客がやってきたと告げたのは、表に集まっていた漁師の若者たちだった。
意外な人物だった。
李家のいまの頭領である
「これは、なんの騒ぎなの、
李保は、二十人ほどいた若者たちを見回しながら言った。
相変わらず、男のくせに語尾が柔らかくて弱々しい。
先代の
「わたしを心配して集まってくれたみたいです。呼び寄せたわけでもありません」
「随分、慕われているものね、李春」
「ありがたいことです」
それにしても、こんな時になにをしに来たのかと思った。
さすがに、追い返すわけにもいかず、屋敷の中に案内した。
ただし、一緒に連れてきた五名ほどの李家の若い衆については、外で待ってもらった。
李春は、とっくの昔に李家とは縁が切れている。
礼に従って遇する必要もないだろう。
「世話をしてくれる者がいないので、なにも出せないのは勘弁してください。ご用件をどうぞ」
入口に近い客室に案内し、李保を上座に座らせ、自分が下座について、すぐに李春は言った。
礼を失した李春の態度に、気を悪くした様子もなく李保は微笑んだ。
「そんなに、邪慳にしなくてもいいんじゃないの、李春。俺が、李家から君を追い出したわけじゃないよ」
「もちろんです、李保殿」
李保は、李春より二年歳下だ。
李保は、養子というかたちで李龍の後継者となったので、一応は、李春の弟であり、李春は李保の姉ということになる。
十四歳のときに、養子としてこの掲陽鎮にやってきたときには、まだ子供の印象が強かったから、李春は、李保を呼び捨てにしていたし、普通に話をしていたが、李龍が死に、この李保が李家の頭領の地位を継いだときから、敬意を示す喋り方をするようにしている。
「俺としては、李春にいてもらいたかった。なにも李家を出ていき、しかも、縁まで切る必要はなかったんじゃないの?」
「そうする必要があったんです。わたしにとっては……。ところで、ご用件は?」
本当になにをしに来たのだろう。
もしかしたら、宝玄仙を匿っているという話が、出回っていて、それでなにかを探りに来たのだろうか?
そうであるとしても、もう宝玄仙たちは、夕べこの国を離れている。探られても出てくるものはなにもない。
「そんなに急がないでくれないかい、李春。色々と教えてもらいたいこともあってね。ほら、俺って、一家の頭領とはいっても、古くからの家人からすれば、結局は余所者だろう? それで、いろいろと確執もあるのさ。李家がうまくいっていないというようなことは話には聞いているんだろう?」
「さあ……。さっきも言いましたが、縁を切っていますので、そういう侠客の争い事は、なるべく耳にすることを避けるようにしているのです」
李春は言った。
そうは言ったものの、李家のことはずっと気になって、少しは情報を握っていた。
昨日、
李保は最初に李家の頭領になるときに、故郷の南陽からかなりの人間を子飼いの部下とするべく連れてきた。
それについて、李春は反対したのだ。
それでは、李保の代になり、李家の中で古くからの掲陽鎮の者と、李保が故郷から連れて来た者に分かれて派閥ができてしまうからだ。
しかし、なんの後ろ盾もなく、頭領になるのを嫌がった李保は、李春の忠告を無視して、手下となる者を故郷から呼び寄せて、自分の参謀として周りを固めた。
その結果、八年経った今でも、李保の周りの者と、古くからの李家の者とで確執が起きている。
前者は李保の出身の地名から南陽派と呼ばれ、後者は体制派と呼ばれる。
両派はなにかと対立していて、同じ一家でありながら、お互いに足を引っ張り合っている。
それも、
「ねえ、李春が李家を出ていく前に最後に忠告してくれたことを覚えている? 俺に、故郷から手下を集めるのではなく、古くからの人間を部下として使いこなした方がいいって言ったよね。あのときは、俺はひとりで頭領になるのが怖かった。たったひとりで、見知らぬ土地で、数百人もの人間の上に立つというのは恐怖だったよ。それで、俺は自分の考えを押し通した。でも、後悔している」
驚いた。
李保が李春の忠告について覚えていると思わなかったのだ。
「そ、そうですか……」
なにを返していいかわからず、李春は相槌だけを口にした。
「いまとなっては、古い者と新しい者の確執について、俺には、もうどうにもできないよ。駝濫の連中に押されていることは知っていると思うけど、実情を言えば、李一家の者は、みんな、大きく分かれたふたつの派閥の勢力争いが、駝濫家との争いよりも大事なのさ」
少し感嘆した。
頭領である李保自身が、自分が治めるべきである李一家のことをそんな風に正確に分析しているとも思わなかった。
人の上に立つ者というものは、とかく、自分では自分の家の実情というのはわからないものだ。
周りを固める人間が都合の良い情報ばかりを伝えるためだ。
それにも関わらず、そこまで客観的な分析ができるというのは、李保は、世間で言われているほどの暗愚というわけでもないのかもしれない。
「いずれにしても、わたしには関わりはありません、李保殿」
李春は言った。
「では、用件を言うよ、李春──。実は頼みがある。李家に戻ってくれないか? 李春の力を貸して欲しい」
李保は言った。
意外な言葉に、思わず李春は絶句してしまった。
李家に……?
