「ご主人様、大丈夫ですか?」
朱姫は、宝玄仙を揺り動かした。
昨夜から続いている逃避行に、疲れているようだからそっとしておこうと思ったが、ひどいうなされようだ。
全身にかいている汗も異常だ。
しかも、寝ている間に、宝玄仙は苦しそうに何度も仰け反り、そして、恍惚の表情を浮かべたかと思うと、再び苦悶に顔を歪める。
驚いたことに、眠ったまま気をやったようにも思えたのだ。
なにかが、宝玄仙の眠りの中で起こっているのだろうか?
気まぐれの宝玄仙のことだから、余計なことをしたら、調教の口実にして、酷い目に遇わされるかもしれないけど、やっぱり朱姫は宝玄仙を起こすことにした。
宝玄仙が眼を開ける。
「ここは……?」
「孫姉さんは、見張りについています。沙那姉さんは、前に出て黒い河を渡る方法を探しています。その黒い河を越えれば、
朱姫は、いまの状況を説明した。
「ここは、どこなの?」
宝玄仙が身体を起こした。
それで、朱姫は、宝玄仙が場所を訊ねたということにやっと気がついた。
「ここは、大殷国の西の国境近くの山の中です……。あのう、ご主人様、大丈夫ですか?」
朱姫は、宝玄仙を覗き込んだ。やっぱり、様子がおかしい。
すると、突然、宝玄仙が朱姫を引き寄せた。
朱姫は、宝玄仙の腕の中に引っぱりこまれた。
その宝玄仙の唇が朱姫の唇に迫る。
朱姫はびっくりした。
宝玄仙の口が開く。
そして、朱姫の唾液が吸われる。
朱姫は、宝玄仙が口を愛撫されたがっているということにすぐに気がついた。
舌を入れて、舌で宝玄仙の口の中を舐め回す。
宝玄仙の身体の力が抜けてきた。
朱姫は、さらに宝玄仙の口の中を刺激し続けた。
宝玄仙は朱姫の唇から顔を離し、ぐったりと身体を朱姫にもたれさせた。
「す、素晴らしい口づけ……。本当にお上手なのね、朱姫」
宝玄仙が上気した顔の上目使いで言った。
いつにない宝玄仙の可愛らしい仕草に、朱姫は少し戸惑った。
「あ、ありがとうございます、ご主人様」
朱姫は、もう一度宝玄仙の顔に自分の口を寄せ、宝玄仙の口の周りの涎と唾の痕を舌で拭き取った。
「可愛くて、一途な半妖の少女、朱姫……。だけど、性の技は“責め”……」
宝玄仙が独り言のような口調で呟いた。
「えっ?」
「いいのよ。なんでもないわ。それよりも、大殷軍の追手は大丈夫?」
宝玄仙は言った。
「は、はい……。とりあえず……。でも、沙那姉さんによれば、腕利きの指揮官が率いているらしく、確実にあたしらを追ってきているそうです。追いつかれるのも時間の問題らしいです」
「どのくらいの時間があるのかしら?」
「半日は、ここにいても、大丈夫だろうと、沙那姉さんは言っていました」
「『移動術』で逃げることは?」
「可能ですが、いま、跳躍可能な移動先は、すでに大殷軍の包囲網の輪の中に入っています。『移動術』で跳んでも、その中に移動するだけですし、沙那姉さんは、それは避けたいみたいです」
「そうね。特別な処置をしない限り、『移動術』の転送先の結界は数日で消えてしまうしね」
「はい」
朱姫は言った。
なんだかおかしい……。
こういう説明は、沙那が宝玄仙に何度もしていた。
宝玄仙もいまの状況をよく承知しているはずなのに……。
「この先は、河?」
「はい。あたしたちの行く手には、
本当に変だ。
宝玄仙は、初めて知る話を聞くみたいに応じている。
朱姫は、宝玄仙が休む前に沙那が宝玄仙にしていた話を、ただ繰り返しているだけなのだ。
「では、沙那が捜しにいっている手段で、河を渡りさえすればなんとかなるということね?」
「はい」
「わかったわ。万事、任せるしかないようね。でも、あなた方って、本当に頼りになるのね。頼もしくって、素敵……」
宝玄仙は言った。
「えっ?」
朱姫は困惑した。
本当にどうしちゃったんだろう、宝玄仙は?
