夜が明けてきた。
二本の縦材に両手首と両足首を固定されて、全開に股間を曝け出している宝玄仙の裸身が頭上に晒されている。
夜の間に宝玄仙の供の女たちが奪回のために襲撃することを警戒して、篝火を周囲に焚いて昼間のような明るさを確保させていたのだが、有来有去としては、肩透かしをされた気分だ。
宝玄仙の思考を読んだ限りにおいても、また、数日前に隠れ家を襲撃して宝玄仙を捕えた際の戦いぶりから考えても、宝玄仙の三人の供がそれなりの女傑であり、当然、危険を冒してでも襲撃にくることは予想していた。
道術を遣える者もいるのだ。
絶対に、宝玄仙の救出にやってくると思っていたが、結局、彼女たちによる宝玄仙の奪回はないまま、朝を迎えようとしていた。
夜になったことで、昨日大勢集まっていた見物人は、一時的にいなくなっていたが、早朝に行われる絞首刑を見物するために、もうかなりの市民が集まっている。
後一刻(約一時間)もすれば、この広場はいっぱいになるだろう。
そして、処刑が執行されることになる。
四肢を縦材に拘束している革紐が外されて、両腕は背中側で手首を縛られ直す。
その次に改めて役人によって罪状が読みあげられて、足を載せている小さな板が外される。
宝玄仙の首にはすでに縄がかかっているので、それで宝玄仙の首はぶらさがることになる。
宝玄仙はあっという間に死ぬだろう。
屍体が台から下ろされるのは、十日ほど後のことだ。
その間、宝玄仙の裸身は屍体になっても晒され続けることになる。
「本当に供に見捨てられたな、宝玄仙」
有来有去は頭上で磔になって、女陰どころか尻の孔までさらけ出している宝玄仙を見あげた。
有来有去がいる場所には、日射しを避ける布の下に卓と椅子があり、有来有去は数名の部下とともにそこに座っている。
有来有去が施した淫具は、磔になる前に取り去ってしまったので、ひと晩中磔になっていた宝玄仙の身体の淫情は消え去っている。
そのため、いまは宝玄仙がなにを考えているかはわからない。
乳首の根元を絞る霊具はそのままだが、それは宝玄仙がなにかを喋ろうとすれば、それに反応して刺激を与えるように道術を刻んでいる。
宝玄仙もそれがわかっているので、口を閉ざしている。
宝玄仙を奪回にくるところを待ち構えて捕え、逃亡に成功した三人の供を捕縛してしまいたかったが、少し警戒が厳重すぎたのかもしれない。
彼女たちが女主人の奪回を諦めてしまったということは、それはそれで残念だった。
城郭軍をてこずらせた手配犯を捕えることで、道術師隊の名を高めるいい機会になるはずだったのだが……。
だが、このままでは面白くない。
せっかく準備した連中に対する罠が無駄になる。
少し、挑発でもしてみるか──。
有来有去は、兵に命じて宝玄仙を磔にしている台に昇るための階段車をもう一度二本の縦材の下に配置させた。
階段を昇り、磔にされている宝玄仙のそばに向かう。
「さて、宝玄仙、あと数刻で処刑だが、ただ、そうやって黙って磔になるだけなど退屈だろう。退屈しのぎの霊具で遊ばせてやるぞ」
有来有去は、集まりかけている民衆の耳にも聞こえるように大声で言った。
ひと晩中磔になり、体力も気力も限界に近い宝玄仙の美貌が有来有去を睨みつける。
しかし、口を開くことが許されない宝玄仙の口はしっかりと閉じられている。
「露出狂で淫乱のお前に相応しいこの世で最後の贈り物がこれだ──。これをお前の尻に入れてやろう」
有来有去は懐から一本の張形の霊具を取り出した。
宝玄仙の眼が見開かれる。
有来有去は、思わず笑みを漏らした。それをすっと宝玄仙の尻側に移動した。
「んんんんん──」
宝玄仙が四肢を大きく開いたまま、激しく腰と首を振ってそれを避けようとしている。
こんな場所で尻をなぶられるなど冗談ではないのだろう。
確かに、自分が眼の前の宝玄仙のように、民衆の前で全裸を晒し、霊具で尻を責められるということを想像すれば、あまりの屈辱で憤死するかもしれないと有来有去は思った。
