星空の明るい夜だ。
黒賊と戦うために──。
ふたりだけの家族だった。
両親が揃って災厄で死んだのは、瞳子が十歳で、蝶子が十七のときだ。
幸いにも親はそれなりの蓄財を残してくれていた。
世話をしてくれる人もあり、蝶子は、生まれ育ったこの「
店はすぐに繁盛し始めた。
おそらく、蝶子には商売の才能があったのだろう。
なんでもない古着が、蝶子の手にかかりちょっとした手間が加わることで、品がよくてかわいらしい衣類に変身した。
店はすぐに終日、女たちで賑わうようになった。
十二になると瞳子も半人前以上の仕事ができるようになり、店を手伝い始めた。
それから五年──。
瞳子は十七になり、蝶子は二十四になった。
店は大きくなり、国境に近い小さな迎の町まで、
すべてが順調だった。
黒賊が出没するようになるまでは……。
黒賊というのは、最近突然に、女人国南域に現れた謎の人浚い団だ。
ひとり、ふたりを浚うのではない。
大勢いて、全員が馬に乗り、神出鬼没に現れては、小さな村や町を襲い、見た目の美しい女を大勢浚っていく。
残虐という噂もあり、略奪もする。
略奪をしながら、女を物色して目ぼしい者を浚っていくのだ。
浚った女をどうするのかははっきりとは知られていないが、国境を越えた男の国に奴隷として売り捌くのだとも噂されていた。
女人国は男のいない国だが、南で国境を接する
黒賊には、その祭賽国の男が混じっているという話もある。
いずれにしても、大元府にある城郭軍が追い回しているが、いまだに黒賊の勢いは衰えない。
とにかく、黒賊は、不意に出現しては暴れ回り、奪い、去っていく。
そして、噂だけが拡がり残っていく。
わかっているのは、賊の長が、
この一帯の軍管轄は大元府の城郭軍だ。
だが、腐っていると言われていて、なんの役にも立たないのはよく知られていた。
賊が出現した場所にやってきて、しばらく逗留して去るだけだ。
軍がいる間は、近傍には黒賊は確かにやってこないが、いなくなればまたくる。
それに、軍は駐留している間に、治安代として賄賂を要求するし、代価を支払わずに物を奪うし、畠を荒らす。
賊と同じくらいにたちも悪かった。
仕方なく、それぞれの町や村は自警団を組むようになった。
自警のできない場所は、最初に黒賊の餌食になった。
蝶子と瞳子の暮らす町がこれまで襲われなかったのは自警団があったからだ。
だが、その黒賊がやってきた。
一千ほどの馬がこっちに近づいているという報せは、近傍の村が知らせにきてくれた。
お互いに連携を結んでいる村のひとつだ。
そこから情報を馬で届けてくれたのだ。
幾つかの村を襲いながらこの町に黒装束の騎馬の集団が近づいている。
間違いなく黒賊だ。
姉の蝶子は、以前から準備していた町の外の岩山の隠れ処に、三人の雇い女と瞳子を連れてきた。
しかし、蝶子はそのまま、戻ってしまった。
一緒に残ってくれという瞳子の哀願も、微笑ながら拒否された。
蝶子は自警団のひとりなのだだ。
黒賊から町を護るために、ほかの自警団の者と一緒に戦うために戻ったのだ。
姉がいなくなってしばらく経つ
瞳子は蝶子に留まれと言われている場所から少し離れた場所に移動していた。
ここなら林から突き出した岩から町に入る街道が見下ろせた。
瞳子のほかにも、黒賊がやってくるという噂で、町から逃げようとしている者がちらほらいた。
もっとも、それほど多い数ではない。
多くの者が戦うつもりで留まっているのか、それとも、ほかの方向から逃げようとしているのか……。
本当に黒賊がやって来るのだろうか。
脱出しようとする者は見えるが、瞳子には町が襲われるという実感がまだ湧かないでいた。
自分だけ逃げたという罪悪感に苛まれなくてすんだのは、襲撃されるという実感がなかったからだろう。
だが、しばらくして、伝わってきた地響きに瞳子は思わず腰をあげた。
