胎間忍 作:内府
森可成の一子蘭丸は信長の小姓見習として岐阜城で住み込みで仕えていた。
蘭丸は先輩小姓達の使いっ走りのような仕事をしながら小姓の仕事を学び、文武の鍛練も欠かすことがなく信長の手足となるように努力した。
この時の岐阜城での小姓達の仕事に浅井家の残党の監視というものがあった。
この城には響子という長政の元側室がいたがその扱いは虜囚を見張るというよりも貴人をもてなすようであった。
初めはこの主の命に渋々従っていた小姓達であったが響子と触れ合うにつれ彼女を慕うようになり、小姓達自身から響子の扱いを丁寧なものにしていった。
蘭丸も先輩小姓達に混じり響子の世話をすることがありこの時は彼女の夕食の膳を運んでいた。
蘭丸「響子様の御夕飯をお持ちしました。」
監視役の小姓「ああ、分かった。……響子様、お食事をお持ちしました。中に入ってもよろしいですか?」
中から何も返事が無かった。
監視役の小姓「響子様?……入りますよ?」
再び問いかけるも中からの返事は無く、仕方なくその小姓と蘭丸は室内に入った。
室内では薄桃色の小袖を着た女がこちらに背中を向けて座っていた。
蘭丸と小姓がその女に近づいていくと違和感が彼らの足を止めた。
蘭丸と小姓はその違和感が何なのか頭を回した。
蘭丸はあることに気がついた。
普段は響子から乳の甘い香りが漂ってくるが目の前の女からはそれが無かった。
蘭丸は手にしていた膳を置くと目の前にいる女の肩に手を掛けてこちらを向かせた。
監視役の小姓「お主は誰だ!」
響子の服を着たこの女は黙ったまま蘭丸達を見ようともしなかった。
蘭丸「貴女は…確かお市の方様に仕える侍女ではありませんか?」
監視役の小姓「なに!そうなのか?」
その女は蘭丸に正体がばれてしまい震えが止まらなかった。
監視役の小姓は茶々が自分に絡んできたときに響子に対する注意がそれてしまいその隙にまんまと彼女が逃げ出したことを悟った。
時は少し遡ってお市が響子の部屋にいた頃、お市は響子をこの場から逃がすためにまず響子の衣とお市の侍女の衣を取り替えさせた。
そして茶々と初に小姓の注意を引くように小姓に絡むように命じた。
まだ幼い茶々であったが母からの頼みであり、なにより自分が慕う響子のために精一杯この役目を果たそうと誓いそれを遂行した。
茶々と初が小姓の注意を引いている間に響子を部屋の外に連れ出しそのままお市に与えられている一室へと戻ることに成功した。
お市は部屋に戻るとすぐに響子の衣をまた別の物に着替えさせ市女笠をかぶせ顔を隠させて城の外へと逃がした。
響子「お市の方様、このようなことまでしていただいて真にありがとうございます。」
お市「何を仰います、子を思う母親の気持ちをないがしろにするなど許されるものではありません。さあ、響子殿早くお逃げなさい。」
お市は響子に早く逃げるように指示し、響子と彼女の子供が安全に暮らせるように祈りながら彼女を見送った。
このようなことが行われていたのだが、小姓達は膳を運び込むまで全く気づいていなかった。
響子が部屋にいるものと思っていた小姓達はことの重大さに気がつき冷や汗が止まらなかった。
直ちに非番の小姓達に響子の捜索にあたらせると共に自分達の主の信長に響子が逃亡したことを報せにいった。
岐阜城の当主の間で信長は兵法書を読んでいたが響子の監視にあたっていた小姓達が顔色を変えて目通りを願ってきたので響子に不測の事態が発生したことを察した。
監視役の小姓「お、お舘様。響子様が……響子様がお逃げになりました。」
信長「であるか。」
監視役の小姓「我々が見張っていながらこの始末、何とお詫びを申し上げてよいのか分かりません。この上はこの腹掻っ捌いて責を取ります。」
監視役の小姓達はそういうと脇差しを抜いて己の腹に突き立てようとした。
そこへ信長が脇息を投げつけ小姓の額を強打した。
信長「うつけ!腹を切ってけりをつけるなどもってのほかじゃ!うぬらもこの信長に仕える武士なら失敗はより大きな手柄で挽回せよ。死んではならん!」
信長は小姓達を激しく叱った。
小姓達は信長がの逆鱗に触れたことを恐れたが同時に死ぬなと言われたことに感動もしていた。
監視役の小姓「はっ!ではこれより響子様を見つけ出し連れ戻ります。」
監視役の小姓達はすぐさま信長の御前を辞して城外へ響子の捜索に出ていった。
小姓達は主の思いに触れ、それぞれの目頭が熱くなっていることを感じた。
小姓達を叱った信長は自分の判断を悔いていた。
響子の我が子を思う心の深さを甘く見て、彼女の心を踏みにじってしまったことに反省していた。
信長は先ほど小姓達が腹を切るのを止めたが、その原因は自分の判断にあると考えこの件で自分に忠誠を誓っている彼らを死なせるわけにはいかなかった。
再び響子に会って詫びなければならないと思った信長はこの場にて響子の帰りを待つなどできなかった。
そう思い立った信長は袴も身につけず太刀だけを帯びて厩へと走り彼の愛馬に跨がると響子を探すために駆けだした。
にわかに岐阜城の内部が騒がしくなった。
響子がいなくなったことに気づいた小姓達が彼女を探し始めていたのだが、今度はこの城の主が姿を消したのであった。
このことはさすがに小姓のみでかたがつく問題ではなく上は家老衆から下は小間使いまで皆血眼になって信長を探した。
これほどまでに大きな騒ぎになると響子が逃亡したことがダンゾウらの耳に入った。
ダンゾウ「ちっ、使えぬ奴らじゃ。やむを得ん、儂らも出るぞ。」
ダンゾウは響子を逃がしてしまった小姓達を罵り佐馬斗らと響子の捜索に出かけた。
響子はいくあてもなく美濃の山中を彷徨っていた。
胎の子を守るために岐阜城から逃げ出したのだがこれからどうすればよいのか考えていなかった。
そんな響子にダンゾウらとムラサキと信長の三者が迫っていた。