※この作品はR-18です。

嗜虐西遊記【完結】   作:ドン・ドナシアン

26 / 819
26  黒風山の戦い

 山道を登りながら、凌虚子(りょうきょし)は、さっきから感じている違和感に、またまた首をひねった。

 

 つけられている……?

 

 そんな気がするのだ。

 だから、何度も後ろを振り返ったり、ときには、わざと回り道をしたり、物陰に隠れてみたりするのだが、そのたびになんの変化もないので、気のせいかと思う。

 

 しかし、しばらく進んでいると、やはり誰かにあとをつけられている気がしてならなくなるのだ。

 

 それを繰り返していた。

 

 黒風山の奥地に進む山道であり、凌虚子は黒風怪(こくふうかい)という黒風山の主に呼び出されて、仙丹(せんたん)を届けにいくところだ。

 仙丹とは、一時的に霊力を拡大する道術薬であり、凌虚子は薬法師として、仙丹作りを得意としていた。

 黒風怪から伝えられた注文は、ありったけの仙丹を持って来いということだ。

 

 凌虚子は定期的に黒風怪のところに、仙丹を届けるということをしていた。黒風怪は妖魔だが、仙丹のお得意様だ。

 払いも一応はしてくれる。

 しかし、今回は急に大量の仙丹が入用になったらしい。

 それで、凌虚子は黒風怪の洞府と称される隠し里に向かっている。もちろん、いつも通っているので、黒風怪の隠し里の場所は承知している。

 

 たが、結局、もうすぐ隠し里への入り口というところに差し掛かったところで、凌虚子は迷った末に完全に立ち止まった。

 生まれつき、勘がいい。

 

 やはり、やめた。

 

 黒風怪には。平素から絶対に洞府の位置を余人に洩らさぬように念を押されていた。

 うっかりと人間の誰かに知られれば、黒風怪のところに集まっている妖魔が、人間たちの妖魔狩りを受ける可能性があるのだ。

 黒風怪はそれを極度に恐れていた。

 

 凌虚子はくるりときびすを返すと、通ってきた道を引き返し始めた。

 すると、木陰からすっとひとりの武装した女が現れた。

 栗毛の若い美女であり、腰に剣を下げている。

 いきなりのことで、凌虚子は驚いてしまった。

 

「どうして、戻るの? 随分と警戒をしてくれたから、隠れてついていくのが大変だったけど、もう面倒になったわ……。作戦変更よ、孫空女」

 

 栗毛の女が言った。

 

「やれやれ、結局、手荒いことやるのかい、沙那。あまり、強盗のような真似は、気が進まないんだけどね」

 

 すると、反対側……、すなわち、たった今まで進もうと思っていた側の木陰からも、赤毛の美女が登場した。

 つけられているという勘は正しかったようだが、まさか、こんな近くで……。

 しかも、前後に張りつかれていたとは思わなかった。

 凌虚子は驚いた。

 

「なに言ってんのよ、元盗賊団の頭領のくせに」

 

 栗毛が笑った。

 そして、さっと剣を抜く。

 

「う、うわっ、わ、わしを殺すつもりか──」

 

 叫んだ。

 そして、その場に尻餅をついてしまった。

 

「どうかしら……。場合によっては、そうなるかもね。正直に喋れば、命は奪わないわ。黒風怪の洞府の場所を吐きなさい。さもないと……」

 

「喋るよ──」

 

 凌虚子は栗毛の女の言葉を遮ると、すぐにぺらぺらと話した。

 なにかと思えば、そんなことかと思った。

 

「随分と簡単に秘密を洩らしたわねえ。それは誰にも言うなと、黒風怪に念を押されているんでしょう」

 

 栗毛の女は、あまりにもあっさりと凌虚子が黒風怪の洞府の場所を白状したので、意表を突かれたようだ。

 

「そうだが、命をかけてまで守るほどの義理はない。仙丹を買ってくれる貴重な客には違いないがな」

 

 凌虚子は首をすくめた。

 黒風怪を守るために、ほんの少しでも痛い目を味わうことはあほらしい。

 向こうも、そんなことには期待してないはずだ。

 いずれにしても、そろそろ、この土地も潮時だった。

 凌虚子が半妖であるという噂が流れ始め、住みづらくなってきていたのだ。

 こんな山奥の人寂しい場所だが、半妖とわかれば、凌虚子を殺そうと人間が殺到するだろう。

 

 半妖は見付け次第、残酷に駆逐すべし──。

 それがこの国に限らず、すべての人間族の世界の常識だ。

 呪われた存在……。

 それが、凌虚子たち半妖なのだ。

 

 ただ、外見は人間と同じなので、半妖であることを偽って、人間とともに暮らすことは可能ではある。

 しかし、それでも、霊気を読み取ることができる高位の道術師にかかれば、一発でばれる。

 半妖の醸し出す霊気は、人間族とも違い、妖魔とも異なり、独特なのだそうだ。

 だから、半妖が暮らせるのは、道術師などあり得ない田舎だけということになる。

 だが、もしも、道術師がやって来るという話があれば、逃げるようにその土地を去らなければならない。そして、誰も知らない田舎にまた住み着く。

 それを繰り返すのだ。 

 半妖であることが、ばれやしないかとびくびくしながら……。

 それが、半妖と生まれた者の人生だ。

 

