※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

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 第30話  お気に召すまま【多恋美羅(たれんちゅら)】
186 多恋美羅(たれんちゅら)の館


「なんか霧が深くなったね……」

 

 前を進んでいた孫空女が、ついに途方に暮れたように立ちどまった。

 女人(にょにん)国を南に進む山道だったが、急に霧がたちこめて視界が悪くなった。

 異常なほどの深い霧である。

 昼間だというのに、ほとんど視界が利かず、まるで夜道を歩いているような感じだ。

 しかも、この付近の山道は、切り立った断崖沿いに道が続いている。

 一歩道を踏み外せば、谷底に滑落する危険もある。

 

「ご主人様、このまま、霧深い山道を進み続けるのは、少し危険です。なにしろ、わたしたちには不慣れな道です。道を踏み外して谷に落ちてしまう可能性もありますし……」

 

 沙那は言った。

 

「お前に任せるけど、どうするんだい、沙那?」

 

 宝玄仙は言った。

 

「引き返したいと思います、ご主人様。今朝出発した麓の宿町まで戻りましょう」

 

「わかったよ」

 

 宝玄仙の言葉で態勢を変えて、再び元来た道を戻ることになった。

 孫空女が狭い道を戻り、再び逆方向になった全員の先頭に立つ。

 沙那は最後尾だ。

 

 孫空女が常に先頭であるのは、孫空女がこの一行の中で、最も感覚が鋭く、眼と耳が利き、さらに道術の探知もできるからだ。

 それに、なにかあったら最初に戦うのは孫空女だ。

 だから、孫空女はいつも荷物を持たない。

 そして、孫空女の後ろには、大抵は宝玄仙と朱姫が並んで進む。

 宝玄仙の日常的な世話は朱姫がやることが多い。

 沙那は最後尾で、一行の荷をほぼひとりで持っている。

 朱姫も荷を持っているが、中身は路銀と宝玄仙の身の回りの品と宝玄仙が遣う霊具だけだ。

 考えてみれば、旅を初めて、もう二年に近い歳月が流れていた。

 

 宝玄仙の旅の出発地は東方帝国の帝都だ。

 沙那が宝玄仙の供になったのは、帝都からそれほど離れていない愛陽という城郭だった。

 その一箇月後、東方帝国の西側の難所である五行山で孫空女が供に加わった。

 朱姫が供に加わったのは、東方帝国の西側の国境を越えた最初の宿町だ。

 

 それからこの四人で、東方帝国の属国とも呼ばれる諸王国を抜け、東帝国にとっては文明の境界といわれる通天河まで辿り着いた。

 通天河までやってきて思ったのは、そのは世界の果てでもなんでもなく、その先にも世界はあり、北にも南にも向かう道はあるという当たり前の事実だった。

 通天河よりも西は、魔域と称しているは魔族の生息地域だが、それすらも、別段世界を隔てる壁などがあるわけでもなかった。

 とにかく、色々あったが、そこから南に進路を変えて、通天河沿いの部落や小国家を過ぎ、いま旅をしているのがこの女人国だ。

 女人国を南に抜ければ、さらに別の人間の国があるそうだ。

 その果ては海があるらしい。

 

 故郷の愛陽には海はなかったから、沙那は一度も海というものを見たことがない。いまから、愉しみでもある。

 予定としては、そこから、再び海沿いに西に向かってから、今度は北上することになっている。

 魔域でも魔族の中心地域を避けるための迂回だが、一応の最終目的地は、金角、銀角の支配している魔域の西側の一角だ。

 

 もっとも、その金角と銀角の部下である倚海龍(いかいりゅう)によって、宝玄仙がその勢力地に辿り着くことがないようにと、通天河の真ん中に放り捨てられた。

 だから、金角と銀角の勢力地に受け入れてもらえないような場合については、目的地も変化するということになるだろう。

 いずれにしても、あてがあるようでない旅だ。

 

