咲希自身も雅也と再びであったことに戸惑いながらも昔のような関係に戻りたいと思うのだった。
第1楽章 再会
一月十日(火)
「あのっ! これ落としましたよ」
「えっ……?」
僕の言葉に同じ年くらいに見える女の子が振り返る。
どこか身に覚えがある彼女の雰囲気、少し長めのきれいな髪と優しくて落ち着きのある表情。
もしかしたらだけど、いや、でも、人違いだったらどうしよう……。
落とし物をしたその子は初恋の
そうだ勇気を出して声をかけてみよう。
「もしかして君は
相手に聞こえているのかわからないほど小さな声で呼びかけた。
もしも人違いだった時は素直に謝ろう。
世の中に似てる人は何人かいるという話を聞いたことがあるし、見間違いだとしても向こうは僕の事を知らないわけなんだし。
「えっ……? すみません、もう一度言ってもらえますか? よく聞き取れなくて」
「すみません。あなたが昔の同級生に似ていたのでつい声をかけてしまったんです」
顔を見上げると女の子と目が合う。こういう場合はいつもなら目線を逸らしていたけど今日に限っては違った。
「もしかしてあなたは
「!」
彼女の言葉に僕はゆっくりと頷いた。
まさか向こうが僕の事を覚えているなんて思いもしなかったからだ。
「やっぱり君は咲希ちゃんなのかな?」
「……そうです」
十年も前に片思いをした相手の顔を今になってようやく思い出した──そうだ、咲希ちゃんに間違いない。
「十年ぶりかな。どうして君がー」
その時だった──
『もう二度と私に話しかけないで!』
ずっと心の奥底に残っているあの言葉が急に浮かび上がってくる。
気持ち悪い……。吐きそうな気分になる、すぐにでもこの場所から逃げ出したい。
やっと会えた初恋のひとの顔を見るたびに辛い記憶が蘇る。僕は下を向いたまま彼女から距離を取った。
「待って! 雅也君」
咲希ちゃんから自分の名前を呼ぶ声が届いているとわかっているのに聞こえないふりをして走り去る
「本当に雅也君なんだ……」
一月の空に雪が降る。
何もかもを忘れさせてくれる白い色はあの頃の悲しい記憶だけは忘れさせてくれないみたいだ。
「おはようございます」
「新堂君、おはよう」
上司に挨拶を済ませてデスクに座る──けれど、さっきのできごとで心はまだ浮ついていた。
仕事をやり始めたらすぐに集中できるだろうか? 勤務時間中だというのに僕は関係ないことばかりを考えていた。
「新堂さんは今、帰るんですか?」
「そうだよ。篠宮さんはまだ残ってたんだね」
「はい。ちょっと今日中に終わらせておかなくちゃいけない仕事があって、それでこんな時間までかかっちゃったんです……」
「まだ若いんだから無理はしないようにね」
「新堂さんだって若いじゃないですか!」
「二十歳超えたらみんなおじさんになるんだよ」
「またまたー。私も今終わったのでよかったら途中まで一緒に帰りませんか?」
「そうだね。そうしようか」
帰り支度をする篠宮さんを少し待って一緒に会社を出た。
「あ! みてみてー。雪が降ってますよ~」
「今朝から降ってたよね。僕が会社に来る頃はここまで強くは降ってなかったんだけどなあ」
「寒いですけど滑ったりしちゃいけないですからゆっくりと帰りましょう」
一月の空の下に降る白い雪を見るまでは今朝のことなんて忘れていた。
「新堂さん何かあったんですか?」
「えっ……? どうしてそんなことを聞くの」
「今日の新堂さんいつもと雰囲気違いましたから」
「何でわかったの? もしかして顔に出てたのかなあ」
「うふふ、どうしてでしょうねぇ。でも、確かに顔には出てた気がしますよ」
「あったといえばあったんだけどね……でも、篠宮さんが気にするようなことじゃないよ」
せっかく聞いてくれた彼女にもこんな態度を取ってしまう自分が情けない。
「そうなんですね。変なこと聞いてすみませんでした」
「君が謝るようなことじゃないよ。大丈夫だから」
強がってそう言ってはみたけれど、彼女に心の内を知られないようになんて狡いことを考えてしまう。
それで会話は終わってしまい、ふたりとも何も話さずに歩く。
「私、雪って結構好きなんですよ。白くてフワフワしてて、真っ白に染まった景色を見るのもなんだかいい感じ」
「僕も嫌いじゃないよ。雪が降ると冬が来たんだって思うし」
「ですよね! でも、雪だるまが作れるくらい降ったら通勤するのが困ることもあるんですけどね」
少し照れくさそうに笑う篠宮さんを見ているとこの子の優しさはきっと世界共通のものなんだろうと感じた。
「それじゃあ、私はここでお疲れ様でした」
「うん、お疲れ様。また明日」
「また明日」
駅の改札を潜る篠宮さんを見送って空を見上げた。
雪は降り続く──これは明日は積もるかもしれないな。
*Point of view Saki*
どうして雅也君がいたんだろう……?
