部屋に入ってきた
少女らしい幼さの残る身体が、宝玄仙の視界に吸い込まれた。
「抱かれに来るのに、最初から裸というのは準備がいいじゃないか、多恋」
宝玄仙は、寝台に横たわったまま言った。
そして、宝玄仙もまた全裸だった。
産まれたままの姿のまま、宝玄仙は多恋を待っていたのだ。
「わたしの供たちは、どうしているんだい、多恋?」
「愉しんでおられます」
多恋は無表情で言った。
「面白いねえ。是非とも、お前に見せられた幻像とどんな夜を過ごしたのか白状させないとね……」
宝玄仙は喉の奥で笑い声をあげた。
「……わたしたち種族をよくご存じなのでね、宝玄仙様」
多恋はやっぱり無表情だった。
この種族は、相手によって表情も姿も性格も使い分ける。
いま、無表情で立っているのは、宝玄仙が心を読まれないように封鎖しているので、宝玄仙に対してどのように振る舞えばいいのかわからないのだろう。
「わたしは、名を名乗ったかねえ、多恋?」
「いいえ、お名乗りになりませんでした。しかし、お供の方々の意識を読んで知りました」
「意識ねえ……」
人の心を読む妖魔――。
悪意はないのは知っているが、やはり、気持ちのいいものじゃない。
だから、宝玄仙もどうしても心を封鎖してしまう。
「失礼ながら、わたしたちの種族をどこで知り得たか教えていただきたいのですが……。わたしたち種族は、滅多に存在しません。わたし自身、同胞に最後に遭ったのは、百年以上も昔のことになります。他の同胞がどのようにすごしているのか興味があります」
「お前たちに同胞意識があるというのは知らなかったよ」
「教えてもらえれば、宿代はお返ししますよ、宝玄仙様」
多恋が初めて表情を崩して微笑んだ。
もちろん、本当に笑っているわけじゃないだろう。
なんとか会話の糸口を得て、宝玄仙の興味のあるものを探ろうとしているのだ。
同胞の存在に興味があるかどうかなど怪しいものだ。
基本的にこの種族は、非常に頭がよく、高い魔力を持っている。
おまけに心まで読むのだ。
危険な魔物として忌み嫌う者は多いが、それはこの種族がなにを餌として生きているかを知らないからだ。
もっとも知ったからといって好きになる者は少ない。
害のある存在として、焼き殺されたという例も多く知っている。
嫌う者は多いが、宝玄仙は嫌いではない。
実際のところ、この魔物の中で十数年も暮らしたのだ。
「なにが宿代だよ。お前たちに金なんかいらないだろう? わたしが調教したあいつらが、お前にたっぷりと淫気をくれてやったはずだ。お前もたらふく得たはずさ。むしろ、金を欲しいくらいだよ」
宝玄仙は言った。
すると多恋は、本当に表情を崩した。
今度はさっきのような作り物の笑いではない。
本当に驚いた表情だ。
もちろん、眼の前の多恋も実際の存在ではない。
少女のように見える姿もやってきた旅人を安心させるためにこの妖魔が作ったただの幻像だ。
「そうですね……。では、宿代はお返しします……。いいえ、むしろこれまで得たものをあげてもいいくらいです。本当は宿代など必要ないのですが、そういうものをもらわないと、逆に怪しまれて、中ですごしてくれないのですよ」
「だったらありったけ、溜まった路銀を出しな。お前には必要のないものだし、わたしの供は、それこそそれに見合う大量の淫気を提供しただろう?」
「そうですね」
多恋はまた表情を崩した。
そして、すっと宝玄仙の寝そべっている寝台に寄ると、その端っこに腰掛けた。
「それで、宝玄仙様は、淫気はくださらないのですか?」
多恋は言った。
“淫気”とは、この妖魔が餌にしているもので、人間が性行為で発生させる淫靡な気のことらしい。
実際のところ、そんなものが本当に存在するのかどうか宝玄仙も知らない。
だが、この妖魔は、それを食料としていて、自分の胎内に取り込んだ人間から、淫気なるものを発生させてそれを取りこむ。
確かにそうやって生きているのだ。
そのために、うっかりと入り込んだ者を性的に欲情させるために、ほとんど感じることのない微弱な振動で身体を燃えあげさせたり、淫靡な空気を流した後、深層意識の求める性愛の相手を幻像として出現させて、性行為に誘うのだ。
