砦を包囲していた
騎馬隊が土煙を上げるのもはっきりと見える。
あの騎馬隊を率いているのは、大元府軍に新しくやってきた金水蓮という副長だろう。
騎馬隊の先頭には、“金”の文字の旗が靡いている。
しかし、砦は小高い崖の上にあり、自然の要害を三重の防壁で囲んでいる。
簡単には攻めあげることはできないはずだ。
だが、すでに完全に包囲が完了していることは明白だ
五百ほどの黒賊の女兵たちは全員が持ち場についているものの、間道や小道、とにかく、すべての逃げ場は歩兵で封じられている。
逃げることは出来そうもない
砦は崖の上にあるが、馬を走らせる牧はすっと下の山裾にある。
そこはすでに城郭軍に落ちていると考えていい。
騎馬だったらどんなに堅牢な包囲でも突破できる自信はあったが、それもできない。馬はない。
「防護壁に近づいたら、矢を射降ろすんだ。石でもなんでもいい。登っていくる兵を叩き落とせ。油も用意しろ。頭から降り注いで、火をつけてやれば、怖気づいてしばらくは来ないさ」
楊鬼女は伝令を呼んで、最前の防護壁で指揮をしている隊長に伝えた。
それにしてもなんでこんなことになったのだろう。
城郭軍の動きは、これまで完全に把握していたはずだ。
奴隷狩りをするために近隣の町や村を襲っても、常に余裕を持って離脱することができたし、万が一にもこの
だが、今回に限って、なぜか、まったく城郭軍が動いたという警報がなかった。
気がついたら、この砦を完全に包囲されていて、逃げ場を封鎖されていた。
内儀、つまり、
この状況で、彼女からの指示がないというのはどういうことなのだ──。
なにしろ、この黒賊を作ったのは、あの道術遣いなのだ。
楊鬼女を表の頭領にしたてて、女狩りをする賊徒を作ったのだ。
確かに、奴隷狩りは、けちな盗賊をするよりも遥かに金になった。
楊鬼女も、女人国の女というものが、あれほどに外国で価値があるものとされているのは知らなかった。
もっとも、祭賽国の奴隷商人に売り飛ばしていたのは、二級程度の女までだ。
浚った女のうち、特に質のいい者、美しい者については、調教したうえで別の場所に送っていた。
その送り先がどこであるかは、楊鬼女さえも知らない。
あの道術遣いが、『移動術』とかいう道術で、どこかに連れ去っていたのだ。
慰み者として、誰かの饗応に使うのだと言っていた気がするが、詳しいことは楊鬼女には知らされてもいない。
だが、その道術遣いがいない。
城郭軍が砦に殺到し、いまこそ、あの道術遣いの道術が欲しいというときに、彼女はいなくなった。これはどういうことなのか。
見捨てられて捨て駒にされた。
そんな勘繰りが楊鬼女を襲う。
「畜生、矢も石もいっぱいあるんだ。防護壁の下まで来たら、交替で休まずに落とすんだよ。矢も石もたっぷりあるからね」
楊鬼女は叫びながら、自分が遣う強弓を持った。楊鬼女がここで戦うために準備させたものだ。弦が切れたときのために、予備も置いてある。
城郭軍が動いた。
なんと攻めて来るのは騎馬隊だ。
旗印から判断すると、どうやら金水蓮が自ら砦攻めの先頭を来るようだ。
それにしても、防護壁で囲んでいる砦を騎馬隊でどうしようというのだろう。
一瞬、馬鹿な隊長だと思った。
もしかしたら、あの女副長さえ、倒すことができれば、城郭軍はまとまりを失くして撤退するのではないか。
そんな希望も楊鬼女に沸き起こる。
撤退するまではないとしても、この重厚な包囲網に綻びが生まれたならば……。
騎馬隊に続いて、歩兵も進んでくる。
