「……て」
声がした。
「……起きて」
また、声――。
「起きて、七星」
今度は、はっきりと聞こえた。
七星は、眼を開けた。
燭台の光が飛び込んでくる。
夜のようだ。
視界の中に、すっと宝玄仙の顔が入ってきた。
「ひいっ――。宝玄仙さん……。い、いや、ご主人様――」
“ご主人様”と呼べと命令されたのを思い出して、慌てて、七星は言い直した。
「あんなのを“ご主人様”と呼ぶ必要はないわよ」
宝玄仙は言った。
声に少し怒りが籠っている。
それで、七星は眼の前にいるのが、宝玄仙ではなくて、宝玉であることを悟った。
「宝玉さんか……」
七星は呟いた。
「そうよ、七星。宝玄仙が酷いことをしたわね。わたしが代わりに謝るわ。あれでも、あれから、宝玄仙は意気消沈していたわ。やり過ぎたと反省しているようだけど、うまく表現できないのよ、彼女は」
宝玉は言った。
「反省ねえ……」
七星は呟いた。
本当だろうか?
あの宝玄仙には、反省とか、意気消沈とかいうのは無縁のような気がする。
七星は身体を起こした。
どうやら、寝台の上に横になっていたようだ。
掛布に包まれていた七星は全裸だ。
そして、眼の前の宝玉もまた全裸だった。
ふたりの裸身が燭台の光で照らされている。
「あいつらは……?」
七星がいるのは、ふたつ借りている部屋のうちの大きい方の部屋のようだ。
昨夜までは、宝玄仙と沙那と孫空女が泊っていた部屋で、今夜は、宝玄仙がひとりで使っていた。
隣の小さい方の部屋から出て来るなと、宝玄仙に命令された七星たちは、部屋の掃除を終えた後、ふたつの寝台を七星と朱姫が使い、沙那と孫空女は、寝台と寝台の間の床に横になったのだ。
七星が眠りについたのはあっという間だったはずだ。
いま、こっちの広い方の部屋にいるということは、眠っているうちにこっそりと、運ばれたに違いない。
「三人だったら、まだ、寝ているわ。彼女たちも、例の宝玄仙の下着の淫具で翻弄されたの……。疲れているの。だから、起こしちゃ可哀そうだと思って、あなただけを連れて来たのよ」
宝玉は言った。
隣の部屋もこっちの部屋も宝玄仙の結界が刻まれている。
結界の中であれば、宝玄仙も宝玉も、ほぼ、無限の力を出すことができる。
七星のことは、道術で運んできたに違いない。
「あなたの荷物と服はまとめておいたわ。それと、路銀も……。路銀は全部持っていっていいわ。わたしたちのことはなんとかなるから」
宝玉の視線の先を見ると、七星がいつも担いでいる袋があり、その横に服がきれいに畳まれている。
朱姫が管理している路銀の袋もある。
そうか……。
宝玉は別れのために現れたのか……。
七星にはやっとそれがわかった。
大きく嘆息した。
「路銀はいいよ……。それこそ、あたいひとりならなんとかなる」
七星は言った。
宝玉は、このまま立ち去れと言っているのだろう。
確かに潮時だろう。
宝玄仙と約束をした三箇月の期限には、まだ間があるが、別れるにはちょうどいい。
これ以上、一緒にいると情が移って別れにくくなる。
昨日、沙那たちが七星を庇ってくれたときは、本当に嬉しかった。
「宝玄仙は、悪い人間じゃないわ。ただ、ああいう性癖と性格だから……」
「わかっているよ、宝玉さん」
宝玄仙に嗜虐趣味があり、七星を調教したがっていたのは、わかっていた。
それを承知でついてきたのだ。
それは、あの智淵城から救い出してくれた礼でもあった。
三箇月という範囲なら、この身体を犯されるのに不満はない。
そう思っていた。
覚悟もしていたつもりだった。
しかし、当然のことながら、宝玄仙は七星の心も調教しようとした。
だが、残念ながら、七星はそういうことに向いてはいなかったようだ。
心が拒否反応を起こした。
それがあの嘔吐だったのだろう。
七星も悟るしかない。
自分は調教するのも、されるのも向いていない。