夢の中でうなされていたようだったが、かなり混乱しているのだ。
とにかく、宝玄仙の変な様子は、沙那にも伝えなければならないと思った。
いずれにしても、朱姫は、宝玄仙の前でやらなければならないことがあった。
朱姫だけをこの隠れている洞窟に残してくれたのも、沙那の心遣いだ。
確か、一刻(約一時間)は戻らないと言っていた。その間に、済ませろと言うことだ。
「……あの、ところで、ご主人様」
「なにかしら、朱姫?」
「朝の儀式をさせていただきます。ご確認ください……」
朱姫は、そう言って跪くと、宝玄仙に尻を向けた。
すでに朱姫の後ろの穴は受け入れ態勢ができている。
朱姫は、準備してあった尻用の張形を口に含んだ。
そして、それに自分の唾をまぶすと、そっと自分の尻に当あてがった。
「待って……」
その手を背後から宝玄仙が掴んで、張形を取り上げた。
今日は、宝玄仙が責めるのかと朱姫は思った。
朱姫は、宝玄仙により茶色の革の首輪を嵌められていて、それはどうしようもなく朱姫の身体を疼かせる効果がある。
それを防ぐのは、朝昼晩に日に三回、尻で自慰をすることだ。
それをしなければ、疼きあがった身体は、どうしようもなく朱姫の身体を苛むことになる。
もちろん、自慰でなくてもいい。
時折、宝玄仙が気まぐれに朱姫の尻を責めることもあるが、それでも疼きの発作は静まる。
だが、次の瞬間、首の霊具が背後からすっと外された。
朱姫の身体に渦巻いていた官能の火照りがすっと消滅する。
「ええっ? ご、ご主人様?」
朱姫は驚いて宝玄仙に振り返った。
宝玄仙に捕えられて以来、ずっと朱姫を苦しめていた首の霊具が外してもらえたのだ。
「長く頑張ったからね、ご褒美よ。素敵な口づけだったし、ふふふ……」
「あ、ありがとうございます」
朱姫は首を触った。
なにもない。
宝玄仙の手には、朱姫を苦しめていた霊具がある。
やっと、解放された――。
許されたんだ――。
朱姫の心で歓喜の嵐が吹き荒れる。
「それとも、残念? だったら、戻してあげるわよ」
「い、いえ。とんでもありません。は、外していただいてありがとうございます、ご主人様」
朱姫は激しく首を横に振りながら言った。
なんの気まぐれかは知らないが、とにかく、あのえげつない効果のある霊具を外してくれた。
後は首輪を朱姫に戻そうという、宝玄仙の気まぐれをどうやって防ぐかだけだ。
とにかく、身体の火照りは収まった。
「朱姫、お前の本質は、“受け”ではなく、“責め”よ」
宝玄仙は言った。
「はい」
前にもそんなことを言われたことがある。
確かに、責めを受けることよりも、責める方が朱姫は興奮する。
以前は、そんなことは、あまり考えたこともなかったが、宝玄仙の供になり、さまざまな経験をすることで、自分の中にある嗜虐性をはっきりと朱姫は自覚していた。
宝玄仙は立ちあがった。
そして、座っている朱姫の前に立つと、法衣の切袴の紐を解いて下に落とした。
さらに薄い下着さえも脱いでいく。
呆気にとられる朱姫の前で、宝玄仙の股間の茂みが露わになる。
朱姫は、眼の前に起っている光景に眼を丸くした。
「お前の舌だけで、この身体をいかせてくれない。わたしがお前の技に満足したら、首輪は元に戻さないわ」
「は、はい」
奉仕しろということだ。
とにかく、あの首輪を戻されるなど、冗談じゃない。
朱姫は、宝玄仙の恥毛に顔を近づけた。
「ま、待って」
宝玄仙が言った。
朱姫は、宝玄仙の股間に伸ばしかけた舌を戻して、口を閉じる。
顔をあげて宝玄仙を見る。
宝玄仙は興奮して顔が上気している。
