胎間忍 作:内府
美濃国岐阜城、この一室に響子は軟禁されていた。
軟禁といっても響子は丁重に扱われ、客人をもてなすようであったが部屋の周囲には常に小姓達が彼女を監視していた。
響子はこの扱いに戸惑いつつ、自分の腹に手を触れ我が子のことを案じた。
時折、胸に痛みも走った。
響子が捕らえられてから、江に乳をやることはなく自然と彼女の胸は張ってしまいこうして痛みとしてお市達と離れたことが現実となって現れた。
小谷城が落城してからお市達は自分を快く受け入れ、その事に感謝するとともに、今こうして捕らえられたことによりお市達に迷惑を掛けてしまったことに響子は胸が痛んだ。
響子がお市達と自分の将来のことを考えているとにわかに外が騒がしくなった。
小姓「お待ちくだされ、お市の方様。お舘様に、誰も通すなと命じられております。」
お市「兄上にはわたくしから後で申しておきます。そこをどきなさい。」
お市が小姓達の制止を振り切り響子のいる、部屋に入ってきた。
響子「これは、お市の方様。」
お市「無事ですか?響子殿。乱暴はされていませんか?」
響子「はい、そちらの小姓方はわたくしを丁重に扱いまるでどこぞの姫にでもなった気分です。」
お市「そうでしたか、それはなにより。」
響子の返答にお市は一安心といった様子であった。
お市「響子殿と話しがしたいので、皆下がっていてくれませんか。」
小姓「しかし…」
お市「お願いします。」
お市に頼みこまれた小姓達は仕方なく、部屋から出ていき後にはお市と響子の2人だけが残された。
互いに向き合って座り、お市から話を切り出した。
お市「さて、響子殿。貴女にお尋ねしたいことがあります。」
響子「はい、なんでごさいましょう?」
お市「貴女が子を孕んでいるというのは真ですか?」
響子「……はい、真です。」
お市「ああ、長政様のお子がここにもおられるとは…。」
響子「いえ、お市の方様。腹のややは長政様のお子ではありません。」
お市「えっ、どういうことなのです?」
響子「わたくしの腹のややの父親はわたくしの亡き夫惣一郎でございます。」
お市「まさか、そのようなことが…。」
響子「真でございます。城が落ちたあの日、確かに死んだはずの夫と交わいました。」
お市「そんな、ありえませんわ。」
響子「ですが、現にわたくしは孕んでおります。信じていただけませんか?」
お市「……分かりました、貴女の話を信じましょう。」
響子「ありがとうございます。」
お市「わたくしも出来ることならもう一度長政様にお会いしたいものです。どのようにしてその惣一郎殿と会われたのですか?」
響子「ムラサキ殿のおかげです。」
お市「ムラサキ?」
響子「ええ、くノ一をされている方で、その術で夫ともう一度会わせていただきました。」
お市「そうでしたか。」
お市は響子の話を聞いて自分も長政ともう一度会うことができるかもしれないと考えた。
響子「お市の方様、江様や他の方達はいかがお過ごしでしょうか?」
お市「皆、常と変わりません。子らはいささか寂しそうにしております。」
響子「そうですか、ご迷惑をお掛けしています。」
響子はこのように捕らえられてお市達に迷惑を掛けてしまったことを謝った。
お市「いえ、お気になさらずに。一番お辛いのは貴女なのですから。安心してください、わたくしが必ずここからお出しします。」
響子「お市の方様…。」
お市「それまでの辛抱です。」
響子「はい、お待ちしております。」
響子はお市の思いに目頭が熱くなるのを感じた。
響子の解放を約束したお市の行動は早く、響子を軟禁している件の最高責任者に直接話をつけに行くことにした。
岐阜城城主の間、ここで信長は悩んでいた。
浅井家の残党をお市が匿っているという情報を掴み、早速勢い乗り込んでみた信長であったがそこで見た響子のことが気にかかっていた。
初めて目にして美しい女だと思っていたが、江に乳をやっているところを目撃しそのすべてを包み込むような母性に信長は惹かれてしまった。
響子のことを思い出すと、彼女が江に乳をやっている姿が目に浮かびその時に嗅いだ甘い匂いが信長の心を掴んで離さなかった。
しかし、響子は浅井家の残党でありその胎には長政の子が宿っているらしかった。
このままにしておくこともできずかといって響子を始末するのも気がひけ、どうすればよいか信長は珍しく迷っていた。
この時、信長をはじめ響子も気づいていないが響子の胎の子の相手はムラサキであるという事実があった。
信長が響子の処遇を決めかねていると、小姓がお市の来訪を告げた。
響子をお市の目の前で捕らえて妹からかなり恨まれていると思っていた信長であったが、以外なことにお市の方から自分を訪ねてきたことに少し驚き目通りを許すと小姓に伝えた。
お市が自分の部屋に入ってきて人払いを頼んだのでそれに信長は応じ、兄妹二人きりになった。
お市「兄上、この度は響子殿の件で参りました。」
無駄な口上を嫌う兄の性格を知っているお市は早々に用件を口にした。
信長「ああ、あの女のことか。」
お市「兄上は響子殿をいかがなさるおつもりですか?」
信長「そうじゃな、うーむ、このままにしておくことはできぬな。」
信長は本当に悩んでいた。
珍しく迷っている兄にお市は響子の解放を嘆願した。
信長「それは出来ぬ。長政の子を孕んでいる女を野放しには出来ぬ。」
信長は即答した。
お市「兄上、それは誤解です。」
信長「なに?」
お市は響子が孕んだ経緯を説明し胎の子の父親が長政ではないことを告げた。
信長「にわかには信じられぬな。」
お市の説明を受けた信長であったが、死んだ人間が蘇るなどとはとても信じられなかった。
お市「ですが、紛れもない事実です。長政様のお子でなければ響子殿を捕らえておく理由はないはずです。」
信長「死人が蘇るなどありえぬ、長政の子である可能性がある以上解放するわけにはいかぬ。」
お市「そんな…。」
信長「じゃが、あの女に不便がないようには手配をするつもりじゃ。市と市の娘達があの女に会うことも許す。」
お市「……、かたじけのうございます。」
信長「それからな、市よ。たまには顔を見せてくれ。其方と会えぬのは儂とて心苦しい。」
お市「……善処いたします。」
信長「頼む。」
お市「用件は以上でございます。これにて失礼いたします。」
お市が退室して残された信長は響子の胎の子について考えていた。
信長は人心を惑わすような呪いなどを嫌い、大蛇の住むという伝承のある池に自ら飛び込みその姿を確かめようとしたこともあった。
なので、死人が蘇り女と交わい子ができるなど信じられなかった。
しばらくは、響子の監視を続けて様子を見るしかないと信長は結論を出した。