三人がかりで宝玄仙を責めた翌朝、沙那は宝玄仙が仕返しをすることを予想して、孫空女を置き去りにして、城郭に路銀を稼ぎに出かけます。
*
302 卑劣な武装団
若い頃からあちこちを放浪したが、
役人がぬるい。
城郭兵は惰弱だ。
城郭には賄賂が横行して多少の悪事をしても、大抵のことは銭があれば解決する。
だから実に住みよい。
黒倫は、数年前から、この城郭に武芸を教える道場を開いているので、黒師範と呼ばれていたが、その一方で城郭で手酷く商売をしているために命を狙われやすい商家の用心棒などもやっていた。
下手に市民に武芸を教えるよりも、そちらの方が実入りがよく、用心棒が本業で師範が副業というかたちになっていた。
無論、それに不満はない。
なにかの大道芸でもやっているのかと思って覗くと、人の輪の中心にいるのは女のようだった。
男の服装をしているが、栗毛の髪をしたはっとするほどの美女だ。
その美女が大きな男と向かい合っている。
なんと、その女と大男が素手で組打ちをしているのだ。
旅の女なのかもしれない。
国都と北部の地方都市を結ぶ街道の要点にある安丘は、交易のためにやってくる旅の者で溢れている。
余所者が珍しくない都市だ。その安丘でも滅多に見ることのない美しい女だと思った。
その美貌に見とれていると、向かい合っている男がふわりと浮いた。
男が背中から地面に落ち、周りの見物人たちがわっと喝采をあげる。
「おい、これはなんの見世物だ?」
黒倫は、人だかりを割って進み、前の方に知り合いを見つけて訊ねた。小二郎という仲買で小間仕事も引き受ける。
黒倫も仕事を頼んだこともあるが、鼠のようにすばしっこくて目端が利き便利な男だ。
小二郎は、黒倫を認めて深くお辞儀をして、相好を崩した。
「これは黒師範の旦那、こんなところでなにを?」
小二郎が言った。
「それは、俺が訊ねているのだ。これはどういう大道芸なのだ?」
可愛らしい女が大きな男を投げ飛ばす。面白くはあるが芸としては地味であろう。
その割には周りの見物人は随分と歓んでいるようだ。
「大道芸ではありませんよ。野試合ですよ、黒師範の旦那」
「野試合?」
「あの女に組打ちの試合を挑むというわけですよ。勝負をするには、銀一粒を女に払うんです。それで勝てば、あの女の身体か、それまでに溜まった銀の好きな方を手に入れることができるというわけで」
小二郎は言った。
黒倫は驚いた。
「ならば、あれは見世物ではなくて、本気でやっておるのか?」
改めて組打ちを見た。
女と試合をしている男は、女に比べて二倍は大きい体格だ。
腕の太さだけで女の胴ほどもある。
まるで大人と子供だが、汗びっしょりで真っ赤な顔をしているのは男の方で、女は汗ひとつかいていない。
ふたりが再び組んだ。
女が手首を掴んだかと思うと、すっとその身体が沈んだ。
手首を握られたまま男がくるりと倒れる。
その倒れた男の上に女が飛び乗って抑え込んだ。
見物の男たちが湧く。
乳房が男の顔の上に乗せるようなかたちで、男の頭側から縦に男の身体に組みついた女が、大男に被さっている。
そのまま膠着して動かなくなった。
見物人の歓声が大きくなる。
「あの男も好き者だな。顔の上の乳房の感触を愉しんでいるのだろう。なかなか起きあがろうとはせんわ」
黒倫は笑った。
「冗談じゃありませんよ、黒師範の旦那──。あれは起きあがらないんじゃなくて、起きれないんですよ。さっきから見ていますけど、ああいうかたちになったらもう駄目ですね。あの状態にされて、抜け出ることのできた男はいませんよ。あいつもきっと同じに違いありません」
小二郎が言った。
黒倫が試合に眼を戻すと、小二郎の言う通り、女の下になった男は、懸命に女の下から抜け出そうともがいているのがわかった。
それに比べて、女はがっちりと男を掴んでいるだけで、なにもしている様子はない。
それなのに、どうしてもあんな体格の違う女の身体から逃げ出せないのだ。
「いつまでやっても同じよ。もう、参ったをしたら?」
女が言った。
男の返事はなく、呻き声だけがした。
「しょうがないわね。いつまでも時間をかけるわけにはいかないしね」
女がぱっと男から離れた。
男が慌てて起きあがろうとするのを駆け寄った女が、拳を男の鳩尾に叩き込んだ。
男は、うっと声をあげて、そのまま倒れて下肢を痙攣させた。
どうやら、気を失ったようだ。
見物をしていた男たちが拍手喝采をした。
女は、男の身体を抱き起こして背に活を入れる。
息を吹き返した男が、周囲をきょろきょろと見回した。
やがて、自分が負けたということがわかったのか、がっくりとうなだれて、逃げるように立ち去っていく。
「体格の割には男が弱すぎたのだろうが、それでも大したものだ」
黒倫は言った。
「そうでもありませんよ。あの女が、ここで組打ちの野試合を始めてからずっと見ていますけど、あの男で十五人目ですよ。誰も歯が立たないんですから」
「十五人?」
女が十五人の男と組打ちを続けて、そのすべてに勝ったというのか?