こちらの矢が届く限界まで進んでから、騎馬隊が一斉に馬を降りた。
そのまま、歩兵の先頭になるように防護壁にとりついた。
「よし、戦闘開始──」
楊鬼女が合図をすると、ぱらぱらと黒賊の女兵たちが矢を射下ろす。
大きな石を落とす者もいる。登ってくる城郭軍は、盾で防いでいるが、それでもひとり、ふたりと、怪我をして転げ落ちていく。
だが、登ってくる勢いが圧倒的に強い。このままでは、簡単に突破される。
「矢──」
そばにいる女兵に声をかけて、楊鬼女は足場を取り直す。
“金”の旗はまだ遠い──。
だが、その先で指揮をしている指揮官であれば……。
受け取った矢を引き絞った。
放つ──。
遠くで楊鬼女の矢を受けた最前の兵が肩に矢を受けて転がり落ちた。
「次」
次の先頭を射る。
二人目も下に飛んだ。
「次」
三射目を準備する。
こうなったら戦えるだけ戦ってやる。
ここで死ぬのだ。
楊鬼女は腹を据えた。
先頭になった三人目も飛んだ。
攻め手の動きが慌ただしくなる。
それとともに、明らかに動きが鈍くなった。
前に進むのではなく、盾で前を護るのに時間を使いはじめた。
これでいい──。
盾に隠れることで、城郭軍の動きは鈍くなった。
「防護壁が突破されました──」
慌てふためいた伝令がやぐらに登ってきて叫んだのは、そのときだった。
「なに?」
楊鬼女は声をあげた。
そんなはずはない。
攻め手の城郭軍は、明らかにこの第一の防護壁で攻めあぐねている。
「後ろです。後方から攻めてきた少数の集団が、裏側の防護壁を超えました。すでに一の壁も、二の壁も進んで、第三の防護壁に辿りついています」
「しまった。こっちの派手な動きが囮だったのか──」
楊鬼女はやぐらを転げ落ちるように降りると、裏側の防護帯に向かって駆けた。
*
孫空女は、『如意棒』を振り回しながら、ただ押した。
矢が跳んできても、石が降ってきても関係ない。ただ払い除けるだけだ。
そして、歩き進む。
孫空女の周りにある者はなにもなく、それを追うように沙那が指図をしている一隊が、孫空女が作った突破口を突き進んでくる。
連中の防護壁らしきものは、もうふたつ破った。
ここは最後の防護壁のようだ。
その内側には、木造の建物の一群が見える。
ここを越えれば、戦いの場所は建物の中になるだろう。
浚われたという女たちは、その中にいるのだろうか。
それとも、もう奴隷商人に売り飛ばされているのだろうか。
「孫空女、出すぎないで──。一緒にいて──」
遥かに後ろから沙那の叫びも聞こえる。
孫空女は構わなかった。
無辜の女や娘を襲っては、奴隷として売り飛ばすなんて許せない。
何百人が孫空女にかかろうとも、とめられるわけはないのだ。
それが証拠に、これまで数十人を倒しながらも、ただのひとりも孫空女の身体に武器を掠らせることができた者はいなかった。
「孫空女だね?」
そのとき、いきなりそばに誰かが出現した。
兵ではない。
黒い布を全身で覆った人のかたちをしたものが、いきなり現れたのだ。
孫空女は、その人のかたちに向かって、『如意棒』を振った。
だが、それはできなかった。
なにが起きたのかわからない。
気がつくと地面に倒れている。
「あっ──」
孫空女は叫び声をあげた。
手と足がくっついている。
手首と足首の『
孫空女の手首と足首につけている腕輪と足環は、宝玄仙の霊具であり、拘束具具だ。
宝玄仙の道術ひとつで、孫空女を好きなように拘束するために装着させられているものである。いまは、全部の輪が密着して、手足がひとつに束ねられた状態だ。
