「沙那姉さん、戻ってこられたんですね? 孫姉さんも一緒ですか?」
朱姫が叫んだ。
その横には、宝玄仙が床に敷いた寝具の上で上半身だけを起こしていた。
沙那が斬り落とした手首と足首は戻っているようだ。
大した『治療術』だ。
「沙那、その鞭の痕はどうしたんだい?」
宝玄仙が上半身をこちらに向けた。
朱姫がなにかを叫んだ。
頭の中の誰かが、沙那がやろうとしていることをとめようとしているように感じた。
沙那は、それを無視した。
ひと言も喋らずに、沙那は抜きさった細剣を宝玄仙の心臓に深々と突き刺した。
宝玄仙の呼吸が一瞬にして停止するのをはっきりと感じた。
横で朱姫が悲鳴をあげた。
135
「胸を出させろ」
沙那のふたつの乳房が露わになる。
虎力は、沙那に向かって手を伸ばした。
「はぐっ――」
沙那が呻き声とともに胃液を吐いた。
虎力の手は沙那の胸に突き刺さった。
沙那の眼は白くなりかけている。
わざと苦しみが増すように、沙那の体内に埋まっている手を動かす。
気を失いかけている沙那が、わずかに覚醒を取り戻す。
「苦しいか、沙那? これはどうだ?」
虎力は、沙那の身体の中を抉る。
「あぎゃあああああ」
沙那が苦悶の呻き声を吐いた。
「沙那になにすんだい――」
背中で孫空女が叫んだ。
虎力は、法術で孫空女の身体を床に磔にするとともに声を封じる。
孫空女の声が消える。
虎力は沙那の身体からゆっくりと手を抜いていった。
「んげええ、あぎいいい、んぐうううう」
沙那の身体が限界まで反り返った。
苦しいはずだ。
意図的に人としての最大の痛点を無造作に刺激している。
外からではなく、最大の激痛の感覚が頭の中に直接に送られているのだ。
およそ、生きている者であれば、耐えられるものじゃない。
そして、沙那が完全に脱力した。
沙那の身体から抜いた虎力の手には、小さな石が握られていた。それを鹿力と羊力に示した。
羊力が沙那から手を離した。
沙那は、その場で床に崩れ落ちた。完全に気を失っている。
「それはなんだ、兄貴? 沙那の身体の中にあったのか?」
羊力が石を覗き込みながら言った。
「うむ。これは、どうやら、魔法石、つまり、宝玄仙の魂の欠片のようだ」
虎力は言った。
一見しただけでは、そこら辺の路傍の石と同じだ。
だが、凄まじいばかりの霊力がこれに込められている。
『魂の欠片』という術は、術遣いとしては、最高術といっていい術であり、その言葉のとおり、術使いとしての魂を分離してしまうというものだ。
これがあれば、本体にあった魂がその死により滅んでも、この欠片を元にして命を復活させることができる。
言わば、術遣いの究極魔術といっていいだろう。
「それにしても、この石は凄まじい力だな、兄貴」
羊力も感心している。
術遣いの魂の欠片は、目の前にあるもののように、石のかたちをしていることが多い。
だから、これを魔法石、あるいは、賢者の石ともいう。
本来は、術者の復活の儀式を行うための道具なのだが、別な使い方がある。
魔法石を体内に取り込むことにより、術者の霊力を取り込むことだ。
なんでもない畜生を強大な魔獣や妖魔に変えることもできる。
魔法石の使い道は、いくらでもある。
「これを沙那は、身体の中に入れていたのだな。いまの沙那は、ただの人間のようだ。霊力の気配が消滅している」
鹿力が言った。
「おそらく、宝玄仙の魂の欠片を取り込むことで、術遣いのように霊力を身体に帯びさせていたのだろう。だが、残念ながら、この魔法石の力を十分に生かしきれていなかったようだ。さっき、この沙那からは、最下級の術遣い程度の霊力しか感じなかった」
「おそらく、もともと、魔術に対する素地に欠けていたのだろうな」
鹿力が頷いた。
「それにしても、これは少々困ったことになったな」
虎力は、宝玄仙の魂の欠片を改めて眺めながら言った。
「困ったこととはなんだ、兄貴?」
羊力が応じた。
「これが宝玄仙の魂の欠片とすれば、本人の霊力は、それこそさらに凄まじいということだ。欠片にしてこれだけの力なのだからな。魔力封じの紋章により封じていたので気がつかなかったが、どうやら俺たちは、これほどの霊力を持つ術使いの女を十日ばかりいたぶり続けていたのようだ」
