※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

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137 仲間からの襲撃

「宝玄仙は、わたしと交替しようとはしなかったわ……」

 

 宝玄仙の口からその言葉が返ってきた。

 

 いや、宝玄仙ではない。

 喋っているのは、宝玉(ほうぎょく)だ。

 あの智淵城(ちふちじょう)から脱出して以来、いつもの人格である宝玄仙は一度も意識を取り戻していない。

 

 東閣(とうかく)の郊外にある一軒の廃屋だった。

 智淵城に宝玄仙と孫空女を救出に行く前に、沙那とあらかじめ見つけておいた隠れ家だ。

 うまく脱出できても、この車遅国(しゃちこく)では、脱走した女囚としてそのままお尋ね者になる可能性がある。

 だから、それまで拠点にしていた城郭内の安宿に戻るわけにはいかない。

 そのため、旅の荷物をここに移してから、羊力(ようりき)に抱かれるために、沙那と軍営に向かったのだ。

 

 あのときは、後で四人でここに集まれると信じて疑わなかった。

 だが、実際には、救出できたのは宝玄仙だけで、孫空女は脱出させられなかった。

 そして、沙那も彼らの虜(とりこ)になった。

 

 朱姫は、もうどうしていいかわからず途方に暮れていた。

 ただ、横たわる宝玄仙の横でじっと、その身体が回復をするのを待っていただけだ。

 沙那が、宝玄仙を脱出させるために切断した宝玄仙の手首と足首は、この寝具に横たわらせてからしばらくしたら復活していた。

 

 あの智淵城という牢城で、宝玄仙は、霊力を失っていたわけではない。

 発散をとめられていただけだ。

 それをしていたのは、右手首に刻まれていた紋章であり、それが身体から離れたことで、宝玄仙は道術を取り戻したようだ。

 

 朱姫の『移動術』でここにやってきたときには、宝玄仙の意識はなかったが、宝玄仙の身体は勝手に霊気を放出して傷口を塞いだ。

 そして、次に、朱姫が気がついたときには新しい手首と足首が道術により形成されはじめていた。

 宝玄仙の『治療術』だとわかったが、意識のない状態で勝手に自分の身体の治療を開始するのに接したときには、改めて宝玄仙の術遣いとしての凄さを垣間見た思いだった。

 

 朱姫は、そうやって宝玄仙の身体がひとりで回復するのを見守っていただけだった。

 ほかにできることはなかった。

 なにをしたらいいかもわからなかった。

 宝玄仙を見守りながらずっと考え続けた。

 

 あのとき、朱姫にできることはほかになかったのか。

 そればかり考えていた。

 

 智淵城への侵入に成功すると、沙那はまず、『縛心術』で操っていた羊力を殺し、その後、侵入者の警告を発するために虎力のところに戻った鹿力を背中から心臓を刺した。

 そして、虎力を追いつめて、その首を刎ねた。

 それで終わったと思った。

 

 しかし、沙那に刺し殺されたはずの鹿力が、いつの間にか妖魔の姿で起きあがり、沙那に襲い掛かっていた。

 沙那は咄嗟にかわしたがその爪が沙那の首に掠った。

 その途端、沙那の身体が崩れた。

 

 おそらく、鹿力の爪には、筋肉を弛緩させる毒があったに違いない。

 ふと見ると、沙那に首を刎ねられた虎力さえも自分で首を掴んで胴体に戻していた。

 

 朱姫は、なにが起ったのか理解できなかった。

 ただ、見ていただけだ。そのときもなにをしていいのかわからなかった。

 

 なぜ、鹿力は生き返ったのか。

 

 なぜ、虎力は首を刎ねられても死なないのか。

 

 なぜ、檻車で殺したはずの羊力まで、生き返ったのか? 少なくとも、羊力だけは、その死を朱姫も確認した。

 あれは、絶対に幻じゃない。

 

