「その前に言いなさい。あなたは誰で、どうやって侵入してきたの?」
「つまり、俺を知らないということですね……」
青年妖魔は大きく嘆息して眼に見えて落胆の態度を示した。
「質問に答えなさい、お前。ここが妖魔城であり、隣が
長女金はそう言うとともに用心深く身構えた。
いま、長女金が大きな声を出しさえすれば、廊下にいる警護兵に伝わり、眼の前の青年妖魔はあっという間に捕らえられるに違いない。
長女金と青年妖魔がいるこの部屋と金聖姫が寝ている部屋には鍵のかかっていない扉があるだけだ。
そんなところに、雄妖が侵入したとなれば、あの妖魔王の
「わかっていますよ……。金聖姫様の隣室に侵入するなど、妖魔王への叛逆にも等しい行為であり、見つかれば七回殺されるくらいの大罪だということは……。妖魔王が金聖姫様を大変気に入られているというのは妖魔の里でも有名ですからね……。でも、俺にはその必要があったのですよ。そのくらい価値のある恩人の危機かもしれなかったのです」
「恩人の危機?」
なんだろう?
穏やかな話じゃない。
「でも、これではっきりしました。どうやら、間違った人に彼女たちを預けてしまったようです……。もう、行きます。騒がないでいてくれて感謝します」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。事情くらい説明していきなさい──」
長女金は強く言った。
するとその青年妖魔は小さく頷いた。
根は正直で素直な性質のようだ。悪い妖魔ではない。長女金は確信した。
「……そうですね。じゃあ、まずは、名を名乗ります……。俺の名は
「い、淫魔──」
長女金は絶句した。
淫魔と言えば、精力絶倫の色魔であり、性技に長け、淫靡な道術で人間をたらしこみ、性に狂わせて憑り殺すと言われている妖魔だ。
それが眼の前にいる……。
さすがに自分の顔が引きつるのを感じた。
「そんな顔をしないでください。あなたにも金聖姫様にもなにもしません。約束します……」
羅刹は言った。
「そ、そう……」
長女金は頷いたが、決して警戒を緩めたわけではない。
相手が淫魔ということで長女金の緊張は最高度にあがった。
いま、この瞬間にも精神を操られ性欲を暴発させられて、自分の身体と心の制御を失うかもしれない。
自分はいいのだ。
しかし、隣室にいる金聖姫のことを思うと……。
「そ、それで、羅刹、あなたはわたしのことを知っているの? わたしたちはどこかで会ったのかしら?」
長女金はどう考えても羅刹の顔に記憶がない。
出遭ったのはこれが初めてのはずだ。
しかし、羅刹はさっきから、どうも長女金のことを知っているような雰囲気だ。
「おそらく、あなたに遭うのは初めてのようですね……。でも、俺は実は長女金殿と名乗るあなたにそっくりな女性に遭いました。わたしが案内をした方々も随分と親しそうだったし、疑いはしていなかったのですが……」
羅刹の言葉で長女金は、思い当たる節があった。
そう言えば数日前、あの
「もしかしたら、それって、春嬌……様のこと?」
長女金は言った。
「春嬌殿をご存知ですか? ならば、やはり、あれはあなただったのですか。それならば、やっぱり、あれは心理的な嗜虐の一環だったのですね……。ああ、よかった。早とちりして、忍び込んで騒ぎを起こさなくて済みました」
羅刹がほっとした表情で破顔した。
「ち、違う──。違うわ。心当たりがあるだけよ。数日前に春嬌様にわたしはこの妖魔城で遭っているの。そのときに、春嬌様がわたしそっくりに変身をしたのを覚えているわ。そのときは、なんのためにそんなことをしたのかわからなかったけど……」
「ならば、やっぱり、あれは偽者? つまり、彼女たちは騙されて春嬌殿の屋敷に連れ込まれたのですね。そして、拷問を受けている……。ああ、やっぱり、俺のせいだ──。あんなにお世話になったというのに俺というのはなんてことを……」
羅刹が頭を抱えて呻いた。
その心からの悔悟の態度に、長女金はなんだか眼の前の淫魔に好感を覚える自分を感じていた。
「つまり、あなたがお世話になった恩人を春嬌様に
長女金は言った。
春嬌が怖ろしい拷問魔で妖魔の里に侵入してきた人間を捕えては残酷に拷問した挙句に次々に殺しているという噂は耳にしていた。
実際、長女金自身もわずか一日だが、春嬌の拷問を受けて半死半生の目に遭わされた。
国都の郊外で春嬌に捕らえられて、軍営に連行されて、宝玄仙たちの居場所を白状しろと拷問されたときだ。
全身の皮膚が破けるまで鞭打たれて、顔に熱湯を次々に浴びせられた。
そして、眼をくり抜かれ、鼻を削がれ、全身の骨を砕かれ、爪を剥がされ、身体を手足の先から寸刻みに切断さて、最後には口に開口器を嵌められて、毒剤を奥歯に塗られて一本ずつ歯を溶かされたのだ。
そのときついに自分は居場所を口にしてしまったが、そういう拷問を春嬌は笑いながらやるのだ。
最後には舌まで切断された。
春嬌の人間嫌いは、ほとんど異常者の域に達している。
誰だかわからないが春嬌に捕らえられたという羅刹の知り人は相当な目に遭っているに違いない。
心から長女金は同情した。
そう考えていて、ふと気になることがあった。
羅刹の言葉によれば、春嬌は長女金の姿で羅刹に近づき、羅刹の知り人を連れていったということだ。
しかも、その人たちは長女金の姿の春嬌ととても親しげだったと言っていた気がする。
