宿屋の亭主が、面会人が訪ねてきたと告げに来たのは、早朝だった。
もっとも、部屋には結界を張っているので、扉の外にいる亭主には、こちらの声も気配も感じることはできない。
だから、亭主が扉の外から訪問者の存在を知らせるあいだ、半狂乱の沙那の嬌声は、向こうには聞こえていないはずだ。
扉越しに応対する宝玄仙の声だけが聞こえていたはずだ。
「朱姫、下に行くよ――。ほれっ、沙那もしゃきっとしな。お前も行くんだ」
宝玄仙は寝台に拘束されている沙那をいたぶっている朱姫に声をかけた。
沙那が、汗にまみれた呆けた顔を向ける。
汗と涙と涎と鼻水ですごい顔だ。
まあ、ほとんど一晩中、途中で仮眠を許した以外は、宝玄仙と朱姫からのふたり掛かりの責めをずっと受けていたのだ。
無理もないのかもしれない。
とにかく沙那は、半分気を失いかけている。
宝玄仙は、沙那に刻んでいる
沙那の顔が、やっと生気を取り戻す。
「ご、ご主人……様……しゅ、朱姫……。お、お願い……します……。少し、休ませて……」
沙那は荒い息をしながら言った。
朱姫は、沙那の拘束を解いたが、まだ、沙那は動けないだけでなく、思考もできないようだ。
朱姫とふたりで、ほぼ夜通し、ふたりして、あらゆる手管を使って沙那を責め続けた。
それこそ、沙那だけが何十回いき続けたのかわからない。
「しっかりおし、沙那。もう、朝だよ」
宝玄仙は強い言葉を沙那に投げた。
「ご主人様、朱姫――。ま、まだ、だめです。休ませて……」
まだ、思考が正常ではないようだ。
宝玄仙は苦笑した。
射精で終わる男と違い、女の情交はいつまでも続けることができる。
朱姫に責めさせ、そのあいだ、宝玄仙は休む。
朱姫が休んでいるあいだ、宝玄仙が責める。
ふたりが休んでいる間も、朱姫の『影手』が責めるし、飽きれば拘束した裸の沙那を朱姫と宝玄仙が左右から挟んで、寝物語をしながら身体を触り続ける。
寝物語にも飽きれば、また沙那を激しく責める。
それを夜通しだ。
途中で数刻休ませたが、明るくなってきたとき、また始めた。
精根尽きて休んでいた沙那は、起き抜けに朱姫に責められて、さっそく十回近く気をやったところだ。
道術を送り込んだが、沙那は満足に動くこともできないし、頭も回っていないようだ。
宝玄仙は、さらに道術を送り、沙那の体力を回復させた。
沙那が朱姫に助けられて、寝台の上でやっと上半身を起こした。
「沙那姉さん、しっかりしてください。ご主人様が、服を着ろと言っていますよ」
朱姫は、沙那に服を差し出した。沙那のいつもの格闘服じゃない。頭から被るだけの膝丈の貫頭衣だ。
「も、もう、勘忍して……。勘忍して……」
頭がうまく働かないのか、沙那は、まだ官能責めを与えられると思っているようだ。
懸命に、首を横に振っている。
朱姫が、沙那の頭からすっぽりと貫頭衣を被せ、沙那の手を取って、袖に腕を通させている。
だが、なぜか沙那はそれを嫌がっている。自分でも自分がなにをしているかわかっていないのだろう。
「沙那――」
宝玄仙は怒鳴った。
「ひいっ――。ゆ、許してください。さ、逆らいませんから……」
沙那の顔が引きつり、恐怖の色に染まった。
そして、着せたばかりの貫頭衣を脱ごうとした。
朱姫が、両手で軽く、沙那の頬を左右からはたく。
沙那が我に返った顔をした。
「沙那姉さん、ご主人様が、食堂に降りろと言っています」
沙那は、まだ呆けた表情だ。
宝玄仙は、もう一度道術を送り込んで、沙那の頭と身体を覚醒させる。
沙那の眼がまともなものに変わった。
「少しはしゃきっとしたかい、沙那?」
「な、なんとか……。ちょっと、水を……」
沙那は、寝台から降りて水差しが置いてある棚に向かおうとした。
だが、そのまま崩れ落ちた。
腰に力が入らないのだ。
「た、立てない……」
沙那は、そう言って呆然としていたが、やがて、その姿勢のまま、宝玄仙に破顔した顔を向けた。
「ははは……。ご主人様、わたし、立てません」
沙那は自嘲気味に笑った。
