泣き出したくて逃げ出したくなる、咲希は部屋の中で崩れ落ちて号泣する──信じていた相手に伝えられた衝撃の事実、それを受け入れるにはあまりにも残酷すぎた……。
「うっ、うう……」
ぽたぽたと涙が零れ落ちる、綺麗なカーペットにシミができても止まることがない、心が痛む……、吐きそうになるくらい気持ち悪くなる……。
どうしてこんな目に遭うんだろう?
因果応報なんていう言葉がある、今まで私が行って巡り巡ってきた災難、私はただ、幸せになりたいだけなのに……。
四つん這いになった時に胸元から垂れ下がる輝く白銀のネックレス──それは二年前に雅也君からプレゼントされてから一度も外したことがない。
この宝石の一粒一粒に込められた愛情を知って私は自分の本当の想いに気づくことができた。
私は鈍感で当時の彼の自分への好意を蔑ろにした。それでも雅也君はずっと想っていてくれた、初めて誰かに好きだって言われてあの頃の私は全然イメージが湧かなかったし、恋愛自体に興味なくて今までそうやって生きてきた分これからも変わらないと思ってた。
二年前の冬のあの日、彼に<再会>するまでは──十年ぶりに会った私たち、雅也君とは中学を卒業してから何もやり取りがなかったし、共通の友達の義之君も彼の話題を口に出すことはなかった。
二人はまた巡り会って昔みたいな友達関係を築いていくはずだった。だけど実際は違くて私は十年もの歳月をかけてようやく彼に対する気持ちを知ることができたの。
一つ違うと言えば今度は私が雅也君に片思いしてるってことかな? 子どもの頃は逆で彼が私に片思いをしてた。当時の雅也君が抱いていた感情とか今の自分ならわかる。
「私、今どんな顔してるんだろう」
明日奈の言葉を思い出す──あの子が何を考えているかわからない。だってついこの間まで私たちは良い関係を築いてきたのだから、それも彼女の目的の一つだとしても簡単に受け入れることなんてできない。
私はちっとも明日奈のことを知らなかった。私に内緒で雅也君と会っていた。
「うっ……」
想像すると気持ちが悪くなって来る……。楽しそうに話す二人のことを思い浮かべると気分が悪い。その空間に本来いるべきなのは誰なの?
篠宮さんが私に向けて言った言葉──彼女の想いの強さを知ると臆病になるけれど、それでも負けたくない、諦めたくないと思える。
たった一度きりの「恋」なんだから。ちょっとだけ楽になった私はなんとか体を起こして立ち上がる。部屋のドアは明日奈が出て行ったままの状況で開け広げられている。
いたたまれなくなった私はこの場所から逃げ出すように外に飛び出した。
部屋着のままなんて気にしないで夜の街を走る──どこかに行って休みたい、そのままずっと。
泣いている顔を見せないために下を向いて歩く、周りの人たちはそんな私のことなんて気に留めず通り過ぎていく。その厳しさを身にして感じると胸が痛んでくる、自分がどんな格好をしているのかさえもわからずにふらふらと彷徨う。
ふと右手を見るとスマホが握られている。世界から孤立している私に唯一残された場所──それに縋り付くように画面のロックを解除する。
「いや……私の居場所を奪わないで」
充電は八〇パーセント。これならまだ大丈夫、へたり込むように地面に座ると冷たいアスファルトの感触がなんだか嫌な感じ。
世界から切り離された自分を惨めに思いながら唯一の希望に縋る。意識せず連絡先から彼の番号を呼び出していた。
「……助けてよ、雅也君。私、どうすればいいの」
この絶望的な現実から救い出してほしい。ネックレスをギュッと握りしめて夜の空を見上げる、胸が裂けそうになるくらいにチクチクと痛む。
呼吸をするのさえ苦しくなってその場にうずくまる。
もう限界を迎えていた私は彼の番号をタップして電話をかけた。
(お願い! 出て)
無機質になる呼び出し音を聞きながらたった一つの希望に期待して祈るように電話の相手が出るのを待った。
*
「おっと、こんな時間に電話なんてかけてくるのは誰だ?」
スマホに着信を知らせるアイコンが表示されたから──僕は通話ボタンを押して耳に当てる。丁度部屋で休んでいる時にかかってきたものだから不機嫌な声で電話に出た。
「もしもし」
「……」
「もしもし?」
「……」
(いたずら電話か?)
