「道術が?」
「なくなった──?」
「本当ですか?」
孫空女、沙那、朱姫の順で思わず叫んだ。
「そうだよ、文句があるのかい」
不機嫌そのものの宝玄仙が怒鳴り声をあげた。
だが、孫空女には、宝玄仙が怒っているというよりも、少し怯えているように感じた。
宝玄仙は、怖がっているときや緊張しているときに、それを怒りの表現で隠すという傾向がある。
もう、長い付き合いになりかけているから、そんな宝玄仙の性質もわかってきた。
朱紫国の国都郊外からかなり北に進んだ山中の洞窟だ。
朱姫の『移動術』の道術によって、あの国都の広場から最初に、
そこで、陳達と合流してから、まずは監禁をしていた本物の宿元女を沙那と朱姫が追い払った。
宿元女は、自分の名前すらわからない程に記憶を失わせているが、朱姫の事前の暗示により無自覚に城郭に向かってひとりで歩いていくはずらしい。
軍服ではなく平服を着ているので誰も気がつかないかもしれないものの、城郭の城門を潜ったところで、突然、宿元女は自分の名と立場を思い出すということだ。
ただし、孫空女たちに浚われたことや、ここで朱姫の『縛心術』にかけられたこと、そのために、三人から性的な責めを受けたことについては、完全に記憶が喪失されている。
もちろん、陳達によって見張られていたことも忘れているし、今回の事件に関する陳達の記憶も朱姫が繰り返し、暗示にかけて注意深く消していたようだ。
朱姫は、余程のことがなければ、陳達の名を言われても、なんのことも思い出さないだろうと保障した。
沙那は、今回のことで陳達に迷惑がかかったことをかなり気にしていた。
宿元女から記憶を奪ったとはいえ、なにかの拍子で消した記憶を宿元女が思い出すかもしれない。
だから、陳達には住み馴れた国都を離れてもらう。
確かにそれは申し訳なく思う。
その後、素裸だった宝玄仙の身体を河の水で洗わせて、陳達に準備してもらった服を着せ、その河原から、さらに郊外から離れた北側の山中深くに、『移動術』で跳躍した。
跳躍したのは、宝玄仙を含めた沙那たち四人と陳達の五人だ。
とりあえず、数日間はこの山中で過ごすことになる。
多少の食料と飲み物などは、あらかじめ見つけておいたこの洞窟に準備してある。
どうせ、逃亡した宝玄仙の追手はすぐにかかるだろう。
下手に逃亡するよりも、山中に籠って、追捕のほとぼりが醒めるのを待つ方がいいと判断した。
やっと落ち着いたところで、四人だけで話があるからと説明して、沙那が陳達に洞窟の入口部分に行ってもらうように言った。
そして、四人だけになったところで、宝玄仙が告白したのが、道術が失われたという事実だ。
「道術が失われたっていうことですか?」
沙那が言った。
「そ、そうだよ」
宝玄仙は不機嫌そうに応じた。
「いいえ、ご主人様に霊気は感じます。いまでも、かなりの霊気を放出されています」
朱姫が断言するように言った。
「わかっているよ、朱姫……。霊気はあるんだ。でも、道術そのものが失われている。そういう状態さ」
宝玄仙は自嘲気味に笑った。
「ねえ、ご主人様、何度聞いても、その道術と霊気のことはよくわからないよ。霊気があるのに、道術がないということはどういうこと?」
「わかったよ、孫空女──。じゃあ、馬鹿のお前にも、わかるように説明してやるよ」
宝玄仙が地面に小枝で大きな丸と小さな丸を描いた。
「この丸が霊気だとするよ。いいかい、霊気というのは力の源だ。例えば、生きていて身体を動かそうと思えば、誰でも物を食べたり、水を飲んだりして力を身体に蓄えるだろう。それと同じさ。道術遣いや妖魔は、それだけじゃなくて、自然の中に備わる霊気を自分の身体に蓄えて霊気を確保しているんだ……。ここまではいいかい?」
「う、うん」
とりあえず相槌だけはする。