朱姫もそんな沙那の様子を見て微笑んでいる。
「そのようだね。いきすぎて腰が抜けたようさ。もう少し、身体を回復させるよ」
宝玄仙は、またまた、道術を込める。
道力を送り込まれた沙那は、やっと立ちあがった。
まだ、ふらふらするようだが、
それでも、朱姫の支えを断り、自分で部屋の隅にある水差しから盃に水を入れて、喉を鳴らして飲み干した。
「いまは、どのくらいの時間ですが、ご主人様?」
「朝だよ。だけど、まだ早いね。ほかの客が朝食のために起きるにはまだ早い時間だよ。こんな時間に客人だそうだ。一緒に来てくれるかい?」
「客人? 誰ですか?」
沙那は不審な顔をした。
「町役とか言っていたね」
「町役ですか。でも、旅の途中のわたしたちになんの用でしょう? しかも、こんな早朝に」
沙那は言った。
町役とういうのは、この城郭で生活をする市民の代表みたいなものだ。
この
いわば一般住民代表だ。
ある意味では、市長以上の力を持っているといっていいだろう。
「追手でしょうか、沙那姉さん?」
朱姫だ。
宝玄仙に追手を差し向けられる理由は多すぎる。
ここの
手配されている気配はないが、いつ逮捕されてもおかしくない立場である。
「その町役は信頼できる人物でしょうか、ご主人様?」
沙那が言った。
「知るもんか」
宝玄仙は言った。
「わかりました。じゃあ、朱姫は、別の階段から、そっと階下に降りて、とりあえず、先に外を調べてくれる。そして、なにも異常がなければ、この窓から見ているから、下から手を振って……。そのまま、外にいて、なにか異常が発生すれば、大声でもなんでもいいから、わたしたちに知らせて」
「わかりました、沙那姉さん」
朱姫がすぐに部屋を出ていく。
沙那は、部屋の隅にある荷の場所から、細剣を装着するための帯を手にとった。
いつもの格闘服ではないので、そのまま左手に束ねて掴んでいる。
確かに
沙那は、しばらく、窓から外を見下ろしていたが、やがて、宝玄仙に頷いた。
「朱姫から合図がありました。外に隠れている者はいないようです。とにかく、その町役に会いに行きましょう」
宝玄仙たちが泊まっていた部屋は二階にある。
廊下を出て、階段を降りていくと、町役だと名乗る男らしき初老の男が食堂の真ん中の卓の椅子に座っていた。
先頭に沙那、その後ろから宝玄仙が階段を降りる。
食堂にいるのは、その初老の老人のほかに、その護衛らしき数名の男たちだ。
護衛の男たちは、いずれも若く、全員が腰に剣を佩いていた。
それぞれが食堂の隅に立ち、注意深く警戒しているのがわかった。
「朝早くから済まないな。
陳清は言った。
「嫌な言い方をするね。こんな朝早くから人を訪ねてこなければならないような厄介事とはなんだい?」
宝玄仙は言った。
「これも役目でな。しかも、時間がないのじゃ。協力してくれ」
「こっちも忙しい身でね。厄介事には関わりたくいないね」
「まあ、とりあえず、座って話をせんか?」
陳清は言った。
宝玄仙は、そっと沙那を見た。
沙那が小さく頷いく。
宝玄仙は、陳清と卓を挟んで向かい合うように座った。
陳清が座り、沙那が宝玄仙の隣の椅子に腰掛ける。
「それで、なんの用だい、陳清?」
宝玄仙は言った。
「そのお嬢さんは、随分と警戒しているようじゃが、見る者が見れば、あなたが遣い手であることはわかる。そのあなたが、そのように殺気を表に出しては、護衛の役は務まらん。先に言っておくが、ここであなた方に危害を加えようとは思っておらんし、それができるとも思わん」
陳清が言った。
沙那が驚いたような表情をした。
「へえ、わたしの供の腕をすぐに見抜くとは、お前も大した手並みのようだね」
宝玄仙は言った。
「若い頃はのう。いまは、このとおり、老いぼれじゃ」
「それで、陳清、お前の持ってきた厄介事というのはなんだい?」
「さっきも言ったが、わしはここに住む者の世話人でのう。この城郭で起こるいろいろな面倒事を仕切っておる。厄介事にもいろいろあるが、この城郭には、毎年生贄を出さねばならんという仕来たりがあってな。しかも、若い女でなければならんのじゃ。これを上回る厄介な仕事はないのう」