眼下の街道を馬群が駆けていった。
一瞬、なにが通ったのかわからなかった。
黒い装束が夜の闇に紛れてよく見えなかったのだ。
馬にも黒い布がかけられていた。まるで、闇の中を地響きだけが過ぎていったような感じだった。
黒賊だ──。
全身の毛穴から汗が噴き出した。
やっと、町が賊に襲われるという実感が瞳子に伝わった。
蝶子──。
背に粟が立つ。
駆け去った黒い装束の五百くらいの集団──。
あれが黒賊としたら、迎の自警団などひとたまりもない。
自警団など、数で数十人くらいだ。
数で圧倒し、しかも、騎馬にも乗る野蛮な集団に自警団が勝てるわけがない。
初めて瞳子は、蝶子が戦うためではなく、死ぬために戻ったのだと悟った。
迎の町を見に行こう。
そう思った。
迎の町でなにが起きているのか、自分は知るべきであるに違いない。
蝶子が町で戦って死ぬことを選んだように、瞳子にとっても迎の町は故郷であり、父母と暮らした場所だ。
蝶子と一緒に店をやっている町なのだ。
岩山を降りているときに、また地響きがした。
今度の地響きは、荷駄馬車を曳く馬群の音だ。
荷駄馬車は全部で十数台はあるだろうか。
最後尾の二台には荷が積んであったが、ほかは空だ。
おそらく、あれに戦利品を載せるのだろう。
載せてあった二台の荷は、ここにやって来る途中で略奪した物だろうか。
ただ、荷だけで人は載せてはいない。
途中の村では奴隷狩りはしなかったのだろう。
荷駄馬車の群が遠ざかると、街道は静かになり、土煙もなくなった。
瞳子は夜の街道を駆けた。
走り続けた。
闇は気にならなかった。
それよりも、姉の蝶子のことだけを考えた。
町の裏にある岩山だ。これほどまでに町は遠かったのか──。
走りながら思った。
やっと町の入口が見えていた。
町は明るかった。
燃えているのだ。
多くの建物が炎に包まれている。
瞳子は町の入口で倒れている数名の女に目を留めた。
自警団の服を着ている。
走った──。
三人とも頭を割られて死んでいた。
姉ではない。
瞳子は、そこからさらに町の中に眼をやった。
立っている者はひとりもいない。すべて死んでいる。
自警団の者たちばかりだ。
あの死んでいる自警団の兵の中に姉が混じっているのだろうか。
瞳子はひとり、ひとり屍体を確かめながら進んでいった。
不意に身体が浮いた。
「きゃああぁぁぁ──」
瞳子は悲鳴をあげた。
身体が掴まれている。
しかもふたりにだ。
瞳子は横抱きにされながらも、自分を担ぎあげた者たちを見た。
全身を覆う黒い装束を着ている。
顔さえも眼の部分以外は、黒布で覆っている。
黒賊だ──。
黒賊に捕えられてしまったのだ。
瞳子は恐怖で身体が動かなくなった。
奴隷狩り団に捕らえられた──。
「上玉だ。あたしが捕えた」
ひとりが言った。
「あたしたちだよ。あたしたちふたりだ」
もうひとりが叫んだ。
「わかった。あたしたちだ──。目ぼしい獲物が手に入れられなくて、お頭からお目玉を食うかと思っていたけど、これは若くて上玉だ。逆にご褒美がもらえるさ」
「やったね。しかし、こいつ、どこに隠れてたんだろう──。こんな上玉が残っていたなんて……」
「そんなことはどうでもいいさ。さあ、ほかの連中に横取りされないうちに、本営に連れていくよ」
ふたりの賊は、担ぎあげた瞳子を地面に一度降ろした。瞳子は逃げようとしたが、ふたりがかりで力強い腕で、うつ伏せに押さえられた。
ふたりの賊は、瞳子の両手を背中に回させて革紐で手首を縛った。
足首もまとめて革紐で拘束される。
瞳子は震えていた。恐怖で声もあげられない。
「生娘かな?」
ひとりが言う。
「さあ? お前、生娘か──? つまり、女陰に物を入れたことがあるかい?」
瞳子はわけもわからず首を横に振った。
生娘とはなんだろう──?