「重いわね、これ」
その黒い布の女が、地面に落ちた『如意棒』を拾おうとして言った。
次の瞬間、『如意棒』は小さくなり、いつも孫空女が耳に隠しているときの大きさになる。
道術だ──。
この女は道術遣いだ。
道術で孫空女を拘束し、『如意棒』さえも小さくした。
しかし、この『緊箍具』も、『如意棒』も宝玄仙の道術がかかっている。
簡単には、ほかの道術遣いがそれを操れるわけがない。
宝玄仙がそう言っていた。
だが、確かに、この道術遣いは、自分の道術で孫空女が持っていた宝玄仙の霊具を自在にしている。
「だ、誰だ、お前──?」
孫空女は叫んだ。
後方では、沙那の悲鳴のような声も聞こえる。
孫空女が捕えかけられていることを悟ったようだ。
しかし、あの喧騒は、まだ、黒賊の兵に突進を阻まれているらしい。
そのとき、風が吹いて、道術遣いが顔に覆っていた頭巾がめくれた。
「あっ──、ご主人様」
黒い頭巾の下にあったのは、紛れもなく宝玄仙の顔だ。
突然に表れた宝玄仙の姿に孫空女は叫び声をあげた。
「行くよ」
なぜ、ここに宝玄仙が?
動転している孫空女の胃が捩れた。
『移動術』だ。
どこかに道術で跳ばされる──。
不意に孫空女の周りから戦いの喧騒が消滅した。
*
できることはもうない。
楊鬼女は、最後を悟った。
剣を振りながら、自分が護る場所以外のところから、次々に城郭軍が砦に入り込んでいくのが見ていた。
すでに、黒賊の隊は秩序を失っている。
ばらばらに戦いながら、懸命に城郭軍の砦への侵入を防いでいる状態だ。
この裏側の防護帯については、第三の防護壁も突破された。
護る手段は、ここにはもうない。
街道から通じる正面からの軍勢を囮にして、裏に回り込んでいた少数の隊にしてやられたのだ。
赤毛の棒を振り回す女が、もの凄い勢いで突進してきているという報告を受けたのだが、楊鬼女がやってきたときには、その赤毛の女はいなかった。
その代わり、栗毛の細剣を振る女が巧みな指揮をしていて、防護の弱いところ、弱いところを選んで内側に城郭軍の兵を入れてきていた。
楊鬼女がこちら側の指揮を把握したときには、すでにもう遅く、裏の護りは完全に破られてしまった後だった。
もう、半分は砦に入っているだろう。
「正面も破られました。すでに三の壁も越えられています」
楊鬼女を見つけて、駆けてきた伝令が叫んだ。
その伝令も剣を振っている。
楊鬼女の周りは、城郭軍だらけだ。
戦いながら、楊鬼女は伝令の報告に応じた。
裏側が突破されたことで、浮足立った黒賊の兵が、正面の大軍の突破も許したのだろう。
仕方がない。
兵は背中に敵を感じては戦えない。
黒賊は終わりだ。
楊鬼女は、懐から火具を取り出して、歯で紐を引く。
それを地面に叩きつける。
白い煙があがって、火の塊りが宙に飛んだ。
そして、上空で爆発する。
「散れ」という合図だ。
こうなったら、ひとりひとりが戦闘に紛れて逃げるしかない。
運のいい者は城郭軍の包囲を抜け出すことができるかもしれない。
楊鬼女は、もう、ほかの部下のことは頭から消した。
ここから先は、ひとりひとりの戦いがあるだけだ。
頭領も、部下も関係ない。ただのひとりだ──。
外側に向かって進む。
前を塞ぐ城郭兵を五人、六人と倒していく。
方々で戦闘が続いている。
大部分は、数名の黒賊が大勢の城郭軍に囲まれていて、抵抗の手段を失って捕えられている。縄で縛られはじめられた黒賊の兵もいる。
