孫空女は死を覚悟して、眼をつぶった──。
しかし、そのとき、この岩室の入口の方から、がたごとという音がした。
「おっ、もう、
七絶が呟いて、針を引っ込めた。
「駝濫ってなんだよ?」
孫空女は言った。
「お前らを売り渡す奴隷商人の仲介をしてくれるところだ。命拾いしたな、孫空女。お前を味わうことができなかったのは残念だがな。それとも、どこかの妓楼の奴隷女として、お前と遭うことになるのかな。その時にはすっかりと調教されて、いまよりも扱いやすくなっているといいな」
七絶は笑いながらそう言い、下着と下袴を履き直して、毒針を片づけにいく。
とにかく、死なないで済んだようだ。
とりあえずほっとした。
すぐに、部屋に誰かがやってきた。
七絶の言葉によれば、自分たちを奴隷商人の売り渡す連中なのだろう。
しかし、やってきたのは、長い下袍を履いたふたりの女だ。
ふたりとも美人であり、腰に剣を佩いている。
前に立っている女はすでに剣を抜いていた。
後ろ側のひとりの女は二本差しだが、まだ剣は抜いていない。
「お、お前ら──。た、確か、
七絶がびっくりしている。
どうやら、奴隷商人に関わりのある連中じゃないようだ。
剣を抜いているのは、李春という名の女ようだ。どこかで聞いた名のような気がする。
「わたしのところに来るはずの客人が来ているはずよ、七絶。ここに連れ込まれたのを見た者がいてね。慌てて迎えに来たのよ」
李春が言った。
そして、部屋を見回す。
李春がこっちに顔を向けたとき孫空女と視線が合った。
「あんたは孫空女だね?」
李春と呼ばれたが言った。
「そ、そうだよ──。あっ、そうか、李春って……」
やっと思い出した。
そういえば、これから訪ねていくと沙那が言っていた掲陽鎮の女侠客の名が李春だ。
「わたしのところに来るんだったんじゃないの、孫空女? なに、こんなところで道草食ってんよ」
李春が微笑んだ。
「好きで食ってんじゃないよ」
孫空女は言い返した。
「……拘束を解く鍵を出しなさい、七絶」
李春が七絶に顔を向け直した。
「おい、李春、どういうつもりだい。これは俺の獲物であり、お前に関係ない……。ひぎゃああぁぁ──」
七絶が不満そうになにかを言い始めるとすぐに、李春の剣が動いた。
次の瞬間、七絶の右耳が顔から離れて吹っ飛んだ。
顔の横を血まみれにした七絶が、その場にうずくまって悲鳴をあげた。
「鍵を出すんだよ、七絶」
李春がうずくまる七絶に、剣を突きつける。
七絶の顔が真っ青になり、腰に提げていた袋から鍵束を出した。
李春がそれを取りあげて、もうひとりの女に鍵を投げる。
「
「ええ」
張天女と呼ばれた女が、孫空女のところに鍵束を持ってやってきた。
首輪、足枷、手錠の順に外される。
「大丈夫?」
張天女がちらりと孫空女の股間に眼をやった気がした。
張形になぶられて一度気をやった股間を見られるのは恥ずかしかったが、なぜか、張天女の方が顔を赤らめている。
「なんとかね」
孫空女はやっと自由になった身体を擦りながら言った。
「とりあえず、服を着るといいわ。すぐに、ここを出るから」
張天女が宝玄仙たちの方に行く。
孫空女は、七絶が集めていた自分たちの荷から、脱がされてひとまとめにしてあった服を見つけて、身につけ直した。
そして、残りの三人の分の服を抱えて、三人に向かう。
「李春、薬を飲まされている。目を覚まさないわ」
張天女は李春に言った。
「七絶、気付け薬を出しな」
李春がまだうずくまっている七絶に言った。
「そ、そんなものねえ。眠り薬が覚めるのを待つしかねえよ。三日もすれば起きるだろうさ」
七絶が怒ったように叫んだ。
次の瞬間、七絶の残っていた反対側の耳が斬り飛んだ。
「ひぎゃあぁぁぁ──」
七絶が両方の耳があった場所を押さえてのたうち回った。
