27
いい香りが漂ってきた。
「ご主人様、もうすぐさ」
孫空女が小さく刻んだ香草を鍋に足すと、途端にいい匂いが辺りに漂い始めた。
鍋の中では、沙那が仕留めた鳥の肉が小さく刻まれて煮えている。肉のほかに鍋に入っているのは、この山を登り始める前に、麓の里で分けてもらった米と野菜の切れだ。
まだ、陽は中天をすぎたばかりだが、沙那が山道を歩く途中で樹木の枝にいる数羽の鳥を見つけ、小弓で射たのだ。
小弓はいつもはばらばらにしているが、簡単に弦を張って使えるようにできるようになっている。
弓に矢を二本つがえ、同時に二羽の鳥を射抜いたときには、宝玄仙も孫空女も拍手喝采をしてくれた。
そして、宝玄仙が喜び、早いがここで食事をしようということになった。
急いで進んでも、数日はどこの里にも辿り着くことのない、人里離れた山道だ。
それで、まだ夕方には間があるものの、今日の旅はこれで終わって、野宿の支度をすることにした。
「いい匂いじゃないか。お前に料理の腕があるとはねえ。棒を振り回すだけが取り柄の女じゃないんだね」
草の上にあぐらをかいて座っている宝玄仙が、鳥肉と米の雑炊の支度をしている孫空女をからかった。
宝玄仙はそういうが、実は孫空女は料理が上手だ。
随分と野宿の経験があるらしく、荷の中に入れている小鍋ひとつで何でも作るし、道端の香草や食べられる茸などにも詳しい。
沙那は、料理では孫空女にはかなわない。
「じゃあ、蓋をして味を閉じ込めるよ」
宝玄仙の嫌みなど聞こえなかったように、孫空女がにこにこしながら、蓋代わりの大きな葉っぱを鍋の上に敷き詰める。
しばらくして、孫空女が出来上がりを宣言した。
椀に分けてもらって、焚き火を囲んで食事となる。
相変わらず、孫空女の料理はうまい。
宝玄仙も「うまい、うまい」と褒めていた。
「ところで、沙那、しばらくは、この山道は続くのかい?」
宝玄仙が椀の雑炊を頬張りながら言った。
「この
沙那は地図を思い出しながら言った。
地図は、沙那が宝玄仙から受け取ったものであり、天教教団の作成したものだ。
東帝国と通称されるこの
通天河の向こうが、「魔域」と呼ばれている亜人たちの世界、この帝国の物言いであれば、妖魔の世界だ。
宝玄仙の巡礼の旅の目的地である。
そこまで辿り着くには、どんなに急いでも二年はかかるはずだ。
いずれにしても、この国どころか、故郷の
地図はご禁制のものであり、一般には流通していない。
宝玄仙に言わせれば、天教の作成する地図は、この帝国で手に入れることのできるものとしては、最高級のものだそうだ。
沙那は、道中の管理を宝玄仙に押しつけられたときに、ほぼ暗記した。
「まあ、五王国までは、天教教団の影響が強いからね。まだまだ、帝国の一部にいるようなものだね。だけど、天教の寺院があるのも、五王国までだ。そこから先はさすがに、天教の影響はなくなるね」
宝玄仙が何気なく言った。
しかし、沙那は驚いてしまった。
「天教のない場所があるのですか?」
生れたときから、天教は身近なものとして沙那の周りにあった。
この国には、皇帝がいて、皇帝のいる宮廷の作った法があり、その法に基づいて、皇帝が命じる州長や県令が地方を治め、地方政府に属する軍があって、治安を司るのだが、そのほかに天教があるのだ。
天教の最高機関は八仙のいる天教本部とも呼ぶ「大仙院」であり、その大仙院の作った天教法がある。また、地方には天教の派遣している地方神官が神殿で人の暮らしを管理している。それだけでなく、天教には教団兵という独自の軍もある。
