仕事が終わって家に帰り着くと自動ドアの前に人影が見える。
あまり目が良いわけじゃないから誰が立っているのか分からないけれぼおそらく宅配の配達員でも来たんだろう。 僕はその脇を抜けようとすると急に何かに腕を掴まれた。
「おかえり、帰ってくるのを待ってたよ」
腕を掴んだ相手を睨むとそこにはついこの間知り合ったひとがいた。
「急に訪ねちゃってごめんね」
そう言いながら机に置かれたコーヒーカップに口をつける、あの後一旦部屋に戻って外着に着替えてから駅近のおしゃれなコーヒーショップに入る。
僕は普段からこういった感じの店を利用する機会はないから緊張する。一方久我山さんはそんな僕の気持ちなんて知らない様子で料理を食べている。
「それで? 一体何の用? ていうかうちの場所誰から聞いたの」
「新堂君の家の場所は咲希から聞いた。あの子なかなか教えてくれなくて苦労したけどね」
彼女と二人きりで食事をしている様子を某らの関係を知らない人たちからしたらどう言うふうに見えているんだろうか?
チラリと久我山さんに視線を送ると彼女と目が合った。綺麗な瞳は僕の姿を捉えている、どうにかこの状況から一刻も早く脱したい僕は会話を進めつつ目的を探る事にした。
久我山さんは咲希ちゃんの話題はあまり話さない。僕のことをあの子からどんな風に聞いてるんだ? なんていう疑問が浮かんだ。
と言うよりも何で久我山さんはわざわざ家の前で待ち伏せするような真似をしてたのか? わからないことばかり。
(大学時代の咲希ちゃんか……)
彼女はどういうきっかけで久我山さんと知り合ったんだろうか? 高校を卒業してからすぐに就職した自分には大学生活なんてイメージが湧かない、ゲームとかアニメで見るようなキャンパスライフは幻想的なもので実際はもっとチープな感じなんだろうな。
咲希ちゃんがどこの大学に通っていたのかなんていうのは僕が伺い知らないところだ、そこで恋人ができて、恋愛を経験していれば今こんなことにはなっていない、そう思う。
久我山さんと入ったコーヒーショップはサラリーマンやOL風の客も多く利用していた。とうきょうは本当におしゃれな店がたくさんある、田舎に住んでいた僕はコーヒーなんて缶のやつかインスタントを飲むことがしょっちゅうでブランドとかの味はイマイチわからない……。
「君と会うのは悪い気はしないけど、二人きりで会っているのを咲希ちゃんは知ってるの?」
「知らないよ。知ってたら多分面倒なことになるだろうね」
ぼんやりと呟く彼女は短い髪を揺らして頬杖をつく、その仕草がすごく様になっていてまるでドラマの中に迷い込んだように感じられた。
コーヒーカップに口をつけて啜る──ちょっぴり苦目の味が口の中に広がる。
(砂糖もう少し入れれば良かったかなあ)
ブラックが苦手なわけじゃないけれどもあまり美味しいと感じないのは良くない気もする。
彼女は僕に興味があると言ってたけれども、人にそんな事を言われたのは初めてだ、子どもの頃からあまり周りと積極的に関わるタイプではなかったし、大人になって変わったけど、他人に注目されるというのに苦手意識があった。
中学の頃の文化祭で歌を歌ったのはあの子の為だったけど、聞いて欲しかった相手の淡白な反応にすっかり萎えてしまったのを思い出した。
会計を済ませて店を出ようとすると腕を掴まれた。
「これから少し時間ある? ちょっとあたしの家まで来てほしいんだけど」
突然そんなことを言われた僕はどう言う反応をしていいのかわからず彼女に言われるがままに久我山さんの家へと向かうことになった。
マンションのオートロックを解除してエレベーターに乗り込む──僕らの間に会話はない。大きな扉の前に立った彼女は鍵を取り出して鍵穴に差し込む。
ガチャリと扉が開く音が聞こえると何も言わずにドアノブに手をかける。
「やっぱり僕、帰るよ」
そう言って引き返そうとすると強引に腕を引っ張られる。
「ダメよ。これから話があるって言ったでしょ。逃がさないわ」
まるで別人みたいな久我山さんの怒気迫る勢いに圧倒された僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「ただいま」
「あら、おかえりなさい」
リビングから女性が出てくてきて玄関までやってくる──その人は僕の顔を見るととても驚いた様子で靴を脱いでいる久我山さんの顔と僕の顔を見比べていた。
「友達、今日はこれから舞台に関する話するだけだから」
表情を変えずに女性に伝えると僕の手を引いてサッと自分の部屋に招き入れた。
部屋の鍵はかけない──久我山さんは「ちょっと待ってて」とだけ言い残して部屋から出て行ってしまう。
僕はフローリングの床をツツと足を滑らせて進む。
数分待つとさっきの女性と久我山さんが戻ってくる。どうやら彼女は僕がここに来た事情を説明していたようだ。
よく見ると女性はとても綺麗な人でどことなく彼女の面影を重ねることができた。
「もしかしてさっきの人は君のお母さん?」
「そう。あたしは母さんと二人暮らしなんだ。あ、ちなみにこの情報は咲希は知らないから、あの子はうちに遊びに来る機会がなかったし。あたしの方があの子の部屋に行くことが多かったから」
大学時代から仲の良い相手にも知らせていない情報を知り合って日の浅い自分に教えていいものなんだろうか?