「それのなにが困るのだ、兄貴? 逃げられはしたが、術は解いていない。強い術遣いだったかもしれないが、俺たちの法術であのざまだ。まあ、困ったといえば、あの身体を味わえなくなったことだがな」
羊力が馬鹿笑いした。
「羊力よ。本当に、おめでたい奴だな、お前も……。それを見てみろ」
鹿力が呆れたように言った。鹿力の示した視線の先には沙那が斬り落とした宝玄仙の手首を足首が散らばっている。
「それがどうかしたのか、鹿力?」
羊力は、その手首と足首を拾い集めた。
鹿力が、その中から紋章の刻んである宝玄仙の手首を取って、羊力に示した。
「宝玄仙の術を封じていたのは、この紋章だ。それがここにあるということは、いま、宝玄仙の身体には、術封じの紋章が刻まれていないということだ。これが、どういうことかわからないのか、お前は?」
鹿力がそう言うと、やっと羊力は、合点がいったという表情をした。
「つまり、宝玄仙は、いまは、術が遣えるということか……」
「その通りだ、羊力――」
虎力は言った。
「……そして、その宝玄仙は、おそらく、俺たちよりも道術の能力が高い。単純な術比べではかなわんだろう。それは、この魂の欠片でわかる」
「宝玄仙が仕返しに来るかな、兄貴?」
「来るだろう。宝玄仙の供ふたりが、ここにいる。しばらくは、切断された手足を回復せねばならんだろうから大人しくしているとは思うが、ここに戻ってくることは間違いないな。その時は、つらい戦いになるだろう」
虎力は言った。
「だが、こっちには、人質もいる、鹿力の兄貴」
鹿力はそう言って、視線を沙那と孫空女に向けた。
虎力もそれに合わせて視線を動かす。
沙那の眼はうっすらと開けられている。
どうやら意識は戻ったようだ。
孫空女は、相変わらず淫具に苛まれた裸身を床に磔にされてもがいている。
このふたりが、切り札になるかもしれない。
虎力は思った。
「……だが、宝玄仙が人質など気にせず、こっちを攻撃したらどうする?」
虎力は言った。
「確かにな。復讐に燃える宝玄仙が、人質を意にも介さずに術攻撃をしてくることは十分にありうるな。
鹿力が言った。
「だが、俺たちは、三人いるのだぞ、虎力の兄貴。宝玄仙ひとりの術でやられるか? さっきまで、俺たちの慰み者に成り果てて、けつでよがり泣いていた人間の女だぞ」
「だったら、まず、宝玄仙は、お前のけつを術で粉々に吹き飛ばすだろうよ、羊力。この魔法石の強さで、宝玄仙の強さを認識できんようなら、お前も色情しか能がない能無しということだ」
「能無しとは酷いじゃないか、鹿力」
羊力が鼻白んだ。
「待て、鹿力、羊力」
一瞬、ふたりが険悪になりかけたのを見抜いて、虎力は言葉を挟んだ。
鹿力と羊力が口を閉ざす。
虎力は言葉を続けた。
「……それにしても、この沙那も、ただの人間の女にしては惜しい女だ。魔法石を身体に入れていたとはいえ、本来はなんの術も遣えんただの人間だ。それが、この法術使いの巣窟のような場所に自らやって来て、俺たち三人を斬ることに成功もした……」
「確かに俺たちの魂を別にしておいてよかったなあ……」
羊力が言った。
「黙れ、羊力」
虎力は大喝した。
羊力が驚いた表情をした。
「……お前は、口数が多いようだ、羊力」
羊力が、はっとした表情で顔を赤らめた。
虎力のいまの言葉で、羊力は三人の秘密をうっかりと口に漏らしてしまったことに気がついたのだ。
急に神妙な表情に変わる。
「まあいい。それにしても、沙那のことだ。剣で俺たち殺せんと判断するや、躊躇いなく、自分の女主人であるはずの宝玄仙の手首と足首を斬り捨てた。それが最善の策だと判断しても、自分の女主人の身体を斬ることなどなかなかできん。それを躊躇なくやってみせる判断力と決断力。剣技の腕以上に、それは感嘆に値する。この女、ただ死なすには惜し過ぎる……」
「……だが、殺さねばならんぞ、虎力の兄貴」
鹿力が言った。
虎力は頷いた。
鹿力が言っていることはわかる。
ここにいる女囚は、すべて術遣いだ。
術を帯びないただの人間をこの牢城に閉じ込めることはできないのだ。
法術と呼んで、別のもののように言っているが、実は法術は魔術や道術そのものだ。
だから、その原理は同じだ。
つまり、魔術は魔術に共鳴する。