「生贄?」
宝玄仙は、聞きなれないその言葉に思わず問い返した。
「一年に一度、ふたりの娘を生贄として魔族の魔王に提供する。それが、この辺りの習わしじゃ。それを仕切るのが四人の町役の仕事であり、今年は、わしの番というわけじゃ。わしが手配する地域から、ふたりの娘を見つけて通天河の向こうの魔王に捧げる。その期限がもうすぐというわけでな」
陳清は言った。
「まさか……。わざわざ、魔族に生贄を?」
宝玄仙はびっくりした。
人間を生贄として魔族の王に差し出す。
東帝国では考えられない発想だ。
魔族とは、妖魔であり、退治して駆逐する存在であっても、わざわざ連中に食べさせる人間を提供するというのは考えられない。
また、魔王というのは、人間族の感覚では、「王」や「領主」に近い。
こっちでは。魔域と称する西域には、人間族の世界同様に、力を持った強力な魔族たちが群雄割拠しており、それぞれに「魔王」を名乗っている。
金角もそのひとりだ。
目の前の陳清が口にする魔王が、どんな魔王のことを言っているのかは知らない。
「これも、平和のためだ」
「まあ、いいよ……。驚いた仕来たりだけど、それがわたしになんの関係があるんだい? わたしたちは、ただの旅の者だよ。あんたたちの馬鹿げた仕来たりには関係ないね」
なにを言いに来たかわからない。
だが、なにかを含んだような言い回しが耳障りだ。
「ところで、あなたは宝玄仙殿でよろしいのかな?」
陳清は静かに言った。
宝玄仙は横目で沙那を見た。
名前を知っているということは、宝玄仙が智淵城から脱走した女囚であることを知っているということであろうか。
宝玄仙には、この陳清という老人につけいる隙があるのか判断はできなかった。
名を名乗ってもいいかどうかもよくわからない。
「このお方は、確かに、宝玄仙様です。しかし、宝玄仙という名は、珍しいものではありません。念のために申しておきます」
沙那が言った。
「珍しくない名というのであれば、そういうことにしておこう。町役というのは政府の手先のように思っておる者も多いが、実際はそういうものではない。表向きはそういうことになっているがのう。警戒しとるようだが、わしは捕り方ではないぞ」
「別に警戒はしてません。こんな早朝になんだろうと思うだけで……」
沙那が口を挟んだ。
すると、陳清がにやりと微笑んだ。
「そう言えば、宝玄仙という名の女性の人相書きが、行政府に回って来ておったようじゃが、気にする者はおらん。あんな、懸賞金もないような人相書きを気にする者はおらんからのう」
「懸賞金がない? なんで?」
宝玄仙は言った。
東閣の城郭には、天教の教徒で捕えられた者で脱走に成功した者を手配する人相書きが多数貼ってあったと沙那が言っていた。
しかも、どれにも多額の懸賞金がかかっていたはずだ。
天教徒がいたという密告だけでも、賞金があったのだ。
「国王をたぶらかしていた法道教の法術遣いが死んだらしいからのう。どうやら、術で操られておったらしく、国都のある東側は混乱をしているようじゃ。天教徒を追い回すような余裕はない。いずれにしても、同じ車遅国でも、東部とこちらは別世界じゃ。魔族の棲む世界に接しておる西部は、東部とは違う土地でのう」
陳清は顔に微笑みを浮かべながら言った。
「それで、ご主人様へのご用件とはなんでしょう、陳清殿?」
沙那が言った。
「うむ」
陳清は軽く、指で合図をした。
部屋の隅にいた若者のひとりが近づいて、荷の中から小さな袋をふたつ出して卓に置いた。
陳清は、そのひとつを開いて中身を示した。
中は金粒だった。
それがふた袋とすればかなりの財産だ。
「これは?」
宝玄仙はちらりとその金粒に眼をやってから、視線を陳清に戻した。
「お前さんの奴隷ふたりの弔い金として、受け取ってもらいたい」
陳清は、静かに言った。
「奴隷ってなんだい? しかも、弔い金だと?」