 だが、それでも人間族の世界で生きるしかない。

 妖魔のように、角という外見もないので、妖魔の仲間にもなれないからだ。妖魔からすれば、角のない半妖は人間に近いものとされている。

 妖魔として生きることも許されず、人間でもない。

 それが半妖だ。

 

「……嘘はついてないね」

 

 すると、赤毛の美女が言った。

 

「わかるの、孫空女?」

 

 もうひとりの栗毛の女が不審そうに、赤毛の顔を見る。

 

「わかる。あたしはこういうことにかけては、勘がいいんだ」

 

 赤毛の言葉に、栗毛が首をすくめた。

 

「いいわ……。じゃあ、取引きといきましょう。その箱に入っているのは仙丹ね。全部、買い取る。箱ごと置いていって。これで不足するなら、足りない分は、あんたの命が代償よ。不承知なら、あんたを殺して、黙って奪うまでね」

 

 栗毛が金板一枚を凌虚子に放った。

 凌虚子は相好を崩してしまった。

 

「足りないもんか。こりゃあ、すまんな」

 

 凌虚子はありがたく金板を拾った。

 貴重な仙丹だが、観院の観禅蔡にしても、黒風山の黒風怪にしても、霊気を見る力によって、凌虚子が半妖であることを見抜いて、それを世間にばらすと脅されて、仙丹を安く買い叩かれていた。

 こんなに払ってもらったのは初めてだ。

 

「なら、商談成立ね……。じゃあ、始めちゃてよ、孫空女」

 

 なぜか、栗毛がぷっと吹き出す。

 すると、赤毛が不機嫌そうに、顔を赤くした。

 

「あんたの唾液を貰うよ」

 

 赤毛がそう言って、いきなり凌虚子の首に両手を回して、口づけをしてきた。

 凌虚子は目を白黒させた。

 

 

 *

 

 

「いつもの薬法師が来ましたよ、黒風怪様」

 

 洞府の中にある黒風怪の居室に部下がやって来て告げた。

 居室というが、山をくり貫いて築いた巨大洞窟宮殿の王の間といったところだ。

 この巨大洞窟宮殿を作ったのは黒風怪であり、洞窟に張り巡らせた迷宮内につくった部屋に、集まってきた老若男女の魔族たちを住まわせている。

 洞窟であれば、出入り口を隠してしまえば、洞府の場所はわからないし、いざというときには魔族狩りから守りやすい。

 ここを提供する代わりに、洞府内の魔族は、黒風怪に絶対服従の主従の誓いをしてもらう。

 そういうことにしていた。

 だから、ここが「王の間」ということだ。

 

「おう、凌虚子か。待ってた──。通せ」

 

 黒風怪は言った。

 帝都から派遣されてきた宝玄仙を従わせるため、その宝玄仙から奪った操人形で触手責めをすると脅したものの、黒風怪の本来の霊力では、宝玄仙の霊具は扱えない。

 それで、観禅蔡から取りあげた仙丹で霊力を増幅しながらやっていたのだが、そろそろ尽きてきたところだったのだ。

 しかし、追加の補充があれば、もう大丈夫だ。

 宝玄仙が屈服するまで、操人形への責めを継続できる。

 

 なんでもいいから、宝玄仙を一度従わせるのだ。

 そうしてしまえば、こっちのものだ。

 あとは、そのまま追い払ってもいい。

 とにかく、この洞府のことを天教本部に報告されないという保障を得たい。

 主従の誓いをさせれば、もう宝玄仙は、主人である黒風怪に不利なことはできなくなる。

 

「なあ、黒風怪……。宝玄仙を屈服したとして、わしはどうなるのじゃ? もう、わしが妖魔のお前と付き合いがあったことが、観院の弟子たちにもばれてしまった」

 

 観院蔡(かんぜんさい)だ。

 観院で宝玄仙たちと争いになったとき、そのまま連れてきて、ここにいる。

 一応、客室代わりに、洞窟内の一室を与えているが、妖魔の巣の中でひとりでいるのは不安なのか、夕べからずっとここにいる。

 

「知らんな。宝玄仙を殺すのに失敗するから、こうなったのだ。多少の路銀なら融通もしてやる。どこになりとも、立ち去ったらよかろう」

 

「そんな……。冷たいぞ。わしとお前の仲であろう」

 

「どんな仲だ。ともかく、宝玄仙を焼き殺そうとしたのはお前だ。宝玄仙が生きておれば、天教を裏切った無法者として、宝玄仙どころか、天教そのものから、手配人にされるだろう。せいぜい頑張って生き延びるのだな」

 

 黒風怪は笑った。

 

「そんな。お前がそそのかしたのじゃ。なあ、黒風怪、宝玄仙を殺せ。もう、霊具のことなどよい。わしの身が大事じゃ」

 

「お前の霊具のことなど、最初から気にしておらん」

 

 黒風怪は吐き捨てた。

 そのとき、部下が凌虚子を伴ってやって来た。

 

「おう、待ちかねたぞ、凌虚子……。これか? おうおう、確かに……。じゃあ、全部買い取る。値はいつもの通りでよいな」

 

 やって来た凌虚子は、挨拶もそこそこに、早速、箱に入っていた仙丹の黒風怪に示した。

 箱には百粒くらいの仙丹がある。

 十分な量だ。

 