今頃は、あの三人もこの妖魔の作った幻像を相手に性愛に励んでいるだろう。
そして、淫気を発散しているに違いない。
「お前みたいな、小便臭い女を抱くのは好きじゃないよ。ただ、話をしたかったから呼んだんだよ。わたしは、お前の種族の中でずっと子供時代をすごしたんだ。つまり、懐かしいのさ」
「本当にわたしの種族のことをよく知っていますね。成長しかけの少女がお好きではないのなら、こういうのはいかがですか?」
多恋の姿が消えて、沙那になった。
素裸の沙那が宝玄仙の足元に腰掛けている。
「……それとも、孫空女さんの方がお好みですか。朱姫様は、先ほどの多恋の年恰好と変わらないのでお好みとは外れるのかもしれませんが、そちらがよければ朱姫さんになりますが? あるいは、男を出しますか? 女人国では男がご法度なので、女人国出身のお客様が泊られるときには、男を出すことが実際には多いですよ」
沙那の姿が今度は、見たことのない青年の姿に変化する。
寝台に腰掛ける脚の間には、すでに男根が隆々とそそり勃っている。
「いいから女に戻りな、多恋。いろいろあってね……。男はもうこりごりだよ」
宝玄仙は言った。
多恋の姿が最初の少女の姿に戻る。
「少し心を解放して頂ければ、宝玄仙様の潜在意識を読みとって、ご興味のある相手をご提供するのですが」
多恋は言った。
「そうだねえ……」
宝玄仙は呟いた。
確かに興味はある。
自分自身の中に眠っている淫靡な願望というものに……。
自分の場合は、どんな性愛の相手が出てくるのだろう。
「多恋というのは、呼び名かい?」
だが、宝玄仙は別のことを言った。
性愛の相手なら、あの三人がいる。
わざわざ、幻を抱く必要はない。
それよりも、今夜はこの妖魔と話がしたい。
昔の空気に触れているようで懐かしい。
子供時代には、嫌っていた時期もあったが、いまとなっては、あの母親の気持ちも理解できるようになった気がする。
「そうです。呼び名です……。“多くの恋”……。人間の言葉で、そういう意味なのでしょう? 随分とわたしたち種族のことをご存じのようですので、もうおわかりと思いますが、わたしは、わたしの中に入ってくれた人間の潜在意識に触れて、淫乱な部分の心の願望を実体化します」
「つまり、幻を抱かせる……」
「そうですね。その幻影は性行為の相手として出現するわけですが、そうやって淫靡な気を発散してもらうのです。それは一夜の恋……。そういうものだと思っています」
「一夜の恋かい」
宝玄仙は微笑んだ。
「わたしの中に入ってもらった人間の方々に、それぞれのわたしが、一夜の恋を提供しているのです。だから、“多恋”そう名乗っています」
「なるほど……。だけど、真名は“
宝玄仙が言った。
すると眼の前の多恋が消滅した。
一瞬だけだが、部屋の燭台の光も消滅して、館が揺れた。
まるで、動揺しているかのように……。
しかし、すぐに光も戻り、多恋も出現し直した。
「……驚きました。魔物の真名のことをどうしてご存じなのですか……? それは人間にはほとんど知られていないはずなのに……」
多恋の口から驚嘆の言葉が発せられた。
こいつ自身が言ったとおり、魔族はまだしも、魔物のことを知る人間は少ない。
魔物には真名というものを持つものが多く、真名を知られると相手に支配されるという性質があるということは、ほとんど知られていない事実だ。
そして、本当に支配するには、真名を付け直して、相手にそれを認知させるという行為が必要なことも……。
「言ったろう。わたしは、お前の種族の中に住んでいたと……。わたしの母親は魔物遣いだったのさ。魔物の真名を知り、真名を付け直すことで魔物を支配していた」
「そんなお方がおられるのですね。宝玄仙様のお母様ですか……」
「まあ、変わり者でね……。だから、真名のこともわたしは知っているのさ。さっきも言ったけど、実際、わたしの母親は、お前の同胞を家にして暮らしていたよ。真名を付け替えてね」
宝玄仙は言った。
母親……。