 とにかく、沙那は、もう逃げられないと悟ったのか、宝玄仙の手首と足首を刎ね飛ばして、宝玄仙の身体を朱姫に放り投げた。

 沙那の行動には驚いたが、一瞬後、それが宝玄仙を逃亡させるために最適の手段だと気がついた。

 宝玄仙の道術を封じているのは、右手の甲に刻まれた紋章であり、手首と足首の帯のような黒線は、逃亡の意思を喪失させて、法術で身体を自由にするための刺青だ。

 それは、『縛心術』をかけた羊力から聞き出していた。

 だから、確かに、それを切断してしまえば、宝玄仙は彼らの法術から解放されて自由になる。

 それはそうだが、手首と足首を紋章や法術の刺青ごと切断するという発想は、朱姫には浮かばなかった。

 

 沙那もそうしようと考えていたわけではないだろう。

 あのとき、もう逃げられないと悟ったから、沙那は、そう判断し、そして決断したのだ。

 沙那は、やっぱり凄い。

 それしか方法がないと思っても、あんなこと朱姫にはできない。

 

 だが、あのとき、朱姫にできることは、本当になにもなかったのだろうか?

 朱姫が、なにかをすれば、沙那と孫空女を置き去りにしなくて済んだのではないか?

 自問自答する。

 答えは出ない。

 

 朱姫には、『獣人』という道術がある。

 朱姫の全力を必要とする術だが、あの術だったら、鹿力でも虎力でも殺すことはできただろうか?

 あれで、沙那と孫空女を救えただろうか?

 

 しかし、あの術を遣うとしばらくは、ほかの術を遣えなくなってしまう。

 『移動術』で逃亡することもできなかっただろう。

 それに、剣でも、虎力や鹿力を殺すことはできなかったのだ。

 『獣人』で血を解放した朱姫の爪で殺せるなら、沙那の剣でも倒せたはずだ。

 

 だけど、できることは、なにもなかったのだろうか?

 これから、どうしたらいいのか?

 思うのはそればかり……。

 

 宝玄仙の意識が戻ったと思ったのは、丸一日経ったときだ。

 朱姫は狂喜した。

 

「朱姫ね……」

 

「ご、ご主人様、ご無事で……」

 

 それしか言えなかった。

 自分の眼からぼろぼろと涙が落ちるのがわかった。

 

「ご主人様じゃないわ。残念ながら宝玉よ」

 

 宝玄仙の口がそう言った。

 

「宝玉様……?」

 

 宝玉は、宝玄仙の中にいるもうひとつの人格だ。

 性格は穏やかで、朱姫たちと愛し合う行為が大好きだ。

 宝玄仙という人格とともに、同じ身体を使っているが、出現するときは、いつも夜の性愛のときばかりなので、こうやって普通に現れることは珍しい。

 

「宝玄仙は、まだ眠っているわ」

 

 宝玉は言った。

 そして、気がついたように、自分の首についたままの革の首輪を取り去った。朱姫の道術では外せなかったが、宝玉はいとも簡単に自ら取り去った。

 朱姫は、もっと話そうと思ったが、すぐに宝玉は眠りについた。

 

 次に意識が戻ったのは、その数刻後だった。

 やはり出現したのは宝玉であり、宝玄仙ではなかった。

 

 宝玉は、孫空女とともに羊力に捕らわれ、術封じの紋章を右手に刻まれてから智淵城でどういうことがあったのかを話してくれた。

 

 それは聞いているだけで気分が悪くなるような話だった。

 檻車の中で精液と小便の入った食事を食べさせられたこと……。

 種別判定試練という馬鹿げた仕打ちで、女囚同士競わされ、負けた女囚が殺されたこと……。

 智淵城の三人の法術師の性奴隷にされ、四六時中淫具に苛まれたこと……。

 媚薬や法術によって苦しめられたこと……。

 大勢の兵に輪姦されたこと……。

 

 朱姫には言葉もなかった。

 あそこではそういうことが起こっているのだ。

 

「あ、あいつら、酷いです……」

 

 朱姫は言った。

 

「でもね……」

 

 そして、いま、宝玉は静かな口調で朱姫に言った。

 

「宝玄仙は、わたしと交替しようとはしなかったわ」

 

「交替しなかった?」

 

 朱姫は、宝玉の言葉に耳を傾けた。

 

