「あと少しで完成ってとこね」
作りかけの台本の表紙を何度も指でなぞる、冬に起こったたった一度きりの「恋」のドラマ。それを演じるのは自分自身、この恋愛劇に脚本から配役まであたしが全部決めた。
完成した台本がみんなの手元に渡るまでにはあとちょっと。
この恋愛ドラマの結末は簡単にしちゃいけない。
この舞台はあたしにとっても重要な意味を持つ。
普通の男女の恋愛をテーマにして演じたとしてあたしが満足するようなものを作り出せるとは思えない。
劇場で見た人達を魅了して話題を独占しなくちゃいけない、その為に今までずっと準備をやってきたんだから。
咲希にどう思われていようとそんなのは関係ない。舞台は大成功させる、決意を胸に抱いて台本を作る作業を再開した。
あの子との友情を捨ててあたしは二人の女の子を演じきる──今まであの子を見てきたんだから性格から細かい仕草ですら真似できる。
ううん、違うわ、舞台上ではあたしは【浅倉咲希】になる。
咲希を演じる理由それはあたしが自分で決めたこと──あたしが舞台に立つと見ている人たちはみんな驚いた顔を見せる高校時代一人で男役以外を全て演じたことがある、理由は簡単一緒に演劇の練習をしてた子達に満足させられるような演技をできる子がいなかった。
学生の舞台でそんなに真剣にやらなくてもっていう反発の声も多かったkれど、あたしはそんな批判の声を自分の演技で黙らせた。
「彼女は舞台に上がると別人になる。役を演じているはずなのにどうしてか他の人とは違う、そうだ、完全になりきっているの、キャラクターがどんなものであろうとも完璧な演技で演じ切る」
あたしの舞台を見た人たちは口を揃えてそう言う──相手役の男子生徒と恋人役を演じたら彼はあたし自身の演じた「女」の魅力に取り憑かれてしまった。
劇場を降りると告白をされる事が多かった、どんな性格でも演じきれるおぞましいまでに高い演技力を持っている自分に自信がある。大学に入った頃演劇サークルの仲間であたしの演技についてこれる子なんていなかった。
どの子も平凡で退屈な役しか演じられないのに苛立ちを覚えていた。
むしゃくしゃして周りに当たり散らすなんていうみっともない真似だけはしなかったけど、日に日に鬱屈が積もっていくばかり。
たまたまキャンパスを当てもなくぶらぶらと歩いていたときにあの子に出会った。
出会いはほんの偶然で次の演劇の脚本で頭がいっぱいだったあたしは目の前から来る人影にも気づかずにぶつかる。
彼女は体制を崩して尻もちをついたーその様子を見てようやく現実へ引き戻された。
「あら、ごめんなさい。怪我はないかしら」
初対面の相手と話す時に心が得ていることは本当の自分じゃない別の誰かを演じると言うこと──あたしが誰かなんて演劇をやるうえではなんの関係もないんだから。
「あ、大丈夫です」
立ち上がってパタパタとズボンのゴミを払ったその子はちょっと恥ずかしそうにしてた。
どうやらブラついていて他の学科の子に出会ったみたい。
その時はすぐに別れたけれど、どうしてかあたし自身はあの子のことが気になっていた。
後で知ったことだけど彼女の名前が【浅倉咲希】で人間心理学科に通っている同い年の子だという情報を手に入れた。
見た目も普通の子で何となくつまらなそうな雰囲気を感じた。
だけどふと聞いたとある事象を知ってからあたしは彼女に興味を持った。
浅倉咲希という女の子は男が嫌いなのかわからないけど今まで彼氏ができたことがないらしい、食堂で彼女と同じ学科の子が話しているのを聞いただけなんだけど、合コンとかに誘っても全然来ないらしい。学科では仲の良い友達はいるのに恋愛の話題に関しては何故か興味がない。
あたしはいつものように偽名を使って彼女の友達から色々な情報を聞き出した、けれど、所詮友人が知っている情報なんて些細なものでこれといって面白そうなものはない。
あたしはしばらく彼女を観察することにした──同じ大学で学部の違う子に会える可能性なんてそこまで高いわけじゃないけどあの子はいつも決まった行動パターンをしていて居場所を突き止めるのは苦労しなかった。
