白い光があった。
七星は、宝玄仙が立たされている椅子に立ち、宝玄仙の首の縄を切断しようとしているところだったが、次の瞬間には手に持っていた小刀がなくなっていた。
「お前にはがっかりしたぞ、
不意に、
手にはたった今まで七星が持っていた小刀を持っている。
「きゃああぁぁ──」
麗美の悲鳴が聞こえた。
七星は悲鳴のする方向に視線を向けた。
さっきまで七星が立たされた場所に麗美が首に縄をかけられた状態で立たされている。
しかも、たったいままで麗美が着ていた服はなくなり、全裸にされている。
両手も他の者と同様に後手に縛られている。
「ひいっ、い、いやっ……。ゆ、許して……」
麗美は真っ蒼な顔で悲鳴をあげている。
すぐに七星は、その理由がわかった。
麗美が立たされている椅子の脚の一本が折られて三本になっている。
それで姿勢が不安定になり、麗美は悲鳴をあげているのだ。
不安定な椅子の平衡が少しでも崩れて、椅子が倒れて麗美は首でぶらさがることになる。
「麗美、お前の取り柄は素直なことだったのだけどな……」
少し離れた場所で腕組みをしている獏狗が不満そうに言った。
「お、お前、なんてことするんだい、お前の仲間だろう──」
七星は宝玄仙の椅子から飛び降りて、思わず叫んだ。
すると、獏狗はせせら笑った。
「仲間なんかであるものか。単なる奴隷だ……。だが、どうやら、お前たちを逃がそうとしたようだな。残念ながらこいつは殺すことにする。こいつの家族もだ。すべて皆殺しにしてやる」
「そ、そんな……。お、お許しを……」
麗美が真っ蒼な顔で涙を流し始める。
そのあいだも、麗美が立たされている態勢の取り難い椅子はぐらぐらと揺れている。
あれは、もう長くは持たない……。
「まあいい。とにかく、お前については後だ、麗美。そうやって、力が尽きて死ぬのもいいし、そうでなくても、後で残酷に殺してやる。その状況で脇の下をくすぐり続けるというのもいいな。苦しみ笑いながら死ぬんだ。いい趣向だろう?」
獏狗は笑った。
「孫空女はどこだい……?」
宝玄仙の冷静な声が獏狗の馬鹿笑いを遮った。
そうだった……。
麗美はともかく、消えた孫空女はどうしたのだろう……?
「孫空女か……。殺してやろうかと思ったけど、それよりも、面白いから大便を垂れ流す寸前で人里まで連れていてやった。固まっているあいつを運ぶのは骨の折れる作業だったが、突然、人前に移動させられたあいつの顔は見ものだったぜ。あんまり、愉快だったからそのままにしてきた。今頃、まだ、大騒ぎなんじゃねえか。なにしろ、町の真ん中に股を開いて椅子に縛られた裸の女が突然現れて、しかも、大便を垂れ流したんだからな──」
獏狗が激しく哄笑した。
とりあえず殺しはしなかったようだ。
街の中で糞便したらしい、その哀れな姿を想像すると、孫空女には気の毒とは思うが、とにかく生きていることだけは確からしい。
「さて、じゃあ、味見の続きといくか……。ちょうどいいから、青毛のお前、こっちに来い。裸になって卓の上に寝ろ。逆らったら、仲間を首吊りにして殺す」
今度は獏狗が七星に視線を向けた。
ふと、沙那と朱姫を見た。
沙那が小さく頷いた。
朱姫もだ。
さっき、沙那がささやいた策の実行を促しているのだ。
「わ、わかったよ……」
七星は獏狗の前までやってくると、すぐに身に着けているものを脱いだ。
そばに孫空女が脱ぎ捨てた衣類がある。
七星は、それに重ねるように衣類を置いた。
黙って卓の上に裸身を横たえる。
膝を立てて両脚を開き、獏狗を待ち受ける態勢になる。
「いいよ、来てよ……」
「ほう、物分かりがいいな、お前」
「じゃあ、濡らしてくれるかい。怖くて……?」
七星は獏狗に甘えるような声をあげた。
獏狗が七星の身体に覆いかぶさるとともに、片方の乳首に舌を這わせ始める。
さらにもう一方の手が七星の女陰をくつろげるように動く。
拘束してから抱くのかと思ったら、そのまま抱くつもりらしい。
自分の能力に余程、自信があるのだろう。
ほんの少しでも七星が不穏な動きをすれば、獏狗は時の外に逃げることができるのだ。
だから平気で抱けるのだろう。
獏狗の絶対の余裕もそこにある……。
それについては沙那も言っていた。
獏狗は、望めばほんの一瞬で時をとめることができる。
時をとめるのにおそらく首飾りは関係ない……。
沙那はそう言った。