 黒風怪は銀両で三枚を凌虚子に渡した。

 銀両十枚で金両一枚だから、その三割以下だ。

 相場に比して随分と安いのは、黒風怪が凌虚子が半妖であることを知っていて、それを黙っている代わりだ。

 凌虚子はいつものように、特に礼も言わず、不満そうに鼻を鳴らして、銀両を懐にしまった。

 そして、視線を同じ部屋にいる観禅蔡に向ける。

 

「夕べの観院での騒動は耳にしたぞ。こんなところにいたのだな、観禅蔡。あんたの弟子の唐人高士殿は、あんたを天教の教えに背いた破門者として告発したそうだ。これからは、気をつけて道を歩くのだな。そのうち、天教が賞金をかけて手配書を回すだろう」

 

 凌虚子が冷笑した。

 観禅蔡の顔が真っ赤になった。

 

「半妖風情が誰にも向かって口をきいておる」

 

 観禅蔡が怒鳴りあげる。

 

「いままで黙っていたが、わしはお前が嫌いでな」

 

 凌虚子が冷笑を浮かべたまま言った。

 観禅蔡がますます真っ赤になった。

 

「待て待て……。ともかく、新しい仙丹も来た。一気に宝玄仙を落とそうぞ」

 

 黒風怪は、透明の球体に包んでいる操人形を目の前に出現させた。

 十本ほどの細い触手で適当に場所を変えながら責めていたが、仙丹で霊力を増幅して、触手の数も刺激の大きさも一気に倍にしてやろうと思った。

 いくらなんでも、気をやり続けるような刺激を間断なく与えられては、八仙の宝玄仙といえども、膝を折るしかないだろう。

 黒風怪は凌虚子の持ってきた仙丹を無造作に掴むと、十粒ほど一気に飲み込んだ。

 

「んっ?」

 

 しかし、違和感があった。

 なにかが、おかしい……。

 

「うがああっ、はがああっ」

 

 これは仙丹ではないとわかったときには、もう遅かった。

 腹から猛烈な痛みが沸き起こっている。

 仙丹に似せた毒だ──。

 黒風怪は、慌てて魔術で毒消しをした。

 

「黒風怪様──」

「大丈夫ですか──?」

 

 室内にいた数名の部下が驚いて駆け寄ってくる。

 

「黒風怪、操人形が──」

 

 そのとき、観禅蔡の血相を変えたような悲鳴がとどろいた。

 顔をあげた。

 球体の中の操人形がなくなっている。

 目を疑った。

 

「凌虚子が持って逃げた」

 

 観禅蔡が叫んだ。

 

 

 *

 

 

「くそうっ、この身体は動きにくいよ……」

 

 孫空女は駆けながら、変身を解いて元の身体に戻った。

 如意棒を出す。

 洞府内は妖魔の力があがるので、できるだけ早く洞府の外に逃げろと、宝玄仙に出発の直前に言われた。

 

 左手に操人形、右手に如意棒を持ちながら走りつつ、孫空女はその言葉がこういうことかと悟った。

 重々しいような霊気の重圧のようなものを感じる。

 おそらく、洞府内は黒風怪の結界のような場所なのだろう。

 

「いたぞ」

 

 そのとき、横から通路を塞ぐ、数名の妖魔兵が現れた。

 

「退きな」

 

 如意棒を振り回して、瞬時にそいつらを叩き伏せて突破する。

 やって来た入り口まで、もう少し……。

 

 それにしても、沙那の策で、とりあえず、凌虚子に化けて洞府に入り込んで、操人形を奪い返すとともに、黒風怪にうまく仙丹に似せた毒を飲ませることには成功した。

 しかし、予定では、黒風怪の回復に時間がかかり、混乱に乗じて逃げ出せるつもりだったが、逃げてくる一瞬の感じだと、すぐに魔術で毒抜きをしそうだった。

 

「孫空女──」

 

 出口が見えた。

 

 沙那が外から飛び込んで、門衛のような妖魔兵たちを倒して、出口を確保してくれている。

 これなら、すぐに逃げられる。

 あそこの外に出れば、あとはなんとかなる。

 

「逃がさんぞ」

 

 そのとき、孫空女の背後に黒風怪が魔術で姿を出現させた。

 同時に、沙那が確保していた出口が岩で閉鎖される。

 

「しまった」

 

 沙那が焦った声を出す。

 孫空女も沙那のところまで辿り着いたが、それだけだ。

 出口は閉鎖された。

 沙那と二人で、岩の扉を背にして黒風山に武器を向ける。

 あっという間に、黒風怪だけじゃなく、数十人の妖魔兵が集まってきて、沙那と孫空女を囲んでしまった。

 

「もう逃げられんぞ、お前たち。さあ、俺から奪ったものを返せ」

 

 兵を割るように、黒風怪が出てきて言った。

 

「……孫空女、操人形からご主人様の身体の一部を刻んだものを人形と分離できる……?」

 

 沙那が黒風怪に武器を向けたまま、ささやいてきた。

 そのやり方も、ここに来る前に宝玄仙から教えられている。

 本来は、簡単なことではないらしい。

 しかし、孫空女の中にある霊気は、宝玄仙自身の霊気だ。

 だから、孫空女にも、宝玄仙の霊具が自在に扱えるだろうと言われていた。

 やってみた。

 手の中で、操人形と髪の毛が二つに分かれる。

 

「……できたよ……」

 

 小さな声で沙那に伝える。

 

「貸して──」

 

 すると、沙那が操人形をさっと取りあげて、剣で真っ二つにした。

 