見守っている民衆が、有来有去がなにか始めたことに気がついて騒ぎ始めた。
「ここにいるのは、自分の気紛れで結界牢を襲って囚人を道術で殺したようなとんでもない悪女だ。こんな女がただ首を吊られて死ぬだけだなんてつまらないと思わないか」
有来有去は張形を頭上にかざして大声をあげた。
「そんな女なんて、ただ死ぬだけなんて罰にはならんぞ──」
「そうだ、もっと辱めろ──」
「やれ、やれ──」
面白がった市民の一部が有来有去の言葉に同調して、拳を振りあげて騒ぎ出した。
すると、次第に全体にその興奮が波のように拡がっていく。
だんだんと狂気が拡大する様子に宝玄仙の顔が引きつっている。
集団意識というやつだ。
それは簡単に助長できるものだし、それでいて始末に終えないものだということを有来有去はよく知っている。
あっという間に静かだった広場が暴発寸前の暴徒の集まりのようになっていく。
処刑場の会場が騒然としはじめた。呷られた市民の顔には、怒気が浮かび、口々に悪女をもっと懲らしめろと声をあげている。
有来有去は市民たちの騒ぎが頂点になりかけるのを待ち、もう一度手をあげて、張形をかざした。
市民たちの中に一瞬、静寂が戻った。
「これをこの女の尻に挿してやりたいと思う。この張形は霊具であり、この女が尻でいくまで責めたてる。だが、それだけじゃない。この張形でこの女が達してしまえば、この張形はこの女の尻で瞬時に溶けて、強力な浣腸液となって腸に雪崩れ込むというわけだ。この浣腸張形で責めてたててもいいか──」
有来有去は声をあげた。
宝玄仙は、有来有去の言葉を聞き、眼を見開いて真っ蒼になっている。
しかし、口はしっかりつぶったままだ。
余程、乳首を霊具で振動されるのが嫌なのだろう。
「おお、いいぞ、挿せ──」
「挿せ──」
「女のけつにそれを挿せ」
「浣腸しろ──」
「そのまま糞を垂れ流しにしろ──」
市民たちは、再び興奮状態になり、凄まじい歓声が沸く。
有来有去がこれみよがしに手に持った浣腸張形を振ると、市民の声が地を揺らすほどの騒ぎになる。
「んんん──」
有来有去は、張形を再び宝玄仙の尻に近づける。
宝玄仙が狂ったように腰を振って逃げようとする。
しかし、四肢を完全に拘束されている宝玄仙の尻孔に張形の先端を触れさせるなど簡単なことだ。
触れさせすれば、後は張形に刻まれた道術により、張形は宝玄仙の尻の中に吸い込まれる。
「ああ……あくうっ──んんんっ──」
全身を震わせて激しく喘ぐ宝玄仙の尻が張形を受け入れていく。
汗ばんだ身体を押さえつけている革紐が音を立て、二本の太い縦材が大きく揺れた。
「糞まみれで絞首刑になりたくなかったら、耐えきってみるのだな。この大勢の市民の前で醜態を晒さないためには、お前には二回の機会があるということだ。ひとつは、張形の責めに耐えて達しないこと。もうひとつは、達してしまって張形が浣腸液となって腸内に流れ込んでも一生懸命に尻孔をすぼめて我慢することだ」
「くっ」
宝玄仙の顔がひきつったようになる。
有来有来は続けた。
「処刑開始は一刻(約一時間)後だからな。耐えて見せろ。それで退屈しのぎにはなるだろう……。いや、お前には糞便を垂れ流すまで処刑は待ってやろう。それまで死ななくて済むのだ感謝してくれ。その代わり、みっともなくここで糞を垂れ流したら、すぐに処刑を執行する。臭くて堪らんからな」
宝玄仙が火のついたような視線を有来有去を睨んだ。
しかし、すぐにその顔が淫情を含んだ真っ赤なものになる。
宝玄仙の尻の奥まで侵入した張形が責めたてはじめたのだ。
磔状態の宝玄仙がせつなそうに身悶えをする。
「じゃあ、これで、本当にさよならだ──」
有来有去が階段車を降り、地面に到着すると、兵たちによって階段車が宝玄仙の股の下から避けられて、広場の隅に押しやられた。