体質に合わないのだ。
残念だけど、一緒にはいられない。
なんだかんだで、宝玄仙に対して、沙那も孫空女も朱姫もよい関係を築いている。
だが、七星は違う。
あの輪の中には入れないし、七星がいることで、おかしな不協和音も起きるような気もする。
昨日の最後――。
一瞬だったが、沙那たちと宝玄仙は、一閃触発になりかけた。
彼女たちの信頼関係が崩れそうになったのだ。
七星のせいで……。
もしも、七星が嗜虐や被虐を受け入れる体質だったら、あの仲間に入って愉しく過ごすこともできただろう。
だが、無理だ……。
あの嘔吐でわかった。
自分には受け入れられない。
だから……。
さよならだ。
「あんたのことは好きだよ、宝玉さん。沙那たちも好きだけど、あんたが一番のあたいのお気に入りさ。本当だよ」
「ありがとう。嬉しいわ」
宝玉が微笑んだ。
「このまま、行くよ、宝玉さん――。別に怒って出ていくわけじゃないことを沙那たちに言っておいてくれると嬉しいよ。なんというか……。あたいは、逃げるだけさ。宝玄仙さんが怖くてね。そういうことにしておいておくれよ……。そして、あんたらは、仲良くやれってね」
「自分で言うのね、あなたを黙って行かせたなんて知られたら、あたしが彼女たちに叱られるわ」
「じゃあ、いいよ。なんにも言わなくて。あいつらには、置き手紙を残しておく」
七星は寝台から降りようとした。
「待って……」
宝玉が七星の手に触れた。
七星は顔をあげて宝玉を見た。
宝玉の眼がじっと七星の眼を覗いている。
「そのまま……。あなたに『縛心術』をかけるから」
宝玉の言葉に七星は驚いた。
思わず、身体を引く。
「心配しないで……。おかしなことはするつもりはないわ。ただ、少しだったら、あなたの身体の中の術を引き出せると思うの。そんなに大したことはできないんだけど……」
「へえ、あたいを本物の道術遣いにしてくれるのかい?」
七星は道術遣いだが、術遣いとしては、最下級であり、簡単な霊具が遣える程度で、七星が扱える術なんてない。
だから、本当にそんなことができるならそれは嬉しい。
「そんなは大したことはできない……。だけど、ひとつかふたつくらいなら、術を使えるようにできると思う。例えば『道術錠』とか……。上級術よ。使い方によって、かなりのことができるわ」
「ああ、あれか……」
『道術錠』とは、宝玄仙が朱姫におかしな下着を身に着けることを強要させた便利な術だ。
術遣いの施した条件付を実現しない限り、なにかが身体から外せなくなったり、動かせなくなったりするものだ。
確かに、使い方によっては、とんでもない武器にもなるし、罠になる。
「だから、宝玄仙に仕返しをするといいわ。最後にね」
宝玉は言った。
「仕返し?」
「彼女にもお仕置きが必要よ。あなたに酷いことをしたんだもの。あなたもそうしたいでしょう?」
「い、いや……。正直に言えば、仕返しはどうでもいいっていうか……」
もう、嗜虐も被虐もこりごりという気持ちしか湧いてこない。
本当に仕返しなどどうでもいい。
別れると決めたからには、これ以上、余計なしこりを残したくないし、仕返しの仕返しで追われるのも怖い。
このまま立ち去るのが一番いいような気もする。
「お願いよ。協力して。あいつにも罰は必要よ。わたしが協力するから。でも、わたしだけじゃ駄目なのよ。沙那たちでは調子悪いし……。ここは、あなたの手を貸してほしいわ」
「罰かい……?」
「そうよ。罰よ。それに、正直に言えば、宝玄仙は、いま、少しだけ後悔しているの。人の心に敏感なあいつは、あなたや沙那たちと、険悪になりそうになった一瞬に、もの凄い恐怖感を味わったわ――。それを解消するためにも」
「わかったよ、宝玄仙さん」
七星は言った。
そこまで言われたら仕方がない。
なにか思うところもあるのだろう。