「だけど、蓄えられる霊気というものはそれぞれ違うんだ。それは生まれつきのものであり、訓練で大きくなったり、小さくなったりするものじゃない。つまり、道術遣いの生まれながらの能力によって、溜められる霊気は一定だということだ。力の大きな道術遣いは、大量の霊気を蓄えることができるから、それを遣ってできる仕事は大きい。逆に、霊気が少ししか蓄えられない道術遣いが、道術でできる仕事は小さい──。そろそろ難しくなったかい、馬鹿?」
宝玄仙は、最初に描いた大小の丸に、それぞれ大きな矢印と小さな矢印を付け足した。
「ば、馬鹿って言わないでよ。まあ、なんとなくわかるよ……」
孫空女は言った。
「だけど、霊気はどんなに大きかろうと、それだけじゃあ、ただの力だ。なにもしなければ、蓄えた霊気をどんどん無秩序に放出するだけだ。そこで道術が登場する。道術は、身体に蓄えている霊気を自分が望むような流れを作って押し出す技だ。技術なんだよ。技術──」
「わ、わかったって。技術だね」
だんだんと不機嫌そうに興奮してきた宝玄仙の口調に、孫空女はたじろぎながら言った。
「だから、訓練したり、教わったりすればできることも増えるし、効果も増大する。だけど、さっきも言った通り、そもそも霊気がなければ、どんなに訓練しても、道術は効果を発揮しない。まあ、この丸が霊気とすれば、この矢印が道術だ。霊気があっても、道術力がなければ、なにもできない──。それがいまのわたしだよ」
宝玄仙は、地面に描いた丸と矢印を順に差してから、小枝を地面に放り投げた。
「す、少しはわかったけど、じゃあ、あたしや沙那には、ご主人様によって身体に霊気を入れてもらったけど、生まれながら道術を遣う能力がないから、道術は遣えない。それと同じということかい?」
「まあ、そう言うことだね、孫空女──。まるっきり馬鹿というわけでもじゃないようじゃないか」
宝玄仙が笑った。
「でも、わたしと孫空女は、霊具は遣えます。ご主人様はどうですか?」
沙那だ。
「そうだね。霊具というのは、そもそも、霊気の流れを意図的に作るという道術の役目を補完して、本来の道術なしに、霊気を動かすことができるための道具だ。多分、お前たちと同じように、霊具は扱えると思うよ、沙那」
「ふうん……。じゃあ、ついでに訊くけど、ご主人様の作る霊具には、霊気のない人間にも扱えるものがあるじゃない。あれはどういうこと?」
孫空女は言った。
「まあ、秘密だけど教えてやるよ。霊気のない人間には、当たり前だけど動かす霊気がないから、霊具があっても霊気の流れが発生しないために、術が効果を及ぼすことはない。これは基本だよ。だけど、うまく技を遣えば、人間を伝導体のようにして、自然の霊気を集めながら、霊具で道術を発揮するようにすることはできるのさ。そんな風に霊気を溜めずに、集めながらということになると、それ程の大きなことはできないけど、わたしは、霊具に対して自然の霊気を集める術式も、霊気を節約して大きな効果を発揮するように霊具に道術を刻むこともできるから、ほかの道術遣いが作ったものよりも、かなり便利なものができるよ。これでも、わたしの作った霊具は、東方帝国では重宝されたものさ」
そう言えば、宝玄仙は霊具作りの才女とも呼ばれていたほどの、霊具作りでは右に出る者のいない程の実力者だった。
帝都からずっと離れた場所で盗賊をやっていた孫空女も、霊具作りの宝玄仙という二つ名くらいは耳にしたことがあった。
「なら、朱姫は、ご主人様が放出する霊気を得て、身体を維持していますが、それは問題ないのですね?」
沙那が言った。
「ないね。霊気の放出は続いているし、わたしが霊気を取り込む能力は健在だから、むしろ、消費することのない霊気が、普段より激しく放出されているような状態さ」
宝玄仙が答えた。