そう思ってから、そう言えば南の祭賽国では、性経験のない女が高く奴隷として売れるという話を聞いたことがある。
生娘というのは、本来は、男性と性経験のない女のことを言うらしい。
そういう意味では、女人国のすべての女が生娘だ。
女人国には男はいない。
男と性愛を交わす機会は皆無だ。
だが、祭賽国でいう生娘というのは、女の穴にものをいれたことのない女という意味だ。
つまり、女陰がまだ膜で塞がっている娘のことで、破瓜を終えていない娘のことだ。
瞳子はまだその経験はない。
まだ、破瓜はしていない。
店の女と愛し合ったことはあるが、女陰にものを入れるということはしなかった。
痛いと言われていたし、なんとなく恐かったのだ。
南の祭賽国では、性行為というのは、恋愛感情か性欲を発散するための行為らしいが、女同士で愛し合う女人国の女は、友愛の表現という意味もある。
裸でお互いの身体を触り合って気持ちよさを交換するのだ。
店の女三人は、姉の友愛の相手であり、それから瞳子の友愛の相手にもなった。
姉の蝶子とは、瞳子が十二歳の誕生日以来、女同士の愛の行為を教えてもらっていて、その蝶子が、自分と友愛を交わした店の女たちを瞳子に紹介したのだ。
「なんだ、生娘じゃないのか……」
瞳子が首を横に振ったので、生娘であることを否定したと思ったのだろう。
瞳子を捕えている賊のひとりががっかりした声をあげた。
「いいさ──。それでも、この若さと気量なら、一級はつくさ」
「生娘なら特一級なんだけどね」
「一級でもいいよ。報金が貰える」
「報金だね」
瞳子はふたりにもう一度横抱きに担ごうとした。
瞳子は悲鳴をあげて暴れた。
「ちっ──。いきなり騒ぎ始めたよ。あんまり、大騒ぎさせるとほかの者に奪われるよね」
瞳子を地面に抑えながら一方が言う。
「なにか口に入れる物はないかな……。革紐を直接口に噛ませると頬を傷めて、評価が下がるかもしれないし……」
「ああ、あるじゃない──。どうせ、査定とのとき剥がされるんだし……」
突然、うつ伏せに押さえつけられていた瞳子の
「いやああぁぁぁ──」
瞳子は手足をばたつかせた。腰の下着が剥がされようとしている。
「う、うるさいよ。とんだお転婆だよ、こいつ──。い、痛あぁぁ──」
瞳子は暴れることで、緩んだ腕の手首に思い切り噛みついた。
噛みつかれた賊が悲鳴をあげた。
「な、なにすんだよ──」
首根っこを引き揚げられて、思い切り頬を張られた。
一瞬、意識が飛ぶようなもの凄い張り手だった。
瞳子は手足を縛られたまま、地面に叩きつけられた。
「駄目だよ。顔を打っちゃあ」
もうひとりが瞳子を引っぱたいた賊を嗜めた。
「ご、ごめん、つい──」
結局、下袍の中の下着を膝までずり下げられて、小刀で切り剥がされた。
下着を失った股間にすっと外気が入ってくる。
瞳子は、剥ぎ取られた下着を丸めて口に詰められた。
さらに、それが出ないように、口を割るように噛まされて革紐を顔の後ろで結ばれる。
瞳子はそのまま、そのふたりに担がれて町の中心に向かって運ばれた。
中心に向かうにつれて、凄惨な町の様子はさらに酷くなった。
あちこちの民家が燃えている。商家のほとんどは荒らされて、中の品物が物色されて荒らされている。
もう、抵抗している者はいない。
自警団が壊滅しているのは明らかだ。
町のところどころで死んでいる屍体はすべて自警団の女だ。
逆に倒れている黒賊はひとりもいなかった。
また、瞳子と同じように縛られて運ばれていく女も幾らか見た。
全員が同じ方角に向かっているようだ。
