※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

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228 囚われた女道師

 奔破児(ほんはじ)とかいう名の隊長が、九頭女(くすじょ)の身体からおりた。

 九頭女の女陰に精を放ったばかりの男根が外に出ていく。

 

 九頭女は、後ろ手に革紐で拘束された手首をねじって、なんとか牢の床に横たえていた身体を起こした。そして、まくり上げられていた合わせ布の下半身の部分をなんとか戻して、精を受けとめたばかりの股間を隠す。

 本当は犯されたばかりの身体がだるい。

 だが、眼の前にいる女のような顔をした男に弱みのようなものを見せるのが嫌だった。

 

 もうすぐ朝になるのではないだろうか。

 しかし、ここは軍営の地下に当たるらしく陽の光はまったくない。

 軍兵の襲撃を受けたとき、白い煙のようなものが金光院の中で拡がった。その煙を吸った直後に、急に睡魔が襲って意識が遠くなったのだ。

 おそらく、眠りをもよおす効果のある薬草を燃やされたのだと思う。

 そして、気がついたら、この軍営の地下牢に、後ろ手に手首を拘束されて監禁されていた。店の者や宝玄仙などがどうなったのかわからない。

 

「わたしの店の贔屓のお客様には、城郭の高官の方も大勢おられますよ。国都からわざわざ遊びに来られるお客さんもいるんです」

 

 九頭女は奔破児を睨みつけた。

 金光院は高級な妓楼だ。

 客も選ぶ。

 金光院に出入りできる客には政府の高官だけではなく、高級軍人もいる。

 国都にある高級妓楼に勝るとも劣らぬ女を揃えており、その評判が伝わり、国都から一日ほどしか離れていないこともあり、国都からの賓客もいる。

 その中には、王族さえいるのだ。

 

 どこまでの確証をもって金光院を軍で急襲したかはわからないが、時間が経てば、そういう帝国政府の高官の介入も期待できる。

 それだけの賂も使った。

 政府の高官に賂を払うなど、反吐を吐きたくなるようなことだったが、これも戦いの一部だと思ってやっていたのだ。

 

「国都にも名が響いている美妓と評判のお前が、女奴隷の救い主として派手に動いていた閻魔女の親玉とはな、九頭女」

 

 奔破児は服を整えながら九頭女を見下ろして言った。

 鉄格子の向こうの廊下には武装した兵が十人ほどいるが、いま牢の中にいるのは、この女のような顔立ちの奔破児がひとりだけだ。

 ただの女だと思い油断しているに違いない。

 

「閻魔女?」

 

 九頭女はとぼけた。

 確証などないはずだ。

 白を切りとおせばいい。

 長く調査や監視をされたという気配はなかった。

 そんなものがあれば、妓楼の外で活動している九頭女たちが必ずなにかを掴んだはずだ。

 それに、閻魔女の活動など半月ほどのものだ。

 なにか確かなものを掴まれるには時間が早すぎる。

 

「なぜ、奴隷扱いの酷い主人を暗殺して回るようなことをしたのだ? お前の店の女には奴隷女が多いからな。情にほだされたか?」

 

 奔破児が言った。

 

「なにを言っているのか、さっぱりわかりません。ところで、わたしが捕えられていることを知らせたい方がいるのですが。そういえば、明日にも予約が入っておられる帝都からの高官のお客様がおられるのです」

 

 九頭女は、宮廷政府の高位の役人の名をあげた。

 

「んぎいっ」

 

 次の瞬間、九頭女の頬に火のような痛みが走った。

 横倒しに倒れる。奔破児が平手で九頭女の頬を力いっぱい張ったのだ。

 目まいがして視界が揺れる。

 しかし、こんな男に屈服した姿を見せてはならないという意地が九頭女の身体を起こす。

 

「最初に言っておく。閻魔女のことを白状させたいわけじゃない。それはいい。少し前、堂人君(どうじんくん)という男の首が晒されたのが見つかった」

 

「堂人君様?」

 

 惚けた。

 沙那たちに狙わせた悪党だ。

 女奴隷を使って、肉芽酒なるものを作っていたとんでもない男であり、当然に死ぬべき男だった。

 まだ、手筈の結果は知らなかったが、少なくとも、沙那たちは暗殺には成功したみたいだ。

 

「場所はこの軍営のすぐそばだ。堂人君が殺されたと思われる直後に、お前の店に『移動術』で戻った娘がひとりいた。それで、お前の店がその閻魔女の拠点となっていたことは明らかだ──。それはいいのだ」

 