性に対して解放的で際限のない淫乱さを持っていた女だった。
そして、道術遣いにして、魔物遣いだった。
得意は魔物の操りであり、多恋のような存在を二匹も手に入れて、そこを住居にして「淫靡の館」と名付けて暮らしていた。
そこに何人もの男の愛人と女の性奴隷を囲って生活をしていたのだ。
十二歳で家を出て、天教教団に入るまで、そういう場所で宝玄仙は育った。
だから、この宿屋の中は、宝玄仙の子供時代の匂いだ。
この館の発する淫靡な雰囲気は、宝玄仙がずっとすごした少女時代の空気そのものだ。
「わたしの同胞を家に……。そうですか。なにかの比喩的表現かと思っていましたが、本当のことなのですね。それにしても、わたしの同胞の中で暮らすとは、なかなかに豪放な女性ですね。わたしは興味を抱きます……」
「そうだね。わたしも、いまにして思えば、豪放だと思うよ」
宝玄仙は苦笑した。
「ふふふ……。それよりも宝玄仙様はいかがですか。三人のお供の方の淫気は、本当に濃くて充実した味です。しかも大量です。あの三人のお供を支配されているあなたであれば、わたしも支配されてもいいと思っていますが?」
多恋が言った。
これは本音かもしれない。
この種族の求めるものは、本当に淫気だけなのだ。
人間を殺したり傷つけたりすることはない。
だが、淫靡な幻を見せられて、無理矢理に性行為をさせることは、心を傷つけられたと感じる人間も多いのは事実だ。
だから、人間の方がそれを求め、勧んで淫気を提供してくれるなら、この妖魔からすれば、むしろ望ましいことだろう。
「残念だけど、旅の途中でね」
宝玄仙は首を横に振った。
「そうですか。でも、本当にお三人のお供の方々の淫気は素晴らしい」
いまごろは、あの三人とも、真相意識に引っ掛かった淫靡な幻像の相手をし、淫気を絞り出されているのだろう。
あいつらが、潜在意識からどんな性の相手を出現させたのか興味がある。
明日はそれぞれに訊き出すことにしよう――。
「……よければ、宝玄仙様の旅に合わせて、わたしが移動してもよいですよ。この女人国という場所は、淫気の集まりやすい場所でして、充実もしてたのですが、宝玄仙様がわたしを受け入れてくださるのであれば、一緒に移動してもいいです」
多恋は言った。
「冗談じゃないよ。宿屋を連れて旅ができるかい」
「ええええっ、残念です」
そして、眼の前の多恋の存在が消滅した。
いくら待っても宝玄仙が多恋に手を振れようとしないので、本当に多恋の身体に興味がないと判断したのだろう。
だから、幻像を消したのだ。
「さて、宝玄仙様のお話の相手も愉しいですが、お話は愛し合いながらもできますよ。そろそろ、わたしの相手をしていただけないですか?」
喋っているのは宿屋そのものだ。
この建物――。
実はここは建物じゃない。
そして、建物の姿で自分の胎内に人間をおびき寄せ、その人間の心を読み、性愛の相手を幻像として出現させて、淫気を搾り取る。
そうやって淫気を喰らい、必要があれば移動もする。
こんな山奥に出現したのは、たまたま、どこかに移動する途中だったのか、もしかしたら、あの怪しげな霧もこいつの仕業かもしれない。
なにしろ、魔力は高いのだ。
その魔力のすべてを淫気を集めるために遣うのだが……。
「じゃあ、閉じていた心を解放して、お前に見せるよ。わたしが気に入る相手を出してみな。そうしたら、わたしの淫気も提供してやるよ」
「本当ですか?」
「もっとも、わたしにも、わたしが真に求めているものはわからないのさ。実際のところ、わたしは、沙那や孫空女や朱姫といった存在がいるし、そっちについては満足しているからね。本物がいるのに、偽者を抱いてもしょうがない」
「でも、心にさえ触れさせていただければ、まだまだ、宝玄仙様の心を震わせるような性愛の相手を提供できると思いますよ」
館が喋った。
宝玄仙は心を解放した。
特になにも感じない。
しかし、この瞬間もこの館の魔物は、宝玄仙の潜在意識を探り続けているのだろう。
「わかりました……。宝玄仙様が興味を抱いてくれる姿を読みとりました」
声がした。