「宝玄仙は、かつては、帝都で同じ仕打ちを受けたときには、すぐに意識を手放してわたしに身体を明け渡していたわ。だけど、今回は違った……。宝玄仙は、あの血も凍るような仕打ちに耐え続けた。わたしが、何度か替わろうと思っても、彼女は頑として意識を譲らなかったわ」

 

 宝玉は、横たわったまま、静かに語っている。

 

「なぜ、ご主人様は、宝玉様に意識を渡さなかったのです?」

 

 宝玉の語っていることの意味はわかる。

 宝玄仙に比べれば宝玉は、被虐に対して耐性がある。

 宝玉だって、赤の他人から受ける恥辱を愉しいわけではないだろうが、宝玄仙の人格は、宝玉に意識を渡すことで、少なくとも、智淵城における恥辱から逃げることはできたはずだ。

 

「多分、孫空女がいたからね……。孫空女は逃げられない。それなのに、自分だけが意識をわたしに譲って逃亡するというのは許せなかったみたいよ」

 

「そんな……。そんなこと……」

 

 宝玄仙がそんなふうに供に過ぎない孫空女のことを想ったというのは驚きだった。

 

「それに、宝玄仙は、あんな仕打ちを受けながらも、逃亡の機会を失わないようにしていたわ。右手首を切断して逃亡するということは、宝玄仙も考えていたみたいよ」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「ただ、その機会がなかった。逃亡に関する行動を起こすことはできなくされているからね。だけど、いつ、そんな機会が出現するかわからない。それは、連中の恥辱を受けている最中かもしれない。そんなことを、宝玄仙は考えていたようね……」

 

「そうですか……」

 

 朱姫は深く息を吐きながら頷いた。

 

「それにしても、宝玉様。ご主人様は、どうして、意識を回復されないのです?」

 

 やがて、朱姫は言った。

 

「精神的な打撃が大きかったようね。沙那に切断された身体はもう大丈夫よ。術も回復している。だけど、気力が戻りきらないのよ。ああ見えても、彼女はとても弱いのよ」

 

「弱い?」

 

 宝玄仙が弱いとは納得できない。

 朱姫が知っている限り、宝玄仙は誰よりも強いと思っている。

 あの沙那や孫空女ほどの女傑が、宝玄仙には頭があがらないのだ。

 それは、内丹印や霊具で支配されているからというだけではない。

 宝玄仙は支配する者であり、朱姫たちは支配される者だ。

 それは、動かせない事実なのだ。

 

「でも、ご主人様は強いですよ。誰よりも」

 

「いいえ、弱いわ。あなたたちの強さには及びもつかない。弱いのよ……。強気の態度はその裏返し……」

 

「まさか」

 

「本当よ。だけどね……」

 

 宝玉は腕を伸ばして、朱姫の頭をすっと撫ぜた。

 

「……宝玄仙は強くなったわ。以前だったら、あんな仕打ちを受けたら、自分を取り戻すのに長い時間を必要としたわ。だけど、いまはそれほどの時間は必要ないみたい。彼女はもうすぐ復活するわ……」

 

「本当ですか、宝玉様?」

 

 朱姫は声をあげた。

 

「本当よ、朱姫。宝玄仙が強くなったのは、あなたたちのお陰ね。ありがとう」

 

「なにがですか?」

 

 宝玉は、なにに対して礼を言ったのだろう?

 

「あななたちの存在が、宝玄仙を強くしているのよ。あなたたちの愛情が、宝玄仙も強くした。これからもよろしくね。あなたたちを護るために、宝玄仙は復活するわ。護るものがあるとき、人は強くなるの」

 

 宝玉は言った。

 

「宝玉様は、そう言われますが、ご主人様は最初から強いです。正直に言えば、これ以上、強くなられてしまえば、あたしは怖いです」

 

 朱姫がそう言うと宝玉は笑った。

 そして、また眠りについた。

 

 その眼が再び開いたのは、さらに三刻(約三時間)後だった。

 眼が開くとするぐに、上半身を起こして、まず部屋を見回し、やがて、朱姫に眼を止めた。

 

 そして次に、自分の両手を寝具から出して眺めた。

 その様子から、いま出ているのは宝玄仙に間違いないと朱姫は思った。

 