 朱姫のことだと思った。

 計画であれば、朱姫とともに、沙那と孫空女が『移動術』で戻るはずだが、いまの物言いであれば、『移動術』で戻ったのは朱姫ひとりだけのような感じだ。

 沙那と孫空女は捕えられていないのだろうか。

 ならば、一緒に活動した蔡美もやはり無事に違いないが……。

 

「娘……? 誰です、それは? それに『移動術』で戻ったからなんだというんですか。ちょっとした同術遣いなら使える技じゃないんですか、それは? 『移動術』の遣える術遣いをお探しなら、妓楼などではなく宮廷道術遣いを当たってはどうなのです?」

 

 再び頬が張られた。

 九頭女は倒れた。またすぐに起きる。

 

「き、気安く殴らないで欲しいわね。妓楼の女にとっては、顔は商売道具だよ──」

 

 九頭女は啖呵を切った。

 

「商売のことは諦めるんだな。あの娘が自白すれば、それで終わりだ。お前だけでなく、店の女たちも全員処刑だ。この城郭か、あるいは、帝都に連れて行って、帝都広場で時間をかけて苦しみながら死ぬことになる。見せしめとしてな」

 

 奔破児は言った。

 

「その娘が自白を?」

 

 朱姫の身が心配だった。

 宝玄仙にしても、朱姫にしても、九頭女をはじめとする梁山泊の戦いに加わっているような女ではない。

 彼女たちの能力を見込んで、一時的に九頭女がその力を利用しただけだ。

 

「時間の問題だな。どんな人間でも同じだ。気丈な性格の者であれば、数刻の拷問なら耐えられるかもしれんが、三日も四日も苦しめられれば、大抵のことは自白する。あの娘が自白すれば、お前たちが閻魔女に関わっていたことが証明できる」

 

 拷問で無理矢理に自白を強要するつもりなのだとわかった。

 それとともに、朱姫はかなり惨い目に遭っていると予想もつく。

 朱姫が拷問を受けていると教えられて心が乱れた。

 ならば、宝玄仙も拷問されている可能性がある。

 自分たちの戦いに、関係のない人間を巻きこんでしまった。そんな悔悟が走る。

 

「それよりも、自分のことを心配するんだな。それから、宮廷の高官がなにを言ってこようと無駄だ。俺には、それだけの権限を与えられている。訊問でお前たちが死のうとも、なんの問題も起きない。書類を一枚出すだけで済む」

 

 奔破児の口調には感情のようなものがない。

 ただ必要なことを喋っている。

 そんな感じだ。

 気味の悪さが九頭女を襲う。

 

「こ、これは、取り調べなのですか……?」

 

 九頭女はできるだけ気の強さが籠るように奔破児を睨みつけた。そうしなければ、この奔破児の持つ不思議な力に圧倒されるような気がする。

 

「どうとでもとるがいい、九頭女。しかし、お前たちが助かる道はひとつだけだ。知っていることをすべて吐くことだ」

 

「知っていること?」

 

「実際のところ、閻魔女のことなど大して興味がないのだ。ある意味では、奴隷扱いの評判の悪い男たちが、奴隷仲間に恨みを持たれて殺されたともいえる。殺された連中について、市井では、殺されて当然だったとひそかにささやかれていることも知っている。だから、俺の満足する答えがもらえれば、お前だけではなく、店の女たちについても不問にしてもいい」

 

 どういうことだろう。九頭女は混乱していた。

 閻魔女のことでなければなにを喋れというのだろうか。

 

「俺の知りたいことはひとつだけだ。お前は誰に使われているのかということだ。この仕事は、たかが妓楼の女主人ひとりがやったこととは思えん。もっと大きな組織が背景にある」

 

 冷たい汗が九頭女に流れる。

 この奔破児はかなりのところまで予想がついている。

 もしかしたら、最初から閻魔女がこの国に対する外の叛徒と結びついているということまで悟っているのかもしれない。

 つまりは、梁山泊だ。

 あるいは、もともと、奔破児の職務そのものが、そういう叛乱分子を洗い出すことにあるのかもしれない。

 梁山泊と九頭女の妓楼が結びついていることを知られるわけにはいかない。

 九頭女の妓楼だけのことだけでは済まなくなる。九頭女の正面を含めて、密かに展開している多くの秘密分子が洗い出される可能性も出てくる。

 

 朱姫や宝玄仙には悪いが、ここは彼女たちを見捨ててでも逃げるしか……。

 それを自白させられるわけにはいかない。

 宝玄仙も朱姫も、梁山泊の活動にはなにひとつ関わっていない。

 彼女たちがなにを自白しようとも問題はない。

 しかし、九頭女が知っている知識は、ふたりの命を犠牲にしてもいいくらいに大切なものなのだ。

 