かなり前に、朱姫は、白骨夫人という妖魔遣いの仕業で、身体に『臙脂虫』という寄生虫を寄生させられ、宝玄仙から霊気を吸収していなければ、寄生虫が増殖し、だんだんと獣化していくのだという。
宝玄仙の『治療術』でも、臙脂虫を完全に退治することができず、朱姫の体内で発生するその寄生虫の卵を吸収した霊気で殺し続けることで朱姫の身体を保っている。
また、宝玄仙の霊気の恩恵については、孫空女自身もそうだ。
孫空女の身体は、宝玄仙の霊気を吸収するように改変されていて、身体の能力が異常に活性化され、馬鹿力と俊敏な動き、そして、『如意棒』を使いこなす力を得た。
孫空女のいまの力は、宝玄仙や仲間を護るために必要な力だ。
「いずれにしても、道術を封鎖されたのではなくて、奪われたということなのですね?」
「そういうことさ、沙那……。沙那と孫空女は覚えていると思うが、お蘭の里で、わたしが一時的にお蘭に道術を渡し合いをしたろう。どうやら、あれを強制的にやられたようなのさ」
お蘭の里というのは、お蘭という名の道術遣いの女が支配している東方帝国の西部に存在する小さな隠れ里のことだ。
そこで、宝玄仙はお蘭と契約をして、三日の嗜虐を受けることで、『魂の儀式』を施してもらい、宝玄仙の『魂の欠片』を沙那に入れてもらったのだ。
それだけのことだったのに、あのときは大変だった。
お蘭は、宝玄仙同様に性格がかなり捻じれていて、孫空女も沙那も、ふたりの異常な性癖のとばっちりを受けて、あの村で酷い目に逢ったのだ。
お互いに手酷い嗜虐をやり合うと思っていたら、お蘭の本名は蘭玉で、本名が宝玉である宝玄仙の異父妹であり、幼いころから肉欲をお互いにむさぼっていた仲だということだった。まあ、それを教えてもらったのは、それから随分と先の話だったが……。
それにしても、確かに、あのときは、宝玄仙とお蘭とお互いに道術を渡し合うということをやっていたように思う。
「あのときは、最終的には、お蘭に道術を返してもらって、ご主人様は道術が戻ったんだよね。だったら、今回も道術を相手から返してもらわなければ、道術が戻らないということ? なら、ここで首でも締めて脅せるように、あの
孫空女は言った。
「有来有去を締めあげても無駄さ。わたしの道術を奪ったのは、あいつじゃない。あいつは心が読めるという特殊な能力があるが、霊気そのものは大したことはない。有来有去をここに連れてきて、首を吊らせるというのは素敵な考えだけど、意味はないね」
「だったら、誰に奪われたのですか、ご主人様?」
朱姫が訊ねた。
「逆結界で棺桶みたいな場所に跳ばされてすぐに眠らされ、次に眼を覚ました時に、大変な霊気を持った妖魔に接触したんだよ。すぐにそいつはいなくなったけどね。多分、あれは、
「賽太歳というのは、二年前に
沙那が言った。
「ああ」
宝玄仙が頷く。
「では、ご主人様の道術を取り戻すには、とにかく、一度、賽太歳という妖魔を見つけなければなりませんね」
沙那のその言葉を聞いて、孫空女は口を開いた。
「そうだけど、この国の王家も賽太歳のことは追っているんだろう、沙那? それをあたしたちが追いかけたとして、簡単に見つかるかなあ。見つかったとしても、ご主人様から道術を奪う程の妖魔だとしたら、道術を奪い返すというのも難しいかもね」
「でも、なんとか探し出さなければ、ご主人様の道術は戻らないわ、孫空女。いまのところ、道術を奪い返す策は思いつかないけど、とりあえず、情報を集めなければなにもできないわ。良策は、情報収集の段階で生まれるかもしれないし……」
「それにしたって、いまのところ、手掛かりは“賽太歳”という妖魔の名だけなんだろう。どうやって居場所を探し出すのさ」
「いいえ、孫姉さん、手掛かりはありますよ。強い妖魔だということです。あたしは知りませんが、強い妖魔の噂は、妖魔に訊ねるのがいいと思います。朱紫国では、北部に多くの妖魔が巣食っていると耳にしますから、北に向かってはどうでしょうか。なにかの新しい手掛かりも見つかるかもしれません」