会社から帰った私は今朝のできごとを思い出していた──十年ぶりに“再会”した昔の同級生はかなり印象が変わっていていて自分でも最初は気がつかなかった。
彼が拾ってくれたハンカチは何でもない安物だから変えが用意できる特別なものじゃないのだけど、それを雑に扱うことはできなかった。色々と考えていると携帯が鳴る。
『もしもし?』
『あっ、咲希ちゃん? 久しぶり、義之だけどー』
『義之君。久しぶりだね』
『最近忙しくて電話かける暇がなかったんだ。そっちは元気にしてる?』
声の相手は私の小学校からの友人の渡辺義之君、大人になってからも私のことを心配してこうやってたまに電話をかけてきてくれる。
『元気にしてるみたいだね。良かったよ。仕事は上手くいってる?』
『う、うん……でも、やっぱり働くって難しいことだなって感じてるよー』
『苦労してるんだね……僕らの方が社会人としては先輩だから色々悩んでいるなら話を聞くよ』
義之君は地元の高校を卒業後、上京して今はアパートや新規住宅向けの家具を作るメーカーで働いている。いつも模型とかを作っていた彼らしい就職先だなと思う。様々な場所で働いているらしくて東京にもたまに訪れる機会があるらしい。
『あのね、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?』
『何? 聞きたいことって』
『義之君はさ、雅也君とは連絡取ってたりするの?』
『雅也君? うん、ちょくちょく連絡は取ってるし、たまに一緒に飲みに行ったりしてるよ!』
『そうなんだ。実は今朝ね、雅也君に会ったんだ』
『へえー』
『すぐに彼だって気づいたわけじゃないんだ。向こうが私を覚えていてくれたっぽくて声をかけてくれたの、落としたハンカチを届けてくれたんだけど、最初は誰だろう? って思った』
『だって、別人に見えたんだもん。だけど、よく見たらどこか昔の面影があって私の方から訊ねてみたの、そしたら彼もそうだって認めてくれた』
『咲希ちゃんは雅也君とは中学の頃最後に会ったっきりなんだっけ?』
『うん……』
『彼、高校卒業して地元で何年か働いてお兄さんがいる東京にお母さんと一緒に上京したんだよ』
『知らなかった』
『知ってるかと思ってたよ』
『だって、あれ以来会ってなかったし……』
『まあ、二人の間には色々あったからねえ』
『告白の事でしょう? つい最近まで忘れてたよ』
『そんな言い方したら彼が悲しむよ』
『だって十年も前の事なんだし……今更って感じがしない?』
『雅也君にとってはあの告白に至るまで葛藤があったんだって』
『なにそれ、女の子に告白するのになんで葛藤することがあるの?』
『初めてだったからじゃないかな? それに僕が見た感じだと咲希ちゃんは雅也君が苦手に見えたし』
『別に苦手ってわけじゃないけど……』
そもそもあの人がどういう人間なのかそこまで知ってるわけじゃないんだよね。
小学校の頃から一緒だと言っても話す機会はあまりなかったし、周りの男子とは違った『変な子』っていう印象しか持たなかったなぁ。
『もしちゃんと話をしたいって言うなら連絡先教えるけど?』
『えっ? 別にいいよ。そこまでしなくても』
『そう、気になるっているんじゃないかと思ったんだけど』
『実はハンカチを拾ってもらったお礼はまだ言ってないんだよね』
『咲希ちゃんが彼と話をしたいって言うなら協力はするよ』
『うーん、別に連絡先の交換くらいはしておいても良いとは思うんだよね、友達なんだしさ』
『そうだね。それじゃあ雅也君には咲希ちゃんに連絡先を教えたって僕の方からメールしておくから』
『ありがとう』
十年振りに“再会”した同級生にお礼を言うために雅也君の連絡先を教えてもらう。
義之君との通話が終わってすぐに雅也君の連絡先の載ったメールが届いた。
スマホを操作してすぐに登録するアドレス帳を開いた。あれ? 登録先のフォルダ名はどうしようかな……。友達フォルダがあるしそっちに分類しておけばいいか。
先にいつ頃、電話をすればいいのか義之君に聞いておけばよかったかなぁ。
彼の生活リズムは知らないから二度手間だし、ちゃんと出てくれる時間にかけなくちゃいけないと思う。
時計を見るとまだ十九時過ぎだし大丈夫でしょ。うん、この時間帯なら問題ないと思う。
私はアドレス帳から番号を呼び出して通話ボタンを押した。
「こんな時間に誰だろう?」
家に帰った僕はこの間買ったゲームをやっている最中だ。