そして、眼の前にひとりの女性が出現した。
その女性の姿に、宝玄仙は唖然とするとともに、身体が一瞬硬直した。
そして、込みあげた笑いを爆発させた。
「……お気に召さないかい?」
宝玄仙の笑いの発作が終わるのを待ち、そして、その女性が言った。
「ああ、お気に召さないね……。ああ、だけど、あいつなら、興味を抱くかもしれない……」
そして、宝玄仙は、自分を意識の中に埋没させた。
宝玉と交替するために……。
*
多恋美羅の意識体は、眼の前の宝玄仙が消滅し、別の人格がその身体に出現するのを感じた。
随分と興味深い生命体だ。
ひとつのからだをふたつの人格で共同で使用している。
随分と長く生きた多恋美羅もそんな生命体に触れたのは初めてだ。
そして、別の人格が完全に出現した。
心を閉ざしていない。
だから、多恋美羅は眼の前の女性の名が宝玉というのを知った。
「宝玉、久しぶりだね」
意識体は言った。
「
出現した宝玉は声をあげた。
そして、母親の姿をした幻像の裸身に飛びついてきた。
“御前”とは、母親の呼び方のようだ。そう呼ぶように強要さるているみたいだ。心を読むことで、その情報を得た。
「御前、わたし、あの時……十二のとき、御前から逃げたけど後悔していたの。わたしも蘭玉のように御前に調教されればよかった。ねえ、御前、いえ、お母さん……」
宝玉が言った。
*
「お願いします――。この通りです。
朱姫が宝玄仙の足元で土下座をしている。
そんな朱姫を宝玄仙は困った顔で見下ろしている。
沙那はそれを複雑な気持ちで見守っていた。
一夜をすごした宿屋の食堂だ。
そこで、沙那は朝食のためにみんながおりて来るのを宝玄仙とともに待っていた。
もっとも、宿屋に見えるが、ここは、本当は館魔物ともいわれる巨体の魔物の胎内らしい。
そういうことを沙那は、一階に降りてきてから、食堂で待っていた宝玄仙に教えられた。
「だから、朱姫……。いま、ご主人様が説明なさったじゃない。あれは幻像だったのよ――。いいから、立って椅子に座りなさい」
朱姫は宝玄仙の足元にひれ伏していた身体を起こして、沙那の隣に座った。
だが、まだ納得がいっていないようだ。
それは当然だろう。
沙那もさっき、この館魔物のことを聞かされて、驚いたばかりなのだ。
「でも、あたし、朱那女とずっと話をしたんです。それで、朱那女も一緒に旅をするって決心したし――。きっとご主人様も気に入ると思います。ご主人様の嗜虐も受け入れるって言っていました。顔だって、ご主人様好みの可愛い顔をしています。お願いします」
「ねえ、朱姫……」
沙那は口を挟んだ。
だが、朱姫は喋り続ける。
「とにかく、この宿屋の近くにあるという村に帰ったはずなんです。一緒に行って、朱那女を捜して、そして、旅の一員として認めてください。あたしと一緒で、半妖で、身寄りがなくて……。それで同じように親を殺されて……」
「いいから喋るのをやめておくれ、朱姫。もう一度、説明するから」
宝玄仙が苦笑しながら言った。
朱姫の話によれば、朱姫の部屋には、朱姫と生い立ちがそっくりな妹のような存在が出現したらしい。
家族が欲しい――。
それが朱姫の潜在意識の願望だったのだろう。
だから、妹としか思えない幻像をこの館は提供したのだ。
しかし、だったら、なぜ、自分にはあんな……。
思い出しても顔から火が出る思いだ。
「いいかい、もう一度説明するよ、朱姫」
宝玄仙が言った。
「……この宿屋のように見える館は、実は本当の建物じゃないのさ。魔物だよ。建物一個が一匹の魔物なのさ。こいつら種族は、宿屋の格好をしているときもあるし、娼館の場合もある。あるいは、ごく普通の一軒の屋敷のときもね。共通しているのは、中に取り込んだ人間に激しい性行為をさせて、それで発生する淫気と連中が呼んでいるものを吸収することなんだ」
「淫気?」
朱姫が怪訝な顔になる。
どう見ても、納得している感じじゃない。
宝玄仙がさらに口を開く。
