その光景を目の当たりにした雅也はいつも自分が見る夢の中での情景と重なる。
物語は新しい展開を迎えるのだった。
「こんばんは」
私は篠宮さんに呼び出されて夜の公園までやって来た、私たち二人の間にはなんとも言えない空気が漂っていた。
「今日は浅倉さんに話したい事があって呼び出したんです」
篠宮さんの真っ直ぐな視線が私を捉える──彼女の気持ちの強さを感じてギュッと手を握った。
「雅也さんの事で浅倉さんにどうしても言っておかなきゃいけない事があるんです」
やっぱりそうなんだ。彼女が私を呼び出した理由は何となく察していたけどやっぱり雅也君の事なんだ。
「私、雅也さんとお付き合いしています」
「知ってる。雅也君に聞いたもん」
私がそう答えても篠宮さんは顔色一つ変えずに話を続ける。
「あなたが雅也さんの事好きなのはわかりますけど彼はもう私と付き合っているんですよ?」
「だから何だって言うの?」
不機嫌そうな声で彼女の言葉に言い返す。私の心の中にある雅也君への気持ちは何の偽りもない。
私は、彼が好き。その想いに嘘をつくつもりはない。
「だから、もう雅也さんと関わるのはやめてもらえませんか?」
私の間に冷たい風が吹く、私は「ふぅ」と軽く息を吸い込む。
二人の間に流れる空気が変化したのが分かった。
「どうしてあなたにそんなことを言われなきゃいけないのよ」
「どうしてって、浅倉さんは分かっているんですか? 私達は付き合っているんですよ」
「そうね。それは知ってる。だけど、私は自分の気持ちに嘘をつきたくないの」
篠宮さんと話して私の中にある雅也君への想いを再確認する事ができた──
「──私は雅也君が好き。この想いは何があっても揺らぐ事はないの」
「今更過ぎますよ!」
今まで冷静に振る舞っていた篠宮さんは苛立ちを隠せない様子で声を荒げる。
「十年前に雅也さんをフッておいて今更そんな事言うのはおかしいと思います。彼はあなたとの事でずっと苦しんでいたんですよ」
「あなたの言う通り。だから、私は過去の過ちを後悔してこれから雅也君にもう一度好きになって貰えるように頑張るつもり」
「それはあり得ないと思います」
「どういう意味?」
「雅也さんが浅倉さんをもう一度好きになるなんてあり得ない事だって言っているんです」
「そうかしら? 私は彼の初恋の相手だよ。私から迫れば雅也君はどういう反応するかなぁ」
これまでの仕返しと言わんばかりに私は悪戯っぽく篠宮さんを煽る。彼女と雅也君の関係が切れてしまえば私には好都合だしね。
「あなた本当に最低ですね……。こんな人だとは思わなかったです」
「恋愛に関しては自分でも性格悪いって言うのは自覚しているつもり。あなたが私にやった事と比べたらこれくらいは言っても良いんじゃないかと思ったの」
「私があなたに一体何をしたって言うんですか」
この子の素直さが心底腹が立つ。本当なら私が雅也君の恋人になっていたはずなのに!
