胎間忍 作:内府
アサギ達6人の脱出のための軍議が終わった。
この計略の肝は長政であった。
長政が浅井様の当主としてお市を返還を行うが、そのことに対してアサギ達は何も手を出すことができない。
お市の返還について最大の発言力を持つのは浅井家当主の長政であり、お市を説得できるのも夫である長政であった。
アサギ達は長政がお市を返還するのに合わせて織田軍の包囲網を突破することでしかこの計略に関われない。
ならば、自分達が担っている部分は完璧にして長政の労に報いようと、小谷城の地形から敵の予想される位置など細部から意見を詰めていった。
小谷城の本丸の地下には牢獄があった。
この地下牢は手が加えられて特別な造りに変えられ、鏡や文机、脇息といった物が持ち込まれ貴人の部屋のようであった。
この牢獄の主は長政の正室お市であった。
織田軍から本丸を防衛するための軍議を終えた長政がかれの妻の元にやって来た。
お市「長政様、お待ちしておりました。」
長政「待たせたな、市」
お市「外の様子は、どうなっていますか?何やら騒がしいようですが。」
長政「外では織田の軍勢がこちらを目指して進軍しておる。」
お市「では、兄上がこちらに来られるのですね。」
長政「そうであろうな、まもなくこの城も落ちる、その時は儂も腹を切るつもりだ。」
お市「その際は私も、お供いたします。」
長政「市よ、金ヶ崎や姉川の折にでもお前の兄の元に戻って居ればと思ったことはないか?もしくは、今から織田の陣に…」
お市「長政様、くどうございます。私は長政様のお側を離れたくはございません。」
お市に織田への返還の話をきっぱりと拒絶された長政はお市の説得を諦めた。
長政「そうか…市よここから出よ。本丸に戻り其方の兄を待つ。」
お市「分かりました。彼岸まで共に参りましょう。」
長政は黙ったまま、錠を開けお市とてをつなぎ地下牢を後にした。
アサギ達が小谷城脱出の計画を論議しているとムラサキの顔が段々と青くなっていく。
サクラ「ムラサキちゃん、大丈夫?顔が真っ青だよ。」
ムラサキ「だ、だいじょゥヴ、だ。もんだ…い…ない。」
アサギ「大丈夫なわけないでしょ!悪阻が始まったみたいね。井戸で水を貰ってきなさい。」
ムラサキ「申し…訳…ありま…せん。」
ムラサキは息も絶え絶えに謝罪をすると口と胸を押さえながら席を立った。
アサギ達はムラサキの身を案じつつそれぞれの腹に手を当てて近い未来のことを考えた。
ムラサキ「ウヴォエエッガッハッウェェゲッ……ハァ…ハァ…」
ムラサキは井戸の近くまで来ると我慢できずに胃の中のものを吐き出してしまった。
ムラサキは胃袋が裏返るような感覚に襲われて普通に立つこともできず井戸の淵に倒れかかるように水を汲み上げた。
酸味と苦味が混ざったような味が口の中に広がっていた。
ムラサキが口をゆすいでいると誰かが手ぬぐいを差し出した。
ムラサキが手ぬぐいを受け取りその人物の顔を確かめようと見上げるとそこには響子が立っていた。
ムラサキ「…響子様…」
響子「大丈夫ですか、ムラサキさん?かなり辛そうでしたけど。」
そう言うと響子はムラサキの背中をさすっている。
ムラサキ「もう大丈夫です、響子様。だいぶ楽になりました。」
響子「そう、それならいいのだけれど。そのややが私の中にいたときも悪阻がとてもつらかったから、貴方もつらくなるのではないかと心配しました。」
ムラサキ「それはご心配をお掛けしました。もう大丈夫ですのでこれで失礼いたします。」
ムラサキは惣一郎の姿を偽り響子を抱いた経緯から彼女に会わす顔がなく、足早にこの場から去ろうとした。
響子「待って!」
響子に制止され仕方なくムラサキは立ち止まった。
ムラサキ「…何の用でしょう?」
ムラサキは振り返り響子と向かい合うが彼女を正面から正視できずにいる。
響子「貴方を責めているのではありません。貴方にお礼と貴方の胎のややに形見分けをしたいのです。」
ムラサキ「いえ、私に礼などは不要です。ただ、形見分けとはどういうことですか?」
ムラサキは響子から惣一郎の子を孕んだと告げられ、実際には自分が孕ませたことへの罪悪感から自分はもう用なしだと言ってその場をすぐに立ち去ってしまっていた。
響子「形見分けとは惣一郎様の品を分け合うことです。」
ムラサキ「惣一郎様の物は全て響子様がお持ちになればよいのではありませんか?」
響子「いいえ、ムラサキさんと私の胎にいるややに渡す必要があります。私たちの胎にいるややは2人とも私と惣一郎様が結ばれてできたやや達です。そのややが大きくなった時に自分達の父親が惣一郎様である証を持たせたいのです。」
そう言うと響子は1枚の青銅製の板を懐から取り出した。
その板の両端には赤と青の2つの宝玉がはめ込めまれ
表には蛙の絵が描かれ、裏面には惣一郎的妻子響子と書かれていた。
響子はその板を真ん中から二つに割ってしまった。
響子「これは唐土で使われていた、割り符という物です。惣一郎様が後から蛙と漢文を加えて無事に帰ることと自分の妻は響子であるという誓いを示した物です。惣一郎様が青い側を私が赤い側の欠片を持ち帰ってくるたびに二つを合わせて一つにしていました。」
響子は惣一郎が帰ってくるたびに割り符を合わせていたことを思い出している。
惣一郎が首をなくして帰ってきたあの日も彼の青い側の欠片は帰ってきて二つは一つになった。
響子は惣一郎の骸と共にこれを埋めることも考えたが裏面の惣一郎の妻は響子であるという誓いの文を自分が彼の妻であった証としめ手許に残した。
響子は青い側の欠片をムラサキに渡した。
響子「ムラサキさんはそちらをお持ち下さい。そちらには惣一郎様の名前が書かれているので自分の父親が誰なのかそれを見るたびに知ることになるでしょう。」
ムラサキ「確かに受け取りました。必ず胎のややに自分の父親について教えましょう。」
そういうと彼女達は割り符を自分の懐に収めた。
響子「ムラサキさん、貴方のおかげで惣一郎様のややを孕むことができました。本当にありがとうございました。」
そう言うと響子は深く頭を下げた。
ムラサキ「頭ををお上げ下さい、響子様。貴方様のお気持ちは十分に伝わりました。そこまで喜んでいただけると惣一郎様とお引き合わせた甲斐があります。」
ムラサキに言われて響子は顔をあげる。
ムラサキ「私どもは織田の包囲網を突破して遠くに旅立ちます。二度と会うことがないかも知れませんが、どうかお元気で。」
響子「ありがとうございます。貴方との約束を必ず守ります。ムラサキさんも元気な赤子をお産みになり、いつまでも健康でいられますようお祈りしています。」
ムラサキは元気な赤子を産んで必ずその子に割り符ともう一人の美しい母親について伝えなければならないと決意を固め井戸を後にした。
響子は自分の最愛の夫ともう一度会わせたうえにその夫との子を命懸けで守っているムラサキから受けた恩をいつか必ず返そうと心に決めて井戸を後にした。