「……だから、この館魔物は、中に入った人間の心を読んで、媚薬効果のある空気や建物自体の微弱な振動で性感を呼び起こし、そして、囚われた人間がもっとも淫靡な反応を示す幻像を出現させて、性愛をさせるのさ。お前のところに、なんとかとかいう娘が出て来たのは、お前の深層意識がそういう相手を欲したからさ」
「意味がわかりません、ご主人様。じゃあ、朱那女はどこにいったのですか? この宿屋が契約している近傍の村で暮らしていると言っていたんです」
「そんな村なんてあるものかい。好みの相手が、ほいほいと出現したら不自然だから、出まかせを言ったんだよ。実際には、この魔物の術で産み出したただの幻だよ、朱姫」
宝玄仙は言った。
「そうです、朱姫様。あなたを失望させる結果になったのは、申し訳ありませんが、朱那女は実在しておりません。一夜の夢としてお忘れください」
隅に立っていた多恋が言った。
多恋は、沙那たち四人に朝食を提供するために待っているのだ。
先に食べてもよかったが、宝玄仙が、全員が揃ってから食べようと言ったので、こうやって食堂で座って待っているところだ。
あとは、孫空女がやってくれば四人が揃う。
朝になり、沙那が食堂に降りて来たときには、すでに宝玄仙がそこにいて、多恋と話をしていた。
そこで沙那は、この宿屋そのものが魔物であるという驚きの真相を教えられた。昨夜の現象が、沙那の深層意識に眠る願望であるということも……。
そして、朱姫がいまおりてきて、宝玄仙を見るなり、朱那女という娘を供に加えてくれと宝玄仙にすがりついた。
かなり大変だった。
一方で、孫空女は、いつになく起きるのが遅いようだ。
「この多恋だって幻像だよ。この館の中に出現するのは、人間であろうと、物であろうと、全部、この館魔物の一部なんだ」
宝玄仙が言った。
「じゃあ、朱那女はどこにもいないのですか?」
朱姫ががっかりした様子で言った。
「そうだよ、朱姫――。それにしても、朱那女というのは、随分とわかりやすくお前の潜在意識を具象化したじゃないか。お前と沙那と孫空女から一字ずつかい。それも、お前の妹ねえ――。まあ、朱姫らしいよ」
宝玄仙が笑った。
朱姫はまだ完全には納得のいかない様子だ。
「……それはそれとして、沙那、いい加減に、お前の部屋にどういう存在が出現したのか白状しな。せめて、男だったか、女だったか教えておくれよ」
宝玄仙が意地の悪い笑みを浮かべて沙那に言った。
「な、なにもありません。誰も来ませんでした」
沙那は言った。
絶対に言えない―― 。
孫空女が出現して、手を拘束されて愛し合いましたなんて、死んでも白状したくない。
それにしても、本当にあれが自分の潜在意識に眠る淫靡な願望のひとつなのか……。
「そんなわけがないだろう。この多恋は、確かにお前のところからも、淫気を得たと言っていたよ。まあ、いくら訊いても、多恋も教えてくれないし、さっさと白状するんだよ、沙那」
「なんと言われても、誰も来ませんでした、ご主人様」
沙那は言った。
この秘密は墓場まで持っていくつもりだ。
殺されても白状するつもりはない。
「おはよう……」
そのとき、孫空女が階段をおりてきた。
なんだか身体がだるそうだ。
「ああ、孫空女、お疲れじゃないかい」
宝玄仙が階段から降りて、眼の前に座った孫空女に声をかけた。
「……そりゃあそうだよ、ご主人様。あんなに、やられたら疲れるよ。それよりも、ご主人様は、いつの間に起きたのさ。てっきり、あのまま一緒に寝たかと思ったのに……」
孫空女は言った。
「ほう、お前のところには、わたしが来たのかい?」
宝玄仙が愉快そうに声をあげた。
「わたしが来たって……。なに言ってんの、ご主人様? あたしの部屋に来たじゃないか。それで、あたしをあんなに……」
孫空女が口に中でぶつぶつと言った。
すると宝玄仙が笑い出した。
その笑いがあまりにもけたたましく、そして、激しいので孫空女は訳がわからないという表情で呆然としている。
その横で、朱姫はがっかりした様子で肩を落としている。
沙那は、今日だけは孫空女の顔がまともに見れなくて、どこに視線をやっていいかわからず、困惑した気持ちになっていた。
(第30話『おきに召すまま』終わり)