「次は鼻を削ぐよ。その次はどこにしようかねえ……。お前の肉棒にするかい?」
李春が剣をまた動かした。
「や、やめろっ」
剣を斬りつけられた七絶が悲鳴をあげた。
しかし、李春が切り裂いたのは、七絶が履いていた下袴だ。
七絶の下袴の腰の両側の部分を下着ごと切り裂いた李春は、手を伸ばして、七絶の腰からびりびりになった下袴を取り去った。七絶の下半身は膝から下を残してなんにもなくなる。
「時間を稼いで、駝濫一家のところの連中がやってくるのを待ちたいんだろうが、そうはいかないよ。お前がここで、強盗と奴隷狩りのような薄汚いことをしているのは噂で聞いている。それに、駝濫ところの連中が絡んでいることもね。だけど、時間稼ぎしているうちに、お前の鼻もその腰の粗末な道具もなにもかもなくなるよ」
「で、でも、李春、薬は……」
李春が剣を振り、七絶に斬りつける。
七絶が悲鳴をあげた。李春の剣が七絶の顔の前でぴたりと止まる。
「手も足もなくなった胴体と頭だけの格好で、駝濫の連中と会いたいかい、このすかたん──」
李春が啖呵を切った。
孫空女でも李春に呑まれてしまうような大変な迫力だ。
「だ、出す。気付け薬を出す……。こ、殺さないでくれ」
七絶が血だらけの頭を抑えながら、奥の戸棚に向かった。
「こ、これがそうだ……。これをひと口ずつ飲ませれば十分だ」
七絶が差し出した瓶を張天女が取りあげた。
「ま、待って、張天女──。まず、あたしが飲むよ」
孫空女も、眼が覚めたとはいえ、まだ、眠り薬の影響が残っている。
そして、七絶が腹いせに、気付け薬だと言って、毒薬を渡す可能性もある。
張天女も孫空女の意図を読んだようだ。
孫空女に瓶を手渡す。
「待って、孫空女」
李春の声──。
振り返ると、李春が七絶の胸に剣先を突きつけている。
「わかっているね……、七絶。もしも、あれが気付け薬じゃなかったら、その瞬間に殺すからね」
「う、嘘じゃねえ」
七絶が言った。李春が頷いた。
孫空女は瓶に口をつけて、ひと口分飲んだ。
しばらく待つ。身体に力が戻ってくる。
「間違いないよ、大丈夫」
孫空女は頷いた。
瓶を持って、まずは宝玄仙のところに向かう。
眠っている宝玄仙の身体を抱く。
瓶から薬を飲ませようと思ったが、うまくいきそうもないので、まず、自分の口に含み、口移しで宝玄仙の喉の奥に入れた。
宝玄仙が動き出すような反応があった。宝玄仙をもう一度床に寝かせて、沙那、朱姫にも同じように気付け薬を飲ませる。
ふたりとも、すぐに身じろぎしだした。
目を覚ました宝玄仙が上半身を起こした。
「大丈夫かい、ご主人様?」
「……これは、どういうことだい、孫空女?」
周りを見回しながら宝玄仙が言った。
「あたしらは、この七絶に眠り薬を飲まされて捕まっていたんだよ。この李春と張天女が助けてくれたのさ」
孫空女は言った。
そして、宝玄仙に着させるための服を持って宝玄仙のところに向かう。
宝玄仙を立ちあがらせて下着を履かせる。
次は胸当てだ。乳房に当てて背中に回り、留め金をする。
その間、宝玄仙は脚を上げたり手を動かしたりしているが、自分ではなにもしない。
そんな様子の宝玄仙と孫空女を李春と張天女が興味深そうに見守っていた。
「お前が李春かい?」
孫空女に服を着させながら、宝玄仙が言った。
「そうです。あなたたちのことは、宋江殿や晁公子殿から聞いています。面倒を看てくれってね。別に彼らに義理があるわけじゃないけど、宋江殿の頼みなら断れません。わたしの屋敷に来てください。夜道になりますが案内します」
李春が言った。
「いまは、夜なのかい?」
「すっかりと」
李春が微笑んだ。
「これはどういうことなの?」
沙那も目を覚まして言った。
振り向くと沙那と朱姫が身体を起こしている。
ふたりともそばに置いた服に手を伸ばして着ようとしている。
「うわっ」
