「孫空女、死に損ねたかい?」
顔に絹の布を被せて水をかけるという拷問と『魔針』の責め苦を受け続けている孫空女は、もう幾日も死の一歩手前にいた。
それでも、なかなかに頑丈な精神を持っているようだ。
孫空女の眼には、まだ御影に対する反抗と怒りの色がはっきりと映っている。
普通、これだけの痛みと苦しみを味わい続けさせられれば、とうの昔に屈服し、御影に対する支配に落ちているはずだ。
だが、やはり、この孫空女は、拷問で他人に屈するような女ではないようだ。
「ちょっとばかり、予想外のことがあってね。もう少しお前の身体を斬り刻ませてもらうことになったわ」
手足のない孫空女の裸身がかすかに身じろぎする。
その表情が恐怖に染まっている。
「身体を少しずつ斬り刻まれるのはつらいかい、孫空女? もしかしたら、いつか、宝玄仙がやってきて救出され、あの大きな霊気で、失われた身体の一部も回復させてくれると思っている? そんなことは、思うだけ無駄よ……。もう、宝玄仙たちが
御影は言った。
孫悟空はか細い息をしながら、御影を睨むだけだ。
本当にしぶとい女だ……。
「……お前の代わりにいる
岩壁を道術でくり抜いて作った大きな洞窟の最奥の部屋だ。外に通じる入口はずっと遠い。
だから、四隅の壁にかかっている燭台の灯りが風で揺れることもない。
孫空女をお宝が捕えてから、孫空女はずっとここで御影とお宝の拷問を受け続けている。
もう、時間の間隔もないはずだ。
ここに監禁されている時間が、まだ、三日なのか、それとも十日も過ぎているかは孫空女にはわかりようもない。
「まあ、希望を持ちたいという気持ちはわかるわ、孫空女。いまのお前には、仲間がここに助けに来てくれるということだけが希望だものね……。希望は温かいわ……。希望があれば、手足を切り刻まれて、自力では逃亡は不可能になったお前にも生きているという実感ができるものだしね……」
御影は手足がすっかりとなくなって、胴体と首だけの姿の孫空女を満足気に見おろす。
しゅうしゅうと孫空女が漏らす音が洞府に響く。
この女はまだ絶望はしていない。
しかし、希望の光も失われつつある。
もうすぐだ。
そうしたら、殺す。
御影はそう決めていた。
「……でも、そんな希望はないわ。宝玄仙には、六耳をお前だと思い込ませて、同行させた。六耳は、いつまでもお前のふりをして旅に同行するだろうし、お前の仲間がそれを疑うことはないわ。もしも、六耳がお前じゃないと気がつけば、宝玄仙はここにお前を探しに来るはずでしょう?」
御影は語り続ける。
孫空女が嫌そうに顔をしかめた。
この女は面白い……。
無視するなら、徹底的に無視すればいいのに、すぐに感情が顔に出る。
御影は微笑んだ。
「……あいつの大きな霊気があれば、霊気で包まれている岩壁の中のこの場所は、あっという間に探知できるわ。それなのに、宝玄仙もお前の仲間も来ない。それが、宝玄仙たちが、お前がいなくなったという事実に気がついていないという証拠よ。ここは、黒賊の拠点があった
御影は、持ち込んだ小さな木の椅子に腰を降ろしていた。
時折、女芯に突き差したままの『魔針』に手を伸ばして弾く。
「んんんんぐぐぐぐううう──」
孫空女が喰いしばった口から呻き声をあげる。
もっとも、前歯は最初に叩き折ったので、どんなに歯を噛みしめても、前歯のあった場所からは、孫空女の激しい呼吸の音が漏れだしてしまう。
「『魔針』の刺激に対しては、声を出すなと何度も言っているでしょう?」
御影は、孫空女の顔の上に絹の布をまた被せる。
『魔針』を弾かれたときに悲鳴をあげた場合は、罰として、息をとめる責めを与えると伝えている。
だから、呻きを耐えようとするのだが、『魔針』の痛みは、人の耐えられる痛覚を遥かに超えているのだ。
声を洩らさないことなどなかなかできるものではない。
御影は、孫空女に被せた布の上から水をかけた。
しばらく待つと、口のところの布が膨らんだり縮んだりする。だが、息は吸えない。
もう一度、今度は、乳首に突き差した『魔針』を弾く。
盛大な空気音が口から響いたが、声だけは出さなかった。
