう少ししたら会社にいかないといけない。
たくさんあるゴミの山を見渡してからもう一度咲希ちゃんへ訊ねる。
「残ねーん。時間切れです」
そういうと彼女は僕をゴミ捨て場から外に出す。太陽の日差しが眩しくて思わず目を細めた。
車のエンジン音が聞こえて周囲を見渡すとゴミを回収する車がマンションの脇に停めてあって業者の人が下りてきた。
僕は業者の人に事情を説明したけれど、結局咲希ちゃんが自分で出したゴミを教えてくれなかったから湊ちゃんへのバレンタインのプレゼントは見つけられなかった。
(どうしようか)
会社へ向かう電車の中で今後のことを考える。湊ちゃんへプレゼントするつもりだったチョコはもうゴミ回収車の中にある。とっておきのプレゼントを取り戻すことはできない、落胆した僕は肩を落としながら会社に向かった。
会社では女の子達がチョコを配っていてもちろん湊ちゃんも同じ部署の人たちに渡していた。
彼女が準備しているチョコは男女共に人気で仕事が終わってからわざわざお店の場所を聞いているひともいた。
今日は仕事も手つかずで上の空ばかりだった、帰る時間になったというのになかなか自分のデスクから離れられなくて「はぁ~」と溜息をひとつついてようやく立ち上がった。
「新堂さん、これから時間ありますか?」
僕が立ち上がった丁度いいタイミングで湊ちゃんが声をかけてくる。
「えっ……うん。大丈夫だよ」
僕らは一緒に帰りことになって駅までの道のりを歩く。
「ちょっといいですか?」
彼女は足を止めて真剣な眼差しを僕の方へ向けてくる──座って休めそうな場所まで移動すると湊ちゃんはカバンの中から綺麗にラッピングされた箱を取り出した。
「会社で皆にチョコ配ってましたけど、雅也さんには特別なのをあげようと思って」
隣に座っている彼女は優しくはにかんでそう言うと取り出した箱と僕の顔とを交互に見る。
「これってもしかして?」
「そうです。雅也さんにあげるチョコは私の手作りですよ」
むふんと鼻息を荒くして湊ちゃんはチョコを渡してくれた。
「ありがとう」
それを受け取った僕は涙が出るほど嬉しかったけどそんな表情を見せない為にわざと作り笑顔をしてみた。
「嬉しいよ本当に」
言葉で何度も感謝を伝えたって足りない。今、目の前にいるこの子の気持ちを感じるとジンジンと胸が痛んだ。
「あのさ、実は僕も湊ちゃんにバレンタインデーの贈り物を渡そうと考えてたんだ、だけど、ごめん。ちょっと理由があって渡せなくなっちゃったんだ」
「そうなんですか?」
「……うん。本当にごめん」
「残念だなぁ」
心の底から残念だと思ってくれている彼女に僕は本当の事を言わなくちゃいけない。
「あのさ、今日バレンタインチョコ貰うのは実は二回目なんだ」
「えっ……?」
湊ちゃんの髪がふわりと風に揺られる、いつもよりも真剣な二つの目が僕の方へ向けられている。
この視線から逃げちゃダメだ。「ふぅ」と深呼吸をして真面目な顔をして彼女の方へ向き直る。
「実はさ、咲希ちゃんと会ってた。昨日、仕事から帰る途中に電話があったんだ。それで朝まで彼女の部屋にいた」
胃に刺されたような痛みを感じながら湊ちゃんにこれまでのできごとを話す。
「彼女の部屋には何度か泊まったこともある。だけどそれ以上は何も無いから」
今更そんな事を伝えたところでどうなるんだ? っていう話だ、だけどこのまま湊ちゃんに嘘をついたままいたくなかった。
彼女のことを考えておらず自分の保身の為だと思われたって仕方がない、僕は最低な男だと思う。
「それで咲希ちゃんにバレンタインチョコを貰った。そして、彼女の気持ちを改めて知った」
「咲希ちゃんは僕に好きだと告白したんだ。湊ちゃんに告白された少し後の話だけど」
彼女は真剣な表情で僕の話を聞いている。このままここからいなくなってしまいそうになるけど、逃げないできちんと向き合わないといけない。
「正直、最初は咲希ちゃんに告白されたときは冗談だと思ってた。だってさ、彼女は十年前に僕のことをふってるわけだしさ」
両想いになりたいという僕の希望はあの時に終わってしまったんだから。
「それで彼女の僕に対する気持ちが冗談なんかじゃないってことを知った」
「初めての経験をしたんだ。二人の人から好きだと言われるなんてさ。本当はずっと隠しておくつもりだっただけどそれはできないと思った。湊ちゃんに僕の気持ちを伝えておかないくちゃいけないからね」
僕は隣に座る湊ちゃんの頬っぺたに手を当てて優しくなぞった。冷たい手に彼女の熱を感じる、すぐに湊ちゃんの顔が見れる位置まで自分の顔を近づける。
「ありがとう。こんな僕の事を好きだと言ってくれて。あの時の返事を今するよ、僕も湊ちゃんが好きだ。あの日告白されてから君の事をずっと意識してた。僕で良ければ湊ちゃんの恋人になりたい」
嘘偽りのない僕の気持ちを伝える。二人は数秒見つめあうと湊ちゃんはすっと目を閉じる。
僕は彼女の体を抱き寄せて唇を重ねた。咲希ちゃんからされたキスじゃなくて自分から湊ちゃんを求めてやったキス。
告白されたあの日、彼女を抱きしめた時とは違い自然と様になる行為、夜の公園で二人だけを照らすライトがロマンチックだと感じた。
長い間キスを続けた僕らは離れるのが一生の別れになるんじゃないかと思えるくらいに帰りの時間を惜しんだ。
「それじゃあ僕はここで」
「私、帰りたくないなぁ」
「僕もだよ。湊ちゃんと離れるのが辛い……」
「私も同じ気持ちです。雅也さんとずっとずっと一緒にいたいです」
「これから二人だけの時間を取っていけばいいと思う」
「……そうですね」
名残惜しそうにする彼女に僕は共感する、できればずっと一緒にいたい、けれど、それがままならない。
会社の後輩から恋人へ関係を変えた僕たち。
これからは彼女の為にできることは何でもしてあげたい。もちろんダメな事はしっかりと言おう。
恋人になればお互いの悪いところだって見えてくるかもしれないけれどそれを受け止めて親密な関係になれたらいい。
改札を出てからホームに続く階段を降りてポケットに入れてある携帯から湊ちゃんにメールを送る。
いつもは早く打ちすぎて打ち間違えたりする事があるんだけど、ちゃんと文章におかしなところがないかをしっかりと確認してから送信ボタンを押した。
充電端子の上に付いてるマナーモードのボタンを長押してから端末をポケットに突っ込んだ。
二月の駅のホームには肩を縮めて歩く人が多い。
──そんなひとたちに押されながら帰りの電車に乗り込んだ。