縛られた瞳子が連れていかれたのは、町の中心にある広場だ。
そこには、たくさんの黒賊がいて、戦利品の品物を荷駄馬車に積む作業をしていた。
荷駄馬車には、女だけを積んでいるものもあった。
全員が首輪をされてひとつに繋がれている。
見ていると、新しいひとりの女が馬車の下で首輪をされて、荷駄馬車にあげられた。
その女の首輪には短い鎖が繋がっていて、荷駄馬車に乗っている数名の黒賊が、その鎖をすでに乗っている他の女の首輪の金具に接続した。
ああやって、どんどん繋げていっているのだと思った。
瞳子は、担がれたまま、同じように拘束された町の娘とそれを捕えている賊が並ぶ列の最後尾につかされた。
猿ぐつわ代わりの革紐は外されて、口の中の下着も抜かれる。
この列の前方で、なにかの選別作業をしているようだ。
やがて、瞳子の前に並ぶ者がひと組になった。
眼の前には、大きな幕が張られている。選別作業は、その中で行われている気配があるが、こちらからは見えない。
「あと、ふた組か。いいだろう、両方入れ」
布の向こうから顔を出した黒装束が言った。
幕の中に入ると、大きな篝火がふたつかざされていた。
その篝火の間に椅子に座った女がいる。
その女だけは黒装束をつけていなかった。
ただひとり椅子に座った女の後ろには、やはり黒装束の女が立っている。
ほかにも十人ほどの兵らしき黒装束の賊が幕の内側にいる。
篝火の光で、その女の顔についた惨たらしい傷跡がはっきりと見えた。
傷跡は左の眼の上から鼻の上を通り、右の頬に抜けている。左の眼には眼帯があった。
この女が黒賊の頭領だという噂の楊鬼女だろうか──。
瞳子は、もうひと組とともに、その傷の女の前に曳きだされて跪かされた。
もうひとりの拘束された女も逃げないように、両側から賊に身体を押さえられる。
その賊たちも跪いている。その横の瞳子たちも同じような態勢になった。
「か、解放して。身代金を払うわ」
隣の組の犠牲者が叫んだ。
「あっ、
瞳子は思わず叫んだ。
これまで気がつかなかったが、瞳子とともに曳きだされたのは、この迎の町の支配する県令の孫娘だ。
瞳子も遠くから顔を眺めたことがあるくらいなので、すぐにはわからなかったのだ。
「どうかな、
傷の女が、神楽の言葉を無視して、真後ろに立っている黒装束の女に振り向いた。
内儀というのが、「妻」という言葉の別称だという知識は瞳子にはあった。
だから、内儀というのが、その女の名前なのか、誰かの妻という意味で傷の女が呼び掛けたのかはわからない。
内儀──とりあえず、瞳子は、ひとりだけ不思議な雰囲気を持つその黒装束をそう覚えることにした──は、すっと前に進み出て、なにかの砂のようなものを瞳子と神楽の上からふりかけた。
「こっちは、破瓜前──」
内儀は瞳子を指差して言った。
「や、やった──」
瞳子を掴んでいる賊が嬉しそうに叫んだ。瞳子を掴む手に力が加わる。
「こっちは、破瓜をしている。かなりの数のものを女陰に受けた経験がある」
そう言って神楽を指差した。そして、再び、傷の女の後ろに下がった。
「わ、わたしを解放してください。わたしの祖母がいくらでも身代金を支払うはずです」
神楽がまた言った。
傷の女が神楽に眼をやる。
「ふうん……。こっちは、気量はいまひとつだね。三級の舌人形用にでもするか? いやいやいや……。しかし、ちょっと肉が付き過ぎていて、南の男どもは触手が動かないかもしれないねえ……。二束三文で買いたたかれるんだったら、世話代が勿体ないだけか──。処分するかねえ」