奉仕をさせるときの宝玄仙は、いつも冷酷な支配者の顔をしているので、こんな風に欲情している表情をあからさまにするのは珍しいと朱姫は思った。
「横の……雑嚢に、油紙に包んだ首輪があるわ。持ってきて……」
不思議なことを言うと思ったが、言われた通りにしないと、どうなるかわからないので、命令に従う。
首輪はすぐに見つかった。
これは、強力な術がこもった霊具だ。
朱姫にはすぐにわかった。
「それは、わたし専用の『道術封じの首輪』よ。わたしが作ったものではなく、妹のお蘭が作ったの。でも、うっかりと捨てて誰かの手に入っても困る。だから、持ってきていたのよ」
「はい……」
朱姫は、その布を手に持ったまま宝玄仙の話に耳を傾ける。
宝玄仙は、下半身を剝き出しにした姿で、酔ったような表情をしている。
なにか、異常なほどに艶めかしい。
「それをわたしの首にして……。すると、わたしは、完全に無力な存在になるの。なにがあっても抵抗できない……。そうした状態にしてから、わたしを責めてくれない?」
奇妙なことを言うものだと思ったが、逆らうと怖い。
朱姫は、宝玄仙に首輪を嵌める。
宝玄仙の身体から、一瞬で霊気が凍結した。
朱姫は、悪戯心が沸き起こって、つんと宝玄仙の乳房の美球の先端を指で突いた。
「ああ……」
すると宝玄仙が色っぽい声を出して、身体をかすかに震わせた。
朱姫は、その姿に思わず息を呑んだ。
「は、始めますね、ご主人様。あたしのやり方でいいですか?」
「え、ええ……」
「では……」
朱姫は、後ろにまわって、そっと宝玄仙の身体を前に倒れさせた。
宝玄仙は、まるで力を失った人形のように、朱姫の誘導のままに身体を前のめりに倒れさせる。
眼の前に宝玄仙の双臀がある。
朱姫は、それを両手で割り、その中心の菊の襞に口づけをした。
「う、うわああっ」
宝玄仙がびっくりするような声をあげた。
朱姫は、いつにない宝玄仙の反応のよさに驚きながらも、さらに肛門を舐める舌を動かす。
「ひやっ、ああん、ああっ」
宝玄仙が激しく声をあげる。
朱姫は舌を丸めて、肛門の中に舌をねじ込む。
「ひっ、ひっ、うわっ、ああっ」
宝玄仙の身体の震えがとまらなくなった。
朱姫は、片手を前に回し、宝玄仙の肉蕾を摘まむ。
そして、つるりと指で皮を剥く。
お尻と肉芽を舌と指で同時に刺激する。
「ひいいいっ、いぐうううっ」
「えっ?」
宝玄仙が悲鳴のような声をあげて達してしまった。
朱姫はびっくりした。
いつも奉仕をさせられるが、こんなにもあっさりと絶頂するなんて……。
とにかく、こんなにも快感に素直な宝玄仙は初めてだ。
そして、感度も敏感だ。
いつもの宝玄仙は、肉芽の皮を剥いただけで、簡単に達したりはしない。
宝玄仙は、前のめりに倒れたまま、絶頂に達した余韻に震えている。
朱姫は、背後から宝玄仙の身体を抱き起こした。
そのとき、朱姫の両手は、服の上から宝玄仙の胸の膨らみを掴んでいた。
服越しに宝玄仙の緊張が伝わってきた。
朱姫は、本能的に宝玄仙が朱姫の責めを受けたがっているということを感じた。
よくわからないが、いまの宝玄仙は、徹底的な朱姫の責めを望んでいるみたいだ。
だから、あんな首輪を自分に嵌めさせたのだろう。
朱姫は、口に溜まった唾を飲みこんだ。
「ご、ご主人様……。しゅ、朱姫が、ご主人様をもっともっと責めてもよろしいですか?」
宝玄仙を朱姫が責める。
たった今まで想像すらしなかったが、やってみたいと思った。
そんなことを言ったら、宝玄仙は烈火のごとく怒るだろうか。
「え、ええ……。やって……おくれ、朱姫……」
宝玄仙は言った。
朱姫は、息を呑んだ。
そして、意を決して宝玄仙の前に回った。
「口を大きく開けてください、宝玄仙様」