獏狗が時をとめるたびに首飾りを決まり事のように触っていることは確かだが、それが必要なことなら、もっと慎重に振る舞うはずだ……。
沙那はそう言ったのだ。
いま、獏狗が無造作に七星を抱き始めたことを考えると、それは正しい洞察だと思った。
「あはあっ……」
獏狗の本格的な愛撫が始まった。
七星の口から喘ぎ声が漏れる。
半分は演技で半分は本気だ。
なかなかに巧みな愛撫だ。
七星の女陰はあっという間に獏狗を受け入れる態勢ができる。
「あっ……、むうっ……」
七星は込みあがる快感のままに身体を悶えさせた。
まずは、獏狗を受け入れる……。
沙那の策はそこから始まる。
だから、いま、考えているのはそれだけだった。
獏狗の舌が七星の脇を這い出した。
激流のような疼きが全身を貫き、七星は背を弓なりにして吠える。
「そろそろ、いいようだな……」
獏狗の一物の先端が七星の女陰に触れた。
それがだんだんと突き挿さっていく。
「はあっ……、いい……」
故意に声を出して誘うような仕草をする。
男をその気にさせるような仕草は妓楼で得た技だ。
獏狗も満更でもなさそうな様子を見せている。
「んっ?」
獏狗がなにかに気がついた。
なにかの違和感を覚えたのだろう。
勘のいい奴だ。
獏狗が横を向いて、ほかの女が並んで立たされている方向を見た。
「おおっ──、な、なんだ──?」
獏狗が叫んだ。
七星も目を見張った。
「あがああああ」
獏狗が見たのは、『獣人』の術で縛られている縄を引き千切った朱姫の姿だ。
朱姫も宝玄仙と同様に一時的に霊気が安定できないように毒を飲まされているが、実は朱姫も孫空女と同様にほとんどの毒に対して耐性が強いらしい。
それでかなり前から道術が遣える状態にあったはずだ。
その朱姫が『獣人』の術で獣人に変化をして襲いかかろうとしている。
「そんな術を遣えるほどに、道術の安定性が回復していていたのか……」
獏狗は舌打ちしたが、それほど焦った様子はなかった。
すぐに七星から離れようとした。
「逃がさないよ……」
このときを狙っていたのだ。
七星は獏狗の入っている女陰を力の限り膣圧で締めつけた。
ほかのどの部分よりも、男はここで拘束されれば簡単には逃げられない。
獏狗も同じだった。
「お、お前……は、離せ──。なにやってるんだ、七星」
「へっ、七星様の技のひとつだよ。このくらいのことができないと男は悦ばせられないからね……」
獏狗は両手で七星を突き飛ばそうとしたが、逆に七星は獏狗にしがみついた。
一物を七星に締めつけられて抜くことができない獏狗が、初めて焦った様子を向けた。
その間にも獣人になった朱姫が、目前に迫り獏狗に飛びかかろうとしている。
「仕方ないな……」
白い光に包まれた……。
すべてがとまっていた……。
獣人の朱姫がまさに飛びかからんとする態勢で、空中で止まっていた。
「こ、これが、時がとまった世界かい……」
七星は獏狗に抱きついたまま呆然としていた。
朱姫に襲いかかられたために、獏狗は仕方なく七星とともに時をとめてしまったのだ。
沙那が七星と朱姫にささやいたのは、まさにこの事実だった。
獏狗が時をとめることができる能力があるとしても、獏狗は裸で時間の外に移動しているわけじゃないという事実だ。
つまり、獏狗は自分自身だけでなく、自分の周りのものも一緒に時の刻みの外に行くという単純な事実だ。
だから、獏狗が時間をとめようとするときにできるだけ密着することで、一緒に時の刻みの外に行けるのではないかと沙那は仮説をささやいた。
そして、どうやらそれは正しかったようだ……。
強引に時間をとめなければならない状況を朱姫に襲いかからせることによって作り出して、獏狗に七星ごと時間をとめなければならないことを強いた。
そこまでは成功だ。
問題はこれからどうするかだが……。
そのとき、顔に獏狗の拳が降ってきた。
「おおっと、なにすんだい、いきなり──」
咄嗟に七星は獏狗を解き放った。
獏狗が七星に押されて卓の下に転がる。
この間に七星は卓の上で上半身を起こしている。
「ふふふ、お前といい、孫空女といい、なかなかに油断のならない連中だな……。危ないと思ったのはひさしぶりだ。だが、これで終わりだ」
獏狗がゆっくりと立ちあがって、むき出しのままだった股間の一物をしまった。
「へっ……。そりゃあ、どうかね。時をとめるのが、お前の唯一のひとつ技なんだろう……? いまは、時がとまった状態だ。つまり、条件は五分……。だったら、あたいがあんたをこの場で倒せば済むことさ」