「それで、なにをすればいいのさ、宝玉さん?」
すると宝玉がにっこりと微笑んだ。
「わたしの眼を見て……。あなたに、術式を擦りこむわ。それを遣うのよ。本来は、わたしたちには、あなた程度の霊気じゃあ、宝玄仙には術が効かないわ。だけど、一時的に、宝玄仙の身体の術返しを無効化する。後は好きにすればいいわ」
「なら、好きにさせてもらうよ」
七星は宝玉に言った。
やるからには徹底的にやってやる。
よくわからないが、同じ身体を支配している宝玉の頼みなのだ。
「ところで、その前に……」
宝玉の顔が七星の顔に寄ってきた。
七星は、宝玉を抱きしめてその唇を吸う。
宝玉の身体が、七星の腕の中で力を失っていく。
「素敵な口づけね……」
七星が宝玉の口から自分の口を離したとき、宝玉は酔ったように視線でそう言った。
「あんたもだよ」
本当だった。
宝玉を口づけで責めながら、七星もまた股間に痺れるような疼きを感じていた。
子宮に届くような強烈な口づけだった。
本当に性の技の巧みな女性だ。
「最後に、もう一度、愛して」
「一度じゃなくて、何度でもいいさ」
七星は宝玉を促して寝台に宝玉を横たえた。
宝玉の裸身が寝台に仰向けになる。
「一度でいいわ。わたしだってあなたから離れられなくなるもの」
「じゃあ、忘れられない一度にしよう」
七星は、宝玉の隣に身体を添わせて、宝玉の股間に手を伸ばす。宝玉の身体が震える。
「ああっ……」
すでに宝玉の股間はびっしょりと濡れていた。
そして、熱い――。
七星の愛撫が始まると、宝玉は震えはじめた。
「ま、待って……。あ、あなたに――あなたに一度訊きたいことがあったの――」
宝玉が吐息を吐きながら言った。
七星は、宝玉を責める手を休めた。
「なにさ?」
「あ、あのね……。わたしと宝玉って、同じ身体をふたりで使っているでしょう? 普通、そんなことはないわよね。それは、異常なことなのよ」
「異常かどうかは知らないよ。世の中は広い。そういうこともあるかもしれない」
七星は言った。
「だ、だけど、わたしたちの場合は、理由がはっきりしている。わたしたちのどちらかが、元の人格――。その人格が必要なものとして、もうひとつの人格を術で作り出した。意図的に本当の人格を分裂させたの」
「へえ……」
そんなことができるのだと感心した。
さすがは、天下一の道術遣いだ。
「だけどね、いまとなっては、わたしにも、宝玄仙にもわからなくなったのよ。本当は、どちらが、本来の人格だったのだろうって……」
「わからないって?」
「それで、あなたはどう思うか知りたかったの。ほら――。あなたは、勘がいい。自分でもそう言っていたし、それは、あなたのなんらかの道術的な能力だと思うの」
「それを知ることは大事なことなのかい?」
七星は嘆息しながら言った。
ひとりの人格が分かれたふたつの人格――。
分かれたということは、どちらも本来の人格ということだろう。
「どちらが元」ということはない。
両方とも元の人格だ。
「いいえ、重要なことではないわ。だけど、あなたがどう思うか知りたかったの」
宝玉は言った。
「だったら、あたいは、あんたが元だと思う」
七星ははっきりと言った。七星の勘はそう感じている。
宝玄仙は単純で無邪気だ。
しかし、宝玉の無邪気さは、そう装っている感じであり、もっと周到で老練している気がする。
宝玄仙には、そういう宝玉の隠している老獪さのようなものはまったく感じない。
つまり、人格として若い――。
生まれてから、そう何年も経っていないかのような……。
「答えてくれてありがとう、七星……。じゃあ、愛して」
「もういいの?」
「うん」
今度は、宝玉の手が七星の股間に寄ってきた。
あっという間に自分の身体の奥から快感が引き出されるのを七星は感じた。
*
なんだろう……?
