胎間忍 作:内府
山科言継は権大納言に叙されている公卿であった。
ただ、この老人は他の公家とは全く別の異質な存在だった。
公家の嗜みとして和漢や蹴鞠に笙そして有職故実に通じていたがそれに留まらず製薬にも通じ庶民にも分け隔てなく診察し、双六や酒宴といった遊興にも才能があった。
これらのことだけでも公家の中では目立っていたが彼が特に異質と呼べる理由は他にあった。
山科言継はこの戦国の世に翻弄される朝廷を存続させるために公家から何かと下に見られる武家の力を借りるために各地を奔走した。
縁戚にあった今川家を頼ったこともあり、関東に脚を伸ばすこともし、将軍家と交渉をしたこともあった。
山科言継が異質な存在であるのはこうして朝廷のために惜しみなく頭を下げ武家の協力を得たことにあった。
美濃国岐阜城、織田家の本拠地であるこの城へ山科言継は信長に会うために訪れていた。
山科言継は信長が居る応接間へと通された。
山科言継「お久しゅうございます、織田殿。」
信長「うむ、其方も健勝そうであるな。」
山科言継「いえいえ、織田殿に比べればさすがに寄る年波には勝てません。ところで本日こちらにお伺いした儀は織田殿の官位昇進をお伝えに参りました。さすがに朝廷への支援をしてくださる織田殿をこれ以上無位無官のままというわけには参りません。」
信長「朝廷を助けるは当然のことである。特に礼などはいらん。」
山科言継「お見事な心構えでございますな。しかし、これだけのご支援をいただきながら何もできることがないのはいささか心苦しくもあります。」
信長「ならば一つ頼みがある。」
山科言継「何なりと仰ってください。」
信長「蘭奢待を切り取りたい。」
山科言継「蘭奢待ですと!」
山科言継はその言葉に衝撃を受けた。
蘭奢待は朝廷が所蔵する香木の一つであった。
この蘭奢待を切り取ったことがあるのは室町幕府の8代将軍足利義政であり、その後の歴代将軍が願い出ても許されていなかった。
蘭奢待を切り取るということは将軍を凌駕する大義を得ることでもあった。
信長はその大義を得て彼の天下布武事業をより一層加速させるつもりでいた。
山科言継「織田殿の頼みとあらば、請け負いますが…この件に関しては私の一存というわけにはいけません。他の公家も説得せねばなりますまい。一度都へ戻り三ヶ月以内には切り取りの詔勅を賜るように善処いたします。」
信長「ご助力感謝する。おい!」
信長が一声かけると応接間と隣の間を隔てる襖が開かれ、砂金の詰まった巾着が山のように置かれ他にも書画や茶器といった名物も大量に置かれていた。
信長「これらを全て差し上げる。ご自由に使われよ。」
信長はこれらを山科言継に全て献上し彼の朝廷工作の資金援助とした。
山科言継「おお!これは何と……、ありがたく頂戴します。」
蘭丸「失礼いたします。お茶をお持ちしました。」
山科言継が声のした方を見ると幼い美少年が茶を持参しており、盆の上には見たこともない茶色と黄色の四角い物が皿の上に置かれていた。
信長と山科言継の前に茶とその物体が並べられた。
山科言継「これは一体?」
信長「カステイラという南蛮の菓子だ。旨いぞ。」
そういうと信長はカステイラをわしづかみにして口に運んだ。
山科言継もそれに倣い手でつかんだが彼は小さくちぎりおそるおそる口に運んだ。
山科言継「これは……柔らかい!そして甘い!」
初めて口にしたカステイラに山科言継は驚嘆の声を上げた。
信長「そうであろう。お蘭よ、客人にもっと菓子を持ってまいれ。」
蘭丸「はっ。」
信長は蘭丸に命じて他の菓子を持って参らせた。
信長自身も甘党であったので、同じく甘い物に感激している山科言継に親しみを抱いていた。
その後、蘭丸は山科言継の分だけでなく信長の分の金平糖や干し柿甘栗といった菓子を持ってきて2人を大いに喜ばせた。
信長「やはり甘い物は旨いのう、そういえばまたバナナというものも食べてみたいな。」
山科言継「ほほう、バナナとはいったいどんなかしなのです?」
信長「バナナとは南蛮の水菓子でな、黄色い皮に包まれておった。ねっとりとした食感で優しい甘さであったな。」
山科言継「さようですか、私も食してみたいものです。水菓子といえば先ほど頂いた干し柿も絶品でした。」
信長「そうであろう、干し柿は美濃の名物だからな。」
山科言継「干し柿は体によく咳が出るときに食べるのも良いのですよ。ただ、胃腸に負担をかけるので注意が必要です。」
信長「であるか。」
信長と山科言継の甘い物談義が続けられた。
信長は後世に伝わるほど甘党で知られていた。
信長に手厚い歓迎を受けた山科言継は信長が蘭奢待の切り取りの詔勅を賜るよう奔走することとなった。
このことが京のアサギ達に大きな影響を与えることとなった。