「あっ、なんてことを──」

 

 黒風怪が叫んだ。

 切断されて地面に落ちている操人形を黒風怪が呆然と見つめる。

 

「残念ね。操人形は壊れたわ。もう、ご主人様を脅すことはできないわね」

 

 沙那が笑った。

 

「それで、このあとどうすんのさ……。教えてよ、沙那……」

 

 孫空女は小さな声で訊ねた。

 すでに、妖魔たちでびっしりと周りを囲まれている。

 すごい数だ。

 沙那は困ったような顔になる。

 

「……そんなものあるわけないわ……。ご主人様が助かるのと引き換えに、わたしたちは捕まったということよ。よくて拷問。悪けりゃ死ね」

 

「やっぱり?」

 

 孫空女は苦笑して、肩をすくめた。

 

「あわっ」

「あぐうっ」

 

 そのとき、ものすごい重圧が上から襲いかかり、孫空女と沙那は地面にうつ伏せに潰されてしまった。

 

「こうなったら、操人形の代わりに、お前たちを人質にする……。俺が押さえつけているから、こいつらの服を一枚残らず脱がせよ。宝玄仙に送り届けてやる」

 

 黒風怪が部下に命じると、十数人の妖魔兵が一斉に飛びかかって、孫空女と沙那の服に掴みかかってきた。

 

 

 *

 

 

 大勢の妖魔たちによって、なにもかも剥がされて、沙那は孫空女ともども素っ裸にされた。

 だが、そのあいだ、黒風怪の魔術によって、地面に強い力で押し付けられて動けない。

 そして、黒風怪の部下たちが離れていく前に、沙那と孫空女の手首と足首に金属の枷を嵌められた。

 鎖はない。

 やっと、身体を押し付ける見えない重圧がなくなったので、身体を起こそうとしたが、枷を嵌められた手が地面から引っ張られるように持ち上げられない。

 

「な、なんだい、これ?」

「手も足も地面から離れないわ」

 

 孫空女と沙那は戸惑いの声をあげてしまった。

 二人で大勢の妖魔たちに囲まれたまま、四つん這いの体勢から、身体を起こせないのだ。

 すると、黒風怪が笑った。

 

「人間族を獣のように四つ足でしか動けなくする霊具だ。ここにいる間は、せいぜい獣なみに扱ってやろう」

 

 黒風怪が合図して、沙那と孫空女の首に鎖のついた首輪がつけられようとする。

 抵抗しようにも、手があがらないのでできない。

 ふたりとも簡単に首輪を装着された。

 

「連れてこい」

 

 黒風怪が歩きだした。

 周りを囲んでいる角のある妖魔兵が首輪の鎖を持って進み始める。沙那たちから取りあげた装束を持っている者も同様だ。

 

「うっ」

「くっ」

 

 ふたりで一緒に呻いた。

 首輪が引かれて、素直に歩かないと首輪が絞まるようになっているようだ。

 仕方なく、妖魔たちに囲まれて洞府の洞窟を四つ足で歩く。

 

「くっ、殺すんなら殺せよ、黒風怪。ご主人様はあたしらを人質にしても気にもしないさ。この洞府ごと、お前らを吹き飛ばすよ」

 

 孫空女が隣で言った。

 すると、前を歩く黒風怪が笑い声をあげる。

 

「そうかな。まあ、やってみるさ。宝玄仙はお前たちを大切にしているように感じたがな。服とともに、お前たちの身体の一部を切断して送る。宝玄仙は、きっと反応すると思うぞ」

 

 黒風怪が意地悪く笑った。

 

「ふ、ふざけんなよ、角(つの)野郎──。腕でも、脚でも何でも切りな」

 

 孫空女が怒鳴った。

 角野郎というのは、ここにいる妖魔に対する蔑称だ。

 挑発するようなことを言っても、なにも得をすることなどないのに、孫空女は悪態をやめない。

 孫空女も男の妖魔たちに囲まれたまま、素っ裸で雌犬のように歩かされるということに、激しい羞恥を感じているのに違いない。

 それが、孫空女に悪態をつかせるのだと思った。

 

「おう、そうしよう。だが、最初は髪の毛だ。服と一緒に髪の毛を送り届けてやる……。こっちだ」

 

 黒風怪が洞窟を左に曲がった。

 洞窟の表面には、光る苔があり、それが通路全体を明るく照らしている。

 そのため、四つん這いの沙那と孫空女が高く浮かせているお尻の底からは、性器も尻の穴も無防備にさらけ出されているはずだ。

 後ろ側にいる妖魔兵のにやついた顔が見えるようで、沙那も恥ずかしさにいたたまれなくなっていった。

 

「ここだ。お前たちは、もういい。戻れ」

 

 しばらく進んだところで、突然に黒風怪が立ち止まった。

 顔をあげると、正面側の洞窟の壁に木製の扉が埋め込んである場所だった。

 前側は、その扉以外は洞窟の岩壁だけであり、要するに突き当りだ。

 黒風怪が兵から沙那と孫空女の首輪に繋がっている鎖を受け取る。

 妖魔兵たちが、ぞろぞろと引きあげていく。

 

 ここで襲い掛かって、黒風怪そのものを人質にして、この洞府から逃げるという手もあるが、手首も足首も、数寸以上は地面から離れないようになっている。

 これでは、襲えない。

 孫空女も同じようなことを考えていたのだろう。

 すぐ横で、真っ赤な顔をして手首の枷ごと手を地面から離そうと格闘している。 

 