不可思議な違和感――。
どうしたのだろう?
「やあ、宝玄仙さん――。いや、ご主人様って、呼ばないといけないんだっけ?」
眼を開けた。
眼の前に、椅子に座っている七星がいる。
うっすらと笑みを浮かべている。
きっちりと服を着ていて、その横には、荷物も整えられて置かれている。
すぐにもでも旅に出られるような感じだ。
その手でなにかを持っている。
それが一本の糸だと知覚するのに、少しばかり時間がかかった。
「な、七星――。お前は……」
七星の発する得体の知れない雰囲気に宝玄仙は戸惑った。
そして、椅子に座っている七星に対する自分の視線がおかしいことにも気がついた。
いまの宝玄仙は、七星を見上げるような感じだ。
そして、気がついた。
どうやら自分は四つん這いになっている。
床に、手のひらと膝から後ろを床につけて、少し股を開いている。
「な、なんだい、これは?」
それで、宝玄仙は、やっと事態を把握した。
自分は全裸だ。
全裸で犬のように床に四つん這いになっているのだ。
立ちあがろうとしたが身体が固定されて動けない。
下を見ると、床に張りついている手の部分に、白い丸が線で描かれている。
はっとした。
これは、宝玄仙が得意としている術のひとつで、『道術錠』を応用した技だ。
白い線の中に人や物を閉じ込めるという術であり、その道術のために、宝玄仙の手足が、それぞれに描かれた枠線から離れなくされているのに違いない。
「お、お前の仕業かい、これは――?」
宝玄仙は七星を睨んだ。
「そうでもあるし、そうでなくもあるね」
七星が白い歯を見せた。
そこには、なにか宝玄仙を追いつめているというような余裕がある。それが不気味だ。
「それは、あんた自身がやったことさ。あたいの術で、あんたみたいな大きな力を持つ道術遣いを術で拘束できるわけがないだろう?」
宝玉――。
宝玄仙の頭の中に、その名が浮かぶ。
宝玄仙の身体に潜む、もうひとつの人格である宝玉――。
宝玉は、七星を残酷に追い詰めて調教しようとした宝玄仙のやり方に不満を持っていた。
それで、この仕打ちということだろうか……?
宝玉が、術で自分自身を拘束し、宝玄仙と人格の交代をした。
それで、七星に宝玄仙に仕返しをさせる態勢をつくった……。
事態の把握ができ始めると、宝玄仙は、もっと最悪の状況に自分が陥っていることを悟らざるを得なかった。
術が遣えなくなっている。
霊気はあるし、周りの霊気ですら感じることもできる。
しかし、動かすことができない。
つまり、宝玄仙の中の道術が封印されているのだ。
術が遣えない――。
智淵城のときの手の紋章と同じだ。
咄嗟に視線を落とすが、あのときのようなおかしな紋章は手の甲にはなかった。
「やっと焦った顔をしてくれたね、宝玄仙さん。『道術錠』だよ。あんたには、見えないけど、あんたの背中に、あんたの術を封じる『道術錠』の紋章を描いた。あたいがやったことだけど、もちろん、宝玉さんの協力のものさ。あたいが刻んだことが実現しないと、あんたの術は封印されたままだよ。その手足もね」
七星は言った。
「じょ、冗談じゃないよ。な、なんてことしてくれたんだい――? さ、さっさと解くんだよ、七星。宝玉が絡んでいようと、いるまいと、こんなことをすれば、後で酷い目に遭うということくらいわかっているんだろう――」
宝玄仙は叫んだ。
「わからないね。あたいはこれで去る。そう決めたんだ。あんたには世話になった。沙那たちもいい友達だった。だから、別れるのはつらいけど、あたいは、あんたらと一緒に旅をするのは向いていないことを理解した」