弔い金というのは死んだ人間の遺族に渡す金のことだ。
宝玄仙が弔い金を受け取るいわれなどない。
「ご主人様、もしかしたら、孫空女と七星になにかあったのではないでしょうか……」
沙那が小声でささやいた。
そう言えば、昨夜、路銀を増やしてくるといって、賭場に向かってからまだ戻っていない。
あいつら、なにかやらかしたのだろうか。
「ひとりは孫空女。赤毛の背の高い女。もうひとりは、七星。髪は青毛。このふたりは、宝玄仙殿の奴隷ではないのか? 少なくとも、当人たちは、そう言っておるという話じゃが」
「なにかの間違いだね、陳清。そのふたりなら、確かにわたしの連れだけど、奴隷というような身分ではないさ。そのふたりは、いまどこにいるんだい?」
あのふたりになにかあったのは間違いないようだ。
そう簡単に死ぬ連中ではないはずだが……。
「奴隷ではないか……。それは、また、ややこしくなったのう」
陳清は難しい顔をした。
「先程、弔い金とありましたが、まさか、ふたりが死んだとでも?」
沙那が言った。口調には、焦りのようなものがある。
「そんなことはない。生きておる、お嬢さん。いまはな」
「いまは、ということは、これから死ぬということですか? ふたりはどこにいるというんです、陳清殿?」
沙那が気色ばんだ。
「そんなに大きな声をあげんでもらいたい。ふたりは、地下牢じゃ。この城郭の軍営のな」
「軍営の牢に? なにがあったのです?」
沙那は立ちあがった。
しかし、陳清は、沙那が興奮しても少しも動じる気配はない。
ただ、護衛役の若者たちが少しだけ緊張したのがわかった。だが、陳清が、手で落ち着くように示すと、すぐに彼らは、元の姿勢に戻った。
沙那も、自分が興奮してしまったことに気がついたのだろう。すぐに座り直した。
「孫空女と七星はどうしたんだい、陳清?」
宝玄仙は静かに言った。
「賭場で借金をして、それを支払うことができずに、軍に突き出された。しかも、いかさまをしようとしたらしいのう。これはこの城郭では大罪でな」
この城郭でなくても罪であろう。
あとでとっちめてやろうと思った。
「わかった。賭場の借金は支払うよ、陳清。それで、ふたりは軍営から出してもらえるのかい?」
「いやいや、借金はともかく、いかさまをしようとしたのは、立派な犯罪じゃ。罪は罪」
「そうかもしれないけど、まさか、それが死刑になるような罪というわけじゃないんだろう?」
宝玄仙は些か焦ってきた。
さっきから、弔いだの、生贄だと、物騒なことを言っているが、ふたりが処刑されるとでもいうのか。
「普通であればな」
「じゃあ……」
「残念じゃが、彼女たちは、戻っては来れん。それで、この弔い金というわけじゃ、宝玄仙殿」
「どういうことだい?」
さすがに、宝玄仙もむっとした。
「この辺りでは、一年に一度、妖魔に生贄を差し出すことになっておると話したであろう? 一年に一度とはいえ、生贄となるふたりの人間を見つけるのは大変な仕事じゃ」
「生贄なんてやめればいいだろう」
宝玄仙は言った。
「そうはいかん。生贄をやめれば、魔族を率いる魔王がこの地域を襲ってくる。一年に一度、ふたりの若い女を
「霊感大王?」
それが生贄を差し出す魔王の名らしい。
「そうじゃ」
「霊感でも、大王でもいいけど、あのふたりをなんで、あんたらの仕来たりの生贄にするんだよ。関係ないだろう」
「宝玄仙殿の言い分も理解できるが、これも法じゃ。掟なのじゃ」
「あんたらの掟はわたしには関わりないって言っているんだよ」
宝玄仙は苛々してきた。
「ところで、通天河は見たかな、宝玄仙殿?」
不意に陳清は言った。
もちろん、通天河は知っている。なんとかして、向こう岸に渡ろうとしているのだ。
「見たよ。“通天河”と書いてある石碑もね」
「ならば、その四里(約四キロ)ほど北に“霊感大王
「見てないね。それほど、うろうろしたわけじゃないからね。それがどうしたのよ?」
「そこが一年に一度、こちら側の生贄を差し出す場所じゃ」