それが、魔術学の第一原理だ。
ここにいる女囚は、虎力の法術、即ち、魔術で逃亡を防ぐ術をかけられている。
喉を締める首輪で脅迫はしているが、女囚の逃亡を防いでいるのは、なによりも、逃亡の意思をなくさせる魔術なのだ。
だから、この智淵城には、女囚の逃亡を防ぐ監視はない。
城壁もなければ、見張りも立っていない。
逃亡したくても、魔術でその意思を失くされるので逃げられないのだ。
だから、ただの人間は、ここに閉じ込めることができない。逃亡の意思を失わせる術がかけられないからだ。
魔力がない人間には魔術をかけることはできない。
だから、霊具を使う。
だが、霊具で意思を変えることはできない。
もっとも、方法が皆無というわけではない……。
「鹿力よ。手はあるのだ。魔法石を身体に入れていたこの女ならばな……。沙那が魔法石を入れていた場所には、いま空洞ができている。このまま放っておけば、いずれ塞がれてしまうだろうが、いまなら、そこに別のものをいれることができる」
虎力は言った。
「別のものとはなんだ?」
鹿力は首を傾げた。
虎力はそれには応じず、持っていた宝玄仙の魔法石を服の内隠しに入れてから、右の手のひらに術を込めた。
虎力が欲しいものが、丙種奴隷置場に備えている法具庫から転送してきた。
「見よ」
虎力は、手のひらに術で転送させたものを鹿力と羊力に示した。
そこには、親指の先程の大きさの灰色の球体がある。
「おお、『
鹿力が感心した声をあげた。
「なんなのだ。その『傀儡の石』とは、虎力の兄貴?」
羊力が首を傾げている。
「そうか。お前は、『傀儡の石』は知らんのか。教えよう。色々とあるのだが、つまりは、この『傀儡の石』を入れられたものは、入れた相手に支配されるのだ」
「ほう、操るのか」
羊力が声をあげた。
「操り……とは少し違う。似たようなものだがな。自分の意思で従うようになるのだ。これを沙那に入れる。そして、宝玄仙がここに来る前に、こちらから殺しにいかせる。宝玄仙も沙那であれば油断するだろう。俺たちを一度は殺したあの稲妻のような剣――。あれを油断している宝玄仙が避けられるわけがない。それで、宝玄仙は片付く。宝玄仙は死ぬだろう。復活もできん。宝玄仙の魂の欠片は我らのもとにあるからな。当然、仕返しもできん」
「なるほど、名案だ、兄貴」
羊力が手を叩いた。
「さて……」
虎力は、床に倒れている沙那に『傀儡の石』をかざした。
その表情には恐怖の色がはっきりと映っている。
沙那の身体はまだ弛緩されて動くことはできないが、すでに意識は戻っている。
いまの話のどこから聞いていたかわからないが、沙那は、これから自分がされようとしていることを理解したはずだ。
「……や……め……て……」
沙那の口からゆっくりとした言葉が出てきた。
「もっと、怖がれ。その恐怖心、憎悪……。『傀儡の石』を入れられた直後の感情は、お前を生涯にわたって支配する土台となる。『傀儡の石』を入れられたお前の最初の感情が憎悪と恐怖だったら、お前は、憎悪と恐怖だけに捉われる人形となるのだろう。その感情のまま、宝玄仙を殺しにいくがいい」
沙那の剝き出しの胸のあいだに、もう一度、拳をかざす。
今度は、虎力の拳には、『傀儡の石』がある。
沙那の胸の間に、虎力の拳が吸い込まれた。沙那の眼が大きく見開かれた。
そして、口が悲鳴をあげるように大きく開く。
だが、その絶叫が部屋に響くことはなかった。
沙那は、そのまま気を失った。
虎力は、沙那の身体から手を抜いた。
もう『傀儡の石』は沙那の身体の中にある。
「さて、処置すべき奴隷がひとりいたな」
虎力は、じっと押し黙ってこちらを見守っていた七星に視線を向けた。
七星の顔にも恐怖の色が浮かんでいる。
「さっきは、よくもやってくれたものだ。術にかかりながらも、俺の椅子を引き倒し、沙那に首を斬らせるとはな」
「ゆ、許して……」
七星の唇が震えている。
沙那の剣が虎力に迫ったとき、七星は、虎力が宝玄仙と孫空女を盾にしようとしていることに気がついて、虎力の座る椅子を引き倒した。
態勢を崩した虎力は、身体を沙那に差し出すかたちになり、沙那は一刀のもとに、虎力の首を切断した。