つまり、この帝国には、皇帝の管理する地方政府以外に、天教という別の支配が存在しているのである。
沙那は、地方政府に税などを管理され、さらに地方神殿にも生活全般を管理されるというのが当たり前だと思っていたので、教団のない状態というのが想像できなかった。
すると宝玄仙が大笑いした。
「教団のない場所があるのは当たり前だろう。天教の教義が広まっているのは、この帝国とその西にある五王国だけさ。そこから先は、天教以外の宗教もあるんだろう。お前は物知りのようで、時々、抜けたことを言うね」
宝玄仙が小馬鹿にしたような言い方をした。
沙那は思わず、頬を膨らませた。
「だって、わたしは旅なんてしたことないんです。五王国どころか、帝国のこんな西側に来たのもこれが最初なんです」
沙那は言った。
「そうだったね。いつも、随分と道に詳しいから、旅慣れているような感じになるよ。そもそも、孫空女の方が帝国の外に出た経験があるんだろう。お前が道案内をしたらどうなんだい」
宝玄仙が孫空女を見た。
だが、孫空女は首を横に振った。
「道案内といっても、沙那みたいに、地図や道しるべを読みながら、知らない道を進むということはできないよ。あたしは字が読めないんだ」
孫空女は孤児であり、しかも、生まれた村から、税代わりに奴隷として売られそうになって逃亡したという経歴の持ち主だ。読み書きを教えてくれる人もいなかったために、字は読めない。
その後は、盗みや時には強盗のようなことをしながら、なんとか生き抜き、少女時代は旅芸人の一座ですごしたということだった。
旅はそのときのことだ。
「役に立たないねえ。旅芸人をしているときには、どのくらいまで遠くに行ったことがあるんだい?」
宝玄仙だ。
「まあ、
万寿国というのは、この帝国のすぐ西にある
「なんだい。旅の経験があるといっても、そんなものかい。わたしの若い頃の方が、もっと遠くまで行ったよ。なにしろ、天教で出世するには、修行として巡礼の経験が絶対なんだ。わたしは、一応は五王国までなら全部回っている。まあ、随分と前のことだけどね」
宝玄仙が椀を置いた。
沙那は空になった宝玄仙の椀に、お代わりを入れる。
「若い頃っていつだよ、ご主人様? なんだかんだ言っても、ご主人様って、あたしと年齢は変わらないだろう?」
孫空女が笑った。
孫空女もまた、空になった自分の椀に二杯目を入れている。
「お前こそ、なに言ってんだい。お前、わたしを何歳だと思っているんだい。お前にしても、沙那にしても、やっと二十を超えるか、超えないかだろう? お前らみたいに、昨日今日、生娘でなくなった娘と一緒にするんじゃないよ」
宝玄仙が噴き出した。
しかし、沙那は首を傾げた。
「じゃあ、ご主人様は何歳なんですか? 随分、若く思えるのですか……」
訊ねた。
宝玄仙の年齢など気にしたことはなかったが、孫空女の言う通り、そんなに変わりないと思っていた。
沙那は十九歳だが、孫空女は二十三歳だ。
宝玄仙の年齢は教えてもらっていないが、見た目は若い。口を開かなければ、沙那と同年齢だと言っても通用するだろう。
言葉遣いや態度に、年齢を重ねた雰囲気があるので、歳上だろうという感じはしていたが、大きく離れているという自覚はなかった。
「馬鹿だねえ。わたしは、これでも八仙だよ。天教の最高位さ。そこそこの年齢に決まってる。見た目なんか関係ないよ。八仙ともなれば、見た目はいくらでも変えられるしね。八仙の中には、
宝玄仙が二杯目を口にしながら言った。
「へえ……」
沙那はそう言うしかなかった。
年齢を教える気はなさそうだが、やはり、それなりの歳なのだろうか?