 九頭女は一度後ろに反り返り、そして跳ね起きた。

 肩の関節を外して、後ろ手の両手首を前に持ってくる。

 手刀を奔破児の首筋に向かって突き出したときには、一度外した両肩の関節を元に戻している。

 

「危ない──」

 

 格子の外から兵たちの怒号があがった。

 慌てて彼らが動くが、鍵のかかった格子が阻んでいる。

 奔破児は腰の剣を抜く暇さえないはずだ。

 

「おっと」

 

 しかし、奔破児も意外な身軽さで、九頭女の攻撃を避けていた。

 九頭女の両腕はたったいままで、奔破児の首のあった場所の宙を切る。

 

「ほう、なかなかの体術だな、九頭女?」

 

 格子のすぐそばまで跳び退がった奔破児が言った。

 その余裕のようなものが気に入らなかったが、いまはこの距離が開いただけでいい。

 九頭女は、自由な足ですかさず『移動術』の結界を刻んだ──。

 そして、跳躍する……。

 

「なんで?」

 

 しかし、思わず声をあげた。

 道術が発動しない──。

 

 いつどこで襲撃されても大丈夫なように、九頭女は『移動術』の結界を国都のあちこちに常に張り巡らせている。

 一時的に逃亡するだけなら、そのどれかの結界と結びつける新しい結界を刻むだけで、どこにでも逃げられずはずだ。

 

 しかし、なにも起きない。

 道術が効かない。

 なぜ……?

 

 不意に視界が揺れた。奔破児の脚が九頭女の両脚を払ったのだ。

 床に倒される。

 牢の扉が開いたが、外から兵が踊り込むのを奔破児が制している。

 

「道術が遣えなくなったのが不思議か、九頭女?」

 

 奔破児の脚が倒れた九頭女の横腹に叩きこまれようとした。

 

「ちっ」

 

 九頭女は裾から伸びる脚の先で、奔破児の足首を払った。

 奔破児が態勢を崩して腰から床に落ちる。

 上半身を起こして、九頭女は慌てて、今度は革紐で縛られている手で床に結界を刻み直す。

 やっぱり、霊力が動かない。そのために道術が走らないのだ。

 

「よくもやってくれたな、この淫婦が」

 

 九頭女の頭が掴まれて、床に叩きつけられた。

 身体の線が細い女のような男のくせに、やはり男と女では筋肉が違うのか──。

 奔破児は軽々と九頭女の頭を掴んで二度、三度と床に頭を打ちつける。

 

「んぎいっ、あがっ、があっ」

 

 体重をかけられた後頭部が床にぶつかるたびに意識が遠くなっていく。

 そして、馬乗りにされた。

 髪の毛を掴まれて、さらに頭を床に打ちつけられる。

 完全に脱力したところで、奔破児はやっと暴行をやめた。

 

「両腕を天井から吊り下げろ──」

 

 何人かの兵が牢の中に入ってくる。

 朦朧としている意識が手足を痺れた状態にしていた。

 今度は、抵抗することもできずに、両手首の革紐が天井の滑車から吊り下げられた鎖に繋がれる。

 すぐに、鎖が引きあがり足首が床から離れた。

 

 九頭女は、やっとここが単なる牢ではなく、拷問室であることに気がついた。

 牢にしては広く、そして、天井が高い。

 石作りの天井や壁には、吊り下げられている滑車以外にも、幾つかの滑車や金具がついている。

 

「さて、そろそろ、訊ねたことを喋りたくなったか?」

 

 奔破児が言った。手に棒を持っている。

 棒を縦に持ち、九頭女の腹と股間の間を思い切り突き抉った。

 

「ほがああぁぁぁ──」

 

 腹が破けたかと思うような衝撃に九頭女は声を張りあげた。

 突かれた反動で身体が後ろに振られる。戻って来たところを今度は別の兵の持っていた棒が突きあげた。

 

「んげええっ」

 

 九頭女は胃液を吐きながら身体を曲げる。

 次にやってくる突きを避けようと思った。

 しかし、振られた身体はどうしようもない。

 兵の待っている棒に向かって身体が戻っていく。

 だから、鎖を握って身体を引き上げようとした。しかし、まだ手の痺れは残っている。

 ただ、鎖を掴んだだけで終わった。

 

「んぐうう」

 

 重い棒の衝撃が下腹部を襲う。

 だが、後方に振られた身体は、今度はあまり揺れなかった。

 待ち構えていた別の棒が尻の真ん中に突き挿さったからだ。 

 