「まあ、万事、お前たちに任せるよ。それに、日があるうちに休むのは、大歓迎だよ。それだけ、愉しみの時間が増えるということだろう?」

 

「愉しみ……ですか?」

 

 沙那はうんざりしながら応じた。

 このあとの宝玄仙の言葉は予想もつく。

 

「じゃあ、今夜はどうする? 久しぶりに、この四人でくんずほぐれつの大乱交といくかい? 四人全員が後手縛りをして、舌だけで愛し合うのさ。今日は、このわたしもちゃんと、お前たちと同じように後手縛りになってやるよ」

 

 宝玄仙が嬉しそうに言った。

 

「そっちの方は、ご主人様に万事お任せします。もう、諦めていますから」

 

 また、いつもの馬鹿げた気まぐれだ。

 沙那は嘆息した。

 

「だったら、あたしたちは、『魔縄』で縛るんでしょうけど、ご主人様は駄目ですよ。逆に普通の縄ですからね」

 

 朱姫だ。

 

 『魔縄』とは、霊気を帯びた縄であり、一度結ぶと簡単に結んだだけでも道術なしでは絶対に解けないという霊具だ。

 宝玄仙がそれを使用した場合は、宝玄仙の魔術を上回る術遣いでなければ、解くことはできないから、事実上、宝玄仙しか解くことができない。

 朱姫が言ったのは、宝玄仙自身を拘束するのは、宝玄仙が術で解くことができる『魔縄』ではなく、霊気を帯びていない縄を使ってくれということだ。

 宝玄仙は大きな力を持つ道術遣いなので、霊気を帯びているものであれば、なんでも自在に扱える。

 だが、逆に、霊気を帯びていないものについては、道術で自由にすることはできない。

 

 これは、道術理に基づくもので、道術にしろ、魔術にしろ、すべては、人であれ、物であれ、備わっている霊気、あるいは魔力を意図的に動かす術のことなのだ。

 だから、霊気を帯びていない普通の縄を宝玄仙は、簡単には術で解くことはできない。

 

 もっとも、宝玄仙は霊具作りの天才だ。

 霊具というのは、霊気を帯びていないごく普通の物に力霊気帯びさせて、道術を発揮するという術を施した道具だ。

 宝玄仙は霊具作りの天才なので、普通の縄で縛られても、それを霊具に変えて、魔術で縄抜けをするというようなことができる。

 もっとも、それには、時間がかかるし、術を刻むための集中も必要なので、性愛をしながら普通の縄を霊具に変えてしまうというのはできないはずだと、朱姫は考えているのだろう。

 

「わかったよ。普通の縄で相手してやるよ。ふふふ、だけど、この宝玄仙の舌技にお前らが勝てるとは思わないけどね」

 

「ふふふ、条件が同じなら、朱姫も負けませんよ。ご主人様を追いつめて、泣かせてさしあげます」

 

 朱姫も応じた。

 

「ほう、愉しみだねえ。じゃあ、今夜は正々堂々と迎え撃ってやるよ」

 

 宝玄仙が笑った。

 沙那も気合いを入れることにした。

 朱姫の言葉じゃないが、こうなったら三人で宝玄仙を集中砲火して責めるしかない。折角の機会だ。宝玄仙を泣かせることができるなら、日頃苛められている溜飲も下がるというものだ。

 そのとき、不意に強烈な一陣の風が吹いた。

 

「うわっ、なんだい?」

 

「きゃああっ」

 

「な、なに?」

 

 咄嗟に沙那は、宝玄仙の身体を庇ったが、その横で態勢を崩した朱姫が、崖下に向かって飛ばされた。

 

「わっ、朱姫――」

 

 沙那の眼の前で、朱姫が風に飛ばされて谷に落ちていく。

 しかし、沙那は宝玄仙を庇っているために動けない。

 

「ちっ」

 

 崖下に落ちようとしている朱姫に、前を歩いていた孫空女が飛びついた。

 そのまま、ふたりで、崖の下に落ちていく。

 