「どこにいくの? あんたが大将の楊鬼女ね?」
不意に栗毛の女が前を塞いだ。
細剣を持っている。
巧みな指揮で裏側の防護壁をあっという間に破った城郭軍の指揮官だ。
近くで見ると、軍服を着ていない。
将校ではないのだろうか。
いまは、ひとりのようだ。
すでに集団と集団の戦いは終わっている。
この女もいまは、ひとりの戦士として剣を振っていたのだろう。
「孫空女はどこ?」
その女は言った。
「誰だい、その孫空女というのは?」
楊鬼女は、その女に剣を叩きつけた。
払われる──。
もう一度、斬ろうとした。
しかし、できなかった。
手に剣を持っていない。
さっき払われたときに、剣を飛ばされたのだと悟った。
「孫女はどこよ?」
栗毛の女が楊鬼女に剣を突きつけた。
剣で押されるかたちで、楊鬼女は地面に尻餅をついた。
「そんなのは知らないよ」
楊鬼女は叫んだ。
五、六人の兵が飛びかかり、楊鬼女の身体をぐるぐる巻きに縄で縛り始めた。
*
沙那は、金水蓮の命令で黒賊の賊徒たちが、次々に首を刎ねられるのを遠くから見ていた。
金水蓮の命令は容赦なかった。
相変わらずの果断さだ。
その姿には、宝玄仙の調教でよがり狂う哀れな女の姿は皆無だ。
金水蓮は、まずは、楊鬼女をはじめとした二十人ほどの首脳陣を拘束させて大元府の軍営まで檻車により運ばせた。
そして、残りの数百人の賊徒については、すべて首を刎ねるように命じたのだ。
刎ねられた黒賊の頭は、どんどん荷駄馬車に放り込まれている。
もうすでに、五台の荷駄馬車が賊徒の首で山積みになった。いまは、六台目だ。
奴隷狩り団は許さない。
断固なる決意がそこにある。
それにこれは、見せしめでもある。
残酷なようだが、黒賊の末路を世間に悟らせることで、第二、第三の黒賊を防ぐことができるのだ。
砦に囚われていた女は、たった三人だけだった。
名前は、
ほかに浚った女は、すでに奴隷商人に売られてしまったらしい。
捕えた賊徒たちの言葉は一致していて、それは確かのようだ。
相手先の
それよりも、沙那の頭は、ほかのことでいっぱいだ。
孫空女──。
孫空女がまだ見つからないのだ。
裏側から攻めた少数の集団にいた沙那と孫空女は、沙那が集団の指揮をして、孫空女の武力で防護を破るというかたちで突き進んでいた。
だが、孫空女が前に出すぎた。
ひとりになったところで、孫空女が不覚をとることはないとは思ったが、隊を事実上指揮する沙那たちとは、まったく連携ができないところまで孫空女は進んでいた。
沙那の位置からはよく見えなかったが、戦っている孫空女が突然にうずくまったのがわかった。
孫空女を無力化したのは、黒い布で全身を覆った女で道術遣いのように思えた。
そして、あっという間に、孫空女とともに、その場から消滅してしまった。
金水蓮が、この砦を制圧したとき、沙那は城郭兵とともに、孫空女を探したが、見つかったのは、全裸で拘束されている三人の女だけで、孫空女はどこにもいなかった。
いまは、孫空女の捜索を城郭兵に任せるとともに、金水蓮に頼んで、ずっと後方に待機をしていた宝玄仙と朱姫に伝令を送ってもらっている。
ふたりの道術があれば、別の探し方もある。
宝玄仙も朱姫も道術の流れを追うことができる。
孫空女が連れ去られた場所を道術を追いかけることが発見できないだろうか。
「沙那姉さん──」
背後から朱姫の呼び掛ける声がした。
沙那は振り返った。
朱姫とともに、宝玄仙がこっちに歩み寄ってくる。