七星は卓を飛び降りた。
獏狗もそれなりの武芸の持ち主であることは身のこなしで予想がつく。
少年のふりをしているが力は人間の大人の数倍はあるようだ。
しかし、倒せない相手じゃない。
それはこうやって向き合えばわかるのだ。
七星は裸身のまま身構えた。
できれば武器があればいいが、それはないものねだりだろう。
「お前が俺を倒すのか……?」
獏狗がにやりと微笑んだ。
「できないと思っているのかい?」
「いいや……。だが、なぜ、俺がまともにお前と戦ってやると思うんだ?」
「えっ?」
「時間を戻す。そして、もう一度、時をとめる。いま、俺とお前は離れている……。今度は、一緒に時の刻みの外にやってくることはできない──。今度は遊びはなしだ。時をとめてから、その獣人の娘とお前と両方の首を掻いてやる。まったくの抵抗もできずに死ぬのだ……。覚悟しろ……」
白い光に包まれた。
時間の停止と復活が起きるときの感覚……。
それがこの白い光だ。
しかし、今度は七星も一緒に白い光とともに時の刻みを移動している。
一緒に時間を戻るに違いない。
そして、獏狗はその直後に再び時間の外に逃亡する。
確かに、それをやられれば今度は防ぐ方法はない……。
獏狗が首飾りに触れようと手を伸ばした。
「なっ?」
獏狗の顔色が変わった。
初めてその顔に本当に恐怖が映った。
「探し物はこれかい……?」
七星はさっき奪い取った首飾りを示した。
「い、いつの間に……」
獏狗が叫んだ。
「すまないね……。昔から手癖が悪くてね」
七星は言った。
そして、白い光が消えていくのを感じた。
凄まじい音がした。
獣人の朱姫がたったいままで存在していた場所に大きな腕を叩きつけたのだ。
しかし、獏狗は、朱姫の腕が獏狗を襲う一瞬前にその姿を消している。
宝玄仙にはそれが見えた。
おそらく、また時の刻みをとめる魔術を遣ったのだと宝玄仙は思った。
朱姫によって卓は粉々になった。
獏狗だけでなく、七星もいなくなったことに気がついたのは、卓が破壊されるのと同時だった。
「七星は?」
声をあげたのは沙那だ。
「だ、大丈夫だよ……」
七星の声に振り向くと、少し離れた場所に七星がいた。
顔色が悪い。
しかし、手にはしっかりと獏狗から奪った首飾りを握りしめていた。
「うまく、時の刻みの向こうで、その霊具を奪えたのね。よかったわ」
沙那が言った。
「じょ、冗談きついよ、沙那……。これがなければ、元の時間に戻るときにうまく制御できなくなるなんて知らなかったよ。下手したら、こいつのようになるところだったんじゃないか」
七星が不満そうな声をあげた。
「どういうことだい?」
宝玄仙は言った。
七星の前には人形のように静止した獏狗がいる。
まるで動いていないように思えた。
「とりあえず、みんなの縄を解きます……」
すでに獣人の姿から娘の姿に戻りかけている朱姫が慌てたようにこっちにやってきた。
まずは、不安定な態勢で首に縄をかけられている麗美を椅子から降ろした。
次いで、七星とともに宝玄仙、そして、沙那を床に降ろす。
「とりあえず、いまはどういう状況なんだい?」
服装を整えると宝玄仙は、凍りついたように動かない獏狗に歩み寄った。
獏狗は、完全にとまっているようだ。
生きているのか、死んでいるのかもわからない。
「わかりませんが、この獏狗は本当に時の流れを自由に操れる能力を持っていたのだと思います。そして、推測するに、その能力は自分の周りに流れる時を果てしなく遅くする能力と、そして、果てしなく速くする能力だったのではないかと思うのです。時の刻みの外に向かうときは、時の歩みを際限なく遅くします。すると獏狗以外の時間の流れがとまったようになるということです」
沙那が言った。
「まあ、信じられない話だけど、実際にそうなんだろうねえ……。それで、さっきは、なにが起こったんだい? つまり、朱姫が飛びかかったときに、七星まで消えてしまったことさ……。七星、お前はどうなったんだい」
「どうなったと、言われてもねえ……。あたいは、沙那に言われたことをしただけさ。獏狗が時の外にいくときに、あたいも一緒に連れて行かれるだろうから、向こうで首飾りを奪えってね。だから、そうしただけさ……。そうしたら、元の時に戻るとき、なにか急になにかに引っぱられるような感じで現実に連れ戻されたんだ。こいつが時を戻した後で、首飾りがないことに気がついたとき、随分と焦っていたみたいだけどね」