「ご主人様……ですよね……?」

 

 朱姫は言った。

 

「朱姫――」

 

「は、はい」

 

 宝玄仙の強い口調に朱姫は少したじろいだ。

 

「あれから、どれくらい経ったんだい?」

 

「あれからって……?」

 

「沙那と孫空女を智淵城に置き去りにして、お前とわたしだけが逃げてきてからどれくらい時間が経ったのかと訊いているんだよ。さっさと答えるんだ」

 

 宝玄仙は怒っているようだった。

 朱姫は、びくりとなった。

 

「もうすぐ二日になります」

 

「二日だって?」

 

 宝玄仙は声をあげた。

 

「は、はい。そうです。ごめんなさい」

 

「なんで謝ってんだよ、朱姫──」

 

 宝玄仙が怒鳴った。

 

「ひいっ。ご、ごめんなさい」

 

 朱姫は自分でもなんで謝らなければならないかわからなかったが、とにかく謝りたくなった。

 それくらい、宝玄仙の権幕は激しかった。

 

「お前と沙那が飛び込んできたとき、あそこでなにがあったんだい? それと、お前たちがどうやって、あの牢城に入って来たかを説明しな。わたしの察するところ、あの牢城が外部からは簡単に近づけないようになっていたんじゃないのかい?」

 

「そ、そうです。智淵城という女囚の牢城が城郭から一日の距離にあることは誰もが知っていました。ところが、そこがどこにあるのかを誰も知らないのです。偶然、そこに辿りついたという者も城郭にはいませんでした。沙那姉さんは……」

 

「まどろっこしえねえ。さっさと結論言うんだよ――」

 

 宝玄仙は癇癪を起こしたように、朱姫を遮って怒鳴った。

 朱姫はすくみあがってしまった。

 

「は、はいっ――。とにかく、沙那姉さんは、人を寄せ付けないようにする結界で護られているからじゃないかと言っていました。そして、それは事実でした。あたしと沙那姉さんで羊力を見つけ出し、そして……」

 

 朱姫は、宝玄仙と孫空女が連れていかれた女囚用の牢城である智淵城の場所がわからず途方に暮れたこと。

 沙那とふたりで軍営の近くで娼婦にやつして立ち、城郭兵と見るや片っ端から誘って情報を集めたこと。

 そうやって、智淵城の法兵と接触のある兵を見つけ出し、そいつを操って、城郭にやってきた羊力に接触して抱かれたこと。

 そして、羊力に『縛心術』をかけることに成功して、智淵城に入ることに成功したことを順に説明した。

 さらに、智淵城に潜入した後の行動も……。

 説明の間、宝玄仙は、今度は、珍しく押し黙って朱姫の話に耳を傾けていた。

 

「……つまり、檻車から抜け出した後、すぐには建物には向かわずに、檻車の下で隠れていたんだね?」

 

 宝玄仙は言った。

 

「そうです。檻車のとまった場所から見たら、同じような建物が幾つかあって、どこにご主人様が捕らわれているのかわからなかったのです。うろうろと探すのは、かえって危険だと沙那姉さんが言い、むしろ、どこにも行かずに待っていることにしたんです」

 

「なるほど。周到な沙那らしいね。沙那のことだから、しっかり準備したんだろうね」

 

「新しく入った女囚が入ったときには、判定試練ということをさせるために、虎力、鹿力、羊力の三人が集まるということもわかっていましたし、うまく三人だけが来れば、沙那姉さんの剣で一気に片付けるという策でした」

 

「それで?」

 

「でも、とりあえずやってきたのは鹿力だけでした。残念ながら、鹿力は、すぐに羊力が『縛心術』がかかっていることに気がついてしまいました。鹿力は、すでにあたしらが建物に侵入を果たしていると考えて、戻っていきました。沙那姉さんは、こういうときは、鹿力は、一番大事な場所に向かうはずだと言い、その後をあたしたちは追いかけました」

 

「羊力はどうなったんだい?」

 

 宝玄仙は言った。

 