一応は、数名の城郭兵が警護をしている。
「孫空女がいないだって?」
宝玄仙が沙那のいる場所に着くなり言った。
宝玄仙もいつになく真剣で、心配そうな顔をしている。
「はい」
沙那は頷いた。
そして、孫空女が消えた状況と道術遣いではないかと思われる存在のことを告げた。
その道術遣いは、いまのところ発見されていないことも──。
「じゃあ、霊気の気配を探るかね……」
宝玄仙が深く息を吐きながら言った。
「見つかった──。見つかったよ──」
金水蓮だ。
息せき切った金水蓮がこっちに走ってくる。
「見つかったというのは、孫空女のことかい?」
宝玄仙は声をあげた。
「そうだ。砦の奥に隠し部屋があった。そこに囚われているようだ。道術で封鎖されているからまだ開けられないが、中から孫空女の声もした」
沙那は宝玄仙と朱姫とともに、金水蓮の後ろを駆けた。
砦の中は、入り組んでいて迷路のようになっている。金水蓮の案内で隠し部屋という場所に辿り着いた。
建物の部屋ではない。
そこを突き抜けたところにある岩肌だ。
ただの岩壁にしか見えないが、十人ほどの城郭兵が壁にとりついている。
「孫空女、そこにいるのかい──?」
宝玄仙が叫んだ。
「……ご主人様……」
弱々しいが確かに孫空女の声がする。
「孫空女、いるのね、そこに? 怪我はないの? 大丈夫?」
沙那は岩壁に張りついて声をあげる。
「……大丈夫だけど、『緊箍具』で手足を拘束されているよ」
孫空女の声。
沙那は心の底から安堵した。
「誰かいるの?」
「……いまはいない。道術遣いがさっきまでいたけど、どこかに消えたよ」
孫空女の声が応じた。
「ご主人様──」
沙那は宝玄仙に振り向く。
「わかっているよ。これは、『道術錠』だね。そんなに複雑なものではないし、簡単に片付きそうだよ」
宝玄仙が岩壁を眺めながら言った。
そして、しばらく待つと、ぎ、ぎ、ぎという音とともに、岩が開く。
そばの城郭兵たちがどよめく。
まるで扉のように両側に開いた岩壁の内側の小さな空間に、確かに手足の『緊箍具』を密着させられて動けなくされた孫空女がいた。
「ご主人様」
地面に倒れている孫空女が言った。
いままで暗闇の中にいたのだろう。陽の光が眩しそうだ。
「手間かけさせるじゃないか、孫空女。戻ったら、お仕置きだよ」
宝玄仙が笑いながら言った。
「か、勘弁してよ。まさか、ご主人様の『緊箍具』を操作されるなんて思わなかったんだよ」
孫空女は言った。
次の瞬間、孫空女の手足が離れた。
宝玄仙が道術を遣ったのだろう。
手で身体の土を払いながら、孫空女が岩の小部屋から出てくる。
「なにがあったの、孫女?」
沙那は言った。
「なにがあったか、あたしにもよくわからないよ、沙那。いきなり、道術遣い現れて、拘束されたかと思ったら、『移動術』で跳ばされて、ここに閉じ込められたんだよ」
「その道術遣いはどこに行ったんですか、孫姉さん?」
朱姫だ。
「さあね。少しの間、一緒にいたけど、すぐにいなくなったよ」
「まあ、無事でよかったさ。黒賊も片付いたし、四人で大元府に戻るかね。金水蓮、お前は忙しいだろうから戻って来られないかもしれないけど、今日は、お前の屋敷の方ですごさせてもらうよ。この孫空女にたっぷりと仕置きをするんだ」
宝玄仙は言った。
「そりゃあ、いいねえ。遅くなっても、顔を出すよ。わたしも混ぜておくれ、宝玄仙さん」
金水蓮がにこにこしながら応じた。
「そんなあ、ひどいよう……。一生懸命に戦ったじゃないか」