傷の女が神楽を眺めながら首を横に振った。
「駄目だね。こいつは捨てな」
傷の女は言った。
「ええっ──。そんなあ、こいつがさっきから喋っているとおり、この迎の県令の孫娘ですよ。身分の高い格式の娘なんです、お頭。屋敷に隠れていたのを見つけ出したんですよ。本物なんです」
不満げな声をあげたのは、神楽をつれてきた賊のひとりだ。
神楽は、瞳子と同じように両側からふたりに掴まれている。
「馬鹿か、お前は──。身分が高かろうが、低かろうが、裸にすれば同じだろう。顔と裸の美しさ──。値を付けるのはそれだけだ。この女人国じゃあいざ知らず、祭賽国に売り飛ばすときに、性奴隷の家柄なんて関係あるかい」
傷の女が怒鳴った。
「じゃあ、身代金をとったら……」
喋ったのは、神楽を連れてきたもうひとりの賊だ。
「誰が 払うんだよ。この娘が言っている県令だという婆あは、あたしが直接殺した。役所の玄関に首を晒しているから見てきな」
傷の女の言葉に、神楽が悲鳴をあげた。
「ちぇっ、役立たずかい」
神楽を捕まえていた賊は、神楽を掴むと外に連れ出していった。神楽はけたたましい悲鳴をあげながら、連れていかれる。
「さてと──」
傷の女が瞳子を見た。
「こいつは破瓜前かい──。お前、歳は幾つだい?」
傷の女の視線が瞳子を貫く。彼女がかもし出す威圧感に、瞳子の身体は小さく震えだす。
「じゅ、十七……」
瞳子は言った。
全身に恐怖が走る。
「十七で破瓜知らずかい。このところ、いろいろな性具を堂々と商家が売るようになったんで、なかなか破瓜前の娘を手に入れることができなくなったんだけど、こりゃあ、なかなかの品になりそうだ──。お前たち──」
「はい」
「はい──」
嬉しそうに返事をしたのは、瞳子を掴んでいる両側のふたりだ。
「こいつは特一級評価だ。よくやったね──。報金のほかに、昇任だ」
傷の女に指示されたひとりが、瞳子を連れてきたふたちの前に小さな袋を置いた。
これが報金なのだろう。
両側のふたりが歓喜の声をあげた。
傷の女が頷くと、瞳子を掴む者が、さっきのふたりから、最初から幕にいた黒装束に交替した。
ふたりの賊は、嬉しそうに袋を持って、幕の外に出ていった。
すると、いつの間にか準備されていた鉄の首輪ががちゃりと瞳子に嵌められた。
さっき、垣間見た荷駄馬車の上に繋がれていた女たちがしていたのと同じものだ。
首輪には鎖も繋がっている。
足首の革紐だけが外された。
「わ、わたしをどうするつもりですか──?」
瞳子は叫んだ。
「ほう、なかなかに気の強い娘だねえ──」
傷の女が感嘆の声をあげた。
「あたしは、楊鬼女だよ──。お前も、黒賊の噂は知っているだろう? お前には、性奴隷としての修業を積んでもらうよ。そして、男に抱かれる奉仕用の奴隷として売られるんだ。せいぜい、励みな」
やはり、傷の女は楊鬼女だった。
性奴隷として南方に売られる──。
瞳子の恐怖が本物になった。
「お頭、軍が出動したという連絡が……」
突然、幕が開き、外から入ってきた黒装束が言った。
「ほう、あの腑抜けた軍にしては動きが早いじゃないか。まだ、この迎を襲ってから三刻(約三時間)も経っていないよ」
楊鬼女が、報告をしてきた賊に顔を向けた。
「率いているのは新しい副長です。騎兵だけで向かっているようです──。情報によれば、こっちに着くまで、もう一刻(約一時間)もないかもしれません」
「どのくらいの勢力だい?」
「その副長が率いている騎兵は、百騎ほどです」
報告の賊が言った。