「はぐっ」

 

 九頭女は脚をばたつかせた。

 

「そんなに股を拡げちゃみっともないぞ、九頭女。国都一の美妓の名が泣くぞ」

 

 笑い声がした。

 奔破児だ。

 牢の壁にもたれかかって九頭女が暴行を受けるのを愉しそうに眺めている。

 尻の中心を棒が突き、あまりの痛さにがに股になってしまったのだ。慌てて脚を閉じる。衣類の裾に下から棒が差し込まれる。

 

「いやっ」

 

 棒を蹴り出そうと思ったが、再び勢いよく別の棒が九頭女を突く。裾の部分が破けて裂けた。

 振り戻った身体の肩口と袖に棒が突き差さる。棒が正面から容赦なく打撃する。

 棒を差しこまれている部分から衣服がびりびりと破れていく。

 少しずつ着ているものが紐状に裂かれていく。

 

「ほら、一生懸命に逃げた方がいいぞ、九頭女。裂かれるものがなくなって素っ裸になったら、もっとつらくなるぞ。女陰と尻に下から棒を突き挿してから、身体を棒で突きまくるからな」

 

 奔破児の言葉に周囲の兵が湧く。

 逆に九頭女には恐怖が走る。

 棒が迫る。

 棒で腹を抉られる激痛とともに、着物の前側が上から下までざっくりと裂けた。

 

 

 *

 

 

 白清(はくせい)は、金光院を囲んで閉鎖する隊の配置を指図しながら、白々と明るくなる城郭の朝を感じていた。

 電撃のように行われた金光院に対する捕縛劇で騒然となっていた色町も、朝を迎えるにつれて次第に静かになっていく。

 城郭全体にとっては一日のはじまる時間だが、夜が活動の時間である色町にとっては一日が終わる時間である。

 物々しく金光院の出入り口を封鎖している城郭兵を周囲の人間がどのように感じているのかは知らない。

 それでも、城郭兵の出動について、野次馬的な興味を示しても、敢えて関わりになろうという者はいない。

 金光院以外の部分の色町については、いつものような夜が終わり、なんでもない朝が始まろうとしているかのようだった。

 

 しかし、実際のところは、どうなのだろう?

 この金光院は、色町にある数々の妓楼の中でも最高級の格として知られていた店であり、わざわざ帝都からやってくるような、白清のような中級の将校など近づくこともできなかった上流階級の貴族たちが利用している店だ。

 

 そんな場所に軍など入れて、国都を含めた随一の美妓と称されていた九頭女をはじめとした二十人ほどの女を連行した。

 この手のことに手馴れているはずの軍人の白清でも、ただでは済まないのではないかという気がする。

 ただ、あの奔破児という帝都から派遣されてきた将校の命令なのだ。

 

 女のような顔立ちの将校だが、信じられないくらいの権力を持っているのは知っている。

 その奔破児の直々の命令による軍の出動だ。

 宮廷の余程の権力者でも口を挟むことはできないのだろう。

 

 噂によると奔破児という将校は、軍司令官ではなく、宰相の直属という話もある。

 あるいは、それも満更出鱈目な話ではないのかもしれない。

 だからこそ、国都の高官も利用している高級妓楼に、突然に軍を入れて閉鎖をし、女主人を捕えるなんていう無謀を指示することができるのだろう。

 

 いずれにしても襲撃はあっという間に終了した。

 命令により軍装を整えた一個大隊をもって、色町に軍を雪崩れ込ませて、金光院の周囲を包囲した。

 そして、奔破児の指示で、睡眠作用のある魔薬である毒草に火をつけて金光院の建物内に放り込んだ。

 しばらくして、一隊が入り込み、中を制圧した。

 それで一網打尽だ。

 

 しかし、いくらかの抵抗はあったという。

 それを聞いたときに白清は驚いた。

 ただの妓楼だと聞いていたが、軍の侵入に対して、女たちの幾らかが武器を持って戦ったというのだ。

 

 もっとも、それもすぐに抑えられて、抵抗を示した女たちは、すべて捕えた。

 女主人をはじめとする二十人ほどの女は軍営に連行された。

 客だった者は、すべて追い出されたが、店で働いていた者はまだ建物の中だ。

 建物の中にも王兵がまだ多く残って彼女たちを見張っているが、残っている女や男衆たちには、もう抵抗の素振りもないらしい。

 