手に持っていた携帯ゲーム機を机に置いてケータイを取る。
『もしもし』
『こんばんは。あの、これは【新堂雅也】君の携帯でいいのかな?』
『そうだけど、おたくどちらさま?』
『ごめんなさい。咲希です。【浅倉咲希】』
『咲希ちゃん!?』
驚いて座っていた座椅子を倒してしまう。その拍子に足を座椅子にぶつけてた。
『痛ぇ!』
『大丈夫? なんだかすごい音がしたけど……』
『ああ! 大丈夫だよ。それでどうして咲希ちゃんが僕の電話番号を知っているの?』
『その様子だとまだメール来てないんだね。私が雅也君の連絡先を聞いたってあとで義之君がメールで連絡することになってたの』
『そうだったんだ。それで何か用かな?』
『うん、今朝の事なんです。ハンカチを拾ってくれたことのお礼が言いたくて電話したの。あの時は本当にどうもありがとうございました』
『どういたしまして』
彼女の落とし物を拾い十年振りに初恋の相手に“再会”した。だけど、電話越しでの会話はやはりどこかぎこちない。
『最初あなただって気がつかなかったよー。私たちそこまで話とかしたことがなかったからすぐには思い出せなかったの』
『僕もわからなかったよ。人違いだったらどうしようかと思ってた』
『そうなんだ? なんか印象変わったよね。特に声聞いていると本当に別人だと思える』
『そうかな? 自分では昔とあまり変わってない気がするんだけど、咲希ちゃんは変わらないね。朝会ったときは昔よりもすごく大人びた感じがしたよ』
『私ももう子どもじゃないからねー』
『髪型変えたんだね。前は短めの髪してたと思うけど』
『うん』
『そういえばこうやってちゃんと話するのは初めてかな? ははは。小学校から一緒だったけどそこまで話をしたことはなかったよね』
彼女を退屈させないように少ない引き出しの中から会話になりそうな話題を選んでいく。
『雅也君がこっちに来てたなんて今まで知らなかったよ』
『高校を出てからは向こうで五年くらい働いてたんだ。それで最近上京してきてね、元々都会で働くのが夢だったし』
『そうなんだ。ねえ、お兄さんは元気にしてる? 面白い人だったよねー』
『ああ、元気にしてるよ。僕よりも明るくて相変わらずってところかな。そういえば咲希ちゃんはもう社会人だよね?』
『そうだよ。大学を卒業してから今の会社に入社したんだ』
『へえー、大学は楽しかった?』
『楽しかったよ。色々と勉強することも多かったけどね』
『行かないと大学の面白さは分からないっていう話は聞いたことがあるよ』
『雅也君は進学しなかったんだね』
『進学にはお金がかかるし兄ちゃんや母さんに負担させる訳にはいかないよ。それに今の仕事にはすごくやりがいを感じているから』
『どんな仕事に就いたの?』
『ネット関連の会社」
『なんか雅也君がパソコンを使いこなしているイメージがわかない(笑)』
『酷いなあ。ちゃんと使い始めたのは高校からなんだけどね、知識や情報処理能力はあると思う』
『じゃあ、私がパソコン関連で困ったことがあれば助けてもらおうかなー』
『僕にできることがあればねー』
『その時はお願いします! 今日は久しぶりにお話しできて楽しかったよ。もう切るね』
『こっちも楽しかったよ。もしもさ、何かあったりしたらいつだって相談にのるからさ』
『頼もしいねぇ期待しておきます。それじゃあね、おやすみなさい』
『おやすみ』
通話が終わってもしばらく携帯を手放せないでいた。十年前の「初恋」の相手が昔と変わらずに僕に声をかけてきてくれた──だけど、咲希ちゃんからもらった告白の返事の手紙に書かれていた言葉がいつまでも胸に残っている。
せっかく彼女の方から今日のお礼を言いたいと電話をくれたのにそんなことを考えるのはよくない。
またかけてくれるんだろうか? そんな事を思いながら眠れない夜を過ごした。
*Point of view Minato*
「これでよしっと」
「お姉ちゃん何を作ってるの?」
「ちょっとケーキを作ってみましたー。夏帆も食べる?」
「わあ! すごく美味しそうだね」
「うふふ、そうでしょう?」
「お姉ちゃんって彼氏もいないのにいつもお菓子作りとかお料理の練習とかは本格的だよね」
「夏帆、何か言ったかしら?」
「ううん! なんでもありません」
「あんまりそういう事ばかり言ってるとご飯作ってあげないからね!」
「ごめんってーお姉ちゃんの美味しいご飯が食べたいです!」
「それでさー。お姉ちゃん、例の人とは上手くいってるの?」
「ん? 誰のことよ」