羊力が思わず漏らした言葉のとおり、魂を身体と離しておかなければ、虎力はそのまま死んでいたに違いない。
「虎力の兄貴、七星が兄貴に手をかけたというのは本当か?」
鹿力が訊ねた。
七星がそれをやった場面は、鹿力も羊力も見ていない。
鹿力が復活して意識を取り戻したのは、虎力が首を斬られた後のはずだ。羊力はもっと後だ。
「手をかけてはいない。座っている椅子を倒したのだ。もしも、それが逆らうという意思があれば、身体が停止したはずだ。そして、実際に停止した。だが、そのときには、すでに自分の体重を俺にかけていたのだ。そうやって、俺を引き倒したのだ、この女は……」
虎力は七星を睨んだ。
「も、もうしません。だ、だから、殺さないで」
七星の身体は恐怖で震えている。
この女は、沙那が鹿力に剣を突き刺し、虎力に剣を向けたとき、これがここを脱出できる千載一遇の機会だと考えたのだろう。
だから、抵抗した。
あんな方法で術に対抗できるというのも驚いたが、残念ながら、沙那の襲撃は失敗に終わり、七星の望みも潰えた。
七星は、自分のやった行為を後悔しきっているだろう。
ならば、この七星を沙那に対する支配を強化する材料に使うという手もある。
「死にたくないか、七星?」
「し、死にたくないよ、虎力様」
七星は言った、
その身体は恐怖でぶるぶると震えている。
「ならば、試してやろう。沙那の服を脱がせろ。そして、拷問にかけろ。ただし、殺してはならん。五体満足でなければならん。この女には、仕事があるからな。しかし、死んだ方がましだと思う程の惨い目に合わせろ。それができたら、お前への仕置きは勘弁してやろう」
「わ、わかったよ。こいつは、沙那っていうんだね。あたい、なんでもやるよ。なんでもやるから……」
七星は、沙那に飛びついた。
意識のない沙那から服をむしり取っている。
「よいのか、兄貴?」
鹿力が虎力のそばに寄ってささやいた。
「いいのだ。多少は拷問の痕がなければ、不自然だ……。沙那は、ここで捕えられて拷問に遭った。しかし、沙那は術には支配されない。だから、隙を見て、ひとりだけ逃げ出した。そういうことにしておけばいい」
「頭いいな、兄貴」
羊力が言った。
「それに、『傀儡の石』による支配を確実にするためだ」
「それはどういうことなのだ?」
鹿力は言った。
「さっきも言ったが、『傀儡の石』を入れられた直後の感情は、沙那の心を作りかえてしまうことになる。沙那には、徹底的な憎悪の感情を植えつける。傀儡の支配のために、感情も操作しやすいものに作りかえる。憎悪に満ちた人間ほど操りやすいものはないからな」
「なるほど」
鹿力は納得したようだ。
「ところで、羊力、宝玄仙が残した身体の一部は処分するとして、紋章を刻んだ右手首だけは、
虎力は言った。
「それは、あの女のような男のことだろう?」
露骨な侮蔑の表情を浮かべた羊力を見て、思わず虎力は笑ってしまった。
「そう言うな、羊力。あのお方も、一応、あの女男に一目を置いているのだ。こんな肉片ひとつで、機嫌を取り持てるなら安いものだ。宝玄仙の魂の欠片のことも情報だけはいれておけ」
「まあ、手配はしておくよ、兄貴」
羊力は言った。
虎力は、七星と沙那に視線を戻した。
沙那は、七星によって素っ裸になっていた。
まだ、意識はないようだが、七星は、卓の上においてあった縄で沙那の両手を背中にねじ上げて縛っている。
「沙那を酷い目に遭わせればいいんでしょう? 本当にそれで許されるんだよね、虎力様?」
「ああ、それができれば、お前を俺たちが殺すことは勘弁してやろう。その代わり、徹底的に沙那をいたぶるのだ。心の底から沙那が、お前に対して憎しみを抱くようにな。だが、少しでもお前のやり方が手ぬるいと感じるようなら、その場でお前は丙種奴隷として屠殺場に送る」
「ありがとう。あ、あたいは、期待に応えてみせるよ。この沙那を死んだ方がましだと思うくらいの目に遭わせてみせるから」
七星は言った。
そして、沙那を縛る縄に力を込めている。
もっとも、沙那に七星が憎しみを与えることができたその後は、沙那の憎悪の感情を根付かせるための道具として七星は使われることになる。
そのときは、死んだ方がましだと思うのは、七星の方かもしれない。
虎力はほくそ笑んだ。