「孫女――、朱姫――」

 

 沙那は、宝玄仙を支えながら悲鳴をあげた。

 ふたりの身体が崖下に消えた。

 

「ご主人様、姿勢を低くしてください――」

 

 とにかく、宝玄仙をその場に座らせる。

 また、強風が吹いて飛ばされる可能性がある。

 沙那はすぐに、崖下を覗いた。

 

「沙那ああ――」

 

 孫空女の声だ。

 崖下に半間ほど落下した場所だ。

 

 そこで、孫空女が『如意棒』を岩に突き差して、腕一本で宙吊りになる身体を支えている。

 もう一本の腕は、片手で朱姫を掴んでいる。

 その下は、完全な絶壁だ。

 かなり深いようだが、崖の下がどうなっているのか、霧のために見えない。

 沙那は、荷物の中から魔縄を取り出し、道の反対側の樹木の幹に巻いた。

 そして、どんどん繋げて、崖の途中で宙吊りになっている孫空女たちに向かって縄をおろしていく。

 

「孫女、縄よ――」

 

 沙那は崖下を見下ろし、朱姫を支えている孫空女に向かって叫んだ。

 縄は孫空女と朱姫に届いている。

 孫空女は、片手で自分を支えたまま、朱姫の腕を自分の腕一本で抱えて、朱姫の空いている手に『魔縄』を近づけた。

 

「朱姫、縄を手で掴め」

 

「はい、孫姉さん」

 

 朱姫が、『魔縄』の縄尻を手首に巻いて握った。

 それだけで、『魔縄』はしっかりと固定されて、解けないはずだ。

 本当はこういうのが、魔縄の本来の使い方だ。いつもいつも、嗜虐用の拘束具ではないはずだ。

 沙那は縄を引き、まずは、朱姫を引っ張りあげた。

 朱姫は這うような姿勢で上にあがってきた。

 手を地面につけたまま、激しく息をする。

 

 そして、次にもう一度、『魔縄』を降ろす。

 孫空女は、沙那の手を煩わせることなく、『魔縄』を掴んでひとりで登ってきた。

 

「み、皆さん、ありがとうございます……。孫姉さん、助かりました……」

 

 朱姫は、まだ蒼い顔をしている。

 

「それにしても、凄い突風だったよね。霧の次は風なんて、今日の天気はどうかしているよね」

 

 孫空女が言った。

 

「みんなの身体を『魔縄』で縛りましょう。また、突然の突風が吹いても、それでお互いに支えられます」

 

 沙那は言った。

 

「だったら……」

 

 宝玄仙がなにかを喋ろうとした。

 

「駄目です、ご主人様――」

 

 沙那は、慌ててそれを遮る。

 

「まだ、なにも言っていないじゃないか、沙那」

 

 宝玄仙が不満気に言った。

 

「どうせ、じゃあ、股間縛りで繋ごうとか……そういうことを言うつもりだったんじゃないですか、ご主人様?」

 

「よくわかるねえ、沙那」

 

 宝玄仙が感嘆するような声をあげた。

 

「わかりますよ。もう、かなりの付き合いになりましたから……。というか、本当にそんなこと考えていたんですか……? とにかく駄目です。おりたらなにをしても結構ですので、いまはそういうことはやめましょう。おかしな刺激を受けて、いざというときにうまく動けなかったら命に係わります。縄は全員が腰縄で繋ぎます。そして、みんなでできるだけくっついておりましょう」

 

 沙那は言った。

 

「いいねえ……。その言葉に偽りはないね、沙那?」

 

 宝玄仙がにやりと微笑む。

 

「えっ?」

 

 嫌な微笑みだ。自分はなにか言ったのだろうか?