磔の宝玄仙が全身から汗を噴きだして、痙攣のような動きをしはじめた。
激しく身体を振るので、乳首からぶらさがる鈴が音を立てる。
そして、宝玄仙が欲情したことで、有来有去の頭に宝玄仙の心が流れ始めた。
すでに、宝玄仙は追い詰められているようだ。
張形がかなり激しく宝玄仙を責めたてている。
面白いことに、宝玄仙の一部が獣のように快感を求め続けているが、一方で理性の部分では、大勢の市民の前で絶頂の姿を晒すことと、張形が溶けて浣腸剤となって弾けることに恐怖している。
そして、懸命に込みあがる快感を押さえようと努力している。
だが、もう時間の問題のようだ。
どんどん宝玄仙の中で快楽が大きくなり、それが心全体を覆い尽くそうとしているのがわかる。
「んんんん──」
宝玄仙が口をつぐんだまま悲鳴をあげた。
宝玄仙の中の快感は、もはや尻だけではなく、下腹部や胸にまで伝染している。
もう、身体に力が入らず砕けそうになっているようだ。
宝玄仙の心を通じて、大きくうねり、回転し、律動する張形の動きが有来有去に伝わる。
もう、崩壊は近い──。
有来有去は市民の方を見た。
いまのところ、おかしな動きをする者はいない。
宝玄仙の供は、本当に宝玄仙を見捨てたのだろうか。
「くんんんん──あああああ──」
宝玄仙の快感が完全に身体全体を融かしきり、背骨を駆け抜けて、頭まで達した。
宝玄仙の思考が真っ白くなり、昇天する快楽だけになった。
「んああああ──」
頭上で磔になっている宝玄仙の裸身が仰け反った。
女陰から潮のようなものが吹き出した。
宝玄仙が大きな痙攣をしている。
かなり長い痙攣で、その間、断続的に淫液の噴水が起きた。
絶頂後の脱力により、磔の宝玄仙がぐったりと身体を投げ出すようにした。
そして、その直後、我に返った宝玄仙の表情に恐怖の色が拡がった。
張形が宝玄仙の尻で弾けて大量の浣腸液となり、尻の奥に注いだのだ。
「くあっ……ああ……」
宝玄仙の大きな狼狽が伝わってくる。
浣腸液が暴れている感覚は、尻の中で肉襞をくすぐられているような感覚らしい。
まだ、宝玄仙の心から快感が有来有去に伝わっている。
しかし、すぐに、それが浣腸液の効果による排泄感と痛みに置き換わる。
それに従い、宝玄仙の心が有来有去と繋がり難くなるに違いない。
有来有去の能力は、女が快感に耽るときに心を読むというものだ。
張形が浣腸液に変わった以上、宝玄仙が戦うのは、すぐに快感ではなく、ただの排泄感だけになる。
そうなれば、有来有去との心のつながりは解けるだろう。
宝玄仙の中でどんどん排泄感が大きくなるのもわかる。
「おやっ?」
有来有去は思わず声を出してしまった。
宝玄仙の中で排便の欲求が高まるにつれて、再び、宝玄仙の心が深く繋がり出したのだ。
いま、宝玄仙を性的に責めるものはなにもない。
それなのに、有来有去が宝玄仙の心を読みやすくなったということは、それが示すのはただひとつだ。
つまり、宝玄仙がこの恥辱について、快楽を感じているのだ──。
どうやら、本当に露出狂であり、人前で辱められると興奮するという性癖が宝玄仙にあるのだ。
気の強い宝玄仙の隠された恥部を見つけて、なんだか有来有去は嬉しくなった。
つい笑い声をあげる。
「どうしました、有来有去様?」
横の部下が怪訝な表情をする。
「な、なんでもない……。あの宝玄仙の様子があまりに哀れでな──」
懸命に笑いを押さえながら、有来有去はそれだけを言った。
宝玄仙が悲痛な表情で震えている。
薬剤により下腹部を圧迫されて、苦痛を感じているのに、同時に快感を覚える心も伝わる。
宝玄仙の中のそのふたつの感情が混ざり、宝玄仙を混乱させて、切羽詰った呻き声をあげさせている。
「出──せ、出──せ、出──せ」
「出──せ」
「出──せ」
誰ともなく、“出せ”という声が集まっている市民から合唱され始めた。