「鹿力を追いかける前に、沙那姉さんは、羊力を殺しました。確かに、殺したんです。腹を刺して、その後、首を斬って。沙那姉さんは、いつもそうやります。それで確実に殺すんです。だけど、ご主人様のところに辿り着いたとき、なぜか、その羊力が生き返って、それだけじゃなく、鹿力も生き返って、それで、首を斬った虎力なんて……」

 

「話を飛ばすんじゃないよ、朱姫――。とにかく、羊力を殺したお前たちは、鹿力の後を追ったんだろう? そして、わたしらと一緒にいる虎力の居場所までやってきた。それでいいのかい?」

 

「そ、そうです――。あっ、そうだ。違います。鹿力は、なぜか、真っ直ぐには、虎力のいる場所には向かわなかったんです。なんか、気味の悪い場所で、丙種奴隷置き場とか言っていたかな……」

 

「丙種奴隷置き場?」

 

「はい。そんなこと言っていました。気味悪い場所で、沙那姉さんが、そこにいた兵を倒して、一応覗いたんですけど、なんか人間の屍体みたいなものが並んでいて……」

 

 朱姫は、そこにあったものを思い出して身震いした。

 食料庫のような感じだったが、人間の屍体に見せかけたたくさんの肉片がぶら下がっていて、本当に趣味が悪いと思った。

 

「朱姫、人間の屍体みたいなものじゃない……。人間の屍体だよ、それは……」

 

 宝玄仙が苦いものを齧ったような顔をした。

 

「ええっ」

 

 朱姫は声をあげた。

 

「まあいい。それよりも、わたしには、あのとき、沙那が鹿力や虎力を斬ったように見えたんだけど、あれは事実だったんだね?」

 

「そうです。でも生き返ったんです。沙那姉さんは、いつも、とどめを刺すんです。それなのに……。虎力なんて、斬られた首を自分で掴んでから繋げて……。それで、沙那姉さんは、後ろから鹿力の爪で襲われて、それでも沙那姉さんは、身体が痺れて動けなくなりながらも、ご主人様を救おうと、ご主人様を斬って……、でも、怒らないでくださいね。沙那姉さんは、命懸けでご主人様を斬ったんです。そして、羊力まで現れて、でも、沙那姉さんは体当たりまでして……。だけど、あたし……。あたしなんて、ただ、見ていただけで……なんにもできなくて……」

 

「わかったから、一度に喋るんじゃないよ、朱姫」

 

 宝玄仙が呆れたような声を出した。

 

「とにかく、もう一度行くよ、朱姫――。今度は、沙那と孫空女を助けるんだ」

 

 宝玄仙は言った。

 

「もちろんです。でも、あいつら不死身ですよ。どうするんです?」

 

 すると宝玄仙は横を首に振った。

 

「朱姫、覚えておきな。不死身の人間なんていないのさ。それは、魔族も同じさ」

 

「だ、だって、あいつ、沙那姉さんが……」

 

「わかっているよ。沙那が心臓を突き刺したり、首まで斬ったのに生きていたと言いたいんだろう? だけど、同じことをわたしらもしているじゃないか。『魂の欠片』さ。魂を分離して、肉体が滅んだ後に復活する。雷王のときだって、同じだったろう? あいつも井戸に落とされて死んだけど、王家の伝承の秘宝に魂の欠片が刻まれていて、生き返ることができた……。そういえば、あいつ、どうしているのかねえ? それこそ、身ひとつで放り出したけど、今頃はどこかで野垂れ死にでもしているか……」

 

 宝玄仙の思考が脱線しかけている。朱姫は、さすがに、話を戻さなければと思った。

 

「でも、ご主人様、魂の欠片を使って、肉体を復活させるには儀式が必要です。それこそ、力のある術遣いが術式をしなければ、滅んだ肉体に魂の欠片を復活させることなどできませんよ」

 

「肉体にあったのが魂の本体で、それが失われたならね。だけど、肉体にあったのが、魂の欠片の方だとすればどうだい? 肉体には、魂の欠片だけを入れといて、魂の本体は別に隠しておく。それなら、肉体の損傷で傷つけられた魂はほんの一部だからそのまま死ぬことはない。死んではいないから、肉体の損傷は、自分の『治療術』で治せるというわけさ」

 