 白清は、外回りを確認して、指示の通りの配置が整っていることを確認して、建物内に戻ろうとした。

 この場のすべての指揮をとる李勝(りしょう)に報告するためだ。

 李勝は軍服を着ておらず、見ただけではどこにでもいる市井の商人のようだが、あの奔破児を補佐する立派な軍人だ。

 もっとも、白清をはじめとして王軍の誰も、李勝が軍人としての服装をしたのは見たことはないのではないかと思う。

 将校である白清くらいになれば、李勝が大隊長級の高級軍人であることを知っているが、兵からすれば軍の周りをうろうろする李勝は、ただの軍属の文官としか思っていないかもしれない。

 

「白清隊長──」

 

 外回りを確認して、建物に入ろうとしたときに、兵のひとりに呼び止められた。

 確か組長のひとりだったと思う。

 名は確か、阮一郎だ。

 若いがなかなかの目端の利く男で、最近になって、ただの兵から五人の兵を指揮する組長に取りたてられた若者だ。

 

「どうした、阮一郎?」

 

「少し、よろしいでしょうか──。その路地に不審なものがあったので報告に参りました」

 

「不審なもの?」

 

「はい……。危険なものではないと思うのですが……。しかし、ここでは──。直接、ご確認いただきたいのです」

 

 妙な報告の仕方だが、阮一郎の顔は真剣だった。白清は少し考えてから阮一郎についていくことにした。

 

「こっちです」

 

 阮一郎は金光院を囲む場所からだんだんと離れていく。

 向かっている場所は、金光院を包囲する一隊からは死角になる場所だ。それが少し気になった。

 

「それです」

 

 路地に入ったところで阮一郎が言った。

 しかし、なにもない。ただの路地があるだけだ。

 

 なにもないぞ──。

 

 それを白清は、横に立つ阮一郎に対して言うことができなかった。

 背後からなに者かの腕が首に回った。

 

 女の匂い──?

 

 感じたのはそれだけだ。

 首を絞められてあっという間になくなる意識の中で、白清は自分を冷ややかに見ている阮一郎の視線を感じていた。

 

 

 *

 

 

 水の音がした──。

 意識が戻ったとき、白清は自分がどこかの地下にいるのではないかと思った。

 両手と両足には感覚がなかった。

 

 薄暗い──。

 しかし、だんだんと時間が経つと両手が背中で回されて縛られていることと、足首も閉じ合されて縛られていることがわかった。

 少し動かしてみたが、手慣れた玄人の縛りだ。

 とても解けそうにはない。

 

 天井が見えた。

 天井は石の壁だ。

 やはり、陽の光のようなものは感じない。

 どこかにある燭台の光のようなものが周囲にわずかな明るさを与えている。

 

「もう少し、生きてみたい?」

 

 女の声だ。

 

「だ、誰だ?」

 

 首を捻ろうとしたが、突然、乱暴に身体を蹴られてうつ伏せにされた。

 床に顔が入るくらいの穴が掘られていて、そこに胸から上を入れられた。

 背中から誰かに馬乗りにされる。そして、穴の中に入っている顔があげられないように、首を上から抑えられる。凄い力だ。

 すると別の人間の気配がして押さえつけられている頭の上から桶のようなもので水がかけられた。

 

「ぶはっ」

 

 慌てて穴の外に顔を出そうとするのだが、まるで巨人の手に抑えられているようにびくともしない。頭の上からかけられた水は、浅い穴の底に溜まり、水面が鼻の少し下までやってくる。

 

 さらに水──。

 水面が鼻の先に触れた。

 顔が水に浸かる。

 

 恐怖が白清に走る。

 身体を滅茶苦茶に暴れさせる。

 しかし、誰が乗っているのかわからないが、ほとんど白清の身体は動かない。穴に入っている顔は寸度もあげることができない。

 

「や、やめてくれ」

 

 白清は叫んだ。

 しかし、容赦なく三杯目の水が頭の上から注がれる。

 今度、水を入れられたら確実に顔面が水に浸かる。

 

「た、頼む──。やめてくれ──」

 

 白清は絶叫した。

 かけられる水が止まった。

 

「質問に答えるのよ、白清。わたしは、死にたくないかと訊いたわよ」

 

 さっきの女の声だ。

 ここにはふたりの人間がいる。ひとりは、白清の背中に乗って身体を押さえつけている者。

 そして、喋っている女だ。

 

 白清は混乱した。

 どうしてこんなことになったかわからない。

 

 そう言えば、金光院の包囲の指揮をしている途中で、部下のひとりである阮一郎が不審なものがあるので見て欲しいと報告してきたのだ。

 それは金光院から少し離れた路地にあるということで、阮一郎の案内でそこに向かった。

 路地に入ったところで、女の腕のようなもので背後から首を絞められた。

 女の腕といっても、もの凄い力であり、あっという間に白清は意識を失った。

 そして、気がつくとここにいた。

 

 そういえば、阮一郎はどうしたのか──。

 意識を失う直前、阮一郎の冷たい視線を見た気がする。

 いったい、どういうことなのか?