「隣いい?」
「えっ……?」
たまたま一人でお昼ご飯を食べているところに話しかけた、あたしは彼女の友達に名乗った【久我山明日奈】の名前で自己紹介した。
初めは警戒してたみたいだったけれど、この間あたしがぶつかった相手だと思い出すとあの時のことを謝り始めた。
それから学部は違うけどあたしは咲希とよく一緒にいることが増えた。もちろんあたしが演劇サークルに所属しているのは内緒にしてあくまでも【久我山明日奈】として接した。
大学一年のクリスマス。周りの人たちは浮かれムードでクリスマスの予定を話していた。あたしはそんなひとたちを軽蔑した目で見つめてた。
クリスマスに予定を作るなんて子どもの頃だけで大学生にもなって大騒ぎするようなイベントじゃない。
咲希から予定を聞かれた時にぼんやりとしか返事をしなかったけどあの子はクリスマスに特に予定が無い。同じ学部の子達が街へ繰り出す中あたしは咲希と二人で女だけのクリスマスを過ごしていた。
咄嗟に恋愛の話題を振ったときにいつもと違う顔を見せたのを見逃さない。これまで恋愛に興味ないって言ってた子があんな顔をするんだろうか?
あたしは疑問に感じて探りを入れてみる。咲希と同じ高校に通う友達は大学にいないけど、何とか彼女の秘密を知ることができたら──
──なんのためって? それはあたしが「浅倉咲希」を演じる為よ。
思い返せば高校時代も今も演じているのは誰かが生み出したキャラクターで現実にいる人をモデルにした事なんて一度もない。
フィクションの演技がもしも現実で起こった出来事をなぞったら見た人はどんなリアクションを取るのか気になった。
あたし自身が満足するような舞台を作り上げる為に準備を進めていった。
咲希と四年間同じ大学へ通って卒業も彼女が東京で働くのを知ってからあたしも東京の劇団に入団してお芝居を続けた。
まあ、本当に働いているところはあの子に教えていない。
ずっと咲希を見てきたあたしなら彼女を演じきれる自身があった。
劇団の主役を任されるようになってからも納得がいくようものは作れないジレンマに悩まされていた。
三年働いた頃に団長からあたしが企画した舞台を上映するといった話をもらった。すぐに準備に取り掛かる。そして現実に起こった出来事を劇に流し込むというアイデアはすぐに思いついた。
ついに迎えたチャンスを待っていたかのようにあたしの周りでは幸運が続いた。
今まで咲希と友達として接してきたけど、彼女の心情に変化が生まれたのに気づいた。
そう、二十五歳の冬あの子は思いだけないイベントに遭遇する。
昔、咲希を好きだった男と偶然にも<再会>した。
まるでこの時を待っていたかのように二人の仲は急激な変化の波が訪れる。
あの咲希が「恋」をしたという、大学時代あたしが合コンに誘っても来なかったあの子が人を好きになるなんて。
彼から貰った白銀のネックレス──それがずっと頑なだった咲希心を変えた。
初めての「恋」これまで恋愛経験の無い咲希がどんな風になるのか期待が膨らんだ。
あたしもこの話題を取り入れて劇を作ろうと思った。
「恋」をしてからの咲希はこれまでの彼女が嘘かのようにいつも不安な気持ちで一杯だった。
あたしに昔の事を話してくれた、咲希が好意を持った相手は中学生の頃自分へ告白した相手で高校生になってからは一度も会わなかった同級生。
しかも咲希自身が彼からの告白の手紙に酷い返事をしたらしくてそれを後悔してた。
彼からプレゼントされたネックレスに込められた愛情と意味を知って咲希はようやく自分の恋心に気づいた、十年間ずっと温められて来た感情は昂りを迎える。
恋愛をするのにかかった年月がそれだけ彼女を不安にさせる。
片思いされていた側から片思いする方へ変わる──やっと女の子らしい一面を見せてくれた。
【浅倉咲希】を演じる上で必要なポイントは全部揃えた、あとはこの冬を背景にした恋愛劇が完成するのを待つだけ。