私から彼の心を奪っておいて平気な顔をして雅也君の側にいる。
雅也君と知り合ったのは私の方が先なのに、小学生の頃から一緒なのに。
私はふと昔の事を思い出した。
*
「雨降ってるし……」
部活が終わって外に出ると激しい雨が降っている事に気づいた。雨の日はあまり好きじゃない。気分も落ち込むだけじゃなくてジメジメとしているのが苦手……。
「どうしよう。傘持って来てない」
急に大雨が降るなんて思いもしなかったから今朝は傘を準備して来なかった。
周りの友達もそうみたいで親に携帯で電話をして迎えに来てもらうようにしていた。
体操着のまま私は空を見上げる。
この大雨の中、帰らなくちゃいけないのはしんどい……。それだけじゃない雨に濡れたら確実に透ける、雨で下着が透けるのは恥ずかしい。
男子からの視線も気になるし本当にどうしよう……。
クラスの男子からの視線を感じる機会は中学生になって増えてきた。
小学四年生頃から膨らみ始めた胸は中学生に進学してからは更に成長した。
体操着の下にスポブラを付けて体育の授業に出る。マラソンとかで走るとおっぱいが擦れてちょっと痛かった。寄せてあげたら胸の谷間が出来る。中学生にしては発育良かった気がする。
自分が大人の女性に成長しているのが分かった。
雨の中を駆け出す人達をぼんやりと眺めながら「ふぅ」と溜息を吐いた。
「……帰ろう」
意を決して雨の中を帰ろうとすると横を男の子が通り過ぎた──
──相手の顔は見えなかったけれど後ろ姿で何となく分かった。
「雅也君?」
私の手提げバックには男物の傘がぶら下がっていた。よく思い出したら彼は小さな声で「これ使いなよ」と言っていた気がする。
大雨の中を駆け出す彼の後ろ姿を私はいつまでも目で追っていた。
傘を返そうと思っても雅也君は放課後はすぐに帰っちゃう。
私も部活があってなかなか彼に会う機会がなかった。
放課後にクラスの女子達は「恋」の話題に盛り上がっている。誰々が良いとか悪いとか話をしてる。
私は図書館に用があって教室から出ようと荷物に手をかける。
「咲希ちゃんって好きな人いるの?」
突然自分に話題を振られてぽかんとする。私は恋愛に興味無いし何で皆がそんな話で盛り上がれるか謎。
教室から出ようとすると引き止められて自分の席に座らされた。何人の子が私の机を囲んで聞いてくる。
「で、咲希ちゃんって好きな人いるの?」
興味津々で私に尋ねて来た。私は観念して早く終わらないかなと思った。
「咲希ちゃんは真面目だから恋愛になんて興味無いよねー」
小学生の頃から仲のいい友達がそう言って助け船を出してくれた。
クラスの子は付き合うなら誰が良いと思う? 何て事を言ってきゃあきゃあはしゃいでる。
私はそんな空気に乗り切れず一人取り残された感じになる。
「雅也君なんてどう?」
急に雅也君の名前が出て私はドキリとする。
「ええー。私は無いなあ。彼と話をした事もないし」
「あたしも小学生の頃から同じクラスだけど一番あり得ない」
優しく無いだとかかっこ悪いだとか彼に関して好き勝手に言ってる。
でも、私は雅也君の事を皆とは違うように考えてた。
文化祭で私が重いものを運べなくて苦労していた時に彼は何も言わずに手伝ってくれた事、雨の日に傘を貸してくれた事。
何故か雅也君は私には優しくしてくれた。
小学生の頃は私や他の友達に憎まれ口をよく言ってたから私が年賀状に『憎まれ口はやめた方がいいかも』と書いた事がある。
卒業後の進路は別だからもう彼に会う事はないと思う。
あの頃の私が分からなかった事が今の自分には分かる。
雅也君はずっと私の事を好きでいてくれた。鈍感な私が彼の気持ちに気づかなかっただけ。
卒業後にあの告白の手紙を貰うまでは私は彼の想いを知らなかった。
もしかしたら私は心の片隅で雅也君に惹かれていたのかも、ただ気がつかなかっただけで。その想いに気づくのは十年も経ってから──
──こんな私をずっと好きでいてくれた人。雅也君の事を考えれば考えるほど胸が切なくなる。辛くて苦しい……。泣き虫なとこは子どもの頃から変わらないなぁ。
何度も自分の気持ちを確認して彼に対して素直になる。雅也君は私の笑顔が好きだと言ってた。好きになった理由を教えて貰って私は更に彼への愛情が深まった。
白くてふわりと雪みたいにチラチラと降り積もる感情。
ギュッとネックレスを握りしめて篠宮さんを睨んだ。
「雅也さんの事は諦めて下さい」
「嫌」
「もうあの人を苦しめないで!」
篠宮さんが私に近づいて声を上げる。私たちはお互いに向き合う。
「私は雅也君を絶対に諦めるつもりは無いから。あなたが彼と別れれば良いんじゃない?」
篠宮さんが目の前に来るとこれまで胸の奥に留めて置いた醜い感情が沸々と湧き上がってくる。
「私は雅也さんと別れるつもりなんてありません!」
大人しい印象とは逆に篠宮さんは怒りの感情を隠す事無くぶつけてくる。私もこの子に言いたい事が山ほどあるの。
「雅也君はあなたよりきっと私の事が好きだから」
だって、私は彼の初恋の相手──特別な存在なんだから。
次の瞬間、篠宮さんの右手が上がるのが見えた。
パァーン!