宝玄仙の仕草から、宝玄仙がすでに達してしまい、浣腸張形が溶けてしまって、いまは、猛烈な排泄感に苦しんでいるのがわかったのだろう。
「変態女──。そこで垂れ流せ──」
「へ──んたい──」
「変態──」
“出せ”という声に“変態”という声も混ざり出す。
宝玄仙の心を読める有来有去には、宝玄仙が、民衆の野次から屈辱だけではなく、屈辱の向こう側の激しい快感を覚えているのがはっきりとわかる。
だからこそ、こうやって、有来有去が心を読み続けることができるのだ。
考えてみれば、宝玄仙と宝玉というふたつの人格は、実に興味深い。
最初は、宝玉の人格は弱くて受け身的であり、宝玄仙の人格は強くて攻撃心に富んでいるのだと思っていた。
しかし、このふたりの性癖は実に複雑によじれている。
つまり、宝玉は恥辱や辱めで快感を覚える被虐性があるが、それ以上に愛情のある相手との関係を求め止まなかった。
宝玉の求める恥辱は、愛情の裏返しにあるものを欲していて、被虐的な性癖は宝玉の一部にしかすぎず、むしろ宝玉の本質は、愛に飢えながらも、それが与えられない乾ききった荒れ地の心だった。
それに比べれば、宝玄仙の心は複雑に密生した樹林だ。
強い被虐性と隠れた被虐性が複雑に絡み合い密生している。
肉欲そのものについては、激しい性癖の宝玄仙よりも宝玉が強いようだ。
ふたつの人格の根が同じだというのは、両方の心を読んだ有来有去にはわかった。
だが、すでに、ふたつの人間という程に異なるものでもある。どうしてこういうことが起きるのだろうか。
宝玄仙の苦痛が頂点になった。
有来有去は思念をいまの宝玄仙に戻した。
「あっ……あくうっ……」
宝玄仙の汗はおびただしいものになっている。
心を読まずとも、宝玄仙の肛門が崩壊寸前であることはわかる。
むしろ、心を読んでいて興味深いのは、宝玄仙の中の被虐性だ。
宝玄仙の心に諦めの感情が拡がるとともに、それが酔いのようなものに変化した。
「ああ……」
宝玄仙の心が折れたと思った。
次の瞬間、茶色い濁流が宝玄仙の尻から噴き出した。
「出た──」
「臭え──」
「うわっ──」
さまざまな絶叫が市民からあがる。
宝玄仙の心が打ちひしがれたものになる。
宝玄仙の足元には先程噴き出した淫液の潮の染みが地面にあったが、その上に茶色い液体が流れ落ちる。
やがて、さらにそこに宝玄仙の腸から吹き出た固形の大便がぼたぼたと落ちる。
美貌の宝玄仙の尻から落ちる大便に、市民たちも興奮した声をあげる。
宝玄仙の心の中の被虐の快感のようなものは、大便が終わるとともに、冷たいものに変わっていった。
快感よりもこれだけの痴態を晒してしまった絶望がまさったのか、繋がっていた宝玄仙の心が有来有去から途切れた。
有来有去は改めて市民の方向に視線を送る。
なんの動きもない。
ここまでやって救出の動きがないのであれば、宝玄仙の供は、本当に見捨てたのだろう。
これ以上やっても意味はない。
宝玄仙から出た大便が周囲に臭気を撒き散らしている。
「地面の大便を片づけろ──。刑を執行する」
有来有去は叫んだ。
兵たちが慌ただしく動き出した。
そのとき、集まりかけていた市民の輪が開いた。
そして、大きなざわめきがだんだんと後方からこちら側に拡がっている。
何事だろうと有来有去はそちらに視線をやった。
市民を割ってこっちに来たのは、宮廷府の方向からやって来た軍馬の一隊だった。
それが
「随分と悪ふざけをしているのね、有来有去……。しかも、市民の前で女囚に大便をさせるなんて悪趣味……」
有来有去の前まで馬を操ってやってきた宿元女が、馬を降りながら冷たい視線を有来有去に向けた。
「これは異なことを──。こんな悪女は、人間的な扱いをせずに、市民への見せしめにしろと言ったのは宿元女殿ですよ」
「そうだったかしら?」
宿元女は不機嫌な様子を崩さない。
「それで、これはいったいどういうことなのです、宿元女殿?」
有来有去は言った。