 

「質問に答えろとわたしは言ったのよ」

 

 女の声がして、頭に水がかかり始めた。

 

「う、うわぁ──。し、死にたくない──。死にたくない──。ひいっ──」

 

 白清は叫んだ。

 少しずつだが確実に水面は上がっていく。

 鼻の先に触れるだけだった水面が、鼻の孔のぎりぎりまでやってきた。

 

「そう、やっぱり、死にたくないのね。安心したわ。死にたがっている軍人をうっかり捕まえちゃったかと思ったから……。殺して、別の将校を見つけて連れてくるのも大変だしね」

 

 女の声──。

 

「げ、阮一郎か? お前なのか?」

 

 白清は背に乗っている人間に向かって叫んだ。

 これだけの力だ。男ではないだろうか。

 あのとき、近くにいた男は阮一郎だけだった。

 後ろから首を絞めた気配は、女のような気配があった。

 だから、背に乗っているのは阮一郎ではないかと思った。

 しかし、なぜ、阮一郎が白清を殺そうとしているのか──? 

 それに、ここはどこなのか?

 白清の頭は懸命に事態を把握しようと思考を巡らせた。

 

「阮一郎って、誰さ?」

 

 背中に乗っている人間が喋った。

 白清は驚いた。

 それも女の声だったからだ。

 

「さっき、殺した兵のことじゃないの?」

 

「ああ、そうか」

 

 女たちがそう会話をした。

 殺した──?

 どういうことだ──?

 阮一郎は殺された……?

 

「白清……? 白清隊長でいいのね、あなたは?」

 

 再び最初の女が言った。

 女がふたり──。ここにいるのはそれだけのようだ。

 そして、ここはどこかの地下……。

 

「ここはどこだ?」

 

 白清は言った。

 不意に頭の上に足が乗った。

 水面に顔面が浸けられる。

 白清はもがいた。

 頭を上げようとする。

 しかし、首と頭を押さえている腕も、頭を踏んでいる脚もどかない。

 暴れることで鼻と口から泥水が入ってくる。

 しかし、入ってくるのは水だけだ。

 空気はない。

 

 しばらく耐えていたが、やがて限界がやってきた。

 全身の力を振り絞って暴れる。

 しかし、やっぱりびくともしない。

 顔は水面に浸けられたまま動かない。

 鼻から入ってくる水──。

 

 白清は水中で悲鳴をあげた。

 それでも水面に浸けたままの顔をあげさせてもらえない。

 脅しではない──。

 本当にこのまま殺そうとしているのだとわかった。

 身体中が恐怖に包まれる。

 手で頭を押さえているものを外そうと思った。

 もちろん、手は動かない。

 背中で縛られているのだ。

 

 どろりとしたものが意識を覆い始める。

 生きる方法──。

 水を……。

 水を飲めばいい──。

 

 白清は最後の力を振り絞って口を開けて水を飲んだ。

 泥の味がしたが構わない。

 遠くなる意識の中で大量の水を腹に入れた。

 すると、やっと鼻の孔が水面の外に出た。

 

 懸命に白清は鼻の前の空気を必死に身体に吸い込んだ。

 しかし、次の瞬間、容赦なく新しい桶の水が頭の上から注がれた。

 再び白清の鼻は水中に没した。

 水を飲んだが、今度は最後まで飲み干す力は出てこなかった。

 

 だんだんと意識がこぼれ落ちていった……。

 不意に頭の上の足がなくなった。

 髪が引っ張られて、水面に顔が出される。

 白清は身体を反らせて咳込みながら、しばらく激しい呼吸を続けた。

 

「水の音が聞こえるかしら、隊長? ここは金光院の地下に通じる地下道よ。この地下道の側溝には水路があって、いくらでも水は追加できるわ。あんたたちは、金光院の地下も探索したらしいけど、あそこからこんな風に国都の地面の下を走る地下道に通じていたのはわからなかったようね。まあ、用心深く通路は隠されているから無理もないけど……」

 

 さっきから訊問を続けている女が言った。

 白清はなにも答えられなかった。

 声が出てこないのだ。

 それよりも、恐怖だけが支配していた。

 

