347 母の調教……十二歳まで
眼の下に拡がっている光景は、女が大きな牡馬に犯されている光景だった。
馬の陰でよく見えないが、白い肌の女が馬のかたちをした台にうつ伏せに拘束されて黒い馬に犯されている。
なかり長い時間犯され続けているらしく、すでに女の声は正気を失っているような耳障りな甲高いものに変わっていた。
宝玄仙は何度か気の狂った女というものを見たことがあるが、馬に犯されている女がそういう状態であることは確かだ。
その光景を正装した大勢の妖魔たちが見て悦んでいる。
狂った女を馬に犯させる姿を見世物にして愉しむという趣味の悪い光景に宝玄仙は吐気さえ覚えた。
どこかの宴の会場のようだ。
広い会場に料理や飲み物の並んでいる幾つもの卓がある。
しかし、卓についている客はおらず、大勢の妖魔の客は会場の二箇所に固まっているようだ。
それぞれの場所でなにかの余興のようなものが行われていて、そのひとつが眼の下で行われている牡馬に犯される女の見世物だ。
眼の下──?
宝玄仙はふと気がついた。
つまり、自分は空に浮かんで下に拡がる光景を見下ろしている?
視界がおかしい。
なぜ、自分は浮かんでいるのだろう。
視線を転じた。
誰も周りにいない席に天井から垂れ下がる鎖を首輪に繋がれて、卓に立たされている朱姫がいる。泣いているようだ。
朱姫──。
声をかけようとしたが声が出ない。
宝玄仙は、もうひとつの人だかりに視線を動かす。
驚いた。
客が集まる輪の中心にいるのは沙那と孫空女だ。
そのふたりが裸身をくっつけ合って性愛をしている。
汗まみれだ。
お互いの股間に淫具を挿入させて繋がっているようだ。そうやって股間を密着し合って、お互いの身体を舌でむさぼり合い、指で相手の肛門をいじくっている。
常軌を逸したような様子で悶え狂っている沙那と孫空女が揃って身体を痙攣させた。
周りの客たちが一斉に嘲笑した。
だが、ふたりはまったく気にしていないようだ。
ふたりだけの世界に没頭するように、絶頂したばかりのお互いの身体をまた愛撫し合い始めた。
あのふたりにしては珍しく、もう正体をなくしているような状態だ。
ふたりのあの姿は、もうかなりの連続絶頂を続けている状況だろう。
宝玄仙も調教のために、沙那と孫空女を何度も連続絶頂責めに遭わせる。
普通の人間の女だったら一刻(約一時間)も続ければ気を失ってしまうが、あのふたりには体力がある。
精神力も強い。
快楽に没頭して官能の深底に達すれば、身体のどこを愛撫しても簡単に達してしまういき狂いの状態になるが、あのふたりはそれからが長い。
その状態で数刻も快感の地獄に耐え続けるのだ。適度の性の快楽は昇天にもたとえられるが、際限のない快楽の繰り返しは地獄だということを宝玄仙は知っている。
あのふたりは、その地獄をいくらでも耐えてみせる。
宝玄仙もあのふたりの淫情に対する持続力には舌を巻くほどだ。
ふたりを見守る客たちが、沙那と孫空女が愛し合っている後ろの壁を指さしている。
“百十三”。
なにかの道術を遣って、壁に数字を投影しているようだ。
数字の横には長四角の絵があり、それらがなにを表しているかは宝玄仙にはわからなかった。
そして、宝玄仙はふと気がついた。
この会場で虐げられている女は、ひとりは朱姫、そして、沙那と孫空女……。
……ということは?
宝玄仙はもう一度、馬に犯されている狂女に眼をやった。
愕然とした。
あれは自分だ……。
自分を空から見下ろしている……。
ならば、自分は死んだのか?
死んで魂となって、自分を見ているのか?
いや──。
しかし、馬に犯されている宝玄仙は、狂っているようだが死んではいない……。
そもそも、この宴に覚えがない。宝玄仙の最後の記憶は、春嬌に逆さ吊りにされて、女陰と肛門に太い蝋燭に火をつけられたときだ。
蝋が股間に落ち、短くなった蝋燭の炎が股間に迫った。熱さで気が遠くなった。
そして、意識が消えた。
それから先の記憶がない。
だか、視界の下の光景は、察するにそれからずっと後の出来事のような気もする。
あれから、自分はどうしたのだろう?
