胎間忍 作:内府
美濃国岐阜城当主の間、この城の主の信長は目の前の地図を睨みながら苦い顔をしていた。
東美濃の明智城が落城したとの報せを伝令から受けたためであった。
信長「勝頼め…やりおるな。」
信長は武田信玄が存命のおりは武田家との直接対決は避けていた。
信玄が生きているうちはいつ織田家に襲いかかるかと恐れ満足に眠ることもできなかったが、信玄死すの報せに安堵して数年ぶりに安眠することができたほど信玄を恐れていた。
だが、信玄の跡を継いだ勝頼の手腕は信玄に匹敵するものでまた織田家に脅威をもたらすものであると信長は考えていた。
数年の内には勝頼は完全に武田家を統制し織田家へと攻め寄せることが予測され、それ以前にその脅威を取り除かねばならないと信長は決意を固めた。
蘭丸「お舘様、これを。」
地図を睨む信長の苦い顔を気遣って傍に控えていた蘭丸が金平糖を差し出した。
信長は無言でそれを掴んで口に入れるとぼりぼりと食べた。
金平糖の糖分が信長の脳内に入り、対武田との戦略を立てることの燃料となった。
蘭丸は信長が響子を連れ帰ったあの日から、信長の近くに仕えるようになっていた。
蘭丸は日中は信長の世話をしつつそれ以外の空いた時間で武芸の稽古や書物を読んで主のために鍛練を欠かさずまだ幼い少年ながらも全身全霊で主に対して仕えていた。
主の信長にこうして金平糖を差し出したり何かと近くにいて世話をする蘭丸の忠勤を信長は認め彼を重用し、同時に彼を可愛いがった。
信長「お蘭、手を出せ。」
蘭丸「はっ。」
信長は蘭丸の出した掌に金平糖を2、3粒載せてやり彼に食べるように命じた。
蘭丸「頂戴いたします。……甘い……、大変美味しゅうございます!」
信長「であるか。」
信長の表情は豊かではなく、無表情に近いが先ほどまでの険しいものから幾分和やかになっているように見えた。
この頃の信長は東からは武田家、北では越前の一向一揆、南では伊勢の一向衆、西には本願寺といった勢力に悩まされていた。
織田家は大きな勢力へとなっていたがそれでもまだ、敵対勢力も大きなものがあり、信長の苦難は続いていた。
そんな信長の癒やしになっていたのは蘭丸ともう一人、信長が突然側室として迎えた響子であった。
あの日、響子が城から逃げ出したかと思うと信長の姿が消えて岐阜城では上を下への大騒ぎとなり翌日に響子と一緒に戻ってきた信長に安心したのもつかの間、信長の響子を側室にすると言う宣言にまたしても城内では大騒ぎとなった。
このことに信長の小姓達は驚いたものの響子の人柄を知っていた彼らは信長の宣言に賛成したが、他の家臣とりわけ佐久間や林といった重臣で反対する者がいた。
そんな信長に思わぬところから助け船が出された。
信長の妹のお市が響子を側室に迎えることに全面的に賛成し、これにより反対する家臣の声は掻き消されていった。
このお市の行動には当の信長本人も驚き、お市に理由を尋ねた。
お市「まだ、長政様を殺した兄上に対しては収まりのつかない面もあります。ですが、響子殿を兄上の側室にするということは良きことに思います。なので、このことに関しては兄上を全面的に応援いたします。」
お市はそう語って響子を側室に迎えることに賛同し、反対する者に直接、主君のすることにつまらぬ横槍を入れるなと説いて廻った。
お市の後押しにより家臣の多くが反対しなくなり、信長は無事に響子を側室に迎えることができた。
今の響子は信長の側室として織田家に迎えられ正式に岐阜城の一室を与えられて侍女もつけられて暮らしていた。
信長は自分が与えた金平糖を美味しそうに食べる蘭丸を見てとても満足していた。
例えるならば子犬に餌を与えるようなものなのかもしれなかった。
蘭丸を見ながら、信長は来るべき武田家との決戦に何としても勝ってこの者を守らねばならないと誓った。
信長の頭の中では武田と戦うには織田の全力を挙げて臨まねばならずそのために一向衆を潰しその間に勝頼がこちらの思い通りになるように罠に嵌めるといった戦略が立てられていった。
信長が対武田の戦略を立てている頃岐阜城のお市に宛がわれた一室に響子はやって来ていた。
信長の側室として迎えられてからは城内を自由に行き来することが許されてこうして空いた時間にお市の元を訪れるのであった。
お市「まあ、義姉上。ようこそお越しくださりました。」
響子「お辞め下さい、お市の方様。今まで通り響子と及び下さい。」
お市「何を仰います。義姉上は義姉上ですよ。」
信長が響子を側室として迎えてから、お市は響子を義理の姉として扱っていた。
響子としてはこれまで通りに接して欲しかったがお市は響子を敬うと同時にどこか義姉上と呼ばれて戸惑う響子を楽しんでいるようであった。
茶々「義姉上様ー、茶々と遊びましょー。」
茶々も母に倣って響子を義姉と呼んでいた。
響子「はい、茶々様。何をされますか?」
茶々「うーんと…鞠!」
初「初も!初もするー。」
響子「はい、初様も一緒に遊びましょう。」
響子はこれまで通りお市の娘達と遊ぶことができて、信長とお市に感謝していた。
信長が側室として迎えていなければ、お市が説得をしなければこうした生活は送れなかったと思われた。