「そこに、その霊感大王という魔王がいるのですか?」
沙那だ。
「いや違う。霊感大王は通天河の向こうに棲んでいる。だが、神通力でその霊感大王は、いつでも通天河を渡ってこれる。その眷属たちもな。とにかく、一年に一度、生贄となる若い女をそこに連れていけば、その霊感大王がやってきて、向こうに連れていく。そういうことじゃ」
「なんのために、わざわざ、若い女を魔族に差し出すんだい?」
宝玄仙は訊ねた。
「それが取り決めだからじゃ。この通天河を挟んだ向こうは魔族の土地。こっちは人間の土地。それを護る代償として、こちらは生贄を一年にふたり差し出す。それを護ることで、この土地の平和は護られておる」
「そんな……。そんなことを許しているのですか。この城郭の軍や行政府がそれを許していると?」
沙那が声をあげた。
「もちろん、許しておるとも。一年にふたりで済むなら、犠牲はないと同じじゃ。十年前にも、そういうことを言って、生贄を出すのをやめた年があった。その結果どういうことが起こったかわかるかな?」
「知らんよ。怒った魔王が河を渡ってきたのかい?」
「そうだ。眷属を率いてな。その侵略はなんとか食い止めたが、その犠牲は人間ふたりというものではなかった。城壁は破壊され、畠は荒れ、大勢の人間が死んだ……。それで、次の年からは、住民はこれまで通り生贄を出すことを選択したよ。それからは、大王軍はやってこない。行政府もそれを許しておる」
陳清は言った。
「なるほど……。それにしても、毎年、生贄となる若い女を見つけるのは大変な仕事だろう? みんなで生贄を出すことに納得はしても、自分のところから出すことを承知する家はないだろうから」
宝玄仙は言った。
「毎年のこととはいえ、難儀で気の重い仕事じゃ。だが、それに見合うだけの償いはしておる。これがこの弔い金というわけじゃ。娘を差し出してくれた家には、金粒ひと袋を渡す」
「なるほど――。だったら、金のために娘を差し出したがる人間はいるかもね」
「そうじゃな。だが、今年については、困ったことになったのじゃ。生贄を出すということで承知をしていた家が、二軒揃って夜逃げをしてしまったのじゃ――。事前に渡した弔い金を持ったままのう」
「騙されたというわけだね」
宝玄仙は言った。
「そういうことじゃな……。まあ、追手も出しておる。それほど遠くにはまだ逃げておらんじゃろうから、両方とも捕まえるのは難しいことではないだろうのう。まあ、それはいいのじゃが、生贄を差し出す日は決まっておる。その後に見つけても間に合わん」
「期限を伸ばしてもらえばいいだろう」
「どうやって交渉する。交渉のあいだに魔王がやってきたら? とにかく、生贄さえ期限通りに出せば、平和は保てるのだ。それで困ったことになったと思っておったら、お宅の奴隷がふたり、罪人として捕えられたというわけじゃ」
「くどいねえ。不承知だと言ってるだろう。あいつらを生贄には出させない。負けた借金は払う。それで手を打ちな」
宝玄仙は言った。
もっとも、有り金全部、あいつらが負けたなら、博打場の借金にあてる金子はない。
まあ、沙那がなんとかするだろう。
「この城郭の掟では、若い女が罪人となった場合は、魔王に差し出す生贄となっても文句を言えんことになっておる。当然、軍当局も承知をしていることじゃ。旅人であることは関係ない」
陳清は言った。
どうやら、大変な面倒事に巻き込まれたということはわかった。
孫空女と七星は、賭場で負けて、おまけにいかさままでやって軍に突き出さたようだ。
そして、この地方の独特の慣習により、毎年ふたりの若い女を生贄として差し出すことになっていたのだが、たまたま、今年生贄と決まっていた娘たちが逃げたために、罪人となった孫空女と七星に白羽の矢が立ったということらしい。
それで、そのふたりを生贄にすることを主人である宝玄仙に知らせにきたというわけだ。