孫空女は不満そうだ。
「つべこべ言うんじゃないよ。まあ、今夜は眠れないと思いな、孫空女。気を失いたくても、失わせはしないよ。宝玄仙の快楽地獄責めといこうかね」
宝玄仙が言った。
周りの兵が眼を白黒させているのが沙那にはわかった。
*
「行ったようねえ」
孫空女を見下ろしている男が笑った。
この男のことを知っている。
実際に顔を見たのは、一瞬だけだが忘れようもない。
「
孫空女は、仰向けになって地面に磔にされた状態で、ふたりの人間に見下ろされている。
ひとりは、孫空女を道術で捉えてこの岩の中の小部屋に連れてきた道術遣い──。
なぜか、宝玄仙とそっくりの顔をしていて、御影もこの道術遣いの女を“宝玄仙”、あるいは、“お宝”と呼んでいる。
ここに、その宝玄仙そっくりの道術遣いに連れてこられたとき、御影がすでにいたのだ。
御影と接したのは、まだ、宝玄仙と旅をしはじめたばかりのときだ。
宝玄仙を襲って洞窟に隠れていた御影を沙那の策で追い、この孫空女自身が御影の心臓に『如意棒』を突き差して殺した。
その御影が生きて、ここで待っていた。
そういえば、あのとき、宝玄仙は、御影は殺されても、いつか復活するだろうと言っていた。
道術遣いとして、御影は『魂の欠片』をどこかに隠していて、そこに霊気を少しずつ溜めることで、いつか蘇るだろうと言ったのだ。
その御影がいる。
つまり、御影は蘇り、再び宝玄仙の前に現れたということだ。だが、その御影の横にいる宝玄仙にそっくりの女は誰だろう。
「まだ、あたしも十分に復活したとは言えないからね。いまは、あの宝玄仙と一戦を交える気にはならないわ。だけど、お前には、たっぷりと仕返しをしてやらなきゃね。なんせ、あたしの分身を殺し、あたし自身もお前が殺したんだからね。いまは、宝玄仙よりも、お前が憎いわあ」
御影が言った。
相変わらずの女のような喋り方は、やはり、気持ちが悪い。
「あの宝玄仙とあなたは、どんな因縁があるのですか?」
偽の宝玄仙が言った。
「そのうちに教えてあげるわ、お宝」
御影は言った。
「お前の偽者をすっかりと信用して、連れていくようだね」
御影は岩壁に拡がる大きな鏡を見ながら言った。
岩壁は、御影の道術で鏡になっていて、そこに偽者の孫空女を発見した宝玄仙たちの様子が投影されていた。
それも御影の道術だ。
孫空女は、地面に磔にされながら、首を横にして、それを見ていた。
偽者を本物と信じて連れていこうとする宝玄仙や沙那や朱姫に警告したいが、それをする手段は孫空女にはない。
「快楽地獄責めだとか言っていたね。
御影は笑った。
「六耳ってなんだよ?」
孫空女は叫んだ。
「変身の上手な魔域の妖魔の一族よ。さすがの宝玄仙でも偽者だというのは見破れないと思うわ。なんせ、偽者じゃない。本物そのものになるのが、あの妖魔の能力だしね」
「ご主人様をどうするつもりだよ」
孫空女は声をあげた。
「どうもしないわ。どうせ、六耳には、宝玄仙にかなうような能力はないしね。うまくいけば、寝首くらいかいてくるかもしれないけど、それほど期待はしていないわ。沙那や朱姫とかいう護衛もいるしね」
「だったら……」
「今回のあたしの狙いは、最初からお前だよ、孫空女」
御影は、孫空女の言葉を遮るように言った。
「あ、あたし……?」
「さっきも言ったでしょう。このあたしを二度も殺したお前を復讐するのよ」
孫空女は舌打ちした。
少しばかり追い詰められた状況のようだ。