いまさら……?
「うちの実情は、いまのとおりなんだ。君の父上の遺した一家だ。その危機に一緒に協力しようよ。漁民相手につまらない仕事をするよりは、ずっと親孝行だと思うけど」
「つ、つまり、わたしに、いまの仕事から手を引けと?」
かっとした。
思わず込みあがる怒鳴り声を李春は必死に堪えた。
父親の李龍は、李春を後継者にしたかったのだ。
李春もまた、李龍の思いに応えるためにそれを欲していた。
だが、女であるという理由で、一家の総意としてそれを拒否した。
李春に後を継がせることを諦めたとき、李龍が急に意気消沈したように弱くなったのを覚えている。
そして、数年で李龍は死んだ。
それでも李春は、新しい若い頭領をなんらかのかたちで支えようとも思っていた。
しかし、古いしきたりに固執する李一家は、女である李春がなにかの役職に就くことを望まなかった。
結局、追われるように李春は一家を出た。
出るにあたっては、中途半端なことはしたくなかったから、きちんと縁を切り、それ以上の李家との関係を絶った。
あれから八年──。
李春がいまの立場を築くに至って、李家はなんの後ろ盾にもなってはいない。
なにもかもひとりでやってきた。
女であることで軽んじられながら、ひとつひとつ実績を作ることで、いまの立場を得るに至ったのだ。穆公という後ろ楯だって、あんな恥知らずなことをしながらなんとか確保しようとしているのだ。
いまさらなんだ──。
口を開けば、罵りの言葉が迸りそうだった。
「君と俺の仲でもあるし、包み隠さず打ち明けるとねえ……。実は、主流派ではない連中の中に、君を担ごうという一派がいてね」
「わたしを?」
昨日そんなことを穆公も言っていた。
しかし、李春はなにも知らない。
昨日は半信半疑だったが、李保自身まで言うのであれば、事実なのだろう。
体制派の中に、本当に李春を神輿にしようとしている一派があるのだ。
だが、李春を認めなかったのは、その体制派の連中だ。
彼らは、李春が女だと理由で、李龍の意思に反対して、李春ではなく、ただ男であるという理由だけで、どんな人間かもわからない李保を選んだ。
それが、一度捨てた女の李春を担ぐというのか?