朱姫が血だらけで部屋の隅にしゃがみ込んでいる七絶を見つけて声をあげた。
宝玄仙の衣服を整え終わった孫空女は、三人に簡単に事情を説明した。
沙那と朱姫も、それを聞いて驚いていた。
「とにかく、ここを出るわ。こいつは、すでに仲間を呼んでいるのよ。ここで鉢合わせすれば、ちょっと面倒なことになるわ」
李春が七絶を見ながら言った。
「この爺いに変装していた人浚い男に仲間がいるのかい、李春?」
宝玄仙が言った。
「駝濫一家という悪党どもよ。
李春は大きな声で七絶に叫んだ。
「こ、こんな駝濫一家に立てつくようなことをして、わかっているんだろうなあ、李春。いくら、お前があの李龍の娘でも、いまはなんの後ろ盾もないただの女なんだぜ。しかも、李家なんか、先代の李龍のときは羽振りもよかったが、いまの頭領の李保は腰抜けだし……」
七絶が恨みの籠った眼で李俊を睨んだ。
「やっぱり、鼻も削いでおくかねえ……」
李春が凄みのある声を出しながら、ずいと七絶に進み出た。
「ひいっ」
七絶が悲鳴をあげた。
「ふん、意気地もないくせに、一人前の口をきくんじゃないよ、七絶──。青おろちに言っておきな。この人たちは、わたしの客人だってね。わたしの客人に手を出すから、こんなことになるんだ。この人たちだけじゃない。わたしに関わるものに手を出したら、この李春が、駝濫であろうが、青おろちであろうが容赦はしないってね──」
「青おろち?」
沙那が口を挟んだ。
「駝濫一家のところの糞頭領さ」
李春が吐き捨てるように言った。そして、再び七絶を睨みつける。
「それから、わたしは、もう李家とは関わりはないんだ。だから、いくら駝濫の連中が李家の縄張りを荒らして、酷いことをやろうと知らぬ存ぜぬをしてきたんだよ。だけど、駝濫がわたしのものに手を出したら別だよ。相手が誰であろうと、この李春が黙っていない。その代わり、わたしのものでなければ、連中がなにをどうしようと知らないってね」
李春はそう言って剣を鞘に収めた。
「とにかく、出ましょう、宝玄仙殿」
李春は言った。
「わかったよ、李春。沙那と孫空女は、荷を急いで片付けて出ておいで。それから、朱姫は、その悪党を拘束して一緒に外に連れておいで」
宝玄仙が言った。
孫空女は沙那とともに、ばらばらにぶちまけられている荷を葛籠に押し込み始める。
七絶が呻き声をあげた。
顔をあげると朱姫と張天女が、ふたりで協力して、一応の止血をしたあと、下半身丸出しの七絶の両手を後手に回して手錠をかけた。
さらに足首にも、どこからか探し出してきた足枷をかける。
足枷には、歩くには支障がないくらいの鎖の余裕がある。
そして、鎖のついた首輪を嵌めた。
「おいで」
朱姫が首輪の鎖を引っ張った。
「朱姫、引っ張るところが違うよ」
じっと朱姫たちのやることを見守っていた宝玄仙が言った。
「あっ、そうか。わかりました、ご主人様」
朱姫は持っていた鎖を手放して、こっちで整理をしている荷のところまでやってきて長い細紐を持ていった。
「……また、始まったわ。黙って連れていけばいいじゃない。時間がないって、言われているのに……」
横で孫空女と一緒に、荷を片づけながら朱姫と宝玄仙のやることを見ていた沙那が、口の中でそう悪態をついた。
「お、お前、なにすんだ、やめんかぁ──」
七絶が叫んでいる。
朱姫が七絶の股間の根元に、さっきの細紐を強く結び付けたのだ。
「さあ、ご主人様、準備ができました」
朱姫がわざとらしく恭しい振舞いで紐の先端を宝玄仙に渡す。
「うむ……。ご苦労──。では、いざ参ろう」
宝玄仙もおどけて受け取ると、ぐいぐいと紐を引っ張って、朱姫とともに外に出ていった。
七絶が肉棒を紐で引っ張られる痛みと恥辱で喚きながら、店の外に向かって歩いていく。
そのさらに後ろを呆気にとられた表情の李春と張天女が続く。
沙那が嘆息した。