黒倫は中心に立つ女を見たが、特に息切れをしているということもない。
額にうっすらと汗をかいているがその程度だ。身体の線が太いということもない。むしろ、女としても細い方だろう。あの身体のどこから男を組み伏せるような力が出るのだろう。
「さあ、次に誰か挑戦する方はいませんか? わたしに勝ったら溜まった銀粒か、それとも、わたしの身体か好きな方をお渡しします。わたしの身体を抱くときには、そばの長屋の空部屋を使うことを頼んでいるので、そこでご奉仕します。わたしは声が大きいかもしれませんが、それはお許し下さい」
女が口上のように声をあげると、周囲が笑いで湧く。
もっとも、女は余程自信があるのか、負ける気などないようだ。
それは自信満々の表情でわかる。
なるほど、あれだけの体術の技があるなら、身体を餌に男と辻試合をして小金を稼ごうという気にもなるのかもしれない。
気も強そうだ。
ああいう気の強い女を屈服するまで抱き潰すというのも、一度やってみたいものだ。
「お前たち誰か挑戦しろ。勝てば、あの女が抱けるぞ」
黒倫は、背後の弟子に声をかけた。
「挑戦しますか?」
女がその声に気がついて、こっちに視線を向けた。
その女の仕草で、周囲も黒倫のことに気がついたようだ。どよめきのような声が拡がる。
黒師範だという悪意のこもった舌うちも聞こえる。
“黒師範”という名は、この安丘では快く語ることはない名であるのはよく知っている。
弱い者を苛めて、強い者に媚びへつらう乱暴者の代名詞のようなものだ。
それを黒倫は恥じてはいない。
弱い者に味方しても得することはなく、強い者に侍らなければ、好きな酒を飲む金も出てこない。
当たり前のことだし、悪名が拡がると、また、黒倫の仕事もそれだけやりやすくなるということだ。
「わたしに勝てば、銀粒かわたし自身です。いかがですか?」
女が呷るように言った。
「それはいいが、俺たちは六人いる。勝った者しかお前を抱けんというのもつまらん。ここにいるのは、俺の道場では師範代格の者たちばかりで、誰がやってもお前に勝つだろう。だから、どうだろう。ひとりが勝てば、六人全員に抱かれるというのはどうだ?」
黒倫は言った。
「七人ですよ……。あっしも混ぜてくださいよ。お願いしますよ」
横の小二郎が袖を引っ張ってささやいた。
「七人──。こっちが勝てば、七人全員の相手をするのだ」
黒倫はにやにやしながら言った。
周囲の嫌味のようなざわめきが大きくなる。
七人で抱くというのは、つまりは、女を輪姦するということだ。こっちが勝てば、女を回し抱くと言っているのだ。
「いいですよ」
女はあっさりと応じた。これには黒倫も驚いた。
「その代わり、こちらも条件を付けます。ひと勝負につき、人数分の銀七粒です。前払いですよ。その代わり、わたしが負ければ銀も返すし、あなた方七人全員に抱かれることに同意します」
女は言った。
「わかった」
黒倫は弟子のひとりに銀粒七個を渡して前に出した。
周囲がわっと湧く。
女は銀七つを受け取ると、これまでに集めた銀粒が入っている木の椀にそれを足した。
「いつでもどうぞ」
女は言った。
「いくぞ」
王進士が構えた。
ふっと女が消えた気がした。
次の瞬間、女は王進士の懐に飛び込んでいた。
虚を突いた見事な動きだ。王進士の身体が投げ飛ばされる。
見物人が喝采する。
女が王進士に飛びつく。抱えあげようというのだ。
王進士は、片脚を浮かせながらも、もう一方を軸にして女を跳ね飛ばした。
女が地面に倒れて大きな歓声があがった。
女は鞠のように転がったが、そのまま起きた。
しかし、構え直そうとする女の胴に、王進士が飛びついていた。
そのままねじ伏せる。
「おおっ」
黒倫も他の見物人と同じように声をあげた。
王進士が女を上から完全に組み伏せた。
これで終わりだ──。
黒倫は確信した。
ふたりは動かない。
女は王進士に組み伏せられている。