ぼかばかしくて笑いたくなる。
「わたしは女ですよ。このわたしを担いだって、誰もそんな神輿には乗りませんよ」
「そうでもないさ。あのときとは違う。君は、この漁民たちをまとめあげて大きな勢力に作り変えた。漁民の連中の暮らしは豊かになり、団結も強くなった。いまや、かなりの影響を持つ独立した勢力だ。この屋敷の前でお前を守るために集まっている連中がその証拠だ。連中は、お前のためなら本当に命をかけるだろう。掲陽鎮は、李家、穆家、そして、駝濫の連中の三分と呼ばれているが、君の勢力を数えて四分と称する者もいる」
「冗談じゃありませんよ、今更……」
李春は呟いた。
どうせ担ぐなら、十年前に担いで欲しかった。
李龍が存命中なら、単なる神輿でも飾りでもなんにでもなってやった。
しかし、いまはもう……。
そのとき、李春の顔をじっと覗きこんでいる李保の視線に気がついた。
「……その様子だと、その動きについて、君が関与しているわけでもなさそうだね……。それとも、俺には思いもよらないくらいに、君は嘘がうまいということかもしれないけど」
どうやらそれが今日の訪問の目的だったんだろう。
いまの李一家の内部抗争は、古くからの家の者が、李保が連れてきた新たな人脈に押されて日陰に追いやられたことに対する反発が原因だ。
そして、それを李保は抑えきれていない。
その挙句、抑えられていた一派の中から、今更であるが李龍の実の娘である李春を担いで、南陽派を巻き返そうという動きが出た。
それで李春が、その動きに加担しているかどうかを直接確認しにきたのかもしれない。
それにしても、誰が李春を担ごうとしているのか知らないが、当の李春と接触もせずにそんな企てをするとは馬鹿げた話だ。
相変わらず、女は男の命令に従うべき存在としか思っていないのだろう。
「言っておきますが、どんなかたちでも、わたしは、李一家の勢力争いに関わるつもりはありません、李保殿。ご安心ください。わたしには、いまの立場があるんです」
李春はきっぱりと言った。
これで安心するだろう。
いまの李春にとって、李家は昔の話だ。
まだ、表には出てはいないが、あと数日で穆公は、この漁民部落が、穆家の庇護に入ることを表明する。
李春は、その権威を借りて、きっぱりと独自勢力を貫くことを決めていた。
「……いや、関わって欲しいんだ、李春」
「はっ?」
「関わって欲しい。最初にも言った。君の力が必要なんだよ」
「どういうことですか?」
「君の意思に関わりなく、君を担ごうという連中は必ずそれをするだろう。だったら、いっそのこと、それを逆に利用すればいい。君をいまの執行部側として李家に戻す。そうすれば、古い連中も諦める。君を担いで、古い体制を取り戻そうという考えは捨てるしかない」
「わたしが、今更、李家に戻れば、逆にその動きを助長するようなものなのではないですか、李保殿? わたしが、李家に関わっていない現状でもそんな動きがあるのに、わたしがあなたの側近として家の運営に関われば、もっと、わたしを担ごうと考える人間が増えそうなものじゃないですか」
李春はうんざりして言った。
「側近として関わるならね」
しかし、李保はにっこりと微笑んだ。
「側近として関わるのではないと?」
「君は俺の女として李家に戻る。いい考えだと思うけどね」
李春はあまりの意外な言葉に思わず絶句した。
しかし、気を落ち着けてやっと口を開く。
「あんたには、奥さんがいるでしょう」
思わず昔の言葉遣いで喋ってしまった。
感情の制御をすることができなかったのだ。
李保には、歳下の妻もいて子もいる。
李春を女にするというのは、彼女たちをどうするつもりなのか──。
「とりあえず、第二妻ということかな。まあ、名目だけだ。それで話は収まると思うよ。君が嫌なら身体を合わせなくてもいいし……。とにかく、君が俺のものになったというかたちがあれば、ばかばかしいことを考えている連中も諦めると思うんだ……──う、うわあっ、やめろ、やめてくれっ、李春──」
気がつくと、李春の顔のすぐ近くで、李保が恐怖に包まれた表情をしていた。
それで、はっとした。
李春は、いままさに、李保の襟首を掴んで、その顔をぶん殴ろうとしていたのだ。
李春は、振りあげた拳をやっとのこと下ろした。李保の身体を椅子に叩きつけるようにして離す。
「話がそれだけならすぐに帰ることね。今度、わたしを妾にしようなんてことを口にしたら、間違いなく、わたしの理性は吹っ飛ぶわ。あなたの顔の形がなくなるまで、殴り続けるわよ──」
李春は叫んだ。
李保が真っ蒼の顔になって、椅子から転げ落ちた。
「こ、後悔するぞ、李春──」