「入れ」

 

 黒風怪は、そんな孫空女を一瞥してにやりと微笑むと、ぐいと鎖を引いた。

 

「うっ」

「くっ」

 

 また、首輪がきゅっと締めつける。

 仕方なく、鎖に従って歩く。

 すると、すっと首輪が緩む。

 なんという屈辱だろう。

 沙那は、身体が冷えるような心地になった。

 

「わっ」

「なにこれ?」

 

 中に入って驚いた。

 そこは、洞窟とは思えない薄桃色の天井と壁の広間だった。

 足元もさっきまでの岩床ではなく、絨毯のような柔らかい感触だ。

 

「お前、いいものを連れてきたぞ。ある人間族とちょっと争いになっておってな。このふたりは、人質だ。しばらく、遊んでやってくれ」

 

 黒風怪が大きな声をあげた。

 誰に向かって喋っているかわからない。

 部屋の中には誰の姿もなかったのだ。

 しかし、たったいままでの威厳のある喋り方ではなく、まるで媚びを売るような優しい物言いだ。

 沙那は訝しんだ。

 

「まあ、沙那と孫空女ではないか──。一体全体、どうしたのだ?」

 

 すると、突然に女の声が轟き、目の前にひとりの女妖魔が出現した。

 

「小角(おづの)──?」

「えっ、小角?」

 

 びっくりして声をあげた。

 そこにいたのは、五行山の騒動のとき、人間族に捕らわれていた迷い雌妖の小角だ。

 

「なんだ、知り合いか?」

 

 黒風怪が驚いた声をあげた。

 

 

 *

 

 

「すまなかった。まさか、小角を助けてくれたのが、お前たち一行だとは、夢にも思わなかった。このとおりだ」

 

 黒風怪が大きな身体を小さくし、床に頭を付けて謝っている。

 

「もういいよ」

 

 孫空女は、腕をさすりながら言った。

 しばらく、四つん這いで歩かされたので腰と脚が強張っているが、奇妙な枷も首輪も外してもらったので、やっと普通の姿勢で座ることができた。

 いまは、沙那とともに、小角の部屋らしい場所に腰をおろして座っている。

 相変わらずの素っ裸だが、とりあえず、身体の自由は取り戻すことができた。

 

 驚くことに、あのとき五行山で助けた小角は、黒風怪の奥さんだったようだ。

 そういえば、夫と大喧嘩をして、棲み処にしていた洞府を逃げてきたのだと言っていたと思う。しかし、その道中で御影の分身に捕らえられてしまい、孫空女の部下だった男たちによって、獣の檻に監禁されていたのだ。

 そして、孫空女が、宝玄仙と沙那とともに、孫空女の部下だった者たちにお礼参りに行ったときに、助けてやった。

 最後には、宝玄仙の悪ふざけで、小角の術による触手責めで弄ばれたが、まあ、それはいい。

 

 いずれにしても、その小角とこんなところで再会するとは思わなかった。

 孫空女も、この偶然には驚きだ。

 世間とは案外に狭いものだ。

 

「本当に悪かったな。どうやって償えばよい、そなたら? とにかく、うちの人には二度と宝玄仙には逆らわないと誓わせる。だから、命だけは許してやってくれ。これでも、わしの大切な夫なのだ」

 

 小角も黒風怪とともに、床に頭をつけて謝罪した。

 

「もういいのよ……。とにかく、ご主人様には都合よく説明しておくわ。いずれにしても、わたしたちは、帝都からやって来た妖魔の洞府の調査団じゃないわ。西に向かう巡礼の途中なの。ご主人様は、あなたたちのことを教団本部に届けたりすることもないと思うわ。面倒の嫌いな方だし……」

 

 沙那が言った。

 黒風怪が、なぜ宝玄仙を襲ったのか──。

 その理由はわかった。

 

 黒風怪は、人間族、とりわけ、天教教団による妖魔狩りを極度に恐れている。

 なにしろ、妖魔側からすれば、人間族というのは、圧倒的な数の力で一族を襲撃し、残酷に虐殺していく、醜悪な妖魔殺し集団なのだ。

 この洞府は、そうやって、あちこちで妖魔狩りにあった者たちが逃げ込んできた妖魔の里なのだそうだ。

 その集団の長である黒風怪は、天教の手から妖魔たちを守る責任があり、妖魔の里を調べるためにやって来たと思い込んでしまった宝玄仙をなんとしても支配して、ここには妖魔の里などないと報告させたかったようである。

 沙那が、自分たちは旅の途中であり、この帝国を西に超えて遥かな遠方に向かう旅をしているのだと説明すると、黒風怪はほっとした表情になった。

 黒風怪に対して、宝玄仙を殺せとけしかけたのは、あの観禅蔡(かんぜんさい)だったらしい。

 

 いずれにしても、黒風怪は、別に追い詰められているわけでもなかったのに、勝手に宝玄仙を妖魔狩りについて調べに来たと思い込み、慌てふためいただけということだ。

 お互いに説明することで、争い合う必要など最初からなかったことがわかった。

 

 殺されかけたのは腹もたつが、沙那は彼らの事情を聞いて、もう許す気になっているようだ。

 沙那がいいのであれば、孫空女としても依存はない。

 また、こうやって膝を突き合わせて語り合ってみると、この黒風怪にしても、小角にしても本当に悪気のない純粋さがある。

 どうも、手酷く仕返しをしようという気にならない。

 

