胎間忍 作:内府
響子はムラサキに言われた通りに林を抜けて街道へと出た。
このまま左手に進めば近江の坂本へ行けるはずであった。
響子が街道を歩きだすと後方の暗闇から馬の蹄の音が近づいてきた。
響子が振り返るとそこには髪を振り乱し騎乗した信長が彼女を追いかけてきた。
その剣幕に響子は腰を抜かし、もう逃げられないことを悟りその場にへたり込んでしまった。
響子を見つけた信長が馬から下りて彼女に歩いてきた。
信長の手には太刀が握られていた。
信長「響子…、すまなかった。」
響子「えっ?」
信長が響子に頭を下げ、その事に響子は戸惑っていた。
信長「その方を追い詰めたのは儂じゃ、許せ。」
信長は響子に頭を下げたまま、自分がしたことに謝罪を続けた。
信長「頼むから、儂とともに来てくれ。その方を悲しませるようなことは二度とせん。」
響子「そんな……。」
信長「この通りじゃ。」
信長はそういうと先ほどの響子への誓いに対して金打をし、自分の脇座を響子に与えた。
信長「もし、儂が其方を悲しませるようなことをすればこれで儂を刺せ。」
響子は信長から脇座を受け取ると信長を見つめるが信長の顔には一切の欺瞞の色はなく、堂々と響子を見つめ返していた。
響子「宜しいのですか?」
信長「無論じゃ、二言はない。」
そう言うと信長は響子を抱き上げて彼女を馬へと乗せその後ろに自分も跨がった。
信長「帰るぞ。」
響子「………はい。」
信長と響子は二人で岐阜城へと馬で駆け出した。
岐阜城へと続く道を二人は黙って馬に揺られながら帰っていった。
帰路をしばらく走っていると馬を遮るように3つの陰が道を塞いだ。
ムラサキに振り回されながらも響子の後を追っていたダンゾウと彼の配下が追いついたのであった。
ダンゾウ「その女を渡せ。」
響子はダンゾウらに怯え震えていた。
信長はそんな響子の肩を強く抱き寄せ彼女を安心させた。
信長「ならん。」
ダンゾウ「なんだと?」
信長の予想外の回答にダンゾウは思わず声が漏れた。
信長「この女に手を出すことまかりならぬ。手を出すならばお主を斬る。」
第六天魔王と呼ばれる戦国大名の気迫にダンゾウも手が出せずにいた。
信長はそんなダンゾウが存在しないかのようにその脇を抜けて岐阜城へと駆け出した。
二人の間に何の会話もなかったが、響子は信長に抱き寄せられたまま体を預けていた。
信長の若武者のように鍛えられた体に頼もしさわを響子は感じていた。
いつの間にか夜もあけて信長を眩い朝日の光が照らしていた。
日が真上に上がる頃に響子と信長は岐阜城へと帰ってきた。
信長が姿を消したことに家老衆や小姓達は顔面蒼白であったが、無事に帰ってきたことに皆安堵していた。
信長が馬から下りたところで一緒に帰ってきた響子に小姓の一人が彼女を捕らえようとしたいた。
信長「待て、その女に手を出すな。」
小姓「はっ…しかしこの女は浅井の……。」
信長「この女は今日より儂の側室とする。皆そのように心がけよ。」
信長のこの発言に織田の家臣だけでなく響子自身も驚いた。
信長は小姓達に響子を側室として扱うように指示を出すと、一人城の井戸へと向かい旅の汚れを落とした。
信長が頭から井戸水をかぶっていると、小さな手が手ぬぐいを差し出してきた。
信長「お蘭か。」
蘭丸「はい!」
信長は蘭丸から差し出された手ぬぐいを受け取ると、体を拭きながら蘭丸に命じた。
信長「お蘭よ、先ほども申した通り響子は儂の側室とした。今まで以上に懇ろにせよ。それから一益を呼んでまいれ。」
蘭丸「はっ!かしこまりました。」
蘭丸が信長の前から辞し、信長が体を拭き終わるころに滝川一益が現れた。
滝川一益「お舘様、滝川一益参上いたしました。」
信長「一益、甲賀衆に領内の監視をきつくさせよ。おそらくあの女狐どもは我が領内におる。」
滝川一益「はっ。」
信長はダンゾウらとすれ違った時にした血の匂いからそう直感した。
信長「それから、ダンゾウらと甲賀衆はなるべく行動をともにするようにせよ。」
滝川一益「…奴らが裏切りますか?」
信長「分からん。だが儂の目の届くようにせねばならん。」
滝川一益「はっ、そのように致します。」
信長「うむ、下がってよい。」
信長はダンゾウに不信感を抱いていた。
ダンゾウらが血の匂いをしていたにも関わらず何も報告しないことと、響子に対して危害を加える可能性からこのような不信を抱くこととなった。
滝川一益が信長の元から離れると彼と入れ替わるように蘭丸が信長の着替えを持ってきた。
蘭丸に手伝われながら信長は着替えると、この小姓見習の気の利きようを信長は気に入った。
アサギ達は深傷を負ったムラサキを回収し坂本の小屋へと帰っていった。
ムラサキの傷は既に塞がっていたが大量に血を流したことにより気を失ってカカシに背負われていた。
ムラサキは気を失っていたが命に別状はなくその事はアサギ達を安心させた。
アサギは無事にムラサキが戻ったことを喜んだが同時にこれからの潜伏生活に危機感を覚えた。
今回の一件で織田の目が近江を向いてしまいいずれ見つかってしまうのではないかとアサギは考えていた。
それでも今はムラサキを回収できたことが何より嬉しかった。
甲斐国躑躅ヶ崎館、この館の主武田勝頼はある決心を固めた。
父信玄の遺言を破り織田と徳川との対決に踏み込むことに決めた。
信玄が死んでから織田と徳川の逆襲が始まり、遠江では徳川につくものがではじめていた。
もとより勝頼は信玄より武勇の才に溢れた猛将でこのまま座して動かないことなどできなかった。
勝頼「もはや、戦に勝って自分で状況を作るほか無い。」
勝頼は一人決意を呟いた。
岐阜城内ではお市が響子の無事を祈っていた。
どうか、いずこかへ落ち延びそこで平穏に暮らして欲しいと思っていた。
そこへ彼女の侍女が驚くべき報せを持ってきた。
侍女「お市の方様、響子様がお舘様に連れられ城へ戻られました。」
お市「ああ、なんということでしょう。」
お市の願いは無残なも打ち砕かれたかのように思われ響子の不運を嘆いた。
侍女「それから…お舘様は響子様を側室に迎えるとのことです。」
お市「はい?」
お市は自分の耳を疑った。
響子が側室になるなど夢にも思わなかったが、ひとまずは彼女の安全は確保されたのかと考えるようにした。
お市の傍では茶々達が驚きの表情を浮かべる母の顔を見つめていた。
ダンゾウらは美濃の山中を岐阜城へと帰るために走っていた。
そんなダンゾウの表情は苦虫をかみつぶしたように晴れやかなものではなかった。
ダンゾウらはくノ一を一人殺したが、こちらも佐馬斗を喪い響子に手を出すことを信長に止められてしまった。
この時ダンゾウは気づいていなかったが殺したと思ったくノ一のムラサキは息を吹き返していた。
そうとは知らないダンゾウは必ず残りのくノ一を血祭りに上げると心に決めていた。