そう思っていると、突然、視界が消えた。
宝玄仙は闇に包まれた。
*
「いつものお薬を塗ってあげるわ、宝」
宝玄仙に覆いかぶさった女が小瓶に入った薬剤をたっぷりと人差し指に載せた。
「や、やだ──。ご、御前、やめて、それはやなの」
すると、薬を塗ろうとしている女が愉しそうにくすくすと笑った。
幼い女の子がどこかで泣いていた。
いや、泣いているのは自分だ。
自分が泣いているのだが、そのことをもうひとりの宝玄仙の意識としてそれを知覚している……。
これはどういうことだろう……?
宝玄仙自身をもうひとりの宝玄仙が観察している。
しかも、いま、宝玄仙はその宝玄仙そのものの中にいるのだ。
別の宝玄仙が見るものを見て、感じるものを同じように感じている。
だが、それは自分ではないもうひとりの宝玄仙だった。
そして、宝玄仙の裸身に覆い被さっている女は……?
宝玄仙は、突然、それが母親であることを思い出した。
しかも、宝玄仙は身体を縛られている。寝台に仰向けにされて手首足首を縄で縛られていた。
自分の身体が小さい。
突然、いまの状況についての知識が頭に入ってきた。
これは幼い頃の自分だ。
まだ、蘭玉が産まれる前……。五歳か、六歳……。
その頃の自分だ。
五、六歳の自分の中に、大人の宝玄仙の意識がある。
驚いた。
大人の意識の自分が、幼い頃の意識の自分が泣き叫ぶのを同じ身体の中で見ている。
それは奇妙な感覚だった。
ひとつの身体にふたつの意識……。
「でも、これは罰なのよ。だから、うんと反省したら痒いところを掻いてあげるわ。いつものようにね」
母親はくすくすと笑った。
「でも、やあっ」
幼い宝玄仙は泣き叫んだ。
女……、つまり、母親がやっているは、幼女の宝玄仙の股間に痒み剤を塗るということだ。
宝玄仙の母親が好きな責めであり、この時代の宝玄仙はよくやられたものだった。
幼い宝玄仙がそんな酷いことをされている理由に特別なものはない。
これが母の倒錯した性癖であり、宝玄仙の母親は、実の娘である宝玄仙を調教しようとしているのだ。
ほんの幼い頃から、宝玄仙の母は、ああやって宝玄仙に調教という名の性的嗜虐をしていたが、それは幼女が性に狂うのを眺めながら、自分と自分の愛人が愉しむための演出だった。
いまにして思えばそうなのだが、当時はどうしてそんな惨い目に遭わされるのか理解できなかった。
塗り薬や飲み薬で身体をおかしくされて苦しめられる。
そして、その身体を母親ではなく、見知らぬ大人の男に弄くられるのだ。
宝玄仙の母親は薬剤を塗られて苦しむ宝玄仙の身体を母親自身が慰めるということはしなかった。
自分が連れてきた愛人にそれをさせるのだ。そして、その愛人は毎日変わった。
幼いとはいえ、見知らぬ大人の男に裸身を触られて弄られる恐怖と羞恥はある。
毎日が苦痛だった。
そんなことをされるのは、宝玄仙が悪い子だからだと思っていた。
だから一生懸命頑張っていい子になろうとした。
だが、宝玄仙がどんなに頑張っても母親から「調教」を許してもらえないとわかると、自分はどんなに頑張ってもいい子になれない悪い子となのだと考えるようになった。
苦しい。逃げたい……。
そのためにはいい子にならなければならない。
別のいい子の宝玄仙に……。
「
舌足らずの幼い自分の声が部屋に響き渡る。
宝玄仙は、自分の母親のことを“
母親がそう呼べと言ったのだ。
もう少し、大きくなってから知ったのだが、“母御前”というのは、本来は他人の母親を呼ぶときの言い方らしい。
だが、宝玄仙の母親は子供から“お母さん”と呼ばれることを好まなかった。
幼い宝玄仙は手足を寝台の四隅にしっかりと縛られていて逃げることができないでいた。