 ともかく、宝玄仙と約束したのは操人形を取り戻すことであって、黒風怪たちそのものをどうにかすることについては、宝玄仙にはなにも言ってない。

 操人形を使ったくすぐり責めで酷い目に遭った宝玄仙が、このままなにもなく許すというのは考えにくいが、沙那がなんとかすると言っているのだから、まあ、なんとかするのだろう。

 孫空女は、この一件については、沙那に任せることにした。

 

「ありがたい。それと、わしらの洞府のことを喋らんと約束してくれたことも感謝する……。なあ、どうやって、お礼をすればいいのだ? 言ってくれ。なんでもする──。そうだ。性奉仕でよいか? 宝玄仙も一緒に来ればいい。わしの夫だが、こいつにも奉仕をさせる。ああ、そうしよう。すぐに、行って連れてくるとよい」

 

 小角が顔をあげて、自分の思いつきを嬉しがるように微笑んだ。

 だが、黒風怪は性奉仕と聞いて、目を丸くしている。

 

「絶対に駄目──。いいから、性奉仕がお礼になるなんて、ご主人様の嘘っぱちだからね──。そんな習慣は人間族にもないわ──。絶対になにもしないで──」

 

 沙那が大きな声で怒鳴った。

 そのあまりの権幕に、黒風怪と小角は呆気に取られてしまっている。

 そう言えば、宝玄仙は人間族の女は、お礼として性奉仕という名の嗜虐責めが喜ぶと小角に教えて、孫空女も沙那も、とんでもない目に遭ったのだ。

 そのときの騒動を思い出して、孫空女はぷっと噴き出した。

 

「そうなのか? やっぱりか……。なんとなく、おかしいとは後で思ったのだがな……。そうか、性奉仕というのは、お礼にはならんかったのか……」

 

 小角が当惑した顔になった。

 しかし、沙那は「性奉仕」の話題を打ち切るように口を開いた。

 

「……だけど、わたしたちが黙っていたとしても、観院の人たちには、あなたのことが知れたんじゃないの? わたしたちは、ただ通り過ぎるだけで、この土地に戻ることもないかもしれないけど、観院の人の口を封じることまで約束はできないわよ」

 

「それについては大丈夫だ。もともと、黒風山に妖魔が棲みついているということは、近傍の里の人間族は知っておることだ。俺たちは、人間族には迷惑が掛からんように大人しくしているし、それぞれの里には、こっそりと貢物もしておる。人の噂には蓋はできんが、それでも、これまで知られずに済んだのは、誰も地方政府や教団地方本部に、俺たちのことを言わんかったからだろう。俺たちが恐れるのは、外からやって来る者だけだ」

 

 黒風怪はからからと笑った。

 どうやら、怖そうな外見とは異なり、ここにいるのは極めて平和的な種族のようだ。

 考えてみれば、孫空女たちを焼き殺せとけしかけたのは黒風怪だが、実際に殺そうとしたのは人間族の観禅蔡だ。

 また、残酷な妖魔狩りの話は、孫空女も知っている。

 本当に悪いのは、人間族の方なのかもしれない。

 そんなことを思った。

 

「観禅蔡はどうするの? 観院に返せば、それこそ黒風山のことを本部に話すかもよ。自らが妖魔に関わっていたことを知られた以上、それを中央に知られる前に、すべてを葬ってしまおうと考えるかも」

 

 沙那が訊ねた。

 観禅蔡は、昨夜の騒動以来、ここに匿われている。

 孫空女も、凌虚子(りょうきょし)に変身して、ここに潜り込んだとき、黒風山のそばにいた観禅蔡のことを見ている。

 

「あいつは気の毒だが、すべてを忘れさせて、遠くに追い払う。記憶を失わせるから、観院に戻ることもできんだろう。まあ、仕方ない」

 

 黒風怪は言った。

 おそらく、殺してしまった方が楽なのではないかと思うが、やはり、平和的な種族なのだと孫空女は思った。

 

「おっ、そろそろ、返す服や持ち物の準備ができたようだ。破ったり、切ったりした部分は、すべて元通りに縫合させた。持ち物も、部下たちがすでにそれぞれに持ち去った後だったが、全部揃えさせた。本当にすまんかった」

 

 黒風怪の言葉とともに、霊気が大きく動くのがわかった。

 次の瞬間、二個の籠に入れられた孫空女と沙那の装束と武具などが出現した。

 沙那とふたりで立ちあがり、とりあえず衣類を身に着け始める。

 

「それと、これは改めて、俺たちからのものだ。重くて大きな金板のようなものは、却って旅の邪魔になるかと思い、価値のある宝石を集めた。路銀代わりに受け取って欲しい。貴重な霊具を譲ることも考えたが、霊具作りで名高い宝玄仙が受け取って嬉しがるようなものは俺は持ってない。せめてもの気持ちだ。受け取ってくれ」

 

 黒風怪が、続いて術で子供の頭ほどの袋を出現させた。

 まだ、下着姿の沙那が取って、さっと中を開く。

 大小さまざまな色とりどりの宝石がぎっしりと入っているのが見えた。

 大変なものだ。

 孫空女は感嘆した。

 

「じゃあ、これは貰っておくわ」

 