宝玄仙は潤んだような、憑かれたような表情だ。
朱姫の言うままに大きく口を開けた。
「さあ、目を見てください……」
朱姫が言うと、素直に宝玄仙が朱姫を見つめる。
次の瞬間、朱姫の縛心術が宝玄仙に届いてしまった。
うそっ――。
宝玄仙に術が届いたことに、当の朱姫が驚愕した。
「あっ」
「もう、口が閉じなくなりましたね」
朱姫は言った。
宝玄仙が目を白黒させている。
宝玄仙は、大きく口を開けたまま、朱姫の縛心術の力により、口を閉じられなくなったのだ。
「あ……あ、ああ……」
宝玄仙の口から涎がひとつふたつと顎を伝い落ちる。
そんな姿は屈辱だろう。
朱姫は、その涎の流れる宝玄仙の顎を舌で舐める。
「こうやって、ご主人様の口の中をじっくりと見るのも初めてですね」
朱姫は、指で宝玄仙の舌を愛撫した。
口の中を指で弄ばれるという行為に宝玄仙の顔が歪む。
それとともに、宝玄仙の表情に官能の悶えが浮かび始める。
宝玄仙が興奮している……。
朱姫もまた、興奮の頂点にあった。
いま、この瞬間は、宝玄仙は無力だ。
もういい……。
よくわからないが、徹底的に……。
朱姫は、自分の指を宝玄仙の秘部にそっと這わせた。
熱い――。
「ああっ、あっ」
宝玄仙が身悶えた。
女陰はこれ以上ないというくらいに濡れている。
朱姫は指を動かし出す。
すると、その指の技に、宝玄仙はあっという間に絶頂の反応を示し始める。
朱姫は、すっと指を離す
宝玄仙の顔に失望の感情が浮かぶ。
その反応に、朱姫の心に嗜虐の火がさらに灯る。
しばらく、肉襞の外側と内腿の付け根の部分に手を這わせ、宝玄仙の快楽の波が静かになるのを待つ。
そして、どっぷりと濡れた膣から淫液を取り、それを宝玄仙の肛門に伸ばす。
淫液とともに指を肛門に突き刺し、大きく回すように動かす。
「ああ……あああっ……あああっ……」
欲情に熟れる宝玄仙の口から涎が飛び散る。
だが、朱姫はさっと宝玄仙の尻から指を抜く。
宝玄仙の苦悶の混じった嬌声がひと際大きくなる。
「いきたいですか、ご主人様……?」
「あ……ああ……」
口が閉じれないので喋れないのだ。
なんと言いたいのだろうか。
「ご主人様のお尻に入っていた指です。掃除してください」
朱姫は、さっき宝玄仙の肛門から抜いたばかりの指を宝玄仙の口の中に入れる。
そして、宝玄仙の顎の涎を舌でまた掃除した。
宝玄仙が切なそうな顔をする。
自分が宝玄仙を責め、そして、翻弄しているという事実に、朱姫は震えるような興奮を感じていた。
もうどうなってもいい。
後でどんな目に遭わされようと、いまはこのまま宝玄仙をとことん追いつめてみたい。
「いきたいと言ったら、いかせてあげますよ。ふふふ……。あっ、舌は動かせませんよ」
「ああ……あ、ああ、あ……い……」
宝玄仙は懸命になにかを喋ろうとしている。
だが、暗示を追加して、舌を動かせなくなったので、喋れなくなった。
口も閉じれないし、意味のあることを喋るのは不可能だろう。
「反論がないことは、寸止めを続けて欲しいんですね。わかりました」
「あ、あううあっ」
宝玄仙がつらそうに首を横に振る。
構わずに、指で股間を愛撫する。
すぐに、宝玄仙は絶頂の反応を示しだすが、すぐにやめる。
これを繰り返す。
「あああっ」
宝玄仙ががくがくと身体を振るわせて、泣きそうな表情で声をあげた。
そうやって、朱姫は、宝玄仙を責めてはやめ、責めてはやめということを繰り返した。
宝玄仙の狂乱はどんどん激しいものになっていった。
やがて、宝玄仙の顔は、涙と鼻水と垂れ流されている涎で、怖ろしくみっともないものになった。