七星が言った。
「つまり、七星は獏狗が時をとめる術をかけたときに、こいつに密着していたから一緒に時の外に行ってしまったというわけかい……。だけど、どうして、七星はまともに戻れて、こいつは人形みたいにとまってしまっているんだい?」
宝玄仙は相変わらず静止している獏狗を見て首を傾げた。
「ご主人様……これは推測ですが、時をとめるときは、周りの時間を果てしなく遅くすればいいので限界まで能力を発揮すればいいのに対して、元の時に戻すためには、ちょうどいい時の速さまで時の動きを速めるということが必要になります。それを制御していたのが、この首飾りの霊具ではないのかと思うのです。つまり、この首飾りの霊具が、本来の時の進み速度を覚えていて、その速度で能力の発揮をとめてくれるということです」
「そういえば、時がとまった感じがするたびに、こいつは首飾りに触れていたっけねえ」
宝玄仙は思い出しながら言った。
「実際には、時が元に戻るときです。時をとめる瞬間には、獏狗は首飾りには触りませんでした。実際、孫空女が首飾りを奪ったときにも、時の静止はできていたようですし……」
沙那が続けた。
「孫空女といえば。あいつはどうなったんだい? なんか気の毒な状況で宿町に放置してきたみたいなことを言っていたけどね」
宝玄仙は言った。
時をとめた獏狗は、『移動術』で孫空女を飛ばしたのか、それとも、荷駄車かなにかに載せて遥々と運んだのかは知らないが、獏狗は孫空女が宿町の真ん中で排便したようなことを言っていたから、それはそれで面白い見世物だったに違いない。
宝玄仙はほくそ笑んだ。
「助けに行きましょう……。もっとも、問題は、獏狗が孫空女を連れて行ったのがどこの宿町かということですが……」
沙那が言った。
「北側の宿町だと思います。
麗美が口を挟んだ。
「北側といえば、今朝、出発してきた宿町ということだね。それなら、わたしの『移動術』ですぐに跳躍できるさ」
『移動術』を使用するには、跳躍先にあらかじめ結界を刻んでおく必要があるが、昨夜も宿の部屋に結界を刻んだので、その残存を利用して『移動術』で戻ることができる。
孫空女の回収にはそれほどの手間はかからないだろう。
「それにしても、この怪物とお前はどういう関係なんだい?」
宝玄仙は麗美に訊ねた。
麗美は自分が二年前に夫のもとから無理矢理に浚ってこられたこと――。
脅迫されてここで無理矢理に獏狗に客を捕らえる手伝いをさせられていたことなどを話した。
この麗美も被害者といえば被害者なのだろう。
「さて、じゃあ、どうするかね……」
宝玄仙は沙那を見た。
「できればわたしはここに残りたいと思います……。孫空女をお願いします。その間にわたしは片付けておきますから……」
沙那が言った。
片付けというのは、獏狗を殺すことだろう。
沙那の推測が正しければ、獏狗は静止しているわけじゃない。限りなくゆっくりとしか動けなくなっただけだ。
いずれ自分の置かれた状況を思考が追いつき、再び時を逆転させるに違いない。
まだ、危険な状況なのだ。
やはり、殺すしかないのだろう……。
沙那はここに残って、獏狗の息の根をとめるという汚れ仕事をひとりで引き受けるつもりに違いない。
「万事、お前に任せるよ、沙那」
「はい、ご主人様……」
沙那は言った。
麗美がすぐに解毒剤を持ってきた。
それを飲むと、不安定だった道術がすぐに安定した状態になるのを感じた。
これで術が遣える。
「じゃあ、行くよ、七星、朱姫」
宝玄仙は『移動術』の結界を刻んだ。
「待ってください、ご主人様──。孫空女の服を……。これを持っていかないと……」
跳躍しようとする宝玄仙に慌てたように沙那が声をかけた。
孫空女が脱ぎ捨てた衣類は、まだ床の上にそのままになっている。
「いらない、いらない……。少し宿町でもからかってから戻って来るからね。助けるふりをして、裸でちょこちょことあちこちに人混みに繰り返し転送してやるよ。それから戻ってくるよ」
「もう、ほどほどにしてください、ご主人様」
跳躍する瞬間に見たのは、沙那の呆れたような表情だった。
七星の腹が捻じれるような感覚があり、眼の前から沙那と麗美の姿が消滅した。
(第26話『怪物少年』終わり)