つまり、羅刹の知り人は、長女金の知人ということではないだろうか……。
「ね、ねえ、その春嬌様に連れて行かれているというあなたの恩人というのは誰なの?」
長女金は訊ねた。
「それは言えません。彼女たちは、ある目的でここにやってきています。あなたに彼女たちのことを教えるということは、彼女たちの目的を邪魔することになります──。とにかく、話を聞いてくれて感謝します。ここから先は俺の話です。できれば忘れてもらえればありがたいです」
羅刹が言って、頭をさげた。
ここから消えてしまいそうな気配に長女金は慌てた。
「ま、待って、つまり、あなたの恩人というのは女の人たちなのね?」
「そうです……。俺に性技の手解きをしてくれたのです。俺の恩人です」
「い、淫魔のあなたに性の手解き……? それって、人間の女性……?」
「もちろんです。素晴らしい方々でした」
羅刹のきっぱりとした返事に長女金は絶句した。
淫魔といえば性の奥義を知り尽くしたという伝承の好色魔だ。
それに性の手解きをするとはどんな女たちなのだろうかと思った。
しかし、それで長女金はふと思い当たった。
長女金の知っている人間の女たちで、この淫魔に性を教えるというような途方もないことができるのは……。
そして、その女性たちの顔が浮かんだ。
「羅刹、春嬌様に捕らえられたというあなたの恩人の女性というのは、宝玄仙さんたちね」
「やっぱり、ご存じなのですね……」
羅刹が声をあげた。
長女金は寝台から飛び降りた。
衣装棚に駆け寄ると、身に着けていた寝着をその場で脱ぎ捨てる。
羅刹が驚いている気配がする。
「それって、十日ほど前のことね……」
春嬌が長女金に変身するために妖魔城を訪れたのがその頃だ。
そうであれば、宝玄仙たちは、あの春嬌に十日近くも捕えられたままということになる……。
長女金は羅刹の返事を待たなかった。
そのときには、長女金は動きやすい男物の
次に寝台の下に潜り込む。
例の木箱を取り出し、金属の棒を砥石で先端を尖らせた腕の半分ほどの長さの武器をとった。
柄の部分になるところには、木の板を張り合わせたもので握りをこしらえている。
硬い皮布を縫って鞘替わりの細長の革袋もこしらえていた。
薬剤の入っている小瓶を出して、金属部分に『魔女殺し』をたっぷりと塗りつける。
「そ、そうですが……。あ、あのう……、なにをしているのです?」
羅刹が呆気にとられている。
「わたしも行くわ……。行かなければならないの。宝玄仙さんたちは、わたしにとっても命の恩人なの──。ところで、どうやって、あなたはここに侵入してきたの?」
ここは妖魔王の結界が刻んである妖魔城だ。妖魔王の賽太歳以外が道術で移動をできないようになっているはずだ。
その妖魔城の……、事もあろうに賽太歳のお気に入りである金聖姫の寝所に潜入してくるなど、容易にできることではないはずだ。
「お、俺は、淫気の濃い場所に『移動術』の結界を作れるという特殊能力があるんです。淫気に忍び込むのであれば、大抵の道術防護を突破できます……。あ、あのう、いま、あなたも行くと言われました……?」
羅刹がおずおずと言った。
「そう言ったでしょう──。淫気ってなに?」
武器の金属部分に『魔女殺し』を塗り終わった。
これで相手の身体に掠りさえすれば、相手の道術を防げる。
いずれにしても、霊気を帯びない人間である自分に直接の道術は効かない。
道術の基礎だ。
背負い袋に敷布を編んで作った紐と残りの薬剤の入った小瓶を入れる。そして、袋を背負った。
「淫気というのは人間や妖魔が性交をしたときに発する気です。俺たち淫魔はその淫気を身体に吸収して力を得るのです」
「ここにも淫気があったの?」
「濃いものが残っていました」
羅刹が言った。
金聖姫と愛し合ったときのものだと思った。
まさにこの長女金の部屋でお互いに果てるまで数回ずつの絶頂をした。
そのときに発した淫気というものが溜まっていて、羅刹はここに特殊能力の道術の力で跳躍してきたのだ。
「わたしを連れて行けるわね?」
「そ、それはできます。まずは、この妖魔城の中や周辺の建物で淫気が発散している場所を探してそこに跳躍し、また、次の跳躍地点を探って……」
「なんでもいいのよ。一緒に連れて行きなさい、羅刹」
長女金は言った。
そして、ふと隣室に寝ている金聖姫のことを思った。
可愛い金聖姫……。
王姫ではなく、ひとりの女として接したとき、長女金はあの無邪気で可愛い女が途方もなく愛おしく感じた。
護っていあげたい……。
彼女の幸せを与えてあげたいと心から思った。
長女金の手管で可愛らしくよがり狂い、お互いの唾液をすすり、愛液を舐め、そして性器を擦り合った。
金聖姫と愛し合った……。
お互いの心が通い合った……。
その思った……。
金聖姫もそう思ったはずだ。
それなのに、その日の夜のうちに、長女金がいなくなったと知ったらどう思うだろうか……。
だが、別れの言葉を告げている暇はない。
もしも、引きとめられたり、騒がれたりしたら、羅刹とともに妖魔城の外に出る機会を失ってしまう。
昨夜は偶然にも妖魔城の逃亡の話をした。
そして、その夜に長女金はいなくなる。
それで、長女金は逃げたのだと思ってもらうしかない。
「行きましょう」
長女金は羅刹を見た。
「では……」
自分のはらわたが捻じれるような奇妙な感覚が襲ってきた。
(第55話『妖魔城の女囚たち』終わり、第56話『半妖の少年魔王』に続く)