それでいて美しい。
責められて、乱れてなお、宝玄仙は表現のしようのない美貌を保っている。
朱姫は、感嘆の息を吐いた。
それで、我に返った。
そろそろ、沙那と孫空女が戻ってくる頃だ。
「……もっと、ご主人様を愉しんでみたいんですが、そろそろ、沙那姉さんか孫姉さんが戻ると思います。ですから、いかせてあげますね。でも、また、いつかご主人様で遊ばせてください」
朱姫は這うように頭を沈めると、宝玄仙の肉芽を口に含んだ。
指は、宝玄仙の菊門深くに入り込んでいる。
その指を激しく動かしながら、肉芽を強く吸いながら舌で転がした。
「あがあえあっ」
宝玄仙は、絞り出すような声をあげて身体を仰け反らせて、激しく達した。
そして、ぐったりと全身を脱力させる。
朱姫は顔をあげた。
すべての暗示を解く。
「あ、あたし、調子に乗りましたか……?」
宝玄仙は気絶したみたいに完全に脱力している。
朱姫は恐る恐る訊ねる。
勢いでやったが、よく考えたら、宝玄仙に縛心術をかけるなど、拷問級の罰の対象のような気がする。
「い、いいのよ……。ま、また、しましょう、朱姫」
宝玄仙が朱姫の身体に腕を回して、身体をもたれさせて言った。
よかった……。
怒ってないみたいだ。
「お、お願い……。だ、だけど、も、もう一度口づけして、朱姫……」
朱姫は、指示のまま、宝玄仙の唇に自分の唇を合わせる。
しばらく、口の中を奉仕する。
唇を離したとき、宝玄仙の眼はとろりと溶けそうな眼になっていた。
「服を整えさせていただきますね」
朱姫は、舌で宝玄仙の股間から溢れている愛液を舌で拭き取る。
宝玄仙は、その間も切なさそうに震えていた。
そして、下着を履かせて、袴を締め直すのを手伝う。
やがて、洞窟の外から声がした。
「ご主人様、朱姫、いるよね?」
孫空女の声だ。
宝玄仙が結界の力を緩めたのがわかった。
孫空女がやってきた。
「はあい」
朱姫は孫空女に身体を向けた。
「ご主人様、朱姫を連れていくね。悪いけど、結界を強めて、ひとりでいてよ。すぐに戻るから」
「あっ、は、はい」
宝玄仙は言った。
孫空女が朱姫を連れ出す。
朱姫は、孫空女とともに洞窟を出ながら、宝玄仙を一度振り返った。
宝玄仙がじっとこっちを見て微笑んでいた。
なんだか、宝玄仙が別の人間のように思えて、朱姫はなぜかぞっとした。
孫空女は、朱姫を両側の切通しの谷に挟まれた場所に連れていった。
「ここに、朱姫の『結界罠』を刻んでくれないか? ここに踏み込んだ兵を、ずっと後方の刻んでおいた『移動術』の出口に転送させるんだ。できるだろう?」
「あの河の近くに残してきた結界に跳ばす『結界罠』をここに刻むんですね、孫姉さん?」
『結界罠』というのは、あらかじめ刻んでおいた道術紋に踏み込んだ者をどこかに転送させる術であり、『移動術』の応用のような術だ。
「そうだよ」
「できますけど、孫姉さん。あたしの術なんて、あっという間に、道術兵の力で無効にされてしまいますよ」
「いいんだよ、朱姫。時間が稼げればそれでいいんだ。この辺りの場所に、適当に『結界罠』を散らばせておいてよ」
「わかりました。やります」
朱姫は、地面に術をこめめようと精神を集中した。
「あれっ、朱姫? お前、首の霊具どうしたのさ?」
孫空女が声をあげた。
「ご主人様が、取ってくれたんです」
「へえ、なにがあったの?」
孫空女が朱姫の首に手を伸ばしながら言った。
「べ、別になにも……」
宝玄仙が朱姫に対して、自分を責めるように要求したことは、なぜか言い出せなかった。
「ふうん、よかったね」
孫空女が、朱姫の首に触りながら、まるで自分のことのように嬉しそうに言った。