相手は何も返事をしない。僕は通話を終わろうとボタンをタップしようすると声が漏れてくる。
「うっ、うう……」
「もしもし? あの間違いなら切りますよ」
「待って、切らないで下さい」
涙声で返事をする相手に僕は電話越しに顔を歪めてとりあえず言う通りにする。
「もしもし、どなたですか?」
「私です、咲希です……」
「えっ……?」
もう聞くことが無いだろうと思っていた彼女の名前、僕の初恋の人。
「咲希ちゃん? 一体どうしたの?」
本来ならば関わらずに切ってしまええば良いんだろうけど、電話の向こうから泣いている様子が分かる彼女の事が放っておけなかった。
「うう……。切れないでくれてありがとう」
涙声で返事する咲希ちゃんはまるで地獄から救われたような明るい口調を感じた。
「どうしたの? 泣いてるみたいだけど」
僕がそう言うと彼女はしばらく黙ってしまう──無理に聞き出そうとはせずにあくまでも咲希ちゃん自身が次の言葉を発するまで待った。
「あのね、ちょっと立ち直れないことがあって、それで泣いてたの」
「そうなんだ、それで僕に電話をかけてきたんだね」
「うん、今の私には雅也君しかいなかったの」
「大袈裟だよ。僕が咲希ちゃんにやれることなんてたかが知れてるし」
「雅也君の声を聞いたら少しだけ気持ちが楽になった。優しいね、普通だったら私の返事なんて聞かないで電話切っちゃうだろうし」
「そんなんじゃないよ。もしも緊急の連絡だったら困るからね。悪戯かどうかも確認したかっただけだから」
「私、今、一人で外にいるんだ。あはは、友達と色々あってね家にいるのが辛くなったんだ。それで逃げるみたいに走ってどこだからわからないけど今地面に座ってる」
「どこだか分からないって……帰る時はどうするの?」
「わかんない……」
電話越しでも咲希ちゃんが元気がないのは分かる。喋るのも辛そうなのに無理をして僕との会話を続けている、それはまるで僕と話している事が唯一彼女の世界と繋がっているかのようだった。
「夜遅い時間に女の子が一人でいるのは危ないよ。早く家に帰った方がいい」
僕にできるのは例え気休めだとしても彼女に励ましの言葉をかけてあげる事、それで咲希ちゃんの気持ちが休まるのなら。
「ねえ、話を聞いてもらえますか?」
「話? 少しだけならいいよ」
電話越しに咲希ちゃんの吐息を感じた、その微妙な距離感が二人の間を一時だけ繋ぐ、季節は春だが夜に外にいるのは寒いだろう。
咲希ちゃんはなかなか喋ろうとしない。よっぽど辛い出来事があったんだろうな、時刻は〇時を過ぎようとしている、僕は電話越しに欠伸をしながら彼女が話をするのを待った。
「今更雅也君に縋るなんて図々しいって事はわかってます。だけど、今の私のたった一つの希望はあなただけなの」
いつにも増して神妙な様子を感じ取れた。すぅと息を吸う音が聞こえる
まだ春は始まったばかり、終わりを迎えたはずの二人の関係──急速に変化する周りの環境は物語を最後の旋律へ誘う。
過去、現在で奏でられた音符が未来へのメロディーを紡いでいく。
空白のアルバムのページを埋めるように、譜面に載せられる。