 沙那はあっさりと受け取った。

 そして、衣類の着替えに戻る。

 

「……それにしても、さっき言っておったが、宝玄仙の巡礼の目的地が、俺たち亜族、つまり、妖魔の生地と称されている魔域というのは本当か? あんなところに人間族が行ってどうする? 無事に帰れることなどないぞ。あそこは、妖魔の中でも、心の荒んだ者たちが集まる修羅の世界だ。ましてや、妖魔そのものを否定している天教の教えを、その妖魔に拡げようというのは、どういうことだ? 死にに行くだけだと思うがな」

 

 すると黒風怪が言った。

 

「そんなことは知らないよ。ただ、あたしらは、ご主人様の進むところに一緒に行くだけさ。あたしそのものは、天教なんてどうでもいい。神様なんて信じてもいないよ」

 

 孫空女は言った。

 だが、言われてみると、孫空女は心配になった。

 確かに、妖魔を否定している天教の教えをその妖魔に拡げるというのは、どういうことなのだろう?

 宝玄仙はそれを天教本部に命じられているのだという……。

 だが、冷静になって考えてみれば、まるで死にに行けという命令にも等しい。

 しかも、宝玄仙はたったひとりの旅だった。

 孫空女もそうだが、沙那も旅の途中で加わっただけだと言っている。

 いくら、宝玄仙の道術が桁外れだとしても、女の宝玄仙に対して、あまりにも苛酷な命令ではないだろうか。

 

 孫空女は沙那を見た。

 沙那も、ちょっと考え事をしているような複雑そうな顔をしている。

 

 

 *

 

 

「そもそも、妖魔という呼び方そのものが蔑称さ。ずっと以前は“亜人”と呼ばれていたんだよ、まあ、それも蔑称には違いないねどね。だけど、妖魔という怪しげな呼び方は、さすがにこの帝国だけのことだよ。そもそも、幽霊のような魑魅魍魎の存在とは違うんだ。連中は立派に生きていて、家族を持ち、性交をして愛し合って、腹に子を孕んで一族の血を残す。人間と一緒さ」

 

 宝玄仙がからからと笑った。

 西に向かう旅の途中だ。

 山道はまだまだ続いている。

 

 いつものように先頭を孫空女が歩き、真ん中を宝玄仙が進み、最後尾を荷を担いだ沙那が歩くという順番だ。

 沙那ばかり荷を担がせるのは悪いとは思うのだが、危険はどこにあるかわからない。

 そのために、孫空女はなるべく身軽な恰好をするべきだと沙那が言うのだ。

 沙那の言うとおりにしていれば、まあ、間違いはない。

 少ない日数だが、これまでの旅で、孫空女はすっかりとそう考えるようになっていた。

 

 観院に戻ったときもそうだった。

 黒風怪の洞府から宝玄仙の待つ観院に戻ってから、なんと説明するのかと思っていたが、沙那は、黒風怪が、壊れたものの、謝りながら操人形を返した宝玄仙に語るとともに、そもそも、黒風怪が宝玄仙を襲ったのは、宝玄仙が妖魔狩りの尖兵だと思い込んだためだと言い、そうではないと黒風怪に教えると、あっさりと謝ったと沙那は言った。

 小角のことを口にしなかったのは、それを教えると、小角のところで、また馬鹿げた性の遊びをしようと宝玄仙が言うのではないかと警戒したからだろう。

 

 ともかく、沙那の説明に、宝玄仙はあっさりと納得し、黒風怪に対しても、あまり怒りを出さなかった。

 気性の激しい「ご主人様」だけに、宝玄仙が簡単に仕返しを諦めたことには、孫空女は少し驚いた。

 なかなかの「ご主人様扱い」だと、沙那のことにも感心したものだった。

 宝玄仙は、妖魔狩りの言葉に顔をしかめ、「この国の人間族は随分を彼らに残酷なことをしたからね」と静かに言っただけだった。

 

 いずれにしても、また、旅の時間になった。

 観禅蔡のいなくなった観院がどうなるかも知らない。

 まあ、なるようになるのだろう。

 宝玄仙は、一切を天教本部には報せずに、旅を再開することにしたようだ。

 

「ご主人様は、妖魔……じゃない、亜族のことを随分と知っているんだね」

 

 孫空女は歩きながら振り返って訊ねた。

 宝玄仙が、妖魔、すなわち、亜族に対して随分と同情的ということに孫空女は気がついていた。

 そういえば、小角のときにも、宝玄仙は肌を触れ合って愛し合うことに、まったく抵抗がないようだった。

 だが、大抵のこの国の人間にとっては、角が生えていて術を遣う亜族は、恐怖と忌避の対象だ。

 怖気の相手なのだ。

 しかし、宝玄仙は驚くほどに、亜族に対して理解力がある。

 

「まあね。連中と親しい者がいてね。そいつを通じて、結構、亜族とは知り合いもいる……。実際のところ、純粋で扱いやすい連中さ。乱暴で残酷な連中もいるけど、そいつらは純粋に乱暴で残酷なんだ。普段は優しいけど、時折残酷だというような複雑性を示すのは人間族だけさ」

 

 宝玄仙が言った。

 亜族に親しい知り合いというのは驚きだ。

 孫空女は口を再び開いた。

 

「亜族に親しい人間族ってすごいね。誰なのさ」

 

「うるさいねえ、誰だって、いいだろう──。退屈なら、地獄責めにするよ、孫空女」

 