同じことを三度続けた。
これにも孫空女は耐えきった。
御影は些かの感嘆を覚えながら、孫空女の顔の布を外してやった。
孫空女が盛大に呼吸をした。
「苦しいだろうねえ……。犯してくれって頼めば、そのあいだは、責め苦をやめてあげてもいいわよ」
御影は言った。
孫空女の表情が動揺した。
この気の強い女が拷問をされて自分から強姦してくれと頼むことはないだろう。
だが、それは希望でもある。
御影が孫空女の“女”に興味を持っていると思えば、この状態を脱却できる別の「希望」も見えてくる。
その希望をひとつひとつ壊すのだ。そうすれば、孫空女の強い精神はやがて壊れる。
「もっとも、お前を犯すのは、あたしじゃないわ。あたしは、お前の裸には興味ないしね。その証拠に、お前の裸身に接しても、少しもあたしの一物は勃起しないわ。お前に準備しているのは、盛りのついた鬼坊主という白痴魔族よ」
「白痴魔族……?」
孫空女が久しぶりに反応した。
訝し気に表情を曇らせている。
「雌を犯して精を抽入するということしかできない白痴の魔族だけど、精力だけはすごいわよ。宝玄仙の道術封じの効果を失わせているお前が確実に妊娠するだけの精を与えてくれるわよ。そいつらとやりたくなったらいつでも言ってちょうだい」
御影は笑った。
微かだが、希望の光が映りかけていた孫空女の顔が暗く染まった。
「ち、畜生──。もう、殺せよ──。殺せ──」
孫空女は喚いた。
耐えていたものが暴発した。
そんな感じの悪態だ。
短くなった手足に取り付けた金具に繋げた鎖ががちゃがちゃと揺れる。
そんなことをすれば、骨に響いて激痛が走るはずだが、もう、痛覚が麻痺しているのだろう。
「殺しはしないわ。そんなことはわかっているでしょう、孫空女。お前は、ここで、気の遠くなるほどの長い時間の拷問を受けるのよ。それを終わらせたければ、白痴の魔族の精を受けたいと言いなさい。もちろん、そのときには、妊娠をしやすくする仙薬をあげるわ。きっと、素敵な赤ちゃんができるわよ」
御影は言った。
「くそう……。も、もう、殺してよ……」
孫空女は呻いた。
「じゃあ、なんで死なないのよ。さっきもやったけど、お前は息をしばらくとめてやってから濡れた布を取ると、一所懸命に息をするじゃない。なんで、そのときに、そのまま息を止めて死なないの? 水を差し出すとごくごくと飲むし、死にたくないんでしょう? だから、生きたまま殺してあげるわ。なんの感情も抱くことができなくなるように心を壊してから、白痴の鬼坊主をけしかけてあげるわ」
御影は、閉じていた孫空女の眼が開いているのに気がついた。
泣いている。
孫空女が涙を流している。
「せいぜい泣くといいわ。あと数日すれば、お前は泣くことはできなくなる。心が潰されるからね。希望のない果てしない拷問の向こうになるのは、荒れた心の荒野よ」
御影は、『魔針』を弾く。
孫空女は、悲鳴が漏れるのに耐えながら、拘束された身体を仰け反らせた。
十回ほど続ける。
続け過ぎれば、さすがの『魔針』の激痛でも耐性ができてくる。
だから、ほどほどでやめるのだ。その方が、孫空女には堪えるはずだ。
「さて、さっきも言ったけど、もう少し、お前の身体を切断させてもらうわ。大丈夫よ。この世のものとは思えないほどの激痛は与えるけど、殺すことだけはしないから、安心して」
御影は立ちあがった。
そして、孫空女の手足を切り刻むために使い続けてきた刃物を手に取る。
「も、もう、殺して……」
孫空女の顔が真っ蒼になる。
その孫空女にゆっくりと御影は近づいた。
そのとき、御影は洞窟の入口に人が入ってくる気配を感じた。
一瞬、御影の身体に緊張が走ったが、道術でその人物が誰であるのかを悟り、緊張を緩めた。
孫空女に道術を込めて、聴力と視力を奪った。
その口から悲鳴が迸った。
突然に、一切の感覚を遮断されて、恐怖に包まれているのだ。
だが、孫空女の研ぎ澄まされた触感も封じている。
誰かがやってきても、その気配を知ることはできない。
「御影様……」
入口から歩いてきたその女の顔が岩壁の灯りに照らされた。