「お頭、百騎程度なら蹴散らせますよ」
喋ったのは別の黒装束だ。
楊鬼女以外は、すべて黒装束で顔を隠しているので、お互いの関係がわかり難いが、この黒賊には、はっきりとした階級があるようだ。
まるで、大元府にいる政府軍のようだと瞳子は思った。
「馬鹿だね、大元府の新しい副長の
楊鬼女の声で、幕の周りが一斉に動き出した。
外にも命令が伝えられる。
軍の動きにまったくの素人の瞳子だが、あっという間に集団がひとつの動きにまとまっていくのに接し、この集団が非常に鍛えあげられた集団であると思った。
楊鬼女が立ちあがると、すぐに幕が外されて、楊鬼女の前に馬が曳きだされる。
瞳子はぐいと首輪を引かれた。どこかに連れていかれる。
さっきの内儀と呼ばれた黒装束の横を通ったとき、彼女の姿が消滅した。
瞳子は驚愕した。
最初は、なにが起きたのかわからなかったが、やがて、あれは道術に違いないと思った。
道術遣いだったのだ……。
首側が曳かれる。
「ひゃああ──」
少し歩いたところで、瞳子は悲鳴をあげた。
さっきまで幕があったすぐ近くの場所に、神楽の屍体が転がっていたのだ。
背中に傷があり、うつ伏せの身体の下にはおびただしい血が地面に拡がっている。
神楽が息をしていないのはひと目でわかった。
殺されたのだ……。
さっきまで生きていたのに……。
「瞳子──」
荷駄馬車の群に近づいたとき、一台の荷駄馬車から叫び声がした。
蝶子の声だ。
「お姉ちゃん──」
蝶子は一台の荷駄馬車の中から声をあげていた。瞳子がされているのと同じような首輪で荷駄馬車の荷台にほかの女とともに繋げられている。
瞳子はそっちに駆け寄ろうとした。
しかし、首輪がぐいと曳かれる。
「あっちは、二級奴隷だ。お前は特一級だからこっちだ」
蝶子のいる荷駄馬車から強引に離される。
「お姉ちゃん──お姉ちゃん──お姉ちゃん──」
瞳子は叫んだ。
しかし、次第に蝶子の乗っている馬車が遠くなる。
「なんでここにいるの、瞳子──? どうして──?」
それがかろうじて聞き取れた蝶子の言葉だった。
それ以外の言葉は、撤退の準備をする喧騒の中に埋もれてしまった。
「これに乗れ──」
一番隅にあった荷駄馬車に押し上げられた。
その荷駄馬車には、三人しか女がいなくて、一番奥の娘の首輪の鎖は、荷駄馬車の壁に繋がれていた。
残りのふたりはそれぞれ前の娘の首輪に繋がれている。
三人の娘は全員すすり泣いていた。
「
「瞳子──」
三人のうち、ひとりは知っている娘だった。
幼馴染であり、子供の頃から仲良しだ。
瞳子の首輪がその萌香の首輪に繋がれた。
それまで乗っていた賊が、荷台から降りていく。
「瞳子も捕まったのね」
萌香がすすり泣きながら言った。
「さっき、お姉ちゃんを見たわ、萌香──。他の馬車にいたの。二級とか言ってた」
瞳子は言った。
「二級……。二級はすぐに売られる奴隷よ。わたしたちは一級だから、調教をしてから売られるとか言っていたわ。怖いわ……、瞳子。どうしよう……」
萌香はまた泣き出した。
萌香は一級……。
瞳子は特一級だ──。
そして、姉は二級──。
県令の孫娘の神楽は売り物にはならないと殺された……。
この黒賊は、人間をただの品物としか扱わない集団なのだ。
その奴隷狩り団に自分は捕えられた。
これからどうなるのだろう──?
瞳子の心にたとえようのない不安が拡がる。
「出発──」
どこかで命令の声がした。
がくんと揺れて、荷駄馬車が動き出す。
燃え続ける町並みの中を荷駄馬車は、だんだんと速度をあげて進み始めた。