とにかく、やっと荷を片づけ終わり、荷を抱えて店に方に出ていくと、店の中で朱姫と張天女が酒や油など、とにかく、燃えやすいものを手当たり次第に、店の中にぶちまけていた。
「なにしてんの?」
孫空女は声をかけた。
「とにかく、ご主人様がそうしろって言うんです」
朱姫が応じた。
店の外に出ると、確かにもうすっかりと夜だ。
峠の街道を挟んで店の反対側には、小さな木に男根に結び付けられた紐の先を結ばれた七絶が、立たされていた。
わざとらしく、七絶の性器の根元を結んでいる紐は、紐は樹の高い部分に繋げられているので、七絶はうずくまることもできずに意気消沈したようにうな垂れている。
李春と張天女が持ってきたと思われる燭台が地面に置いてあり周囲を照らしている。
沙那も荷から燭台を出して準備をはじめた。
孫空女は宝玄仙を見た。
宝玄仙は、夜闇の中で店に向かって立ち、じっとなにかに集中していた。
孫空女は、宝玄仙の身体から店の両側の二本の樹木に向けて、霊気が流れていることがわかった。
おそらく、あの二本の樹木を霊具にして、道術をかけるつもりなのだろう。
普通、道術的なものではない自然物や道具に道術は通用しないが、霊具作りの天才である宝玄仙は、それらを一度霊具にして、そして道術をかけるという方法で、時間さえかければ、なんでもないものに道術をかけることができる。
おそらく、それをやっている。
宝玄仙の横では、なにをしているのか理解していないのであろう李春が、不思議そうな顔で宝玄仙のやることを見守っている。
朱姫と張天女のふたりが店から出てきた。
「孫空女、あの樹を店側に倒しな」
宝玄仙が言った。
「わかった」
孫空女は『如意棒』を抜いて伸ばし、樹木に向かう。
「うりゃぁ」
孫空女が『如意棒』を樹木の根元に向かって振り下ろした。
大きな音がして、根元を真っ二つに割られた樹木が倒れて、店の屋根を潰した。
「うわぁ」
大きな悲鳴をあげたのは、道の向こうに繋がれている七絶のものだった。
李春と張天女らしい声が息を呑む音も聞こえた。
もう一本についても、叩き折って店側に倒す。
「孫空女、離れな」
二本目が倒れると同時に宝玄仙の声がした。
孫空女は慌てて店から離れる。
次の瞬間、二本の樹木が大きな音をたてて燃え始めた。
「ひゃあああ……」
「す、凄い……」
李春と張天女が驚きの喚声を上げた。
「これで、もう、ここで悪いことはできないさ──。行くよ」
宝玄仙がすたすたと歩きだした。
「ちょ、ちょっと待ってよ、ご主人様」
慌てて後を追う。
そのまま、連れだって六人で夜道を下った。
先頭は孫空女と案内役の張天女だ。
張天女は燭台を持っているが、孫空女は夜目が利くので無用だ。
その後ろを宝玄仙と李春が話しながら歩いている。さらに、朱姫。沙那は、最後尾から荷を抱えて燭台をかざしてついてくる。
「ねえ、もしかして、あの宿町でわたしたちに警告をくれたのは、李春さんの仲間?」
沙那の声が後ろから聞こえた。
「李春と呼び捨てでいいよ……。わたしというよりは、張天女の手の者ね。この街道であんたらが来るのを待って見張っていたのも張天女の息がかかった者よ。だから、あんたらが七絶に捕らえられたのが、わたしにいち早く伝えられたのよ」
李春が言った。
「恩に着るよ。どうやら、孫空女も危機一髪だったようだし」
宝玄仙だ。
「なあに、大事な客ですから。とにかく、これからちょっと面倒になるかもしれません。あなたらの手配書は、もうあちこちに出回っています。それに、これで駝羅一家ともいざこざを起こすことになりそうだし……」
李春が宝玄仙に向かって言った。
「駝濫一家とは?」
質問したのは沙那だ。
「掲陽鎮一帯を牛耳っている侠客よ、沙那。実は、掲陽鎮には、大きな侠客が三家あってね。それぞれが縄張りを持って競い合っているのよ。三つといっても、