 

「なにをされてもいいと言ったね? じゃあ、下におりたら予定変更だ。四人で乱交することについては変化なしだが、後手に縛るのは、沙那だけにするか。ほかの三人は、拘束なしにしようね」

 

「そ、そんなあ……。そうしたら、わたしだけが狙いうちじゃないですか。ほかの人は手を使うんでしょう?」

 

「お前は舌を使えばいいだろう。くんずほぐれつの大乱交さ」

 

 冗談じゃない。

 ひとりだけ拘束されれば、寄ってたかって全員に責められるに決まっている。

 一度火がつけば、沙那の身体は、どうしようもなく燃えあがってしまう。

 際限のない絶頂地獄に落とされるのは間違いない。

 

「ず、狡いですよ。わたしだけ舌だけなんて」

 

 沙那は抗議した。

 

「なにをしてもいいと言ったじゃないか、沙那。二言はないだろう?」

 

 宝玄仙が意地の悪い表情で微笑む。

 

「ちょ、ちょっと、孫女、なにか言ってよ」

 

 このままでは、三人で宝玄仙を集中して責めるという沙那の予定がぶち壊しだ。

 沙那は、思わず孫空女に助けを求めた。

 この場合、朱姫に助けを求めるのは逆効果だ。

 宝玄仙と同じ性癖を持つ朱姫は、こういうときには、必ず、自分の嗜虐癖を発散できる側に回る。沙那を容赦なく責めたてられる方を望むに決まっている。

 沙那の味方をしてくれそうなのは孫空女だけだ。

 しかし、孫空女は、素知らぬ顔をしている。

 

「ねえ、聞こえないの、孫女?」

 

 沙那は、反応のない孫空女に叫んだ。

 

「ごめん、沙那、聞こえない」

 

 孫空女は沙那に振り返ることなく答えた。孫空女は、一心不乱に、腰縄を準備している――ふりをしている。

 

「う、裏切るのね、孫女」

 

「裏切るって……」

 

「お、お互いに助け合ってきた仲じゃないの、孫女」

 

 沙那はまた言った。

 

「勘弁してよ。ご主人様の嗜虐癖の前では、仁もなければ、義もなしだよ。あたしだって、自分が大事だもの」

 

 孫空女は沙那を見ないまま言った。

 沙那はがっかりした。

 

「さあ、観念して行くよ」

 

 宝玄仙が笑いながら言った。

 沙那は、納得のいかないものを感じながらも、自分と宝玄仙に腰縄を結んで繋ぐ。

 そして、更に朱姫と孫空女の繋がっている縄尻にそれを結ぶ。

 

「じゃあ、行こう」

 

 孫空女が言った。

 進み始めると、時折、かなりの突風が山落ろしの横風になり、身体を崖の方向に時折押した。四人で支え合ってなんとか、やり過ごしながら進む。

 

「……なんか、おかしいよ」

 

 不意に孫空女が言って立ちどまった。

 

「どうしたの、孫女?」

 

 沙那は言った。

 

「来た道と違う。どこかで道を間違ったかも……」

 

「え?」

 

 沙那は前を見た。

 これだけの強風というのに、いよいよ霧が深くなっている。

 確かに、本当におかしな天候だ。

 

 そのため、まだ、日も高いはずだが、まるで夜を迎えようとしているかのように視界が悪い。

 沙那には、いまの道が逆戻りをしている道なのか、それとも、違う道なのか区別がつかなかった。

 よく知っている道じゃない。

 朝からの霧の中を通って来た道だ。

 感覚の鋭い孫空女がいうのなら、道を間違えたというのは本当なのだろう。

 

「……待って、灯りが見える」

 

 前に眼を凝らしていた孫空女が言った。

 

「灯りなんて見えませんよ」

 

 朱姫が顔をあげて言った。

 沙那にも、灯りらしきものは見えない。

 

「わたしも……あれっ?」

 

 しかし、次の瞬間、沙那にも深い霧の向こうにほんの微かになにかが見えた気がした。

 

「なにか見えたね」

 

 宝玄仙も言った。

 

「とにかく、進みましょう」

 

 沙那は前進を促した。

 少し進むと、小さな灯は明らかになった。

 霧深い山道にぽつりと灯がともされているのだ。

 一行は、その灯に向かうように進んだ。

 