「
御影は言った。
鳴智は無表情でちらりと手足のなくなった孫空女に視線をやった。
しかし、すぐに無視をして、御影に顔を戻す。
この女が、孫空女の残酷な姿になにを感じたのかはわからない。
相変わらず、感情の見抜き難い女だ。
この心を閉ざした女が泣き喚く様子を見たい。
そんな淀んだ欲望が御影を湧いてくる。
「わたしが作ったわけではありません。宝玄仙様です。わたしは、宝玄仙様の命令により動いただけですから」
「あいつは“お宝”よ。紛らわしいから、お宝と名乗ることに決めたそうよ。宝玄仙というのは、あいつが天教に出家してもらった戒名だしね。天教を追放された身で、宝玄仙を名乗るのは、おかしなことだとあたしが言ったら、お宝は、これからは宝玄仙とは呼ぶなと自分で言ったわ。まあ、素直で可愛らしいわよね。元の宝玄仙とは大違い」
御影は笑った。
「ならば、お宝の黒賊です。わたしは、ただお宝の命令に従って動いただけです」
「お宝の命令に従うように命じたあたしの命令にでしょう、鳴智?」
御影は言った。
「そうでした。お宝の命令に従うように命じたあなた様の命令です、御影様」
すべての感情を殺したように鳴智は言った。
御影は、その鳴智の首に嵌めさせている『服従の首輪』に視線をやった。
やはり、大した道術だ。
宝玄仙の身体の一部から復元したお宝───。
それは、もうひとりの宝玄仙であり、あの智淵城で保管していた宝玄仙の手首から先を使用して、『治療術』により復元して複写した人間だ。
つまり、宝玄仙の複製というわけだ。
本物と同じ……。
だが、お宝が、本物の宝玄仙ほどの道術が遣えれば、新たに魔域で居場所を作ろうとしている御影の野望の実現に、お宝の道術が役立っただろう。
しかし、お宝は完全ではなかった。
お宝の復元のもとになった右手首に刻まれていた紋章……。
あれが、どうしてもお宝の道術を完全に発揮するのを邪魔をするのだ。
紋章に刻まれた道術封じは、どんなに御影がその効果を失くそうとしても、お宝の霊気を制限してしまう。
そして、紋章の効果を消滅させることのできた唯一の存在である虎力たちは、宝玄仙によって死骸に変えられた。
いずれにしても、そのお宝が作った霊具がどれくらいの完全なものであるかが不安だった。
だから、存在すべき記憶を消去させ、自分を御影の妻だと思い込ませているあの宝玄仙───、すなわち、お宝に作らせたこの支配霊具を鳴智に試したのだ。
この鳴智は宝玄仙とはかなりの確執のある女だ。
御影の最初の命を奪ったのは、その宝玄仙だった。
当時はまだ宝玄仙士であり、元はといえば、御影が宝玄仙を陥れて性奴隷にしてやろうと思って調教していたのだ。
だが、宝玄仙は逆に御影を罠にかけて皇帝に御影を処刑させるように仕向けた。
それが最初の死だ。
しかし、御影は万が一のときのために、自分が死んでも蘇ることができるように『魂の欠片』を準備していた。
託していたのは、魔域に棲む
雷音院という魔王城に棲む魔王のひとりだ。
だから、御影の二度目の命は、魔域の雷音院と呼ばれる魔王の城で蘇った。
雷音院に棲む雷音という魔王に、御影の渡した御影自身のもうひとつの『魂の欠片』と引き換えに、御影の復活に必要な霊気の補填を頼んでいたのだ。
魔族である雷音は、思いのほか義理堅く、御影との約束を果たして、御影を復活させてくれた。
そのとき復活して驚いたのは、魔域における平凡な勢力にすぎなかった雷音の雷音院が魔域における大勢力となり、雷音自身が大魔王と呼ばれる存在になっていたことだ。
御影の『魂の欠片』の保管をするのと引き換えに渡した、もうひとつの『魂の欠片』がそれを実現したのだ。
『魂の欠片』は、別名、『賢者の石』と呼ばれていて、それを破片にして、畜生に与えて強い魔族にし、それを自分の部下にすることで、勢力を一気に拡大したのというのだ。
御影は二度目の命で、雷音大王に仕えつつも、この大陸のあちこちを風来した。
御影の役割は雷音大王のために、賢者の石を集めて提供することだ。