 途端に、なぜか宝玄仙が不機嫌そうな口調になって怒鳴る。

 孫空女は慌てて口をつぐんだ。 

 

「妖魔というのは、帝国特有の呼び方ですが、魔域を生地とするので、魔族という呼称もあるのですよね」

 

 沙那がすかさず、口を挟んだ。

 

「おっ、さすがは学があるねえ。じゃあ、“鬼族《きぞく》”という呼び方は知っているかい? 随分と古い呼称だけど、角の生えている者を“鬼”と呼ぶ習わしがどこかにあり、それが拡がったものらしいけどね」

 

 宝玄仙が再び機嫌がよくなる。

 孫空女はほっとした。

 

 それからしばらく、亜族の話になった。

 宝玄仙は、亜族の男と何度も性交をしたことがあるとも言い、彼らとの怪しげなまぐわいを赤裸々に語った。

 多淫の宝玄仙のことだから、それほど意外ではなかったが、やはり、性を交わすほどだから、宝玄仙は亜族、この国の多くの者が“妖魔”と呼んで忌み怖れ、嫌っている存在には、まったく抵抗はないようだ。

 

「……ところで、ご主人様、黒風怪が言っていたけど、ご主人様が向かおうとしている魔域って、亜族だけの世界なんだろう? そんなところで、天教の布教なんて、本当にできるの? どうしても、そこに行かないとならないのかい?」

 

 孫空女は訊ねてみた。

 あれから、ずっと気になっていたことだ。

 いまは、孫空女と沙那という護衛もいるが、元々はたったひとりで遥かな西の魔域に行けという苛酷な命令だ──。

 

 なんで、宝玄仙は、そんな命令を諾々と受けたのだろう……?

 なんで、天教本部は、八仙という天教の最高幹部に対して、そんな命令を与えたのだろう……?

 

「魔域に行くのは怖いかい、孫空女?」

 

 すると、宝玄仙が急に優し気な口調になって言った。

 振り返ると、宝玄仙は口元は笑っているものの、眼は少しも笑っていなかった。

 とても複雑そうな表情だ。

 孫空女は戸惑った。

 

「ま、まあ、怖いかもしれないね……。ねえ、そんな旅、なんでやんなきゃならないのさ。別に行かなくていいんじゃない。適当にぶらついて時間を潰してさあ……。そのうち、知らん顔をして戻って、行ってきたよって言えば?」

 

 孫空女は言った。

 すると、宝玄仙はけらけらと声をあげて笑った。

 

「……まあいいさ、とにかく、西に向かうのさ。この国の国教を越えるんだ。だけど、それからしばらくは、まだまだ天教の影響力が強い諸王国が続く……。旅の目的地を決めるのはそれからさ……」

 

 宝玄仙がぽつりと言った。

 それは、ほとんどひとり言であり、とても小さな声だった。

 おそらく、後ろを歩く沙那には聞こえなかっただろう。

 しかし、孫空女は耳がいいので、宝玄仙の呟きをしっかりと聞いた。

 そして、びっくりした。

 まるで、なにかから逃亡をしているような物言いだったからだ。

 

 やがて、山道が二つに分かれる場所になった。

 沙那が前に出てきた。

 手に小さな帳面を持っている。

 出立前に、観院の連中に、先の道のことを根掘り葉掘り訊ねていた。その内容について書いていあるのだ。

 沙那は、旅をするあいだ、本当に先の道のことを事前によく調べる。

 感心してしまう。

 

「右に向かえば、大きな城郭がある本街道に繋がります。城郭や宿町も多いですし、天教の寺院もかなり存在します。天教に対して、ご主人様の居場所を報告することもできると思います……。左は、かなり奥深い山街道になります。城郭はありません。頼れるような天教の施設もありません。ほぼ野宿になるかもしれない厳しい道です……。ただ、どの経路を使っても、関所のある国境の城郭に通じます」

 

 沙那が帳面を目にしながら言った。

 

「左だね。それにしても、今回のことで褒めてやりたいのは、黒風怪から路銀をせしめてきたことさ。おかげで、路銀を得るために、天教の寺院に近づかないで済むよ」

 

 宝玄仙が嬉しそうに笑って、すたすたと左に進みだす。

 なんとなく、そう言うような予感がしたが、なんで、宝玄仙はそんなに天教に関わるのを嫌がるのだろう……?

 孫空女は首を傾げたくなった。

 

「……ご主人様は、なにかから逃げているのね……。ご主人様の旅の目的は魔域じゃないわ……。多分、天教から逃れることよ……」

 

 そのとき、沙那が孫空女にそっと近づいて、孫空女の耳元でささやいてきた。

 孫空女は驚いてしまった。

 

 

 

 

(第4話『古神殿の怪』終わり)






 *


【西遊記:17回、黒大王】

 老僧が玄奘から奪おうとした金袈裟は、火事のどさくさの最中に、老僧と付き合いのあった黒大王に奪われてしまいます。
 金袈裟を取り返すために黒大王のいる黒風山の洞府に乗り込んだ孫悟空ですが、黒大王は孫悟空を怖れて、洞府閉じこもります。
 黒大王を捕えるために一計を考えた孫悟空は、黒大王の貢ぎ物を運び入れようとした凌虚(りょきょ)という妖魔を倒し、成り変わって洞府に入り込み、黒大王を退治します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。