「つまり、李家、蛇濫家、穆家の三家の侠客があり、実質的には李家と蛇濫のふたつが対立しているということ?」
「特に蛇濫の連中は、さっきみたいに奴隷商売なんて手を出して、結構、儲けているわ。それで、勢力を拡大しているの。もともとは、掲陽鎮は李家一家で全部を支配する場所だったんだけど……。いまの李家の頭領になってから押され気味で……」
「そういえば、お前は、その李家の前の頭領の娘だと、あいつが言っていなかったかい、李春?」
宝玄仙が口を挟んだ。
「聞いていましたか、宝玄仙殿。そうです。先代の当主の李龍のひとり娘の李春です。でも、もう、まったく縁を切っています。いまの頭領は李保という男です」
「意気地なしかい? そんなことを七絶がほざいていなかったかい?」
「意気地なしかどうかは……」
李春が苦笑したような声をあげた。
「……ただ、少し、気が弱いかもしれません。あまり、人と諍いを好む男ではありませんね。侠客の頭領には向かないかも……」
李春は言った。
「だったら、お前が頭領になればよかったんじゃないかい? さっきの啖呵は見事だったよ」
宝玄仙が言った。
「わたしは女ですから」
李春が言った。李春の口調はなんとなく寂しそうな響きがあった。
「それがどうかしたのかい? 女がどうしたんだい?」
「それがすべてなんですよ。この祭賽国では」
李春が言った。
「ところで、大見得を切っていたけど、お前が李家という侠客の一家から離れているんなら、その駝濫とかいう連中と正面切って大丈夫なのかい?」
「……あなた方はなんとしても守りますよ」
李春は宝玄仙の質問には直接は答えずにそう応じた。
「ところで、公主の手紙によれば、あなた方は、船で
李春が話題を変えた。
「まあ、それがわたしたちの希望さ」
「だったら、十日ほど、わたしの屋敷に滞在してもらうことになると思います。わたしの船は商売にも使っていまして、準備ができるまでに日数が必要なんです」
「それはありがたい話だね。じゃあ、遠慮なく厄介になるよ。ところで商売ってなんだい、李春?」
「商いですよ。船を使って、物が余っている場所からそれを買い、それが必要な場所に運んで売る。それで儲けるんです」
「なるほど」
宝玄仙が興味なさそうに言った。
そのとき、孫空女は、街道を前からやってくる一団の気配に気がついた。
「なにか来るよ──」
孫空女はそう言って、耳から『如意棒』を持って身構えた。
他の者にもそれぞれに緊張が走るのがわかった。
やがて、はっきりと連中の姿が見えるようになった。
こっちに向かってくるのは、十数騎ほどの騎馬の集団だ。
最後尾には大きな樽を積んだ荷駄馬車がついてきている。
「おい、とまれ」
その集団がここまでやってきたとき、先頭の騎馬がそう言った。
馬を降りた数名の男たちがこっちを囲んで、持っていた灯りを顔に突きつけた。
「眩しいよ。あんたらは青おろちのところの三下だね。わたしは、李春だよ」
李春が前に出て言った。
「李春?」
李春だというささやき声が向こうから聞こえ出す。
「わかったら、道を開けてよ。わたしらは、急ぐのよ」
李春が先頭になって前に進もうとした。
しかし、それを馬に乗った男が行く手を阻む。
「待てよ、李春」
前を阻んだ騎馬の男が李春を見下ろして言った。
小柄で貧相な顔をした男だ。
眼つきが怪しく、こすっからい鼠みたいな男だと思った。
「へえ、
李春がその騎馬の男に向かって言った。
そして、駝濫一家の頭領の弟だと、こっちに向かって小声でささやいた。
「そうだ。それよりも、こんな夜道でなにをしているのか質問していいか、李春?」
「客人を案内して屋敷にいくところだよ、小太坊。それに、あんたらには関係ないでしょう。道を開けな」
「四人だな」
小太坊がこっちを見回しながら言った。
「あっ、兄貴、あれっ」