朱姫が言った。
「まあ、とにかく、この国の北部に行ってみるさ。朱姫の言う通り、なにかの手掛かりが見つかるかもしれない。それに、もしかしたら、賽太歳の行方を探すのは難しいことではないかもしれないよ。国都でその任についた近衛軍には、捜索を巧妙に邪魔する者がいたから、二年間なんの手掛かりも得ることができなかっだけでね」
そして、宝玄仙は、賽太歳、春嬌、有来有去が何らかのかたちで結びついているに違いないという自分の考えを説明した。
沙那がそれを聞いて、しばらくなにかを考えるように押し黙った。
その間、宝玄仙が、自分が軍営の地下牢で見聞きしたことを簡単に説明した。
ただ、それほど多くのことを知っているわけでもないようだった。
軍営でほとんどの時間をすごしたのは、宝玉の意識であり、宝玄仙が覚醒したのは、晒し刑になる直前かららしい。
宝玄仙は、いま、宝玉と意識化で接触することができなくなったと嘆息した。
それには、孫空女も驚いた。
宝玉の意識が、再び深い意識の深層に隠れてしまったということになるのだろうか。
「そう言えば、ご主人様は、軍営で長女金を見たかい? もしかしたら、長女金は、あたしらと別れてから軍に捕らえられてしまったんじゃないかと心配しているんだよ。あたしらがいた隠れ処を知っているのは、長女金だけのはずだからね。長女金が出立した日の夜に、あの隠れ処の家が軍の襲撃を受けたんだから、沙那は、長女金があれから国都に向かい、賽太歳が金聖姫を浚った二年前の事件は狂言ではないかと伝えようとして、捕まったんじゃないかと言うんだよ」
孫空女は言った。
「まあ、あのお人よしの女がやりそうなことだね。自分を酷い目に遭わせた国王の心労を心配して、金聖姫の発見の手助けをしようというのはね……。だけど、わたしは見なかったよ」
「ふうん……。まあ、そもそも、国都の広場に出た告示によれば、長女金はご主人様が殺したことになっていたからね。軍にはいないんだろうね。だけど、軍で監禁しているわけじゃないなら、なんで、長女金が逃げたということを隠して、ご主人様が殺したことにしたんだろうね?」
「さあね……。ところで、お前たちの方は、どうだったんだい? つまり、あの郊外の家を襲撃されて、わたしが捕えられた後だよ。そもそも、お前たちを一緒に来たあの陳達とかいう醜男はなにものだい?」
宝玄仙が訊ねた。
「醜男なんて言っちゃ駄目だよ、ご主人様。いい人だよ。そもそも、ここにあるものは、全部、陳達さんのお金で準備したものだしね」
孫空女は言った。
「ますます、怪しいね。お前たちは、その陳達をどうやって捕まえたんだい?」
「あっ、申し訳ありません。ご説明します、ご主人様──」
沙那が我に返ったように語り出した。
襲撃されて宝玄仙が捕えられてから三人で素裸のまま戦って、軍の包囲を突破したこと……。
朝になり、偶然に仕立て職人の陳達の荷駄馬車を見つけて助けてもらったこと……。
そのまま陳達の家に世話になり、陳達に動いてもらって、監禁されている宝玄仙に関する情報を集めるとともに、有来有去と対立する近衛軍団長の宿元女への工作をしたこと……。
宿元女のいる近衛軍府に赴き、宿元女を浚って、『変化の指輪』を遣って朱姫が宿元女と入れ替わり、宝玄仙を近衛軍に移すという正式の国王の命令書を発出させたこと……。
それから檻車を手に入れて『道術封じ』を逆に貼り、外からの道術が効かないような朱姫の結界をその内部に作り、近衛軍の本物の一隊を動かして、檻車を運ばせて宝玄仙の処刑場である広場に向かったこと……。
そして、陳達には、今回のことでかなり深く関わらせてしまったので、長年暮らした国都を捨てさせることになったと沙那は説明した。