「ほら、いつも話してくれる会社の先輩だっていうひとだよ」
「ああ、新堂さんね。新堂さんとは何もないわよー」
「でもお姉ちゃんその人の事を話している時はすごく楽しそうだよ? この間って一緒に帰ったんでしょ」
「その時はたまたま帰る時間が一緒になっただけよ」
「そんなこと言って実はお姉ちゃんの方からその人を誘ったんじゃないのかな」
「うっ……」
妹に図星を指された私は何も言えなくなってしまった。
「その人ってさ彼女とかはいたりするの?」
「うーん、どうだろう。直接聞いたことがないからわからないわ」
新堂さんに彼女がいるなんて話を聞いたことがない。同じ会社の女の子に尋ねても知らないって言う人がほとんどだったし、仮にいたとしてもそういうことを周りにペラペラと喋るようなひとじゃない。
でも、すごい気になる……。
直接本人に聞けば簡単なのだけどそういう事に関しては自分の性格のせいかなかなか一歩が踏み出せないでいた。
「お姉ちゃんくらいの年の女の人は恋愛経験があったりする人多いと思うんだよね」
「夏帆だって彼氏いないでしょ!」
「私は好きだと思える人がまだ現れないだけだよ」
「子どものくせにませたことを言うんじゃありません」
「年はふたつしか変わらないじゃん」
妹とあれこれと会話をして自分の作ったお菓子を食べる。もっと上手くなってあの人に作ってあげたい。あとお料理の本も買わなくちゃ!
*
『この時間帯に雅也君の方から電話してくるなんて珍しいね』
『確かにそうだね。いつも義之君からかけてくれる方が多かったから、実はね、さっき咲希ちゃんから電話があったんだ』
『ちゃんと話はできた?』
『うん、今朝彼女の落とし物を拾ってあげたんだけどそのことのお礼を言いたくてかけてきたみたいなんだ』
『咲希ちゃんもそう言ってたね』
『義之君は彼女とは連絡を取ってたんだよね?』
『そうだよ。まあ、でもそこまで頻繁にやっていたわけじゃないけど』
『正直に言うとね、まだ告白のことで気持ちが整理できたわけじゃないんだ。もう十年も前の話なのにいつまでも引きずってる』
彼はいつだってそうだ、些細なの話だとしても黙って聞いてくれる。そして、何かがあるとすぐに自分だと気がつかないようなところを教えてくれる。
『確かに忘れなくちゃいけないことなんだと思う。けれど、僕には今まで咲希ちゃん以外に好きになれる女の子ができたことがないんだ。正直ここまで未練がましい男だとは思わなかったよ』
『簡単に新しい“恋”を見つける事は難しいんじゃないかな?』
『学生時代なら出会いのきっかけとかは多そうな気がするけど社会人になるとさらに限られてくるからね、“恋”をすることが全てじゃないんだから』
『雅也君が楽しいと思えることや嬉しいと感じることに比重を置けばいいさ。そうすれば自然と忘れられるものだよ』
『ありがとう。義之君と話すと気分が楽になれるよ』
こうやって話を聞いてくれる相手がいてくれることに感謝しよう。今度一緒に飲みに行く≪約束≫も取り付けた。
いつまでもあの時のできごとを引きずっていちゃいけない。前を向いていかないとな。
仕事で疲れた体をベッドに寝かして目を閉じると“意識”は現実と切り離されて深い微睡みの中へ落ちていく。
ここはどこなんだろう? 身に覚えのない場所へたどり着いた。
そこでは「誰か」わからない女の子が言い争いをしていた。
ふたりはそれぞれ真剣な表情でお互いに自分の気持ちをぶつけていた。
何を言っているのか僕には聞こえない、彼女たちのやり取りを離れたところからしか見ることができない。
そして場面が切り替わり自分がどこか知らない場所に立っている。顔の見えない相手に何かを問いかけている。
目が覚めると周りはもう明るくて朝が来たのがわかった。ぼんやりとした“意識”を覚醒させてベッドから飛び起きた。さっきまで見ていた夢の内容は全く思い出せない。
一月十一日(水)
朝起きてすぐに仕事へ行く支度をする。夢の事は覚えてないけど、昨日はあの子(咲希ちゃん)と話したという現実がしっかりとそこにあった。
義之君の言うようにこれから楽しいことを見つけていこう。趣味は少ないわけじゃないからこれからは
自分の時間を大切にしよう。
昨日から降り続いた雪はもう止んでいるけど一面には真っ白な世界が広がっている。
今日はまた一段と寒くなりそうだ。
ポケットに入れているウォークマンで好きな音楽を流しながら雪道を歩く。
今朝の満員電車は不思議と嫌な感じがしなかった。