李春の興奮に呑まれるように震えながらも、李保は最後の勇気を奮い起こすようにそう言った。
「どう、後悔するのよ──」
李春はずいと一歩前に踏み出した。
「ひっ」
李保が情けない悲鳴あげて、逃げるように立ちあがった。
その時、部屋の戸が大きな力で向こう側から叩かれた。
「李春さん、大変です。役人と兵が──」
戸の向こう側から、外にいた若者のひとりの声がした。
李春は部屋を飛び出した。
表に出た。
確かに騒ぎが起きている。集まっている漁師の若者を押すように兵がやってくる。兵の中に役人らしき人影も見える。
「ここに、手配中の罪人がいると聞いた。それを引き渡してもらおう。それと、李春、お前にも一緒に来てもらう。罪人を匿った罪でな」
兵の指揮官が大声で言っている。
李春は、若者の先頭に進み出て、馬に乗った指揮官に対峙した。指揮官の横には文官がふたりいる。彼らは役人だろう。だが、李春にはいずれにも見覚えのない顔だった。
「どういうこと、これは?」
「李春だな。お前が国都で人殺しをして手配されている宝玄仙のその一味四人を匿ったという噂がある」
「知らないわね。そもそも、噂とはなにかしら? まさか、確固たる証拠もなしに、噂だけでのこのことやって来たんじゃないでしょうねえ」
「証人がいる。お前とその宝玄仙という罪人が一緒にいたという訴えが出ている。言い逃れはできんぞ、李春」
「へえ……。そんな出任せを言うのはどこのどいつなの。まあ、屋敷を調べるならいくらでも調べてもいいけど、もしも、調べて誰もいなかったら、申し訳ありませんでしたじゃあ済まないわよ」
李春は指揮官ではなく、役人をじっと見据えた。
指揮官の横の役人が気後れしたような表情になる。
「そんな口の利き方はよすんだな、李春。女だてらに、漁師どもを束ねて顔役を気取っているのかもしれんが、ここはやめておけ。それとも、騒動を起こしたいか? 集まっている漁師たちも捕らえて連れていくことになるぞ」
指揮官が毅然として言った。
この辺りが潮時だろう。いくら調べても、もう宝玄仙は屋敷はいない。
彼女たちが見つからなければ、いくらでも誤魔化せる。
「だったら、どうぞ──。いくらでも調べていいわ」
李春は憤然としている周りの若者をなだめて、道を開けた。
指揮官も役人も意外だというような顔をした。
「おい」
指揮官が兵に声をかけた。役人とともに、半分ほどの兵が屋敷内に雪崩れ込んだ。指揮官と残りの兵は、李春を囲むように見張っている。
李春はしばらく、表で待っていた。
やがて、不機嫌そうな表情の役人が兵とともに屋敷から出てきた。
「さあ、これで疑いは晴れたんでしょうね」
李春は役人を睨みつけた。
それが合図であるかのように、李春を守るために集まっていた漁師の若者たちが、兵たちを口々に罵って騒ぎ始めた。
若者たちの勢いの強さに兵たちが色めき立ってきた。兵の中には、剣を抜いた者もいる。これは、まずいと李春は内心で舌打ちした。
「やめろ──」
大きな声がした。
振り返ると、李保だった。
どこにいたのか、若者を分けながらその後方から出てきた。
いま少し軽んじられている感のある李保だが、李家一家の頭領といえば、さすがに掲陽鎮では一目も二目も置かれる立場である。
役人も兵たちも李保の存在が意外だったのか、騒然としていた雰囲気が静かになった。
「この李春は、俺の姉だよ。どうかしたのか?」
李保が兵たちを睨みながら言った。
「姉? この李春がか?」
指揮官が言った。
李家を離れたときには、李春はまだ二十歳だった。
頭領の娘として、一家の中ではそれなりの存在だったが、掲陽鎮ではそれほどの顔ではなかった。
李春の名が売れはじめるのは、
李春が李一家の先代の李龍のひとり娘だというのは、案外に知らない者が多い。
周囲がざわめきはじめる。
「李家の頭領の李保殿が、この李春の弟というのは本当か?」
「本当のことだよ、隊長さん。縁は切れているけどね。それよりも、李春の疑いは晴れたんだろう。だったら、さっさと消えなよ。さっきも言ったとおり、縁が切れているとはいえ、李春が李一家の重要な人間というのは変わらないよ。李春になにかをするということは、李一家に手を出すということだ。それをわきまえて喋るんだね」
李保が兵や役人を睨みつけている。
さっきのいまで、この李保が李春を庇おうとしていることに驚いていた。
役人と指揮官がなにか小声で話している。
「……李家の李保殿なら話はわかってくれると思うが、宝玄仙という罪人は、国都で手配されている大罪人なのだ。李春殿の屋敷にいるという訴えがあったことは事実であり、我らは県令の直接の命令で派遣された」