話を黙って聞いていた宝玄仙は、だんだんと不機嫌になり、最後には完全な怒りのようなものが宝玄仙の顔に浮かんでいた。
「ほ、ほう……。つまり、お前たちは、わたしや宝玉があんな目に遭って、わたしなど、城郭を全裸で歩かされ、大勢の市民の前で磔にされて、小便どころか、大便姿まで晒されたのに、その間、陳達という男と愉しく乳繰り合っていたのかい……」
宝玄仙がこめかみがぴくぴくしている。
これは危険だ──。
本当に怒っている……。
「ち、乳繰り合うって……。まあ、確かにそうですけど、でも……」
「黙るんだよ、沙那。だいたい、お前たちは助けに来るのが遅いんだよ。あと半刻(約三十分)もすれば、わたしは首を括られるところだったんだ。まさか、ぎりぎりまでわざと救出を遅らせていたんじゃないだろうねえ」
「そ、そんな、いくら、ご主人様でも、そんな言い方はあんまりです。檻車の入手も、『道術封じの護符』の準備も簡単じゃなかったし、宰相府に赴いてご主人様の引き渡しの命令を出してもらうとか、わたしたちは、一所懸命……」
「だ、黙れと言っただろう、沙那──。三人とも、尻を出してこっちに向けな。折檻だよ」
宝玄仙が声を荒げた。
「え、ええっ──? ちゃんと助けたのに罰なの?」
孫空女もさすがに理不尽なものを感じて言い返した。
「黙れと言っているだろう、お前たち──。道術が遣えなくても、非力でも、わたしがお前たちのご主人様であることに変わりないんだ。罰を与えてやるから、さっさと尻を出すんだよ。愚図愚図するんじゃない──」
宝玄仙が真っ赤な顔をして叫んだ。
仕方なく下袴と下着を膝まで下ろして、跪いて頭を地面につける。
こうすれば、尻が高くなり、叩かれやすくなるからだ。
横で渋々という感じで、沙那と朱姫も同じ格好になっている。
次の瞬間、孫空女の尻から大きな音がして、激痛が走った。
「ひいっ──い、痛い──」
孫空女は声をあげた。
「数をかぞえるんだよ、孫空女──」
また、激痛──。
「い、一 ──」
慌てて叫ぶ。
さらに三発叩かれて孫空女に対する尻打ちは終わった。
「下袴を履いていい、孫空女──。次は、沙那だ」
宝玄仙が言った。
肉を叩く景気のいい音が隣の沙那の尻から聞こえ出した。
*
素晴らしい数日間だったな──。
洞窟の入口の岩にぼんやりと座りながら、陳達は思った。
一生、女には縁のない人生を送るものだと思い込んでいた。
生まれながらにして醜い鼻を持ち、娼婦でさえも相手にしてもらえない惨めな人生だった。
だが、この数日は違った。
どんなに顔のいい男でも、陳達が味わったこの数日を味わうことはできないだろう。
陳達が受けた享楽を知れば、どんな男でも羨望し、羨ましさに地団太するはずだ。
そう考えると、いままで自分が抱いていた劣等感が馬鹿馬鹿しいものに感じる。
城郭を歩けば誰もが振り返るような美女三人が、奴隷のように陳達にかしずいたのだ。
情事だって、一生分を取り戻すくらいの数をこの数日だけでやった。
あの三人は、陳達のどんな要求にも応じてくれた。
陳達の命じるまま、いかなる破廉恥で恥ずかしい姿態でも見せてくれた。
そして、心根が優しくて、それでいて、城郭軍を相手に重包囲を突破したり、城郭に晒されていた自分たちの女主人を騙して取り戻したりもできる女傑なのだ。
その女傑たちが陳達に、あれだけの奉仕をした。
満足していた──。
これで、もう一生、女に縁がなくても他人を羨むということはないだろう。
羨ましがられるのは陳達だ。
ただ、その代償として、長年暮らした帝都を離れ、苦労して開いた店を捨てることになった。
陳達は、今回のことで宿元女という女将軍を沙那たちが浚うことに協力した。