その自分の股間に母親の指が移動した。
宝玄仙は一生懸命に謝り、そして、やめて欲しいと叫ぶのだが、母親は繰り返し何度も新しい薬剤をまだ発達していない宝玄仙の股間に亀裂に塗りつけた。
もうすぐ、猛烈な痒さがやってくる。
幼い宝玄仙はそれを知っていた。
痒みを癒すには、母親が連れてきた愛人に頼むしかない。
母親は、自分で薬剤を塗るのだが、いつも決して母親自身が痒みを癒すということをしてくれなかった。
必ず、それを愛人にやらせた。
愛人はいつも違う男だった。
いや、女だったこともある。
共通するのは、母親とその愛人たちが、母親と身体をむさぼる仲だったということだ。
宝玄仙の家には、いつも性愛が溢れていた。
母親だけでなく、その愛人同士が屋敷のあちこちで淫行に耽っていた……。
人間だけとは限らず、妖魔が混じることも珍しくなかった。
東方帝国では妖魔は蔑むべきものであり、人間以下の存在であり、駆逐して弾圧すべき存在とされていた。
しかし、宝玄仙の母親は違った。
彼女の価値観は性愛こそすべてであり、快楽をもたらすものはすべて認めた。
快感を与えるものなら妖魔でも平気で取り込んで性愛に耽った。
東方帝国の基準であれば、妖魔と性行為をするというのは獣姦と同じだ。
でも、あの母親は平気だった。
いや、それが快楽に通じるなら本当の獣姦も受け入れるだろう。
自分の母親が獣姦をしたことがあるかどうか知らないが、あの母親だったらやりかねない。
とにかく、幼い頃の宝玄仙の屋敷はどこもかしこも性行為でいっぱいだった。
いつも、屋敷中で人目をはばからない性愛が行われていた。
物心ついたときからそうだったし、そういうものだと思っていた。
母親が知らない男に抱かれるのを物心ついたときから、身近に接していた。
母親が苦しそうに呻くことが最初は恐怖だったが、やがて、それは苦痛の呻きではなく、心からの快感の叫びだとわかってからは、それほど性愛に抵抗もなくなってきたような気がする。
でも、この痒み剤だけは嫌だった。
苦しいのだ。
それに気持ちの悪い男の手で身体を触られまくることも恐怖だった。
しかし、猛烈な痒みを癒してくれるのは、宝玄仙自身が、その大人にそうお願いをするしかない。
そうしなければ、繰り返し薬剤を重ね塗りされるだけなのだ。
「お尻にも塗ってやれよ」
母親の背後からやってきて、宝玄仙を覗きこんだ男が言った。
また、見知らぬ男だ。
幼い宝玄仙の意識がそう思っている。
宝玄仙の母親は、二日続けて同じ男を抱くということがなかった。
母親の性の相手は毎日変わった。
常に複数の愛人が屋敷にいたし、その顔は頻繁に入れ替わった。
宝玄仙のお尻に薬剤を塗れと言った男は、それまでに幼い宝玄仙が遭ったことのない男だった。
幼い宝玄仙の意識は、その男を大人と思っているようだが、もうひとつの意識である宝玄仙は、その男がまだ二十歳そこそこの若い青年だということを認識している。
お尻にも塗れと言ったのは、ただそれが面白そうだからそう言っただけのようだ。
「や、やだよう、御前……」
薬剤をたっぷりと載せた母親の指が、幼い宝玄仙のお尻の粘膜に沈み込んだ。
幼い宝玄仙の肛門はそれを簡単に受け入れている。
この頃には、すでにお尻の開発もある程度は進んでいたようだと宝玄仙は思った。
「か、かゆい……」
幼い宝玄仙がすすり泣きを始めた。
確かに猛烈な痒みが下半身を襲い始めた。
「……さあ、痒いときはどうするの?」
母親がささやいた。
「お、おじ様……、宝のおまたとおしりをゆびでかいてください」
幼い宝玄仙が泣きながらそう言った。
また、視界が闇に包まれた……。
*