王進士は完全に女の身体に乗っていて、王進士の身体でほとんど女の姿は隠れてしまっているほどだ。
「女、降参しろ──」
黒倫は叫んだ。
それでもふたりは動かない。
しばらく、そのままの時間が流れる。
周囲がざわめきだした。
黒倫もふたりの不自然さに気がついた。
王進士はほとんど身動きをしていない。女を組み伏せているにしてはおかしい。
やがて、女が王進士の身体を押し避けるように起きあがった。
王進士は、女に押し避けられて、そのまま地面に転がった。
「あっ」
黒倫は声をあげた。
王進士は絶息している。
女は、王進士に組み伏せられていたわけではなかったのだ。むしろ、王進士の身体の下から、王進士の息がとまるほど襟を絞めていたに違いない。
女が王進士の背に活を入れると、王進士が息を吹き返した。
大きな歓声があがった。
王進士が顔を赤くして戻ってきた。
「次は、師匠のあなたが立ち合いますか?」
女がこっちを見た。
その不敵な表情に、内心に煮えるものがある。
こっちを挑発しているのだ。この女を抱きそこなった。
それについても悔しさもある。
女のくせに──。
「俺とやり合いたいというのか、女? まあ、それなりの実力があるのは認めてやるが、見栄は張るな。武術師範の俺が女と戦っても自慢にはならんし、それだけで恥となるのだ」
「負ければ、もっと恥ですしね」
女が小馬鹿にしたように笑った。
かっとなった。
「負ければ──とは聞き捨てならんな。この黒倫が女を相手に負けると思うのか?」
「現に、あなたのお弟子さんは負けたわ」
すると周囲の見物人が呷るように拍手をした。女に味方をするその歓声にも肚が煮える。
「おい、黒師範とこの女の野試合だ。賞金をつけようぜ──。みんな、帽子を回すから幾らかずつ入れろ。見物料と思って払え」
誰かがさらに呷るように言った。
そして、本当に帽子が回り始める。
大きな騒ぎになり始めた。
いままで集まっていた者だけじゃない。
騒ぎを耳にした通行人もどんどん集まってくるようだ。彼らも騒動の内容を耳にして、喜んで賭け金を寄付しようとする。
黒倫が見ている間だけでも、かなりの銭が賞金として集まった。
「これで逃げられそうにないですね、師範殿」
女が言った。
黒倫は周囲の圧力に押されるように中央に進んだ。
大歓声が起きた。帽子一杯の賞金も運ばれてくる。
「俺とやって死ぬことになってもしらんぞ。俺は手加減が苦手なのだ、女」
「わたしはちゃんと手加減をするので、ご心配なく、師範殿」
女の返しに、また周囲が湧く。
「女、お前の名を知りたいな。俺の名は黒倫だ。黒師範と呼ぶ者が多いがな」
構える前に黒倫は何気なく言った。
「……沙那です」
少しの躊躇いの後で、女はそう名乗った。
沙那か……。そう思った。
お互いに距離をとって構える──。
その瞬間、黒倫は自分の顔から血の気が引くのがわかった。
これは強い──。
構え合えば、大抵の実力はわかり合える。
いままでの立ち合いからでは、それほどの気は感じなかったが、それは沙那が巧みに気を殺していたに違いない。
いま、この沙那は全開に気を発している。
ただの女に気後れしている自分を感じていた。
これだけの気を発せる女がいるのか……。
沙那が数歩前に出た。
黒倫はすっと退がった。
さらに沙那が前に出る。
今度は黒倫は前に出た。
女が腕を掴もうとする。
その手をかわすことなく、黒倫も沙那の腕を掴もうとする。
しかし、自分の身体がいきなり宙を浮くのがわかった。
なにが起きたのかわからない。
地面に叩きつけられる。
「うぐぅ」
思わず呻き声をあげた。
倒れ方が悪くて右の手首を捻った。
鋭い痛みが走る。
いや、倒れ方が悪かったのではなく、沙那が倒しながら黒倫の手首を捻ったのだ。
歓声があがるが、黒倫はなにが起きたかわからなかった。
それは周囲も同じだろう。
沙那が触れたと思った瞬間に投げられたのだ。
それだけじゃなく、手首を捻られた。