雷音大王は自分の力を得るために賢者の石が極めて有用であることを知ったのだ。
風来の最後には東方帝国の帝都にもひそかに行ってみた。
宝玄仙士は宝玄仙という天教の最高位となっていたことがわかったが、その宝玄仙は帝都にはいなかった。
魔域に向かう旅を始めていたのだ。
巡礼という名目だが、実態は帝都追放だ。
なにがあったのかも知った。
宝玄仙は、二年間も闘勝仙とその取り巻きの慰み者として恥辱の生活を送り、その挙句に、その闘勝仙を復讐のために殺したということだった。
闘勝仙という八仙についても御影は熟知していた。
性格は最悪だが、道術の高さについては、この世に出現した最高の道術遣いだと思っていた。
御影が帝都で処刑されたときには、まだ、闘勝仙は帝仙という八仙の最高地位ではなかったが、そのときも霊気の大きさでは当時の帝仙を遥かに凌いでいた。
その闘勝仙が死んだ。
宝玄仙の霊具に屈して死んだのだ。
つまりは、霊具を通じて道術を込めたとはいえ、宝玄仙の霊気が闘勝仙を上回ったということだ。
宝玄仙の道術がそれ程とは思っていなかっただけに、その事実に驚いたものだった。
さらに、闘勝仙は宝玄仙を支配するためにさまざまな道術の縛りもしていた気配もある。
いまだに、どうやって闘勝仙を出し抜いたのかわからない。
そのとき、鳴智という女の存在も知った。
桃源という宝玄仙の執事とともに、闘勝仙の意を汲んで宝玄仙を二年間嗜虐し続けたという小娘らしかった。
ただ、桃源も鳴智も、宝玄仙が闘勝仙を殺したときに行方をくらましていて、帝都にはいなかったが……。
とにかく、その宝玄仙を支配してやろうと思い、西方巡礼の旅の途中の宝玄仙を探し出して手を出したが、その供になっていたこの孫空女に不覚を取り、御影は二度目の命も失った。
そして、再び、三個目の命により、意識を吹き返した。
鳴智と桃源を偶然に見つけたのは、その二度目の復活の直後だ。
苦労をしながら赤ん坊連れの旅をしていた夫婦と知り合い、それがあの宝玄仙を陥れた二人だとわかって、すぐに雷音院に騙して連れていって、監禁してやった。
宝玄仙の秘密を白状させるためだ。
御影の知る限り、宝玄仙が殺した闘勝仙は、人間族としては史上最高の道術遣いだった。
それをどうやって殺したのか知りたかった。
しかし、ふたりはなにも有益な情報は持ってなかった。
当時の御影はがっかりしたものだった。
だが、思わぬ収穫が鳴智だった。
桃源は役立たずだったが、鳴智は工作員としても、暗殺者としても、闘勝仙に鍛えあげられており、御影は自分の部下として使うことにした。
一方で、雷音院における御影の役割は、それ以前と同じように、雷音大王のために、『賢者の石』を探して提供することになった。
ところが、あるとき、あるふたつの『賢者の石』、つまり『魂の欠片』を渡すことで、魔域の情勢が一変するようなことが起きた。
雷音大王とその第一の部下の牛魔王が飛躍的に力を大きくして、雷音大王と牛魔王が次々に魔域の各魔王を倒して、魔域の覇者になったのだ。
しかし、それは御影が提供した『賢者の石』のおかげだ。
だが、御影が与えたものによって、雷音が覇王の地位を築いたのであれば、その地位は、雷音に『賢者の石』を与えた御影にこそ相応しいだろう。
しかし、それはもうひとつの事実により断念せざるを得なかった。
御影は知らなかったが、『魂の欠片』により復活を繰り返すたびに、蘇る魂は小さくなるのだ。
道術遣いの魂は、霊気の強さにも通じる。
魂が小さくなることで、霊気は減り、三度目の命をすごしているいまの御影の霊気は、本来の御影の霊気の半分程度にしかすぎない。
その程度の力の御影が、魔族王の雷音にとって替わるのは難しい。
しかし、それでも、御影は雷音が得たものは、本来は、自分が得るべきものだと思っている。
「子供に会いたいかい、鳴智?」
御影は言った。
無表情だった鳴智の顔が真っ赤になり、その顔が御影に対する激しい憎悪に染まる。
「連れて来てもいいわよ。ここにね──。『移動術』を遣えば、わけないわ。二歳なんでしょう? 可愛い女の子よね。会いに行きなさいよ。誰も止めはしないわ。大切に保護させている。それは保障するわ」