「まあ、見た目の年齢と実際がかけ離れるということじゃあ、そのうち、お前たちもそうなるけどね。
宝玄仙が言った。
沙那はびっくりして声をあげた。
「えっ、それはどういうことです、ご主人様?」
「どういうことって、どういうことだい? 料理当番を孫空女に命じたのが不満なのかい?」
宝玄仙が眉をひそめた。
「料理なんてどうでもいいです。わたしたちの見た目が変わらないということです。それはそういう意味なんですか?」
「どういう意味もなにも……。お前らには、簡易的なものじゃなく、本格的な内丹印を刻んだろう。本来は霊気を宿せない常人に本格的な内丹印を刻めば、その影響で見た目の年齢は変化しなくなる。そんなの当たり前だろう」
沙那は驚愕した。
「あ、当たり前なんかじゃないですよ。そんなの知りませんでした」
「言わなかったかい? まあ、別に実害はないだろう。いつまでも、その若いままなんだから。お礼を言われたいくらいだね」
宝玄仙はあっけらかんと言った。
沙那は孫空女を見たが、孫空女もまた唖然としている。
「じゃあ、もしかして、これも説明してなかったかい? わたしの内丹印は避妊効果もあるからね。いくら、男に犯されても、孕むことはないから安心しな。子種が欲しくなったら、内丹印を刻み直してやるけど、まあ、それは先だね。内丹印は見た目だけでなく、身体の若さも保持されるから、まあ、子供を産むのは、二、三十年先でもいいさ」
宝玄仙が大笑いした。
沙那は唖然とした
「まあいいさ。じゃあ、食事も終わったし、今日は、ちょっと趣向を変えようじゃないか。ちょうどこの界隈は旅人もいなさそうだしね。青姦をしようか。お前ら、ここで乳繰り合いな。そうだ。早く相手を達しさせた方には、今日の調教を許してやる。ほら、始めるんだ」
宝玄仙が椀を横に置いて、いきなり言った。
沙那は困惑した。
「な、なんで、そんなことになるんですか。それに、まだ昼間です。しかも、
抗議した。
こんなところで、昼間から孫空女と抱き合うなど、恥ずかしい。
「お前、物知りなのか、そうでないのかわからないねえ。それを青姦というんだよ。じゃあ、お前の不戦敗でいいかい? やらないなら調教するよ。にわとり芸を仕込んでやろうかねえ。股に卵代わりの玉を入れて、にわとりの鳴きまねをしながら玉を出すんだ。股でできるようになったら、尻の穴で同じことをするよ」
沙那は顔がひきつるのを感じた。
「嫌です。そんな馬鹿馬鹿しいこと──」
「馬鹿馬鹿しかろうと、嫌だろうと、その服従の首輪に命じれば、お前は明日の朝までだって、それを繰り返すよ。じゃあ、そっちにするかい」
宝玄仙が手をかざした。
すると、道術で荷から取り出したのだろう。本当に手のひらの上に、大人のこぶし大の白い玉が出現した。
沙那は顔を蒼くした。
冗談じゃない。
これは、やるしかない。
早く達した方に、にわとり芸の調教をするというのは、決して冗談じゃないと思う。
沙那は自分の顔が蒼ざめるのがわかった。
「わっ、わっ、や、やります。やりますけど、まともにやったら対等じゃないですよ。孫空女に条件を付けてください」
「条件?」
「わたしには、
すかさず言った。
女淫輪は、沙那の身体を恐ろしいほどに欲情させる淫具だ。普段は気の制御により効果を殺しているが、一度愛撫を受けると、逆にその気が逆流して、沙那は自分でも呆れるほどに敏感に感じてしまうのだ。
まともにやれば、絶対に孫空女に勝てない。
「な──。沙那こそ、なに言ってんだよ。あたしが拘束されて、沙那が自由だなんて、それこそ卑怯じゃないか」
黙って成り行きを見守っている気配だった孫空女が不満を言った。
「つべこべ言うんじゃないよ、孫空女──。ほらっ」
宝玄仙が笑った。
孫空女の両腕にある
孫空女の両手両足と首には、緊箍具と称する赤い輪があり、それは宝玄仙の術で好きなように、好きな組み合わせで密着させることができる。