 やがて、一件の小さな建物の前に辿り着いた。

 二階建ての木造の小さな宿屋だった。

 一階が食堂になっていて、二階に旅人を泊られるというかたちのどこにでもある典型的な宿屋だ。

 

 ただ、周りになにもない樹林を切り拓いて一軒だけぽつりと建てられていて、なぜこんなところに建物があるのだろうという感じだ。

 濃い霧のためにわからないが、この宿屋以外には、周囲に人が住むような里や部落さえもある様子がない。

 もの凄くおかしな雰囲気だ。

 とにかく腰縄を解く。辺りには、まだ嵐のような強風が吹き荒れている。

 

「ほう……これは……」

 

 宝玄仙が建物を見ながら呟いた。

 

「どうかしましたか、ご主人様?」

 

 沙那はなにか複雑な微笑みをしている宝玄仙に訊ねた。

 

「……いや、なんでもないよ。とにかく、入ってみるかね」

 

「でも、なんかおかしな感じじゃ……」

 

 しかし、沙那が口を挟む間もなく、もう、宝玄仙は宿屋の中に入っていった。

 慌てて、沙那も追う。

 孫空女と朱姫がそれに続く。

 

 中にはがらんとしていて、薄暗い燭台が食堂の真ん中に置いてあった。

 

「宿泊ですか?」

 

 四人が入ると、奥から白い服のひとりの少女が現れた。

 

「……お前がこの宿の主人かい?」

 

 宝玄仙が言った。

 

「そうです」

 

「大部屋をひとつだ。食事も欲しい。いくらだい?」

 

「大部屋はありません。すべてひとり部屋です――。宿代はなにで支払われるのですか? こんな場所にある宿屋ですから、お金の代わりに、それに見合う物で支払って頂いても構いませんが……」

 

 少女は言った。

 いや、少女というのは見た目だけのことであるようだ。

 沙那は、彼女の落ち着いた喋り方としっかりとした物腰から、彼女が実際には少女というような年齢ではない気がした。

 

「銀粒で払います」

 

 朱姫だ。

 この一行の路銀を管理しているのは朱姫だ。

 さっそく朱姫は、宿屋の主人である少女と代金の交渉を始め出した。

 

 三人でしばらく待つ。

 なぜか、交渉に時間がかかっているようだ。

 仕方なく、食堂の空いている席に座った。

 卓は全部で五個であり、ひとつの卓に四個から六個の椅子がある。

 

「……ご主人様、どうしても、ひとつの部屋を二人以上で使うことは駄目なんだそうです」

 

 やがて、朱姫がこっちにやってきてそう言った。

 

「お前の名は?」

 

 宝玄仙が女主人の少女に向かって言った。

 

「多恋(たれん)です」

 

「じゃあ、多恋、どうして、ひとり部屋でなければ駄目なんだい?」

 

 宝玄仙が言った。

 

「それぞれの部屋には寝台がひとつしかありません」

 

 多恋が応じた。

 

「構いません。わたしたちは、ご主人様の供ですから、床で寝られればそれでいいのです」

 

 沙那は言った。

 

「なんと言われようとも、ひとつの部屋に、おひとりずつ泊っていただけなければ困ります」

 

 言葉は丁寧だが、態度は頑なだ。

 多恋は引きそうにない。

 

「わかったよ。それでいい。今日は、ひとりずつ寝よう」

 

 宝玄仙が言った。

 沙那は驚いた。

 旅が始まって以来、宝玄仙はほとんどひとりで部屋で休んでことがない。

 ひとりで休んだことがあるのは、旅の最初の頃、まだ旅が天教教団の八仙としての巡礼の体裁だったときに、教団施設に宿泊するときに、そうしていたくらいのことだ。

 その天教教団の手配を受けることになってからは、宝玄仙の身を護るためにも、少なくとも三人のうち誰かは宝玄仙と一緒にいるようにしていた。

 