黒倫は膝をついて、手首を持ってしゃがんだままでいた。
「終わりですね、黒師範殿」
立っている沙那がこっちを見たまま言った。
悔しさで全身の血が沸騰したようになった。
「くっ……。お、お前らこの女を剣で倒せ。倒せば犯し放題だぞ。賞金はお前らにくれてやる」
黒倫は喚いた。
黒倫の弟子たちが今度は剣を抜いて、沙那を囲んだ。
さっき沙那に組打ちで負けた王進士もいる。その眼は血走っている。
周囲が騒然となる。
黒倫の仕打ちに罵声が飛ぶ──。
しかし、そんなことはもうどうでもよかった。
とにかく、この生意気な女から受けた恥辱を晴らしたい。考えていたのはそれだけだ。
剣を抜いた弟子に囲まれた沙那が、ひとりに向かって踏み込んだ。
そのひとりをねじ伏せて、あっという間に剣を奪う。
それからは桁違いの剣技だった。
次々に剣が叩き落とされる。
ほとんど瞬時に、五人の弟子の手から剣が叩き落とされて、弟子たちはそれぞれに腕を掴んでうずくまった。
すっと、沙那の持っていた剣が黒倫の顔に伸びた。
剣先が黒倫の鼻筋に伸びる。
「さっさと立ち去りなさい、この卑怯者──」
沙那が言った。
血が身体の中で噴きあがるのがわかった。
周りから怒声と野次が飛ぶ。
黒倫は、それに追われるように、その場から逃げた。
そのとき、小二郎を捕まえてささやく。
「あの女から眼を離すな。すぐに人をやるから、あの女が、この城郭から立ち去る前に、道場に知らせるのだ」
「い、いいですけど、どうするんです、旦那?」
「このままでは済まさん……」
黒倫は呻いた。
「……おい、
黒倫はその場を去りながら、弟子に命じた。
*
意外なくらいに儲かった──。
沙那は城郭の城門を出て、郊外に向かう道の途中にいた。陽は中天を過ぎていたが、夕方にはまだ時間がある。
宝玄仙と朱姫が路銀を使い果たしてきたのを受けて、路銀を稼ぐために、辻で野試合をやってみたのだが、娯楽に飢えていたのかかなりの人が集まった。
負ければ、身体を許すというのも受けたのだろう。
次々に挑戦者が集まった。
剣技であれば、修行を積んでいる沙那の腕では、普通の男では敵わないということがすぐにわかってしまう。
それで、体術にした。
組打ちであれば、もしかしたら、身体が大きければ、女には勝てると思うだろう。
しかし、剣技同様に、体術でも沙那はそれなりの修行を積んでいる。
実際の戦いでは、剣を持っていないこともあるし、なくすこともある。
そのとき体術ができなければ、力のない女では男に組み伏せられて終わりだ。
だから体術なのだ。体術に自信がなければ、力の強い男を相手に実戦で戦えるわけがない。
最後には、黒倫というとんだ男が闖入して場を荒らされた。
道場主というからそれなりの自信もあったのだろうが、沙那の相手ではないのはすぐにわかった。
負けると、腹いせなのか、弟子をけしかけて剣で襲わせた。
あっという間に無力化したが、それだけの力を観客に披露してしまってはもう終わりだ。
沙那に挑戦しても勝てると思う者はいなくなっただろう。
それで賭け試合を引き揚げることにした。
だけど、儲かった。
余程に嫌われているのか、沙那と黒倫が戦うことになると、見物人たちが賞金をつけてくれたのだ。
それで、当面に旅に必要な路銀も十分に集まったし、沙那は満足していた。
城郭の商家で旅に必要な物を買い足すこともできた。
さて、これからどうしよう……。
宝玄仙たちが待っているはずの廃小屋に向かいながら、沙那はふと考えた。
このままあの廃小屋に急ぎ戻るべきか、それとも、少し暇を潰してから戻るかだ。
まだ、陽は高い。
いま頃は、可哀そうな孫空女が宝玄仙の仕返しの嗜虐を一身に受けている頃に違いない。
成り行きで宝玄仙を責めることになった昨夜だったが、どう考えても、昨夜は少し度が過ぎた。
責めを受けている間は、宝玄仙も被虐に酔ったようになっていたが、朝になり、冷静になれば、宝玄仙の嗜虐心が爆発することはわかっていた。