「すっかりと準備が整ったわ……。いよいよ、今夜ね。選りすぐりの三人の相手を準備したわ。お前の破瓜の相手として相応しい性の猛者たちよ。もっとも、破瓜といっても、指や道具はお前も経験済みね。まあ、本当の肉棒を受け入れるのは今夜が初めてなんだし、破瓜と言ってもおかしくないわよねえ……。連中には、初めての経験と言ってあるんだけど、破瓜をする十二歳の娘が、痛がるわけでもなく、破瓜の血もなく、よがり狂ったら連中は驚くかしら……。まあ、いいわね。わたしの娘だもの。そんなものだと思うわよね」
部屋にやってきた母親が愉しそうに笑った。
その母親に対して、毅然とした表情の少女が身体を向けた。
宝玄仙はこの光景が十二歳の頃だということがはっきりとわかった。
これは宝玄仙の人生を変えたあの日のことだ──。
宝玄仙は確信した。
宝玄仙の視点は部屋の壁にあった。宝玄仙はあの日の宝玄仙の部屋の一部となり、やってきた宝玄仙の母親と、生まれて初めて母親に逆らおうとしている過去の自分を見ていた。
「そのことなんだけど、御前、わたしは、今夜の宴には出ないわ」
十二歳の宝玄仙が言った。
「えっ?」
母親が驚いた表情をした。
「出ないって、どういうことよ? 今夜のことは一箇月前から言っていたはずよ。今夜は、お前の破瓜の儀式をする日なのよ。わたしの恋人たちも、今日の催しを愉しみにしているし、そのための準備もそれなりの整えたし……」
「わ、わたしの初夜は見世物じゃないわ」
少女の宝玄仙が怒鳴った。
「お、お前……」
宝玄仙の母親の顔色が怒りのために真っ赤になっている……。
しかし、気を落ち着けるように大きく息を吸い、そして、吐いた。また、息を吸って吐く。
やがて、母親が口を開く。
「そ、そりゃあ、緊張しているのはわかるわ、宝玉……。でも、どんな女にも最初はあるのよ。それに、普通は初めての性通なんて、痛くて苦しいものでしかないはずなのよ。でも、お前は違う。痛みの段階は終わっているし、実際には道具を使ってその身体で快感を覚えることを修得しているから痛みなんてないわ……。むしろ快感しかないわ。わたしが選んだ相手は、それは、それは、上手よ。きっとお前を天国に連れて行ってくれるわ」
「わたしの最初の相手は、わたしが決めるわ。わたしは、あんたの性愛の道具じゃない。あんたとあんたの愛人がいくら乳繰り合おうと構わないけど、わたしや蘭をその材料に使わないで欲しいわね。わたしたちは、あんたの淫具じゃないのよ」
少女の宝玄仙が捲し立てた。すると母親の表情が険しくなり、その顔色がどす黒くなった。
「お、お前、な、なんて口の利き方をするのよ……。お、親に向かって」
母親が声をあげた。
しかし、少女の宝玄仙は、怖がることも、また、怒鳴り返すということもなかった。母親の大声をせせら笑ったのだ。
「親が聞いて呆れるわ。親として、あんたがわたしになにをしてくれたのよ。淫具のひとつのようにあんたとあんたの愛人どもが性愛に耽るための演出の材料として使ってきただけじゃないのよ……。もう、金輪際、ご免だと言っているのよ」
「な、なんですって? そんなことを許さないわよ──」
母親が手をあげた。
部屋の一部となってふたりのやり取りを眺めている宝玄仙は、それが道術を遣うときの母親の癖だということを知っている。
宝玄仙の反抗に怒った母親が、少女の宝玄仙に道術を振るおうとしたのだ。
しかし、次の瞬間、母親の身体はそのままの姿勢で後ろの壁に弾き飛んだ。
十二歳の宝玄仙が道術を遣ったのだ。
大きな音がして壁に叩きつけられた母親の眼が大きく見開いている。
「お、お前……」
母親の顔に驚愕の色がある。