鳴智の瞳からぼろぼろと涙が落ちる。小生意気そうな表情が気に入らなかったが、その鳴智がこれほどまでに悲しみに激するのを見ると溜飲が下がる気がする。
お宝に作らせた『服従の首輪』───。
それを嵌めさせてから、この人間の女は、人であって人ではない。
御影の命令を遂行する意識を持った人形にすぎない。
生まれたばかりのお宝が最初に作った『服従の首輪』を嵌めさせたのは鳴智だ。
どのくらいの効果があるものか確かめるための実験台にしたのだ。
「お、お願いします……。命令を……命令を解いてください。どんなことでしますから……」
鳴智は吐くような声で言った。
「考えておくわ。だから、宝玄仙を魔域に連れて来るのに協力しなさい。そのときに、命令を解いてあげるわよ。宝玄仙は、まだ大元府にいるわ。お前の姿を見せておいで──。そして、自分は、魔域の雷音院にいると教えるのよ。お前のことを憎んでいる宝玄仙は、お前を追ってくるわ」
御影は笑った。
「ほ、宝玄仙は、わたしを憎んでいるんです。わたしと会えば、わたしを捕えて復讐しようとするに決まっています」
鳴智は悲痛な顔で言った。
「捕まらないようにするのよ。お前は、宝玄仙を魔域に連れてくる餌なのよ。餌が餌の役目を果たせないようなら、娘をお前の前に連れて来るわよ。そうしたら、お前は、“命令”に従い娘の首を締めつけるんだろうね。夫の桃源を殺したように──」
御影がそう言うと、がっくりと膝をついて、鳴智はその顔を両手で覆った。
「お前が……お前が殺させた……。このわたしに……命令をして……あの人を絞め殺せと……拘束されて動けないあの人を……このわたしに……」
がばりと顔をあげた鳴智が御影を睨みつけ、喉から絞り出すような声をあげた。
「そうよ。でも、首を絞めて殺したのはお前よ。夫が息をしなくなったときの手の感触はまだ覚えているの、鳴智? どうだった? 『服従の首輪』を嵌めることを甘受してまで護りたかった夫を、自分自身で殺したときは?」
鳴智が悲鳴をあげた。鳴智は思い出しているに違いない。
あのときのことを……。
あのとき、御影は夫と幼い子供を人質にして鳴智に『服従の首輪』を嵌めることに同意することを要求した。
あの支配霊具は、それを装着することに同意しなければ、道術が発揮しないのだ。
だが、一度でも、その支配霊具の受け入れに同意することを口にすれば、道術が発揮して、服従の道術が結ばれる。
霊具を試すために鳴智に『服従の首輪』を嵌めさせた御影は、その効果を知るために、鳴智に夫の桃源の首を絞めて殺すことを命令した。
命令に逆らえない鳴智は、御影の眼の前で泣き叫びながら、桃源の首をその息が完全に停止するまで締め続けた。
やはり、あの霊具は完璧だ。
霊具については、お宝も、本物の宝玄仙並みの道術を発揮することはできる。
「娘に会いたい。会いたいのです──。お願いします」
鳴智は、今度は哀願の表情になった。
「会ってもいいと言っているでしょう。誰も止めていないのよ。ひと目見てくれば。いつでも、『移動術』で魔域まで連れていくわよ」
すると、鳴智は発狂したような声をあげだした。
会いたくても会えない──。
鳴智は、自分の子供を見るわけにはいかないのだ。
夫を自ら殺させられたことで、心が壊れたようになって動かなくなったしまった鳴智に、御影は次に娘の姿を見たら、その手で娘を絞め殺せと命令したのだ。
そして、御影に従わなければ、鳴智の前に娘を連れてくると脅した。
その姿を見てしまえば、自分が娘を殺すことを防げない鳴智は、『服従の首輪』だけではなく、御影のその脅迫によっても、御影の野望に協力させられている。
いずれにしても、この人間の女は役に立つ。
また、宝玄仙を誘き出す餌にもなるだろう。
帝都を出立する前に宝玄仙が、自分を二年間も虐げ続けたこの女奴隷を探し回っていたのも御影は知っている。
「わたしを……わたしを殺してください……。お、お願い……」
「殺しはしないわ。自殺もさせない。死ぬようなことをわざとすることも禁止よ。死なずに、宝玄仙の前に出て、餌になって、魔域に向かわせなさい」