それで沙那は路銀を作るという名目で逃げたのだ。
実際のところ、旅を続けるためには路銀が必要だったし、辻で賭け試合をすれば、少しは集まるのではないかという思惑もあった。
路銀は予想以上に集まり、これで面目は果たすことができたと沙那は安心もした。逃げたうえに、路銀も作ることができなかったとなると、どんな目に遭わされるかわかったものじゃない。
孫空女には気の毒だったが、孫空女も一緒に逃げたのでは、宝玄仙の怒りを発散できない。
誰か犠牲者が必要だった。
調子のいい朱姫は、どうせ宝玄仙の嗜虐の手伝いをするとか言って、嗜虐側に回るに違いない。
犠牲者はひとりでいい。ふたりの必要はない。
いま頃、酷い目に遭っているはずの孫空女だが、沙那が戻れば、必ずそれに加えられる。
もっとも、あの宝玄仙のことだ。夜まで待てば血が昇った頭も落ち着き、責めもまともなものになっているだろう。
遅く戻れば戻る程、沙那の被害は少なくなるはずだ。
やっぱり、戻るには、まだ早いかもしれない。
その辺りで暇をつぶしてから戻るべきだろう……。
沙那は城郭で購った荷を背負ったまま立ちどまった。
その時、どこからか、若い女の悲鳴が聞こえた気がした。
「助けて──。だ、誰か助けて──」
今度ははっきりと聞こえた。
沙那は、悲鳴のする方向に駆けた。
少し城郭側に戻った方向だ。
道の真ん中に、女物の履物が片方だけある。
その道の側方の樹木に囲まれた奥に、複数の人の気配があった。
跳び込んだ。
人の群れがある。
「なにをしているのよ──」
沙那は叫んだ。
そこにあったのは、半裸の女を屈強そうな数名の男たちが囲んでいる光景だった。
「なんだ、お前は?」
男たちが一斉にこっちを見た。
沙那は、その中のひとりに見覚えがあった。
さっき黒倫がけしかけた弟子の中に、その男がいた気がする。
「もしかしたら、あんたらは、黒倫といかいう道場主の弟子ね?」
「おお、お前は、さっき、城郭で辻試合をしていた女だな?」
その見覚えがあった男が言った。
沙那は呆れた。
性根の腐った男が教えれば、弟子の性根まで腐るらしい。
こんなところで、若い女を強姦しようとするなど……。
「お、お願いします──助けて、助けてください──」
上半身の衣服を破かれた女が、泣きながら沙那に駆けてきた。沙那は、その若い女を背中に庇いながら、細剣を抜いた。
「二度と悪さができないように、懲らしめてあげるわ。覚悟なさい──」
沙那は声をあげた。
男の数は三人だ。
剣を抜いた三人がにやにやしながらこっちに向かう。
沙那の相手ではない。
それは立ち振る舞いだけでわかる。
この男たちを打ちのめすのに、瞬時もかからない。
沙那は細剣を構えた。
その瞬間、首にちくりとした痛みが走った。
すると突然に全身の力が抜けた。
そして、筋肉が不意に弛緩して、その場に沙那は崩れ落ちてしまった。
「あ……な……」
口をきこうとするが、舌まで弛緩して声も出ない。
なぜ……?
そのとき、背中に庇った若い女のことを思い出した。
もしかしたら、その女が……。
「よくやったな、千歳」
背後から聞き覚えのある声がした。
地面にしゃがみ込んだまま首を回せないので顔を見ることはできないが、その声はあの黒倫に間違いない。
沙那の前に人が集まった。
なんとか顔をあげた。
やっぱり黒倫だ。
右手首に布を巻いている。
その横には、沙那が助けたはずのさっきの女もいる。
黒倫に身体を預けるように笑っている。
女を襲っていたと思った男たちも、女と並んでにやにやと笑いながら沙那を眺め下ろしている。
「あ……が……は……」
どうしても声が出ない。
どうやら罠に嵌ったということだけは理解できる。
「さっきは世話になったな。どうしても、もう一度、立ち合いたくてな。俺の道場まで来てもらえるか、沙那」
黒倫がそう言って、卑猥な表情で微笑んだ。
背に冷たい汗が流れた。