 殺される──。

 こいつらは容赦なく白清を殺すだろう。

 さっき、阮一郎を殺したと口を洩らした。それも嘘ではないに違いない。

 

「何度も説明しないわ。わたしの質問にはすぐに答える──。それが生き残れるための唯一の条件よ。いいかしら? 死にたくなければ、質問には即答することね。わたしたちも必死だし、時間はかけたくないの。それから、何度も同じ質問をするのも好きじゃない。嘘を言われのもね。嘘を言えば、わかるわ。よく考えて答えてね。これが最後の機会よ。次に言い淀んだり、それから、嘘を言ったのがわかったら、顔はあげさせないわ。わかった?」

 

「わ、わかった……」

 

 白清はやっと言った。

 

「いい返事ね、隊長──。あなたは白清という名ね?」

 

「そうだ」

 

「あなたが指揮をしている隊の名は?」

 

 白清は自分の部隊名を答えた。直接の上官の名や主立つ部下の名も質問されたので、それも正直に答えた。

 

「そうやって、正直に素直に答えてくれればよかったのよ。さっきはごめんなさいね。苦しかったでしょう?」

 

 女が言った。

 白清は頷いた。

 

「もしも、正しくない答えをあなたが言えば、また、水を足すわ。満足する答えをしてくれたら解放する……」

 

「しょ、正直に答えている……」

 

 白清は言った。

 それにしても、頭を押さえている女の手はまるで万力のようだ。

 白清が全身の力をこめて暴れているのに、びくともしないのだ。本当に女の力なのか……。

 

「この金光院の襲撃を指揮したのは誰?」

 

「ほ、奔破児殿だ」

 

 白清は言った。

 

「どんな男? なんでもいいわ。知っていることをすべて喋りなさい。顔立ちや、生い立ち。職名。どんな性格で、家族はいるのか──。とにかく、知っていることを話すのよ」

 

 知っていることといっても大したことは知らない。

 女のような綺麗な顔をしているが、実際はとても残酷なことを平気でやる。

 職名も知らない。

 正式の指揮官ではない。

 しかし、司令官でもないのに、宰相から城郭軍の指揮権を得る書類を持っていて、軍を好きなように指揮できる。

 それだけの権限を与えられているようだ。

 家族がいるかどうかなどわかるわけがない。

 白清は自分の知る限りのことを思い出すままに言った。

 

「……それから術遣いだ」

 

 最後にそう言った。

 

「術遣い?」

 

 女は激しい興味を覚えたようだった。

 それは口調からわかった。

 

「どんな術遣いだよ?」

 

 質問をしたのは背中の女だ。

 

「よくは知らない……。ただ、精を放つことで──」

 

 相手が女の道術遣いなら、女陰に精を放つことで、その術遣いの魔力を一時的に封じることができる。

 ただし、一日だけのことだ。

 どういう仕掛けになっているかなど白清には想像もできないが、いつ精を放ったかに関わらずに、精による術封じは朝まで効果が続く。

 朝になりもう一度精を抽入すれば、女の術遣いは翌朝まで、再び道術が封じられる。

 これまでも奔破児がそうやって、術遣いを取り調べるのに接してきた。

 女たちはびっくりしたようだった。なにか小声でひそひそと話し合っていた。

 

「……精を与えることで魔術を封じるなんて驚きだけど、相手が男だったらどうするの?」

 

 訊問を続けている女が言った。

 

「男にも穴はあるさ。それでも効果は変わらないらしい」

 

 実際のところ、女みたいな顔をしているので、相手が男でもそうおかしいというような感じはしない。女のような見た目が嫌で、逆に奔破児は、無理をして凶暴性を表に出しているのではないかというような気さえする。

 

「ご主人様……いえ、金光院にいた女の魔術遣いにも、そうやって精を放って魔術を封じたのかしら?」

 

 女が言った。

 

「そ、そんなことは知らない……。う、嘘じゃない──。い、いや、そう言えば、金光院を制圧した直後に、あそこの地下に道術でやってきた娘がいたな。そいつには、精を放ってその場で術を封じたようだ」

 

 白清は言った。

 その後、よってたかって周囲の兵で輪姦をした。

 その騒ぎは知っている。気配を察して白清も見にいった。

 なかなかの美形で可愛らしい顔立ちをした娘だった。

 なによりも舌の技が最高だった。

 白清も輪姦に参加したが、口で奉仕させたらあっという間に、あの娘の口の中を精で汚してしまった。

 

 それからも言葉を変えて奔破児について詳しく訊ねられたが、白清にはそれ以上の知識がない。

 やがて、女たちも奔破児について、白清から新たな情報を得ることを諦めたようだ。

 