孫空女はこれで、後ろ手に拘束されてしまったのだ。
「じゃあ、これで対応ですね」
すぐに、沙那は孫空女に抱きついて押し倒した。
横向きの孫空女に対して、さっと縦になるように姿勢を作って覆い被さり、口の攻撃を受けることがない体勢で、孫空女の股間をまさぐりだす。
いつもお互いに愛撫をさせられるので、孫空女の弱いところは知っている。
たちまちに、孫空女はよがり始めた。
「なにが、対等だい。ひ、卑怯だよ、沙那──」
孫空女が悶えながら叫んだ。
「ご主人様の調教を前にしては、卑怯もなにもないわ。悪く思わないでね、孫空女。頑張ってにわとり芸を覚えるのよ」
沙那は孫空女の
さらに股布に指を突っ込むと、すでに孫空女は濡れていた。
「そのままじゃ、駄目だよ、沙那。孫空女の下は脱がすんだ。そして、お前も脱ぎな。勝負はそれからさ」
宝玄仙が笑いながら言った。
「わかりました」
沙那は孫空女の下袴に手をかけた。
そのときだった。
妙な違和感が襲ったのだ。
沙那は孫空女を捕まえていた手を離して、身体を起こした。
「ご主人様、結界を刻んで」
起きあがった孫空女も真顔になって怒鳴った。
山道の西側の向こうで、土煙があがっている。
盗賊の集団だ。
こっちに近づいてくるようだ。
「ご主人様、遊びは中止です。全部、解放してください」
沙那は服装を整えて、さっと剣を抜く。
宝玄仙も真面目な顔になる。
ばちんと音がした。
孫空女の緊箍具の拘束を宝玄仙が外したのだ。
「あのくらいなら、あたしだけでいい。沙那はご主人様と一緒にいて」
孫空女が立ちあがりながら、如意棒を伸ばした。
*
孫空女が盗賊たちをあしらいに行ってすぐに、反対側からも盗賊が出現した。
沙那は舌打ちした。
始末の悪いことに、そっち側の盗賊は道の両脇の樹木の陰に隠れるようにして、弓矢を準備している。実のところ、宝玄仙の結界は、生きているものや道術の類いは跳ね返して通過できないのだが、弓矢のように素早くすり抜けるものは、うまく防げないのだ。
だから、普段は樹木のあいだや岩陰などの弓矢の影響のない場所に結界を張ってもらって野宿するが、いまは、もともと昼餉のつもりだったから、広い草の上だ。
矢を防げるものはない。
「ご主人様、あいつらを追い払ってきます。結界の外から出ないでください」
沙那は剣を抜いた。
「ああ、行っておいで」
宝玄仙は、周りに結界を作りながら気楽そうに言った。前後に盗賊の襲撃を受けながら、まったく心配をしていないようだ。
沙那は苦笑した。
駆けた。
だが、連中は沙那が近づくと、さっと引きあげて、後ろに退がっていく。
しかし、逃げるという感じではない。
そのまま、追いかけていくと、またもや、退がった。
沙那は立ち止まった。
おかしい……。
まるで、沙那を誘っているような動きだ。
しかも、目の前の連中になにも気配を感じないのだ。
まるで、そこには誰もいないような……。
そのとき、沙那が止まったことで、今度は一度後退した盗賊たちがぞろぞろと前に出てくる気配を示した。
沙那はきびすを返した。
これは罠だ。
罠だとすれば、ひとりにした宝玄仙が心配だ。
「うわっ」
すると、今度は振り返った前側に盗賊たちが不意に出てきた。
後ろを確かめると、さっきまで存在していた弓矢を持った男たちがいない。
「目くらまし?」
なにかの幻術だろう。
確信した。
やはり、男たちに気配のようなものを感じない。
沙那は、賊の存在を無視して走った。
男たちの前をすぎるとき、男たちは煙のように消滅してしまった。
「やっぱり」
沙那は呟いた。
しかし、すぐにその場で立ちどまってしまった。
目の前に大きな崖が立ちはだかっていたのだ。
たったいままで、そんなものはなかった。
そもそも、この向こうから普通に走ってきたのだ。
崖の前に立った沙那は、呆然としてしまった。