朱姫の『縛心術』で陳達のことは忘れさせているが、いつ、思い出すかはわからない。宿元女が思い出すきっかけは幾らでもあるし、その可能性は高いらしい。
思い出したとしても、陳達のやったことは大したことはないから、探し出して追いかけられることまではないだろうが、帝都でそのまま暮らしていれば、とりあえず捕えておこうかと考えるかもしれないと沙那は言った。
それで、陳達もまた、彼女たちの国都からの逃亡に合わせて、国都を後にすることにした。
この国の西に頼れる友人がいるし、陳達の新しい生活の力になってくれるだろう。
これまでの劣等感を捨てるのはいい機会だ。
陳達は、むしろ、国都を捨てて、新しい人生を始めることを愉しみにしていた。
ただ、心残りがあるとすれば、沙那たちと別れることだろう。
沙那たちとは、この洞窟で別れる。
それは確認している。
これから朱紫国中の軍が捕縛しようとして手配するのは、処刑直前に逃亡した宝玄仙であり、それに直接関わった沙那たち三人だ──。
陳達については、その関わりについて宿元女が記憶を失くしているので、ひとまず手配されることはない。
普通に街道を移動して、宿町や城郭に泊るような旅ができるのだ。
沙那たちはそうはいかない。
だが、未練はある。
彼女たちをもう一度抱きたい──。
そう頼むと、沙那たちは怒るだろうか……。
まあ、女主人も戻って来たし、もう、陳達の相手をするというわけにはいかないのはわかっているが──。
それにしても……。
宝玄仙という女主人は美しい人だった。
沙那、孫空女、朱姫の三人も美しいし、可愛いが、宝玄仙は別格だ。彫刻家が理想の女の像を想像で作れば、あの宝玄仙ができあがるのではないかと思う程、完璧な美しさを持っていた。
最初に宝玄仙を間近で眺めたとき、呆然としたものだ。
いま、その宝玄仙と沙那たち四人は、再会の悦びを交わし合っていることだろう。
あの三人は、宝玄仙という女主人を救出するために、本当に命を張った。
それだけのことをするだけの魅力が、宝玄仙にあるのだろう。
四人だけにして欲しいと頼まれて席を外したが、いま頃は、涙を流しながら抱擁でもしているのかもしれない。
しばらくしてから、なにかの肉を叩くような音が洞窟の奥から聞こえてきた。
何だろうかと思っていると、尻を擦りながら朱姫がやってきて、宝玄仙が呼んでいるので、来て欲しいと言ってきた。
陳達は朱姫について、洞窟の奥に向かった。
「やあ、陳達さん、ご主人様は、さらに奥だよ」
しばらく進むと、やはり、お尻を押さえている孫空女がそう言った。その横で沙那も尻を擦っている。
なにかあったのだろうか?
「あたしも、ここで待つように言われましたから、この先は陳達さんだけでどうぞ」
朱姫が灯りを陳達に渡して、先に進むように促した。
少し進むと、洞窟が右に曲がっていて、その先がふたつに分かれていた。
両方とも突き当りになっていて、一方から灯りが漏れていた。
そこに行くと、宝玄仙が立っていた。
岩壁に灯の照明があり、地面に厚地の毛布が敷いてあった。
「沙那たちから聞いたよ。世話になったようだね。わたしは宝玄仙だよ」
燭台が照らす宝玄仙は、神々しいまで美しかった。陳達は、思わず見とれてしまって口がきけないでいた。
そんな陳達に、宝玄仙が微笑みかけた。
とても優しそうな笑みだと思った。
「わたしたちは、この洞窟で少なくとも十日はいるつもりなんだ。追手をかわさないといけないしね。慌てて逃げれば、その方が危険なんだそうだ」
「そうか」
陳達は頷いた。
だから、陳達は出ていけということだろう。四人は、ここでしばらくいるとしても、陳達が残る理由はない。
しかし、次に宝玄仙が言ったのは意外な言葉だった。
「……わたしらは、この洞窟で十日はすごすんだけど、あんたは、すぐにどこかに行かなければならないということはあるのかい?」
「そ、そんなことはないが……」