「話はわかったし、そちらの事情はわかったけど、わかりましたとは言えないことだね。わたしたちは、旅の者でお前たちの事情は知らないし、この見知らぬ土地の平和のために、わたしの供の命を差し出すなんて冗談じゃないね」
宝玄仙は静かに言った。
「残念ながら、承知してもらうしかないのう」
「でも納得できないね。わたしが断固として承知しなかったらどうなるんだい?」
「残念ながら、わしは、この弔い金を持って帰ることになるであろうな。ただし、罪人のふたりが、生贄となることには変わりない」
「じゃあ、どうあっても、孫空女と七星が霊感大王という魔王の生贄となることは変わりないということだね。わたしがそれを承知すれば、その金粒をわたしは手に入れ、承知しなければ、なにも得ることはない。ただし、ふたりが死ぬということは決まっている」
「そう言うことじゃな」
なるほど、そういうことであれば、考える余地はなさそうだ。
「生贄をして差し出すのは、いつだい?」
「今日じゃ」
「それは随分と急なことだね」
「わしらが断固として引きさがれんということがわかったかな?」
「それでも、承知できないと、お前をここで捕えて脅迫したら?」
「軍が来るであろうな。わしはそれでもいい。わしにもしものことがあれば、あのふたりを生贄に出すことについて、わしは慰められる。わしが好きでこんなことをしているわけじゃないことを理解してくれているといいがな。わしは、誠意を見せているつもりじゃがな。ふたりを生贄にした後で、知らせにきてもよかったし、旅のあなた方のことなど、無視することもできた」
陳清は言った。
「わかった。承知したよ」
宝玄仙はあっさりと言った。
「ご、ご主人様――」
沙那が横で声をあげた。
「血相変えるんじゃないよ、沙那。わたしが決めたことだ。文句あるのかい?」
「で、でも」
沙那は不満顔だ。
「じゃあ、この弔い金とやらは貰うよ。ほかにしなければならないことは?」
「奴隷売買契約書に署名が欲しいのう」
陳清は、護衛に合図をして書類を出した。
筆も渡される。
「ご、ご主人様、本当に署名するんですか?」
沙那が声をあげた。
「うるさいよ、沙那。黙っておいで――。ところで、あのふたりが、作ったという借金の証文はあるのかい? これに署名する代わりに、それを破棄して欲しいね。死んだあいつらのために、わたしに借金が残るなんてことは御免だからね」
「証文はここにはないが、確実に破棄させることを約束しよう。賭場の胴元は、
「お前を信用していいんだね、陳清?」
宝玄仙は、陳清を見た。
「責任を持って処分させる。すぐに、この足で行く」
「わかった」
宝玄仙は孫空女と七星を奴隷として引き渡す書類に署名をした。
「あなたが、話のわかる人でよかった。この地方の仕来たりを理解してくれると思わなかったが、本当に感謝する。これで、この城郭もこの地方一帯に住む者も救われる」
「人助けというのなら仕方ないからね。あの女奴隷ふたりは提供するよ」
宝玄仙は言った。
陳清は心から満足したようであり、何度も礼とお悔みの言葉を口にしてから立ち去った。
「なんで、あんなことに承知したのですか、ご主人様。信じられません」
ふたりきりになると沙那が声をあげた。
「仕方ないじゃないか。ほかにどうすればよかったと言うんだい?」
「でも……」
「でも、じゃないよ。あのふたりが、生贄に出される場所はわかっているんだ。魔族が現れる前に、回収すればいいんだよ。魔王さのものが来たとしても、魔族の一匹や二匹、蹴散らせばいい。不意を突けばできない事じゃない」
「ええっ?」
沙那は声をあげた。
「で、でも、さっきの話だったら、そんなことをすれば、生贄を差し出さなかったことで、魔王が怒って、通天河を越えて城郭を襲ってくるんじゃあ……?」
「そんなことは知ったことかい。とにかく、これで、路銀も手に入ったし、ここには用はないからわたしらは出発する。通天河を越える方法はまた考えるとしても、ひとまず、あの馬鹿二人を回収に行こうか。その後、魔王軍がこの城郭を襲おうと、襲うまいと、どうでもいいじゃないか」
宝玄仙は言った。