宝玄仙たちが、あの六耳を偽者だと気がつけば、孫空女がまだ捕えられていることに気がついて救出をしようとしてくれるかもしれないが、あの様子では、それには時間がかかるかもしれない。
「こ、こいつも六耳かよ?」
孫空女は、偽宝玄仙に視線を向けて言った。
「違うわ。六耳には、道術まで真似ることはできないわ。お前に装着された宝玄仙の霊具をこいつが自在に操るのを見たでしょう? このお宝は、紛れもない本物の宝玄仙よ」
「冗談言うんじゃないよ。本物なんかであるものかよ」
孫空女は言い返した。
「まあ、そんなことはお前にはどうでもいいでしょう? それよりも、口を開けなさい」
御影は言った。そして、横に置いてある棍棒を手に持った。
なにかの道術が注ぎ込まれるのがわかった。孫空女の口は、孫空女の意思とは無関係に開く。
道術だ──。
御影が棍棒を大きくあげた。
孫空女は、顔から血が引くのがわかった。
開いた孫空女の口をめがけて、棍棒が縦に振りおろされる──。
「あがああああ」
口の中に棍棒の先が叩きつけられた。
前歯が三、四本折れて、口の中にこぼれた。
孫空女は激痛に絶叫した。
「もう一度よう」
御影が笑いながら、上に戻した棍棒を再び、力一杯、孫空女の口にめり込ませた。
(第32話『女人奴隷狩り・前篇』終わり、第33話『同・後篇』に続く)
*
【西遊記:第56回、偽孫悟空(
旅の途中で、孫悟空が玄奘の乗る白馬を疾走させる悪戯をします。
そのため、馬に乗っていた玄奘はたったひとりで見知らぬ土地にやって来てしまい、運悪く盗賊の集団に捕えられて、縛られて樹木にぶらさげられてしまいます。
慌てて玄奘を追いかけてきた孫悟空たちに、盗賊団は玄奘を無事に返してほしければ、身代金を払えと脅迫をします。
孫悟空が断ると、盗賊たちがいきなり孫悟空を殺そうと斬りかかってきました。
たちまちに、孫悟空は盗賊たちを返り討ちにします。
そのとき、ふたりが死んでしまい、残りは四散します。
しかし、玄奘は、孫悟空が盗賊をふたり殺したことに不平を口にします。とりあえず、弔いの経を玄奘は唱えましたが、その祈りの言葉に、孫悟空に対する戒めの言葉を加えます。
孫悟空は、玄奘を助けるために苦労をしているのに、こんな風に叱られるのは不本意だと不満をぶつけます。
玄奘と孫悟空がぎくしゃくした雰囲気のまま、近くにあった老夫婦の家に一夜の宿をお願いすることにします。
その老夫婦は“楊”という姓であり、家旅の高僧である玄奘を快くもてなしをします。
夕食をご馳走になったあと、玄奘たちと老夫婦は世間話をします。
その席で、老夫婦は盗賊になってしまったひとり息子のことを嘆きます。孫悟空たちは、昼間退治した盗賊団たちのことを思い出してしまいます。
ところが、そのひとり息子は、その老夫婦の息子であり、蹴散らした盗賊のひとりでした。
その楊家の息子は、自分の家に孫悟空たちが休んでいるのを見つけ、仕返しをしようと、仲間を呼び寄せて一行の襲撃を企てます。
しかし、老夫婦が盗賊が家を囲んでいるのを見つけて、玄奘たちを裏口から逃がしてくれます。
逃亡をした玄奘たちですが、楊家の息子を始めとした盗賊団たちは、玄奘たちを頭領の仇として殺してやろうと追いかけて来ます。
孫悟空は、彼らを向かえ討ち、大半を殺してしまいます。
しかし、この殺生に対して、玄奘はかんかんに怒り、
そして、さっさと立ち去らないと、また緊箍呪で苦しめると脅します。
仕方なく、孫悟空は、
なお、今回、黒賊の本拠地として名称を使った「