御影は言った。
「あいつは……あいつは、魔域に向かっているんです。放っておけば、魔域に向かいます」
鳴智は叫んだ。
「そんなことはないわ。あの女は気まぐれよ。なんとなく旅が愉しいから、魔域に向かう旅を続けているだけで、いつ気持ちが変わって、旅をやめるかわからないわ。事実、あいつは、随分と長く大元府の城郭にいるけど、ちっとも動こうとしないじゃない。あいつが魔域に向かう動機づけを与えて来るのよ、鳴智」
「宝玄仙を魔域に向かわせて、どうしようというのです?」
鳴智は言った。
「お前の知ったことじゃないわ。お前は、どうやったら、宝玄仙が大元府を出立する気になるか、それだけ考えていればいいのよ」
御影の見たところ、宝玄仙は、あの金水蓮という城郭軍の女副長に意気投合しているようだ。
あのまま、城郭に住みつくということはないだろうか。
「金水蓮は、本来はこの国の中央軍の軍人です。黒賊が討伐された以上、もうすぐ、国都に呼び戻されます。そうすれば、宝玄仙は旅の再開をするに違いありません」
「そうなの? よく調べているわね、鳴智」
「だから──」
「やるべきことをやってから要求するのね、鳴智。そう言えば、あの
「それは……」
鳴智が言葉に詰まった。
この女人国の女王壱都を御影の傀儡にし、ここを御影の勢力の基盤にしようとした企ては、呆気なく、壱都が破れたことで潰えた。
女人国は、珍しくも魔族のほとんど入り込んでいない土地だ。
だから、御影が雷音と争うための基盤としてここを手に入れても競合する魔族はいないのだ。
だから、あの壱都とかいう心の歪んだ女王に、御影のもたらした霊具を遣わせて、壱都が政権を保持するために、御影がなくてはならないようにしようとした。
だが、その最初の工作のとき、この鳴智は壱都に宝玄仙の存在を報せて、壱都に宝玄仙を捕えさせようとした気配がある。
鳴智が、どういうつもりで、壱都に宝玄仙を直接けしかけたのかは知らない。
しかし、その結果、一度は、『服従の首輪』を嵌められて瀕死を追った宝玄仙が、女王対決の直後に自分で首輪を外して、逆に、壱都に嵌め直してしまった。
どうやって、それをやったかを鳴智に調べよと指示しているが、いまだわからないようだ。
「まあ、いいわ。とにかく、宝玄仙の餌になっておいで」
御影は言った。
「……餌の役割を果たして、お前が魔域にいることを仄めかしたら、お宝と合流して、本当に魔域に戻りなさい。魔族王への貢物として集めているこの女人国の娘たちの世話係として同行するのよ。お宝にはそんな役割は無理だからね」
「そ、そんな……魔域に戻れば、娘と会う可能性が……」
鳴智は震えだした。
「会わないように努力するのね。娘を殺したくなければね。あたしの計画が成就したら、まあ、解放してあげるわ。だから、せいぜい、励みなさい。いい、これは“命令”よ」
御影は言った。
鳴智は、ほんの少しの間、憎悪をそのものの眼で御影を睨みつけていたが、すぐに顔を伏せた。
そして、次に顔をあげたときには、また、あの感情を殺したような表情になっていた。
御影はなんとなくそれが気に入らなかった。立ち去ろうとする鳴智を御影は呼びとめた。
「待って、鳴智──」
鳴智は振り向いた。
「……そこにいるのは、お前と同じように、あの宝玄仙の嗜虐趣味の犠牲になり、あの変態女の奴隷にされて旅の護衛をしている犠牲者よ」
「はい……」
鳴智は振り返ったときの姿勢のまま、額に皺を寄せた。
なんのために呼びとめられたのかがわからず、戸惑っているようだ。
「いままでに回収した肉片だけでは、不足していることがわかったのよ……。まあ、なんのことかわからないでしょうけどね」
御影はくすくすと笑った。
しかし、鳴智の口元が御影に挑戦するようにあがった。
「わかりますよ。お宝と同じ手段で、もうひとりの孫空女を作ろうとしているのでしょう?」
「ほう?」
「妙な道術で身体の一部を使って、人間の複製をつくる。その複製を作る過程の中で、持つべき記憶を操作して、完全に自分の支配にしてしまう。そうなのでしょう?」