ひとりが叫んだ。
叫んだ方向は、七絶の店があった方向だ。
孫空女も振り返ってみると、あの店が燃えている炎がここからも見える。
「お前たちの仕業か……?」
小太坊が凄みのある声で言った。
この小太坊以外の男たちが、わらわらと馬から降りてくる。
そして、十人ほどが寄って来てこっちを囲んだ。
彼らが剣を次々に抜く。
残りの十人くらいは荷馬車の後方にいる。
「さあね。知らないよ──。それよりも、この李春に向かって剣を抜くとはどういうことさ」
李春は声をあげた。
「それよりも答えろ。あの炎について知らないわけがあるか。七絶はどうした──?」
小太坊とは別の男が怒鳴った。
「自分らで行って確かめればいいじゃないか。火遊びで店を燃やしてしまって、道端で途方に暮れているんじゃないかい?」
宝玄仙が冷やかすように言った。
「もしかしたら、男の道具の根元を紐で縛られて、立木にでも繋がれているかも」
朱姫が続けた。
「ふざけやがって」
男たちが色めきだった。
「待て、待て、待て──」
それを馬上の小太坊が嗜めた。
「なあ、李春、話し合いをしようじゃないか」
小太坊が言った。
「話し合い?」
「そうだ。話し合いだ。俺たちは七絶から連絡をのろしで受けて、あいつが手に入れたという奴隷を買い取りにいくところだ。人数は四人だ」
「四人がどうしたんだい――?」
李春が不機嫌そうに怒鳴る。
「ところが、ここから見る限り、その七絶の店は燃えていて、ここにはお前と、張天目の娘のほかに、四人の女がいる。もしかして、間違ってお前は、俺たちが買い取るはずの女を連れ出したんじゃないかと思ってな」
「なにが間違ってだよ──。あんたら駝濫の連中が、罪のない旅人を浚っては、奴隷にして売り飛ばしているのは知っているよ。恥を知りな」
「なんで恥を知る必要がある、李春。ちゃんと許可を受けた奴隷売買だ。地方政府の許可証もあるんだぜ」
小太坊だ。
「冗談じゃないよ。旅の女を勝手に奴隷にするのは犯罪だよ」
李春は声をあげた。
「確かにな……。もしかしたら、七絶は犯罪をしているのかもしれん? だが、それを知らずに奴隷を買い取ることは合法だ。そして、一度買い取れば、それは奴隷だ。言っている意味がわかるか、李春?」
「はあ――?」
「俺たちは、七絶から奴隷を買い取っている。しかし、七絶がどうやってその奴隷を手に入れているかは知らん。もしも、七絶が旅の女を奴隷にするために浚っているのなら、それは七絶の罪であって、俺たちの罪ではない」
「ちっ──」
李春が舌打ちした。
「とにかく、この四人は、わたしの客人だ。指一本触らせないよ」
すると、小太坊が手をあげた。
いままで荷駄馬車の後ろに隠れていた男たちが出てきた。
ぎょっとした。
十人とも鉄砲を持っている。
あの女人国の国都の近くで襲われた武器だ。それが十丁──。
剣を構えている男たちの身体越しに、鉄砲を持った男たちが銃口をこっちに向ける。
孫空女は焦った。
これはさすがに避けられない。
しかも、この至近距離──。
剣や棒は意味がない。
飛びかかろうにも、手前の剣の男たちがいるから飛びかかれない。
鉄砲の火縄には全て火が付き、銃口はまっすぐにこっちを狙っている。
射撃されれば、外しようのない距離だ。
「話し合いに応じるな、李春。お前たちは、俺が買い取るはずだった奴隷を間違って連れてきた。そうだろ? 俺は別に李春と争いたいわけじゃない。お前も、俺たち争いたくはない……。そうだな?」
小太坊が勝ち誇った声で言った。
李春の歯ぎしりの音が聞こえた。
「い、嫌だと言ったら?」
やがて、李春が言った。
「お前と張天目の娘、そして、奴隷が死ぬ──。お前が間違って連れて来たと認めるなら誰も死なない。奴隷四人は俺たちが生きたまま連れていく。考えるまでもないと思うがな」
小太坊が笑った。