宿元女が連れてきたのは、十五人ほどの小隊だ。
ただ、最後尾に一台の窓のない檻車がある。
檻車というのは、囚人などを輸送するための馬車で、大きく壁が鉄格子になっていて内部が丸見えのものと、逆に完全に閉鎖された箱になっていて内部の視界が完全に閉ざされているものに分かれる。
宿元女が率いてきたのは、窓のない箱のかたちのものだ。
すると宿元女が、横の部下に頷いた。
部下も女兵だった。
その女兵が手にしていた羊皮紙をさっとかざす。
「こ、これは……?」
王家の刻印が見えた。
細かい文字が書かれている。
国王からの命令書のようだ。
有来有去はどきりとした。
「陛下の命により、宝玄仙の身柄は、いまから近衛軍が預かるわ」
さらりと宿元女が言った。
「そ、それは──」
有来有去はうろたえてしまった。
こんな女の処刑が無事に執行されようと、中止になろうとどうでもいいのだが、身柄を引き渡すというのは困る。
宝玉については、拷問で堕として、この宿元女の前で嘘の供述をさせた。
その供述によって、宿元女は、宝玄仙が賽太歳の行方を知っているという噂が出鱈目であることを納得して、宝玄仙の引き渡し要求を取り下げて刑の執行に同意したはずだ。
だが、いま、宝玄仙の身体の表に出ているのは宝玄仙だ。
宝玄仙は、宿元女に訊問されれば、賽太歳と有来有去の関係について、自分の想像を喋るだろう。
それは困る。
「ど、どうして……。その話は納得されたのでは──?」
有来有去は狼狽した。
「陛下の命に逆らうの?」
宿元女は冷たい視線を注ぎ続ける。
「そんなつもりは……」
「早く、宝玄仙を下ろしなさい。そして、身柄は近衛軍が引き取るわ」
「だが──」
有来有去はなおも抗議しようとした。
しかし、宿元女が睨むのでそれ以上、なにも言えなくなった。
「わ、わかりました。陛下の命であれば、死刑囚は引き渡します。それにしても、私としても理由を教えていただけなければ、とても納得できるものではありません。私には、なんの命もないのですから」
有来有去は、部下に宝玄仙を磔台から下ろすように指示をした後で言った。
「……宝玄仙の供をこちらで捕えたのです」
なぜか不機嫌そうに黙っている宿元女に代わり、先ほどの部下が応じた。
「宝玄仙の部下をそちらで──?」
有来有去が、思わず声をあげた。
「彼女たちの供述で事情が変わったのよ。宝玄仙に改めて確かめなければならなくなったのよ」
やられたと思った。
有来有去も逃亡した宝玄仙の供を追っていたのだが、近衛軍に先に捕らえられるとは思いもしなかった。
近衛軍は捜査機関ではない。
近衛軍が金聖姫の行方を追っているのは、宿元女の個人的な思いによるもので、そういう捜査に不慣れな近衛軍は、金聖姫の行方を捜索しているが、二年間もはかばかしい成果を得らないでいた。
その近衛軍にしてやられるとは……。
「連れてきました」
有来有去の部下が、後手縛りの宝玄仙を連れてきた。
汚れた尻は簡単に水で洗わせたようだ。
近衛軍の部下が、身柄を引き継いで宝玄仙を檻車に連れていった。
処刑が中止になるという雰囲気を察したのか、集まっている市民が騒然となり始めている。
有来有去が率いてきた城郭軍の将校が、兵を使ってそれを宥めている。
「し、しかし、近衛軍府で道術遣いの調べをするというのは危険ですよ。逃亡の可能性も……」
有来有去は言った。
なんとか、完全に宝玄仙の身柄を押さえるのは阻止したい。
それができないまでも、せめて、道術師隊が関わるようにしたい。
それであれば、なんとか宝玄仙があらぬことを話すのを阻止できるかもしれない。
賽太歳と有来有去のことを喋られても、助かりたいがための出鱈目と断じることもできる。
「大丈夫です。近衛軍府にも、道術遣い……いえ、道術師はおりますから」
宿元女はすでに立ちあがっていたが、先ほどの女の部下が補足するように言った。
この女将校は誰だろう?