「む、向いてないって……」
「ああ、向いてないんだ。あんたにもわかったろう? だから、行くよ。あいつらは、まだ寝ているから、向こうの部屋に置き手紙をしておいたよ。だけど、あんたには、ひと言、お礼を言っておこうと思ってね。それと別れの言葉も……」
「お礼って……。それが、これかい――?」
宝玄仙は呻くように言葉を吐いた。
だんだんと状況も飲みこめてくる。
いまは、まだ、朝というには早すぎる時間だ。
おそらく、夜明け前――。
外はまだ暗い。
雨脚も相変わらず強い。
部屋の中の燭台が部屋を明るくしている。
朱姫に装着させた『調教下着』と共鳴で責め抜いた三人は、完全に明るくなるまで目を覚ますことはない気がする。
ここには、七星と宝玄仙だけ。
そして、宝玄仙は魔術を封印されて、全裸で四つん這いにされている。
術の封印については、大部分が宝玉の仕掛けらしいが、封印の『道術錠』そのものは七星がやったようだ。
そして、宝玉は、宝玄仙の中で眠っている。
……ということは、七星がこのまま、宝玄仙の術を封印したまま去れば、宝玄仙の術は戻らない。
『道術錠』を解くには、七星が刻んだなにかを実現するか、行動すればいいはずだが、昨夜の腹いせに、七星がそれを教えずに行ってしまえば、『道術錠』を解くのが極めて困難になってしまう――。
「お、お前……ゆ、昨夜のことを怒っているのかい……?」
宝玄仙は言った。
しかし、自分の声が弱々しくなっていることに気がついた。
術が封印された――。
その事実に対する恐怖が、宝玄仙の自信を少しずつ奪っている。
「どう思う、あんたは?」
七星は相変わらずの笑みを浮かべたまま言った。
その笑みが不気味だ。なにを考えているのか……。
「や、やり過ぎたと思っているよ、七星……」
仕方なく宝玄仙は言った。
ここは、下手に出ることも許容しなければならないだろう。
封印を解かれないまま、去られては堪らない。
いや、それよりも七星を去らせてはならない。
昨日の仕打ちは確かにやり過ぎだったかもしれない。
それを解消しないまま、別れるなんて嫌だ。
それに宝玉が……。
「ひぎいっ――」
突然、股間に激痛が走り、宝玄仙が身体を仰け反らせて絶叫した。
肉芽が引っ張られている。
七星がずっと持っていた糸が引っ張られているのだと気がついたのは、七星が手を緩めて激痛が収まってからだ。
どうやら、宝玄仙の肉芽の根元には糸が結ばれている。
その糸の先を七星が持っているのだ。
「な、なにをするんだい――?」
宝玄仙は七星を睨む。
だが、七星は、再び糸を引っ張った。
「ひいっ――い、痛い――痛いってばあ――ひぎいっ――」
あまりもの激痛に宝玄仙は、思いきり叫んだ。
しかし、身体を床に固定されている宝玄仙には、その痛みに対応することができない。
七星は、糸を限界まで引っ張ると、さらにもう一度力を加えて引っ張り、それを寝台の一部に結びつけた。
「はぎっ――。こ、こんなの……。や、やめておくれよ――痛い――痛いよ――。謝る、謝るよ、七星――。だ、だから……」
宝玄仙は大きな声をあげた。
肉芽が千切れる。
信じられないような痛みだ。
「三人が眼を覚ますまでそのままだよ、宝玄仙さん。これがあたいのあんたへの感謝のしるしと置き土産だ。ほかにもいろいろとやろうとしたけけど、やめておくよ。封印を解く方法は、三人への置き手紙に残しておいたからね」