「でも、ご主人様、魂の本体を分離して、欠片だけを残すなんてできませんよ」

 

 朱姫は言った。

 

「できるさ。魂の欠片の分離を果てしなく繰り返すのさ。外に出した欠片は融合し直してもいい。とにかく、肉体に残る魂の部分が“欠片”程度になるまで繰り返すんだよ」

 

 朱姫ははっとした。

 言われてみれば、簡単な理屈だ。

 際限なく、『魂の分離』の術を遣って魂を外に出してしまえば、いつかは、残った本体が欠片と同じになってしまう。

 そうやれば、魂の本体を肉体の外に出せるのだ。

 魂の本体が外にあれば、どんなに肉体が傷つけられても、術遣いの魂は安全であり、死ぬことはない。

 

 術使いとして健在であれば、肉体などいくらでも術で復活できる。

 宝玄仙が、わずか一日で切断された手首と足首の先を復活したように、身体の損傷は復活できるのだ。

 

「だ、だったら分離してある魂の本体の側をやっつければいいのですね、ご主人様?」

 

「そういうことだよ、朱姫。問題は、どこにそれを隠しているかだけど、自分の命そのものをどこか遠くに隠すとは思えないね。どこか知らないところに隠してあるんだったら、もうお手上げだけど。しかし、十中八九、あいつらの肉体から分離された魂は、智淵城にある」

 

「あの智淵城の中にですか?」

 

「考えててご覧。下手に別々にして、万が一、知らない間に魂が危険な状態になったら困るだろう。なにせ、肉体に入っている状態だったら、命を護ることは肉体を護ることと同等だから、身の安全も図りやすいけど、分離しているときは、肉体を護ることと、魂を護ることは別のことだからね。魂の方も、常に近くに置いて、その安全を確認できる状態にしているさ。連中は、とても用心深いからね。間違いないね」

 

「つまり、智淵城のどこかにあるとご主人様は思われるのですね?」

 

「そうさ。あの三人のうち、羊力と鹿力は、智淵城から離れることもあるけど、虎力に至っては、一度も智淵城から離れることはないらしい。それは、多分、智淵城に連中の大事なものがあるからでもあるのさ。結界で智淵城に誰にも近づけないようにし、城郭兵にさえ、場所を明らかにせずに、その場所を隠蔽しているのは、女囚を逃がさないためだけじゃないと思うよ。あそこには、連中の大事なものがあるのさ」

 

 宝玄仙はにこりと笑った。

 

「だったら、もう一度、忍び込み、今度は、肉体ではなく、分離してある魂の本体を探せばいいですね? そして、それを破壊するか、無力化すれば……」

 

「連中は死ぬ。さあ、朱姫、お前のやることがわかったかい? もう一度、忍び込むよ。そして、連中が隠している魂の本体を探すんだ。お前は、魔力の流れもわかるだろう、朱姫? 紋章を遣ったとはいえ、この宝玄仙の術を封じたり、魂の分離の術を何度も行えるほどの強い魔力の魂だ。それを追うことは難しいことじゃないだろう?」

 

「できると思います――。いえ、やってみせます。絶対に――。そして、沙那姉さんと孫姉さんを助けます。いえ、いま、行きましょう」

 

「もっとも、どこにあるかは見当もついているけどね……。いずれにしても、どうやって、もう一度入るかだね。ねえ、朱姫、智淵城からここに戻るときに使ったお前の『移動術』の結界はまだ使えるかい?」

 

「申し訳ありません、ご主人様。彼らが追ってくる可能性があったので、遮断してしまいました。いまは、繋がっていません」

 

「じゃあ、やっぱり問題は、智淵城に入る方法だね。結界の場所がわかれば、わたしの術で結界を壊して入り込むことは可能だろうけど、それだと、侵入したことが早くから露見してしまうし、それに、概ねの場所もわからないんじゃあ、結界の場所だって探し当てるのにも時間がかかるか……。お前と沙那が入り込んだ手しかないかねえ。まあ、あの羊力に同じ手が通用するかどうか……」

 