宿元女に近い存在のようだが、有来有去には面識はない。
今後のこともあるし、後で調べさせようと思った。
それにしても、近衛軍に配置されている魔導師など、道術の能力など大したことはない。
有力な術遣いは、道術師として道術師隊に配置させているのだ。
宿元女は、道術に疎いので、それでも近衛軍に付けられた道術師を信頼しているようだが、あんな道術師たちは、有来有去に言わせれば三流もいいところだ。
「しかし、それはあまりにも危険です。それは宿元女殿にもおわかりでしょう。ならば、道術師隊が術遣いの襲撃の警戒につきます。調べの間も、私自ら警護に当たります。念のために立会もします。宝玄仙は道術遣いです。道術師隊がいなければ、その道術を封じることができません──。もしも、逃がすようなことがあれば、陛下に申し上げようもありません──。よろしいですね」
「わ、わかった」
強く口調で言うと、歩きかけていた宿元女が押されるように応じた。
近衛軍の調べに道術師隊の受け入れをしてもらわなければ有来有去の立場がかなり危ういことになる。
いわば、さっきの申し出は、有来有去の正念場だったのだが、意外にあっさりとした応諾に有来有去も拍子抜けする思いだった。
「さあ、宿元女様」
宿元女の部下の女将校が、宿元女を押しやるように檻車の方向に促す。
有来有去は、その場に立ったまま、視線でそれを追った。
裸体の宝玄仙を連れた背の高い女兵が檻車の扉を開いて、中に宝玄仙を入れる光景が視界に入った。
何気なくそれを見ていると、なぜか宿元女とさっきの部下も檻車に向かって歩いている。
そして、宝玄仙とそれを連れた女兵に続くように、宿元女と部下が檻車に入った。
檻車の戸が内側から閉じられる。
有来有去は呆気にとられた。
それではっとした。
いま、なぜ、宿元女は檻車の中に入ったのだろう。
あまりにも自然な動きだったので、反応することができなかったが、宿元女が檻車に入る必要がわからない。
しかも、宝玄仙という囚人と一緒に……。
「檻車の中を調べろ──」
有来有去は叫んでいた。
檻車に向かって駆けた。
檻車の中はしんとしている。
内側から閉じられた扉が開く気配はない。
中に入ったのは、宝玄仙とそれを連れた女兵、そして宿元女とその部下──。
全員が女で人数は四人だ──。
有来有去の慌てぶりに、周囲の兵たちだけじゃなく、市民にも異常な空気が流れ始めている。
檻車のそばまで走った。
なにかが貼ってある。
いわゆる『道術封じの護符』だ。
『道術封じの護符』というのは、檻車の中で遣う道術を封じるための霊具だ。
これを檻車に貼ることで、通常は『移動術』の遣える道術遣いを閉じ込めるのだ。
しかし、そばに近寄ってみると、その護符が逆に貼ってある。
つまり、これでは、檻車の中の道術遣いが道術を封じられる効果はない。
通常とは裏返しに貼ることで、外の道術が檻車の内部に外の道術が及ばないという逆の効果を生むことになる。
いま、檻車の内部は、有来有去がこの広場一帯に及ぼした道術を封じる仕掛けがすべて無効になっているということだ。
「開けろ──。い、いや、護符を剥がせ」
有来有去は声をあげた。
やはり、檻車は内側から鍵がかかっていた。
戸を叩いて呼び掛けたが返事はない。
いや、むしろ、人の気配がない気がする。
檻車の鉄の扉が開いたのは、道術師兵が檻車に貼り巡らせた護符を無効化しながら、全部を剥がしてからだ。
有来有去は、『解錠術』をかけて、内側から閉じられた戸をやっと開いた。
「あっ」
叫び声は有来有去ではなく、一緒に内部を覗きこんだ部下からのものだ。
中はもぬけの空だった。
さっきの宿元女の姿の三人こそが、宝玄仙の仲間だったのだ。
あるいは、宿元女が寝返るか、操られていたのか……。
とにかく、一瞬の隙を突かれて、宝玄仙を連れて行かれた──。
外に出た。
事態を察したのか市民たちが騒ぎ始めるのと、宿元女と一緒にやってきた近衛兵の一隊が狼狽えている光景が有来有去の視線に映った。
「宝玄仙が逃げた──。道術の気配を追え」
有来有去は、道術師隊に命令した。
おそらく無駄だろうと確信しながら……。