七星は、限界以上に宝玄仙の肉芽を引っ張っている糸に、なにかの術をかけた。
おそらく、『道術錠』だ。
だが、この術は、かなりの高等術だ。
最下級の術遣いに過ぎない七星に扱えるような道術ではない。
だから、七星がこの術を遣えるように、宝玉がなにかを施したのだろう。
それにしても、宝玄仙の思考力を吹っ飛ばすような痛みだ。
『道術錠』をかけられたということは、そう簡単には、誰にもこの糸を解いたり、切ったりはできないということだ。
「それじゃあ、さよならだ。最後に杯を交わそうよ、宝玄仙さん。あたいは、本当は酒が好きでね。この一行は、酒飲みがいないから寂しかったよ。最後に一杯飲んでおくれよ」
七星はそう言って、寝台の横に置いていた酒瓶を開けて、ひとつの盃に中身を注ぐ。
「じゃあ、あたいから飲むよ」
七星が自分の眼の高さまで盃をあげた。
「ふ、ふざけるんじゃないよ――。さ、さっさと糸を解くんだ――」
宝玄仙は苦痛に顔を歪めた。
すると、七星が緊張している糸に手を伸ばした。
「ひいっ、や、やめておくれ――」
宝玄仙の抗議もむなしく、七星の指が糸をぴんと弾いた。
「んぎいいいっ」
加えられた猛烈な痛みに、宝玄仙は心の底からの絶叫をしていた。
「あたいと別れ酒を交わしてくれるよね、宝玄仙さん?」
七星の手が糸に向かって、また伸びる。
「の、飲むよ。飲む――。た、助けて――」
宝玄仙は叫んだ。
七星の指が糸の直前でとまった。
宝玄仙はほっとした。
「そうかい。飲んでくれるかい、宝玄仙さん」
七星がぐいとひと息で盃の酒を飲み干した。
そして、もう一度、その杯に、酒をなみなみと注ぎ直す。
「あんたの番だ。宝玄仙さん」
七星が立ちあがった。
宝玄仙は盃が自分の口に近づけられるのを待った。
しかし、なぜか、盃を持った七星は、宝玄仙の後ろに回った。
そして、容器に入ったなにかの液体に、その杯の酒が足される音がした。
かたかたという音はまだ続く。
「な、なにをしてるんだよ、七星?」
不気味なものを感じて、宝玄仙は言った。
しかし、身体を固定されているうえに、肉芽を糸で引っ張られ続けている宝玄仙には、後ろを振り返ることができない。
「あんたに酒を飲んでもらう準備をしているのさ。ただし、お尻でね」
宝玄仙は総毛だった。
七星が言った意味は明らかだ。
「酒をぬるま湯に足したよ。それを浣腸器で尻に入れてやる。口ではなく、尻から酒を入れられると効くらしいね。泥酔しないように湯で割ってやったから大丈夫だと思うけど」
「ふ、ふざけるな……」
宝玄仙は呻いた。
しかし、容赦なく浣腸器の先が宝玄仙の蕾に突き刺さる。
「うっ、うう……」
すぐに、お尻の中に生温かい液体が注がれていく。
「排便用の桶はここに置くよ。隣の部屋の三人が眼を覚ますまで、洩らしたり、倒れたりしないように頑張りな。まあ、あいつらのことだから、あんたが汚物をぶちまけても、嫌な顔ひとつせずに、掃除してくれそうだけどね」
七星は、宝玄仙の顔の下に木桶を置いた。
「た、頼むよ、七星――。ご、後生だよ。あ、謝るよ……」
酒入り浣腸の効き目はあっという間だ。
たちまちに、鈍痛が下腹部に込みあげるとともに、全身が熱くなる。
宝玄仙は酒には強いが、酔いのようなものも感じ始めている。
「引っ張られている糸を解く『道術錠』の鍵は簡単さ。四人の人間に三発ずつ尻を叩かれなければならない。浣腸液を腹に溜めた状態でね。途中で洩らせばやり直しだ。あたいの分はやっておくよ」