平手打ちを貰った箇所にジンジンとした痛みを感じる。篠宮さんから叩かれるのは二回目。
「何するのよ!」
もう一発貰う前にほっぺを摩る手とは反対側の手で彼女の腕を掴んだ。
「離して!」
彼女は左手で私の手を引き離そうと掴み叫ぶ。少しだけほっぺの痛みが楽になった私は掴まれた腕と逆の腕で彼女の顔叩いた。
パシンと言う音が響いて篠宮さんはほっぺに手を当てた。私が叩いたとこは少しだけ赤くなっているのが分かる。
彼女は涙目になりながら私を睨む──その強い視線に私はちょっと怯んだ。
先に手を出して来たのはあの子だから私は何も悪い事をしていない。
なんて言う事を考えていると彼女はグッと拳を握った。
「あなたが悪いんだからね! いきなり叩いて来るから」
溢れ出る感情を篠宮さんにぶつける。私の言葉に彼女は何も反応せずに距離を縮めて来る。
「何を──」
するつもりなんて言う暇は無くて篠宮さんは握った拳を思いっきり私の顔に向けて突き出す! 咄嗟の事で私は顔をガードする暇は無くてパンチがモロに顔面にヒットした。
体勢を崩した私に彼女は更に追い討ちをかける。吐きそうになるくらいに痛みに耐え切れずその場に蹲る。
息を整える私に見下ろすような眼差しを向ける彼女を睨んでお腹に手を当てる。
「これくらいじゃ全然足りませんよ」
篠宮さんはまるで汚物を見るような目で私を見下ろす。
「……ふざけないでよ」
なんとか言葉を出すのがやっとな私の顔は涙と鼻血で酷いことになっていた……。
呼吸を整えて膝から立ち上がった私は目の前にいる相手に激しい憎悪を抱く、ポタポタと滴る鼻血が地面を赤く染める。
私達はお互いの手を掴み合いまるで男の子の喧嘩みたいに感情を剥き出しにしていがみ合う。
よろけた篠宮さんの髪を力一杯に引っ張る。痛みに顔を歪めたところに私はさっきのお返しと言わんばかりにがむしゃらに手を突き出した。
慣れてないせいかパンチした時の手の痛みに耐え切れず右手を抑える。
篠宮さんの顔は唇から血が出ていて顔が腫れているのが分かる。
それでも彼女は我慢して私に向き合う。
女子同士の喧嘩何ていままでに一度も経験した事はなくて、本当に酷い状況になっている……。
顔のケガが良くなるまでは仕事にも行けそうにない。
二人の感情は激しくぶつかり合う。遠くてその様子を見ていた雅也はいても経ってもいられなくなり駆け出した。
それは彼がいつの日か見た夢の中で見た景色を再現しているかのようだった。
「夢なら早く覚めてくれ」
二人は自分達に近づいて来る足音に気がついて湊は後ろを振り返り、咲希はボヤけた目でやって来た相手の姿を見る。
「雅也さん。どうしてここに」
「雅也君。何でここにいるの?」
二人の間に流れる空気が変わるのを感じた。雅也は真っ先に湊に駆け寄り抱きしめる。その様子を見て咲希の感情は爆発する。
雅也を湊から引き離し彼の胸に顔を埋めた。
三人時間はこの瞬間だけぴったりと一致した。乱れた酷い顔を見せまいと隠す湊に雅也は手を伸ばすと咲希に抱き寄せられた。
そして咲希は湊の目の前で雅也の唇を奪う──キスをされたことで今の状況が夢なんかじゃないって気づく事ができた。
絡み合う三人の物語今は新しいページをめくり始めるのだった。
それは純白のアルバムを染めるように始まりを迎える。ここだけは現実の冬の寒さから切り離されたかのように。