御影は驚いた。
ただの人間の女と思って侮っていたが、ある程度の洞察力はあるようだ。
しかし、道術を遣えない鳴智が、お宝を出現させた手段について想像がついているとは思わなかった。
「孫空女の複製など作ってどうするの? それで、宝玄仙を殺させるのかしら」
御影はうそぶいた。
「あなたが、孫空女の複製をどうするかなんて知りませんね。でも、わたしだったら、あの武力を持った女を言いなりにできるなら、女人国で集めた性奴隷に混ぜて、あの好色の魔族王に送り込みますよ。あなたが、邪魔者だと考えている魔族王を殺させるためにね」
鳴智の言葉に、さすがに御影も言葉を失った。
「あら、図星だったんですか? 魔域一の策士のおつもりだったようですから、もっと、複雑な策なのかと思ったら、わたしに呆気なく見破られるような策なんて、あの魔族王には通用しないんじゃないですか」
鳴智はけらけらと笑った。
「いまの考えを口にすることを禁止する。命令よ。文字に書いたりして、間接的に暴露することも禁止よ」
御影は言った。
「“命令”なんてなくても、言いはしませんよ。魔族王が殺されて、あなたの野望が成就することが、いまのわたしの望みでしかないのですから」
「だったらいいわ。じゃあ、お前に命じるわ。いままでにこいつから集めた肉片は、もともとは、宝玄仙の道術で作り直しているものだったらしく、孫空女の本来の肉体ではないようなのよね。それで、腕については肩まで、脚については、腿の付け根から新たに斬り落とす。それをお前がしなさい」
御影は持っていた小刀を鳴智の足元に放り投げた。
「そ、それは……」
鳴智の顔色が変わる。逆らえない闘勝仙の命令とはいえ、気が強く、あの宝玄仙に対して二年間の恥辱を続けたほど嗜虐癖が強く、また、必要ならば人殺しも辞さない鳴智だが、実は残虐なことが苦手なのはわかっている。
だから、やらせるのだ。
「“命令”よ」
御影は言った。
鳴智は、無表情だが、真っ白い顔をして小刀を手に取った。
小刀を持った鳴智が近づくのを認識できない孫空女の肩に、鳴智は深々と小刀を突き差した。
「あぎゃあああああ」
孫空女が絶叫した。
四肢を繋がれたまま暴れ回ろうとする孫空女を道術で押さえつける。
鳴智は苦労しながら孫空女の腕の肉を斬っている。
やがて、孫空女の悲鳴が嫌な叫び声になった。
もっとも、道術で止血をしているので、ほとんど出血はない。
やっと半分ほどに肉に切り込みができたところで、孫空女は気を失った。
鳴智の顔がますます白くなる。
そして、身体を震わせている。
それでも、“命令”により、鳴智の手は、孫空女から腕を切断するために動いている。
「乳首の『魔針』を弾くのよ、鳴智。命令よ。痛みで孫空女は覚醒するわ」
鳴智が孫空女の乳首に刺さっている『魔針』を強く抉った。
「んぎいいいい」
孫空女の身体が跳ねて、覚醒する。
「はががががが──あががああ──ぎがああああ──」
さすがの孫空女も発狂したような悲鳴をあげている。
刃物などほとんど使ったことのない鳴智だ。
骨を断つこともすぐにはできずに、孫空女の肩の骨を何度も何度も削るように刃物を動かしている。
青白く見える骨が、孫空女から少しずつ切断されていく。
孫空女は長く尾を曳く叫び声をした。
「こ、殺して……お願い……もう、殺して──」
孫空女は半狂乱で叫んだ。
「お前は死なさないわ、孫空女。人ではあり得ないような苦しみの中で、ここで何年も留まり、苦しみながら生き続けるのよ」
「こ……こ、殺して……」
「さっきも言ったじゃない、孫空女。鬼坊主の精を孕ませてくれと頼むなら、拷問はやめてやってもいいわ」
「わ、わかった……。孕むから……。孕む……」
やっと骨が切断されて、腕の重みで下側の肉が千切れて落ちたとき、孫空女はそう呻いてから、再び気を失った。
鳴智が嘔吐した。
「もう、許して……」
涙を流しながら嘔吐物で汚れた口の周りを手で拭いて、鳴智は言った。
「反対の腕もよ。それが終われば、腿よ」
御影は笑いながら、そう命令した。