久我山さんは何を考えているのかわからない、確かにこの子と話しているはずなのに別人と話しているみたいに感じる。この違和感はなんだろうな……。どうにも落ち着かない。
心がざわついている、ふと気がつくと久我山さんの顔が近い位置にあった。僕は慌てて身を引く、一体どう言うつもりなんだ? 今まで色んな人を見てきたけれど、彼女は思考が読みにくいタイプだと感じた。
「あたしなら、良いよ」
「何がいいの? て言うか顔近すぎるんだけど」
「本当にこういった経験はしたことがないんだね。『女』に慣れていないって感じがする。咲希とはエッチしたんでしょう?」
「何でそのことをー」
忘れてしまいたい過去──僕は生まれて初めて体を重ねた相手の事が蘇って来る。嫌な記憶だから早く消したいと願っていた。それでも、思考の奥底に張り付いてなかなか取れない。
乱れ切ったあの子の顔、初めての経験は僕の心に消せることのない記憶を刻みつけた。
急に服を脱ぎだす久我山さん。僕が声をかける間も無く彼女は下着一枚になる。これまで「女」を感じることができなかった相手を途端に“意識”する。
汚れを知らない透き通った白い肌。久我山さんの表情に変化はない、下着姿だと言うのに羞恥心すら感じていないんだろうか?
「本当のあたしはどれだと思う?」
密着させて来た肌の温もりを感じる。女の子の良い匂いを嗅いでしまう、それでも、理性はまだ崩壊するには余裕があった。
咲希ちゃんほどではないけど、久我山さんも結構胸が大きい、服の上からでもわかる膨らみをできる限り意識しないようにした。
「いきなりこんなことして何を考えてるんだ? 君はもっと自分を大切にするべきじゃないか、恋人でもない相手にこんなことをしちゃいけない」
「そう言うってことは雅也はあたしを『女』と認識してくれてるんだね」
久我山さんに呼び捨てにされる。さっきまでの彼女とは雰囲気が違うと言うのはすぐに感じ取ることができた。
「本当に何なんだよ……。大事な話があるんじゃないの」
「理由なんて後からいくらでも付けられるじゃない。あたしはあなた達に興味があるのよ。その為なら手段を選んでいられないのよ」
この子は一体何を言ってるんだ? それにあなた“達”という言葉が引っかかる。
*
雅也には明日奈の目的がわからないでいた。咲希から彼の存在を聞いた時から明日奈の中にはとある計画が思いついた。
彼女は雅也達の三角関係を描いた舞台を完成させるのが目的だった。
咲希と仲良くしながらいつか訪れるかもしれないチャンスを窺いながら日々を過ごしてきた。
【久我山明日奈】という舞台女優としての名前──今まで彼女は本名を名乗った事は一度も無い。明日奈という名も演じる為の役名であって本当の彼女の名前を知るのは母親だけ。
深く周りの人間と関わりを持たなかったからこそ、今まで「友人」すら欺くことができた。
自分の最大の武器を活用して最高の舞台を作り出す事を最優先に活動をしていた。
台本から脚本まで全てを担当し大掛かりなものを準備している。
咲希を演じる為に身近にいて。彼女を観察してきた。そして残りの登場人物のイメージを固めるために先ずは雅也と接触することに。
「全てはこの為に──あとはもう一人の主役と会うべきね」
**
「雅也になら本当のあたしを見せてもいいよ」
下着に手をかけるとなんの躊躇いも無く脱ぎ捨てる、歳の近い女の子の裸に驚いた僕は目を閉じた。自分の置かれた立場を理解するのは到底難しいことでもある。
強引な彼女の行為に戸惑いつつ僕はこのどうしようもない運命の因果に逆らえずにいた。