「いけません――。ご主人様がおひとりでは、なにかあったときに危険です。孫女か、朱姫か……それともわたしをご指名ください。ご主人様をお守りする者が必要です」

 

 沙那は言った。

 できれば、沙那自身が宝玄仙と同室となるのは避けたいが、宝玄仙をひとりにするのはもっと心配だ。

 

「心配ないよ。この宿屋はね――。お前たちは、わたしらをとって喰いはしないだろう?」

 

 宝玄仙が多恋を見た。

 

「もちろん、とって喰いはしませんが……。失礼ながら、お客様は、当館をご利用したことがあるのですか?」

 

 多恋が無表情のまま言った。

 

「この宿についてはないよ。ただ、お前たちについては知っている。昔、お前たちの仲間と暮らしたことがある」

 

 宝玄仙がそう言うと、無表情だった多恋が驚いたような表情になった。

 沙那も驚いた。

 

「この多恋さんをご存じなんですか、ご主人様?」

 

 沙那は言った。

 

「こんな小娘なんか知っているわけないだろう――。お前もわたしのことを知らないだろう、多恋?」

 

「存じません」

 

 多恋は言った。

 意味ありげな宝玄仙の物言いが気になる。

 あれは、なにかを隠しているときの宝玄仙だ。

 

「いいんだよ、沙那。今日は、ひとりずつだ。ちょっと早いが、荷を置いて食事にしよう。その後は、明日の朝までお前たちはそれぞれ自由にしていい。わたしの世話もいらない――。いいね」

 

「そ、それは構いませんが……。でも……」

 

 やはり、宝玄仙をたったひとりにするというのは気にかかる。

 それまでそんなことをしたことがないのだ。

 宝玄仙の敵は多い。

 これまでだって、予想もしない襲撃を受けたことも珍しくはなかった。

 

「それとも、お前は、くんずほぐれつの大乱交がやりたかったのかい、沙那? 部屋では無理そうだけど、ここでならできるんじゃないかい? お前がどうしてもというんなら、この食堂の床の上でやるかい? 大乱交を――」

 

 宝玄仙は言った。

 沙那は慌てて、首を横に振る。

 

「わかりました。ご主人様がそれでよろしいなら、今夜についてはそれで……」

 

 沙那は言った。

 まあ、宝玄仙のことだ。部屋に結界を組んで入れれば問題はないだろう。

 それに、この議論が長引けば、本当に食堂の床の上で乱交をしようと言うかもしれない。

 さっきは、冗談で言ったようだが、一瞬後には、それも面白そうだなとか考えるかもしれないのが宝玄仙だ。

 

「ところで、ここが、わたしの知っているお前たちの館だったら、娼婦の世話もするんじゃないかい、多恋?」

 

 夕食の支度を始めようとしていた多恋に、宝玄仙がそんなことを言いだした。

 やはり、おかしな物言いが気になる。

 なにか変だ。

 

「娼婦って……あたしたちは、女だよ、ご主人様」

 

 孫空女が口を出した。

 

「それがどうしたんだい、孫空女。ここは、女人国だよ。女同士で愛し合う国だよ。客も女なら娼婦も女さ。そうなるだろう――。それとも、お前は男娼を呼びたいのかい?」

 

「と、とんでもないよ。男娼なんて」

 

 孫空女が眼を白黒している。

 

「申し訳ありませんが、確かにここは女人国の一部なので男娼は呼べません。しかし、女の娼婦だったら準備できます。お好みの女がいれば、申し付けください」

 

 多恋がそう言ったので、沙那は少しばかり驚いた。

 ここに娼婦がいるという感じがしなかったからだ。

 それどころか、この多恋のほかに、人がいる気配がしない。

 この多恋がひとりで経営している宿屋だと今まで思っていた。

 

「……どこかに、ほかに女の方がいるのですか?」

 

 沙那は言った。

 