その身体が壁から離れた。一瞬だけ、ふわりと浮くように持ちあがり、床に静かに降ろされた。すべて少女の宝玄仙の道術だった。
「わたしの道術がすでにあんたを上回っているなんて知らなかったでしょう? あんたは、わたしのことなんて興味ないものね──」
十二歳の宝玄仙は母親に蔑みの視線を向けた。
「お、親に向かって……」
母親はただそれだけを言った。
「まだ、母親ぶるの?」
少女の宝玄仙が母親を睨んだ。
壁の中の宝玄仙は、母親の顔に自分の娘に対する恐怖心が芽生えたのがわかった。
この母親は、本当に自分の娘が母親である自分を遥かに圧倒するほどの霊気を遣えることを知らなかったのだと改めてわかった。
「それから、わたし今日限り、この屋敷を出るから──。これでお別れよ」
「出ていく?」
母親がびっくりしている。
「そうよ」
「──出ていってどうするのよ?」
「あんたには関係ない話だけど、まあ、これまで食べさせてくれることだけはしてもらったから、一応、教えとくわね。わたし、出家するのよ。天教教団に入るの。もう、戒名もあるわ。宝玄──。それが、わたしのいまの名よ。もう、宝玉と呼ばないでね」
「出家──? ま、まさか
母親が叫んだ。
須菩提というのは、隣町にある天教の神殿の神殿長であり、宝玄仙の最初の師匠だ。
十二歳の頃、宝玄仙はこの須菩提という仙士と付き合うようになったが、その須菩提は宝玄仙の類まれな道術の才能に惚れこみ、出家を勧めてくれた。
宝玄仙は承諾し、このときすでに、出家の手続きを済ませて、“宝玄”という戒名も貰っていた。
この日以降、宝玄仙自身は、宝玉という本名を名乗ったことはない……。
「あんたには関係のない話よ……」
少女の宝玄仙がそれだけを言った。
「……で、出ていくなら勝手にするがいいわ。だ、だけど、お前が着ている服はあたしが買ったものだよ。それは置いていきな──。行きたきゃ、素っ裸で隣町まで行くといいよ」
母親が不敵に笑った。
母親としては、それで宝玄仙を引きとめられると思ったのかもしれない。
だが、あの時、宝玄仙は素っ裸でも出ていくつもりだった。
そして、そうしたのだ……。
眼の前の少女の宝玄仙もそうしている。
母親の前で服を脱ぎ出し、どんどん裸になっていく。
「下着もだよ。一糸まとわぬ姿で行きな……。まあ、それはそれで見ものだろうさ。隣町までかなりある。好奇心旺盛な男どもが、お前の裸を愉しむだろうね。襲われないように気をつけな。須菩提の糞爺いによろしくね」
母親が捨て鉢のような声をあげた。
そのときには、宝玄仙はすでに素っ裸になっている。
「……宝姉ちゃん、どっかにいくの?」
不意に母親の背後の扉の隙間が大きく開いた。
そこに蘭玉が立っていた。
まだ六歳だ。
あのとき、ただひとつの気がかりが、残していく妹のことだった。
この狂った屋敷に妹の蘭玉を置いていく。それがどういうことを意味するのかは当時の宝玄仙も知っていた。
しかし、どうしようもなかったのだ。
出家する宝玄仙が六歳の妹を連れて行くわけにはいかない。
あのとき、宝玄仙には蘭玉を捨てていく以外の選択肢はなかった。
「ご、ご免、蘭……。いつか、いつか、必ず迎えに来るから……」
宝玄仙がそれだけを言っている。
「冗談じゃないよ。一度出ていったら、それで終わりだよ。二度と、ここには近づかないでくれるかい」
母親が喚いた。
「じゃあね……」
少女の宝玄仙が言った。
母親に対する言葉ではない。
それは、異父妹の蘭に対して向けた別れの言葉だった。
少女の宝玄仙の姿は消滅した。
『移動術』だ。
十二歳にして、すでに『移動術』を修得していた宝玄仙は、素裸のまま一気に隣町の神殿に跳躍したのだ。
また、視界が暗転した。