陳達は言った。
すると宝玄仙が、肩に手を置いて、ぱさりと服を足元に落とした。
一枚だけの装飾付きの紫の貫頭衣の下はなにも着ていなかった。
宝玄仙の完璧な裸身が陳達の視線に飛び込んできた。
「だったら、一緒にここですごしてくれないかい。少なくとも十日……。望むなら、運び込んだ食料が尽きるまで、いつまででもいいよ。あいつらだけじゃなくて、わたしもあんたに礼をしたいしね。ところで、朱姫に聞いたんだけど、女を拘束して抱くと興奮する性質らしいね。だったら、まずはわたしを拘束してから抱くというのはどうだい?」
宝玄仙が後ろに隠していた手錠を陳達に渡した。
そして、くるりと背中を向けて、両手を背中に回した。
「なにをしてもいいよ。それとも、なにをしてやってもいいよ。宝玄仙からの礼だよ。次は、あいつらにも奉仕させる。だけど、まずはふたりだけでということにさせておくれ……。そ、それと胸はお手柔らかにお願いするよ。少し、乳首は弱いのさ──」
頭ががんがんしてきた。
これほどの幸運が自分に起きていいのか……。
やはり、自分は一生分の女運を使い果たしたに違いない──。
陳達は、興奮を押さえるのに努力しながら、宝玄仙の両手首に鎖のついた手錠をがちゃりと嵌めた。
(第45話『女三蔵磔処刑』終わり)
*
【西遊記:68・69回、
玄奘三蔵たちが朱柴国を訪問する三年前のことです。
端午の節句のお祝いをしていた朱柴国王と王妃の
金聖の美貌にひと目惚れした妖魔は、金聖宮を自分の妻にすると宣言をして、拐っていきます。その妖魔の圧倒的な力に、警護の軍もなにもできませんでした。
朱柴国王は、王妃のことを諦めるしかありませんでした。
ただ、哀しみのあまり、やがて国王は病に伏せてしまいます。
その事件から三年後、玄奘たちは、朱柴国の王都にやってきます。
さらに西に向かうために、手形に印をもらう必要があったのです。一行は役所の集会場で休息をとることにし、玄奘のみが宮廷に向かいます。
身体の調子が悪い国王でしたが、玄奘が名高い高僧ということから、起きあがって王宮で歓待の席を作ります。
一方で、三蔵が手形の手続きのために、宮廷に入っている頃、役所の外に出て暇つぶしをしていた孫悟空は、“国王が病であり、病を癒せる医師には、国の半分を譲る”と書かれている立て札を見つけます。
面白がった孫悟空は、その張り紙を剥がして、役所の集会場に戻ります。
張り紙を剥がされたことで、宮廷の担当官が孫悟空を追いかけてきます。
すると、孫悟空は、その役人に自分は医師であり、国王の病を治せると宣言します。
役人は、国王のところに、孫悟空を連れて行きます。
国王と会食をしていた玄奘は、医師として孫悟空がやって来たことで驚きます。
孫悟空は、仙術で朱柴国王の病を言い当て、治療を引き受けます。
国王は、改めて孫悟空に自分の治療を依頼し、孫悟空は病を治す治療薬を作るあいだ、玄奘を人質として宮殿に留め置くと告げます。
玄奘はびっくりします。
孫悟空は、一度、猪八戒と沙悟浄たちのいる施設に戻り、玄奘の馬(玉龍)に小便をさせ、それで薬を作ります。
その薬を飲んだ朱柴国王は、大量の排便をして、全身の毒素を抜くことに成功します。
病を回復させた朱柴国王は、孫悟空と玄奘に感謝の言葉を告げます。
国王は、感謝のための宴会を開きます。
その席で、国王は三年前に王妃が妖魔に拐われてしまった悲しい事件のことを口にします。
孫悟空は、ならば、その王妃の金聖王妃を取り戻してやろうと約束します。
*
本家『西遊記』では、この後、
それをなぞらえた『嗜虐西遊記』におけるエピソードは、本章の後半となります。
なお、「
また、「
このエピソードの最後では、三年間のあいだ、金聖皇后の貞操は守られていたことがわかります。
それは、金聖王妃が誘拐されたとき、「