「いいえ、ここにはおりません。しかし、近傍の村と契約しているのです。呼び出せばやって来てくれます。どのような女でも準備できますが?」

 

「近傍の村って……。でも、外はこんな強風ですよ。それに霧です……。まだ陽もあるのにあんなに暗いのですから、夜道は危険では……」

 

「問題ありません。どのような女がお好みがお申し付けください。娼婦を安全に運んでくる手段は幾らでもあります」

 

 多恋は言った。

 そう言われると、『移動術』のような術もある。

 しかし、眼の前の多恋は道術遣いなのだろうか。

 そんな雰囲気はないが……。

 

「じゃあ、ひとりずつ娼婦をあてがってもらうとするか。沙那、お前はどんな女に来てもらう?」

 

 宝玄仙が言った。

 沙那は慌てて、首を横に振った。

 

「ひ、必要ありません。お願いですから、ひとりで寝かせてください」

 

 沙那は言った。

 

「しょうがないねえ――。じゃあ、孫空女は?」

 

「あたしもひとりがいいよ、ご主人様」

 

「わかった。おまえたちふたりは、娼婦なしだね――。だったら、朱姫、お前は呼びな。そして、どんな感じだったか、明日の朝、わたしに報告するんだ。いいね」

 

 宝玄仙は朱姫に言った。

 

「え、ええ――? あ、あたしもひとりがいいです」

 

 朱姫は声をあげた。

 

「遠慮するんじゃないよ、朱姫。本当は“責め”のお前が、わたしに飼われて“受け”に回っていろいろと欲求が溜まっていることは知っているよ。たまには、本来の“責め”に戻って思い切り発散しな」

 

「そんなあ」

 

 朱姫が困惑した声をあげる。

 だが、宝玄仙は無視して、多恋に話しかける。

 

「多恋、こいつは、小娘のような外見だけど、とんでもない嗜虐癖でね。そういう朱姫の相手になりそうな娘はいるかい?」

 

「ご主人様に、そんなこと言われたくはありませんよ」

 

 朱姫は頬を膨らませた。確かに、宝玄仙から、「とんでもない嗜虐癖」だと称されたくはないだろう。宝玄仙こそ、限度のない嗜虐の性癖の持ち主だ。

 

「だったら、ちょうどいいのがおります。まだ、娼婦になるのは経験が不足で、これからいろいろと教えていかなければならないと思っていた娘がおります。その娘を寄越しましょう。その娘に、女と愛し合う悦びを教えてあげて貰えますか、朱姫さん?」

 

 多恋が言った。

 

「いいだろう。朱姫、じゃあ、その娘を調教するんだ。ひと晩でどのくらい調教できたか、わたしに見せるんだよ――。もともと、烏斯(うし)国の東の国境沿いの分限者の娘を調教してたらし込んでいたお前だ。嫌な仕事じゃないだろう?」

 

 宝玄仙がからかうような口調で言った。

 最初に朱姫に会ったとき、朱姫は、まだ能生(のうう)と名乗っていて、少年の格好をして大きな商家で働いていた。

 その商家の娘が朱(あかり)といい、まだ能生だった朱姫は、その朱を性の技でたらし込んで、宝玄仙を襲おうとした。

 

 もちろん呆気なく宝玄仙に抑えられ、朱姫は真名が「八戒姫(はっかいき)」であることを白状し、たらし込んでいた朱の一字を取って、真名を「朱姫」と変えさせられた。

 真名を変えるということは、魔族にとっては支配を受け入れるという意味らしい。

 血の半分が魔族である朱姫は、それで、宝玄仙の支配を受け入れている。

 

「まあ、嫌じゃないですけど……」

 

 朱姫がぺろりと自分の唇を舌で舐めた。

 

「では、あなた様はどのような女になさいますか?」

 

 多恋が宝玄仙に言った。

 

「お前だよ、多恋。お前がおいで」

 

 宝玄仙が言った。

 すると多恋が微笑んだ。

 

「嬉しゅうございます」

 

 多恋はそう言った。

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