そういうと七星は、力一杯宝玄仙の尻を引っぱたいた。
「はぎっ」
お尻よりも、叩かれたことにより、肉芽の引き千切るような激痛に宝玄仙は悲鳴をあげた。
尻打ちの衝撃で、身体を動かしてしまったのだ。
「二発目行くよ」
再び、大きな音とお尻の痛み――。
そして、肉芽の激痛――。
宝玄仙は泣き叫んだ。
「三発目――」
激痛――。
本当に宝玄仙は泣き叫んでいた。
「それじゃあ、あたいはこれで行くから。残りの三人からの尻叩きは、あんたから説明してやってもらいな。それから、糸が外れる鍵は、“浣腸液を腹に溜めたまま、四人の別々の人間から力一杯尻を三回ずつ叩かれること”だからね途中で洩らしたり、力が弱かったら、全部がやり直しになる」
七星がくすくすと笑った。
なんという条件を……。
それにしても……。いまの条件では……
「ま、待っておくれ……。その条件だと、お前がいなくなったら、四人目って……」
「そういうことさ。あたいがいなくなれば、四人目を見つけるのは骨が折れるだろうし、恥ずかしいだろう? だから、一回で終わるように頑張るんだよ、宝玄仙さん」
「い、いい気になるんじゃないよ、七星。つ、次に会ったら承知しないからね」
宝玄仙は呻いた。
すると、ぐいと自分の顎が持ちあがった。
身体の前にやってきた七星が、宝玄仙の顎を掴んであげたのだ。
その顔には、なにか含み笑いのようなものがある。
「な、なんだよ……?」
「ねえ、宝玄仙さんよう――。あんた、智淵城のときに、法兵たちの前で、幼児語で尻をほじってくれと頼んだんだってねえ?」
「な、なんで、それを……?」
「智淵城にいるときに、あたいの前で鹿力がそう言ったのを耳にしたのさ。実に見ものだったって話してたよ」
七星の言葉で、あの時の恥辱が沸き起こる。
あのときは、肛門に媚薬を塗られてから、違う言葉でお尻をほじってくれとねだるように強要されていたのだ。
しかも、必ず新しい言い方でだ――。
それを何回もやらされて、新しいおねだりの言葉が思いつかなかった。
それで幼児語で尻を犯してくれとねだった。
あのときの恥辱は、智淵城の仕打ちの中でも最大級のものだ。
「尻を叩いてくれと、沙那たちに説明する言葉は、その幼児語だけに限定するよ。糸が解ける前に、普通の喋り方をすれば、『道術錠』がかかり直してしまうことにする」
抗議の言葉も慈悲をすがる言葉を放つ余裕もなかった。
七星は、新しい『道術錠』を糸に刻んだ。
霊気の移動は知覚できるのだ。
新しい術をかけたということくらいは、いまの宝玄仙でもわかる。
「な――」
「なにか喋るんなら、気をつけな。幼児語だよ。『道術錠』がかかり直すと、残り三人の尻打ちが、残り四人になるよ」
思わず口を閉じる。
「なにか、言いたいのかい、宝玄ちゃん?」
七星がにっこりと微笑んで、宝玄仙の顔を覗き込んだ。
「ま、待って欲ちいの……。ほ、宝玄ちゃんには、恥ずかししゅぎるから……。こ、言葉だけでも……」
恥辱で身体が震える。
七星が爆笑した。
「そうか。恥ずかちいんだね。でも、『道術錠』は刻んじゃったんだよ。宝玄ちゃん、ご免ね」
七星は宝玄仙の頭をごしごしと擦った。
まるで、子供をあやすように……。
そして、部屋を出ていった。
手には、もういつものずた袋を持っている。
部屋の戸がばたりと閉じた。
宝玄仙はひとり、部屋に残される。
打たれたお尻と肉芽の激痛――。
そして、次第に拡大する下腹部の鈍痛――。
宝玄仙には、歯を食い縛るしかできることがなかった。