 宝玄仙が腕を組んで考えるような動作をした。

 そのとき、廃屋の外になにかの気配を感じた。

 朱姫が感じたものを宝玄仙も感じたようだ。

 宝玄仙は、まだ寝具に横になり、上半身だけを起こしたままだったが、警戒をする態勢になった。

 しかし、扉が静かに開き、入ってきたのは沙那だった。

 全身に鞭の痕がある。

 朱姫は狂喜した。

 

「沙那姉さん、戻ってこられたんですね? 孫姉さんも一緒ですか?」

 

 朱姫が言った。

 沙那は、なにも言わずに宝玄仙だけを見ていた。

 朱姫などそこにいないかのようだった。なにか朱姫は得体の知れない違和感を覚えた。

 

「沙那、その鞭の痕はどうしたんだい?」

 

 上半身を起こしている宝玄仙が、その身体を沙那に向けた。

 沙那が剣を抜くのが見えた。

 

 

 * (沙那の視点/沙那による宝玄仙の襲撃)

 

 

 憎い――。憎い――。憎い――。

 

 考えていたのはそれだけだった。

 宝玄仙の居場所は、やはり、朱姫と準備したあの廃屋だった。

 廃屋の外からでも中にはっきりと人の気配を感じた。

 沙那は、静かに廃屋の玄関から最奥の部屋に向かった。

 そして、人の気配のする部屋の前で立ちどまった。

 

 勝負は最初の一瞬だ。

 宝玄仙は、大きな力を持つ術遣いだ。

 悟られたら終わりだ。

 沙那の身体には、宝玄仙による内丹印を刻まれている。

 宝玄仙に余裕を与えてしまえば、あっという間に、道術で抑えつけらるの間違いない。

 

 だから、宝玄仙が術のことなど考える暇もないくらいに、すぐに宝玄仙を殺すしかない。

 

 扉を開ける。

 宝玄仙がいた。

 寝てはいない。

 

「沙那姉さん、戻ってこられたんですね? 孫姉さんも一緒ですか?」

 

 朱姫が叫んだ。

 その横には、宝玄仙が床に敷いた寝具の上で上半身だけを起こしていた。

 沙那が斬り落とした手首と足首は戻っているようだ。

 大した『治療術』だ。

 

「沙那、その鞭の痕はどうしたんだい?」

 

 宝玄仙が上半身をこちらに向けた。

 朱姫がなにかを叫んだ。

 頭の中の誰かが、沙那がやろうとしていることをとめようとしているように感じた。

 沙那は、それを無視した。

 

 ひと言も喋らずに、沙那は抜きさった細剣を宝玄仙の心臓に深々と突き刺した。

 宝玄仙の呼吸が一瞬にして停止するのをはっきりと感じた。

 横で朱姫が悲鳴をあげた。

 

「『獣人』――」

 

 朱姫が叫んだのが聞こえた。

 沙那は、宝玄仙の身体に足をかけて剣を抜いた。

 

 そのまま後ろに跳んで、妖魔の血を全開放した朱姫の爪を避ける。

 『獣人』の術は、朱姫の最大の技であり、半妖の血を全開放した瞬間の朱姫の強さは凄まじい。

 だが、欠点もある。

 長い時間、妖魔の姿を保てないのだ。

 

 沙那は、窓に体当たりして、そのまま外に飛び出た。

 妖魔の姿となった朱姫と戦い方は決まっている。

 それは戦わないことだ。

 妖魔の姿の間は逃げ回ればいい。

 一度、『獣人』の術を遣えば朱姫は、数日間は術を遣えない。

 霊気が切れて、娘の姿に戻れば、その後は、朱姫など沙那の敵ではない。

 

 沙那は、窓から飛び出して外に転げ落ちたが、妖魔の朱姫が追ってくる気配はない。

 破れた窓から部屋の中を覗く。

 朱姫はいない。

 

 どうやら、逃げたようだ。

 まあいい……。

 追って、わざわざ、探してまで殺す必要はない。

 

 沙那は、もう一度部屋を覗く。

 宝玄仙は死んでいる。

 

 間違いない……。

 沙那は剣を収めて、智淵城に向かった。

 智淵城の場所はわかっている。

 虎力にもらった首飾りがその場所を導いてくれる。

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