「だから、知らないと言ってんだろう」
李春は啖呵を切った。
役人はたじろいだ表情になるが、それでも言葉を紡ぐ。
「捜索の結果、ここに宝玄仙たちがいなかったのは事実であり、それは我らが証言する。ただ、我らにも我らの立場がある。悪いようにはしない。李春殿は、一度、役所に来てもらいたい。簡単な訊問で帰すと約束する──。一応のかたちを作れば、県令にも説明できる。李春殿が李家の一員と知った以上、県令もそれはわきまえているだろうからな──。李春殿が一緒に来てくれれば、我らは、これで手を引く。それでどうだろう?」
さらに、役人が言った。
李保が李春の顔を見る。
ここで李家の影響力を借りるというのは癪に障るものもあるが、ここは仕方がない。
李家が後ろ盾になれば、役所はなにもできないというのは間違いない。
あの県令に、李家と諍いを起こす根性があるとは思えない。
「行くわ」
李春は頷いた。
役人がほっとした顔をした気がした。
「後は任せてよ、李春。李家の名に懸けて、必ず、すぐに帰れるようにするから」
李保がささやいた。
気味の悪さを感じながらも、李春は李保に頭を下げた。
若者たちが騒ぐのをなだめて、李春は屋敷の外に向かって歩く。
その両脇に兵がついた。
李春は、兵ふたりに挟まれて、屋敷の外に待っている檻車に向かった。
檻車というのは、罪人を輸送するための馬車だ。
準備されている檻車は、周囲がすっかりと壁に囲まれていて、中には窓もなにもないようだ。
李春は促されて中に入った。中には椅子もなにもなく、ただの床張りだ。明かり取りの窓さえない。李春が壁にもたれて座ると、出入り口の扉が閉ざされた。
檻車の中は完全な真っ暗闇になった。
そのとき、不意に、なにかの香のようなものを感じた。
──なに?
どこからか激しく煙のようなものが吹き出している。
しかし、完全な闇の中では、李春はどうしていいかわからなかった。
外にいる兵に向かって、叫ぼうとした。
しかし、李春の意識は急速に失われた。
*
周りが騒がしい……。
酒の匂い──。
男たちの下品な笑い声──。
李春は眼を開けた。
天井が見える。
ここがどこかわからなかった。
それで、はっとした。
確か、一度出頭して、簡単な訊問に応じれば解放するという約束で、檻車に載って軍営に向かう途中だった。
だが、真っ暗な檻車の中で、なにかの煙が出てきて、それで急に意識が遠くなったのだ……。
だが、ここはどこだろう?
軍営という感じではない。
しかも、どうして、天井を見ているのだろう?
「おう、李春が起きたようだな」
周囲で歓声が起こった。
李春は訳がわからず、起きあがろうとした。
しかし、手と足を縛られている。
しかも、なにか板のようなものに載せられて、手足を大きく左右に開くように四隅の拡げて縛られているのだ。
「な、なにこれ──。ど、どういうことだい――?」
李春は、やっと自分が素っ裸で縛られているこ
とに気がついた。
しかも、手足を拡げて床に仰向けに拘束されている。
その自分の裸身を大勢の男たちがいやらしい眼つきで見下ろしていた。
「ここはどこ? これは、どういうこと?」
李春はうろたえて叫んだ。
しかも、ここは軍営ではない。
李春の裸身を大勢の好色な視線の男たちが見下ろしている。
どう見ても、軍人でも役人でもない。
下品な言葉をかけて李春の姿を哄笑しているのは、どこかの与太者たちにしか見えない。
「ここがどこかだなんてどうでもいいじゃねえか、李春。まあ、敷いて言えば、お前にとっては地獄という場所だ。お前は、ここに嬲り者になるために連れてこられたのだ、李春」
李春の顔の上ににゅっとひとりの男の顔が覗いた。
「お、お前は、青おろち──」
事態を把握できない李春の狼狽を愉しむような表情で、顔を覗かせたのは、青おろちこと、駝羅一家の頭領の
すると、ここは駝羅一家ということか──?
軍営に連れていかれるはずの自分が、なぜ、連中に捕らえられているのだ?
しかも素っ裸にされて、俎板のような戸板に寝かされている……。
「俺もいるぜ」
頭領の青おろちの横から、昨日山街道で叩きのめした小太坊も顔を見せる。
「……後で七絶も顔を見せると言っていたぜ。お前が俺たちに捕まったと教えたときには、それこそ、涙を流して歓んでいたいぜ」
小太坊が言った。
李春は心臓も止まるような屈辱と理解を越えたこの状況に頭が回らず、あられのない姿をさせられている自分がまだ信じられないで、ただ茫然と口を開いたままでいた。
(第41話『女侠客と愛人』終わり、第42話『女侠客無惨』に続く)