 そして、次に軍の組織のことや軍営の中のことを質問された。知っていることはすべて正直に答えた。

 軍営の中の牢がどうなっているのかと知りたがっていたので、棟になっている牢のほかに、軍営の下には、かなり広い地下牢があることも教えた。

 地下になっている牢の上側は、兵たちの営舎であり、大勢の兵が寝泊りをしている建物の下に地下牢があるのだ。

 

 それで終わりだった。

 突然に背中に乗っていた女が身体から降りて、顔を穴の外に出された。

 眼の前に栗毛の美しい女がいた。

 その女がさっきから白清を訊問していたのだ。

 その女の美しさと、白清の顔を水に浸けたときの残酷さが合致しなくて、白清は戸惑った。

 

「いろいろと教えてくれてありがとう」

 

 突然、その女が白清の顔を両手で包んだ。

 そして、びっくりしたことに、その女がいきなり口づけをしてきた。

 舌が白清の口の中に入ってくる。

 白清の唾液が啜られて、その女の唾液と混じり合う。

 その女の口が離れる。

 白清は呆然としていた。

 しかし、次の瞬間、さらに驚愕した。

 さっきまで栗毛の女だった顔が白清そのもの顔に変わっている

 どういうことなのだろう──?

 

「本当は殺してしまおうと思ってけど、素直に喋ってくれたので三日ほど眠ってもらうだけにするわ──。もっとも、こんな誰も知らない場所で、放っておかれたらどうなるかわからないけどね……。運がよければ、助かるかも……。あんたの部下と一緒に眠りなさい」

 

 口調は女だが、声は男だ。白清の声のような気がする。

 なにかが口の中に放り込まれて口を塞がれた。

 それがなにかの粉末だと気がついたのは、唾液とともにそれが体内に入ってからだ。

 次第に薄くなる意識の中で白清は、自分の身体が拘束されたまま、箱のようなものに押し込まれようとしていることがわかった。

 

「とにかく、さっき眠らせた阮一郎だかとかいう兵の唾液をすすって、あなたも『変化の指輪』で王兵に化けてちょうだい、孫空女。そして、軍営にふたりで潜り込もう……」

 

 もう視界は消えかけている。

 最後に聞いたのは、訊問係の女が、もうひとりの女にそう告げた言葉だった。

 

 

 

 

(第36話『女奴隷の叛乱・前篇』終わり、第37話『後篇』に続く)





 *


【西遊記:第62回、祭賽国・前篇(奔破児覇、覇破児奔)】

 一行は祭賽国(さいさいこく)にやってきます。
 その城郭のあちこちでは、鎖や枷をつけられたまま乞食のような格好で食べ物を乞いている僧侶たちが大勢いました。
 その中のひとりに事情を訊ねると、蘇の乞食僧侶が玄奘たちを古寺に案内します。

 古寺は「金光院」という廃寺のような場所でした。
 金光院の僧侶たちは玄奘がやってきたことに驚きます。それは、昨夜全員の夢のお告げがあり、この窮地を救ってくれる者がいるという啓示を受けたからでした。その夢の中に救い主として出てきた人物が玄奘の姿そのままだったのです。

 そして、僧侶たちは自分たち祭賽国の金光院の僧侶がこのような難儀に遭っているのは、祭賽国の国王による処罰だと説明します。
 つまり、この国の繁栄の象徴だった宝物が長く金光院の塔にあり、それがある日突然に失われ、それはこの国の僧侶たちが盗んだというのです。
 国王は、それを金光院の住職の仕業と断定して捕らえ、拷問をして自白させて処刑し、残った僧侶に枷をつけて暮らすという罰を与えたというのです。 
 しかし、それは濡れ衣だと主張します。
 そもそも、失われた宝物もいまだに見つかっていないと言います。

 玄奘はその理不尽を怒り、孫悟空たちに事態の解決を命じます。
 孫悟空は、とりあえず、失われた宝物だという「玉」を探すことにします。
 そして、金光院の塔にのぼったところで、奔破児覇と覇破児奔という二匹の妖魔を見つけます。
 孫悟空はあっという間に、その妖魔を取り押さえ、その妖魔たちが乱石山の碧破潭を棲み処とする龍王の家来だと自白し、その娘と夫が金光院から宝物の玉を盗んだと白状します。
 孫悟空に連れられた二匹は国王の前でそれを自白し、国王は金光院の無実を認め、ただちに罰を解きます。
 孫悟空は、盗まれた宝物を取り戻すために、碧破潭に向かいます。
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